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徳島市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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とくしまし ウィキデータを編集
徳島市
左上:阿波踊り
右上:徳島駅
中左:眉山
中右:末広大橋
下左:吉野川
下右:大神子海岸
徳島市旗
徳島市章
1909年10月9日制定
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 徳島県
市町村コード 36201-8
法人番号 6000020362018 ウィキデータを編集
面積 191.52km2
総人口 245,967[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 1,284人/km2
隣接自治体 小松島市
板野郡松茂町北島町藍住町
名西郡石井町神山町
名東郡佐那河内村
勝浦郡勝浦町
市の木 ホルトノキ
市の花 サクラ
市長 原秀樹
徳島市役所
市長 遠藤彰良
所在地 770-8571
徳島県徳島市幸町二丁目5番地
外部リンク 徳島市

徳島市位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

徳島市(とくしまし)は、日本四国北東部に位置する都市で、徳島県県庁所在地である。旧名東郡[1]。キャッチフレーズは「心おどる水都・とくしま」。

概要

徳島市は江戸時代徳島藩城下町として栄え、幕末には産業の進展で国内で人口が上位10位に入る城下町となった。徳島県の政治・経済・文化の中心都市であり、四国地方でも最大規模の都市の一つである。

古来より近畿地方との繋がりが強く、現在でも神戸淡路鳴門自動車道関西地方テレビラジオを通じて人的・物的・経済的な交流が盛んである。地理的には「四国三郎」と呼ばれる吉野川河口に位置し、紀淡海峡に面している。

毎年8月のお盆期間に開催される当市の阿波おどりは日本の著名な伝統芸能の一つであり、阿波踊り期間中の4日間に日本国内外から約130万人の観光客が訪れる[2]

地理

沿岸側から見た徳島市街

吉野川河口に位置し、その三角州上に発達した都市である。当市内には138の川が流れる。当市の大半は徳島平野に位置し平坦であるが、ほぼ中央には当市のシンボルである眉山がそびえ、風光明媚な景観を創り出している。南部は山林が広がる山間部となっている。

広袤(こうぼう)

北端
北緯34度7分50秒 東経134度34分37秒 / 北緯34.13056度 東経134.57694度 / 34.13056; 134.57694 (徳島市最北端)
西端
北緯34度2分54秒 東経134度25分21秒 / 北緯34.04833度 東経134.42250度 / 34.04833; 134.42250 (徳島市最西端)
中心点
北緯34度2分34.5秒 東経134度31分38秒 / 北緯34.042917度 東経134.52722度 / 34.042917; 134.52722 (徳島市中心点)
東端
北緯34度2分18秒 東経134度37分55秒 / 北緯34.03833度 東経134.63194度 / 34.03833; 134.63194 (徳島市最東端)

南端
北緯33度57分19秒 東経134度32分9秒 / 北緯33.95528度 東経134.53583度 / 33.95528; 134.53583 (徳島市最南端)

主な山

眉山ロープウェイから眺める徳島市街
新町川(手前)と助任川の合流点。写真中央の建物は徳島県庁舎
標高 備考
眉山 277m 映画「眉山-びざん-」の舞台
城山 062m 徳島城
中津峰山 773m 当市内でもっとも高い
西竜王山 495m 山内には徳島県立神山森林公園がある
東竜王山 408m 西竜王山の東部に位置している
弁天山 6.1m 自然の山としては日本一低い
平石山 648m 当市と勝浦郡勝浦町の境界に位置する山
古田山 660m 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山
負出山 346m 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山
日峰山 191m 当市と小松島市の境界に位置する山
津田山 077m 阿波狸合戦ゆかりの地
気延山 212m 源義経ゆかりの地
辰ヶ山 197m 名東郡国府町名西郡入田村の境界に位置する山
向寺山 190m 山内には徳島県立文化の森総合公園がある

主な川

水系 本川 支流
吉野川 鮎喰川 飯尾川西大堀川金治谷川
新町川 助任川田宮川佐古川沖洲川大岡川興源寺川住吉島川
園瀬川 御座船入江川冷田川大松川新川多々羅川千切山川星河内谷川長谷川
今切川 榎瀬江湖川宮島江湖川
正法寺川
勝浦川 八多川 仕出川金谷川
打樋川
廃河川 寺島川

その他

気候

徳島市
雨温図説明
123456789101112
 
 
39
 
10
3
 
 
53
 
11
3
 
 
95
 
14
6
 
 
108
 
19
11
 
 
148
 
24
15
 
 
191
 
27
20
 
 
149
 
30
24
 
 
173
 
32
25
 
 
210
 
28
21
 
 
146
 
23
15
 
 
97
 
18
10
 
 
45
 
13
5
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁
インペリアル換算
123456789101112
 
 
1.5
 
50
37
 
 
2.1
 
51
37
 
 
3.7
 
57
42
 
 
4.3
 
67
51
 
 
5.8
 
74
59
 
 
7.5
 
80
67
 
 
5.9
 
87
74
 
 
6.8
 
89
76
 
 
8.3
 
83
71
 
 
5.8
 
73
60
 
 
3.8
 
64
50
 
 
1.8
 
55
41
気温(°F
総降水量(in)

市街地は瀬戸内海式気候と南海型太平洋側気候のちょうど境目に位置している。南海上の湿った気流による影響が大きい点から、南海型太平洋側気候に分類されることがある。ただ降水日数や年降水量の観点から見ると、瀬戸内海式気候が明瞭である。

