金武町

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きんちょう
金武町
日本の旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
国頭郡
団体コード 47314-6
面積 37.79km²
総人口 11,041
推計人口、2012年1月1日)
人口密度 292人/km²
隣接自治体 うるま市恩納村宜野座村
町の木 クバ
町の花 サクラ
金武町役場
所在地 904-1201
沖縄県国頭郡金武町字金武1番地
金武町役所
外部リンク 金武町公式ホームページ

金武町位置図(沖縄県)

― 市 / ― 町・村
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金武町(きんちょう)は、沖縄県国頭郡に属するである。中川区・並里区・金武区・伊芸区・屋嘉区の5つの行政区からなる。

目次

[編集] 地理

沖縄本島北部の東海岸に位置し、金武湾に面する。見晴らしの良い日には、平安座島宮城島伊計島を望むことができる。

[編集] 隣接する自治体

[編集] 人口

Demography47314.svg
金武町と全国の年齢別人口分布(2005年) 金武町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 金武町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
金武町(に該当する地域)の人口の推移
1970年 9,953人
1975年 10,120人
1980年 9,745人
1985年 10,005人
1990年 9,525人
1995年 9,911人
2000年 10,106人
2005年 10,619人
2010年 11,068人
総務省統計局 / 国勢調査

[編集] 歴史

間切時代の金武は現在の恩納村・宜野座村・名護市の一部にまたがり、間切番所は喜瀬武原(現恩納村)に置かれていた。

  • 1673年 恩納・瀬良垣・安富祖・名嘉真の4集落が恩納間切として、久志・辺野古の2集落を久志間切として分離。
  • 1853年5月 ペリー艦隊が琉球を訪れ各地を調査した際、金武間切では並里集落北側の丘で宿営を行った。当時西洋人を全て「ウランダー(オランダ人)」と呼んでいたため、その森は「オランダ森」と呼ばれるようになった。
  • 1908年 島嶼町村制で金武間切から金武村となる。
  • 1945年 沖縄戦により避難民となった沖縄本島中南部の住民の収容所が設置され、「漢那市」「福山市」「惣慶市」「古知屋市」「高松市」「宜野座市」ができる。これらは米軍が収容所を市として扱ったもので正式ではない。

戦後、村面積の約60%が米軍用地として接収され、キャンプ・ハンセンが建設された。

  • 1946年 避難民収容所の「宜野座市」があった金武村北部の4字が分立し宜野座村となる
  • 1975年 沖縄自動車道が開通、「金武IC」が置かれる(当時は許田~石川間。1987年に那覇まで開通)
  • 1980年4月 町に昇格し金武町となる
  • 1996年9月 当町で実施していた沖縄電力発電所誘致が功を奏し、金武火力発電所が着工される[1]
  • 1997年 米軍による県道104号線超えの実弾砲撃訓練が廃止され、訓練そのものが本土へ移転される

[編集] 産業

農業では主になどの花卉類、さとうきびの他に、の生産地でもある。

[編集] 教育

[編集] 小学校

  • 金武町立中川小学校
  • 金武町立金武小学校
  • 金武町立嘉芸小学校

[編集] 中学校

  • 金武町立金武中学校

[編集] 地域

  • 伊芸(いげい)
  • 金武(きん)
  • 屋嘉(やか)

[編集] 米軍基地

  • キャンプハンセン
  • ブルービーチ(キャンプハンセンの一部である。)

[編集] 交通

[編集] 路線バス

かつては久志線と名護東線(許田経由)が国道329号を通っていたが、前者は1995年、後者は2008年にそれぞれ廃止され、現在は名護東線(辺野古経由)のみとなった。また2006年には名護こどもの国線も国道329号を通っていた。

さらに県道104号を経由する路線として恩納村とを結ぶ喜瀬武原線が運行されていたが1995年に廃止され、しばらく自主運行のバスが運行されていたが現在は廃止されている。

[編集] 道路

[編集] 医療

[編集] 名所

[編集] 出身有名人

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^金武火力発電所建設を発注」 『琉球新報』1996年9月19日
  2. ^ 金武地区消防管内 NPO法人MESHサポート2011年9月27日現在

[編集] 外部リンク

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