日本最後の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧

なお、現在も可能であるが数十年あるいはそれ以上の長期間にわたって実例がなく、今後も実際に発生する可能性が著しく低いような物事は法改正や環境の変化に起因するものに限定し、単に「日本最後」と呼ばれるだけのものは除外している。

生物[編集]

政治や軍事[編集]

天皇・朝廷および律令制に由来する官職[編集]

幕府および武士[編集]

近代以後の政治制度[編集]

  • 内閣総理大臣
    • 最後の大政奉還以前生まれの総理大臣 - 平沼騏一郎。1867年10月25日生まれ。1939年8月30日退任。
    • 最後の明治改元以前生まれの総理大臣 - 鈴木貫太郎。1867年12月24日生まれ。1945年8月17日退任。貫太郎は最後の非国会議員の内閣総理大臣でもあった。
    • 最後の明治生まれの総理大臣 - 鈴木善幸。1911年1月11日生まれ。1982年11月27日退任。善幸は明治生まれの首相経験者で最後の生き残りでもあった(2004年7月19日没)。
    • 最後の大正生まれの総理大臣 - 村山富市。1924年3月3日生まれ。1996年1月11日退任。村山は大正生まれの首相経験者で最後の生き残りでもある。
    • 最後の昭和戦前生まれの総理大臣 - 麻生太郎。1940年9月20日生まれ。2009年9月16日退任。
  • 国政選挙立候補者
    • 最後の大正生まれの国政選挙立候補者 - 川島良吉。1918年8月1日生まれ。2012年衆議院議員選挙に出馬。

近代以後の軍事[編集]

社会[編集]

学問・教育施設[編集]

  • 男子大学 - 東洋食品工業短期大学(2008年度より男女共学化)かつての日本では男子のみが大学に入学する資格があったが、女子教育の必要性や時代の流れによって次第に共学化されていった。当校は力作業を伴う実習授業が多いことから開学以来、永らく女子の募集・入学は認めていなかったが2008年度より男女共学となった。これにより、日本の男子大学は消滅した。
  • 薬学部以外の薬剤師養成課程 - 広島大学(2006年の薬剤師養成課程の6年制移行に伴い、医学部から独立。医学部総合薬学科から薬学部薬学科となった。これにより、薬学部以外の管轄による薬剤師養成課程は消滅した。)

[編集]

貨幣[編集]

製品[編集]

  • 赤チンを製造・販売している最後の企業 - 三栄製薬(2019年5月31日を最後にマーキュロクロムが日本薬局方から除外されるため、小堺製薬が製造を廃止。これにより三栄製薬が最後の製造・販売企業となる)

日本最後の各種施設・建築物[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

路線[編集]

列車[編集]

人物[編集]

道路[編集]

  • 自動車の通行が可能だった最後の未舗装国道 - 国道458号十部一峠
  • 日本道路公団総裁 - 近藤剛(2003年11月20日-2005年9月30日在任)高速道路株式会社グループへの改組に伴い職位廃止、なお近藤は改組後のNEXCO中日本の初代会長を2006年まで務めた。

二輪・四輪車[編集]

船舶[編集]

電気通信[編集]

エンターテインメント[編集]

テレビ[編集]

放送局[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ[編集]

音楽[編集]

スポーツ[編集]

ラグビー[編集]

サッカー[編集]

野球[編集]

以下特に断りない限り「プロ野球」は日本野球機構を示す。また、選手・監督については、特に断りない限り、最後まで選手・監督であった人物を示す。

相撲[編集]

