海陽町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
かいようちょう
海陽町
Kaiyo montage.JPG
1段目・2段目左:道の駅宍喰温泉
1段目右:海部川
2段目右:轟九十九滝
3段目:海部港
Flag of Kaiyo Tokushima.svg
海陽町旗
Kaiyo Tokushima chapter.JPG
海陽町章
 2006年3月31日制定
日本の旗 日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 徳島県
海部郡
団体コード 36388-0
面積 327.58 km²
総人口 9,512
推計人口、2014年10月1日)
人口密度 29人/km²
隣接自治体 海部郡牟岐町美波町
那賀郡那賀町
高知県安芸郡東洋町北川村馬路村
町の木
町の花 さつき
海陽町役場
所在地 775-0203
徳島県海部郡海陽町大里字上中須128
北緯33度36分7.3秒東経134度21分7.3秒
Kaiyo town-office.jpg
外部リンク 海陽町

海陽町位置図

― 市 / ― 町・村

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
海部川

海陽町(かいようちょう)は、徳島県2006年平成18年)3月31日海部郡海南町海部町宍喰町が合併して誕生した。

地理[編集]

自然[編集]

隣接している自治体[編集]

人口[編集]

Demography36388.svg
海陽町と全国の年齢別人口分布(2005年) 海陽町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 海陽町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
海陽町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 15,867人
1975年 14,909人
1980年 14,397人
1985年 13,915人
1990年 12,949人
1995年 12,399人
2000年 12,104人
2005年 11,507人
2010年 10,450人
総務省統計局 国勢調査より

歴史[編集]

古い時代には海運が盛んな地域だった。豊富な森林資源と強力な海運力が、古い時代のこの地域の繁栄をもたらした。近代以前の水運は、現代では忘れ去られつつあるものの一つである。川の水力によって木材を流し、風と海流と人力という、燃料なしの航海術(エコ技術)で遠距離移動をしていた。特産だった木材も刀剣も、近代以前は海運なしには成立しない。

古代[編集]

海部地区「芝遺跡」から出土した、3世紀の県外他地域産土器の数は県内最多。調査面積も少なく推測の域を出ないが、この3世紀の時期に徳島・高知ルートとして海上ルートが開発されたと考えられる。弥生時代終わり頃から古墳時代始め頃の土器は、徳島・香川・高知・岡山・関西[1]

古墳[編集]

大里古墳は県南最大の横穴式円墳。

土佐日記[編集]

935年「土佐日記」成立。これによって、紀貫之が阿波南部を船で帰京したことがわかる。寄港地には諸説ある。江戸期前半に土佐藩主参勤交代の港として使われ、江戸期を通じて藩の重要な港だった東洋町甲浦港が当てられることが多い。

瑩山紹瑾禅師と城満寺[編集]

1290年代、加賀大乗寺開基家富樫氏の縁族という海部の郡司によって、曹洞宗中興の祖と言われる瑩山紹瑾[2]が、吉田の城満寺に招かれた。

古銭[編集]

1300年代後半、7万88枚の古銭が大里に埋蔵された。

中世海部氏[編集]

史料に見える中世海部氏について。

  • 海部但馬守は1352(正平7)年に細川顕氏(あきうじ)によって、山城国久世荘の乱暴人を排除するよう命じられた。[3]
  • 1392年(明徳3年)、京都五山の一つ、相国寺の落慶供養に、管領細川頼元に随従して、月毛の馬に乗って海部三郎経清が出てくる[4]
  • 1420年(応永27年)、阿波守護細川義之の若党「カイフト云者」が登場する(「満済准后日記」)等々[5]

このように、中世海部氏は、文献上では、まず京都に登場して、その名を知られる。中世阿波と細川氏の関係は深い。

阿波最古の梵鐘[編集]

旧海南町若松の御崎神社(祭神・猿田彦命)に、県最古の鐘「永享の古鐘」が奉納されていた。銘文「阿州海部郡 細野村御崎 御宝前鐘也 永享四(1432)年11月吉日 願主 衛太夫」

中世海運[編集]

1445年東大寺伝来史料「兵庫北関入船納帳」によれば、海部船籍の船の兵庫への入港数は「四国一」、全体で見ても10位である[6]

兵庫北関入船納帳」というのは、東大寺の荘園であった兵庫北関(現神戸市兵庫区)において、文安2年(1445年)1年間にチェックされた入船の貨物状況を記録した帳簿である。林屋辰三郎が発見した。中世の関税台帳としては、同種史料がドイツハンザ同盟都市に1点残存しているのみという、極めて稀有の文献。記載内容は、入船月日・船籍所在地・貨物名。数量・関銭額・納入月日・船主名・問丸名。

千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」では、その貴重性のため「兵庫北関入船納帳」の複製が展示されている。

入港船数15隻以上の四国の港湾[7]

  • 阿波(海部54・宍喰20・平島19)
  • 土佐(甲浦26)
  • 讃岐(宇多津47・塩飽35・嶋(小豆島か)29・引田21・三本松20・平山19)
  • 伊予(弓削嶋26)

以上のように、中世阿波海部の海運は「四国一」なのである[8]

木材[編集]

前項のとおり、1445年当時は、海陽町から神戸まで、盛んにが往来していた。積荷は木材である。なぜこのような遠い所から京都まで、木材のような大きな物を運んだのだろうか。それは、日本では、室町中期まで植林が行われず、浪費するばかりで、木がなくなってしまったことによる。

