中山秀征

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中山なかやま 秀征ひでゆき
Hideyuki Nakayama
本名 中山 秀征
ニックネーム ヒデさん、ヒデちゃん
生年月日 (1967-07-31) 1967年7月31日(56歳)
出身地 日本の旗 日本群馬県藤岡市
血液型 B型
身長 173cm
言語 日本語
方言 共通語
最終学歴 神奈川県立柿生高等学校
(現・神奈川県立麻生総合高等学校)中退
コンビ名 ABブラザーズ(1985年 - 1992年)
相方 松野大介(コンビ時代)
立ち位置
事務所 ワタナベエンターテインメント
活動時期 1982年 -
同期 ダウンタウン
ウッチャンナンチャン
ダチョウ倶楽部
出川哲朗
現在の代表番組 シューイチ
過去の代表番組 ウチくる!?
タイムショック21
TVおじゃマンボウ
THE夜もヒッパレ
DON!など
他の活動 タレント司会者ニュースキャスターラジオパーソナリティー俳優
配偶者 白城あやか
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中山 秀征(なかやま ひでゆき、1967年(昭和42年)7月31日 - )は、日本の男性タレント司会者元お笑いタレント。愛称、ヒデちゃん・ヒデさん

群馬県藤岡市出身。ワタナベエンターテインメント所属。身長173cm、体重58kg藤岡市立神流小学校[1]藤岡市立北中学校[2](3年の2学期一杯まで[3][4])→川崎市立柿生中学校(3年の3学期のみ[5][6])→神奈川県立柿生高等学校中退。妻・白城あやか(元宝塚歌劇団星組トップ娘役)との間に4人の息子がいる。

来歴・人物

1967年7月31日、群馬県藤岡市に生まれる。芸能界への憧れを抱いたのは5歳の頃。遊園地「カッパピア」でフィンガー5のイベントを観覧した際にメインボーカルのと歌えるコーナーがあり、数人の子供達がステージに上がれたが、ちょうど自身の前で締め切られたといい、その時に「客席で熱狂するより、ステージに立ちたい」と思うようになったという[注釈 1][9]

小・中学校時代には芸能人野球大会で活躍したいからという理由で野球を始め、アクションもできるようにという理由で器械体操、カッコよくサインを書くためにという理由で書道も習った[9]

俳優を目指し、3ヶ月でデビューできなければ辞めるつもりで、1981年に東京の児童劇団「エヌ・エー・シー」に入団。それから3ヶ月後に、火曜サスペンス劇場『狙われた女教師』(1982年4月20日、日本テレビ系列)の準主役を射とめて芸能界デビュー。学校や近所で話題になるが、長くは続かず、オーディションを受けても落ちる日々が続く。母を説得した末に東京近郊の高校へ進学するため、群馬を飛び出して中学3年の3学期から神奈川県川崎市の中学校へ転校。知人や学校の先生の家に下宿しながら数々の芸能事務所のオーディションを受け続ける[9]

1984年1月に渡辺プロダクションの新人募集オーディション[注釈 2]に歌手として合格。しかし「歌も芝居もいまいち」(本人談)で、当時のマネジャーに「歌や芝居は、バラエティーで天下をとれたら全部やれる」と言われ、藁をもつかむ思いでバラエティ路線を選ぶ事になり[12]、若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY」(ビッグサースデー)の第1期生として参加[13]

1985年、同プロダクションの松野大介(現:小説家)と「ABブラザーズ」を結成。同年、フジテレビライオンのいただきます』のアシスタントとしてデビュー。そしてニッポン放送ABブラザーズのオールナイトニッポン』(1985年10月 - 1987年7月)を担当するなど若い女性を中心に人気を博する。また、単独でもドラマや映画で主演を務めたり、レコードデビューも果たした。しかし『いただきます』を降板した1989年を境に人気は低下。ネタで勝負しようとしたが、中山はマネジャーから「コンビとしての負けを認めろ。その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。芝居や音楽も含めて、バラエティとにかく頑張れ」と言われた。以降、単独での俳優や総合司会の仕事にシフトし、お笑いタレントであることを求めた松野との方向性の違いが顕著になる。1992年には、お笑い第三世代に追われるように、ABブラザーズとしての活動は自然消滅する[14][15][12]。後に松野は、この時期の中山との関係をモチーフとして、自伝的小説『芸人失格』(幻冬舎)を執筆する。