渇水、空梅雨の年、台風襲来のない年は、瀬戸内側の他の地域と同様に降水量がかなり少なくなり、年降水量は1000mm前後になる。また夏から秋に梅雨台風秋雨などで雨量が集中すると、南海型太平洋側気候を示す地域と殆ど変わらない2000mm以上の年降水量になる。

典型的な海洋性気候で年間を通じて温暖であり、冬日(日最低気温0℃未満の日)はごく稀で、冬季の最低気温の平均は四国四県の県庁所在地中で一番高い。

また日照時間は全国的に見て長く、県庁所在地47地点中6位である。

年平年値(1981年 - 2010年平均)は、気温:16.6℃、降水量:1,453.8mm(最多雨月9月:210.0mm、最少雨月1月:38.9mm)、日照時間:2,092.9時間、1mm以上の降水日数:97.5日/年である[3]

徳島市(1980年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 22.5
(72.5)
23.2
(73.8)
26.4
(79.5)
29.2
(84.6)
32.9
(91.2)
34.6
(94.3)
38.4
(101.1)
37.1
(98.8)
35.7
(96.3)
33.4
(92.1)
27.1
(80.8)
23.6
(74.5)
38.4
(101.1)
平均最高気温 °C°F 9.8
(49.6)
10.5
(50.9)
13.8
(56.8)
19.4
(66.9)
23.6
(74.5)
26.6
(79.9)
30.3
(86.5)
31.9
(89.4)
28.3
(82.9)
22.8
(73)
17.5
(63.5)
12.5
(54.5)
20.6
(69.1)
平均最低気温 °C°F 2.7
(36.9)
2.8
(37)
5.6
(42.1)
10.5
(50.9)
15.2
(59.4)
19.6
(67.3)
23.6
(74.5)
24.6
(76.3)
21.4
(70.5)
15.4
(59.7)
9.8
(49.6)
4.9
(40.8)
13.0
(55.4)
最低気温記録 °C°F −5.4
(22.3)
−6.0
(21.2)
−3.6
(25.5)
−0.7
(30.7)
4.6
(40.3)
9.7
(49.5)
15.3
(59.5)
16.6
(61.9)
11.9
(53.4)
4.5
(40.1)
−1.3
(29.7)
−4.3
(24.3)
−6.0
(21.2)
降水量 mm (inch) 38.9
(1.531)
52.8
(2.079)
94.5
(3.72)
108.2
(4.26)
148.4
(5.843)
190.8
(7.512)
148.8
(5.858)
172.9
(6.807)
210.0
(8.268)
146.2
(5.756)
97.2
(3.827)
45.2
(1.78)
1,453.8
(57.236)
平均月間日照時間 157.5 150.2 171.2 192.9 196.8 157.9 195.2 230.4 159.9 166.7 150.8 163.3 2,092.9
出典1:気象庁 [4]
出典2:気象庁 [5]

人口

徳島市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 223,451人
1975年(昭和50年) 239,281人
1980年(昭和55年) 249,343人
1985年(昭和60年) 257,884人
1990年(平成2年) 263,356人
1995年(平成7年) 268,706人
2000年(平成12年) 268,218人
2005年(平成17年) 267,833人
2010年(平成22年) 264,548人
2015年(平成27年) 258,554人
2020年(令和2年) 252,391人
総務省統計局 国勢調査より


人口は約26万人と、四国の県庁所在地の中では最も少ないが、徳島都市圏の人口は約62万人(四国第3位)となっており、松山都市圏とほぼ同規模である。[6]

歴史

江戸時代まで

明治維新から第二次世界大戦まで

徳島市章
1909年10月29日制定

第二次世界大戦後(昭和後期)

平成以後

  • 1989年(平成元年)
    • 08月 - 新町川水際公園が完成。
    • 09月 - 徳島中央公園に鷲の門再建。
    • 10月 - 市制施行100周年記念式典開催。
  • 1990年(平成02年)11月 - 文化の森総合公園が開園。
  • 1991年(平成03年)
    • 04月 - 西部環境事業所が本格稼働。
    • 10月 - 中国丹東市と友好都市締結。
  • 1992年(平成04年)10月 - 徳島城博物館が開館。
  • 1993年(平成05年)
    • 09月〜10月 - 東四国国体開催。
    • 11月 - 全国身体障害者スポーツ大会開催。
  • 1994年(平成06年)03月 - 阿波史跡公園(古代の邑)が完成。
  • 1998年(平成10年)
    • 04月 - とくしま動物園が開園。
    • 11月 - 考古資料館が開館。
  • 1999年(平成11年)
    • 01月06日 - 徳島市選挙管理委員会が「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う住民投票条例」制定を求める直接請求の有効署名数を確定[11]
    • 02月08日 - 徳島市議会、本会議で「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う住民投票条例案」否決[12]
    • 04月 - 北部下水処理場で汚水処理開始。
    • 08月 - 阿波おどり会館が開館。
    • 12月 - 吉野川可動堰建設計画の賛否を問う徳島市住民投票条例[13]が可決。
  • 2000年(平成12年)01月23日 - 吉野川可動堰建設計画の賛否を問うための住民投票を実施し、反対多数となる。詳しくは、吉野川第十堰を参照[14]
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)
    • 04月 - 天狗久資料館が開館。とくしま植物園が開園。
    • 07月 - ポイ捨て及び犬のふん害の防止に関する条例を施行。
    • 08月 - 住民基本台帳ネットワークシステムが稼働。
  • 2004年(平成16年)
    • 01月 - 徳島市民活力開発センターオープン。
    • 03月 - 太陽光発電システムを導入。
    • 07月 - 阿波踊り有料演舞場に2部入れ替え指定席制を導入。
    • 10月20日 - 台風23号の大雨で市内の園瀬川が氾濫し、死者2名[15]のほか、上八万町を中心に約530世帯が床上浸水。
    • 11月 - 市役所本庁舎がISO14001の認証を取得。
  • 2006年(平成18年) - 徳島を題材とした『バルトの楽園』(松平健主演)『眉山』(作者さだまさし)が映画化され、市内各地で関連イベントが実施される。

