新潟放送
新潟放送 | |
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基本情報 | |
英名 |
Broadcasting System of NIigata,Inc. |
略称 | BSN |
本社 |
〒951-8655 新潟県新潟市中央区川岸町三丁目18番地 |
演奏所 | 本社と同じ |
公式サイト | http://www.ohbsn.com/ |
ラジオ | |
放送対象地域 | 新潟県 |
系列 | JRN、NRN系 |
呼出符号 | JODR |
開局日 | 1952年12月24日 |
親局 / 出力 | 新潟 1116kHz / 5kW |
主な中継局 | #ラジオ参照 |
テレビ | |
放送対象地域 | 新潟県 |
ニュース系列 | JNN |
番組供給系列 | TBSネットワーク |
呼出符号 | JODR-DTV |
開局日 | 1958年12月24日 |
リモコンキーID | 6 |
デジタル親局 | 新潟 17ch |
アナログ親局 | 新潟 5ch |
ガイドチャンネル | 5ch |
主な中継局 | #デジタルテレビ参照 |
主なアナログ中継局 | #アナログテレビ参照 |
特記事項: 国内の民放において唯一 リモコンキーIDが、アナログの親局より大きい |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | BSN |
本社所在地 |
951-8655 新潟県新潟市中央区川岸町三丁目18 |
設立 | 1952年10月14日 |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 6110001036951 |
事業内容 | テレビジョン放送・ラジオ放送 |
代表者 | 竹石松次(代表取締役社長) |
資本金 | 3億円 |
売上高 |
単体69億72百万円 連結209億27百万円 (2010年3月期) |
純資産 |
単体93億96百万円 連結126億13百万円 (2010年3月31日現在) |
総資産 |
単体115億84百万円 連結209億77百万円 (2010年3月31日現在) |
従業員数 | 152名(2009年12月1日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
新潟日報社11.06% 東京放送ホールディングス8.08% 越後交通5.94% 第四銀行4.99% (2009年9月30日現在) |
主要子会社 |
株式会社イタリア軒99.9% 新潟放送興業株式会社100% 株式会社BSNアイネット65.5% 株式会社ビーアイテック65.5% |
外部リンク | www.ohbsn.com |
株式会社新潟放送(にいがたほうそう、英: Broadcasting System of NIigata Inc.)は、新潟県を放送対象地域とする民間放送局。略称はBSN。
会社概要
役員(2009年7月現在)
- 代表取締役社長・竹石松次
- 代表取締役専務・林敬三
- 常務取締役・金親顕男
- 常務取締役・熊倉雄三
- 取締役・犬塚守光
- 取締役・嘉瀬清
- 取締役・野島常雄
- 取締役・高橋道映(新潟日報社代表取締役社長)
- 取締役・城所賢一郎(TBSテレビ取締役副会長)
- 取締役・小島国人(第四銀行代表取締役会長)
- 取締役・田中真紀子(衆議院議員)
- 監査役・鷲尾正秋
- 監査役・星野元(新潟日報社相談役)
- 相談役・牧野庄三
- 相談役・高澤正樹
支社
- 東京支社・東京都中央区銀座5-15-1(南海東京ビル8階)
- 大阪支社・大阪府大阪市北区梅田1-3-1-800(大阪駅前第一ビル8階)
- 長岡支社・長岡市千歳1-3-43(メディアぷらっと1階)
- 上越支社・上越市仲町4-3-19(マルケー・バスビル)
通信部
- 佐渡通信部・佐渡市石田858-1
関連会社
以上は連結対象子会社。これらを含む子会社8社、関連会社2社でBSNグループを構成する。
- テレビはJNNの単独ネット、ラジオはJRN/NRNのクロスネット。データ放送を実施しており、番組表サービス「Gガイド」を配信している。
- 系列新聞は新潟日報(ラジオのローカルニュースの名称「新潟日報ニュース」)。
- また、地方ローカル局としては数少ない株式上場企業である(JASDAQ市場、証券コード9408)。
- キャッチフレーズは「プル プル ブルン BSN」で、イメージキャラクターはおたまじゃくしを模した「ぷる」。
沿革
- 1952年8月10日 新潟市古町7番町954番地(古町十字路)大和百貨店7階映画館跡を演奏所に改造着手。
- 1952年10月14日 ラジオ新潟(略称RNK)設立。
- 1952年12月 網川原送信所完成。使用送信機は、東芝製SS-1163型1kW送信機1台。
- 1952年12月5日 初の試験電波を15時30分より送信する
- 第一声は「JODR、JODR、こちらはラジオ新潟でございます。周波数1410kc(キロサイクル)で、ただいま放送を発射いたしております。」。
- 1952年12月16日 民放放送18番目の局としてラジオ新潟に本免許が交付される(周波数1410kHz、出力は昼間1kW、夜間500W)。
- 1952年12月24日 ラジオ新潟として全国18番目にラジオ局開局(初代 第1スタジオ、17坪)。ラジオ新潟開局前夜祭「証券クイズ」を新潟市公会堂から生中継。
- 1952年12月25日 5時57分、「皇帝円舞曲」で本放送を開始。
- 1953年12月1日 JODO直江津(現上越)放送局開局。
- 1954年9月15日 JODE長岡放送局開局
- 1955年10月1日 新潟大火で本社演奏所全焼。[1]
- 1956年1月1日 彌彦神社事件で報道特番。[2]
- 1956年5月24日 川岸町新局舎第一期工事終了。ラジオ演奏所、二代目 第1スタジオ(24坪)を運用開始。
- 1956年12月25日 山ニツ送信所運用開始(東芝製1kW送信機1台。送信球交換で最大3kWの送信が可能)。
- 1957年3月1日 地方局初、全時間モニター・オンエア同時録音開始。
- 1958年12月6日 弥彦山テレビ送信所竣工。
- 1958年12月10日 川岸町新局舎第二期工事終了。初代 テレビスタジオ竣工(35坪)、東芝製イメージオルシコンカメラを二台導入。
- 1958年12月13日 アナログテレビ試験放送開始。マスターはNEC製。
- 1958年12月21日 「私は貝になりたい (KRT)」をサービス放送する[3]。
- 1958年12月24日 「テレビ開局前夜祭」を、すでに導入済のテレビ中継車を使って新潟市公会堂から生中継する。
- 1958年12月25日 アナログテレビ本放送開始。
- 1959年4月10日 当時の皇太子御成婚の模様(パレード含む)を、ラジオ東京テレビ(KRT、現在のTBSテレビ)から生中継ネットを行う。これに伴い、同社からもこの中継のためにKRTに中継応援スタッフやフィルム撮影機材等が出動する。
- 1959年8月1日 当時のラジオ東京テレビ (KRT) のニュースネットワークであるJNN (Japan News Network) が発足し、同局も発足当初から加盟する。
- 1959年12月14日 新潟港での北朝鮮帰還第1船の模様を、テレビ・ラジオの両方にて生中継する。テレビではJNN報道特番として、JNN系列18局に同時生中継を行う(制作には、自局を含めJNN7局が協力して行った)。
- 1961年3月1日 会社名、放送局名を新潟放送 (BSN) に変更[4]。
- 1961年7月20日 歌詞を公募していた「新潟放送のうた」発表。選者:野坂昭如、作詞:加茂市 藤田道郎、作曲:いずみたく、歌:ブラック・キャッツ。
- 1961年9月15日 BSN長岡放送局 (JODE)、一部の時間帯にて、長岡放送局周辺の新潟県中越地方独自のラジオ番組を放送開始。
- 1962年11月 ラジオ、深夜放送「ニイガタ・トゥナイト(月〜木、日曜日24時〜25時)」を放送開始。
- 1962年11月6日 放送用アンペックス方式の2インチVTRを導入。
- 1963年1月23日 昭和38年1月豪雪。全社非常態勢を取る。
- 1963年4月1日 ラジオ、サテライトスタジオを開設[5]。
- 1963年11月8日 ラジオ、高田(現在の上越市)サテライトスタジオ開設。
- 1964年2月1日 ラジオ、放送開始時及び終了時を除くコールサインアナウンスを廃止。
- 1964年6月16日 新潟地震。全社非常態勢を取る。
- 1964年10月1日 テレビのネット回線受けによるカラー放送が可能になる[6]。
- 1964年10月3日 テレビカラー放送を開始する[7]。
- 1964年10月10日~10月24日 ラジオ「第18回オリンピック東京大会実況中継」12時45分~21時まで連日放送[8]。
- 1964年12月 ラジオ、交通ニュース(現 交通速報)放送開始。
- 1965年4月18日 「日曜テレビ夕刊(新潟日報提供)」放送開始。
- 1965年5月2日 東京放送(現・TBSラジオ&コミュニケーションズ)のラジオネットワークJRNに加盟する。
- 1966年8月10日 2代目 テレビスタジオ(50坪)運用開始。
- 1966年10月12日 本社新館竣工。
- 1967年6月 3段中継可能のラジオカーを2台導入。
- 1967年10月 新潟放送十五年のあゆみ(新潟放送社史編纂委員会・編、651ページ)を発行。
- 1967年11月2日 テレビ、ローカル独自送出によるカラー放送を初めて行う[9]。
- 1968年4月1日 テレビ放送のマスター更改。NEC製のマスターAPSの稼動を開始する[10]。
- 1968年9月28日 ラジオ、「中央競馬中継」新潟競馬場から放送開始(場内外の放送も含む)。
- 1968年9月29日 テレビ、「中央競馬中継」放送開始。
- 1968年12月1日 ローカルテレビスポットCMでの一部がカラー化される[11]。
- 1968年12月25日 新潟総合テレビの開局により、テレビ放送は一部の番組を除き東京放送(現:TBSテレビ)の単独ネットになる。
- 1969年4月15日 株式を店頭公開(当時は旧新潟証券取引所。現在はジャスダック)。
- 1969年5月 テレビ小型中継車導入。
- 1970年1月1日 新春生放送、「BSNラジオでおめでとう(0時30分〜5時)」放送開始。
