新続古今和歌集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

新続古今和歌集』(しんしょくこきんわかしゅう)は、室町時代の勅撰集。二十一代集の最後にあたる。

概要[編集]

室町幕府第6代将軍足利義教の執奏により、後花園天皇の勅宣を以って権中納言飛鳥井雅世(初名雅清)が撰進、和歌所開闔として堯孝が編纂に助力した。永享五年(1433年)八月二十五日下命、同十年(1438年)八月二十三日四季部奏覧、翌十一年(1439年)六月二十七日成立。真・仮名序は共に一条兼良の筆。撰進のために応製百首(永享百首)が召され、宝治後嵯峨院)・弘安亀山院)・嘉元後宇多院)・文保(同)・貞和尊円法親王)度の百首歌も選考資料となる。

下命時の後花園院は当時15歳の若年ながら詩歌管弦の造詣深く、御製も多く伝わる好文の賢主として知られる。飛鳥井雅世は新古今選者の一人雅経の六世孫であり、庇護を受けた足利義教の推輓で選者の栄誉に浴した。序文を執筆した一条兼良は室町時代随一の文化人である。

二十巻勅撰集の伝統的な構成を持つ。名義を継いだ続古今の部立から、神祇と賀歌を入れ替え、千載集に倣い神祇を末に置いた他に相違はない。歌数は2140首強。幽玄・枯淡を基調とする二条派の歌風を踏襲する。頓阿(19首)・二条為定(14首)・慶運(13首)に代表される二条派の重視に対し、京極冷泉派の入集は皆無に近く、選者とその庇護者の態度が知れよう。また、女流の入選は極めて少ない。

選歌範囲は広く、新古今以後に重心を置きながら各時代より入集している。なかでも新古今時代を尊重し、良経俊成定家家隆および後鳥羽順徳両院が入集数の上位を占める。当代からは、後小松院(26首)が入集数第三位、新続古今の発意者足利義教(18首)、そして下命者後花園院(12首)が重んじられている。義教以外にも武家方の歌が頗る多い。巻頭歌人にして最多入集は選者雅世の父雅縁(29首)であり、雅世(18首)自身、雅経(18首)・雅有(14首)ら選者の先祖の優遇が目立つ。

後花園は再度の勅撰集計画も練っていたが、応仁の乱によって中断し、以後勅撰集は編まれなかった。