  • 看板大関 - 鉄石城五郎(文化10年初土俵)
  • 江戸相撲における最後の無勝負が記録された場所 - 元治2年(1865年)2月場所
  • 大関から直接平幕へ陥落した力士 - 鳳凰馬五郎1900年(明治33年)5月場所)
  • 大関から直接小結へ陥落した力士 - 能代潟錦作1933年(昭和8年)1月場所)
  • 両国国技館[注釈 21]における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 羽黒山政司 1946年(昭和21年)11月場所
  • 蔵前国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 多賀竜昇司 1984年(昭和59年)9月場所
  • 蔵前国技館での本場所を経験した最後の力士 - 栃天晃正嵩 2011年5月場所限りで引退 (出場場所としては同年1月場所)
  • 昭和時代に幕内を経験した最後の力士 - 安芸乃島勝巳 2003年5月場所限りで引退
  • 横綱免許を与えられた最後の大相撲横綱力士 - 千代の山雅信(第41代)
  • 昭和時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 大乃国康 1988年九州場所結びの一番で千代の富士貢に勝利。翌年1月7日に昭和天皇が崩御したため、昭和時代最後の白星力士となった。奇しくもこの一番で千代の富士貢の連勝記録が53連勝でストップした。
  • 平成時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 白鵬翔 2019年春場所結びの一番で鶴竜力三郎に勝利。同年4月30日に明仁天皇が退位したため、平成時代最後の白星力士となった。
  • 昭和時代に初土俵を踏んだ最後の力士 - 華吹大作1986年3月場所初土俵、2019年11月現在現役)
  • 張出前頭の最後の適用例 - 太寿山忠明(1983年7月場所、東張出前頭9枚目)
  • 番付に張出が設けられた最後の場所 - 1994年(平成6年)5月場所
  • 旧基準の幕下付出(幕下60枚目格付出)で初土俵を踏んだ最後の力士 - 雅山哲士(2013年3月場所引退)
  • 預りの取組 - 東富士-吉葉山戦(1951年9月場所12日目)
  • 関取での引分の取組 - 三重ノ海-二子岳戦(1974年9月場所11日目、幕内)
  • 幕下以下も含めた引分の取組 - 市ノ渡-梅の里戦(1986年7月場所5日目、幕下)
  • 関取での痛み分けの取組 - 宮柱-清乃森戦(1964年11月場所7日目、十両)
  • 幕下以下も含めた痛み分けの取組 - 総ノ浪-秀錦戦(1999年1月場所14日目、序二段)
    • 引分・痛み分けに関しては、規定は現在もあるが、これ以降実際に適用された例はない。
  • 戦前・戦中生まれの最後の力士 - 高見山大五郎(昭和19年6月16日生まれ、昭和59年5月場所引退)
    • 日本人(日本出身)で最後なのは牧本英輔(昭和16年8月13日生まれ、57年11月場所引退)
  • 戦前・戦中生まれの最後の三役経験力士 - 高見山大五郎(最高位・東関脇)
  • 公傷制度が適用された最後の力士 - 琴ノ若晴將2003年11月場所) 
  • 関取の1場所15日制定着以降で幕内皆勤全敗を経験した最後の力士 - 板井圭介(1991年7月場所、東前頭14枚目の地位で15戦全敗)
  • 最後の横綱大関 - 北の湖敏満(1982年初場所、番付上1人大関だった琴風豪規との釣り合いを取るための措置として就任)
    • 新規就任者として最後なのは千代の富士貢(1981年秋場所に上述の北の湖敏満と同時に就任したが、横綱昇進順を優先する都合で千代の富士が後代就任者の扱いとなっている)
      • 2020年初場所、豪栄道豪太郎が角番で負け越して大関陥落が決定し、高安晃が6敗以上を喫して大関特例復帰に失敗、更に成績次第では大関昇進の可能性がある朝乃山英樹が昇進の目安となる「直前3場所通算33勝」に届かないことが決まり、2020年3月場所は貴景勝光信の1人大関となる可能性が高いことから約38年ぶりに横綱大関が発生する可能性が在る。

ボクシング[編集]

競馬[編集]

和歌[編集]

  • 最後の百人一首 - 順徳天皇 「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり」

囲碁・将棋[編集]

  • 最後の世襲制将棋名人 - 関根金次郎13世名人(1935年3月26日付で世襲を廃止、実力制名人戦制に移行)
  • 最後の世襲制囲碁本因坊 - 本因坊秀哉21世(1936年に選手権戦制に移行)
  • 明治生まれ最後の現役将棋棋士 - 小堀清一九段(1912年・明治45年2月10日生まれ、1987年4月引退)
  • 大正生まれ最後の現役将棋棋士 - 丸田祐三九段(1919年・大正8年3月30日生まれ、1996年3月引退)
  • 戦前生まれ最後の現役将棋棋士 - 加藤一二三九段(1940年・昭和15年1月1日生まれ、2017年6月20日引退)