- 1970年6月1日 ローカルテレビニュースをカラー化。
- 1970年8月30日 大型カラー中継車導入[12]。
- 1970年10月5日 ゴールデンタイムのテレビ番組が完全カラー化される。
- 1970年10月10日 局初のラジオワイド番組「ハロー!!ジャンボサタデー」放送開始。初代司会は井口ひろし(タレント)。
- 1970年12月31日 ラジオ「オールナイト・ハッピー・パーティー」スタジオ生放送。
- 1971年4月 ラジオ「ミュージックポスト」新潟放送局周辺の新潟県下越地方独自の番組として放送開始。後に、大倉修吾がパーソナリティーを担当したのを機に、局の看板番組となる。
- 1971年10月5日 ラジオ放送にてマスターAPCが稼動し、放送が24時間化される(日曜深夜を除く)。
- これに伴い、TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」、「歌うヘッドライト」のネット受け放送が開始される。
- 1971年12月1日 ローカルでのスタジオ全制作番組が完全カラー化される[13]。
- 1972年10月2日 本社屋上に天気カメラ設置。
- 1973年8月 ラジオカー「スナッピー1号」運用開始。
- 1973年11月1日 FM局申請却下。
- 1974年4月 ラジオ「ミュージックポスト」全県放送開始[14]。
- 1974年4月 ハンディカメラ、携帯用VTRを導入。
- 1974年6月29日 財団法人「BSN教育文化振興基金」を設立。
- 1974年9月1日 ラジオカー「スナッピー2号」運用開始。
- 1975年3月31日 腸捻転解消に伴い、大阪での制作番組は、当時のNET(現・テレビ朝日)系に移籍した朝日放送制作の番組が新潟総合テレビに移行され、TBS系に移籍した毎日放送制作の番組が放送される様になる[15]。
- 1975年6月 FPU車運用開始。
- 1976年3月6日 TBS「8時だョ!全員集合」を新潟県民会館から生中継。番組の制作及び技術協力を行う[16]。
- 1976年6月1日 NRNに加盟。
- これに伴い、ラジオの深夜放送にて、今までTBSラジオからネットしていた「パックインミュージック」「歌うヘッドライト」に代わり、ニッポン放送からの「オールナイトニッポン(第一部・第二部)」のネット受け放送を開始。
- 1976年11月26日 山ニツラジオ送信所 空中線事故により難聴取地域が発生。その後、1977年4月に、これに関する空中線修理を完了する。
- 1977年4月1日 テレビ「BSNニュースワイド」放送開始。
- 1977年10月9日 創立25周年記念「いつもあなたと〜交通遺児救済キャンペーン ラジソン」、25時間生放送する。
- 1978年4月 BSNラジオの歌「いつもあなたと」を発表。作詞:外山真理(当時ラジオCM部員)、作曲:小倉靖。
- 1978年5月28日 日立製作所製の1インチVTRを導入。
- 1978年11月23日 ITU国際電気通信連合の取り決め(それまでの10kHz刻みの周波数から、9kHz刻みの周波数に変更)に従い、午前5時、ラジオの周波数がJODO上越局以外[17]一斉に変更される[18]。
- 1978年12月 山ニツラジオ送信所の局舎、送信設備を一新する(5kW送信機1台、予備機)。
- 1979年5月 ENG車導入。
- 1979年10月10日 北朝鮮帰国事業20周年記念を取材のために北朝鮮へ記者を派遣。
- 1980年5月10日 ラジオ「歌のない歌謡曲」1万回記念公開放送(新潟ナショナルショールーム(現 パナソニック リビング ショウルーム 新潟))。
- 1980年11月中旬 NEC製のテレビ用マスターAPS設備及びネット回線設備の音声多重化改造工事を完了。
- 1980年11月28日 テレビの弥彦山送信所の送信機が更改される(NEC製、音声多重放送対応)。
- 1980年11月29日 テレビ音声多重放送開始(新潟県初)。[19]
- 開始当日を始め、ステレオ番組を中心とした記念番組が多数放送される。
- 同日より、「BSNニュースワイド」内の天気予報を除くローカルの天気予報の全時間帯がステレオ化される。
- 1981年6月20日 局初のテレビ・ステレオ制作番組「ゴールドブレンドコンサート」を放送[20]。
- 1981年9月20日 テレビ放送にてCMバンク稼動。
- 1982年3月31日 テレビ放送にて、16mmフィルムによる取材を全面廃止[21]。
- 1982年5月17日 「BSN愛の募金」が常設される。
- 1982年8月7日 ラジオ送信機能のプリエンファシス方式を「30時間ラジソン」番組生放送内(同日22時過ぎ)で切り替える[22]。
- 1982年9月13日 上越放送局送信所、上越水害で床上浸水する。
- 1984年4月7日 テレビ「土曜はヨイショ!!」放送開始。後に同局のローカルテレビの看板番組となる。
- 1985年12月1日 緊急警報放送システム EWS運用開始。
- 1987年2月7日 川岸町、本社敷地内の新館増築工事完了。移転開始。
- 1987年4月6日 ラジオ、テレビのマスターが新館局舎に移転。
- これにより、新館局舎のテレビ、ラジオの全スタジオがステレオ放送に対応し(ラジオマスター(4階):東芝製、テレビマスター(3階):NEC製)、同時に、同局舎内の3代目の第1ラジオスタジオ(51坪)[23]も運用を開始する。
- 1989年9月27日 本社にて、SNG(サテライト・ニュース・ギャザリング)地球基地局が完成。
- 1989年10月2日 新館局舎に3代目テレビスタジオ(102坪)が完成し、運用を開始する[24]。
- 1989年10月7日 新テレビスタジオオープン記念番組「朝までPIKAPIKA」を24時40分~6時までスタジオ公開生放送。ゲスト聖飢魔IIの黒ミサ(スタジオ生ライブ)などを放送。
- 1989年10月31日 アナログ・テレビ放送に於けるクリアビジョン放送を開始[25]。
- 1992年4月1日 CI実施、ロゴ変更。
- 1992年10月 新潟放送四十年のあゆみ(新潟放送四十年史編纂委員会・編、566ページ)を発行。
- 1993年10月4日 ラジオの深夜放送にて、約17年半ぶりに、TBSラジオ「歌うヘッドライト」のネット受け放送が再開される(これに伴い、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」第2部のネットは打ち切りとなる)[26]。
- 1997年10月1日 テレビ文字多重放送開始。
- 1999年2月1日 テレビ放送にて、日本の地方テレビ局としては初めて、ビットキャストによるデータ多重放送「BSNデータパレード」を開始する[27]。
- 2000年1月 JRA主催の日曜競馬中継が制作局フジテレビの系列局新潟総合テレビに移行したのを最後に、テレビ東京系列以外の他系列番組が姿を消す。
- 2004年5月 KowaのMOデジタルオーディオレコーダー (AF770) を2台導入し、ラジオ放送の収録でのテープレス化を開始する。[28]
- 2004年10月23日 新潟県中越地震(新潟県中越大震災)発生。午後6時過ぎから24日午前0時まで震災関連をCM抜きで6時間行った。
- 2005年3月 ラジオマスターを更新(NEC製)。
- これに伴い、番組・CMの録音、編集、マスター搬入をオープンリールテープからMOに完全移行する。
- 2005年4月30日 アナログ・テレビに於けるビットキャストによるデータ放送「BSNデータパレード」を終了する[29]。
- 2005年6月10日 地上デジタルテレビ放送の予備免許を取得(新潟のNHK、他の民放テレビ3局も同時に取得)。[30]
- 2005年9月5日
- 2005年10月1日 地上波デジタルテレビ放送の試験電波発射(弥彦送信所のみ。初めは出力30Wから。送信機は東芝製)。
- 2005年10月25日 午前4時30分、地上波デジタルテレビ放送の試験放送開始(局舎タワーのハイビジョンお天気カメラの映像のライブ放送も含む)。
- 2005年11月1日 地上波デジタルテレビ放送の出力が3kテレビWになる。
- 2005年12月12日 地上波デジタルテレビ放送のデータ試験放送開始(県内初)。
- 2006年1月上旬 地上波デジタルテレビ放送のワンセグ試験放送開始(県内初)。
- 2006年2月1日 午前5時、地上波デジタルテレビ放送のサイマル試験サービス放送開始(県内初。同時にワンセグでのサイマル試験放送も開始)。ローカル番組ではニュースの一部と天気予報の一部のみハイビジョン化される。
- 2006年3月30日 地上デジタルテレビ放送の本免許を取得(新潟総合テレビも同日に取得)。[31]
- 2006年4月1日 地上波デジタルテレビ本放送開始(UHF17ch、出力3kW、コールサインJODR-DTV、チャンネルはリモコンキーID6)。同時にワンセグの本放送も開始。地上波デジタル、ワンセグ共に本放送開始時からウォーターマークの表示を行う。
- この日、デジタルテレビ本放送開始記念番組として、NHK新潟放送局、NSTとのハイビジョン共同制作番組「はっしん!デジタル2006」を放送する。
- 2007年3月12日 局舎のテレビスタジオが全面ハイビジョン対応になり、同日の看板ローカル番組「イブニング王国」もハイビジョン化される。[32]
- 2007年6月28日 同局元アナウンサーである竹石松次が同局代表取締役社長に就任。
- 2008年1月10日 午前9時48分頃、ラジオ放送が約16分間、テレビ放送が約17分間中断する[33]。
- 2008年4月1日 緊急地震速報の運用開始。
- これに伴い、NHK新潟放送局、BSN新潟放送、エフエムラジオ新潟、新潟県民エフエム放送のアナウンサー及びナビゲーター共演による「緊急地震速報 新潟県ラジオ4局からのお知らせ」のCMを放送する。
- 2008年6月14日午前8時43分、局初の緊急地震速報を発報する(岩手・宮城内陸地震)。
- 2008年11月15日 長岡支社が同市千歳1-3-43の「メディアぷらっと」内に移転する。
- これに伴い、同支社内からのハイビジョン中継が可能になり、更に、同支社にて一部の報道に於いてのハイビジョン取材を始める。
- 2008年12月頃 本社報道センターでの報道番組のハイビジョン取材を始める[34]。
- 2008年12月23日 BSNテレビ開局50周年記念番組として『発見!発掘!新潟とテレビの50年』が放送される。
- 2009年1月12日 アナログテレビ放送でウォーターマークの【アナログ】表示が開始される。
