ジャニーズ事務所
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | ジャニーズ |
| 本社所在地 | 〒107-0052 東京都港区赤坂8丁目11番20号 北緯35度40分6.6秒 東経139度43分43.8秒 / 北緯35.6685度 東経139.728833度 座標: 北緯35度40分6.6秒 東経139度43分43.8秒 / 北緯35.6685度 東経139.728833度 |
| 設立 | 1962年(昭和37年)6月創業 1975年(昭和50年)1月30日法人登記 |
| 業種 | 芸能プロダクション |
| 代表者 | 代表取締役社長 ジャニー喜多川(喜多川擴) |
| 資本金 | 80億円 |
| 売上高 | 非公開 |
| 主要株主 | ジャニー喜多川60% 藤島メリー泰子10% 伊豆喜久江10% 藤島ジュリー景子10% |
| 主要子会社 | 株式会社ジャニーズ・エンタテイメント 株式会社ジェイ・ストーム 株式会社ジェイ・ドリーム ユニゾン株式会社 株式会社東京・新・グローブ座 株式会社ヤングコミュニケーション 株式会社ジャニーズ出版 株式会社エムシーオー 株式会社つづきスタジオ |
| 外部リンク | Johnny's net |
株式会社ジャニーズ事務所(ジャニーズじむしょ)は、日本の芸能プロダクション。
目次 |
[編集] 沿革・特色
[編集] ジャニーズ事務所の設立及び名称の由来
喜多川擴( ジャニー喜多川)が渡米したとき劇場のステージマネージャーをしており、袖口から劇を見ていて感動したという。また、アメリカに滞在していた高校時代に、ロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」でアルバイトをしており、様々なステージを観ている内に、エンターテインメントに感銘を受けたという説もある。
帰国後の1960年代初頭、知人が野球チームを作っていたために、これを真似て自らも野球チーム「ジャニーズ」を作った。近所の少年約30名を集め、東京・代々木にあった占領軍施設「ワシントンハイツ」にてコーチをしていた。メンバーには、浜田光夫、小畑やすし、設楽幸嗣らがおり、応援団には松島トモ子が居た。プロ球団や力道山などに支援され、練習場は後に池袋の立教大学グラウンドへ移行した。チーム名は、「オール・ヘターズ」、「オール・エラーズ」を経て、喜多川擴のアメリカ国籍でのニックネーム「ジャニー」から採った「ジャニーズ」に落ち着いた。この中の4名の少年でジャニーズを結成させ事務所の設立に繋がった。
初期に公表された経緯では1962年(昭和37年)の正月過ぎのある雨の日、野球チームでたまに球拾いをしていた仲良しメンバー4人組を誘い、映画「ウエスト・サイド物語」を観せに連れて行く。そして、映画に熱い感動を覚えた少年たちは、同年4月に「ジャニーズ」を結成とされている。姉のメリー喜多川は、1950年代から四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にあった「スポット」という名のカウンターバーを経営しており、バーの客だった東京新聞記者(後に作家)の藤島泰輔と結婚。そして、弟のジャニーが事務所を興すと、メリーもバーを閉店し、事務所の経理を担当するようになった。結成当初は、池袋南口の芸能プロダクション「新芸能学院(後の名和プロダクション)」に籍を置いていた。
当時はマネジメントは渡辺プロダクションに委託していたが、1962年6月に独立しジャニーズ事務所を創立し、1975年(昭和50年)1月、株式会社に法人登記した。ただし、元々は代表・ジャニー喜多川の個人事務所で正式名はなく「ジャニーズの所属事務所」の意でこの名を使用していた。起源はミュージカル俳優事務所である。
[編集] 事務所の所在地変遷
| 所在地 | 日付 | 備考 |
|---|---|---|
| 東京都豊島区西池袋1-3-6 | 1964年6月28日 | 「新芸能学院」を離れる。新たに「ジャニーズ事務所」を創業。「新芸能学院」名義。後の名和プロダクション |
| 東京都新宿区四谷3-1-3-2F | 兼 合宿所。 1Fは当時お茶漬け屋だったが、元々はメリー喜多川が経営していたカウンターバー「スポット」だった。 | |