1991年にはフジテレビ『東京ラブストーリー』、TBSデパート!夏物語』などの人気テレビドラマバイプレイヤーとして参加。また、1992年から、日本テレビDAISUKI!』にレギュラー出演するようになる。松本明子飯島直子らと交わす軽妙なトークが視聴者の支持を集めた。また、1994年には、元おニャン子クラブ岩井由紀子との交際が発覚するなど話題となった。その一方でナンシー関には「なまぬるいバラエティー番組全盛の状況が産んだスター。テレビを見ている私には全く関係のない『(芸能界内の)しがらみ・関係性・その他諸事情』のみでスムーズに回っているブラウン管の中の和気あいあい。中山秀征はこれらの象徴的存在だ」とコラムで言われていた[16]。中山はこういった批判を「悪評も評価のうち」と自らを鼓舞し、そのスタイルと芸風を貫いた[17]

松本人志の著書『遺書』(1994年 朝日新聞社)には「レギュラー番組を十数本持ったことを自慢していたタレント」を批判する文章が掲載されており、その人物が中山の事ではないかと一部で囁かれ、共演NG説まで流れていた[18]。一方で松本は『ラジかるッ』『シューイチ』のインタビューに『笑ってはいけないシリーズ』の番宣でVTR出演している。なお、中山は前述のお笑い第三世代の台頭を「絶対に勝てるわけがないと思った」、中山自身の台頭を「自分の意図しないところで人気者になってしまい、必死になって努力したが、ABブラザーズとしてのコンビとしての敗北を認めることで少し自分は変わった」と回想し、その思いをゲスト出演した『ホンネ日和』で中山の友人であり、松本とも友人関係にある木村祐一に漏らしている。また、同番組で司会を務め、松本や木村と面識のあるYOUは、この事実を知り「そんな苦悩を抱えていたとは知らなかった」と驚くコメントをした[19]

『DAISUKI!』の終了とほぼ入れ替わる形で、飯島愛とのコンビでフジテレビ『ウチくる!?』が放送開始(飯島引退後は久保純子、その後中川翔子とのコンビに)、2005年秋には日本テレビ『ラジかる!!』の総合司会を担当し、関東ローカルながら久々に平日の帯番組を持つことになった(金曜日を除く)。中山をはじめとする出演者の自由な雰囲気でのトークやタカアンドトシザ・たっちなど若手芸人の出演もあって夕方ながら高視聴率を叩き出す人気番組に成長する。翌年の春には『ラジかるッ』に改題して昼前の枠に移動、視聴率10%を超えたこともあった。時代が尖った笑いから「雰囲気作りのうまさ」や「人を傷つけない笑い」が高評価されるように変化した事もあり、この頃から業界や芸人内での中山の評価は好意的なものに変わっていく[20]

2009年3月30日から『ラジかるッ』・『おもいッきりイイ!!テレビ』の流れを汲み、統合された新番組『おもいッきりDON!』の総合司会となり、みのもんたに代わる日本テレビのお昼の顔となった。同年秋改編で第1部の総合司会をビビる大木岡田圭右ますだおかだ)に譲り、第2部の総合司会に専念するようになる。2010年3月26日で『おもいッきりDON!』としては終了し、同年3月29日より『DON!』にリニューアルされた。2011年3月25日で『DON!』は終了、代わって同年4月3日から放送開始した日曜朝8・9時台の『シューイチ』の総合司会に起用された。

2020年7月現在のレギュラー番組は『シューイチ』のみのため、平日の番組を中心に他番組にゲスト出演する機会が増えている。1990年代や2000年代などでMCの番組でゲストやレギュラーで出ていた出演者が後に総合司会となり、それらのタレントの番組にゲストで出演するケースもある。例として『DON!』で総合司会を務めていた時の曜日レギュラーに有吉弘行がいたが、その有吉が2012年以降MCを務めるレギュラー番組が増えると、有吉がMCを務めた『超問クイズ! 真実か?ウソか?』に中山がゲストで出演することもあった。

上述のような理由で芸能界入りし複雑な経緯で活躍の仕方が変わったため、自身の職業を 「歌手でも俳優でもお笑いでもない」とし「テレビタレント」と名乗っている[9]

中山と同じ群馬県出身のタレント井森美幸と共に群馬県のPRを務める「ぐんま大使」を務めている[21]

第30回ベスト・ファーザー イエローリボン賞、芸能部門受賞。また、妻が元宝塚歌劇団トップ娘役だったこと等が縁となり、数々のタカラジェンヌと公私にわたって交流がある。2007年、舞台『SHOW店街組曲』で真琴つばさと共演し[22]、2014年9月17日放送の『タイムショック』にゲストとして遼河はるひが出演する等、自身のレギュラー番組でタカラジェンヌがゲストとして出演することも多い。また、2014年6月19日放送のNHK-BSプレミアム『宝塚歌劇 華麗なる100年〜スターが語る夢の世界〜』でも司会を務めた。