行政

徳島市役所

市長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
01 井上高格 1889年明治22年)11月11日 1890年(明治23年)06月03日  
02 坂部広織 1890年(明治23年)06月17日 1896年(明治29年)06月12日  
03 保富正三 1896年(明治29年)06月29日 1897年(明治30年)11月02日  
04 高井幸雄 1898年(明治31年)01月31日 1902年(明治35年)10月27日  
05 桑村猪平 1902年(明治35年)12月01日 1906年(明治39年)08月31日  
06-09 一坂俊太郎 1907年(明治40年)04月13日 1922年大正11年)02月03日  
10 武市影一 1922年(大正11年)04月18日 1925年(大正14年)11月14日  
11 矢野猪之八 1926年(大正15年)06月09日 1927年昭和02年)05月05日  
12 橋本菊太郎 1927年(昭和02年)05月19日 1931年(昭和06年)05月18日  
13 坂本政五郎 1931年(昭和06年)06月05日 1933年(昭和08年)09月06日  
14 藤岡直平衛 1933年(昭和08年)09月07日 1937年(昭和12年)09月06日  
15 工藤隆治 1937年(昭和12年)12月06日 1941年(昭和16年)12月01日  
16 森六郎 1942年(昭和17年)03月27日 1945年(昭和20年)04月15日  
17 吉積文平 1945年(昭和20年)05月08日 1946年(昭和21年)11月14日  
18 妹尾芳太郎 1947年(昭和22年)04月07日 1948年(昭和23年)07月01日  
19 原菊太郎 1948年(昭和23年)08月27日 1951年(昭和26年)03月30日  
20-21 長尾新九郎 1951年(昭和26年)04月24日 1959年(昭和34年)05月01日  
22-23 豊田幸太郎 1959年(昭和34年)05月02日 1967年(昭和42年)05月01日  
24-25 武市一夫 1967年(昭和42年)05月02日 1973年(昭和48年)01月31日  
26-28 山本潤造 1973年(昭和48年)03月04日 1985年(昭和60年)03月03日  
29-30 三木俊治 1985年(昭和60年)03月04日 1993年平成05年)03月03日  
31-33 小池正勝 1993年(平成05年)03月04日 2004年(平成16年)03月05日  
34-35 原秀樹 2004年(平成16年)04月19日 現職(2期目)  

議会

市議会

定数は34人。

会派の構成

会派名 議席数
市政同志会 9
朋友会 7
公明党徳島市議団 5
日本共産党徳島市議 5
創政会 3
民主市民クラブ 2
みんなの党 2
無所属 1

合併構想

当市は、四国の県庁所在地の中では唯一平成の大合併を行っていないが、徳島県などが合併構想を持っており、徳島県市町村合併推進審議会の答申[16]では当市を含む合併構想について2つの案を示している。

1つ目の枠組み案は小松島市勝浦町上勝町佐那河内村石井町神山町および板野郡の各町を含むもので、この枠組みでの人口は約45万人(四国第2位)となる。もう1つの枠組み案は、1つ目の枠組み案から板野郡を除いたもので、この枠組みでの人口は約35万人(四国第3位)となる。

また当市は「第4次徳島市総合計画[17]」などで合併に前向きな姿勢を示しており、40万人規模の中核市とすることを目標[18]にしている。しかし、周辺市町村の足並みが揃っていない[19]など合併には数多くの課題を抱えているため、当市は周辺市町村に呼び掛けて「徳島東部地域市長村長懇話会[20]」を設け、共通の行政課題や地域のあり方ついて話し合うことで将来的な合併に向けての足がかりを得ようとしている。

2010年(平成22年)、東部地域市町村町懇話会に参加する全市町村が参加した定住自立圏を形成し、当市が近く中心市宣言を行うことを発表した。

姉妹都市・提携都市

日本国内

日本国外

経済

産業

江戸時代より徳島県の経済の中心であり、四国でも県庁所在地高松市松山市高知市と並び重要な位置を占めている。江戸時代から明治時代までは、の集散地として大いに栄え、全国でも有数の商都であった。

大正以後は、藍産業の衰退にともなって一時停滞を余儀なくされたが、藍商人が長年蓄積した富を資本にした金融機関の設立や、紡績製紙電力などの近代産業の発展が見られ、現在の経済の基盤が築かれた。

戦後は新産業都市の指定を受け、化学工業を中心に工場の誘致が進んだ。1998年(平成10年)の明石海峡大橋開通前後には、流通産業や、関西系企業を中心とした製造業の立地が進んだ。

