金武町

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金武町
きんちょう
日章旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
国頭郡
団体コード 47314-6
面積 37.79km²
総人口 10,851
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 287人/km²
隣接自治体 うるま市恩納村宜野座村
町の木 クバ
町の花 サクラ
他のシンボル
金武町役場
所在地 〒904-1201 沖縄県
国頭郡金武町字金武1番地
金武町役所
電話番号 098-968-2111
外部リンク 金武町公式ホームページ
画像:Okinawa Kin-town.png

金武町位置図(沖縄県)

:市 / :町・村
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金武町(きんちょう)は、沖縄県国頭郡。中川区・並里区・金武区・伊芸区・屋嘉区の五つの行政区からなる。

目次

[編集] 地理

沖縄本島北部の東海岸に位置する。

[編集] 隣接する自治体

[編集] 人口

金武町と全国の年齢別人口分布図(比較) 金武町の年齢・男女別人口分布図
紫色は金武町
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 9,745人
1985年 10,005人
1990年 9,525人
1995年 9,911人
2000年 10,106人
2005年 10,619人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 歴史

間切時代の金武は現在の恩納村・宜野座村・名護市の一部にまたがり、間切番所は喜瀬武原(現恩納村)に置かれていた。

  • 1673年 恩納・瀬良垣・安富祖・名嘉真の4集落が恩納間切として、久志・辺野古の2集落を久志間切として分離。
  • 1853年5月 ペリー艦隊が琉球を訪れ各地を調査した際、金武間切では並里集落北側の丘で宿営を行った。当時西洋人を全て「ウランダー(オランダ人)」と呼んでいたため、その森は「オランダ森」と呼ばれるようになった。
  • 1908年 島嶼町村制で金武間切から金武村となる。
  • 1945年 沖縄戦により避難民となった沖縄本島中南部の住民の収容所が設置され、「漢那市」「福山市」「惣慶市」「古知屋市」「高松市」「宜野座市」ができる。これらは米軍が収容所を市として扱ったもので正式ではない。

戦後、村面積の約60%が米軍用地として接収され、キャンプ・ハンセンが建設された。

  • 1946年 避難民収容所の「宜野座市」があった金武村北部の4字が分立し宜野座村となる
  • 1975年 沖縄自動車道が開通(当時は許田~石川間、1987年に那覇まで開通。インターチェンジも金武だけだったが、那覇まで延伸後に屋嘉ICが新設)
  • 1980年4月 町に昇格し金武町となる
  • 1997年 米軍による県道104号線超えの実弾砲撃訓練が廃止され、訓練そのものが本土へ移転される

[編集] 教育

小中学校

  • 中川小学校
  • 金武小学校
  • 嘉芸小学校
  • 金武中学校

[編集] 地域

  • 伊芸(いげい)
  • 金武(きん)
  • 屋嘉(やか)

[編集] 米軍基地

  • キャンプハンセン
  • ブルービーチ(キャンプハンセンの一部である。)

※山向こうの恩納村では海岸線が整備され、各種観光施設が盛んなのに比べ 米軍の訓練施設使用の影響や、森林伐採による赤土流出で、金武町側の海岸は 観光に適さなくなってしまい、開発されていない。

[編集] 交通

[編集] 路線バス

かつては久志線と名護東線(許田経由)が国道329号を通っていたが、前者は1995年、後者は2008年にそれぞれ廃止され、現在は名護東線(辺野古経由)のみとなった。また2006年には名護こどもの国線も国道329号を通っていた。

さらに県道104号を経由する路線として恩納村とを結ぶ喜瀬武原線が運行されていたが1995年に廃止され、しばらく自主運行のバスが運行されていたが現在は廃止されている。

[編集] 道路

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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