| 東京都渋谷区代々木1-37-3 岩崎ビル3F | - 1968年春 | 兼 合宿所及びレッスン場 |
| 東京都渋谷区神宮前2-18-13のマンション | 兼 合宿所 | |
| 東京都渋谷区広尾1-1-22 恵比寿グリーンハイム204号 | 1971年 - | |
| 東京都港区青山3丁目 | 1973年 - | |
| 東京都港区六本木5-13-13 フォンテーヌビル2F | 1974年 - | 通称:フォンテ このビルの地下深くには劇場の様なスペースがあり、そこではファンの集いも開催された |
| 東京都港区赤坂8-5-24 赤坂エイトビル3F | 現存しない 最寄り駅は「青山一丁目駅」又は「乃木坂駅」 | |
| 東京都港区六本木2-3-9 亀甲ビル7~8F | 亀甲ビルのオーナーは亡き女優・夏目雅子の母親 このビルが建つ前は同地にて「亀甲屋」という雑貨商を営んでいた ジャニーズ事務所の撤退後、7Fは「夏目雅子ひまわり基金」の事務所となった | |
| 東京都港区赤坂8-11-20 | 1998年4月 - | 創業以来初の自社ビル 最寄り駅は「乃木坂駅」 |
[編集] 女性タレントの在籍
1980年代まで女性も在籍していたことがある(飯野矢住代、嶋田じゅん、藤島ジュリー景子、VIP、スリーヤンキース、オレンジ・シスターズ)。オレンジ・シスターズの引退以降、現在に至るまで女性タレントは所属していない。
[編集] 所属タレント全体でのスケジュール管理
今では同じ事務所の所属芸能人が同時間帯で別々の番組に出演する事も珍しくないが、本事務所に限っては、現在でもそのようなことがないように管理されている。このため、本事務所所属タレントがレギュラー出演している番組の裏番組には原則として、改編期などでその番組が休止となる時しか出演しない。ただし、最近はバラエティ番組とドラマ、バラエティ同士で出演時間が重なることもある。
[編集] レコード・CDデビュー
ジャニーズ事務所では、所属タレントにとってレコードやCDでデビューすることは最高の名誉とされている。ジャニーズ事務所ではグループが結成されてもすぐにCDデビュー出来るような方針ではない、他の芸能事務所とは異なる独自の方針があり、グループが結成され、そのグループに提供された楽曲をテレビなどで歌唱、ドラマ・舞台などで演技、単独コンサートを開催したとしても、社長であるジャニー喜多川が認めなければCDデビューは出来ない。(少年隊、SMAP、TOKIO、KinKi Kids、関ジャニ∞、KAT-TUN、Kis-My-Ft.2(解散したグループでは、男闘呼組、忍者)は、グループ結成からレコード・CDデビューまでかなりの期間を要した。)またレコード・CDデビューの前にビデオ・DVD作品の発売や楽曲の音楽配信が行なわれる場合があるが、これらは正式な「デビュー」とは認められない(レコード・CDデビューの前に映像作品を発売したのは、少年隊、KinKi Kids、KAT-TUN、解散したグループでは、男闘呼組)。(A.B.C-Zが2012年2月1日にDVDを発売した際は「DVDデビュー」と公表されている。)なお、近年ではCDデビューは出来なくとも単独で俳優業で活躍するものも多く、事務所もCDデビュー出来なくとも俳優として所属タレントが活躍出来るように育成を行なっている。(生田斗真のように俳優業だけでジャニーズJr.を卒業するものいる。)
[編集] 著作権・肖像権管理
日本の芸能事務所の中でも肖像権・著作権の管理には特に厳しいことで有名。
- レコード会社・出演映画・ドラマ・CM・音楽番組の公式サイト上で、所属タレントの顔写真や動画を使用することを制限している[1]。2010年頃より[2] Adobe フラッシュプレイヤーの技術を利用し、閲覧ページを閲覧者が容易に画像などを保存出来ない設定になっているためかなり緩和されてきているが、2006年開設の台湾公式サイトや契約している広告企業が配布する壁紙などは必ず顔画像に加工を入れたり、また事務所及び所属レコード会社の公式サイト以外のサイト(インターネットショップサイトなど)では、所属タレントのCDジャケットの掲載を行なわない場合が多い(掲載する場合は、必ずCDの品番を掲載するようになっている)[3]。
