大阪国際空港
大阪国際空港(伊丹空港) Osaka International Airport (Itami Airport) | |||||||||||||
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IATA: ITM - ICAO: RJOO | |||||||||||||
概要 | |||||||||||||
国・地域 |
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所在地 |
兵庫県伊丹市・ 大阪府豊中市・ 大阪府池田市 | ||||||||||||
種類 | 商業 | ||||||||||||
運営者 | 国土交通省 | ||||||||||||
標高 | 12 m (40 ft) | ||||||||||||
座標 | 北緯34度47分07秒 東経135度26分17秒 / 北緯34.78528度 東経135.43806度座標: 北緯34度47分07秒 東経135度26分17秒 / 北緯34.78528度 東経135.43806度 | ||||||||||||
公式サイト | Osaka Airport | ||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||
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リスト | |||||||||||||
空港の一覧 |
大阪国際空港(おおさかこくさいくうこう、Osaka International Airport)は、大阪市の北西13kmの兵庫県伊丹市、大阪府豊中市、大阪府池田市にまたがる空港法第4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港、国内線の基幹空港であり、航空法上の混雑空港である。一般的に「大阪空港(おおさかくうこう)」あるいは「伊丹空港(いたみくうこう)」と称される。
テレビや新聞などのマスメディアで関西国際空港と区別する際は特に「伊丹空港」と呼称される。3,000mの滑走路を含む長短2本の並行滑走路を有する国内拠点空港である。関西三空港のひとつである。
概要
2府県3市(兵庫県伊丹市と大阪府豊中市及び池田市)にまたがる空港であり、関西圏の国内線が発着している。府県の境界は、旅客ターミナルビル、モノレール駅、駐機場付近で複雑に入り組んでおり、各市の飛地も無数に存在する。警備する警察官は大阪府警察と兵庫県警察の両者(それぞれ所轄署は豊中警察署と伊丹警察署)が常駐している。そのため、他の第1種空港にあるような空港警察署は設置されていない。
大阪市・神戸市・京都市などからなる京阪神都市圏のほぼ中心に位置するため利便性が高く、関西圏の国内線の基幹空港として利用されている。1994年9月3日までは国際線も発着していたが、翌4日に関西国際空港開港と同時に国際線が全て同空港に移転した。2010年3月現在、大阪国際空港の国際線運航は中古機体の海外への売却回送や外国要人の専用機の発着が中心となっている。→本項目国際線を参照のこと
滑走路はクロース・パラレルでA滑走路(14L/32R, 1828 m)とB滑走路(14R/32L, 3000 m)の長短2本が整備されている。優先使用滑走路は滑走路32R・32Lであり、南方からの着陸・北方への離陸が主に行われている。32LにはILSが設置されており、着陸機の誘導が行われている。滑走路32Rは32Lとの間隔が狭く、ILSは設置されていない。滑走路14R・14Lには地形上の制約(北方の山地の存在など)などからILSは設置されていない。2本の滑走路は航空機の性能によって使い分けている。ボーイング777やボーイング767、MD-80/MD-90など中・大型機は短いA滑走路での離着陸ができないため、これらは専ら長いB滑走路で離着陸する。A滑走路はボーイング737やボンバルディア CRJ、DHC-8、サーブ 340など小型機の離着陸に使われる。時間帯や気象条件・混雑状況によっては小型機でもB滑走路を使うこともある。空港周辺では航空機が低空を飛行するため、滑走路の周囲や延長線上などの周辺区域には騒音対策の緩衝緑地などが設けられている。
国内線の基幹空港
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Osaka_International_Airport4.jpg/220px-Osaka_International_Airport4.jpg)
本空港は、大阪第二飛行場(戦前)~伊丹エアベース(占領期)~大阪空港(返還直後)と変遷したのち、1959年7月に第1種空港「大阪国際空港」として日本の拠点空港となり、関西国際空港が供用されるまで、関西圏最大の国際空港だった。関西国際空港開港後の現在は、名称こそ「大阪国際空港」のままであるが「国内線の拠点空港」として利用されている。旅客機の着陸時には日本航空では「大阪国際空港」、全日本空輸では「伊丹空港」と機内アナウンスされる。また英語では2社とも「Osaka International Airport」とアナウンスされる。全日空では、「Osaka Itami International Airport」とアナウンスされる場合もある。
- →本項目歴史の項を参照のこと。当時の騒音問題・空港存廃についてのさらに詳細な解説は関西三空港の経緯と現状を参照のこと
大阪国際空港の運用時間は7:00~21:00(日本標準時)となっている。なお、緊急時には他の空港と同様に臨時延長が認められている。21時までに到着できなくなってしまった定期便の大阪国際空港への着陸は通例行われていない(管制からの離着陸の許可が出たあと、着陸時の航空機の混雑や離陸時の空港の混雑などで結果的に21:00から数分程度遅れて離着陸することがある。21:00間際に離陸する場合、通常離陸する32L/Rは離陸まで時間がかかるため、風などの影響が無くても14L/Rから離陸する場合がある)。このことから、大きな遅延の発生や悪天候の際は到着地が関西国際空港や神戸空港に変更されたり、欠航になることがしばしばある。
発着回数は1日370回までに設定されており、内訳はジェット機が200回、プロペラ(ターボプロップ)機が170回となっている。現在、ジェット機枠は満杯の状態が続いており、国内の空港では東京国際空港や福岡空港と並んで増便が困難な空港であると言われている。プロペラ機枠にはまだ若干の余裕があるため、利用者からの大阪国際空港人気に後押しされるように、各社ともプロペラ機(松山・福岡方面などが中心)での増便に力を入れている。2006年度の利用者数は1684万人と国内第5位である。定時運航の面でも優れた実績をあげており、2008年1月にフォーブス電子版が発表した世界の空港の効率性に関する番付で、大阪国際空港が「定刻通りに出発できる効率的な空港」第一位に選ばれている[1]。また、空港整備特別会計の空港別の財務状況において、数少ない黒字となっている空港でもある。特に、2006年度分の国が報告した空港別の財務状況においては、大阪国際空港は43億円もの黒字を計上している[2]。かつては第一種空港であり国が空港維持費の全額を負担していたが、現在は法律改正により、旧・第二種空港相当となり、地元自治体も一部費用負担をしている[3]。
夏期や年末年始には臨時に増便され、帰省等の利便性を考慮して、通常の発着枠とは別枠が設定されている。航空会社時刻表の対象便には「夏期臨時増便」「年末年始臨時増便」と、臨時的な増便である旨が表記される。新千歳空港便、那覇空港便などを中心に増便される他、旭川空港便と釧路空港便が臨時増便のみで乗り入れている。
歴史
- 本項目の詳細についてはいずれも「関西三空港の経緯と現状」を参照のこと
開港(「大阪国際空港」に至るまで)
関西圏の主要な国内線が発着する基幹空港である現在の大阪国際空港は、1939年(昭和14年)1月17日に「大阪第二飛行場」として開設された(大阪第一飛行場は大和川尻に建設が予定されていたが実現しなかった)。当初は軍民協同飛行場として大日本航空の三菱MC-20・中島AT-2・ロッキードL14・ダグラスDC-3なども就航していたが、太平洋戦争(第二次世界大戦)中は帝国陸軍の軍用飛行場(通称「伊丹飛行場」)として、大阪府八尾市の大正飛行場や兵庫県加古川市の加古川飛行場とともに関西圏における主要飛行場として使用された。大戦後期の本土空襲時には、三式戦闘機「飛燕」を装備する飛行第56戦隊などが伊丹に駐屯し、大正駐屯の飛行第246戦隊(二式単座戦闘機「鍾馗」・四式戦闘機「疾風」装備)などの飛行戦隊とともに京阪神大都市圏の防空に活躍した。
戦後、アメリカ軍を中心とした連合国軍に接収された。この時、「伊丹エアベース(Itami Airbase)」と名付けられたことが、現在広く知られている当空港の通称「伊丹空港」の祖であると言われている。
日本に返還された後、1958年3月18日に「大阪空港」として開港。1959年7月3日には、第1種空港として国際路線を開設し、同時に「大阪国際空港」に改称した。
1960年代以降の高度経済成長期には大阪市の近郊にも市街地が拡大し、この空港の周辺も宅地化の波が押し寄せた。同じころ、離着陸数の増加や航空機の大型化・ジェット化が進み1964年6月よりジェット機の乗り入れを開始した。ボーイング707やダグラスDC-8、コンベア880などの大型ジェット機が相次いで就航し、これに対応して1970年2月5日には3,000mのB滑走路が供用開始され、現在の大阪国際空港がほぼ完成した。
国際空港時代
3,000m級滑走路を整備し、1970年の大阪万博を迎え、大阪国際空港は国際空港としての全盛時代を迎えることになった。1970年代には、国内外の航空会社が相次いで新規参入・新規路線就航し、年間利用者数が1000万人を越え・年間発着回数は15万7000回(1971年)に達し、大いに賑わいを見せた。
