佐野慈紀

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佐野 慈紀(佐野 重樹)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県松山市
生年月日 (1968-04-30) 1968年4月30日(55歳)
身長
体重
175 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト3位
初出場 1991年4月9日
最終出場 2003年7月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐野 慈紀(さの しげき、本名及びかつての登録名佐野 重樹(読み同じ)[注 1]1968年4月30日[注 2] - )は、愛媛県松山市出身[注 3]の元プロ野球選手投手)、野球解説者野球評論家

所属プロダクションは有限会社セットアッパー[9]であり、同社の代表取締役を務める[10][11]。現在は、株式会社サン・オフィスが業務提携している。

登録名の「慈紀」については、「滋紀」「慈樹」と誤記される場合もある[注 4]。愛称は「ハゲ魔神」。

中継ぎ投手としては、日本プロ野球NPB)史上初の年俸1億円プレイヤーだった[16]

経歴[編集]

選手時代[編集]

愛媛県立松山商業高等学校時代の1986年夏に水口栄二らと第68回全国高等学校野球選手権大会に出場して準優勝に貢献した(当時は右翼手兼控え投手)。近畿大学工学部(キャンパス)進学後、同学部内硬式野球部広島六大学野球連盟加盟チーム)[注 5]でエースとなり、リーグ10連覇に貢献[17]、最優秀投手賞を4回受賞[17]する。

1990年度ドラフト会議にて野村貴仁のクジを外した近鉄バファローズから3位指名を受けて入団。

1991年では中継ぎ中心に登板して6勝を挙げた。

1993年シーズンには、防御率2.00(厳密には1.995)を挙げ、近鉄では主に中継ぎ投手として活躍。

1995年シーズンには自身初の二桁10勝を挙げる。

1996年シーズンオフには中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなる。

1997年シーズンオフに渡米してフランク・ジョーブ博士によるトミー・ジョン手術を受けた[19][20]

1998年は一軍登板はなかった(近鉄球団はリリーフ投手の穴埋めとして中根仁とのトレードで盛田幸妃投手を獲得した)。

1999年4月4日開幕二戦目となる日本ハムファイターズ二回戦にて先発ロブ・マットソンから代わり二番手として一軍復帰登板を果たし、7月7日福岡ダイエーホークス戦でプロ初完封勝利を無四球で挙げるも[21]、年間ではリリーフでも先発としても不本意な成績に終わり、同年のシーズンオフに梨田昌孝監督が就任して小池秀郎善村一仁とともに門倉健東瀬耕太郎古池拓一との3対3の交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍[6]

2000年5月に一軍登録されたものの[22]6月21日の対巨人戦(ナゴヤドーム)で1イニング4被本塁打の日本プロ野球タイ記録を作り[22]、翌日登録抹消[22]。以降、一軍への出場機会がないまま[22]、同年のシーズンオフに戦力外通告を受け、アメリカ合衆国へ渡る[23][22]

2001年独立リーグエルマイラ・パイオニアーズでプレー[24]

2002年MLBロサンゼルス・ドジャースマイナー契約するも、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルメキシコシティ・タイガースへ移籍した後、エルマイラ・パイオニアーズに復帰する。

2003年オリックス・ブルーウェーブへテスト入団し、日本球界へ復帰[注 6]。また、入団テストの頃より活動名義を「佐野 慈紀」へ変更[注 7]。しかし、一軍登板は2試合にとどまり、現役を引退[注 8]

引退後[編集]

2004年より、野球評論家・解説者に転身[注 9]。各テレビ・ラジオ局の番組に出演[注 10]2006年より、サンケイスポーツ(大阪)評論家。

また、2003年に近鉄時代の同僚・野茂英雄らが設立した社会人野球チームNOMO Baseball Clubの理事を2005年頃まで務めた[注 11]

2011年独立リーグBCリーグ(BCL)の石川ミリオンスターズで応援広報大使を務め、翌2012年より取締役に就任したが、2023年現在は退任している[34]

2015年より、「プロ野球の有名OB(解説者)が野球について語り尽くす動画サイト」として開設された「OBTV」に出演[注 12]

2018年よりジーニー堤が経営する芸能事務所がマネージメントを請け負うと発表された[37][38]