- 所属タレントの声の露出が制限される場合がある。「アストロボーイ・鉄腕アトム」で香取慎吾が演じた役はDVD化の際に手塚眞の声に変えられている。また、香取は「赤ずきんチャチャ」のサウンドトラック・アルバムに収録されたミニドラマには出演していない。
- 1980年代以降の音源は原盤権を事務所が所有している。契約しているレコード会社の独自リリースや音源貸出は原則認めておらず、レコード会社の枠を超えてコンピレーション・アルバムに収録されたことがあるのみ。槇原敬之がSMAPに提供した「世界に一つだけの花」を歌うよう求められ、「ジャニーズがうるさいので今しばらくの猶予を」と答えたことは有名。また、「赤ずきんチャチャ」は映像ソフトの販売権をキングレコード所有のため、ビクターエンタテインメントと契約しているSMAPが歌ったOP曲「君色思い」は放送時(再放送を含む)のみの使用で、LD-BOX発売の際は当時キング専属だった沢田聖子のカバー音源に変えられ、DVDでもそのままになっている。
- 着うたフルやメロディコールの他社経由配信は行っていない。公式携帯サイトのみでの提供。
- 2009年1月28日にフォーリーブスの青山孝史が亡くなった翌日「情報プレゼンター とくダネ!」にてフォーリーブスの特集を行った際、当時の映像を放送出来ないことを司会者の小倉智昭が、「色々な問題があるとは思うが、フォーリーブスが一番キラキラしていた時代の映像を流せないのは、非常に残念でならない」と苦言を呈した。また、2009年3月31日にフォーリーブスの3人が「徹子の部屋」に出演した際、当時の映像は放送されなかった。しかし、2009年10月29日放送分「うたばん」にてフォーリーブスが「踊り子」を歌うVTRが放送された。
[編集] 賞レースへの不参加方針
「所属タレントに優劣をつけさせない」との方針により、「候補者を何人か選び、その中から大賞やグランプリ獲得者を決める」という形式の賞レースへの参加は原則辞退している。受け取るのはそのタレントに直接賞を贈呈するもの(例として「ベストジーニスト」)や外国での賞のみ。
- 1987年に、近藤真彦が日本レコード大賞のグランプリにノミネートされている時、亡くなった母親の骨つぼを盗まれた事件[4]や、1990年の日本レコード大賞において、忍者が演歌・歌謡曲部門ではなくロック・ポップス部門にノミネートされたのを不服として辞退したことが引き金となっている。2003年にSMAPの「世界に一つだけの花」が日本レコード大賞の候補に挙がったが辞退している。
- 2006年の日本アカデミー賞「優秀主演男優賞」の木村のノミネートを辞退した。「木村に限らず、ウチはレコード大賞や各音楽祭など賞レースというものを十数年前からやっていません。映画も同じで辞退は今に始まったことではないのです。それに映画はあくまで監督のものでおこがましいです。また、ホテルで一般の人から入場料を取っての発表会というのもウチの方針に合わない」(授賞式当日の入場料は、ディナー付きで4万円)とし、授賞式の出席辞退を表明した。第49回ブルーリボン賞主演男優賞に、木村拓哉と岡田准一がノミネートされたが、辞退を申し入れた。辞退を申し入れたのはノミネートが発表された2006年1月24日。記者会にファックスで「お世話になった俳優との争いもさることながら、同じ事務所内のタレント同士で賞を争うのは本意ではない。日本国内の賞レースには今後も参加する可能性は極めて低い」と通達した。
- 二宮和也が「硫黄島からの手紙」に出演した際、ベルリン国際映画祭には登壇させたがアカデミー賞授賞式の出席辞退を申し入れている。ブルーリボン賞辞退の際のコメントが当てはまっておらず、能力差を明らかにしないためではないかと一部から批判を受けた。
- 2008年二宮和也が「流星の絆」でモンテカルロ・テレビジョンフェスティバル「男優賞」候補に推され、ジャニーズ事務所初の国際的賞へのノミネートとなった。この際事務所側は辞退しなかった。
- 『ベストヒット歌謡祭』は、エキシビションにあたるスペシャルゲストで関ジャニ∞が出演しており、2010年の第52回日本レコード大賞には近藤真彦が最優秀歌唱賞(第50回以降、同賞はノミネート形式から選考形式に変更された)に選ばれ、20年ぶりに事務所所属歌手が日本レコード大賞のステージに立った。
[編集] コンサート
- 分社化しているコンサート事務局