この頃、滑走路以外の空港施設も充実し始め、各社の整備センターや格納庫、エンジン試運転用遮音壁、防音壁などが設置された。
しかし、空港の活性化と同時に周辺地域との間に騒音や排気ガスなどの公害問題を抱えることになった。そのため、夜間飛行の制限や発着回数の見直しを迫られることとなった(詳細は大阪空港訴訟参照)。これにより、1975年12月12日には民間機の7時以前、21時以降の離着陸が禁止され、この“門限”が設けられて以来、21時以降に離着陸するいわゆる“門限破り”が発生すると、翌日の新聞でベタ記事になるほどだった。また、1977年10月1日には一日の離着陸回数が370回(ジェット機枠200回、プロペラ機枠170回)と制限された。プロペラ機枠において「代替ジェット枠」などの変遷を経ているが、1977年に決定された「一日合計370回」という発着回数制限は現在も同様である。この規制は、航空機の騒音が改善された現在に至るまで一切変更されていない。また、伊丹市が1973年10月1日に「大阪国際空港撤去都市宣言」を掲げたり[4]、当空港にジャンボ機が発着すると騒音測定を実施するなど、終始緊迫した状態が続くことになる。
- 公害問題の詳細については関西三空港の経緯と現状#過去の経緯を参照のこと
発着回数が制限され年間13万5000回での空港運用となったが、空港利用者数は増加を続け、1980年代には年間利用者数2000万人を突破した。DC-10やボーイング747、ボーイング767などの新型機が導入されるなど、航空機の大型化がさらにすすんだ。同時に航空機の低騒音化や防音設備の強化も進められるなど、1980年代は周辺住民との和解に向けて前進をはじめた時期でもあった。
1985年8月12日、日本航空123便東京発大阪行が群馬の山中に墜落し、520名の死者と4名の重傷者を出すことになった日本航空123便墜落事故が発生した。123便の目的地の大阪国際空港には多くの関係者が詰めかけた。なお、当事故の引き金とされる1978年6月2日に起こった「しりもち事故」は当空港で起こっていた。
1990年に入ると、それまで当空港廃止を掲げていた関連団体や住民が一転、利便性の良さから当空港を存続するよう運動を始め、大阪国際空港騒音対策協議会と運輸省との間で結ばれた存続協定により、関西国際空港開港後も当空港が存続することが決定した。関西国際空港開港を目前に控えるとが決定した当空港は活況を呈した。当空港は地方を中心に新路線開拓や増便が行われ、関西国際空港開港後の国内線専用空港としての運用を見据えた路線展開が、この時期に行われている。
国際線の関西国際空港への移管に先立ち、1994年6月には大阪国際空港のIATA空港コードがOSAからITMに変更された。同年9月3日、「最後の国際線」となった大阪国際空港発グアム行の日本航空のチャーター便を含む『伊丹空港サヨナラフライト』を送り出して、1960年より続いてきた「国際空港」としての大阪国際空港の歴史はこの日をもって終了した。機材はボーイング747-400(機体番号:JA8912[5])で、この便の復路はグアム発関西国際空港行となった。
なお、関空開港の翌々日の夜8時頃から深夜にかけて、空港周辺の豊中市や伊丹市など大阪北摂地域の一部に激しい雷を伴う局地集中豪雨があり、当空港は空港施設や機器、関連施設が浸水し使用不能になった[6]。
関西国際空港開港後~現在
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c8/Ja-osaka-itm-okujou.jpg/220px-Ja-osaka-itm-okujou.jpg)
1994年9月4日に関西圏第二の空港として関西国際空港が開港し、すべての国際線と全体の二割の国内線が関西国際空港へ移った。
関西国際空港開港直後は、当空港の旅客数・便数ともに減少し、かつての賑わいは失われた。しかし、国内線はアクセス利便性の面などから当空港に便が戻り、2000年代にはかつての国内線の旅客数・便数に並ぶ実績をあげた。
当空港の再活性化にあわせるように、1999年にはターミナルビルが大改装された。1969年に供用開始された既存建物をそのまま活用しつつも新築建物並みのサービス提供を実現したことや、屋上のデッキ(ラ・ソーラ)のガーデニングが評価され、2000年12月11日に「第20回大阪都市景観建築賞」の奨励賞を受賞した。空港周辺の整備もすすみ、1997年4月1日のモノレール駅の開設をはじめ、緩衝緑地の公園化など、地域と密接した空港づくりが行われている。
2004年9月29日、騒音対策として、国土交通省は段階的に大型機の乗り入れ規制を強化し、YS-11代替枠やボンバルディア CRJ枠を縮小・廃止した。さらに2005年からは、3発以上のジェット機の乗り入れ制限(後述)が行われた。
また、2005年から2006年にかけて、「飛行距離が1000 kmを越える路線」の移管が国土交通省の方針のもと行われ、女満別空港便・旭川空港便・函館空港便が関西国際空港発着に、石垣空港便が神戸空港発着にそれぞれ路線ごと移管され、新千歳空港便と那覇空港便は減便分を関西国際空港便・神戸空港便に振り替えた。この飛行距離による制限には、ジャンボジェット機制限のような騒音との合理的な理由がなく、理不尽なものであるとの批判がある[7]。関西国際空港開港時にも同様の方針で路線移管が行われたが、合理的な理由がないことや利便性から、2002年頃より北海道方面・沖縄方面などの長距離便を含め、増便や開設(関西国際空港便からの再移管を含む)が相次いだ。また、同措置に対しては同空港利用者の84%が反対と回答しており、空港近隣居住者のみならず、北海道・沖縄居住者らも「利便性が低下する」と反対している[8]。また、2011年には、空港周辺の伊丹市や豊中市、池田市が、北海道や沖縄県、鹿児島県の自治体と共同で、大阪国際空港からの国内長距離便の増便や復活を求める要望書を国交相に提出した。さらに、要望書では、低騒音ジェット機を発着枠に余裕があるプロペラ機枠としてカウントすることなどを求めている。[9]
2007年4月1日、前述した「大阪国際空港撤去都市宣言」を採択した兵庫県伊丹市が「大阪国際空港と共生する都市宣言」を採択し[10]、さらに「時代の流れである」として、当空港に隣接する同市を含む大阪府・兵庫県の11市(通称:11市協)から構成されている「大阪国際空港騒音対策協議会」が「大阪国際空港周辺都市対策協議会」に名称変更している。
2000年代半ば頃からは、地域と密接した空港づくりはさらに促進され、新規テナントやカルチャースクールの進出がさらに進んだ。航空利用者のみならず、周辺地域の一般客を呼び込む、レジャー施設としての要素を取り入れ始めた。さらに、ターミナルビルの再々改修が行われ、老朽化していた中央ブロックの再生が進められている。1969年以来空港内で37年間営業してきた大阪エアポートホテルは、中央ブロック老朽化に伴い、国際線の運航が終了してからちょうど12年目にあたる2006年9月3日より閉鎖して改修を行い、2010年3月25日に大阪空港ホテルとして再開した。
2000年代半ば頃までは、B滑走路(14R/32L)の14R端付近の中村地区では、航空法に定める制限表面内に在日朝鮮人らが不法占拠して住宅等が乱立していた[11]。協議の末、現在はこれら300世帯の移動が完了し、2009年5月に跡地に整備された道路が開通、残りの跡地も整備が行われている[12]。これにより、B滑走路の制限表面内に違法占拠している住宅等はなくなった。
2010年7月9日、中国東方航空のエアバスA320により上海への国際線チャーター便が運航された。関西空港開港後、外国要人などの来日による運航以外は国際線の運航は行われなかったため、16年ぶりの国際線運航となった。このチャーター便は、兵庫県知事である井戸敏三が団長を務める社団法人「ひょうごツーリズム協会」が兵庫県の観光PRを上海万博において行うため、同協会関係者150名が搭乗した。国土交通省の通達では国際線定期便およびチャーター便の就航は認めていないが、今回のチャーター便は借主がチャーター費用を全額負担するオウンユースチャーターであるため規制対象外として運航が認められた[13]。同協会は、チャーター費用として1300万円を捻出した。兵庫県は伊丹空港の存続を主張しており、これに関連し関空のハブ化を提唱する大阪府幹部は「伊丹の活用を主張する兵庫県の意地だろう」と語っているが、同協会は当初「存続のためのアピールとは考えていない。県内各地から一番便利な伊丹を使えば無駄のない日程が組める」と弁明している。
2011年11月4日、中国国際航空のボーイングB737-800により、兵庫県知事である井戸敏三が団長を務める社団法人「ひょうごツーリズム協会」は広東省旅游文化節にあわせての観光PRとして、伊丹空港から広州へ向けてのチャーター便を運航し、無事11月7日に帰国・成功をおさめた。
2012年1月、大阪航空局が土地登記を確認したところ、76区画、計1万500平方メートルが個人名義のまま、国への所有権移転がされていなかったことが明らかになった。
統計
空港利用者数は、1995年度に約1280万人まで落ち込んだ。その後、1800万人を記録するも近年は減少を続け、2009年の利用者は1437万人。日本の空港では利用者数で6番目である[14]。羽田空港便は、全国の国内線利用実績の上位3位に入り、年間600万人が利用する(いずれも2006年基準)。そのほかでは、仙台、千歳、福岡、鹿児島、各便の利用者が多い[15]。
3発以上のジェット機の乗り入れ制限
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4f/MyPhotoJal-18.jpg/220px-MyPhotoJal-18.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fb/JAL_B777-200_JA771J_ITM_20100429-0001.jpg/220px-JAL_B777-200_JA771J_ITM_20100429-0001.jpg)
