西川善文

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にしかわ よしふみ
西川 善文
生誕 1938年8月3日(78歳)
日本の旗 日本 奈良県
出身校 大阪大学
職業 実業家

西川 善文(にしかわ よしふみ、1938年8月3日[1] - )は、日本の実業家銀行家最後のバンカーと称される[2]

住友銀行三井住友銀行頭取三井住友フィナンシャルグループ元代表取締役社長。元全国銀行協会会長、第2代日本郵政公社総裁。初代日本郵政代表執行役社長

来歴・人物[編集]

三井住友フィナンシャルグループ時代[編集]

奈良県高市郡畝傍町(現在の橿原市)出身[1]。実家は材木業を営んでいた。奈良県立畝傍高等学校を経て、1961年大阪大学法学部卒業。住友銀行に入行。

1986年6月に取締役企画部長、1989年6月に常務企画部長、1991年11月22日専務就任、1996年5月副頭取を経て、1997年6月に頭取に就任(50代の住銀頭取は堀田庄三以来)。

2001年4月1日にはさくら銀行を合併して誕生した三井住友銀行の頭取に就任。2002年12月11日には三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)代表取締役社長を兼任。2000年度と2004年度には全国銀行協会の会長も務めた(2度全銀協会長を務めたのは初のケースである)。

三井住友銀行頭取・SMFG社長としては、2003年2月にSMFGの自己資本増強のためゴールドマン・サックス(GS)に対し優先株1,503億円を発行している。この優先株発行は、GSに対して25年間年率4.5%の配当を保証した上、GSが行う投資業務の損失に21億ドルの信用保証契約を交わすなど、GSにとって有利な条件になっていた。この前後、創価学会にも支援を要請しており、自ら信濃町の本部まで乗り込んで交渉した結果、創価学会側は快諾し、すぐさま数百億円規模の預金を提供したとされる[3]

また、2004年7月30日UFJホールディングスに対して経営統合を申し入れている。株式の統合比率で1対1を提示するが、結局三菱東京フィナンシャル・グループとのあいだの争奪戦に競り負けた。ほかに、頭取時代に中小企業への融資の際に融資と抱き合わせでデリバディブ商品(リスク商品)を販売していたことが2006年に判明している。これにより三井住友銀行は金融庁から一部業務停止命令の行政処分を受けた。

2005年度3月期決算が赤字に下方修正された経営責任を取って2005年6月の株主総会に頭取とFG社長の職を退任し、三井住友銀行特別顧問に就任した。同時期に松下電器産業の社外取締役、さらにレンゴー第一三共の取締役に就任している。

2005年10月13日楽天東京放送(TBS)株大量取得にはじまる経営統合問題ではその動向が注目された。西川はTBSの社外監査役を務め、同時に楽天証券の取締役にもなっていたからである。西川は10月26日におこなわれたTBSの企業価値評価特別委員会には欠席している。

日本郵政初代社長として[編集]

2005年11月11日郵政民営化で発足した日本郵政の初代社長に内定し、同年12月31日三井住友銀行特別顧問を退任、2006年1月23日に日本郵政社長に就任。なお、2007年4月1日から9月30日までは日本郵政公社総裁を兼任。

2009年5月15日かんぽの宿の売却問題で西川が特別背任未遂などの罪に当たるとして、民主党社会民主党国民新党によって東京地検に告発状が提出された[4]。この告発状は5月27日に受理された[5]

第45回衆議院議員総選挙で民主党を主体とした連立政権が発足すると、西川に対する辞任圧力は日増しに強くなり、郵政民営化の見直しが閣議決定された2009年10月20日、西川は社長辞任の意向を表明。退任会見では冒頭で「体調が悪くて声が出ない。会見は20分で終わりますから」と述べ、鳴り響くシャッター音に対しては「ガシャガシャ音がうるさくて話せない。もうやめようか。」と席を立とうとするしぐさを見せ広報担当者を叱責したり、「ちょっともう止めてくださいよ。出てってくださいよ、カメラ。」と述べるなど怒りをあらわにした[6]

引退後[編集]

2013年4月に妻が死去したが、西川個人の思いから、通例と異なり三井住友銀行等には知らせることはなく、密葬で弔った。妻の葬儀からほどなく、アルツハイマー型認知症が進行し、意思能力を失った状態となった[7]

その他役職[編集]

  • 財団法人社会経済生産性本部理事
  • 財団法人大阪大学後援会理事長
  • 特定非営利活動法人おおさか大学起業支援機構評議員
  • 財団法人懐徳堂記念会理事長
  • 有限責任中間法人住友経営テクノロジー・フォーラム理事長

人物像[編集]

  • 大学時代は新聞記者志望だったが、銀行に就職した。大学時代の西川は銀行員になる気など全くなかったが、大学の友人に誘われて住友銀行を急遽受験する事になり、入社面接担当者だった磯田一郎(後に頭取・会長として辣腕を発揮し、“住友銀行の天皇”と称された)が西川のことをいたく気に入り、入行を決めさせた[8]。西川は尊敬する人物として磯田を挙げている。
  • プロ野球選手・監督の星野仙一と親交があり、長らく星野の大阪後援会の会長を務めている。同会は星野が阪神タイガースの監督→シニア・ディレクターを務めていた時代には「虎仙会」と称していたが、星野が2010年東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任したため、「大阪星野仙一後援会」と名称を変更した[9]
  • 日本郵政グループが協賛した『ポストマン』に商店主役で出演している。
  • ダイエー創業者の中内功が、1960年代に住友銀行から融資を受けた際、借り入れを個人保証にしてしまい、グループで3兆円ほどにのぼる負債のすべてを個人で負うことになった。そこで中内は、株式や不動産などすべての個人財産をゼロにしなければならない事態に陥った。そこで、当時頭取だった西川は、すべてを取り上げることは無慈悲だとして、マンションの一室を特別に残した。

著作[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『ザ・ラストバンカー』 第一章 バンカー西川の誕生 p16
  2. ^ 『ザ・ラストバンカー』 おわりに p302~p303
  3. ^ 「宗教とカネ」 週刊ダイヤモンド、2010年11月13日。31ページ。
  4. ^ 野党3党、西川社長の告発状提出 かんぽの宿問題47NEWS、2009年5月15日。2009年6月14日閲覧。
  5. ^ かんぽの宿問題、日本郵政幹部を告発…野党3党有志読売新聞、2009年6月8日。2009年6月14日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ 「【西川氏辞任】会見速報『カメラは出てけ!』『民営化と隔たり』」産経新聞2009.10.20 19:17。
  7. ^ 「旧住友銀行「西川・国重」の寂しい幕切れ」月刊FACTA2014年6月号
  8. ^ ゲンダイネット
  9. ^ 星野仙一監督:終わりなき大型補強… “直電する” - mainichi.jp・2010年11月20日

外部リンク[編集]

先代:
杉田力之
全国銀行協会会長
2000年度
次代:
山本惠朗
先代:
三木繁光
全国銀行協会会長
2004年度
次代:
前田晃伸
先代:
森川敏雄
住友銀行頭取
x代目(1997-2001)
次代:
(合併に伴い、最後の頭取)
先代:
-
三井住友銀行頭取
旧法人初代(2001-2003)
現法人初代(2003-2005)
次代:
奥正之
先代:
-
三井住友FG社長
初代(2002-2005)
次代:
北山禎介
先代:
-
日本郵政株式会社社長
初代
次代:
斎藤次郎