所属タレントのコンサート・舞台等の主催、企画、チケット販売などを行う「ヤングコミュニケーション コンサート事務局」が設立されている。
所属タレントのコンサートには、「ジャニーズチケット販売約款」という独自の規約が作られており、チケットの販売方法は通常の販売方法とはかなり異なる。
- チケットの販売
コンサートチケットはファンクラブ会員に最優先で販売される。このため、一般プレイガイド発売が行われないことが多く、販売されても「立見席のみ」「2階席後方」などに限定される。
舞台などのチケットに関しても、通常の販売と異なった販売を行うことが多い。なお、公演によっては、コンサート事務局では取り扱わない場合もある。
コンサートや舞台に限らず、所属タレントで行われる興行のプレイガイド販売においては、インターネット販売は原則行われない。(「SUMARRY 2011」の東京ドーム公演は、チケットぴあにてインターネット販売が行われた。)
チケットの転売行為には厳しい対応を取っており、ネットオークションなどでの第三者への転売行為が判明した場合、コンサート・舞台などの優先販売の通知は発送停止となり、一切のチケット予約が不可能になる。定価以下の販売であっても同様の対応を取り、転売行為を行なった者が入会しているファンクラブのタレント(複数のタレントのファンクラブに入会している場合は、その入会している分すべて。および、違反したものと同じ住所で登録されている別名義の会員の分も含めてすべて。)のコンサート・舞台などに関する通知が発送停止になりチケット予約は不可能となるケースもある。
また、追加公演などで振り替えられた公演が当選した旨の連絡が来た場合、当選したチケットの購入を拒否は「当選したチケットの購入を個人の意向でキャンセルした」とみなされ、次の公演やそれ以降の公演のチケット購入および購入の為の抽選の対象外となる。
- コンサートの内容
基本的に所属タレント自身が構成を考えている。コンサートに関しては構成作家は存在しないとも言われている。タレントによっては、衣装、セットデザイン、踊りの振り付けなどを考えることもある。
1995年 - 1999年にかけて複数のグループが同じステージセットで公演を行っていた。その理由としては、複数のグループが年に3回のコンサートツアーを行っていたため、1グループごとにステージセットを変更することが限られた日程・経費では不可能であったこと、当時は各タレントのファンの年齢層が中高生が多く、そのため「お小遣いでチケットを購入出来るように」と、当時のチケット代金が¥3000〜¥4000と比較的安価に設定されてあったためセットに経費を掛けることが出来なかったことなどが挙げられる。
現在は、どのグループもコンサートツアーは年1〜2回しか行わないため、このようなことは起きてない。たとえ同じ会場で複数のグループが公演を行っても、グループごとにセットを変更している。ただし、ジャニーズカウントダウンライブは、年末年始に行われているKinKi Kidsの公演を挟んで開催されているためセットチェンジが不可能な事から、KinKi Kidsの公演のセットを同公演でも使用している。
[編集] 所属タレントの所属レコード会社
現在、自社レーベルの他、他のレコード会社に所属タレントが所属している。原則として事務所側が発売日を調整し、所属タレント同士でランキングを争わないようにしている。
| タレント | 所属レコード会社 | 所属レーベル |
|---|---|---|
|
ソニー・ミュージックエンタテインメント | ソニー・ミュージックレコーズ |
| ダブリューイーエー・ジャパン | ダブリューイーエー・ジャパン | |
| ビクターエンタテインメント | ||
| ユニバーサルミュージック | ユニバーサルJ | |
|
エイベックス | avex trax |
|
ジャニーズ・エンタテイメント | ジャニーズ・エンタテイメント |
|
ジャニーズ・エンタテイメント | RAINBOW☆ENDLI9/美我空レコード/MANDARA△T.D/SHAMANIPPON |
| ジェイ・ストーム | J Storm | |
| テイチクエンタテインメント | インペリアルレコード | |
| ジェイ・ストーム | J-One Records | |
| ポニーキャニオン | ||