2005年4月1日に、(ボーイング747-400を除く)「3発以上のエンジンを持つジェット機の同空港への乗り入れが禁止」された。この運航規制による該当機の最終運用日は2005年3月30日で全日本空輸 (ANA) 38便(羽田行、ボーイング747LR型機・機体番号JA8174[16])であった。
2006年4月1日には、(747-400を含む)3発以上のエンジンを持つジェット機全ての乗り入れが全面禁止された。ただし、「3発以上のエンジンを持つジェット機全ての乗り入れの全面禁止」とは有償飛行(乗客を乗せる飛行)に対する禁止措置であり、整備や悪天候によるダイバートでの飛来や、政府要人を乗せた特別機などは対象外となっている。「ジャンボジェット(ボーイング747)最終日」の同年3月31日には、最後のジャンボ機となった日本航空1528便(東京国際空港行、ボーイング747-400D型機・機体記号JA8907[5])が20時20分に大阪国際空港から出発した。翌日の4月1日より、3発以上の大型機の乗り入れ禁止への措置として、就航する各社は提供座席の減少数が1割程度に収まる双発(エンジン2基)の機体、ボーイング777-200/-300型機への機材変更を行った。
この禁止措置により、当初は使用航空機の運用面で各社多少の影響を受けたものの、航空機の新旧入れ替えや近年の燃料費高騰の煽りを受け、また路線別の採算に合わせた中型機以下の積極的な導入に伴い、各航空会社共エンジン3発以上の航空機から燃費のよいエンジン2発のボーイング777型機やボーイング767型機、ボーイング737型機等への入れ替えを遂行。また国内外のVIP搭乗機やフェリーフライトなどのイレギュラーや緊急時には今まで通りボーイング747型機なども着陸できるため、現在は事実上この規制の影響はないといえる。
乗り入れ制限後の主な3発以上のジェット機の運用
- 2006年5月5日: 有償飛行での乗り入れ禁止後に初めて全日本空輸のボーイング747-400型機(機体番号:JA8962[16])が飛来した。これは有償飛行でなく、契約満了に伴いポケモンジェットUSAを通常塗装に戻す整備を行うために飛来したものである。5月18日、同機は通常塗装へ変更され、成田へ飛び立っていった。この便も同年3月31日までならこのまま伊丹発の営業路線に投入されるが、上記の事情のためにフェリーフライトとした。
- 2008年1月19日: 全日本空輸のボーイング747-400型機(機体番号:JA8958[16]・[17])が成田空港より飛来した。これはアッパーデッキ後方の「Yokoso!Japan」の塗装を削除する作業のためのフェリーフライトであった。1月31日早朝、同機は同じくフェリーフライトとして成田空港に向けて飛び立っていった。なお、この機体は2006年3月31日、有償飛行として最後となった成田線用のボーイング747-400型機(国際線仕様)として使用されていた。
- 国際線における3発以上のジェット機の運用については、本項目の#関西国際空港開港後の国際線も参照のこと。
橋下大阪府知事に関する動き
2008年7月、関西国際空港に航空各社から減便の打診が相次いだ[18]。これを受けて橋下徹大阪府知事は、7月31日に当空港廃止も視野に含め関西三空港のあり方の検討をすると発表した。発表に対し、井戸敏三兵庫県知事や藤原保幸伊丹市長(大阪国際空港周辺都市対策協議会会長)らは、同空港の廃止に反対の声明を発表した。また、同空港を管理する国土交通省は廃止は困難であるとの見解を示している[19]。そして橋下は、関空が沈んでいる元凶は伊丹 - 成田便であり「日本国内で国際拠点が成田しか無かった時の伊丹 - 成田便だった。関空が開港しても国内線と位置付けるのは“脱法行為”であり、ばかな路線である」として同路線廃止を要請した[20]。
2009年1月に橋下は「勉強不足だった」として伊丹廃止論を撤回し、大阪府としては関西国際空港の活性化を重視し、関西3空港の一体的運営に関しては将来的な課題とする府の従来方針に準じた内容を、関西3空港に関する提言[21]としてまとめたことを表明していた[22]が、2009年9月に開かれた懇談会では、再び橋下知事が大阪国際空港を廃止し、関空・神戸に路線を集約させるという案を提案している。これに対し、井戸は伊丹空港廃止に強い反発を示し、橋下知事の「関西に24時間空港は要らないのか」という問いかけに対し、井戸は神戸空港に2本目の滑走路を造ればいいと発言した。
2010年1月9日、大阪国際会議場で行われた新年互礼会において橋下知事は「1にも2にも3にも4にも5にも6にも7にも8にも9にも、伊丹廃港しかありません!」と述べた。後日行われた記者会見において、それまで2035年の中央リニア新幹線開業と同時に当空港を廃止するというプランを改め、早く廃港にしてほしいと記者会見で語り、さらに徳島空港や南紀白浜空港も整理していかなければならないと話した[23]。
2010年、伊丹からオウンユースチャーターをして国際線チャーター便を飛ばしたことに対して、大阪府知事である橋下徹は、1便飛ばしたからといって何も意味も無いと不快感を露わにし、「全く意味ないですね、公的なお金を入れて。効果のない行政的なPR活動の典型だ。」と発言し、今後はオウンユース以外の国際線チャーター便を当空港から飛ばさないよう国土交通大臣である前原誠司に要望書を提出した。また、当空港の周辺住民には、井戸同様に当空港存続論者がいる一方、これを足がかりに国際便を容認する方向に進めば、伊丹の便数が増え、騒音がまた激しくなるのではないかとの懸念を示した[24]。
ターミナル・路線
関西国際空港開港までは、北ターミナルを国内線用、南ターミナルを国際線用として利用してきた。国際線撤退・ターミナル改修後は、北ターミナルを日本航空グループ、南ターミナルを全日本空輸とアイベックスエアラインズが使用している。
以下の項目において、航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便である。
国内線統計
行き先 | 旅客数 | 国内線順位 |
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東京国際空港 | 約583万人 | 上位3位 |
仙台空港 | 約111万人 | 上位22位 |
鹿児島空港 | 約101万人 | 上位26位 |
福岡空港 | 約85万人 | 上位31位 |
阿蘇くまもと空港 | 約68万人 | 上位38位 |
宮崎空港 | 約67万人 | 上位39位 |
新千歳空港 | 約64万人 | 上位40位 |
松山空港 | 約62万人 | 上位42位 |
那覇空港 | 約57万人 | 上位44位 |
長崎空港 | 約51万人 | 上位49位 |
国土交通省 平成19年度航空運輸統計速報 (PDF) (平成20年6月26日)、上位50位までを記載。
北ターミナル
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/JAL_Express_Osaka_HQ_20100807-001.jpg/240px-JAL_Express_Osaka_HQ_20100807-001.jpg)
航空会社 | 就航地 |
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日本航空 (JAL) (ジェイエア、JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり) | 旭川空港(繁忙期臨時増便運航)、新千歳空港、青森空港、秋田空港、いわて花巻空港、仙台空港、山形空港、東京国際空港、成田国際空港、新潟空港、隠岐空港(夏期臨時増便運航)、福岡空港、長崎空港、大分空港、阿蘇くまもと空港、宮崎空港、奄美空港、那覇空港 |
日本エアコミューター (JAC) | コウノトリ但馬空港、出雲縁結び空港、隠岐空港、宮崎空港、鹿児島空港、種子島空港(季節運航)、屋久島空港 |
天草エアライン (AMX) | 阿蘇くまもと空港 |
南ターミナル
航空会社 | 就航地 |
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全日本空輸 (ANA) (ANAウイングスの機材・乗務員で運航する便あり) | たんちょう釧路空港(夏期臨時増便運航)、新千歳空港、秋田空港、仙台空港、福島空港、東京国際空港、成田国際空港、新潟空港、萩・石見空港(夏期臨時増便運航)、松山空港、高知龍馬空港、福岡空港、長崎空港、大分空港、阿蘇くまもと空港、宮崎空港、鹿児島空港、那覇空港 |
アイベックスエアラインズ (IBX)・全日本空輸 (ANA) | 仙台空港、福島空港、福岡空港、宮崎空港(2012年7月1日より運航開始予定) |
休廃止路線
以下は大阪国際空港便としては休廃止となったが、関西国際空港には就航している路線
国際線
関西国際空港が開港するまで、多数の日本国外の航空会社が乗り入れていた。開港前は西日本の空港で唯一、欧米線や北米本土線への定期路線を有していた。当時の国際線ターミナルは現在の南ターミナルにあった。ターミナルビル南側の現管制塔と全日空格納庫の間の広いエプロンには国際線貨物機が駐機そして航空貨物の積み下ろしが行なわれていた。また国際線旅客便の搭乗橋は一口により乗降処理が行なわれていた。
1994年9月3日に国際線の運航は終了し、4日からは全ての国際線は関西国際空港に全面的に移管され、税関や検疫などの施設も移転された。
かつての就航路線
1994年9月3日までに就航していた路線と航空会社の一覧である。
航空会社
- 旅客便
- 貨物便
- 日本航空
- 大韓航空
- フェデラルエクスプレス[27]