- 2009年4月7日 ラジオの平日放送を午前3時から4時まで放送休止(放送終了アナウンスの後、1時間フィラー)となる。[35]
- 2009年4月中旬 本社にてハイビジョンSNG・FPU中継システムを自社導入、稼動開始[36]。同システム導入より、ローカルテレビ中継でのハイビジョン運用を開始する。[37]
- 2009年7月7日 ラジオにおいて、HARD OFF ECOスタジアム新潟のこけら落とし試合である、セ・リーグ公式戦「広島東洋カープ対阪神タイガース」の試合を、オープニングセレモニーから試合終了まで放送する(放送時間は17時45分~21時54分)。中国放送の制作でJRN全国ネットにて実況生中継を行い、その際の技術協力も行う。
- 2009年9月6日 HARD OFF ECOスタジアム新潟のセ・リーグ公式戦「横浜ベイスターズ対中日ドラゴンズ」の試合のローカルテレビ生中継(同局の本格的単発中継番組)において、初のハイビジョン生中継放送を行う[38]。
- 2010年7月5日
- 2010年7月10日 TBS系列以外で同時ネットしているテレビ東京の番組「ウイニング競馬」が、SDワイド放送となる(今まで通りの通常のSDアナログ放送回線で番組を受けているため、ハイビジョン放送ではない。但し、オープニング等については自社送出のため、ハイビジョンとなっている)。[40]
- 2011年7月24日 正午、アナログテレビ放送が終了。23時59分には、同電波が完全に停波する。停波直前には、いつものエンディングが下部に「JODR-TV アナログ放送を終了します」の字幕が表示されながら放送された。
- 2011年10月初旬頃 TBS系列以外(テレビ東京等)からのハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ体制が整う。これに伴い、テレビ東京の番組「ウイニング競馬」のBSNテレビでの放送がハイビジョン化される。
- 2012年4月2日 インターネットIPサイマルラジオ「radiko」に参加。同日正午より、エフエムラジオ新潟、新潟県民エフエム放送と共に新潟県内のみにて実用化試験配信を開始。
災害当時の放送体制
新潟大火当時の放送体制
- 1955年9月30日 台風22号が夜半に佐渡沖を通過する恐れが出たため、定時放送終了後もフィラーを流しながら30分刻みで台風情報を伝えると同時に停電に備え、電源が安定している網川原送信所にアナウンサーが待機する。理由は、当時、ラジオ新潟本社の自家発電装置は古い自動車エンジンを使用していたため、停電が長引くと装置が不安定となり使えなかったからである。
- 1955年10月1日1時36分 停電。網川原送信所へ台風関連の原稿が送られ放送が続けられる。
- 2時50分 新潟市医学町二番町、新潟県教育庁の木造庁舎から出火。強風に煽られ東中通、西堀通を延焼。
- 3時05分 最大瞬間風速33.6mを記録(新潟気象台)。
- 3時10分 本社スタジオの当直者に火事の情報が入る。
- 3時15分 「県庁脇、交番付近から火災発生」の一報を網川原送信所から放送、フィラーを止め火災のニュースが繰り返される。アナウンサーがデンスケを肩に下げ火災現場に向かう。放送や消防車のサイレンで火災を知った社員がスタジオに集合する。火災情報の原稿を本社から送信所へ送り、そこから放送していては情報が追い付かないと判断し、大和デパート新潟店地下に設置してある自家発電装置の始動を試みる。
- 「教育庁全焼」、「北村知事、自衛隊新発田駐屯地に出動を要請」、「東中通に延焼、新潟日報(当時、新潟日報社は同地にあった)も危険」の情報を網川原送信所から放送する。
- 3時30分 自家発電装置が始動する。「新潟日報はラジオ新潟に避難開始」、「大黒屋旅館に延焼」の情報が本社スタジオから放送される。梁取清助調整部長らが強風と火の粉が舞う中、大和新潟店7階演奏所屋上にマイクロフォンを設置する。
- 4時15分 丹羽国夫アナウンサーが屋上のマイクロフォンから市中心部の火災の様子を実況開始。丹羽アナウンサーの実況と共に、走り回る消防車のサイレンがラジオから流れ続ける。
- 4時35分 「小林デパート(前記、大和デパートのほぼ斜め向かいに位置する。現在の三越新潟店)から火が出ました。もうこれ以上は危険ですから放送を続ける事は出来ません。ではこれで実況を打ち切ります。」20分間の実況放送を中止し、集合した社員達は収録テープやレコード盤、CM原稿とわずかの機材を持ち出し避難する。
- 4時36分 「JODR、こちらはラジオ新潟です。本社スタジオは火災のため放送不能となりましたが、引き続いて、ここ送信所から火災情報をお送り致します…」網川原送信所より放送を再開。
- 4時50分 大和新潟店と屋上のラジオ新潟に引火。
- 夜が開け、網川原送信所に全社員が集合。送信所のテラスに毛布で囲まれたアナブースが作られる。長岡放送局と直江津放送局から必要な放送機材を集める。
- 10時00分 放送機材整備のため一時間放送を休止する。
- 11時00分 平日番組に復旧する。
- 夕方過ぎ、信越放送、ラジオ東京、ラジオ東北から可搬型録音機、録音テープ、マイクロフォン、ミキサー、レコード盤、文具などの応援物資が到着する(以後、全国の民放局から応援物資が届けられる)。[41]
- 新潟大火の実況放送の全ては長岡放送局で録音されており、その日のうちに長岡放送局から網川原送信所へライン送出され、無事だった新潟-東京間の専用回線でラジオ東京へ送られ全国放送された。
- ラジオ新潟の仮本部は坂口献吉社長自邸に設けられ、その後、火災から免れた古町八番町の元料亭に移動する。編成制作、技術は網川原送信所に設けられた。
新潟地震当時の放送体制
1964年6月16日 13:01に発生した新潟地震発生後の番組編成、活動状況は下記の通り。
- 13時01分 ラジオ「歌で歩む50年」、テレビ「いつか青空」を放送中、新潟市で震度6を記録する地震が発生。川岸町本社は停電と、本社-送信所間の地下埋設放送線が断線したためラジオ、テレビは放送不能になる。隣接するガスタンクに爆発の危険が出たため全社員に避難命令が出るがすぐ解除される。
- 14時15分 テレビ放送再開。スタジオのカメラを屋上へ設置し、炎上する昭和石油からの二つの黒煙や落下した昭和大橋などを映し出す。
- 14時33分 屋上のカメラから信濃川を逆流する180cmの津波を映す。
- 15時05分 ラジオ、山ニツ送信所から放送再開。大和デパート新潟店で中元取材中、地震に遭遇した報道部の藤田実記者は徒歩で山ニツ送信所へ向かい、昭和大橋の被害、昭和石油の火災、津波、国鉄が不通などの情報を放送する。
- ラジオ再開後、テレビはラジオ音声を流し始める。
- 15時25分 新潟県警→警察庁→BSN東京支社経由でTBSへ応援要請の電文を送る。
- 16時01分 ラジオ、災害対策本部から災害情報の放送を開始(本社スタジオからは放送不能のため、新潟県庁からラジオカーで山ニツ送信所へ直接電波を飛ばし放送する)。
- 17時15分 見舞い文に改められたラジオCM放送再開。
- 20時00分 ライフライン、公的情報、災害状況、尋ね人、新潟を訪れている修学旅行生の安否情報などを終夜放送する。
- 20時14分 川岸町本社-電電公社(当時)新潟局間のマイクロ回線を仮復旧。「圭三ファミリーアワー」のネット受けを途中から開始。
- 深夜、テレビは放送休止
- 1964年6月17日 ABS秋田放送とTBS東京放送から総勢57人のスタッフ、テレビ中継車と電源車、放送復旧機材等が新潟に到着。
- 18時00分 川岸町本社スタジオからラジオ放送を再開(本社-山ニツ送信所間をTBSが持参したFM広帯域一対向によって仮復旧)。特集「29時間後の新潟市から」を放送。
- 22時30分 ラジオ、尋ね人を約5,000人などを伝えた災害放送を終了。
この放送中に新潟市災害対策本部からの要請で県内の化学製品工場の関係者あてに 化学消防車を昭和石油火災現場に派遣してほしい趣旨の救援放送を実施 ラジオを聞いていた関係者により当日深夜化学消防車が応援に駆け付けた
新潟県中越地震当時の放送体制
2004年10月23日 17:56に発生した新潟県中越地震発生直後の番組編成状況は下記の通り。
- 17:56 地震発生後、字幕(地震情報)での対応
- 18:00 機動戦士ガンダムSEED DESTINYを通常通り定刻開始。
- 18:15頃 上記番組を中断し、地震関連の放送。
- これ以降、翌日午前0時頃まで予定の番組を変更し、さらに、TV-CMを全面カットして、TBS発のJNN報道特別番組を含め、BSN独自編成で地震の詳報を伝え続けた。
- TBSラジオでは、24日午前0時から午前4時までの間、県内向け生放送を「報道特別番組」として同時放送した。
コールサイン
- ラジオ放送 新潟局 JODR 長岡局 JODE 上越局 JODO
- テレビ放送 JODR-TV
- デジタルテレビジョン放送 JODR-DTV
- データ放送 JODR-TDM
- 音声多重放送 JODR-TAM
- 文字多重放送 JODR-TCM
ラジオ
概要
- 放送時間:2009年4月7日より4時基点とする名目上は23時間だが、火曜〜日曜3:00〜4:00フィラーの時間は「深夜音楽」という番組扱いとなっており、事実上の24時間放送となっている。[35]なお月曜0:55~4:00停波を伴う休止(日時はJST)。
- AMステレオ放送は未実施。
- 秋田県でも沿岸地域では聴取可能なところが多く、弱い電波ながらも青森県でも受信可能な地域もある。西日本では富山県沿岸や石川県能登の内浦では受信可能だが北陸放送七尾局が隣接しており混信が見られる。南海放送と周波数が同一であり、日曜深夜はBSNが早く放送を終了してしまうために西日本での夜間の遠距離受信は至難。また、上越・糸魚川の1530kHzは栃木放送・中国放送府中局などと同一である。また、関東地方の一部では近接周波数の文化放送と混信し、夜間の受信が困難な地域もある。
- 政令指定都市にある民放中波ラジオ局で親局の出力が1桁の5kWであるのは当放送局のみ。
- 生放送以外の時間帯で震度3までの地震が発生した場合、ネット番組や録音番組内に割り込んで地震速報を流す事は無い。
ラジオ周波数
- 本局
- 新潟 JODR 1116kHz 5kW(送信地:新潟市中央区山ニツ)
- 本局でない親局
- 中継局
- 新潟県中越地震災害に伴う中継局