|
[編集] ファンクラブ
ファンクラブは、「ジャニーズファミリークラブ」(通称:JFC、ファミクラ、ファミリー、ファミ、家族)の名称でJFCを母体として、各タレントのFC(NEWS、KAT-TUN、関ジャニ∞は合同ファンクラブ「YOU&J」)が作られている。またFC が結成されていないタレントについては「情報局(ジャニーズJr.)」「ジャニーズアーティストクラブ(解散したグループのメンバー)」がタレントの情報をハガキで提供している。 厳しい会員規約が設けられており、一例として、ファンクラブ会員が所属タレントの合宿所へ足を運ぶなどの行為が露見した場合は退会及びコンサートへの出入り禁止等が科せられる。
「ジャニーズファミリークラブ」を参照
[編集] 音楽番組との関係
- 『ミュージックステーション』 - 番組初期から関わりがあり途中、光GENJI がレギュラー出演していた。その関係があり現在もジャニーズアイドルが毎回1組出演している。(事実上の固定枠があるのだが出演しない回がしばしある)
- 『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』 - 近年出演が急増している。これはきくち伸の意向で、ジャニーズタレントが出演している音楽番組の中で視聴者の反応が最も良いからだとされていた。また少年隊は1度も出演しておらず(東山は2007年5月28日の「トリオ・ザ・シャキーン」で出演した)、SMAPは1997年4月7日の中継での出演を最後に出演していない状態が続いていたが2011年12月19日のX`masスペシャルで14年ぶりに出演した(その間、草彅剛が「チョナン・カン」として1回だけ出演したことがある)。
- 『NHK紅白歌合戦』 - 1980年に当時ジャニーズ事務所に所属していた田原俊彦が初出場して以来、2009年でジャニーズ事務所に所属するアーティストが30年連続で出場することになる。なお1993年から2008年まではTOKIOとSMAPにほぼ固定されていた。ちなみにTOKIOは連続出場記録を更新中。また、SMAPの中居正広は紅組、白組合わせて6回も司会を務めており、2010年、2011年には嵐がグループで白組の司会を担当した。
- テレビ東京の音楽番組には、1980年代までは盛んに出演していたが、1990年代以降は、デビュー以来毎年7月に行われる『夏祭りにっぽんの歌』に出演している関ジャニ∞を除き出演がない。また、関ジャニ∞は2007年4月より、同局で音楽バラエティ番組『おもてなし音楽バラエティ むちゃ∞ブリ!』をレギュラー番組として持つ。
- 『MUSIC JAPAN』 - KAT-TUN、タッキー&翼、TOKIO、V6、Hey!Say!JUMP、Sexy Zone、Kis-My-Ft2、NYC、ABC-Z、山下智久がリリースごとに出演している。また、KinKi Kidsは「MJ KinKi Kidsスペシャル」として出演したことがある。
- 『1番ソングSHOW』 - KAT-TUN、タッキー&翼、TOKIO、Hey!Say!JUMP、NYC、ABC-Z、関ジャニ∞が出演している。
- 『Music Lovers』 - 嵐を筆頭に、KAT-TUN、タッキー&翼、TOKIO、関ジャニ∞が出演している。
- 『カミスン!』 - SMAP中居正広がMCを務める。SMAP、TOKIO、KAT-TUN、タッキー&翼、V6、Hey!Say!JUMP、Kis-My-Ft2、KinKi Kidsが出演。また、中居が過去にMCを務めたうたばんには上記のアイドルを含め、嵐、NEWS、関ジャニ∞などが出演し年末のCDTV年越しライブにはSMAPに加え、山下智久、赤西仁が出演した。(CDTVレギュラー放送には嵐、SMAP、KinKi Kidsも出演したことがある。)
[編集] ジャニーズJr.とタレント育成方針
未来のアイドルを目指すジャニーズJr.を育成している。また、レッスンが有料だったりグランプリ形式のオーディション優勝者のみレッスン料を免除する芸能事務所が多い中、ジャニーズ事務所は研音と並び、全ての入所者からレッスン料などは一切徴収しない数少ない事務所である。