年間商品販売額は、四国の市町村中で高松、松山、高知市に次いで第4位であり、年間製造品出荷額は第6位(県庁所在地中では第1位)である(2007年)。

商業

当市の年間商業販売額は約1兆円(9979億円・2007年)であり、徳島県全体の6割強を占める。この額は、鳴門市発祥で川内地区に主要生産、研究拠点を持つ大塚ホールディングスの年間売上高(9560億円・2009年3月期)とほぼ同額である。

年間商品販売額のうち、卸売販売額は約7000億円、小売販売額は約3000億円である。いずれも減少傾向にある。卸売業は県内向けの商品が主に取り扱われているが、本州から四国各地への商品の流通も明石海峡大橋の開通後増加している。

小売業は、徳島駅前に百貨店などの大型商業施設、郊外にロードサイド型の店舗が数多く立地し、徳島県内全域から集客がある。しかし、近年では近郊の板野郡北島町藍住町などに大型商業施設が次々と進出したため、市外からの集客力は低下傾向にあり、当市民も市外で買い物することが増えている。さらに明石海峡大橋(1998年)、高松自動車道(2003年)の開通により、関西や香川県への消費流出も指摘されている[21]

金融

徳島県に本社を持つ金融機関の多くが当市に本店を持っており、大手・地方銀行、証券会社、保険会社などの支店も集中している。

当市に初めてできた銀行は、地元商人の久次米兵次郎1880年(明治13年)に設立した久次米銀行であり、全国第6番目の銀行であった。

市内に本店を置く金融機関 

市内に支店を置く金融機関

政府系金融機関
メガバンク都市銀行)・信託銀行
(第一)地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行は全て支店を持つ。
  • 四国銀行(高知市) - 大正時代に、当市にあった旧関西銀行(現在の関西アーバン銀行とは無関係)を合併した流れがあるため、支店ではなく「徳島営業部」と呼称するほか、徳島市内に他に8支店を持つ。
  • 百十四銀行(高松市)
  • 伊予銀行(松山市)
第二地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行は全て支店を持つ。
労働金庫
信用金庫
徳島信用金庫以外に支店を持つものはない。
信用組合
徳島県内、および徳島市内に本店・支店を有する信用組合は存在しない。

市内に本社を置く主要企業

製造業
情報・通信業
交通・運輸業
サービス業

事業所等を置く主要企業

百貨店

大型商業施設

市街地では、全てJR徳島駅前に集まっている。かつては東新町商店街にダイエー徳島店があったが、2004年(平成16年)に撤退した。万代町にサティがあったが、2008年(平成20年)に撤退した。

末広町にジャスコがあったが、2009年(平成21年)に撤退した。そのため、現在当市内に大手の大型スーパーは皆無となっている。

また、当市内に店舗面積が30,000m2を超える大型ショッピングセンターは立地していない。大型店は当市と鳴門市の中間にあり、用地取得の容易な吉野川北岸の北島町、藍住町などへの出店が増加しており、当市の小売業を衰退させる一要因となっている。

スーパーマーケット

地元資本の勢力が強く、複数の地場スーパーがチェーン展開を行っている。かつてはダイエー、ジャスコ、サティもあったが相次いで撤退した。店舗数は増加しており、市街地や郊外を問わず市内一円に立地している。

競争が激化しているため、徳島県産の生鮮食料品の販売に力を入れたり24時間営業を行うなど、各店がさまざまなサービスを展開している。

商店街

徳島市の定義では、中心市街地は内町地区新町地区から構成されており、主に次の商店街がある。かつては百貨店や大型スーパー、映画館劇場が集まり、徳島県下はもとより四国でも最大の繁華街を形成し、最先端の流行文化を得られる場所として賑わった。

しかし昭和50年代以降、モータリーゼーションの進展にともない郊外の大型店に客を奪われはじめ、さらに1983年(昭和58年)にそごうの入ったアミコビルが、1993年(平成5年)にクレメントプラザが徳島駅前に開業したことからさらに衰退し、大型商業施設や映画館は全て姿を消し、通行量も昭和40年代の5%ほどにまで減少している。

徳島市は藩政時代から商業都市として栄え、全国の10大都市として古くから市街地の規模も大きかった。中心市街地周辺にも、藩政時代からの歴史を持つ中小商店街がいくつも存在している。また、戦後開発された郊外型の商店街もある。

中心市街地の商店街
その他の商店街

映画館

かつては新町地区を中心として30軒を超す映画館があり、県内一円からの集客を誇った。

しかし、2001年(平成13年)に隣接する北島町フジグラン北島シネマコンプレックスシネマサンシャイン北島がオープンすると次々と閉館し、2006年(平成18年)に幸町徳島ホールでの封切映画の上映を打ち切ったのを最後に、市内の映画館は全滅することとなった。

県庁所在地であるのもかかわらず、映画館が全くないという状況は、市民の間でも問題となり、前回2008年の徳島市長選挙では、原秀樹市長(現職)が、映画館の復活を公約に掲げほどであった。

その後、徳島市はアニメーション制作会社「ユーフォーテーブル」に依頼して、アニメ映画を中心とした映画館を東新町商店街に開館することを決め、2012年春にufotable CINEMAが完成した。

その他

コンビニエンスストア

徳島駅前や市街地の主要道路沿い、郊外に多く立地している。店舗数は増加を続けており競争が激化している。差別化や新たな顧客獲得のため、野菜などの生鮮食料品を売る店や高齢者向けの小売品を販売する店が増えている。