2018年12月より、知人に紹介された飲食店のコンサルタント会社の社長の運転手をしている[39]

2019年より、野球少年たちを相手にしたピッカリ対決をYouTubeにおいて披露している。

2021年現在はサン・オフィスと業務提携している[40]

2023年4月中旬、足底の激痛を訴え、主治医の診察を受けたところ重症下肢虚血であることが判明し入院。同年5月末に骨髄炎状態となっていた足裏の骨を一部切断する手術を受け無事に終了し、療養中であることを自身のブログで公表している[41]

人物[編集]

球界きっての明るい性格・芸達者で知られ、若手時代から髪が薄いことを自虐ネタとして大いに披露していた。島田紳助からは「今すぐ引退してお笑い芸人になっても十分生活できる」と絶賛されるほどであった[注 13]。このほか、以下のような、ハゲ頭関連のエピソードが見られる(箇条書き部分を参照)。

  • 自らを『チビで、デブで、ハゲ』と三拍子揃っていると自慢していた[注 13]。もっとも、身長はプロ野球選手平均よりはやや低めという程度で、一般人に比べれば高い。
  • 対オリックス戦でワインドアップの際、高々と上げた両腕が帽子に当たり、偶然、前頭部があらわになった。このまま投げていいものか迷っていたら、打者の中嶋聡が笑いながらタイムをコールしたため、投げずに終わった。その年のオフの『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』にゲスト出演した際に「これは何投法と言うのですか?」と聞かれ、自ら「必殺!テカテカ投法」と命名。リクエストに応え、番組放送直前に行われた東西対抗野球で披露し、番組内でVTRが流された。
  • オリックス在籍時は、その頃から自分と同じく頭が薄い和田一浩(西武に在籍)をライバル視していた[43]
  • ゲゲゲの鬼太郎』の歌を「♪ハゲ、ハゲ、ハゲ・ハゲ・シゲ~ みんなで歌おう ハゲ・ハゲ・シゲ」という替え歌にし、同僚の池上誠一と歌っていた。
  • 「カツラ業界の皆さん、ドラフト1位でどうですか?」アルシンドになってるよー!」などのネタがあり、アートネイチャーのCM曲の替え歌「男はオオカミ 俺は少髪(しょうかみ)」なども歌っていた。
  • プロ野球オールスタースポーツフェスティバル』でバスケットボール競技にハゲのカツラをつけて登場。シュートをする際にドリブルしていたボールを捨ててカツラを取り、ボール代わりにシュートした。
  • 野茂主催のチャリティー野球教室で、捕球の際に勢い余ってフェンスに激突し、司会からの「佐野さん、怪我ないですかー?」と心配する声に「はーい、毛がないでーす」と返答した。
  • 「テカテカ投法」は最終的に「ピッカリ投法」と言う名前に落ち着き、プロ野球マスターズリーグモルツドリームマッチなどのOB戦では牽制球の際にも帽子を落とす「ピッカリ牽制」も見せている。また、ドリームマッチでは同じくハゲ仲間の小田幸平とバッテリーを組み和田と対戦し、何らかの切っ掛けで帽子、ヘルメットを飛ばして乱闘する「ピッカリ劇場」が恒例行事となっている。
    • 2017年には佐野、小田共に金色に輝くグラブとミットでバッテリーを組んだほか、同じく頭が薄い鈴木球審、大和塁審も巻き込んでネタを披露した。
    • 2018年には横の髪を1年間延ばし続け、挙げ句当日朝にパーマをかけるという仕込みで脱ハゲ疑惑を演出、前年に巻き込んだ2人の審判も含めた4人の抗議を受けるも最終的にピッカリ投法で光り輝く頭頂部を見せて4人と和解するというネタを披露した。この年は和田にヒットを打たれるも、ピッカリ牽制で見事刺している。
  • 1998年セガサターン用ソフトとして発売された、プロ野球球団経営シミュレーションゲーム『プロ野球チームもつくろう!』では、選手のデフォルメキャラクターは通常所属チームの帽子をかぶっているが、佐野は帽子をかぶっておらずハゲ頭で、おでこの部分に近鉄の猛牛マークの刺青が入った設定となっている[注 14]。これは、監修者・野茂の強い要望で実現したものである[44]。なお、プレイヤーが近鉄以外の球団を経営し、トレードなどで近鉄から佐野を獲得した場合、前述の刺青は反映されず、ハゲ頭のままになる。