- 川口 1485kHz 100W (平成16年10月28日より平成16年12月末日までの予備免許。新潟県北魚沼郡川口町およびその周辺地域において、より明瞭に提供するための措置。JODEの中継局として免許が下りた。)
トンネル内再送信サービス実施箇所
現在放送中の番組
放送時間は2012年4月時点のもの
自社制作番組
- ★印の番組は、ラジオ第2スタジオから生放送、インターネットライブで聴くことが出来る。
- ☆印の番組は、ラジオ第1スタジオから公開生放送をしているので自由に観覧することができる。
- ○印の番組は、JR新潟駅待合室メディアステーションbanana内サテライトスタジオからの生放送。
- ラジオ番組制作担当
- 新潟日報ニュースは報道制作局情報センター・ラジオ担当デスクが、それ以外のラジオ番組は、ラジオ局編成制作部が制作している。
- 平日
- はや・すた(月曜~金曜 7:00~8:53)★
- 歌のない歌謡曲(月曜~金曜 7:30~7:45 企画ネット番組)
- 近藤丈靖の独占!ごきげんアワー(月曜~木曜 9:00~12:50)★
- ゆうWAVE(月曜~金曜 15:00~17:30)★
- ふるさと散歩(土曜 8:30〜8:35)
- フラっとフライデー(金曜 9:00~12:50)★
- 元気発信!キリン情報局(月曜 18:30~18:55)
- anmiっくすLIFE(月曜 20:30〜21:00)
- 土曜日
- 海津ゆうこのさたばな(土曜 9:00〜10:55)○
- エンジョイ!競馬プラス(土曜 12:45~12:55)
- あなたと夜と音楽と(土曜 22:00~23:00)
- 日曜日
- 今日のねらい目勝負どころ(日曜 9:45~10:00)
- BSNラジオ競馬中継(日曜 14:00~16:25)
- 宝石みのわ きらめき★タイム(日曜 22:00~22:30)
ネット番組
- TBSラジオ制作
- あなたへモーニングコール(月曜~日曜 4:00~5:00)
- 生島ヒロシのおはよう一直線(月曜~金曜 5:30~6:30)
- 話題のアンテナ 日本全国8時です(月曜~土曜 8:00~8:15 平日は「はや・すた」内)
- ドライバーズリクエスト(月曜~金曜 13:35~13:45)
- はがきでこんにちは(月曜~金曜 14:40~14:45)
- ネットワークTODAY(月曜~金曜 17:30~17:46)
- 小沢昭一の小沢昭一的こころ(月曜~金曜 14:00~14:10)
- 今晩は 吉永小百合です(月曜 20:00~20:30)
- ニュース探究ラジオ Dig(月曜~金曜 22:00~23:55)
- 土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!(土曜 6:00~6:30)
- ウィークエンドネットワーク(土曜 17:45~17:50)
- 爆笑問題の日曜サンデー(日曜 13:00〜15:00)
- サタデー大人天国! 宮川賢のパカパカ行進曲!!(日曜19:00〜20:00)
- 林原めぐみのTokyo Boogie Night(日曜 23:00~23:30)
- 文化放送制作
- 吉田照美 ソコダイジナトコ(月曜~金曜 6:35~6:53)
- 武田鉄矢・今朝の三枚おろし(月曜~金曜 8:30~8:40 「はや・すた」内)
- 純喫茶・谷村新司(月曜~金曜 11:20~11:26 「近藤丈靖の独占!ごきげんアワー」「フラっとフライデー」内)
- 高田純次 毎日がパラダイス(月曜~金曜 14:10~14:20)
- 志の輔ラジオ 落語DEデート(月曜 21:00~21:40)
- アジアン!プラス(月曜~金曜 21:00~21:20)
- ミュージックギフト〜音楽・地球号(10月~3月:月曜~金曜 21:25~21:55、4月~9月:日曜 17:25~17:55)
- レコメン!(月曜~木曜 24:00~25:00)
- 嵐・相葉雅紀のレコメン!アラシリミックス(金曜 24:00~25:00)
- ドコモ団塊倶楽部(土曜 11:00~13:00)
- 近藤真彦 くるくるマッチ箱(土曜 13:00~13:29)
- STOP THE SMAP増刊号(土曜 23:00~23:30)
- ニッポン放送制作
- 情報宝島(月曜~金曜 7:05~7:10 「はや・すた」内・土曜 7:30~7:35)
- SUZUKIハッピーモーニング・鈴木杏樹のいってらっしゃい(月曜~金曜 7:10~7:15 「はや・すた」内)
- サウンドトラベル(月曜~金曜 21:45~21:52)
- テレフォン人生相談(月曜~木曜 13:00~13:20)
- ミュージックスクランブル(月曜~金曜 14:20~14:30)
- 森野熊八〜ワンダフルキッチン〜(月曜~金曜 14:30~14:39)
- どうですか歌謡曲(月曜~金曜 15:50~16:00)
- オールナイトニッポン(月曜~土曜 25:00~27:00)
- TOKIOナイトCLUB(月曜 19:00~19:30)
- JX童話の花束(土曜 17:00~17:15)
- 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ(土曜 23:30~25:00)
- おはよう!ニッポン全国消防団(日曜 7:40~7:50)
- 長澤まさみSweet Hertz(日曜 9:00〜9:30)
- その他
- 森永卓郎ジャーナル(月曜 13:25~13:35 熊本放送制作)
- こんにちは青空たのしです(月曜~金曜 12:50~12:55 栃木放送制作)
- 大自然まるかじりライフ(月曜~金曜 13:45~13:55)
- 柏原芳恵のJumpin' Music(月曜 21:25~21:55 スターデジオ配信)
- 加来耕三のSAMURAIヒストリアス(月曜~金曜 23:55~24:00)
- マイハートフルSONG(土曜 5:00~5:30 スバルプランニング制作)
- アグネスのサニーサイドUP!(土曜 5:30~5:45 スバルプランニング制作)
- ラジオ朗読版「歎異抄をひらく」(土曜 5:45~6:00)
- チアーズヴォイス(土曜 17:15~17:30 東北放送制作)
- 宮澤ミッシェル・サッカー倶楽部(土曜 21:30~22:00 桑の実プロ制作)
- 水森英夫のチップイン歌謡曲(日曜 5:00~5:30 火曜会制作)
- 大徳寺昭輝の天の夢(日曜 5:45~6:00 KBCラジオ制作)
- 朝から笑顔で(日曜 7:25~7:40)
- 山田パンダの元気!あげます(日曜 8:00~8:20)
- 録音風物誌(日曜 8:30~8:40 火曜会制作)
- 童話の散歩道(日曜 12:40~12:50 火曜会制作)
- アーティストBOX(日曜 13:00~14:00 綜合放送配給)
- キョートリアル!コンニチ的チュートリアル(日曜 18:00~18:30 KBS京都制作)
- J-Hits COUNTDOWN(日曜 23:30~24:00 火曜会制作)
- 現役女子高生大場はるか&上杉まゆみのラジオ(仮)がとれません。(日曜 24:25~24:55)
- 宗教番組
- 心のいこい(月曜~金曜 5:10~5:15・日曜 5:15~5:20)
- 心のともしび(月曜~金曜 5:15~5:20・日曜 5:20~5:25)
- ラジオライブラリー「新・人間革命」(月曜~金曜 5:20~5:30)
- 東本願寺の時間(金曜 5:00~5:10)
- 密教誕生(日曜 5:30~5:45)
- 幸福への出発(日曜 6:00~6:15)
- 天理教の時間(日曜 6:25~6:40)
- 西本願寺の時間(日曜 6:40~6:50)
過去に放送した番組
自社制作番組
- サンデーコンサート
- BSNサテライト・ヒットパレード
- 新潟ミュージックメイト
- 奥様音楽をご一緒に
- スキップ・オン・マイク
- ドライバーのあなたに
- ニイガタ・トゥナイト
- テレフォンリクエストパレード
- ハロー・ライト・ミュージック
- ミュージックポスト
- にいがた西東
- 代々泉民謡教室
- 本町花のれんアワー(下越地域のみ放送[42]。新潟市本町商店街提供)
- ラジソン
- ハロー!!ジャンボサタデー
- ミュージックロータリー
- 10時のロータリー
- 奥さま11時です
- 2時のア・ラ・カルト
- ハレバレジョッキー お元気ですか!
- 金ちゃんと乾杯!!宿六大行進
- みのるとよう子のびっくりナイター
- わぁっと土曜日110分
- 金親顕男のポップス専科
- 土曜スクエア鈴木かおるの全力投球!
- 学園かわら版にいがた・なう
- 今夜もゼッチョー!!
- とび出せスワロー
- 盗難車情報
- チャーリー高坂のネクラでバンザイ
- チャーリー高坂の今夜は絶頂
- Switch On Pops
- とびきりトミーのぶっちぎりサタデー
- かぎとみ徹のラジオはフランキー
- わくわく11時(各エリア別内容)
- 元気で候
- どきどきラジオ11時
- 純情倶楽部
- トワイライト・ジョッキー
- 夜はおまかせベストテン
- 実と京子の大勝負がっぷり四つ
- はればれワイドにっこり大放送
- 海の気象ニュース
- キャプテン宝島の佐渡へこいっちゃ
- BSNおはようワイド
- ぽっぷるランド
- 電リクネットワーク
- サツと修吾のハッピートーク
- こちらジャスコ放送局(新潟市青山のジャスコLから公開生放送)
- アイ※・ウイ※・佐渡ヶ島(※はハートの記号、ラブと読ませる)
- ライブリポート430
- ライブリポート445
- ライブリポート
- コンビニラジオ 昼ラジ
- キンラジ
- かぎとみ徹の熱烈!ラジオSHOW
- 石塚かおりのゆうわく伝説
- クチコミラジオ 越後じまんず
- 祐介・りんりんのギューギュー戦隊ハチキレンジャー
- ミノファーゲン 医学なんでも相談室
- やまだみつるのみみかき通信
- ウチらの実験室~10代のホ・ン・ネ~
- 石塚かおりの午後の楽園
- ポプキン
- 怪傑バナゴング
- 朝日山おもしろ百科
- 夕ラジ
- Swing street
- J-ポッパー
- Love&Live Dステーション
- モーニングピアス
- 大杉りさのMidday cafe
- サタパラ!
- 日曜日もごきげんで!
- ブランチバスケット
- ウィークエンドリクエスト
- 音楽夢語り
- ばななサンデー
- 黒崎識正のオレンジ魂
- Oh!演歌
- 大倉修吾の縁歌劇場
- Morning Cafe
- ひるbanana
- ゴゴラク!