徳島ラーメンの主な店舗

全国的に有名になった「徳島ラーメン」を中心に、さまざまなタイプのラーメン(中華そば・支那そば)店がある。

医療・福祉

当市は医師歯科医師薬剤師看護師などの医療従事者が非常に多いことで知られており、人口当たりの病院・診療所数は全国の市町村中4位、医師数は同19位となっている[22]

徳島県全体で医療従事者数は全国的に非常に多くなっているが、とりわけ当市に数が集中し、医師数で3分の2、医療施設で約6割を占めており、全国でも最高クラスの医療激戦区となっている[23]

市内に医療従事者が多い理由としては、徳島大学の存在が言われている[24]。同大学は医学部歯学部薬学部が揃う四国で唯一の大学であり、長年にわたり多くの医療従事者を輩出している。

特に医学部は戦前の設立であり、1973年に愛媛大学に設置されるまで四国で唯一の医学部だった。歯学部、薬学部は現在でも四国の国立大学では徳島大学にしかない。

医療施設、従事者の集中とともに、製薬などの医療関連産業も発達しており、市内には大塚製薬といった大手製薬メーカーの工場や研究所が立地しているほか、関連地場産業の発展もみられる。徳島大学との産学連携事業が盛んである[25]

主な公共医療施設

教育

鳴門教育大学徳島工業短期大学を除き、徳島県内の大学は全て本市に立地している。また、県内の高校のうち、2011年度現在で存続している私立高校は全て本市に集中している。

本市に大学が設置されたのは戦後に入ってからだが、戦前には徳島医学専門学校などの国立専門学校が集中して開校し、四国の高等教育の中枢を担った。現在でも、四国で医歯薬学部の揃った大学は徳島大学のみであり、また、同大工学部の学生数は中四国の大学で最多である。

1875年明治8年)には、福澤諭吉の方針によって慶応義塾の支塾も開設された。同塾が支塾を開校したのは、全国で大阪、京都、徳島の3都市だけである。

大学・短期大学

徳島大学
徳島文理大学
四国大学

高等学校

市立・県立
私立

中学校

小学校

太字の学校には制服がある。

保育所

  • 徳島市立富田保育所
  • 徳島市立内町保育所
  • 徳島市立渭東保育所
  • 徳島市立西富田保育所
  • 徳島市立津田保育所
  • 徳島市立加茂保育所
  • 徳島市立南井上保育所
  • 徳島市立渭北保育所
  • 徳島市立八万東保育所
  • 徳島市立国府保育所
  • 徳島市立北井上保育所
  • 徳島市立佐古保育所
  • 徳島市立論田保育所
  • 徳島市立加茂名保育所
  • 徳島市立昭和保育所
  • 徳島市立八万保育所
  • 徳島市立沖洲保育所
  • 徳島市立川内保育所
  • 徳島市立大松保育所
  • 徳島市立名東保育所
  • 徳島市立方上保育所
  • 徳島市立一宮保育所
  • 徳島市立不動保育所
  • 徳島市立北島田保育所
  • 徳島市立応神保育所
  • 徳島市立芝原保育所
  • 徳島市立明善保育所
  • 徳島市立新浜保育所
  • 徳島市立八多保育所
  • 徳島市立多家良保育所
  • 徳島市立渋野保育所
  • 徳島市立丈六保育所
  • 徳島市立飯谷保育所
  • 徳島市立新浜西保育所
  • 私立梅の花保育所
  • 私立阿波国慈恵院保育所
  • 私立出来島保育所
  • 私立前川乳児保育所
  • 私立南佐古保育所
  • 私立さくら保育所
  • 私立西富田乳児保育所
  • 私立若松保育所
  • 私立みずほ保育所
  • 私立青葉保育所
  • 私立もとしろ保育所
  • 私立島田保育所
  • 私立ひまわり保育所
  • 私立くるみ保育所
  • 私立なかよし保育所
  • 私立川内南アコール
  • 私立すぎのこ保育所
  • 私立わかば保育所
  • 私立城南保育所
  • 私立ナーサリー富田幼児園
  • 私立大原保育所
  • 私立あゆみ保育所
  • 私立助任保育所
  • 私立みのり保育所
  • 私立みどり保育所
  • 私立光花保育所
  • 私立春日保育所
  • 私立育英保育所
  • 私立おおぎ保育所
  • 私立青嵐保育園
  • 私立川内わかば保育所
  • 私立四国大学附属保育所
  • 私立めだか保育所

幼稚園

専門学校

特殊学校

児童養護施設

廃校

交通

市内に河川がきわめて多く、橋の建設に多額の費用と高い技術が必要となるため、道路、鉄道整備は遅れた。徳島市は、四国の県都の中で唯一私鉄が走っておらず、また、慢性的な渋滞が生じている。

私鉄が走っていない分、市内の公共交通はJR線や路線バスに頼る面が大きく、JR徳島駅の乗降客数はJR四国の駅の中で第2位となっている。

関西方面への公共交通機関は高速バスが担っている。かつては高速船や航空機も多数発着していたが、明石海峡大橋開通後に全廃された。

JR線は、徳島駅を起点として高徳線徳島線牟岐線鳴門線の列車が発着し、通勤、通学を主体とした輸送が行われている。都市間連絡は高徳線に特急うずしおが高松駅(一部岡山駅)へ走り、香川、中国地方への連絡が図られ、また徳島線には特急剣山が阿波池田駅へ走り、高知方面への連絡が図られている。