関西国際空港開港後の国際線
関西国際空港の開港後、チャーター便も含め有償乗客が搭乗する国際線の就航は規制により認められなくなったが、外国要人を乗せたVIP機の往来や国外からの貨物の輸送、海外の航空会社に売却するために全日空整備などでおこなわれる航空機の整備のための往来が年数回の頻度で行われている。この場合、エンジン3発以上の航空機の規制の対象外となり、全日空や海外航空会社のボーイング747型機などが往来している。
なお、国内線である成田国際空港便で、コードシェア便として国外航空会社の便名も付与されているが、この便名での搭乗は国際線乗継旅客に限られており、この場合は実質国際線として扱われる。
2010年7月9日、兵庫県の関連団体がチャーターする伊丹~上海(浦東)間の国際便が運航された[28]。運航費用を借り主が全額負担するオウンユースチャーターは規制対象外として国土交通省に運航が認められ、関西国際空港開港以来16年ぶりの国際線運航となった[29]。
関西国際空港開港後の主な国際線運用例
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bb/China_airline_fly_at_osaka_international_airport2.jpg/220px-China_airline_fly_at_osaka_international_airport2.jpg)
- 2005年11月15日、京都を訪れるアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュを乗せたVC-25(エアフォースワン)と同型の予備機が大阪国際空港に着陸。翌日、両機は釜山金海国際空港に向けて大阪国際空港を離陸した。また、会談関連の機材輸送の為に、アメリカ空軍の輸送機(C-5 ギャラクシーなど)も前後して多数飛来[30]。
- 2007年4月13日、中華人民共和国首相の温家宝を乗せた中国国際航空の要人輸送用ボーイング747-400が大阪国際空港に着陸[30]。
- 2008年1月21日、東京消防庁に納入する大型ヘリコプターを積んだ空輸機(アントノフ22A)が、フランス・マルセイユから大阪国際空港に着陸[31]。
- 2008年5月9日、中華人民共和国国家主席の胡錦濤を乗せた中国国際航空の要人輸送用ボーイング747-400が大阪国際空港に着陸[30]。
- 2008年6月26日、同6月に京都で開催されたG8外相会議に出席するため来日した米国務長官コンドリーザ・ライスを乗せた政府専用機 (VC-32A) が大阪国際空港に着陸[30]。
- 2008年10月29日、奈良訪問のため訪日中のイギリス皇太子チャールズ夫妻を乗せた英ツインジェット社のエアバスA319-115X (CJ) が大阪国際空港に着陸[30]。
- 2009年4月3日、京都・神戸訪問のため訪日中の中国共産党No.5・李長春常務委員を乗せた中国国際航空のB767-3Q8/ERが大阪国際空港に着陸。
- 2010年7月9日・7月12日、兵庫県関連団体「ひょうごツーリズム協会」のチャーターによる伊丹~上海(浦東)間の国際便が運航。往路は7月9日伊丹12:30発-上海(浦東)13:55着のMU2056便。復路は7月12日上海(浦東)12:00発-伊丹15:15着のMU2055便。いずれも中国東方航空のエアバスA320により運航。
1994年国際線移管後しばらくの間、海外からのVIP搭乗機は専ら関西国際空港が利用されていたが、2005年の米ブッシュ大統領の来訪時は、同大統領多忙の為"例外措置"として立地条件の良い大阪国際空港が利用され(安全且つ短時間で移動出来るよう大阪空港から京都へは米軍ヘリコプターが利用された)、アメリカ同時多発テロの影響もあってエアフォースワン離着陸時の他航空機の運航規制(大阪空港離着陸機の一時運航停止措置)や空港内外で大規模な警戒実施がなされた。しかし、この措置の結果を例に、近年では来日VIPの来阪に大阪国際空港が積極的に利用されるようになっている。大阪市内へは車で15分程度で行くことが出来、分刻みのスケジュールをこなすVIP来阪者にとって大阪空港は最良の立地となっている。高速を含め道路は通行止めなどの交通規制が布かれ、渋滞などの影響は無い。
国際線航空会社・路線は関西国際空港に移管されているので、それらについては関西国際空港を確認されたい。
交通
京阪神都市圏のほぼ中央にあることから、空港事業者や地元自治体および多くの論評は「大阪国際空港は利用者にとって利便性が高い空港である」と評価している[32][33][34][35][36][37][38]。なお、近畿2府4県の人口約2,100万人のうち約1,500万人が、同空港へ1時間以内に到達することができるとされる[39]。
※各交通機関の利用の詳細は、該当項目や公式サイトなどを参照。
鉄道
大阪空港駅開業までの最寄り駅は、阪急宝塚本線蛍池駅。現在、蛍池駅はモノレールとの乗換駅となっている。
バス
道路
- 阪神高速11号池田線 大阪空港出入口
- 中国自動車道 中国池田インターチェンジ(広島方面からの出口・広島方面への入口のみ)・中国豊中インターチェンジ(吹田方面からの出口・吹田方面への入口のみ)の各ハーフインターチェンジより
- 大阪府道11号大阪国際空港線
- 国道176号: 空港入口交差点で府道11号と接続
- 大阪府道10号・兵庫県道100号大阪池田線: 空港前交差点で府道11号と接続
一般道路とも接続しているため、徒歩・自転車・原付等でアクセスすることも可能である。
アクセスに関する動き
空港からの交通手段として、大阪高速鉄道(大阪モノレール)が運行されている。阪急電鉄が蛍池駅に急行を停車させて大阪モノレールとの連携を強化し、大阪・梅田までの到着時間を短縮している。 かつては阪急電鉄自身が接続線を建設する構想を持っていたが、阪急宝塚本線の輸送力が飽和状態であり実現しなかった。詳細は阪急宝塚線#新線計画を参照のこと。
バスによる大阪市内や関西一円への交通も盛んであり、乗り換え無しで大阪市内中心部に行けることや所要時間での優位を活かして、モノレール開業後の現在でも市内への輸送の主力となっている。空港バスが通る阪神高速道路11号池田線は渋滞が慢性化しているが、ラッシュ時においては渋滞に巻き込まれないよう、高速と一般道路の使用路線を柔軟に切り替えるなど、遅延を極力避けるように運行している。
大阪モノレール開通前は、阪急バスの千里中央~蛍池~大阪国際空港が主流だったが渋滞の影響が大きく、空港利用者・職員にとっては遅延が悩みの種だった。
西日本旅客鉄道(JR西日本)はJR伊丹駅から空港への支線を分岐させるJR福知山線分岐線構想を有し、実現すれば空港と兵庫県側とのアクセスの改善が期待される。しかし、線路の敷設費用の問題やJR宝塚線(福知山線)のダイヤ編成などの問題(「JR福知山線脱線事故」の項目も参照)等から支線の延長は計画段階のままである。この区間については、2007年兵庫県によって新たに大阪国際空港広域レールアクセス構想が発表された。
大阪国際空港との鉄道接続構想
伊丹市・大阪市内との接続を改善するため、JR伊丹駅から大阪国際空港まで鉄道で繋ぐ構想もあり、兵庫県側から伊丹市を経由して電車で大阪市内まで直接接続することが提案されている。しかし、建設主体や資金の手当てに具体性がなく正式な構想ではない。この構想は、伊丹市営バスの増発、大阪モノレールの延伸や阪急電鉄宝塚線の蛍池駅への急行の停車で代替されたとみる向きもある。
LRTの新設
兵庫県は、大阪国際空港の利便性を向上しようと、同空港とJR伊丹駅を次世代型路面電車(LRT)で結ぶ計画の検討を始めた[40]。採算性の調査費として750万円を新年度予算案に盛り込み、阪急伊丹駅への延伸も検討しているとされる。
現在のところ有力なルートとして挙がっているのは、空港ターミナルを出発し、滑走路を北に迂回して猪名川左岸を経てJR宝塚線伊丹駅に至る約4キロである。10~15分程で結び、途中に3、4駅を設けるという。建設は公的資金を中心とし、運営は民間に委ねる方向であるという。
航空管制
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空港周辺の航空交通管制は大阪航空局大阪空港事務所(大阪国際空港に設置)が、着陸前および離陸後のレーダー管制は大阪航空局関西空港事務所(関西国際空港に設置)がそれぞれ担当している。[41]
管轄空域
大阪国際空港の地上と大阪管制圏(大阪国際空港から半径5マイル、高度3000フィート以下の空域)、大阪特別管制区(大阪管制圏に隣接する南西と南東の2空域)の航空機は、大阪航空局大阪空港事務所の管轄である。
地上における交通は原則として以下の区域に分けられているが、A滑走路とA誘導路が近距離で隣接しているため、両者は密接に連携している。
- 地上管制(GND):エプロンからA誘導路(A滑走路手前)までの交通
- 飛行場管制(TWR):A滑走路より先の2本の滑走路の交通。A滑走路の進入・横断もTWRの管轄である。
大阪国際空港は、上述の発着枠(一日370回)にせまる一日363回もの離着陸を取り扱っている(平成17年)。また、報道関係や警察当局などによるヘリコプターの利用も盛んである。このように多くの航空機を管制するため、特に高い管制処理能力が必要である。
2007年には、2本の滑走路を誤認するトラブルや滑走路を誤横断するトラブルなどが立て続けに起こり、同空港の航空交通管制のシステム改善が求められ、2007年10月10日には、同月5日の誤着陸を受け、国土交通省から対策のためのタスクフォース(専任チーム)が大阪国際空港に入った。このようなトラブルを受けた国土交通省の報告では、上記の交通量の多さに加え、同空港の特殊な構造と管制官ひとり当たりの仕事量の多さが指摘された。前者は、二本の滑走路があるがA滑走路は短く、大型機には使用しないため、二本の滑走路を「離陸専用・着陸専用」と分離して使用できず、B滑走路を使用する際は航空機は必ずA滑走路を横断しなければならない事による。後者は、東京国際空港や関西国際空港などでは、複数の滑走路に対して複数の管制官が割り当てられているが、大阪国際空港では二本の滑走路を一人の管制官が担当しなければならない。同空港のA滑走路とB滑走路の運用は大変複雑で、両滑走路の離陸機・着陸機とA滑走路の横断機を管理するのは非常に負担が大きいとされた。