デビューするまでは、たとえ単独でコンサートを行えるほどの人気があっても、マネージャーはつかない。仕事の移動も送迎は一切行わず、各々が電車などで移動する。ジャニーズJr.担当のマネージャーもいるが、人気のJr.に限ってマネージメントを行うが、掛け持ちのため送迎程度で帰ってしまうことが多い。
[編集] 退所者の扱い
円満退社した人物やジュニア時代に退社した人物(あおい輝彦、シブがき隊の元メンバー、反町隆史など)が現在の所属者と共演することがある。退所時や退所後に何らかの対立があったとされる場合(田原俊彦、森且行など)は現在の所属者と共演させないようである(森の場合は現在はオートレースの選手で、かつ、スター級の活躍をしているため、単独でのCM出演はあるが、スポーツ選手によくある芸能人との共演は少なく、結果としてSMAPとも共演ができていない。田原の場合ジャニー喜多川や後輩との関係は良好だったものの、メリー喜多川とは不仲だったと言われる)。ただし、はっきりと明確な基準があるのかどうかは不明で、郷ひろみがNHK紅白歌合戦や大河ドラマの『峠の群像』、『新・堂本兄弟』でジャニーズの所属タレントと共演した事例もある。郷ひろみの場合必ずしも円満な退社ではなく、当時のジャニーズ事務所はデビューして3年目の郷ひろみのバーニングプロダクションへの移籍を止めることができず(当時は法人化する前の個人事務所)、ジャニー喜多川がショックで寝込んだと言われるほどだった。
[編集] その他
原則として所属タレントの親族はメディアには顔を出さないようにしているが、例外もある[5][6][7][8]。
[編集] 所属タレント・グループ
ソロ
グループ
- 少年隊
- SMAP
- TOKIO
- V6
- KinKi Kids
- 嵐
- タッキー&翼
- NEWS
- 関ジャニ∞
- KAT-TUN
- Hey! Say! JUMP
- NYC
- Kis-My-Ft2
- Sexy Zone
- 中島健人・菊池風磨・佐藤勝利・松島聡・マリウス葉
- A.B.C.-Z
- ジャニーズJr.
[編集] 事務所を退所したアイドルなど
以下の項目を参照
- 過去のジャニーズ所属者
- ジャニーズJr. 解散したグループ
- ジャニーズ関連企画ユニット
- ジャニーズ関連OBユニット
- ジャニーズJr.一覧(五十音順検索)
[編集] 関連企業
- 〒150-0041 渋谷区神南1-19-11 パークウェースクエア 2 3F
代表取締役社長 藤島メリー泰子
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10 ミヤマスタワー2F
代表取締役:藤島ジュリー景子
- 株式会社東京・新・グローブ座
東京都新宿区百人町3-1-2
- 東京グローブ座の運営
- 有限会社ジェイ・ステーション(別表記は「J-STATION」)
東京都新宿区1-26-1
- タレントグッズ販売、ジャニーズショップの経営。1989年5月にジャニーズ事務所51%、日本廣明社49%の出資で設立。
- ジャニーズファミリークラブ
東京都渋谷区渋谷1-10-10
- ファンクラブ運営
- コンサート及び舞台主催、代表取締役:ジャニー喜多川。
- ヤングコミュニケーション傘下、チケット販売部門 。
- ユニゾン株式会社
東京都港区赤坂7-10-20
- 代表取締役:藤島ジュリー景子
- CM契約、広告関連、1985年設立、ジャニーズ事務所100%出資。資本金1,000万円。従業員数8名(2007年時)。
- 株式会社ジャニーズ出版(別名:「ジャニー・カンパニー」、「ジャニーズ・パブリッシング」)
- 音楽著作権の管理、代表取締役:ジャニー喜多川。野村義男が一時期所属。
- 音楽著作権の管理。
- 株式会社エム。シィオー。
東京都渋谷区渋谷一丁目10番10号ミヤマスタワー3F
- グッズの制作、同社は2008年5月に、渋谷区渋谷1丁目にある232㎡の土地も取得している(売り主は港区の「テンプーモデレート」)。代表取締役:藤島ジュリー景子
- 株式会社つづきスタジオ
東京都港区麻布十番4-6-9
- 直営スタジオ、代表取締役:ジャニー喜多川。1991年12月より、ジャニーズ事務所の直営となったリハーサルスタジオ。企業番号:293792410。
- 携帯コンテンツ事業、2003年5月14日からスタートしたモバイル公式サイト「Johnny's web」の為に設立。