- New・sな時間
- ヨシモト にいがた生ラジオ
ラジオパーソナリティ
- 男性
- 星野一弘(元アナウンサー、現・報道部記者)
- 近藤丈靖(アナウンサー)
- チャーリー高坂(元アナウンサー、現・テレビ営業局業務部長)
- 大倉修吾(元パーソナリティ、現フリー)
- 黒崎識正
- 藤井一男(元ちびっこギャング)
- 女性
- 石塚かおり(アナウンサー)
- 田巻直子(アナウンサー)
- 水島知子(元アナウンサー、現フリー)
- 大杉りさ(パーソナリティ)
- 山田かおり(パーソナリティ)
- 小尾浩子(元FM新潟)
- 佐野佳世(元アナウンサー)
- 小野沢裕子(元アナウンサー、現フリー)
- 和田朋子(元アナウンサー、現専属フリー)
- 伊勢みずほ(元アナウンサー、現フリー)
- 渡辺裕子(元アナウンサー、現専属フリー)
- 坂井英里子(フリー)
- 海津茅穂子(フリー)
- 湯浅みわ
- 横山未来
テレビ
ニュースネットワークの移り変わり
- 1958年12月25日 テレビ本放送開始。ラジオ東京テレビ・日本テレビとネットワークを組む。
- 1959年3月1日 日本教育テレビとこの日開局したフジテレビともネットを組む。
- 1959年8月1日 JNN発足と同時に加盟。ニュースはラジオ東京テレビ単独、それ以外はフリーネットとなる。
- 1967年6月 民間放送教育協会発足と同時に加盟。
- 1968年12月16日 新潟総合テレビの開局により、ニュース以外もTBS系列となるが移行されなかった番組のみ番組販売という形で継続することとなった。
- 1975年3月31日 大阪準キー局の腸捻転解消により関西発の同時ネットが朝日放送から毎日放送に切り替わる。同時に番販ネットが毎日放送から朝日放送に切り替わる(1983年9月30日まで続く)。詳細は「ネットチェンジ#大阪準キー局「腸捻転」の解消」を参照
- 1981年4月1日 テレビ新潟放送網の開局により日本テレビの番組が姿を消す。また、フジテレビ・テレビ朝日の番組の一部が新潟総合テレビに移行。
- 1983年10月1日 新潟テレビ21の開局により民教協制作以外のテレビ朝日の番組が姿を消す。2年前の時点で移行しきれなかったフジテレビの番組は競馬中継と仙台放送製作の東北電力一社提供番組を除き新潟総合テレビに移行。
- 2000年1月1日 フジテレビの競馬中継が新潟総合テレビに移行。
- 2001年3月仙台放送製作の東北電力一社提供番組のネット受けが終了。テレビ東京系列を除く系列外ネットを解消。
チャンネル
- リモコンキーID:6
- 親局:17ch JODR-DTV 弥彦送信所(出力:3kW)
- 中継局
中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | |||||
高田 | 18 | 津南 | 18 | 新井 | 44 | 守門 | 18 | 妙高高原 | 44 | |||||
三川 | 39 | 津川 | 39 | 村上 | 18 | 村松 | 39 | 高柳 | 37 | |||||
津南上郷 | 18 | 両津 | 31 | 外海府 | 24 | 関川 | 43 | 青海 | 18 | |||||
小出 | 24 | 相川 | 28 | 湯沢 | 17 | 栃尾 | 43 | 川口 | 17 | |||||
鹿瀬 | 17 | 大和 | 18 | 津南田中 | 17 | 六日町 | 18 | 高千 | 17 | |||||
糸魚川大野 | 18 | 糸魚川早川 | 32 | 朝日 | 32 | 府屋 | 31 | 土樽 | 32 | |||||
安塚 | 28 | 勝木 | 18 | 小千谷真人 | 36 | 中里 | 45 | 黒川 | 31 | |||||
湯之谷 | 24 | 柿崎 | 28 | 松代 | 28 | 新発田赤谷 | 34 | 越路 | 37 | |||||
鯖石 | 18 | 塩沢 | 37 | 新津 | 36 | 牧 | 43 | 下相川 | 17 | |||||
牛野尾谷 | 44 | 関川女川 | 28 | 津南中津 | 18 | 柏崎山口 | 24 | 中郷 | 46 | |||||
宮古木 | 20 |
アナログテレビ放送(2011年7月24日運用終了)
- 親局:5ch JODR-TV 弥彦送信所(出力=映像:5kW、音声:1.25kW)
- 中継局
- 魚沼守門 6ch
- 高柳 6ch
- 糸魚川 6ch
- 佐渡相川 6ch
- 津川 9ch
- 魚沼 9ch
- 上越 10ch
- 松代 11ch
- 妙高高原 22ch
- 三川 31ch
- 柏崎北条 31ch
- 魚沼湯之谷 31ch
- 津南上郷 36ch
- 津南中里 36ch(垂直偏波)
- 村上 42ch
- 関川女川 42ch
- 津南田中 43ch
- 鹿瀬 44ch
- 新津 44ch(垂直偏波)
- 津南中津 44ch
- 松之山湯之島 44ch
- 山北府屋 45ch
- 朝日 45ch
- 柏崎山口 45ch
- 青海 45ch(過去は1ch)
- 佐渡外海府 45ch
- 佐渡鹿伏 45ch
- 佐渡大滝 45ch
- 越後湯沢 46ch
- 新発田赤谷 50ch
- 越後川口 50ch
- 能生栄 50ch
- 糸魚川早川 50ch
- 佐渡両津 50ch
- 津南 51ch
- 小千谷真人 52ch(垂直偏波)
- 山北勝木 55ch
- 関川 55ch
- 村松 55ch
- 下田牛の尾 55ch
- 越路 55ch
- 南魚沼六日町 55ch
- 柏崎鯖石 55ch
- 新井 55ch
- 糸魚川大野 55ch
- 黒川 56ch
- 栃尾 56ch
- 南魚沼大和 56ch
- 塩沢 56ch
- 越後湯沢土樽 56ch
- 牧切光 61ch(垂直偏波)
県外での受信について
- 新潟県外でも、富山県朝日町や石川県珠洲市等、北関東のごく一部でも受信報告が確認されている。また、かつては福島県会津若松市で新潟県境に位置する鹿瀬日出谷中継局を受信しているケースもあった。
- 山形県鶴岡市の一部(旧温海町地域)では同じTBS系列のテレビユー山形の中継局が設置されておらず(アナログ放送のみ。デジタル放送は2009年に設置された)、多くの世帯でBSNの放送(弥彦親局)を受信。
- 弥彦親局の送信所は鉄塔とUHF送信アンテナのみ新潟テレビ21(アナログ・デジタル)と共同使用している。
現在放送中の番組
自社制作番組
- Nスタ新潟(月曜~木曜16:50~19:00、金曜16:53~19:00)※HD
- BSN NEWS※HD
- 消費生活バラエティ 金曜パラダイス(金曜15:55~16:53)※HD
- ワンダフル新潟人!(月曜19:55~20:00)※HD
- BSN水曜見ナイト(水曜19:00~19:55)※HD
- 生きものがたり(水曜19:55~20:00)
- リフォームのつぼ(毎月第1土曜10:30~10:45)
- テレビサロン(毎月第1土曜10:50~11:00)
- さわやか新潟(毎月第1土曜11:00~11:30)
- 週刊 県政ナビ(日曜11:40~11:45)
- ワンダフル競馬(新潟競馬第3場開催時の土曜14:30~15:55)※HD
- 新潟大学テレビ公開講座(毎年11月・12月の土曜6:00~6:30)※HD
全国ネットの番組はないが、現在購入している番組は、ほぼテレビ東京系列のものと独立UHF放送局のものである。
ネット番組
- TBS系列の時差ネット番組
- ジャイケルマクソン(毎日放送制作、月曜23:50~24:50)
- 笑撃!ワンフレーズ(月曜24:50~25:20)
- 地名しりとり伝説(中部日本放送制作、火曜24:45~25:15)
- 薬師寺保栄のドリームカー倶楽部(中部日本放送制作、火曜25:15~25:45)
- けいおん!!(火曜25:45~26:15)
- あらびき団(水曜24:20~24:50)
- マルさまぁ〜ず(水曜24:50~25:20)
- ノブナガ(中部日本放送制作、金曜24:15か25:15)
- 新知識階級クマグス(金曜25:15~25:45)
政令指定都市を擁する自治体が放送域であるJNN系列局では唯一毎日放送木曜深夜アニメ枠のレギュラーネット局ではない[43]。
- テレビ東京系の番組
- やりすぎコージー(火曜23:50~24:45)
- ありえへん∞世界(木曜24:50~25:30)
- 田舎に泊まろう!(土曜9:25~10:20)
- たけしのニッポンのミカタ!(土曜14:00~14:55)
- ウイニング競馬(土曜15:00~15:55 同時ネット。新潟夏季開催時は14:30からのフルネット[44])
- ピラメキーノG(土曜16:00~16:55)
- 流派-R(土曜25:43~26:13)
- しまじろう ヘソカ(テレビせとうち制作、日曜6:15~6:45)
- だいすけ君が行く!!ポチたま新ペットの旅(日曜14:00~14:54 ※HD)
- ガレッジ×ビレッジ(不定期)
テレビ東京系列の番組の放送数は、新潟総合テレビに次いで2番目である[45]。
- 民間放送教育協会の番組
- 学びEye!(土曜6:00~6:30)
- その他の番組
- キユーピー3分クッキング(中部日本放送制作、月曜~金曜11:20~11:30、土曜11:30~11:40)
- Music B.B.(木曜25:44~26:14)
- MU-GEN(千葉テレビ放送制作、水曜25:29~25:59)
- 比叡の光(京都放送[KBS京都]制作、日曜6:00~6:15)
- ふしぎのトビラ(東北放送制作。毎月第2土曜10:30~11:00/東北・新潟のJNN系列ブロックネット)
- 平成歌謡塾(日曜25:00~25:30)
- ロケみつ〜ロケ×ロケ×ロケ〜(毎日放送制作、木曜23:50~24:50) 2009年10月1日より放送。
過去に放送した番組
自社制作番組
- ピンポンクイズ
- BSNニュースワイド
- ウィークエンドi
- 土曜はヨイショ!!
- 新潟発そこが知りたい
- BSNスペシャル
- K's Bar
- すこやか1・2の3ちゃん
- BSNダイナミックサタデー
- 情報ジャイアント
- BSN民謡チャンピオン
- さわやか味のスケッチ
- アイラブクッキング
- 歯の用心
- あんたっ家なんてっ家
- 大塚浩のゆうたいむ
- ダイナミック競馬
- J商店
- NEXT!
- トントンあったと にいがたの昔ばなし
- イブニング王国!(2010年3月26日終了)
- ワンダフル新潟人!
- THE新潟スペシャル
ネット番組
- テレビ東京系の番組
- クイズ地球まるかじり
- タモリの音楽は世界だ!