1997年8月31日の対ダイエー戦(大阪ドーム)では、延長最終回となる12回裏にフィル・クラーク代走として出場した。しかし次打者の山本和範が凡退したため、本塁生還はならなかった。

現役時代は個人ホームページが存在[注 15]し、ファンからの質問にも答えていた。また、2000年にはホームページ上を通じ、着信時に頭の部分が光る「サノピーストラップ」というキャラクターグッズを販売していた[注 16]

近鉄時代の同僚・中根仁が立ち上げた元アスリートのセカンドキャリア情報配信などを行うポータルサイト「アスリート街.com」の協力スタッフとして活動している[48]

野球用電子スコアブックシステム「Touch Score」の監修者[10][11]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1991 近鉄 38 0 0 0 0 6 2 2 -- .750 319 73.0 82 7 30 1 1 57 2 0 33 31 3.82 1.53
1992 31 1 0 0 0 4 2 1 -- .667 273 62.1 67 6 24 2 4 44 2 0 30 29 4.12 1.46
1993 43 0 0 0 0 2 3 3 -- .400 305 76.2 67 8 27 4 2 44 1 0 17 17 2.00 1.23
1994 47 0 0 0 0 8 4 2 -- .667 384 93.1 95 6 22 2 1 51 1 0 39 36 3.47 1.25
1995 44 0 0 0 0 10 4 6 -- .714 336 79.2 77 12 27 6 1 55 0 0 36 31 3.50 1.31
1996 57 0 0 0 0 5 3 7 -- .625 407 97.2 96 12 22 2 4 75 0 0 38 32 2.95 1.21
1997 52 2 0 0 0 2 5 5 -- .286 326 73.2 96 6 24 5 1 47 2 0 38 32 3.91 1.63
1999 28 8 1 1 1 3 8 1 -- .273 325 72.1 85 13 27 1 5 26 1 1 46 44 5.47 1.55
2000 中日 11 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 77 16.2 22 7 7 1 0 15 1 0 17 15 8.10 1.74
2003 オリックス 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 3.0 12 1 0 0 0 0 0 0 7 7 21.00 4.00
通算:10年 353 11 1 1 1 41 31 27 -- .569 2772 648.1 699 78 210 24 19 414 10 1 301 274 3.80 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

  • 初登板:1991年4月9日、対福岡ダイエーホークス1回戦(藤井寺球場)、8回表に4番手で救援登板・完了、2回2失点
  • 初奪三振:同上、8回表に岸川勝也から
  • 初勝利:1991年5月25日、対福岡ダイエーホークス8回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、7回裏2死に3番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点
  • 初セーブ:1991年7月6日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
  • 初先発:1992年9月24日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回2/3を2失点(自責点1)
  • 初先発勝利:1997年8月14日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦(大阪ドーム)、7回1失点
  • 初完投勝利・初完封勝利:1999年7月7日、対福岡ダイエーホークス17回戦(大阪ドーム)

背番号[編集]

登録名[編集]

  • 佐野 重樹 (さの しげき、1991年 - 2000年)[注 21]
  • Shigeki Sano (2001年・2002年)[注 22]
  • 佐野 慈紀 (さの しげき、2003年)[注 23]

関連情報[編集]

出演番組[編集]

参考[52][注 24]

出演映画[編集]

  • 恋と花火と観覧車(1997年) - 41歳独身で糖尿病もちの電気屋のおっさん「海老原義和」役で出演(佐野は当時28歳)[注 32]