関西・関東方面、ならびに松山方面には、所要時間、料金面からも高速バスが圧倒的に有利である。なお、市内に電化されている鉄道区間はない。

高速道路は、吉野川北岸を徳島自動車道が通っている。現在、徳島IC〜鳴門IC間の工事が進行しており、2015年に開通予定である。この開通により、関西、中部、関東から愛媛、高知方面へ向かう自動車、高速バスはほぼ全て徳島市を経由するようになる。

航空機は、隣の松茂町に徳島飛行場があり、東京、福岡便が発着している。 徳島市は、日本初の定期航空路線が開設された都市である。

カーフェリーについては、かつては阪神方面に多数航路が存在したが、現在は徳島港から和歌山港を結ぶ南海フェリーのみである。また、東京・北九州へオーシャン東九フェリ-が運航されており、これは四国と関東を結ぶ四国唯一のフェリー航路となっている。

市内交通は、マイカーと自転車に頼るところが大きい。とくに自転車は、雪が降らず、晴れの日が多いことや、坂道が少ないこと、公共交通機関が不便なことから、通勤通学や日常生活の足として欠かせないものとなっており、全国に先駆けて、昭和40年ごろには歩道に自転車専用レーンが整備[26]され、徳島市の交通機関に占める自転車の分担率は、全国の都道府県庁所在地で最高[27]となっている。道路については道路整備の遅れから朝夕の渋滞が慢性化しており、現在徳島環状道路の整備が進んでいる。

鉄道

徳島駅前

当市内をはじめ、徳島県内全線全区間が非電化であり、電車はまったく走っていない。

関西東京方面への移動は、瀬戸大橋を経由しなければならない鉄道よりも、明石海峡大橋を通る高速バスのほうが圧倒的に速く、料金も安いため、四国の他県都と違って同方面への需要はほぼ皆無である。

また、高知市松山市への移動も鉄道より高速バスを利用する人が多いため、中・長距離移動で鉄道を利用する人はかなり少ない。これが当市の鉄道路線が電化されない理由の一つになっている。ただし、通勤・通学などの近距離輸送の需要は比較的高く、徳島駅の乗降客数は高松駅に次いで四国第2位になっている。

これは、市内の朝夕の道路渋滞が激しいことや、徳島駅前にそごうなどの大型商業施設が集中し、当市最大の繁華街が形成されていること、路線バス・高速バスがほぼ全て徳島駅を起点としており、鉄道との接続がスムーズであることなどが理由として挙げられる。しかし、少子化による通学需要の減少や、中心市街地の衰退に伴い、利用者は減少傾向にある。

バス

路線バス

市内に私鉄や地下鉄が通っていないため、市街地内や市街地と郊外を結ぶ公共交通機関として重要な役割を果たしており、通勤通学や高齢者の買い物や通院の足となっている。ほぼすべての路線がJR徳島駅前を発着点にしており、JRや他のバス路線への乗り継ぎが分かりやすくなっている。

5分以内の間隔で運行されている区間が存在するなど、私鉄がない分多くのバスが運行されているものの、最終便が早く、大半の路線で21時台となっている。

全国の地方都市の路線バスと同じく利用者の減少に悩まされており、均一運賃の導入による料金体系の見直しや循環バスの運行、運転士のサービス改善といった対策が行われている。

2010年9月26日と10月31日の2日間、徳島市の「まちにいこうよ」事業の一環として、市内を発着する全ての路線バスの運賃を一律100円にする社会実験が行われた。

期間中、利用者が大幅に増加し好評だったことから、2011年3月までの間、各月の最終日曜日に継続して実施されることになった。実施日に合わせて、中心市街地でさまざまなイベントが開催されることになっている。

徳島市内を発着する路線バス企業

高速バス

全て当市内発着、または徳島市内のバスストップに停車する高速バス路線。大半はJR徳島駅発着である。関西方面へは、料金、時間ともに鉄道に対して圧倒的な優位性を持っており、同方面へ1日100往復を超える高速バスが運行されている。

しかし、高速道路料金の値下げによりマイカー利用者が増加したため、利用者は減少している。また、高速バスより価格が安く、目的地で終日自由行動できるツアーバスも運行されはじめ、手ごわいライバルになっている。とくに東京方面では片道5000〜6000円の格安ツアーバスがほぼ毎日運行されており、高速バスのみならず徳島空港発着の航空機の需要も奪いつつある。

徳島バス
ジェイアール四国バス
徳島バス・ジェイアール四国バス共同運行
その他の路線

高速バスストップ

  • 徳島大学前バスストップ(神戸線、阿南発着便、高松便のみ停車)
  • 徳島駅バスストップ(阿南発着便・ドリーム高知号は経由しない)
  • 工業団地前バスストップ(大阪線の数便、高松線のみ停車)
  • 徳島マリンピア(JRバス徳島大阪線・徳島神戸線の一部のみ発着)
  • 徳島文理大西口バスストップ(阿南発着便のみ停車)
  • 鈴江バスストップ(高知線・松山線のみ停車)
  • 加茂名バスストップ(東京線吉野川市発着便・大阪線石井発着便のみ停車)

