西川扇藏 (10世)
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(西川扇藏 (10代目)から転送)
じゅっせい にしかわ せんぞう 十世 西川 扇藏 | |
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文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
生誕 |
1928年6月22日 日本・東京府東京市下谷区 |
死没 |
2023年7月14日(95歳没) 日本・東京都 |
国籍 | 日本 |
職業 | 日本舞踊家 |
子供 |
十一世西川扇藏(息子) 西川祐子(娘) |
十世 西川 扇藏(じゅっせい にしかわ せんぞう、昭和3年(1928年)6月22日[1] - 令和5年(2023年)7月14日[2][3][4])は、日本の日本舞踊家。勲等は旭日小綬章。公益財団法人日本舞踊振興財団名誉会長、公益社団法人日本舞踊協会名誉顧問、文化功労者。名の「藏」は「蔵」の旧字体のため、新字体で十世 西川 扇蔵とも表記される。
社団法人日本舞踊協会理事、全日本舞踊連合理事、公益財団法人日本舞踊振興財団理事長などを歴任。
概要
[編集]宗家西川流の十世宗家家元。本名は尾村宏一郎[5]。公益財団法人日本舞踊振興財団理事長、社団法人日本舞踊協会常任理事、全日本舞踊連合理事などの要職を務め、日本舞踊の継承と発展に努めた。
来歴
[編集]東京市下谷区(現東京都台東区)に生まれる。1933年に初舞台を踏み、1936年の7歳で十世宗家家元を継承し十代目西川扇藏を襲名[6]。
以後西川流の伝統技法の習得に務め、その表現力を磨いた。日本舞踊の古典発掘・研究・保存・伝承に加え、新作の振り付けや上演でも実力を示し、『重盛屛風』『七騎落』等を創作。また海外活動等を通じての日本舞踊の国際化に尽力している。
平成11年(1999年)には人間国宝に認定[7]、平成21年(2009年)には旭日小綬章を受章。そのほか数々の受賞・受章がある。
略歴
[編集]- 昭和11年(1936年) 西川流十世宗家家元を継承し十代目西川扇藏を襲名
- 平成5年(1993年) 流祖三百年祭「西川会」を歌舞伎座で主催
- 平成11年(1999年) 重要無形文化財「歌舞伎舞踊」の各個認定保持者(人間国宝)[7][5]
- 平成12年(2000年) 新宿区名誉区民[1]
- 令和5年(2023年)7月14日 午前6時50分、肺炎のため東京都内の病院で死去[3][4]。95歳没。
受賞
[編集]- 昭和51年(1976年) 文化庁芸術祭優秀賞
- 昭和52年(1977年) 文化庁芸術祭優秀賞
- 昭和54年(1979年) 文化庁芸術祭優秀賞
- 昭和55年(1980年) 文化庁芸術祭優秀賞
- 昭和59年(1984年) 花柳寿応賞(日本舞踊協会)
- 昭和60年(1985年) 芸術選奨文部大臣賞
- 平成元年(1989年) 舞踊芸術賞(東京新聞社)
- 平成3年(1991年) 日本芸術院賞
栄典
[編集]DVD
[編集]- 『第22回西川扇藏リサイタル』- 清元『鞍馬獅子』と長唄『衣川弁慶』を収録
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 富澤慶秀・藤田洋 2012, p. 353.
- ^ 十世宗家西川扇藏訃報|西川流 (PDF) ,2023年7月18日付
- ^ a b “西川扇蔵さん死去 日本舞踊西川流宗家”. 47NEWS (共同通信). (2023年7月18日) 2023年7月18日閲覧。 "西川扇蔵(にしかわ・せんぞう)さんが14日午前6時50分、肺炎のため東京都の病院で死去"
- ^ a b “西川扇蔵さん死去 日本舞踊西川流宗家 人間国宝”. 産経ニュース (産経新聞). (2023年7月18日) 2023年7月18日閲覧。 "西川扇蔵さんが14日、肺炎のため死去した。95歳。"
- ^ a b 富澤慶秀・藤田洋 2012, p. 167,353.
- ^ “人間国宝の西川扇蔵さん死去、95歳 日本舞踊の西川流十世宗家”. 日刊スポーツ (2023年7月18日). 2023年7月18日閲覧。
- ^ a b “連載 「日本の伝統美と技を守る人々 重要無形文化財保持者編」平成23年12月号(No.519)”. 文化庁ホームページ. 文化庁月報. 文化庁 (2011年12月). 2023年7月18日閲覧。
- ^ “平成21年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 1 (2009年4月29日). 2009年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月22日閲覧。
- ^ “長嶋茂雄さんら9人文化勲章 功労者に加山雄三さんら”. 時事ドットコム (2021年10月26日). 2021年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 富澤慶秀・藤田洋 監修『最新歌舞伎大事典』柏書房、2012年7月25日。ISBN 978-4760141487