- 代表取締役社長:月丘夢路。雑誌、カレンダー等の企画制作の各出版社との契約折衝代行。その他、化粧品製造販売も行っている雑誌、カレンダー等の企画制作の各出版社との契約折衝代行 。
- 提携
- 株式会社日本広明社
東京都新宿区富久町8-21
- 広告宣伝会社・タレントグッズの企画
- 日本広明社系列、広告代理店・タレントマネージメント
- ジャニーズショップ
有限会社有限会社ジェイ・ステーションが運営する、ジャニーズ事務所公認のグッズ販売店。また、「Johnny's Jr. 名鑑」シリーズの発行・販売も行っていた。
- ジャニーズ原宿
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-14-21 イルサリチェビル1F - ジャニーズ大阪
〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-12-8 大美建築ビル2F (1999年より)
- 旧住所:〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-12-8 大美建築ビル2F
- ジャニーズ名古屋
〒461-0005 愛知県名古屋市東区東桜2-14-7 プロト東桜ビル2F - ジャニーズプラザ(京都・嵐山店)
- 〒616-8384 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町40-8(1999年まで)
- 〒616-8384 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺造路町37-3(かつてビートたけしの「元気が出るハウス」が在った場所。尚、ジャニーズプラザは、「ジャニーズ大阪」の業務拡大による統合に伴い、2007年12月31日をもって営業を終了)
- ジャニーズ福岡
〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神3-15-17 三天第2ビル2F - この他、香港にもジャニーズショップがオープンしている。
[編集] 役員と主なスタッフ
| 氏名 | 役職名 | 備考 |
|---|---|---|
| ジャニー喜多川 | 代表取締役社長 ジェイ・ドリーム代表取締役社長 ヤングコミュニケーション代表取締役社長 ジャニーズ出版代表取締役社長 |
本名: 喜多川擴 |
| メリー喜多川 | 代表取締役副社長 ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長 |
本名: 藤島メリー泰子 作家・藤島泰輔の妻 元・フォーリーブスのスタイリスト |
| 藤島ジュリー景子 | 代表取締役副社長 ジェイ・ストーム代表取締役社長 ユニゾン代表取締役社長 |
メリー喜多川と藤島泰輔の長女 元・スタイリスト |
| 小杉理宇造 | 顧問 ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役 |
スマイルカンパニー代表取締役社長 近藤真彦の元ディレクター |
| 伊豆喜久江 | 取締役兼社長秘書 | |
| 白波瀬傑 | 取締役広報部長 | 渡辺プロダクション出身 KinKi Kids担当マネージャー 元・豊川誕担当マネージャー |
| 矢崎政実 | 取締役制作部長 | 愛称:ヤザパパ KinKi Kids担当マネージャー (株)ヤザ・パパ社長 |
| 西村善作 | 監査 | |
| 飯島三智 | ジェイ・ドリーム取締役 SMAP担当チーフマネージャー |
元・事務所デスク |
| 喜佐上聖子 | ヤングコミュニケーション役員 ジャニーズファミリークラブ主任 |
|
| 遠藤直人 | ヤングコミュニケーション役員 | 忍者の元メンバー 元「PLAYZONE」プロデューサー |
| 大和剛 | ヤングコミュニケーションコンサート事務局役員 「PLAYZONE」プロデューサー |
|
| 東覚 | 少年隊担当チーフマネージャー | |
| 小清水順平 | TOKIO担当チーフマネージャー | |
| 黒川賢一 | V6担当チーフマネージャー | |
| 鈴木亘 | KinKi Kids担当チーフマネージャー | |
| 佐藤宏 | メリー喜多川代表取締役副社長専属運転手 | |