- 決戦!クイズの帝王
- アイドルをさがせ!(途中打ち切り)
- 芸能人専用タクシー し~たく
- Get Ride! アムドライバー(途中打ち切り)
- 魔法のプリンセスミンキーモモ(1作目)
- 新世紀エヴァンゲリオン
- 天空のエスカフローネ
- 機動戦艦ナデシコ
- りぼん魔法少女シリーズ
- カウボーイビバップ→発明BOYカニパン→超発明BOYカニパン→宇宙海賊ミトの大冒険→ビックリマン2000(途中打ち切り)
- 月10万円で豊かに暮らせる町&村
- いきなり結婚生活
- 主治医が見つかる診療所
- アイシールド21(途中打ち切り)
- ドラマ24
FNN系列の新潟総合テレビがクロスネット(FNN、NNNとANN)だった時代、同局でネットしきれないフジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日などの番組を購入して放送していた。以下に主な番組を記す。
- テレビ朝日系の番組
★は1981年4月1日以降NSTへ(1981年4月1日テレビ新潟開局に伴い、NSTのテレビ朝日系番組増加に伴うもの)、☆は1983年10月1日以降NT21⇒UXへ
- プロポーズ大作戦(ABC制作)★
- パネルクイズ アタック25(ABC制作)★
- 三枝の国盗りゲーム(ABC制作)★
- モーニングショー★
- あまから問答☆(TNN⇒TeNY開局後も放送、1983年10月にNT21⇒UXに移行)
- レッドビッキーズ
- 燃えろアタック
- 新幹線公安官
- 鉄道公安官
- 特別機動捜査隊(モノクロ版のみ。1968年12月にNSTに移行)
- 魔法使いサリー(第1シリーズ)
- コンバトラーV
- 闘将ダイモス
- 川崎敬三の料理ジョッキー
- はじめ人間ギャートルズ(ABC制作・腸捻転時代から引き続き放送)
- 仁鶴・きよしのただいま恋愛中(ABC制作・腸捻転時代から引き続き放送)
- カリメロ
- 誰のために愛するか
- 東京メグレ警視シリーズ(ABC・ANB・HTB・NBN・KSB・UHT・KBC共同制作)
- チェックメイト78(ABC制作)
- 高校野球ハイライト(後の「熱闘甲子園」。その後、NSTへ移行し、その後は☆)
※はTeNYに開局と同時に(一部はTeNYのサービス放送の時から)移行
- びっくり日本新記録[46]
- 土曜グランド劇場※
- お笑いマンガ道場※
- 笑点※
- 健康増進時代(日本医師会提供枠)※
- ご存じですか※
- 全国高等学校サッカー選手権大会
- ドラえもん (1973年のテレビアニメ)(1年遅れで放送)
- 桃太郎侍※
- 巨人の星
- タイガーマスク
- レ・ガールズ
- ダイヤル110番
- 日産スター劇場
- 特ダネ登場
- フジテレビ系の番組
- ズバリ!当てましょう(1981年末番組終了まで)
- 銭形平次(大川橋蔵主演。1976年NSTへ移行)
- コートにかける青春
- 忍者部隊月光
- ハリスの旋風
- マジンガーZ
- スター千一夜(NST開局まで)
- サザエさん(1975年10月からNSTへ移行)
- 競馬中継→チャレンジ・ザ・競馬→スーパー競馬[47]
など
- 旧ロゴ時代に放送されていた主なTBS系の番組
(※は現ロゴになってからも放送)
- タケダアワー
- 不二家の時間
- まんが日本昔ばなし※(毎日放送制作)
- クイズダービー※
- 8時だョ!全員集合→加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ
- ザ・ベストテン
- アッコにおまかせ!※(現在も放送中)
- 日立 世界・ふしぎ発見!※(現在も放送中)
- 3年B組金八先生※(第3シリーズまで)
- 渡る世間は鬼ばかり※(第1シリーズのみ)
- JNNおはようニュース&スポーツ→JNNニュースコール※
- JNNニュースコープ→JNNニュースの森※(現在のNスタ枠)
- JNNフラッシュニュース※(現在も放送中)
- 海のトリトン(ABC制作・腸捻転時代)
- ふしぎなメルモ(ABC制作・腸捻転時代)
- ど根性ガエル(ABC制作・腸捻転時代)
- 霊感ヤマカン第六感(ABC制作)腸捻転解消後NSTへ移行。
- 新婚さんいらっしゃい!(ABC制作)腸捻転解消後NSTへ移行。
- 必殺シリーズ(ABC制作)『必殺必中仕事屋稼業』まで。途中NSTで『必殺仕置屋稼業』を放映開始し、一時期は2局で並行放送。『必殺仕業人』以降はNSTへ完全移行。その後、1983年10月1日以降NT21⇒UXへ。
注:TBSテレビのネット番組は、1968年12月16日の新潟総合テレビの開局時点から、BSNテレビはTBSテレビの単独ネット局になったため、大部分の番組がネットされる事になった。
- その他の番組
- 新サンデートーク(東北電力提供、フジテレビ系列の仙台放送制作)
- 今、きらめいて(同)
- 銀河英雄伝説
- saku saku(tvk制作、月~金で放送されている中の木曜分、2006年3月31日で打ち切り)
- THE 鈴木タイムラー(tvk制作)
- To Heart(地上波ではBSNのみエンディング曲が違っていた)
- らき☆すた(BSNにとっては8年ぶりのUHFアニメ)
- 演歌百撰(サンテレビ幹事、日曜24:30~25:00)
- 中央競馬ワイド中継(関東独立U局制作。日曜15:00~15:55[48])
時刻出し
- 平日、朝 4:30:00~9:55:00 、昼 11:55:00~13:00:00 、夕 16:50:00~19:00:00
- 土曜、朝 4:30:00~9:24:00
- 日曜、朝 4:30:00~9:53:00
- カスタム表示は表示時間中の全ての番組。CM時と、「みのもんたの朝ズバッ!」のローカル枠、「ヤン坊マー坊天気予報」のOP~ED部分は通常表示。
起点時間
2012年4月現在、テレビ放送の1日の起点時間(放送開始時間)は、平日、土曜日、日曜日とも午前4時30分である。
オープニング/クロージング
この節の加筆が望まれています。 |
- オープニング
- 5代目(2012年1月(?)~)
- ハイビジョン、ステレオ音声。映像は、弥彦送信所のアンテナ群の映像で始まり、新潟の様々な風景が映し出される。最初と最後には、「JODR-DTV、BSN」と左下に字幕が出る。音声は、BGMはイージー・リスニングのインストの音楽で、最後に、米澤和代アナウンサーの声で、「JODR-DTV、BSN新潟放送、デジタルテレビジョンです。」というアナウンスが流れる。
- 4代目(アナログ放送は2001年5月~2011年7月24日、デジタル放送は2006年2月~2011年12月(?))
- BSNロゴのCGとそれに写る風景(ステレオ音声)。一度マイナーチェンジされた。オープニング終了間際に表示されるJODR-TVが最近ではなくなっている。デジタル放送は3代目(アナログ放送)と同じ構成。当初は画面比が4:3で、中継局のスクロールなしでコールサインと本局物理チャンネルの表示になっていたが、2006年11月からの中継局追加に伴い、HDに変更され、アナログ放送と同じような構成になった。
- 3代目(1992年4月~2001年4月)
- 基本的には2代目と同様だが、ロゴ変更などに伴い撮り直したものだと思われる。テロップは青で、書体や内容が異なる・現ロゴ。
- 2代目(1970年代後期~1992年3月)
- 新潟市のミニチュアセット俯瞰。緑の電子テロップ(コールサイン、周波数、出力、親局Ch、中継局)・旧ロゴ。
- 初代(テレビ放送開始1958年12月24日~1970年代中期、途中でカラー化された)
- 放送開始当初のオープニングは稲の成長を描いたアニメーションで、後にシルエットを用いたアニメーションに変わった。
- 1960年代から1970年代にかけて、「新潟放送のうた」をバックに流していた時期もあった。
BGMは、初代から4代目までは、「メヌエット第4番ト長調」(シューベルト作曲、「5つのメヌエットと6つのトリオD.89」より)をアレンジし直したものである。ただし、初代から3代目までは弦楽アンサンブルを主体としたクラシック音楽調のアレンジ(モノラル音声)、4代目はコンピュータのシーケンサーによる打ち込みを使ったポップ調のアレンジ(ステレオ音声)となった。
- クロージング
- 7代目(2012年1月(?)~)
- ハイビジョン、ステレオ音声。映像は、新潟の様々な風景が映し出され、最後に弥彦送信所のアンテナ群の映像で終わる。途中半ばに左下側に、最後に右下側に「JODR-DTV、BSN」と字幕が出る。音声は、BGMはイージー・リスニングのインストの音楽で、最後に米澤和代アナの声で、「JODR-DTV、BSN新潟放送、デジタルテレビジョンです。」というアナウンスが流れる。
- 6代目(アナログ放送は2001年5月~2011年7月24日、デジタル放送は2006年2月~2011年12月(?))