道路

当市の主要幹線道路は、徳島本町交差点を中心として東西南北方向に走っているのが特徴で、吉野川、鮎喰川、勝浦川など多くの河川や眉山といった自然の障壁に阻まれて、徳島市を通過する自動車のほとんどが中心部に集中するようになっている。

交通量の増加に伴う道路整備は、自然の障壁の多さや用地買収の難航のため遅れており、朝夕の通勤時間帯には市街地やその周辺、吉野川にかかる橋付近で激しい渋滞が発生している。

高速道路

四国横断自動車道(鳴門 - 阿南)開通後は当市東沖洲付近に徳島東インターチェンジを設置予定。

一般国道

国道11号
当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から北へと延びる道路である。国道55号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は全線6車線で整備も行き届いているが、交通量の多さから川内町吉野川大橋徳島本町、県庁前などでは頻繁に渋滞が発生する。吉野川大橋付近の1日の平均交通量は80,000台を超え、徳島県内だけでなく四国で1位である[28][29]。朝のラッシュ時には徳島本町交差点を先頭に、吉野川大橋を越えて川内町付近まで3km近く渋滞する事もある。
国道28号
当市から板野郡松茂町までは、国道11号と重複区間となっている。
国道55号
当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から南へと延びる道路である。国道11号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内はかちどき橋交差点から大野橋交差点までが6車線、大野橋交差点以南が4車線で、こちらも国道11号同様、頻繁に渋滞が発生する。主な渋滞発生場所は勝浦川橋、大野橋、南昭和町、県庁前など。沿線には国道55号を中心に大学や商業施設等の立地している沖浜地区があり、沖浜以南では農耕地の広がる地域を走る。
国道192号
当市徳島本町二丁目の徳島本町交差点から西へと延びる道路である。当市の中心部を通って、市内を東西に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は徳島本町交差点から上鮎喰橋までが4車線〜6車線、上鮎喰橋以西が2車線で、国府町蔵本町、佐古、八百屋町、徳島本町などで頻繁に渋滞が発生する。特に、朝の蔵本公園前から中心部への渋滞は激しい。こうした渋滞を緩和する為に、現在国府町から上八万町、八万町を通って国道55号に抜けるバイパス(徳島南環状道路)が建設中である。
国道195号
当市から阿南市までは、国道55号と重複区間となっている。
国道318号
当市から吉野川市までは、国道192号と重複区間となっている。
国道438号
当市中心部から八万町上八万町を通って名東郡佐那河内村へと続く道路である。八万町までは電線も地中化されている。市内の道は元町交差点から南二軒屋交差点までが4車線〜6車線、南二軒屋交差点以南が2車線〜1、5車線で、大木、園瀬橋、南二軒屋、大工町などでしばしば渋滞が発生する。
国道439号
当市から三好市東祖谷菅生までは、国道438号と重複区間となっている。

主要県道

市内を走る主要県道

一般県道

市内を通る一般県道

船舶

航空

最寄りの空港は徳島空港松茂町)。

乗り入れている航空会社

マスメディア

徳島市に新聞が創刊したのは1876年(明治8年)であり、戦前には徳島毎日新聞(徳毎)と徳島日日新報の2社が徳島県域(一部香川県)をエリアとして新聞発行を行なっていた。この2社は激しい報道合戦や購読者獲得競争を繰り広げたが、1941年(昭和16年)に新聞統制に基づき統合され、徳島新聞となった。

ラジオ放送は、大正末期にNHK大阪放送局開局により聴取が可能となり、1933年(昭和8年)、高知に次いで四国2番目の放送局として日本放送協会関西支部徳島支所(NHK徳島放送局)が開局した。

同局は、阿波踊りや、「阿波よしこの」の名手お鯉さんの歌を放送し、これらの全国的な知名度の向上に貢献した。戦後、1952年(昭和27年)には、四国放送が、中四国初となる民間ラジオ放送を開始した。

テレビ放送は、1959年(昭和34年)にNHKと四国放送が開始した。徳島県内は、ほぼ全域で近畿広域圏が受信できたため、民間放送はその後開局しなかった。しかし、地上デジタル放送は、電波が遠くまで飛ばないため、近畿広域圏は市内のほとんどの家庭で受信できない。

そのため、ケーブルテレビに加入することで視聴するようになっている。なお、ワンセグ放送で受信できるのはNHK、四国放送の3チャンネルのみとなっている。

市内に所在

NHK徳島放送局
徳島新聞社(四国放送)本社
ケーブルテレビ徳島本社
新聞
テレビ局
ケーブルテレビ局
ラジオ局

エリア外受信が可能な局

テレビ局

市内の大半の地域では、スピルオーバーによる近畿広域圏のテレビ放送を直接受信することが可能である。

さらに、近畿広域圏内の県域局や岡山県・香川県の放送が受信可能な地域がある一方、地上波デジタルテレビ放送は、海岸の一部地域で不安定な受信ができるにとどまる。

ラジオ局

徳島県域局以外である程度鮮明な音質での聴取が可能なのは以下の局であるが、ラジオ関西のほか深夜帯には東海ラジオニッポン放送九州朝日放送などもノイズ混じりながら、聴取可能である。

文化・観光

徳島市の観光客入り込み客数は、229万5,000人[30]である。1998年の明石海峡大橋の開通や、徳島を舞台にした映画『眉山』や『バルトの楽園』の上演によって増加傾向にある。