プロボウラーを目指した時期もあり、1995年には実際にプロテストも受験している[23]

後輩ではふかわりょうと仲がいい。ふかわが音楽活動を拡大していくか悩んでいた時に中山が「お笑いだけを極めるのは芸人としてもちろんかっこいいが、お笑いだけでなくオールマイティーに活動していくことも芸能界で生き残っていくためには重要」と背中を押したという。

大人になって以降も野球では熱心な読売ジャイアンツのファンであり、多くの選手との交流がある[24]。兄の影響で始めた書道に関しても度々腕前を披露している[25]

出演

テレビ

現在の出演番組

レギュラー番組
  • シューイチ(2011年4月3日 - 、日本テレビ) - 総合司会
  • 静岡ダイスキTV (2019年7月11日 - 、静岡第一テレビ)
  • 昭和歌謡パレード (BSフジ) - MC
準レギュラー番組
スペシャル番組

過去の出演番組

レギュラー番組
スペシャル番組

ラジオ

現在の出演番組

過去の出演番組

テレビドラマ

映画

ビデオ

  • ネイビー・ロック・ウォー 撃破せよ!(1990年)
  • ダンディとわたし(1991年)

テレビアニメ

  • 名探偵コナン読売テレビ制作・日本テレビ系列、1997年4月28日) - 本人 役[30]
    • 『TVおじゃマンボウ』の企画、声優として参加した。ちなみにその回では、中山が番組と同名の清掃会社の社長役を演じており、他に従業員役として藤井恒久麻木久仁子角田久美子が出演している。
  • ヤッターマン 第39話(読売テレビ制作・日本テレビ系列、2009年4月26日) - 本人 役
    • 『おもいッきりDON!』の宣伝を兼ねて出演。
  • シューイチ オリジナル短編アニメ(2012年10月28日、日本テレビ)
    • 009(島村ジョー)や003(フランソワーズ・アルヌール)と共演しており、009と同様の加速装置を発動させながら番組衣装を脱ぎ捨て、彼らと同様のサイボーグ姿となっている。

劇場アニメ

CM

ディスコグラフィ

シングル

7インチEP
ダウンタウン司会番組『4時ですよーだ』オープニングテーマ。
タイトルは「あしたにワンウェイ」と読み、「あすに」とは読まない[31]
  • 星屑のエンジェル(1987年1月21日、キャニオンレコード、7A0677)
フジサンケイグループ主催「国際スポーツフェア'87」イメージソング。
8cm CD
  • はじけて流れた星屑みたいに(1993年9月26日、ポリスター、PSDR-5027)
  • 夏だ!(1994年5月25日、ポリスター、PSDR-5063)

アルバム

  • 19 BOY STORY(1987年2月21日、キャニオンレコード LP:C28A-0550 CD:D32A-0269)
  • 50(2017年8月2日、ユニバーサル ミュージック ZEN MUSIC UPCH-2135)

書籍

写真集

  • A&BEAT(エイトビート)(1985年7月25日発行、ワニブックス) - ABブラザーズとしての作品
  • 中山秀征 彼のセーター

脚注

注釈

  1. ^ 後に晃とは2017年に『シューイチ』や恵比寿ザ・ガーデンルームで行われた中山のライブ『50th Anniversary Live』で共演している[7][8]
  2. ^ 当時渡辺プロダクションが開催した『第二の吉川晃司オーディション』。このエピソードが語られる際には中山と吉川の芸風が異なる事もあって共演者に驚かれる事が多い[10]。中山によると一次審査では「ギャランドゥ」(西城秀樹)、「夢芝居」(梅沢富美男)、「春なのに」(柏原芳恵)を歌った音源をカセットテープに吹き込み送付したという[11]