その後、管制業務にあたる人員の増員、着陸滑走路に関する管制方式の改善、管制指示の復唱の確認の徹底、飛行場管制席と地上管制席の連携の強化などの対策が講じられた。
飛行場管制
大阪国際空港では、北側に山があるという地形上の制約のため、原則として、手順が少なくスムーズな運用を行える南側からの着陸・離陸を行う(滑走路32Lと滑走路32Rを使用する)[34]。航空機は向かい風を受ける状態で離着陸しやすく、逆に極度の横風・追い風では離着陸が禁止されるが、空港周辺は年間を通して風が弱く、風向きによって滑走路の使用が制限されることは少ない。夏季を中心に南東の風が強くなる場合を除き、北側からの離着陸(滑走路14Rと14Lの使用)が行われることは稀有で5%未満である。また同空港では、ILSが設置されているのは32Lのみであること、ラッシュ時に着陸機と離陸機のコースが錯綜して管制処理が難しくなること等から、多少の追い風(南東の風)でも32R・32Lを使用する。なお、空港北側が悪天候で極度に視界が悪い場合は、山がある北側を航行出来ないため、着陸は32R・32L、離陸は14L・14Rという運用になる場合がある。
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/JAL_14LR.jpg/220px-JAL_14LR.jpg)
- 滑走路32L・32R使用時
- 南側からの離着陸の場合、ほとんどの航空機は生駒山方面から大阪国際空港の飛行場管制の指示に従いILSの誘導にしたがって直線的に接近する[42]。滑走路32Lに着陸する場合は、ILS32Lコースでそのまま進入し、5マイル手前(およそ淀川上空)で通常着陸許可を得て、着陸する[43]。滑走路32Rに着陸する場合は、空港を目視確認した後ILS32Lコースから右側にそれて滑走路32Rを目指す(ライトブレイク)。およそライトブレイクの前後で着陸許可を得て、滑走路32Rに着陸する。着陸後は誘導路から脱出してターミナルに向かうが、このとき安全性が確保されるなら、各航空会社の使用ターミナルに近い誘導路へと誘導される。(例えば、JALグループならW9またはW8誘導路が近く、ANAグループではW8あるいはW6誘導路が近い)
- 出発機はターミナルビルからプッシュバック後、南の滑走路端へ向かう。滑走路32Lを使う場合は滑走路32Rの南端付近を横断しなくてはならない(このとき飛行場管制の許可が必要である)。滑走路32Lでは通常インターセクションテイクオフが実施されており、空港南側の騒音回避のため[44]、また、時間と燃料の節約のため、大抵の航空機は滑走路32Lの南端までは行かず、手前の誘導路から滑走路の途中に入り、離陸する(大型機ではB誘導路からW2誘導路を経て滑走路にはいる。さらに軽量のMD-80/MD-90クラス以下の航空機では、許可を得て、さらに手前のW3誘導路から滑走路に入ることもある)。離陸後は、滑走路上をまっすぐ飛んだのちに、すぐに左旋回し、伊丹市とその近隣の上空で高度を上げ、目的地へ向かう。
- 滑走路14L・14R使用時
- 南東の風の卓越時は、一旦滑走路32L・32R側から接近後に北側へ周回して滑走路14L・14Rに着陸する方式(サークリングアプローチ)が取られる。滑走路32L・32Rの場合と同じくILSに従って空港の南側から進入するが、そこから滑走路14L・14Rの側へ回り込むため、管制官の指示に従い、大阪市付近でILSのコースから外れて、トラフィックパターン(周回コース)を利用する。このとき、滑走路に対して左側(空港の南西)か右側(空港の北東)のダウンウィンド(滑走路に並行する飛行コース)のいずれかに抜ける。滑走路14Rへ向かう場合は左側、14Lでは右側が一般的であるが、14Lの場合でも左側へ回ることもある。また、ジェット機は右側のダウンウィンドへ回ることはできない。ダウンウィンドに進入したあとは、旋回し、空港北西の宝塚市・川西市のあたりまで飛行する。およそベース・レグのあたりで着陸許可を得てから、右旋回あるいは左旋回を行い、滑走路14Rあるいは14Lに正対し、そのまま着陸する。[45]
- 出発機はターミナルビルからプッシュバック後、北の滑走路端へ向かう。滑走路14Rはターミナルビルの目の前であるので、安全が確保されるなら、速やかに空港から出発するために滑走路14Rを使うこともある。離陸後には、すぐに高度を上げて目的地へ向かう。南側からILSで接近する着陸機と近接しないよう、離陸機には上昇率が規定されている。
- 滑走路14R・14Lを使用する運航は、航空関係者・ファンらによって俗に「14(ワンフォー、いちよん)」や「逆ラン」、「逆着陸飛行」などと呼ばれている。また14Rへの着陸は、航空機が着陸の際に描く航跡が啓徳空港(現在閉港)の名物の「香港カーブ」に似ていることからも被せて「伊丹カーブ」とも言われている。北側からの着陸が希少であること、航空機と管制塔の交信が頻繁に行われること、低空を旋回飛行する航空機を観られることなどから、一部の航空ファンは北側からの着陸が行われると、その様子を好んでウォッチングしている。滑走路32L・32Rを使用する場合に比べ、着陸する航空機が低空を飛行する時間が長くなるため、特に空港北側で騒音が大きくなる。なお、14L/Rを使用する際は南東の風がとても強い場合が多く、また使用頻度自体とても少ない(平均年に数日しかない)上にILSが設置されていないという条件で、平行した2本の滑走路のうち指定された方へ伊丹カーブを経て着陸しなければならない為、パイロットの経験と技量を要する。経験の有無が原因かは定かでないが、まれに上述伊丹カーブ通過後に大型機が14L(1800m滑走路)の進入コースにアラインしてしまう事態が起こっている。1990年代前半ではANAのボーイング747型機がコースを誤り(着陸寸前まで14Lコースを辿り、14L滑走路先端付近でコース修正を図ったが間に合わず)14L/R滑走路上を低空で蛇行してそのまま着陸復行したり、最近では2008年にJALのボーイング777型機が14Lのコースに進入しその後コースを修正して14Rに着陸している。
ターミナルレーダー管制
レーダー管制は、関西ターミナル管制所による広域一元管制である。
空港施設
空港内施設
ターミナルビルの運営は大阪国際空港ターミナル株式会社によって行われている。同社の旧社名は「関西国際空港ビルディング株式会社」だが、関西国際空港株式会社とは資本・人材を含め一切の関連を持たない。関西国際空港との混同を招いていたことなどから2005年に社名を変更した。同社は関西国際空港でも事業を行っている。
ターミナルビルの住所は、大阪府豊中市蛍池西町3丁目555番地となっている。実際には、伊丹市、池田市、豊中市の境界線が入り組んだうえに、3市ともに飛び地が散在する複雑極まりない場所に建てられている。登記上の住所は、運営する大阪国際空港ターミナル株式会社の空港事務所(本社は大阪市内)の位置に基づいている。
北ターミナル
- 1階
- 到着ロビー
- 手荷物受取所
- 日本航空 チケットロビー
- 団体カウンター
- カフェ・和食レストラン(2店舗)
- 売店
- バスターミナル
- 2階
- 出発ロビー
- 出発手荷物検査場
- カフェ・レストラン(5店舗)
- 売店・土産物屋(8店舗)
- 搭乗口エリア(2階) - 搭乗エリア内でも南ターミナルへ行くことが可能
- 搭乗口(14~25番)
- 売店(2店舗)
- 4階・屋上 - 4階へは北ターミナル内で2階から直接行くことが可能
- 展望デッキ(ラ・ソーラ; La Sora)
- アクタス(インテリアショップ)
- 会議室
- カルチャースクール
南ターミナル
- 1階
- 到着ロビー
- 手荷物受取所
- 全日本空輸・アイベックス チケットロビー
- 団体カウンター
- カフェ(2店舗)
- 売店
- バスターミナル
- 2階
- 出発ロビー
- 出発手荷物検査場
- カフェ・レストラン(4店舗)
- 売店・土産物屋(7店舗)
- 搭乗口エリア(2階) - 搭乗エリア内でも北ターミナルへ行くことが可能
- 搭乗口(5~13番)
- 搭乗バスゲート(9A, 9B, 9C)
- 売店
- 軽食店
- 4階・屋上 - 4階へは南ターミナル内で2階から直接行くことが可能
- 展望デッキ(ラ・ソーラ; La Sora)
- アクタス(インテリアショップ)
中央ブロック
- 1階
- 2階 - 店舗街
- レストラン・軽食店(5店舗)
- 売店・土産物屋(18店舗)
- 名店街(計14店舗)
- 催事ショップ
- 大阪モノレールへの連絡橋
- 3階 - 展望レストランフロア
- 4階・屋上
- 展望デッキ(ラ・ソーラ; La Sora)
- アクタス(インテリアショップ)
- レストラン
- 植栽店アルボ(展望デッキのガーデニングのメンテナンスも手がけている)
ラウンジ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/62/SAKURA_Lounge_of_Osaka_International_Airport05n4500.jpg/220px-SAKURA_Lounge_of_Osaka_International_Airport05n4500.jpg)
- 航空会社が運営するラウンジ
- カード会社が共同運営するラウンジ
- ラウンジオーサカ - 75席。中央ブロック2階
その他航空施設
- 滑走路(2本; 3,000m, 1828m)
- 誘導路(A誘導路、B誘導路など)