出演CM[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 本名については次の資料を[1][2]参照。『12球団全選手カラー百科名鑑2004』では「本名重樹。」という記述あり[3]
  2. ^ 生年月日については、現役当時の各種プロ野球名鑑を参照。ただし、一部資料では8月30日と誤記[4]
  3. ^ 愛媛県出身である旨は次の資料を[1][5]、松山市生まれである旨については次の資料を[6]、同市出身である旨については次の資料を[7][2][3][8]参照。
  4. ^
  5. ^ 近畿大学体育会硬式野球部関西学生野球連盟加盟)とは別チーム。各種プロ野球名鑑に経歴が記載される場合、「近大工学部」[3]または「近大呉工学部」[17][5][7][2][12]と表記。近鉄選手時代に開設したウェブサイト内プロフィールでは「近畿大学呉工学部」と記載[1]。『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』では、「近大工学部」[16]、「近大呉工学部」とそれぞれ表記[18]
  6. ^ 2月9日にテスト合格を発表[25]。同10日に正式に入団が発表された[26][27]
  7. ^ 2003年当時の『スポーツ報知』ウェブサイト内各種記事より、1月17日のオリックス入団テスト発表時では「佐野重樹」と報道された[28]が、テスト開始後となる2月3日の報道より「佐野慈紀(重樹から改名)」と記述[29]。同9日の報道でも「佐野慈紀(重樹から改名)」と記述[25]
  8. ^ 参考:[30]。2003年12月2日に日本野球機構(NPB)から自由契約が公示された[31]
  9. ^ 引退時に『スポニチアネックス』内で配信された記事より、進路について「フリーの野球解説者」と記載[30]
  10. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズに掲載されるプロ野球解説者名鑑では2004年版から2006年版までCS系というくくりで紹介。2007年版[8]以降「NHK・BS」解説者として紹介(2015年現在。「」内局名表記は、原資料より)。
  11. ^ インターネット・アーカイブにおける、NOMO Baseball Club公式サイト内運営役員紹介ページの保存キャッシュ
    • 現存最古(2003年創設時)[32]
    • 最後に佐野が理事として明記された時の保存版[33]
  12. ^ 参考…[35][36]
  13. ^ a b 各種出版物より、次のような記述が見られる。
    • 『12球団全選手カラー百科名鑑2010』…『島田紳介に「今すぐ引退しても芸人で食べていける」と褒められたことも。』との記述あり(『』内は原文より引用)[42]
    • 『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』…『自らを“チビで、デブで、ハゲの三拍子揃った男”と自慢する佐野を、島田紳助は「今すぐ芸人になってもやっていける」と絶賛。』との記述あり(『』内は原文より引用)[43]
  14. ^ ハゲ頭のグラフィックについては、『プロ野球チームもつくろう! オフィシャルガイドブック イケイケ編』(1998年、ソフトバンク出版事業部発行。コード:ISBN 4797305142)内の選手名鑑にも掲載されている。
  15. ^ 1998年9月15日、MC21(Management Consulting 21)により企画・制作・開設[45]
  16. ^ 参考…[46]。販売は、次のサイトが直接担当[47]
  17. ^ 次の資料を参照[49][50]
  18. ^ 次の資料を参照[49][50]
  19. ^ 次の資料を参照[49]
  20. ^ 次の資料を参照[49]
  21. ^ 次の資料を参照[49](近鉄在籍時=1999年まで[50])。
  22. ^ 所属当時のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧を参照[51]。2002年度シーズン当時は、ファミリーネームより表記(Sano Shigeki[4]
  23. ^ 次の資料を参照[49](重樹より改名の旨も記載[49])。一部資料では、2000年・2003年の登録名と誤記[18]
  24. ^ a b c d 2013年発行の書籍『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』巻末の解説者リストでは、NHK-BS MLB中継、読売テレビ、Tigers-ai、フリーそれぞれの一覧に「佐野慈紀」の名前が記載。
  25. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズでは、2007年版から「NHK・BS」と明記[8]。最初の掲載時には、「BS大リーグ解説」という記述あり[8]
  26. ^ 参考…2013年6月16日ブリュワーズタイレッズ戦中継[52][53]
  27. ^ 2004年当時すでに担当[15]
  28. ^ 参考:2004年[54]、2005年[55]、2006年[56]
  29. ^ 参考…2013年4月20日の放送予定を記した出典[14]、同日の放送を記した出典[57][58]
  30. ^ 2014年当時の『侍プロ野球』解説担当については、次の資料を[59]参照。
  31. ^ 参考…[60][61][62]
  32. ^ 参考:
    • 出演情報(登場人物名も記載)…[63][64]
    • 「20代の佐野慈紀が41歳糖尿持ちモテない男を演じきった『恋と花火と観覧車』('97年)」と紹介された記事[65]