市内の主要な観光地としては、市のシンボルである眉山徳島城跡、阿波踊り会館徳島県文化の森総合公園とくしま動物園阿波十郎兵衛屋敷がある。また、市内には四国八十八箇所の札所のうち、13番大日寺から17番井戸寺までがある。いずれも市の郊外に位置している。

徳島県立21世紀館・博物館・近代美術館
徳島県立図書館
徳島県立文書館
徳島城
一宮城
旧徳島城表御殿庭園
ケンチョピア
新町川水際公園

公共施設

名所・旧跡

社寺

祭事・イベント

食文化

徳島藩江戸時代中期より阿波和三盆糖の生産を開始し、薩摩鹿児島県)、讃岐香川県)と並ぶ砂糖の一大産地となった。

徳島市はその集散地として、全国でも最も早く、大量の砂糖を入手することができたため、阿波ういろなど、江戸時代から続く伝統菓子が存在する。また、古くから比較的安価に砂糖が得られたことから、庶民の間にも砂糖を使った料理や菓子が広がり、花嫁菓子といった風習も残っている。

銘菓
調味料
郷土料理、B級グルメ
酒造銘柄
  • 勢玉、御殿桜、蘭玉、旭牡丹、南国一

スポーツチーム

出身有名人

徳島市名誉市民

政治・経済

学界

芸術

芸能・マスコミ

スポーツ

脚注

  1. ^ 現在の市域には、かつて板野郡勝浦郡名西郡であった地域も含む
  2. ^ a b 文教大学国際学部紀要 第16巻1号(PDF)
  3. ^ 徳島県 徳島 平年値(年・月ごとの値)(気象統計情報) - 気象庁
  4. ^ 平年値(年・月ごとの値)1981-2010”. 2012年1月26日閲覧。
  5. ^ 観測史上1~10位の値1981-2010”. 2012年1月26日閲覧。
  6. ^ 10%都市雇用圏の人口。四国他県の県庁所在地においては、高松都市圏が約84万人、松山都市圏が約64万人、高知都市圏が約55万人となっている。
  7. ^ 四国では高知県高知市1889年4月1日に次ぎ2番目の市制施行。なお3番目は愛媛県松山市で同年12月15日。4番目は香川県高松市1890年2月15日
  8. ^ 1889年当時、世帯数14,607世帯、人口60,861人(男29,530人、女31,331人)。寄留簿人口による。
  9. ^ 1889年12月12日告示第1号により「来ル12月16日ヨリ徳島市大字徳島町物産蒐集場ニ於テ徳島市役所ヲ開ク」とされた。
  10. ^ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正元年)
  11. ^ 1998年12月23日から29日の署名簿縦覧を経て、第十堰住民投票の会が集めた有効署名数を、101,535筆(法定数の24.3倍、有権者の48.8%)に確定。
  12. ^ 賛成17名、反対22名(特別委員会での賛成4名、反対7名)。
  13. ^ 平成11年徳島市条例第30号。
  14. ^ 投票総数113,996票(当日有権者総数207,284人の54.995%、有効投票数112,116票 無効票1,863票(うち白紙1,135票))のうち、可動堰建設反対102,759票、賛成9,367票だった。なお、この投票は「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う徳島市住民投票条例(平成11年徳島市条例第30号)」第3条の規定により、「住民投票は,投票資格者の2分の1以上の者の投票により成立するものとする」とされ、投票率が50%に満たないときは開票そのものを行わないという異例なものであり、戦後の地方自治法のもとで行われた住民投票では初めてのことであった。その開票基準の適否を巡っても全国の新聞・放送局その他各界で激しく議論がなされた。
  15. ^ このほか徳島県内では、吉野川市で死者1名。
  16. ^ 自主的な合併の推進に関する構想(答申) - 徳島県市町村合併推進審議会(2007年7月)
  17. ^ 心おどる水都・とくしま 第4次徳島市総合計画 - 徳島市
  18. ^ 第4次徳島市総合計画 P.2
  19. ^ http://www.topics.or.jp/special/122545429353.html 徳島新聞 まちの行く末 とくしま合併検証 第4部]
  20. ^ 徳島東部地域市町村長懇話会 - 徳島市
  21. ^ 徳島大学 - 徳島県における小売業と購買行動の変化
  22. ^ 東洋経済 都市データパック2008年度版より
  23. ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
  24. ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
  25. ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
  26. ^ http://p-www.iwate-pu.ac.jp/~motoda/dobokukeikakuaki09motoda4.pdf#search='徳島市 自転車 依存'
  27. ^ http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/soukou/soukou-magazine/rennraku7.1.pdf#search='自転車 分担率 交通機関 徳島市'
  28. ^ 徳島市広域道整備課 - 徳島外環状道路(南環状道路)周辺対策事業
  29. ^ 次の資料では「7万4千台」とある。国土交通省四国地方整備局徳島河川国道事務所
  30. ^ 徳島市統計資料、平成19年度
  31. ^ 1975年以前は、むしろ現在の8月12日から15日には実施されない事が多く、8月初旬や8月下旬のほか、9月に実施されたこともあった。また、1934年や1935年は3日間の日程で実施された(出典:徳島市観光協会の1934年以降の告知ポスター)。なお、正式な期間と日程は「阿波おどり実行委員会」において毎年決定している。

関連項目

外部リンク

行政
観光