| 遠藤五佐緒 | 事務所スタッフ | ハイ・スパンキーの元メンバー |
| SANCHE(サンチェ) | 専属振り付け師 | 本名:阿部雄三 元「MEGA MIX」メンバーで初期の「trf」メンバーでもある ニューヨークで喜多川にスカウトされた |
| 鳥越晃 |
元:田原俊彦・ひかる一平・シブがき隊担当マネージャー | 元ジャニーズJr. |
| 板野俊雄 | 元:田原俊彦・シブがき隊担当チーフマネージャー | JJS、VIP、ジャPAニーズの元メンバー 現在はリズミックス・ダンシング・クラブを開校 |
| ボビー吉野 | 元:専属振り付け師 | ジャPAニーズの元メンバー 現在はボビー吉野ジャズダンススタジオを開校 |
| 矢田次男 | 顧問弁護士 | のぞみ総合法律事務所所属 |
[編集] その他の歴代役員・スタッフ
- 振り付け担当者
- 西条満
- 2010年4月に死去。享年72歳。
- 振り付け師&タレントマネージャー。ジャPAニーズの元メンバー。
- 吉野ひろみ
- ボビー吉野夫人
- 赤坂晃やJr.の振り付けを担当。1994年 - 1995年
- HIDEBOH
- ミュージカル『SHOCK』や『PLAYZONE・RHYTHM II』、赤坂晃などの振り付け担当。
- 前田敦
- フジテレビ『少年タイヤ』にて少年隊の振り付けを担当。
- GORI
- 「サイボーグ007」のメンバー。 Jr.を担当。
- 後見人
- 1960年代から1970年代にかけてジャニーズ事務所に融資を続けていたスポンサー。旧伯爵家の令嬢(旧下総佐倉藩主・堀田家出身。堀田正恒の長女)。田中角栄の刎頚の友と呼ばれ、国際興業創業者でもある実業家の小佐野賢治の妻(1947年結婚)。「国際興業」の名の由来は、小佐野賢治が関与していた会社「国際自動車」によるもので、その縁もあり、ジャニーズ事務所が贔屓にするタクシー会社も「国際自動車(km)」である。なお、英子は女子学習院(後の学習院女子高等科)を卒業しており、藤島泰輔とも元からの知人。その後もジャニーズ事務所関係者や当時のOBをパーティに呼ぶなど交友は続いている。
- その他の歴代スタッフ
- 笠井幹男 (郷ひろみのボーカル講師)
- 長沢
- バンド「アニメーション」のメンバー・長沢悟の兄。 ジャニーズ事務所に裏方スタッフとして参加していた。フォーリーブスの楽器車の運転手や、機材や音響機器の製作などを担当。その後はテレビ演出家に転身した。
[編集] 脚注・出典
- ^ CBCラジオの「サタデーティーンズナイト」でも、松岡昌宏が担当する「TOKIOナイトCLUB」のみ番組サイトがないなど。相手がNHKテレビであってもこの対応は変わらない。MUSIC JAPANにHey! Say! JUMPが出演した時も出演者紹介の画像表示を認めなかった
- ^ ジャニーズ画像ついにネット解禁!? ドラマサイトが続々"イラスト→実写"に サイゾー 2010年1月20日付
- ^ 近藤真彦については自身のホームページに顔写真を掲載しているが、自身が経営するレーシングチームの運営会社である「エムケイ・カンパニー」も肖像権を部分的に保有しているためと思われる
- ^ (現在でも骨つぼは発見されていないが、この時近藤は、「骨つぼは盗めても、自分の心の中にある母親の思い出までは盗めない」とコメントし同賞に出席、グランプリを獲得した)
- ^ 「8時だJ!」において、ジャニーズJr.時代の山下智久の母親が出演した。
- ^ 2009年4月11日放送の「めちゃ2イケてるッ!」の企画「SMAP中居くんと日本一周景気回復の旅」において中居正広の実父が出演している
- ^ 間寛平が自身が行なったアースマラソンでオーストラリアに訪れた時、応援に駆けつけた井ノ原快彦の姉がテレビで紹介された。
- ^ 2010年の総選挙時には、山下智久の妹が鳩山邦夫衆議院議員の私設秘書として、邦夫議員の息子の選挙活動をしている様が多くのメディアに取り上げられた。山ピー妹は秘書、美人すぎるビラ配り 2010年8月9日閲覧 など
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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