- 航空保安無線施設
- ターミナル外駐機場(スポット2~4、および、26~27、41~46、51~53)
- 全日本空輸整備エリア(整備ハンガーとスポット0~1)
- その他整備エリア(格納庫2棟とスポット70~77)
- ヘリコプター格納庫、ヘリパッド(スポット80~84)
- 管制塔(滑走路32Lの端を見渡せるようターミナル南に新設)
- 旧管制塔(ターミナル中央ブロックに現存するが、新管制塔供用開始に伴い廃止)
- 大型防音壁(ターミナル北側にあるエンジン試運転場)
- 消防庁舎
拠点がある機関
空港敷地内やその周囲に以下の事務所や格納庫がある。
- 航空事業者関連(本部のあるもののみ)
- 運輸業(航空会社を除く)
- 行政機関
- 兵庫県警察航空隊格納庫
- 報道機関
眺望ポイント
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/Air_front_oasys_SHIMOGAWARA_Hyogo%2CJAPAN.jpg/220px-Air_front_oasys_SHIMOGAWARA_Hyogo%2CJAPAN.jpg)
大阪国際空港は大都市圏内にある大規模空港として、国土交通省、大阪府、兵庫県、伊丹市などが周辺整備事業を行ってきた[47]。そのため、空港の近辺には、空港や航空機の眺望に適した公園などが多く存在する[34]。また、羽田空港や関西空港のような海上空港でないため、航空機のウオッチングがしやすいポイントへのアクセスも容易である。本節では、それらを紹介する。
ターミナルビル
ターミナルビルの4階のテラスは展望デッキとなっており、多くの空港利用者や航空ファンが訪れる。南北ターミナルと中央ブロックの広大な領域が展望用の施設として整備されている。日よけのルーフが存在するものの、金網などの視界をさえぎるものは皆無であることから、航空機を観るだけでなく撮影に関する制約も比較的少ない。2本の滑走路を含む空港のほぼ全体を見渡すことができるほか、駐機場が間近であるため地上スタッフの様子なども見学することができる。また、テラス内外の飲食店では食事をとりながら展望を楽しむことができる。
かつては航空機を比較的至近から見学できる場所がいくつかあったが、空港の改築やアメリカ同時多発テロ事件発生以降の空港警備強化などにより、のちにはほとんど入ることが出来なくなった。ターミナルビルから突き出したフィンガー部分の屋上は、1970年までおよび1999年から2001年9月11日(アメリカ同時多発テロ事件発生日)までは立ち入りが可能だったが、以降は基本的に不可能となった[48]ほか、北ターミナルの屋上(現在はACTUS (インテリアショップ)となっている場所)、かつてYS-11が駐機していたエプロン、南ターミナルの一部(現在は新管制塔が立地する付近)などが該当する。
伊丹スカイパーク
かつて国際線が乗り入れていた頃に滑走路脇の写真撮影ポイントの一つとなっていた場所を国土交通省などが造成して設置した公園である[47]。32Lからのエアボーンの瞬間などを至近距離でウォッチング・撮影できる。2006年7月9日に一部開業、2008年7月12日に全面開業した。ここでは空港をグランドレベルそして至近距離で見渡すことが出来る。子供連れの家族やスポッター等とピクニックからウオッチング等で幅広く利用される。
- 詳細は伊丹スカイパークを参照のこと
スカイランドHARADA
2003年4月オープンした。豊中市の原田下水処理場の水処理棟の屋上部を開放した施設である[49]。多目的運動広場をはじめ、せせらぎ広場、芝生広場、ジョギングコース等が整備され、運動だけでなく憩いの場としても利用出来る。B滑走路(14R/32L)に隣接し、空港を高い位置から、フェンスを気にすることなく見渡すことが出来る。特に14Rからの離陸・32Lからの着陸はその瞬間を目の前で見られ迫力満載である。ここはくずかごは全く設置されておらず、個人で出たゴミは各自持ち帰らなければならない。
- 詳細はスカイランドHARADAの項目を参照のこと。
スカイランドHARADAが開業するまでは、「墓場ポイント」と呼ばれる集合墓地がこの付近の主要ウォッチングポイントだった。標高はほぼ滑走路と同じで、高いフェンスがあるため、撮影などには高い脚立が必要だった。墓地自体は、スカイランドHARADAの北西に現在も存在する。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1f/ITAMI_SENRIGAWA.jpg/220px-ITAMI_SENRIGAWA.jpg)
千里川原田進入灯橋付近
千里川にかかる原田進入灯橋の付近は、川の護岸(土手)沿いの一般道であり、有名なウォッチングポイントである[34]。
この場所は、単に千里川とも呼ばれる。川の土手部分であり、かつては柵が一つも無かった為、航空機発着時の噴射による風などで転落する恐れもある危険な場所だった。現在も大阪空港長による注意書きには「この付近では航空機の噴射で危険ですから立ち止まらないで下さい」とある。現在は当該箇所の両岸とも緑色のフェンスが設置され、安全に見ることが出来る。この箇所自体、整備された施設ではないが、滑走路32Lの端から数十 mの距離にあり、滑走路32Lに着陸する航空機が真上の至近距離(高度数十 m程度)を通過し、離陸のため滑走路32Lに離陸進入する航空機や滑走路32Rに着陸進入する航空機も間近で見ることが出来るため、多くの航空ファンや家族連れなどが足を運ぶ場所となっている。「勝手に関西世界遺産 (ISBN 4022502282、出版: 朝日新聞社)」で桂小米朝によってこの場所が紹介されており、「大阪の観光名所のひとつであり、周辺道路を駐車禁止にするなら、スカイランドHARADAの駐車場と連携して観光客を呼び込むべきだ」という旨の発言をしている。同書での後日記として、大阪国際空港へのボーイング747の就航禁止についても言及しており、『なんでやねん』と就航禁止に疑問を呈していた。
エアフロントオアシス下河原
滑走路14Lの北端近くに国土交通省が作った「エアフロントオアシス下河原」と伊丹市が造成した「下河原緑地」が並んでいる[50]。緑の芝生の広がる公園で天気の良い休日には家族連れでにぎわう。
その他
- 猪名川:滑走路14R・14L端の周辺を流れる川で、この土手からは空港を一望できるポイントがある。千里川と双璧をなす有名なウオッチングポイントである。ここからは例として32Rからの離陸を真横から、32Lからの離陸機を真正面そして真上を通過する光景が見られ、更に稀有だが14Rへの着陸シーンを至近距離で見ることが出来る。
- 昆陽池公園・端ヶ池公園: 同空港では離着陸は主に32L・32Rを利用するが、離陸直後、伊丹市近郊の上空で180度旋回を行い、空港を9時の方向に見て飛行する。特に32Lからの離陸機の旋回シーンを真下で見ることが出来るポイントである。超望遠レンズ等を持ってウオッチングをする光景も見られる。
- 兵庫県道・大阪府道99号伊丹豊中線空港地下道 東側出入口付近: 整備された施設ではないが、滑走路32Rへの着陸機やB誘導路へ向かう航空機を近くで見ることができる。
- 大阪港湾空港整備事務所前: 整備された施設ではないが、ターミナル南側と全日空整備の間の駐機場の様子を近くから観ることができる。
対策協議会
現在、周辺自治体による、大阪国際空港周辺都市対策協議会(通称、11市協)がある。
参加している自治体は豊中市、池田市、大阪市、箕面市、吹田市、西宮市、宝塚市、川西市、芦屋市、伊丹市、尼崎市である。
対策協議会の歴史
- 1964年(昭和39年) ジェット機の騒音対策として周辺8市で結成された「8市協」
- 1971年(昭和46年) 3市(吹田・大阪・芦屋)が加わり、「11市協」となった。
- 2005年(平成17年) 地元商工団体でつくる「空港活性協」の申入れなどにより、騒音災害を理由とした空港廃止から経済振興の観点からの空港存続への政策転換に対応して、名称を「大阪国際空港騒音対策協議会」から「大阪国際空港周辺都市対策協議会」に変更した。
- 2009年(平成21年)6月 中川智子宝塚市長は、社民党時代は批判的だった大阪空港について「当時は色々な活動をしたが、今は無くなったら市民が困る」と増便など活性化に力を尽くす考えを示した[51]。
事件・事故・インシデント
1960年代ころまでは空港やその周辺での事故が散発的に発生していたが、それ以降は、同空港内や周辺空域で直接的に死傷者を出すような事故は発生していない。1978年のJA8119の「しりもち事故」のような、大事故の間接的要因となった事故は発生している。
2003年ごろからは、「ジェット枠」の制限のため同空港に多く就航しているプロペラ機のDHC-8が計器や着陸装置の不具合によって同空港へ引き返すトラブルが起こるようになった。
2007年には航空管制に起因するトラブルが立て続けに起こり、下記のものを含むインシデントが発生していた。これを受けて、管制官の人員増、および管制指示の復唱の徹底、使用滑走路のパイロット側からの確認強化、地上管制と飛行場管制の連携強化といった管制の規則の強化などの安全対策がとられた。
- 1957年9月30日: 日本航空のDC-4「雲仙号」が離陸直後にエンジントラブルにより不時着。けが人7名(日本航空雲仙号不時着事故)。
- 1959年7月14日: 全日空のDC-3が滑走路をオーバーラン。
- 1963年6月5日: 全日空のDC-3(貨物便)が離陸滑走中に滑走路を逸れ、駐機場にいた同社のDC-3と衝突。
- 1964年2月18日: 日東航空のグラマン マラードが離陸直後に不時着。死者2名。けが人8名。
- 1965年2月14日:全日空の伊丹空港発羽田空港行きのダグラスDC-3貨物専用機(JA5080)深夜貨物便が愛知県知多半島付近で失踪。22ヶ月後の1966年12月29日に南アルプス中ノ尾根山の山頂付近で機体の残骸と乗員の遺体が発見された。原因は不明。乗員2名全員死亡(全日空貨物機失踪事件)。