南北朝の動乱で、京都・畿内近国は戦場と化し、森林資源の浪費に拍車をかけた。京都五山の造営が始まった頃には、畿内の森林は伐り尽くされ、用材は遠隔地の山奥へと求められた。

しかし、大木があるだけでは伐り出しても運べない。海に近いか、いかだ流しができる大河川の流域沿いであることが必須である。その結果、東山道美濃飛騨と、南海道の阿波・土佐が選ばれた。

「兵庫北関入船納帳」によれば、

  • 由良(淡路島)1万1640石、海部(阿波)9450石
  • 宍喰(阿波)2460石、平島(阿波)1865石
  • 牟岐(阿波)1690石、橘(阿波)430石

由良の木材も、他の史料で、阿波方面の物資を扱っていたことがわかっているので、阿波産であろう。室町中期の阿波は、年間2万8千石以上の木材を畿内地方に搬出していた。そして、海部と宍喰、つまり現海陽町だけで、1445年、兵庫北関通過の阿波産木材の約半数になるのである。

しかし、南国の木材は成長が早いために、木質が粗く、珍重されたのは木曾材だった。[9]

海部刀[編集]

室町時代頃から「海部氏」の生産奨励によって「海部刀」が生産された。

海部城[編集]

1575年長宗我部元親が陸路侵入。瓦を使っていた県内三城の内の一つ、「海部城」が落城した。城主が姻族の加勢のため讃岐に出征中で、戦力不在のため、無血開城だった[10]

木材の集散や海路の監視所として、海部川河口の「城山」は古くから重要拠点だった。城山は、かつては周囲を海部川が巡り、海に臨む「島」だった。戦後に埋め立て造成が進んだ。ここに城が築かれたのはいつなのか、諸説あっても根拠の提示はなされていない。

戦時中は、城山山麓に大規模な退避壕を構築[11]。城山山上には陸軍の監視所が設置され、監視員のための防空壕が構築された。それらの作業は、浅川以南の各町村から奉仕隊が交代で出動し、のべ人員は1万人を数えた[12]

80人鉄砲隊[編集]

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

その他[編集]

天然記念物[編集]

文化施設[編集]

  • 阿波海南文化村[14]
    • 旧海南町時代に設立された。海南文化館、町立博物館、工芸館、いきいき館、三幸館などの諸施設を有する複合的文化施設。
    • 〒775-0202 海陽町四方原字杉谷73番地
  • 海陽町立博物館(旧海南町立博物館)[15][16][17][18]
    • 阿波海南文化村内に設立された町立の歴史・民俗学系博物館。同館収蔵品中、特に中世海部川流域の刀工が作り出した、この地域特有の海部刀を中心とした刀剣コレクションは、全国屈指の質と量を誇る。他に、中世の埋納銭としては四国一の出土枚数を記録する「大里古銭」など、町内で発掘収集された考古・民俗資料を豊富に収蔵している。同館には、民族考古学を専攻し、先史・古代日本の焼畑農耕文化の解明に取り組む学芸員一名が配置され、地道で個性的な研究と展示運営を推し進めている。小規模ながら、独創的な地方博物館の1つである。
    • 開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)、駐車場有り。

交通[編集]

鉄道路線[編集]

阿佐東線海部駅JR四国に接続) - 宍喰駅 -(高知県安芸郡東洋町)

路線バス[編集]

道路[編集]

一般国道[編集]

県道[編集]

主要地方道
一般県道

道の駅[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

出身有名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 海部公民館報・平成17年7月25日号より
  2. ^ 曹洞宗には、道元が開いた「永平寺」と、瑩山紹瑾が開いた「總持寺」の、二つの大本山がある。總持寺(瑩山紹瑾)
  3. ^ 国宝「東寺百合文書」による
  4. ^ 「相国寺供養記」による
  5. ^ 以上平成7年版『海南町史』
  6. ^ 林屋辰三郎編『兵庫北関入船納帳』中央公論美術出版・昭和56年
  7. ^ 千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」パンフレットNO.16より
  8. ^ 唯一史料「兵庫北関入船納帳」による
  9. ^ 参考:週刊朝日百科・日本の歴史20・中世II・琵琶湖と淀の水系・今谷明・昭和61年
  10. ^ 参考『海部町史』昭和46年
  11. ^ 『海部町史』277p上段末
  12. ^ 『海部町史』277p 下段
  13. ^ 図典 日本の市町村章 p190
  14. ^ 阿波海南文化村
  15. ^ 郡司早直 2007「資料の集成と博物館」四国ミュージアム研究会編『博物館が好きっ!-学芸員が伝えたいこと-』、株式会社教育出版センター。
  16. ^ 郡司早直 2002「来館者との交流空間としての展示室」『地域に生きる博物館』徳島博物館研究会編、教育出版センター。
  17. ^ 郡司早直2001「日本の後発酵茶の文化系統」『ツンドラから熱帯まで:加藤晋平先生古稀記念考古学論集』博望2号、180 - 189。
  18. ^ 郡司早直 1998「〈開館〉海南町立博物館」『出土銭貨研究会誌』9号。

参考文献[編集]

  • 『図典 日本の市町村章』 小学館辞典編集部、小学館2007年1月10日、初版第1刷。ISBN 4095263113

関連項目[編集]

外部リンク[編集]