出典[編集]

  1. ^ a b c 1999年当時、佐野の公式サイト内で配信されたプロフィール (インターネットアーカイブ4月27日付保存キャッシュ)
  2. ^ a b c 『12球団全選手カラー百科名鑑2003』 (『ホームラン』2003年3月号増刊。同29日、日本スポーツ出版社発行)P222掲載のプロフィール
  3. ^ a b c 『12球団全選手カラー百科名鑑2004』 (『ホームラン』2004年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P237掲載の解説者プロフィール (CS系というくくりで紹介)
  4. ^ a b c 2002年7月30日現在のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧(英語。インターネット・アーカイブ同8月10日付保存キャッシュ)
  5. ^ a b 週刊ベースボール2000年2月21日号「2000年プロ野球全選手名鑑号」 (第55巻第7号通巻2389号。2000年2月21日、ベースボール・マガジン社発行)掲載のプロフィール
  6. ^ a b 2000年当時の中日スポーツウェブサイト内中日ドラゴンズポータル(インターネット・アーカイブ同8月15日付保存キャッシュ) → 1999年度トピックス一覧(インターネット・アーカイブ2000年8月18日付保存キャッシュ) → (11月7日)門倉、古池、東瀬が近鉄へ移籍/小池、佐野、善村と電撃トレード(1999年11月7日付記事。インターネット・アーカイブ2001年3月5日付保存キャッシュ)を参照。
  7. ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』 (『ホームラン』2000年3月号増刊。同31日日本スポーツ出版社発行)P34掲載のプロフィール
  8. ^ a b c d 『12球団全選手カラー百科名鑑2007』 (『ホームラン』2007年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P231掲載の解説者プロフィール (「NHK・BS」解説者として紹介)
  9. ^ 佐野慈紀”. ~FUGA~キャスティング~. 2023年10月4日閲覧。
  10. ^ a b 野球用電子スコアブックシステム「Touch Score」配信ホームページ
  11. ^ a b 全国 1,700 万人の野球ファンに贈る 野球用 電子スコアブックシステムの販売開始 - 2011年8月1日、有限会社セットアッパー・株式会社CTU連名によるプレスリリース (prnavi.jpで配信された、PDF文書ファイル)
  12. ^ a b 2003年当時、『スポニチアネックス』内で配信されたプロフィール (インターネットアーカイブ4月16日付保存キャッシュ)
  13. ^ 『別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2010』 (2010年、宝島社発行)P224掲載の解説者一覧
  14. ^ a b MBS(毎日放送)公式サイト内テレビ・ラジオプロ野球中継放送予定表(2013年3・4月分) - インターネット・アーカイブ同年3月29日付保存キャッシュ ※ゲスト解説の欄に佐野、解説の欄に山内和宏の名が記載(佐野は「佐野 滋紀」と誤記)。
  15. ^ a b 参考リンク(インターネット・アーカイブの保存キャッシュ)…J SPORTS公式サイト内2004年6月20日の番組表(同19日付保存キャッシュ)→『J SPORTS STADIUM2004 オリックス vs. 大阪近鉄(06/20)』(12:45より、J SPORTS 3で放送予定)番組情報(同10日付保存キャッシュ)を参照。※解説者として明記(ただし、「佐野 慈樹」と誤記)。
  16. ^ a b 『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』P81
  17. ^ a b c 『'91スポニチプロ野球手帳』P31掲載「佐野 重樹」プロフィール
  18. ^ a b 『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』P116
  19. ^ 佐野慈紀 (2011年6月25日). “第77回 復帰後は新たな“松坂伝説”を!”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2023年10月4日閲覧。
  20. ^ トミー・ジョン手術とは?費用やリハビリ方法・全知識”. とよだクリニック・心療内科・内科・総合診療科 (2019年1月6日). 2023年10月4日閲覧。
  21. ^ 2000 ベースボにール・レコード・ブック 94 - 95頁 1999年度主要記録集「佐野が9年目の初完封」より。