- 1966年11月13日: 全日空の大阪発松山行YS-11が松山空港沖の伊予灘に墜落。乗員乗客50名全員死亡(全日空松山沖墜落事故)。
- 1969年12月14日:全日空の大阪発鹿児島行き547便 YS-11(JA8743)が淡路島上空で読売新聞社所有の小型機と接触。双方とも破損したが緊急着陸に成功し双方の乗員乗客にけが人なし。
- 1975年5月28日: 全日空のYS-11が胴体着陸(機体は修復して復帰した)。
- 1978年6月2日: 日本航空の東京発大阪行115便ボーイング747SR-100(機体記号:JA8119)が大阪国際空港へ着陸しようとした際、滑走路に機体尾部を接触させる「しりもち事故」を起こした。ケガ人3名。この事故で圧力隔壁を破損したが、この時のボーイング社における修理ミスが下の事故の引き金になったとされている(日本航空115便しりもち事故)。
- 1985年8月12日: 日本航空の東京発大阪行123便ボーイング747SR-100(JA8119)が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落した(日本航空123便墜落事故)。死者520名、重傷者4名。
- 1988年1月18日:全日空の大阪発千歳行き779便ロッキード L-1011(JA8508)が千歳空港に夜間着陸の際に滑走路を見失い、滑走路接地後に再浮上してオーバーランし滑走路を右側に飛び出して停止した。機体下面やエンジン下部を損傷するなど中破した。
- 2005年10月28日:全日空の鹿児島発東京行き628便(ボーイング777-200)が、鹿児島空港を離陸後に高知県沖でエンジン部品を落下させ、大阪国際空港に緊急着陸した。
- 2007年3月13日: 全日空の大阪発高知行1603便DHC-8-400で、着陸準備に際して前輪が出ないトラブルが発生した。同日午前10時54分、高知龍馬空港に主脚だけでの緊急着陸を行った。死傷者なし。(全日空機高知空港胴体着陸事故)
- 2007年9月6日: 滑走路32Lに着陸した日本航空機(2430便、MD-87)が管制官の許可を得ずに滑走路32Rを横断した。32Rには他の航空機はおらず、事故には至らなかった。日航機のパイロットがヘリコプターに対する指示を混同したことから、誤って横断したものとみられる。
- 2007年10月5日: 全日空の松山発大阪行448便エアバスA320が、滑走路32Lに着陸するよう指示が出ていたにもかかわらず、午後5時47分頃滑走路32Rに着陸した。このとき、32Rの手前では日本航空2441便(MD-87)機が待機していた。大阪飛行場管制より「滑走路の中に入って待機」と指示が出ていたが、JL2441便は進入するNH448便に気付いて管制塔に報告し、滑走路に入っていなかった。
- 2008年10月28日: 日本エアコミューターの大阪発出雲行2341便ボンバルディアDHC-8-402が、離陸直後に車輪格納庫の扉が閉まらなくなり、離陸から約1時間後に引き返した。
- 2008年11月25日: 全日空の大阪発能代行ボンバルディアDHC-8-402で、客室内に煙が流れ込み、異臭が立ち込めたため、離陸から約30分後に同空港に引き返し、緊急着陸した。その後の原因調査で、潤滑油漏れが見つかり、これが原因と見られる。
- 2008年12月9日: 午後0時5分頃、日本航空の大阪発長崎行2375便が、同空港西方約80キロ地点で強く気体が揺れ、女性客室乗務員2人が骨折するなど重傷。乱気流に巻き込まれたものと見られる[52]。
- 2009年1月31日、日本航空の大阪発青森行2151便(MD-90)が、名古屋市上空を飛行中、自動操縦装置にトラブルが発生し使えなくなり、手動操縦に切り替えた上で、同空港に引き返した[53]。
- 2009年2月13日、日本エアコミューターの大阪発新潟行2247便(ボンバルディアDCH8-Q400)が、愛知県犬山市の上空で、操縦席にエンジンなどのトラブルの警告が表示されたため、同空港に引き返した。右側のプロペラを制御するコンピュータに不具合[54]。奇しくも、このトラブルとほぼ同時期に、アメリカ・ニューヨーク州バッファロー近郊のクラレンスセンターで、ボンバルディアの同型機が墜落・炎上する事故が起こっている[55]。
- 2009年3月20日、仙台発大阪行JALエクスプレス2200便が大阪空港に着陸しようとしたが、この時、離陸に向け待機していた大阪発羽田行全日空18便が同じ滑走路に進入。このため、JALエクスプレス機は、管制官の指示を受けた上で着陸を断念し再上昇[56]。管制官から指示された便名を、全日空機が聞き違えたことが原因の可能性がある[57]。
- 2009年3月21日、午後1時15分頃同空港を離陸しようとした隠岐行日本エアコミューター2335便ボンバルディアDHC8-Q400の左エンジンが始動せず、このため部品を交換したがやはり始動しなかったため、同便と折り返し便が欠航し、乗客計65人が影響を受けた[58]。
- 2009年3月22日、午後3時40分頃、同空港の滑走路で、車両が停まって点検作業を行っていたが、管制官はこれに気付かず誤って離陸許可を出し、日本エアコミューター機が進入。点検車両も同機の誤進入に気付き、管制官に連絡し、管制官による誤許可が判明[59]。
- 2009年4月22日、午前10時40分頃、ジャルエクスプレス(日本航空系)新潟発JAL2242便(ダグラスMD81型、乗客乗員計168人)が、同空港に着陸する際、機体が傾斜し、左主翼が滑走路に接触。滑走路上に主翼のライトの破片などが散乱し、滑走路が約1時間に亘り閉鎖された[60]。
- 2009年4月25日、午後5時20分頃、同空港を離陸した日本エアコミューター松山行2315便(ボンバルディアDHC8-Q400型)で、エンジンやプロペラの不具合を示すランプが点灯。同便は同空港に引き返しそのまま欠航した。飛行高度についての情報を処理するコンピュータの故障が原因か[61]。
- 2009年6月9日、午前9時40分頃、同空港発宮崎行日本エアコミューター2433便(ボンバルディアDHC8-Q402型)が、離陸上昇中、右側エンジンのオイルの温度が許容の上限より10度上昇。同便はそのまま同空港に引き返し、同便を含め計4便が欠航し、乗客22人は後続便に乗り換え。オイル冷却装置の不具合か[62]。
- 2009年6月9日、午後8時頃、同空港を離陸した松山行日本エアコミューター2319便(ボンバルディアDHC8-402)が、離陸上昇中に車輪を機体に格納しようとしたところ、格納完了の表示が出ず、同空港に同26分に引き返した[63]。
- 2009年6月13日、午前9時35頃、浜松市上空を飛行中の羽田発大阪空港行全日空17便(ボーイング777-200型)で、走行用の車輪を動かすための油圧の低下を示す表示が出た。同機はそのまま午前10時に着陸したが、駐機場への誘導路でオイルが漏れているのが見付かり、誘導路が約1時間20分に亘り閉鎖され、この機材を用いて折り返し羽田に向かう予定だった午前11時発全日空22便が欠航する影響が出た[64]。
- 2009年6月20日、午後6時25分頃、松山空港を離陸直後の大阪空港行日本エアコミューター2318便(ボンバルディアDHC-8-402型)で、主翼右側の車輪を収納する格納扉が閉まらなくなった。同機は約1時間後に大阪空港に無事着陸したが、大阪空港では、地元消防署から化学消防車など計5台が出動し待機する騒ぎに[65]。
- 2009年6月22日、午前8時30分頃、大阪空港の敷地内に、中型犬1匹が迷い込んでいるのが発見された。犬を発見した国土交通省大阪空港事務所職員は、滑走路に侵入しないよう監視したが、犬は滑走路や誘導路を約5時間に亘り走り回り、午後1時20分頃にようやく追い出した。運航への支障は無し[66]。
- 2009年7月23日、午前9時10分頃、同空港に着陸した仙台発大阪行JALエクスプレス2200便(MD-81型機)が、A滑走路に誤進入し、この影響で、同滑走路に着陸しようとした鹿児島発大阪行の日本エアコミューター2400便ボンバルディア機(ボンバルディアDHC8-402)が着陸をやり直した[67]。このインシデントを受け、金子一義国土交通相(当時)は、同空港に構造上の問題があるとして、誤進入を防止するための安全装置を滑走路付近に設置する方針を示し[68]、同年9月から、滑走路手前の路面に、大きく『STOP』表示を行った上、警戒灯を昼間時にも点灯するなど、誤進入対策を開始した[69]。
- 2009年8月12日、午後1時40分頃、同空港の滑走路で、アスファルトの一部が剥離しているのが発見され、約30分間滑走路を閉鎖し修復したが、同時間帯に離着陸予定の10便に、最大40分の遅れ[70]。
- 2009年8月20日、午後2時15分頃、大阪発宮崎行日本エアコミューター2437便のボンバルディア機(ボンバルディアDHC8-402)が、高知県上空を飛行中に、油圧系統に不具合を示すランプが点灯。同便は大阪空港に引き返し、約50分後に緊急着陸。車輪の出し入れやハンドル操作で使う油圧ポンプの油が漏出し無くなった状態だった[71]。
- 2009年8月21日:前年12月6日に運航された全日空の高知発大阪行きと大阪発大館能代行きの2便の離着陸の際に、機外の風景を撮影したとして、同機を委託運航していたエアーニッポンネットワークのアメリカ人機長が国土交通省航空局より航空業務停止20日間の処分を受けた。
- 2010年5月9日、午後7時10分頃、同空港に着陸しようとした新千歳発大阪行日本航空2016便(ボーイング777-300型機、ドラえもんジェット)が着地した時に機体のバランスが不安定だったため再上昇しようとした際、機体後部のテールスキッドが滑走路に接触。約50分後に無事着陸した。この影響で約30分間B滑走路を閉鎖して点検を行った為、直後に着陸態勢に入っていた2機(羽田発の日本航空133便と秋田発の日本航空2178便)が関西空港に到着地を変更し、大阪発福岡行の日本航空2061便が欠航した。他にも同時間に離着陸する便に遅れが発生し、羽田行の日本航空138便(定刻20:15発)は使用機材到着遅れの為、運用時間制限を超えて21:02に出発、21:10頃に滑走路14Rより離陸した。