- BSNロゴのCGとイルカ(ステレオ)。デジタル放送も同じ構成。オープニングと同様、当初の画面比は4:3で、中継局のスクロールなしでコールサインと本局物理チャンネルの表示になっていたが、2006年11月からの中継局追加に伴いHDに変更され、アナログ放送と同じような構成になった。
- 5代目(1994年頃~2001年4月)
- 新潟県内の風景。この代のみ、BGMはリンゴ・スターの「グッド・ナイト」である。
- 4代目(1992年4月~1993年頃)
- 基本的には3代目と同様。テロップは青で、書体や内容が異なる・現ロゴ。
- 3代目(1991年4月頃~1992年3月)
- 動物が寝ているイラスト・緑の電子テロップ(コールサイン、周波数、出力、親局Ch)・旧ロゴ
- 2代目(1970年代後期~1991年3月頃)
- 社屋(外観が現在と少し違う)の写真にピンクの電子テロップ(中継局などの技術情報)のスクロール。
- 初代(~1970年代中期)
- イルカの「おやすみなさい」(アルバム「イルカの世界」収録)をクロージングのイラストのバックに流していた時期がある(1970年代中期頃、不詳)。
BGMは、5代目を除き、初代から6代目まで同じオリジナル曲である。新潟放送によれば、深夜にふさわしい琴の調べをイメージして作曲したのだという。4代目までは箏曲(モノラル)、6代目はコンピューターのMIDI機能を使って、ピアノの音源を使って行われた録音である(ステレオ音声)。
2008年7月24日からは、地上アナログ終了に伴い告知画面を下テロップに表示(アナログ放送のみ)。
現在は、クロージング終了後、間を置かずすぐにフィラー(県内の天気予報)に移り、またフィラーからオープニングに移る際も、間を置かずにフィラーからすぐにオープニングに移る。BSNテレビは1995年過ぎから現在まで、地震等の緊急災害時に備え、放送設備の保守等で停波が必要な場合を除き、24時間放送をしている。
アナウンサー
全て報道制作局、情報センターアナウンス担当部所属
- 男性
- 女性
- 増山由美子(1981年入社)報道制作局情報センターアナウンス担当部長
- 石塚かおり(1987年入社)
- 田巻直子(1993年入社)
- 新海史子(2011年入社)
- 磯部恵美(2012年入社)
- 門脇瑛子(2012年入社)
元アナウンサー・退職者
- 男性
- 今村英成(1952年入社)
- 斉藤威友(1952年入社)
- 丹羽国夫(1954年入社)1955年の新潟大火では、社屋屋上から延焼の様子を実況した。
- 水沢英男(1957年入社)
- 池葉宏(1958年入社)退職後、エフエム新津の創立に参加した。
- 秋丸洋(1958年入社)
- 中村靖国(1962年入社)
- 三村基明(1962年入社)
- 上野勝(1964年入社)
- 大倉修吾(1964年入社~2006年6月退職・ただしアナウンサーではなくラジオパーソナリティ)現在フリー
- 大塚浩(1964年入社)
- 平林勝芳(1964年入社)
- 竹石松次(1967年入社)現在新潟放送代表取締役社長
- 金親顕男(1967年入社)現在新潟放送常務取締役兼ホテルイタリア軒代表取締役社長
- 鈴木馨(1972年入社)
- 河内潤一(1974年入社)現在編成局次長兼CM部長
- 小柳実(1976年入社)現在アナウンサー受験専門スクール代表・講師
- 杉浦健(1980年入社)現在報道制作局報道部記者
- 鍵冨徹(1981年入社・但しアナウンサーではなくラジオパーソナリティ)現在東京支社編成業務部長
- 高坂元巳(1982年入社)現在テレビ営業局業務部長
- 佐藤隆夫(1982年入社)
- 和田司(1987年入社)現在報道制作局報道部記者・報道解説委員
- 服部陽介(1989年入社~1995年退職)現在フリー、ファーストキャスト(個人事務所)代表
- 星野一弘(1991年入社)
- 磯村茂昭(1989年入社)現在報道制作局情報センター・ディレクター
- 東宏典(2000年入社)現在毎日コミュニケーションズ
- 女性
- 井上清子(1972年入社)
- 荏原幸子(1972年入社)
- 北見裕子(1973年入社)
- 山中景子(1974年入社)
- 斉藤千恵子(1974年入社)
- 小原三永子(1976年入社)
- 小島京子(1976年入社)現在フリー、現姓の近藤に改名
- 小野沢裕子(1980年入社~1986年退職)現在フリー
- 中岡みち(1982年入社)
- 伊藤充(1983年入社)
- 中津川英子(1983年入社)現在フリー、契約パーソナリティとしてラジオニュースとテレビ「さわやか新潟」(新潟市広報番組)MCを担当
- 前川乃利子(1983年入社)
- 佐藤友美(1986年入社)
- 杉山朋子(1987年入社)2006年に現姓の和田で契約パーソナリティとして復帰
- 白田彰子(1988年入社)
- 渡辺菜穂子(1990年入社)
- 斎藤文栄(1991年入社)現在社会民主党党首・参議院議員福島瑞穂秘書
- 伊藤麻子(1993年入社~2006年退職)旧姓早川。高校教諭から転身し入社
- 佐野佳世(1996年入社)旧姓表(おもて)。現在もラジオで活躍
- 𡈽井里美(1996年入社~2001年退職)現在フリー
- 兼子香(1996年入社~2010年退職)
- 村山恵美(1997年入社~2001年退職)同年新潟総合テレビへ移籍し2008年退職
- 渡辺裕子(1998年入社)現在フリー
- 大島さやか(2001年入社)その後福井放送へ移籍したのち退職
- 小林恵子(2001年入社~2005年退職)現在フリー、2005年~2007年はWOWOW契約キャスター
- 枦山南美(2002年入社~2004年退職)2010年12月末までフリーとして活躍
- 佐々木美佳子(2005年チューリップテレビから移籍~2009年退職)
- 田中理紗(2006年入社~2009年退職)のちにNHK大津放送局キャスターを経て退職。
- 伊勢みずほ(2002年入社~2010年退職)現在フリー
- 武内実江(2008年入社~2011年退職)のちにNHK金沢放送局キャスターを経て2012年退職。
- 米澤和代(2009年入社~2012年退職)地上デジタル放送推進大使
- 水島知子(2005年佐渡テレビジョンから移籍~2012年退職)現在フリー
- 實石あづさ(2005年入社~2012年退職)現在NHK静岡放送局キャスター
- 森本晴香(2011年入社~2012年退職)現在広島ホームテレビアナウンサー
アナウンサー以外の著名社員
情報カメラ設置ポイント
過去に設置していた場所
- NEXT21(万代島ビルに移設)
大株主
2009年4月1日現在
- 新潟日報社
- 東京放送ホールディングス
- 越後交通
- 第四銀行
- ゴールドマン・サックス・インターナショナル
- 長鐡工業
- 第四リース
- BSN従業員持株会
- 損害保険ジャパン
- みずほ信託銀行
イメージキャラクター
- イメージキャラクターはおたまじゃくしを模した「ぷる」。姉妹キャラとしてデジタル放送を意識した「デジぷる」も存在する。
補足
- 新潟放送の呼出符号「JODR」は、1952年3月7日に予備免許を交付されるも工事落成期限に間に合わず、1952年9月22日に免許を取り消された兵庫県姫路市の姫路市営放送に割り当てられていたものである。仮に姫路市営放送が予定通りに開局していた場合、新潟放送の呼出符号は現在秋田放送(ABS)が使用している「JOTR」になっていた。
- BSNラジオで放送されている交通情報はタイトルが「交通速報」となっている[50]。また、平日朝に放送される交通速報の頭には「朝の」という冠がつく。
ただし放送間隔は一定しておらず、生番組内を含む多くの放送枠がスポット枠を利用したものである[51]。このため、放送枠は一部の生番組内を除いて全てAPS(自動番組送出装置)で管理されており、番組クレジット、日本道路交通情報センターの呼び出しなどは全て録音によるものである。また、情報センターの持ち時間はほとんどの枠で35秒であり(一部60秒の枠あり)、隣県の高速道路の情報は大規模な障害がない限り報じられないなど、情報量はやや希薄な傾向がある。さらにはAPSで全面管理されている上にBGMもないため、仮に何らかのトラブルが生じ、センターからの応答が得られない場合には放送音声が完全に途切れ、放送事故に発展する恐れもあるなど、問題点もある。[52] - テレビでの天気予報のタイトルは「お天気Meteo」。ウェブサイトの天気予報も同一タイトルを使用している。またテレビ・ラジオ共通の天気予報番組のジングルがあり、前述のテレビ「お天気Meteo」、ラジオ「Morning Cafe」「独占!ごきげんアワー」内の天気予報コーナーなどで演奏されている(番組・コーナーの冒頭部・終了部で使用。ただし、一部ジングルを使用しない番組もある)。
- 1970年代の一時期、高田支社(現・上越支社)では本州のテレビ局では珍しい支局独自のテレビ番組を制作していた時期があった。
- ラジオにおいても、1990年代中盤までは午前11時台などに地域別の番組枠が設けられており、中越地方(長岡支社制作)、上越地方(上越支社制作)には本社とは別途に放送枠・スポットCM枠が設定されていた(『ラジオガイド』など)。その後県内各地でコミュニティFM局の開局が相次ぐなどしたこともあり、現在は全県同一内容の番組を放送している。
- かつては美術館を運営していた。戦後、新潟市内には県・市など自治体が運営する美術館が存在しなかったことから、新潟放送は文化活動の一環として1964年5月1日、新潟市一番堀通町(現中央区)の新潟県庁第一分館(現新潟市役所第一分館)横に「BSN新潟美術館」を開館させた。その後、1970年代後半になって市立美術館の整備計画が具体化した事から、BSN美術館は「県都唯一の美術館としての使命を達成した」として1985年11月5日に閉館した。閉館後、所蔵品は前月の10月13日に開館した新潟市美術館に寄託され、敷地跡は市役所第一分館の駐車場に転用された。
- 同局のラジオ番組「キンラジ」→「独占ごきげんアワー」の人気コーナー「今すぐ使える新潟弁」のCD「文法編」・「日常生活編」が2005年12月7日に2枚同時発売されている。また、同CDの続編として2006年12月6日に「ラブラブ編」・「結婚・出産編」が発売された。
- 数年前から社会貢献活動の一環として「にいがたキッズプロジェクト」を実施している。
- 同局のラジオ中継車として「スナッピー」が活躍する。1974年から1990年代中頃までは2台体制で運用され二元中継も行われていたが、1990年代後半からは1台体制となっている。火曜から金曜は「近藤丈靖の独占!ごきげんアワー」と「ゴゴラク!」内で登場し、新潟県内の各所から中継を行う。歴代の担当リポーターはスナッピー (ラジオカー)#新潟放送を参照。
- 1970年代後半、ラジオ独自のキャッチフレーズ『いつもあなたとBSNラジオ』を使用していたが、90年代中盤にテレビとキャッチフレーズが統一化されたため、現在は使用していない。
- 同局のラジオ番組「クチこみラジオ 越後じまんず」は特定のスポンサーをつけず、サポーターからの番組育成金によって運営されるという異例のスタイルをとっていた。
- 新潟放送のドメインは、Web開設当初は「bsn-niigata.co.jp」、現在は「ohbsn.com」を使用している。「bsn.co.jp」はドメイン取得段階で既に他の企業が取得していたため、使用できなかった。