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 生没年が判明している者のみ。また松下村塾自体は1892年まで存続したが、記録が散佚しているため、松下村塾塾生で最後まで生き残りだった者は現在も不明である。
  2. ^ 同じく90歳の神奈川県寒川町の藤沢喜代治議員の不出馬による。
  3. ^ 当初から航空母艦として設計された艦では葛城(雲龍型)(1944年10月15日竣工)。
  4. ^ 法律上の手続きを踏まないまま参戦したため国会で問題になった。
  5. ^ 解釈によっては小塚金七(1972年10月19日没、当時51歳)。太平洋戦争に参戦しフィリピンルバング島に派遣され、終戦後も小野田寛郎らとともに戦闘を継続。フィリピン警察軍と銃撃戦になり胸を撃たれ死亡。
  6. ^ モンテネグロ公国は日露戦争に於いて大日本帝国に宣戦布告したが実際には戦闘は行われず、講和会議にモンテネグロ王国が出席しなかったことから、国際法上モンテネグロ公国との戦争が継続していた。2006年6月3日にセルビア・モンテネグロからモンテネグロ共和国が独立する際に、外務大臣と首相特使によりモンテネグロ共和国政府へ独立の承認と戦争の終結を伝える文書が届けられた。
  7. ^ ただし後継の釧路コールマインの坑内採炭はまだ続いている。また、露天掘りの炭鉱が数か所存在する。
  8. ^ 天守本壇(重要文化財)が焼失したものを再建したもの
  9. ^ 同じ場所にあった居館(福山館)を取り壊し、全面改築したもの。
  10. ^ 築城時の天守は焼失。現在は外観復元した建築物が建つ。
  11. ^ 陣屋からの改修。
  12. ^ 城郭の全体は未完成とされる
  13. ^ このほか、明治初年に房総に移封された旧城主格の藩のいくつか(鶴舞藩長尾藩花房藩など)が築城に着手しているが、未完成に終わった。
  14. ^ 車籍は残したままである。最後にお召し列車牽引機として使用されたのは2001年3月23日
  15. ^ 中国放送より後の1968年に社名変更したラジオ岐阜→岐阜放送は、テレビ開局前の変更である。
  16. ^ 2006年に任意引退したのち、2019年11月27日付で自由契約選手公示された。2018年岩瀬仁紀(1974年(昭和49年)11月10日生まれ)が、2019年3月21日MLBイチロー(1973年(昭和48年)10月22日生まれ)がそれぞれ引退して以降、新庄の復帰まで昭和40年代生まれの選手は全て引退・退団した状態になっていた。また、1973年(昭和48年)7月24日生まれの中村紀洋は引退を表明していないが、2015年以降いずれのプロ球団にも所属していない。
  17. ^ 山本昌は後楽園球場でプレー経験のある最後の現役選手でもあった。また2019年現在最後の日本球界200勝投手でもある。
  18. ^ オリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスおよびオリックス・ブレーブスへの在籍経験がある最後の現役選手でもあった。
  19. ^ オリンピック野球競技は2008年北京大会を最後に除外。なお2020年東京大会では追加種目として行われる予定。
  20. ^ ただし予定として組まれていたダブルヘッダーも含むと2007年9月30日の横浜対ヤクルト戦(横浜)となる。(雨天中止)
  21. ^ 当時の名称はGHQに接収されており、「両国メモリアルホール」
  22. ^ 1967年12月14日王座獲得後、在位中にWBC分立。
  23. ^ JBC非公認を含めると、西澤ヨシノリ(2013年8月5日王座返上、1986年(昭和61年)10月21日デビュー)となる。

出典[編集]

  1. ^ 戦え絶滅動物
  2. ^ http://www.47news.jp/photo/1059019.php
  3. ^ 潮来市議会議員選挙(2016年1月31日投票)結果|政治山
  4. ^ 見どころ”. 松山城. 2018年6月15日閲覧。
  5. ^ 松前城・松前城資料館”. 北海道松前藩観光奉行. 松前町ツーリズム推進協議会. 2018年6月15日閲覧。
  6. ^ 濱口和久. “日本の名城 福江城 幕末に建築された国内唯一の海城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
  7. ^ 濱口和久. “日本の名城 園部城 明治新政府が築かせた最後の城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
  8. ^ 「最後の城」若人見守る 維新期に築かれた園部城(時の回廊)”. 日本経済新聞. 2018年6月15日閲覧。
  9. ^ さんむのふるさと散歩 No.7 ”. 広報さんむ. 山武市 (2007年1月). 2017年5月11日閲覧。
  10. ^ 虎超過密日程 ダブルヘッダーに14連戦も - 日刊スポーツ、2014年8月21日

関連項目[編集]