- 2010年5月26日、午前9時40分頃、大阪発宮崎行日本エアコミューター2433便(ボンバルディアDHC8-402)が、機体の姿勢制御装置と自動操縦システムの不具合があるとの警告表示が出たため引き返した。同機は部品を取り換えた上で同11時55分頃に再離陸[72]。
- 2010年6月18日、午後6時20分頃、大阪発高知行全日空1615便(ボンバルディアDHC-8-402型機)が、大阪空港を離陸直後に、気象レーダーのモニターの不具合が生じ引き返した[73]。
- 2010年11月30日、同空港B滑走路のアスファルトに、大量の鉄線が混入していたことが判明し、国土交通省近畿地方整備局は、舗装工事を請け負った『世紀東急工業』を同日から1か月間の指名停止処分に[74]。
脚注
- ^ 米経済誌発表の「世界の空港の効率性番付」、大阪・伊丹がトップ
- ^ 2009年8月1日 読売新聞 「大阪空港黒字…06年度試算43億円」
- ^ 廃止検討で再注目 老舗・大阪空港の存在価値は? 産経ニュース 2008年7月31日
- ^ 大阪国際空港撤去都市宣言全文(伊丹市) (PDF)
- ^ a b 現在はJALの営業路線からは退いており、この機体番号も登録抹消となっている。
- ^ 沿革の概要大阪航空測候所
- ^ 大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会らの主張(2007年11月29日に国土交通大臣に提出した「大阪国際空港の活用等について(要望)」)による。
- ^ 同活性化促進協議会の利用者アンケート(2004年9月11,13日に大阪国際空港出発客を対象に調査。結果は同協議会のWebサイトにて公表されている)による
- ^ 『伊丹空港:周辺3都市、長距離増便など要望 国交相、前向き発言 /兵庫』毎日新聞 2011年10月13日
- ^ 大阪国際空港と共生する都市宣言全文 (PDF)
- ^ 神戸新聞Web News 伊丹・中村地区は今[1]
- ^ 伊丹市ホームページ 中村地区整備事業
- ^ 伊丹空港16年ぶりに国際便 7月に上海へチャーター
- ^ http://www.kksk.jp/data/index.html
- ^ http://toukei.mlit.go.jp/11/prompt02.htm 国土交通省航空輸送統計調査
- ^ a b c 現在はANAの営業路線からは退いており、この機体番号も登録抹消となっている。
- ^ ANA最後の国際線用ボーイング747-400である。
- ^ 関空発着の減便・廃止 対象は20路線超 7月23日付 産経新聞
- ^ 井戸知事「思い上がりだ」 橋下氏の大阪空港廃止発言 8月1日付 神戸新聞
- ^ 「ばかな路線」と橋下府知事 大阪-成田便廃止要請へ
- ^ 関西3空港に関する提言(素案)- 大阪府 空港戦略室 (PDF)
- ^ 「伊丹空港廃止論」半年で撤回 橋下知事(2009年1月30日asahi.com、同31日朝日新聞)
大阪府が関西3空港に関する提言 関空を出入国拠点に(2009年1月30日MSN産経ニュース、同31日産経新聞) - ^ [2]
- ^ 橋下知事「意味ない」、伊丹に16年ぶり国際便
- ^ 中国東方航空と共に中国民航から路線を引き継ぐ。
- ^ パンアメリカン航空から路線を引き継ぐ。
- ^ フライングタイガースから路線を引き継ぐ。
- ^ ひょうごツーリズム協会 伊丹空港から上海にチャーター便 産経新聞 2010年5月21日
- ^ 「伊丹」16年ぶり国際便 兵庫県関連団体がチャーター 読売新聞 2010年5月22日
- ^ a b c d e “大阪国際(伊丹)空港における国際チャーター便の運航について” (PDF). 兵庫県 県土整備部県土企画局 (2010年7月7日). 2011年4月11日閲覧。
- ^ “巨大輸送機、伊丹空港にお目見え 国際線廃止以来初めて”. 朝日新聞. (2008年1月21日)
- ^ 大阪国際空港 よくある質問[3]ターミナルビルのデザインの由来の質問に対する回答
- ^ 杉浦一機・著「空港大改革」第6章
- ^ a b c d 伊丹&神戸空港(イカロス出版、ISBN 978-4871497978)など
- ^ ANA旅達空間「大阪国際空港の便利な足・大阪モノレール」[4]冒頭の文章による。
- ^ All About「日本の空港公式ホームページ」[5]当該空港の紹介文による。
- ^ 上村敏之 平井白百合 「空港の大問題がよくわかる」
- ^ アクセスに関する地元自治体及び関係団体の見解は以下の通り。(i)朝日新聞2010年1月12日付社説 地元自治体関係者が「大阪国際空港は利便性が高い」という旨の意見を表明しているとの記述がある。 (ii)毎日新聞2008年9月25日付「伊丹空港:兵庫県知事「利便性高い」-大阪府知事の「廃止論」再度けん制」 井戸敏三兵庫県知事が2008年9月24日の9月定例県議会で「大阪国際空港は利便性が高い」という旨の発言をしている。 (iii)大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会「大阪国際空港及びその周辺地域の活性化について(要望)」[6]要望書冒頭で『大阪国際空港は関西の広域に亘り利用客の利便性が高く』と記述している。
- ^ 『新空港レビュー』関西空港調査会(2003年5月)による
- ^ 2007年3月11日付朝日新聞大阪版朝刊
- ^ 月刊エアライン2006年9月号
- ^ イカロス出版「出発進入経路マップ」
- ^ 大阪国際空港飛行場管制 119.1 MHz
- ^ 航空環境研究センター
- ^ 大阪国際空港チャート (PDF)
- ^ 大阪空港ホテル
- ^ a b 大阪港湾・空港整備事務所ホームページによる紹介[7]
- ^ 2011年7月5日、ボーイング787の「国内検証プログラム」に伴う寄港のさい、第2フィンガーの屋上が臨時で開放された。なお、入場は事前の抽選に当選した者に限られている。 ※参考:「ボーイング787と逢おう!!最接近・体験イベント」を開催します。 - 大阪国際空港ターミナル(2011年6月20日付、同年7月22日閲覧)
- ^ 豊中市上下水道局ホームページによる紹介
- ^ 伊丹市ホームページによる紹介
- ^ 中川宝塚市長が講演 関西プレスクラブ例会で(産経新聞、2009年6月16日)
- ^ 乱気流?日航機乗員2人が重傷 大阪-長崎 産経新聞 2008年12月9日
- ^ 自動操縦装置トラブル、伊丹発青森行の日航機が引き返す 読売新聞 2009年1月31日
- ^ ボンバル機、日本でもトラブル…伊丹空港に引き返す 読売新聞 2009年2月13日
- ^ 「米旅客機墜落・炎上、乗客ら50人死亡 NY近郊」 朝日新聞 2009年2月13日
- ^ JEX機着陸の滑走路にANA機進入 大阪空港 産経新聞 2009年3月20日
- ^ 便名聞き間違え誤進入か 大阪空港の全日空機 産経新聞 2009年3月21日
- ^ ボンバルディア機のエンジン始動せず 大阪空港 産経新聞 2009年3月21日
- ^ 今度は点検作業中の滑走路に進入 管制官が誤って離陸許可 産経新聞 2009年3月22日
- ^ JALエクスプレス機、着陸時に主翼が滑走路に接触…伊丹 読売新聞 2009年4月22日
- ^ 松山行きボンバル機、コンピュータートラブルで欠航 読売新聞 2009年4月25日
- ^ ボンバルディア機、エンジンオイル高温で引き返す…大阪空港 読売新聞 2009年6月9日
- ^ ボンバル機引き返し 車輪格納表示出ず 伊丹発松山行き 朝日新聞 2009年6月10日
- ^ 全日空機が油漏れ、誘導路1時間20分閉鎖 大阪空港 朝日新聞 2009年6月13日
- ^ 航空トラブル:JAC機、車輪格納扉閉まらず 伊丹に着陸 毎日新聞 2009年6月21日
- ^ 滑走路に犬、縦横無尽に走り回る…大阪・伊丹空港 読売新聞 2009年6月22日
- ^ JEX機が滑走路誤進入 大阪空港、JAC機着陸やり直し 産経新聞 2009年7月23日
- ^ 大阪空港滑走路に安全装置設置へ 「構造上の問題」と国交相 産経新聞 2009年7月24日
- ^ 滑走路手前に「STOP」塗装 大阪空港で誤進入対策 朝日新聞 2009年9月11日
- ^ 大阪空港で滑走路はがれる 30分閉鎖、10便に遅れ 産経新聞 2009年8月12日
- ^ 油圧系統不具合でボンバル機が緊急着陸 大阪空港 産経新聞 2009年8月20日
- ^ ボンバル機、不具合警告表示で引き返す 大阪・伊丹空港 朝日新聞 2010年5月26日
- ^ 高知行きボンバル機、伊丹へ引き返す レーダーに不具合 朝日新聞 2010年6月18日
- ^ 滑走路アスファルトに大量の鉄線混入…伊丹空港 読売新聞 2010年11月30日
関連項目
周辺地域
歴史関連
地理関連
空港を題材とした作品
外部リンク
- 大阪国際空港ホームページ
- 大阪港湾・空港整備事務所(国土交通省近畿地方整備局)
- 「大阪国際空港の在り方」に関する定期航空協会の意見 (PDF) 定期航空協会 2002年11月25日
- 大阪国際空港の運用見直し案に関するパブリックコメント募集結果について国土交通省航空局飛行場部環境整備課 2004年9月29日
- 大阪国際空港を考える会
- 大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会
- 1950年代の大阪(伊丹)国際空港「伊丹市他周辺都市の騒音対策の沿革」等