- 新潟放送の本社に隣接する「ファミリーマート新潟川岸町二丁目店」(2009年8月22日開店)の店内には「BSNグッズSHOP」が併設されており、イメージキャラクター「ぷる」のグッズなどが陳列されている。
リモコンキーID
- 地上デジタル放送のリモコンキーIDは、キー局のTBSテレビ・IBC岩手放送・MRO(北陸放送)のアナログ親局・IDと同じ「6」を使用している。アナログの親局「5」は引き継がなかった[53]。このため国内の民放において唯一リモコンキーIDがアナログ放送の親局より大きい番号となった。
- 新潟県は岡山県・香川県などと同様にリモコンキーIDを全てキー局に合わせたため、「5」はテレビ朝日系列局の新潟テレビ21が使用している。ちなみにテレビ朝日系列以外でリモコンキーID「5」を使う放送局は日本テレビ系列局のSTV(札幌テレビ放送)とFBS(福岡放送)、TBS系列局のCBC(中部日本放送)、独立UHF局のKBS京都とテレビ和歌山がある。
脚注
- ^ 大和新潟店7階の演奏所が完成からわずか三年足らずで焼失する。しかし、引火する寸前まで大和屋上から火災の実況生中継を行い、実況スタッフが避難した直後より網川原送信所から行った臨時放送と合わせ、各方面から高く評価された。この日から新社屋が機能するまでの約8ヶ月間、送信所内の仮設アナブースからの番組と県内各所からの公開番組で放送をカバーする。
- ^ 二年参りで混雑する弥彦神社で深夜0時過ぎ、参拝客が将棋倒しになり死傷者201人の大惨事が発生。ラジオ新潟の社員二人が現場に居合わせたため早期取材体制に入る。放送開始時間を30分繰り上げ4時30分から放送開始。この日に予定していた正月特番を急遽報道番組に変更する。
- ^ 当時のラジオ東京テレビ(KRT、現在のTBSテレビ)等で放送された当番組が第13回芸術祭大賞を受賞したため、ビデオテープで収録していた本放送をこの日に全国にマイクロネットで記念再放送したもの。当時の提供は、三洋電機であった。同番組は現在、TBSのテレビ番組における最古の番組資料でもあり、またビデオテープでもある。
- ^ 1960年11月29日に、ラジオ東京がTBS(東京放送)に社名を変更した流れを受けたものであるといわれている。
- ^ 小林百貨店(現在の新潟三越)1階のウィンドウ内(現在の正面玄関位置)にスタジオ、調整卓を設置
- ^ 尚、番組編成上、同局のカラー放送開始は翌々日の10月3日となった。
- ^ 同局のカラー放送第1弾は、日本テレビからのネットで、米映画ドラマ「カート・ライト兄弟」だった(同日20時からの55分番組)。同局のカラー放送開始当初、レギュラーのカラー番組は同番組の他に、日本テレビの「私のクイズ」、TBSのカラーアニメ「トムとジェリー」の計3番組だけだった。
- ^ 同局のテレビでも、同大会をカラーまたは白黒で連日放送した(時間不定期)。
- ^ 初めはテストケースで行われた。番組内容は記録映画「若人の祭典」だった。
- ^ 後に音声多重化等の改造工事等も行ったが、新館局舎移転になる前日の1987年4月5日まで使用された
- ^ 同年の4月からNHKがカラー契約を開始したことや、同局の「テレビスポットコンクール」の開始が同日だったこと、更に同年の11月29日に新潟総合テレビがサービス放送を開始したこと(同局の開局は翌月の16日)が影響している。
- ^ 同中継車の初運用は、同年9月20日放送の「中央競馬中継」(新潟競馬場からの生放送)だった。
- ^ カラー化に伴いテレビスタジオには、東芝製カラープランビコンカメラ3台が配置される。
- ^ ただし、番組の前半部分は「ミュージックポスト」放送開始以降、新潟放送局周辺以外の地域(上越・中越地方)でも放送していた。
- ^ 但し、朝日放送の一部の番組(新潟総合テレビの番組枠の都合で放送できない番組、一部の一本買いの番組等)は、1983年9月30日の新潟テレビ21開局前日まで放送された。
- ^ この公開生放送の中の「少年少女合唱隊」のコーナーにて、ドリフターズの新メンバーである志村けんが、彼の出世作となった「東村山音頭」(リメイク版)を初披露した。詳しくは、彼の項目を参照のこと。
- ^ JODO上越放送局の1530kHzは、9kHzごとの所定の周波数であったため、変更する必要がなかった。
- ^ JODR新潟局:1120kHz→1116kHz、JODE長岡局:1060kHz→1062kHz、塩沢中継局:1560kHz→1485kHzにそれぞれ変更された。
- ^ ちなみに初めの同放送は、朝6時57分の「天気予報」のステレオ放送で、同日放送開始前のテストパターンの音楽もステレオ放送だった。
- ^ 16時からの55分番組。ステレオ放送だったものの、同日の新聞のテレビ番組欄には同番組のステレオ番組の表記がなかった(BSNの担当者が書き忘れたものと思われる)。
- ^ その後は、ENGを使ったビデオ取材に一本化される。
- ^ この時は、番組の演出上、シンガーソングライターの泰葉がピアノを弾きながら歌っている最中に切り替えられた。また、この変更の瞬間を収録したテープを送ってプレゼントを当てる懸賞キャンペーンも行われた。
- ^ 第1ラジオスタジオ内の吸音素材にはラジオスタジオでは日本初、特殊セラミックパネルを壁一面(副調整室のある壁面のみ張られていない)に張る工法を採用し、完成後は多くの放送、音響に関わる関係者が見学に訪れた。またこの頃は、セラミックパネルの効果を活かした生演奏企画が番組内で多く行われた。
- ^ スタジオには、東芝製カラーCCDカメラが三台導入される。音声はステレオ対応。このスタジオ運用開始に伴い、ローカル番組「土曜はヨイショ!!」がステレオ放送になる。
- ^ ローカル番組でも、「土曜はヨイショ!!」等のテレビスタジオの番組にて同放送が行われた。
- ^ 当時の同番組の月曜日の深夜(正確に言えば火曜日の早朝)の担当パーソナリティーが、地元長岡市出身の演歌歌手である徳巻駒子が担当していたことが大きく影響したことによるもの[要出典]。
- ^ JNNでは、TBS、MBSに次いで3局目であった。
- ^ 導入された際の模様がKowaのウェブサイトに掲載されている。http://www.kowa.co.jp/bic/import/pdf/vol_07.pdf
- ^ 同放送が、後に開始される地上波デジタルテレビ放送におけるデータ放送に変わることによる処置である。
- ^ この日は新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
- ^ 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年3月23日付
- ^ スタジオカメラはテレビ放送開始以来東芝製であったが、ハイビジョン放送の開始に伴い初めてソニー製(品番:HDC-900)になる。
- ^ 原因は本社内に設置してある電源装置の点検の際、関連会社の作業員が誤った操作をしたために放送用電源が供給されなくなったことによるもの。
- ^ 報道取材に於けるハイビジョン取材の開始は、JNN系列では最も遅い方だった。
- ^ a b 局の経済的事情により4時を起点とする23時間放送となる。番組表では、午前3時から4時のフィラーの時間は「深夜音楽」という番組タイトルになっているが、毎日同じクラシック音楽(J.S.バッハ作曲 ブランデンブルク協奏曲第4~6番)と途中2回(同曲第5・6番の冒頭後直ぐ)IDが読まれるだけである。この処置に伴い、以前同時間帯でTBSラジオからネットしていた「JUNK ZERO」と「MIXUP」の2番組が打ち切りとなる。同日時点で信越放送(SBC)でも同じ処置が採られていた(SBCのそれはフィラー音楽がなく、停波を伴う休止枠だった)が、2009年秋よりネット受けを再開。現在は全国で唯一ネット受けをしていない。
- ^ 自前でのローカルテレビ中継でのハイビジョン化は、県内民放では最も遅かった。いずれも報道等の簡易中継用である。
- ^ 但し、スポーツ等の大規模な中継番組は、引き続き自前のSD画質の大型中継車を使って行っている。
- ^ CSのTBSニュースバードでも同試合を標準画質 (SD) で試合開始から終了まで放送。ハイビジョン生放送においては、TBSの協力があったものと思われる。
- ^ 「水戸黄門」等のSD再放送番組については、上下左右に黒帯が出る額縁放送となる
- ^ 但し、同番組はテレビ東京系列局及びBSジャパンでは、新潟競馬場からの中継でもハイビジョンとなっている。これは、テレビ東京で独自にハイビジョン中継車及び東京への上りハイビジョン・デジタル回線を手配しており、更に同番組の調整・送出はテレビ東京のスタジオで行っているためである。尚、テレビ東京からBSNまでのネット回線はこの時点ではSDアナログ回線しかないため、BSNでのこの時点での同番組の放送はハイビジョンではなくSDワイド放送となる。
- ^ 火災の翌々日、秋田放送からもお見舞いの社員二人が送信所を訪れトランク2つ分の各種電気工具コード等を持参し寄贈した。秋田放送技術部長の指示によるもので火災で何もかも亡くしたのだから工具なんかなくて困っているだろうと自社のストック品を提供してくれたため何もなくて困っていた技術系社員は感激したという。
- ^ 新潟本局からのみ放送(他の親局では放送しない)。
- ^ 2012年4月に政令指定都市に移行予定の熊本市を放送域に含む熊本放送も含む。
- ^ 東京ではHD放送だが、回線設備の都合で新潟ではSD放送となる。
- ^ 3番目はテレビ新潟放送網、4番目は新潟テレビ21である。
- ^ 1978年3月まで。その後は、新潟総合テレビ(1979年8月-1981年3月。ただし、最初の2ヶ月間は遅れネット)⇒テレビ新潟(1981年4月-最終回)で同時ネット。
- ^ 日曜日、スポンサーのJRAの都合で1999年末まで放送していた。2000年にNSTへ移行。
- ^ 新潟総合テレビの競馬中継が7月の「FNSの日」や10月第2日曜の「F1日本グランプリ」等で放送休止された時に放送。
- ^ 1970年代半ばには既に設置されていた。同カメラは1985年に完成された現在の新潟県庁舎(新潟市中央区新光町)の工事状況の映像をこまめに保存しており、その模様は、2008年12月23日の「発見!発掘!新潟とテレビの50年」にて放送された。2005年10月には既にハイビジョン化されており、サイマル試験放送前のデジタルテレビ放送の試験電波でも、このカメラで撮った生の映像がハイビジョンで放送されていたことがある。
- ^ 「速報」を謳ってはいるが他局の交通情報に比べて速報性に優れているというわけではない。
- ^ 「独占!ごきげんアワー」では交通速報が3回放送されるが、パーソナリティがセンターと直接掛け合う時間は9時29分のみで、10時29分、11時29分はスポット枠を使用している。
- ^ 実際に2009年4月1日、午前11時29分の速報でセンターが応答せず、約15秒間無音声になる事故が発生した。
- ^ アナログ放送親局が「5」のTBS系列局は、新潟放送を含めて4局あるが、リモコンキーIDでも「5」を使用している放送局は、CBC(中部日本放送)のみで、NBC(長崎放送)とOBS(大分放送)はより小さい番号を希望したため「3」となった。