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  30. ^ a b スポニチアネックス内『惜別球人』2003年版(インターネット・アーカイブ同12月16日付保存キャッシュ) → 第2回オリックス編(インターネット・アーカイブ同12月21日付保存キャッシュ)を参照。
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  44. ^ 佐野 慈紀|スペシャルインタビュー”. プロ野球チームをつくろう!ONLINE 2. 2010年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
  45. ^ MC21公式サイト内事業実績ページ(インターネット・アーカイブ2002年11月24日付保存キャッシュ)
  46. ^ 2000年8月当時の佐野重樹公式ホームページ(インターネット・アーカイブ同23日付保存キャッシュ)
  47. ^ スポーツ専門オークションサイト『SPORCTION』内サノピーストラップ発売告知ページ(インターネット・アーカイブ2000年9月19日付保存キャッシュ)
  48. ^ アスリート街.comご協力スタッフ”. アスリート街.com (2017年8月8日). 2023年10月4日閲覧。
  49. ^ a b c d e f g 『ベースボールマガジン』2006年夏季号(第30巻・第3号・通巻167号。2006年7月1日、ベースボール・マガジン社発行)に掲載された、NPB球団別背番号年表(1950年から2006年シーズン途中までのNPB全球団における、年度毎の背番号別メンバー一覧表)。
  50. ^ a b c 『近鉄バファローズ球団史』に掲載された、背番号年表。
  51. ^ a b 2001年6月20日現在のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧(英語。インターネット・アーカイブ2002年2月10日付保存キャッシュ)
  52. ^ a b 『ORICON STYLE』芸能人事典内「佐野慈紀」情報ポータル(外部リンク)より、テレビ出演情報を参照。
  53. ^ 近鉄バファローズ! - 『佐野慈紀のピッカリブログ』2013年6月16日18時4分付
  54. ^ 2004年8月当時の文化放送スポーツサイト(インターネット・アーカイブ同3日付保存キャッシュ)より、8月5日放送予定の『ライオンズナイター』近鉄対西武戦の解説として明記。
  55. ^ 2005年5月当時の文化放送スポーツサイト(インターネット・アーカイブ同16日付保存キャッシュ)より、5月18日放送予定の『ライオンズナイター』阪神対西武戦の解説として明記。
  56. ^ 2006年4月28日から30日早朝までの東京地区におけるラジオ野球番組一覧表 - 『tv.nikkansports.com』(インターネット・アーカイブ同5月7日付保存キャッシュ)より、同28日17:50 - 21:30に文化放送で放送予定の『プロ野球〜スカイマーク オリックス×西武』番組情報を参照。「佐野慈紀」のクレジットあり。
  57. ^ MBS公式サイト『赤木誠のベースボールワールド』2013年4月23日付配信分 ※20日のオリックス対ソフトバンク戦中継で実況を担当した赤木誠(MBSアナウンサー)のブログ。山内がゲスト解説を務めていたことが明記(「山内和弘」と誤記)。
  58. ^ だからプロ野球は面白い! - 『佐野慈紀のピッカリブログ』2013年4月21日17時46分付 ※20日のオリックス対ソフトバンク戦でラジオの解説を務めた旨が記載(局名については明記されず)。
  59. ^ BS-TBS公式サイト内『侍プロ野球2014』過去の放送予定一覧 ※6月11日のロッテ対阪神、同13日の西武対広島を参照。
  60. ^ BSジャパン スポーツ総合サイトより、『プロ野球 2015 オリックス×西武』の番組情報を参照。
  61. ^ プロ野球全力闘球 2015 オリックス×西武 - BSジャパン公式サイト内番組情報
  62. ^ 『東奥日報』2015年6月21日付朝刊ラテ欄(BS・CS・ラジオほかの番組表掲載面)より、「BSジャパン」番組表を参照。
  63. ^ 恋と花火と観覧車 - allcinema
  64. ^ 恋と花火と観覧車 - KINENOTE
  65. ^ 『マネーボール』から水島作品まで、正月必見の“野次馬的”野球映画。(4/4) - [野次馬ライトスタンド] - Number Web - ナンバー 2012年1月2日8時2分配信(文:村瀬秀信)

参考資料[編集]

備考

  1. ^ 『'91スポニチプロ野球手帳』目次ページ(P1)内発行情報欄より(発行元クレジット無し)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]