出典

  1. ^ “藤岡市に帰ってきました♪”. おかもとまりオフィシャルブログ (CyberAgent). (2014年11月6日). http://ameblo.jp/mari-okamoto/entry-11948935559.html 2016年12月15日閲覧。 
  2. ^ “『あいつ今何してる?』2016年5月11日(水)放送内容”. 価格.comテレビ紹介情報 (:(株)ワイヤーアクション、価格.com). (2016年5月11日). http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=58504/episodeID=959746/ 2016年12月15日閲覧。 
  3. ^ “『ウチくる!?』2012年8月19日放送回”. gooテレビ番組 (Wire Action Inc.、NTT Resonant Inc.). (2012年8月19日). http://tvtopic.goo.ne.jp/program/cx/357/584751/ 2016年12月15日閲覧。 
  4. ^ “プロフィール”. 中山秀征公式webサイト Nakayama's Route.htm. http://nakayamahideyuki.com/biography_pro.html 2016年12月15日閲覧。 
  5. ^ “『ウチくる!?』2012年8月19日放送回”. gooテレビ番組 (Wire Action Inc.、NTT Resonant Inc.). (2012年8月19日). http://tvtopic.goo.ne.jp/program/cx/357/584751/ 2016年12月15日閲覧。 
  6. ^ “プロフィール”. 中山秀征公式webサイト Nakayama's Route.htm. http://nakayamahideyuki.com/biography_pro.html 2016年12月15日閲覧。 
  7. ^ 【公式】シューイチ 中山さん50歳のお誕生日!9時半越えの裏話も!(7月30日放送分)YouTube 2017年8月1日配信 2021年3月7日閲覧。
  8. ^ 中山秀征、50歳記念ライブ フィンガー5晃・吉田栄作も駆けつけ“お祭りさわぎ”ORICON MUSIC 2017年9月12日配信 2021年3月7日閲覧。
  9. ^ a b c d 職業「テレビタレント」貫く中山秀征/プロに聞く日刊スポーツ 2020年8月15日配信 2021年3月7日閲覧
  10. ^ 第二の吉川晃司は誰!?共演者に電話番号を渡す方法とは?『太田上田』中山秀征がやってきた編2中京テレビ 2020年9月13日配信 2021年3月7日閲覧。
  11. ^ 【公式】シューイチ 安室奈美恵さんの引退について語りました!(9月16日放送分)YouTube 2018年9月21日配信 2021年3月7日閲覧。
  12. ^ a b マネジャー「負け認めろ」に泣いた/中山秀征連載22017年9月5日配信 2021年3月7日閲覧
  13. ^ 中山秀征&石塚英彦 同期の2人が語る駆け出し時代”. 女性自身 (2017年1月21日). 2020年7月2日閲覧。
  14. ^ ビートたけしが中山に「お前はピンでやった方がいい」と勧めたとも言われている。
  15. ^ 中山秀征“コンビ解散”の真相、マネージャーから「負けを認めろ」。2015年4月9日配信 2021年3月7日閲覧
  16. ^ ナンシー関『聞いて極楽』朝日新聞社、1998年6月、56頁。ISBN 4022612339 
  17. ^ 中山秀征、25年のMC術の極意は“プロレスイズム” ナンシー関の酷評も心の糧に2017年8月11日配信 2021年3月7日閲覧
  18. ^ 松本人志と「共演NG」の芸能人リスト
  19. ^ 2011年8月14日放送 23:30 - 0:00 TBS ホンネ日和TVでた蔵
  20. ^ 「面白いことが正義」時代から一周回って……“犬猿の仲”だった中山秀征と今田耕司、和解の背景サイゾー 2018年8月24日配信 2021年3月7日閲覧
  21. ^ ぐんまの広告塔「ぐんま大使」 群馬県庁
  22. ^ “中山秀征&真琴つばさの舞台は、宝塚泥組!?”. オリコン. (2007年5月23日). http://www.oricon.co.jp/news/44854/full/ 2014年9月28日閲覧。 
  23. ^ 中山秀征が本気で目指したプロボウラー その結果とは? exciteニュース 2016年10月28日
  24. ^ 巨人・原辰徳監督との交友関係!上田の男気ある伝説エピソードとは!? 『太田上田』中山秀征がやってきた後編2中京テレビ 2020年9月13日配信 2021年3月7日閲覧。
  25. ^ 中山秀征、息子たちの書道の宿題をサポート 静寂の中で筆をとり息抜き/芸能ショナイ業務話サンケイスポーツ 2017年8月1日配信 2021年3月7日閲覧
  26. ^ KBCテレビ『中山秀征の究極ハウス』|KBC九州朝日放送(2016年度版)
  27. ^ KBCテレビ『中山秀征の究極ハウス』|KBC九州朝日放送(2017年度版)
  28. ^ KBCテレビ『中山秀征の究極ハウス』|KBC九州朝日放送(2018年度版)
  29. ^ 番組エピソード スポーツ100万倍_NHKアーカイブス
  30. ^ 1997年3月10日には警官役として出演した。
  31. ^ 【公式】シューイチ お誕生日を迎えられた我らがMC中山さん!(7月28日放送分)YouTube 2019年8月1日配信 2021年3月7日閲覧。

関連項目

外部リンク