コウノトリ

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コウノトリ
コウノトリ
保全状況評価[1][2][3]
ENDANGERED
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
Status iucn3.1 EN.svgワシントン条約附属書I
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 鳥綱 Aves
: コウノトリ目 Ciconiiformes
: コウノトリ科 Ciconiidae
: コウノトリ属 Ciconia
: コウノトリ C. boyciana
学名
Ciconia boyciana Swinhoe, 1873[4]
和名
コウノトリ[4][5][6]
英名
Japanese white stork[3]
Oriental stork[3][6]
Oriental white stork[3][5][6]
分布域
黄:繁殖地、青紫:越冬地

コウノトリ(鸛[5]、鵠の鳥、Ciconia boyciana)は、鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属に分類される鳥類。

分布[編集]

大韓民国中華人民共和国中華民国朝鮮民主主義人民共和国日本ロシア南東部[3]

模式標本の産地(基準産地・タイプ産地・模式産地)は横浜市[7]。中華人民共和国北東部・ロシア南東部のアムール川ウスリー川流域で繁殖し、冬季になると大韓民国・日本・台湾・香港・長江中流域へ南下し越冬する[4][6]。1980年代以降は中華人民共和国での越冬地が西へ移行している傾向があり、主に昌江で越冬する[6]。2000年代以降は中華人民共和国での越冬地でも繁殖が確認されている[4]。日本では冬季にまれに飛来する(冬鳥)[5]。まとまった群れとしては1993年11月に11羽が与那国島に飛来し - 翌1994年3月まで留まった観察例がある[8][9]。日本で繁殖・周年生息する個体群は絶滅した[4][5][6]

分布域は東アジアに限られる。また、総数も推定2,000~3,000羽と少なく、絶滅の危機にある。中国東北部(満州)地域やアムール・ウスリー地方で繁殖し、中国南部で越冬する。渡りの途中に少数が日本を通過することもある。

形態[編集]

全長110 - 115センチメートル[5]。翼長58 - 67センチメートル[5]。翼開長195センチメートル[6]。体重5キログラム[5]。全身の羽色は白いが、風切羽は黒が混じる[4]

嘴長オス26.1 - 27.3センチメートル[10]。嘴は黒く[5][6]、基部は赤い[4]。眼の周囲は皮膚が赤く裸出する[5]。後肢は赤い[4][6]

形態類似種[編集]

ツル
コウノトリを遠くから見るとツルとも似ているため、度々ツルと混同されることもある。しかし、形態、鳴き声、捕食行動により区別が容易である。具体的には、現在の日本で観察されるツルは道東の留鳥であるタンチョウと、冬鳥として山口県や鹿児島県出水市に渡来し、その他兵庫県にもいるマナヅルおよびナベヅルである。これらのうち、タンチョウは頭部が赤く、首が黒く、脚が黒い。ナベヅルは頭部が赤く、胴体や羽の大部分が黒色から灰色であり、脚が黒い。そしてマナヅルは胴体や羽の大部分が黒色から灰色である。これらに対しコウノトリは、首と胴体が白色であり、脚は赤いため、形態により区別は容易である。なお、コウノトリは、風切羽が黒いために、翼をたたんでいるとまるで胴体の後ろが黒いかのように見える。また鳴き声でも区別することができる。ツルは大きな声で鳴くことができるが、成鳥のコウノトリは鳴くことはできず、クラッタリングというくちばしを打ち付ける行為のみができる。そして飼育下での餌の捕食行動にも違いがある。魚類(アジやドジョウなど)を与えた場合、ツル類はくちばしで細かくついばんでのみこむのに対し、コウノトリは丸のみにする[要出典]


アオサギ(左)とコウノトリ(右)
サギ
サギとコウノトリは、水辺に生息し、水棲動物を食べる大型の首の長い鳥という特徴において共通している。しかしコウノトリは、サギの最大種のアオサギと比べても明らかに大きい(右写真)[要出典]

分類[編集]

以前はC. ciconia(現:ヨーロッパコウノトリ)およびその亜種C. c. boycianaの和名がコウノトリとされていた[10]。ヨーロッパコウノトリとの間に雑種ができるため亜種とする説もあったが[10]、DNA交雑法では別種とされた[6]

広義のコウノトリは、コウノトリ亜科に属する鳥類の総称である。ヨーロッパとアフリカ北部には、狭義のコウノトリの近縁種であるシュバシコウCiconia ciconiaが棲息している。羽色は似ているが、クチバシは赤。こちらは数十万羽と多く、安泰である。「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」などの伝承は、シュバシコウについて語られたものである[要出典]

シュバシコウとコウノトリとの間では2代雑種までできているので、両者を同一種とする意見も有力である。この場合は学名が、シュバシコウはCiconia ciconia ciconia、コウノトリはCiconia ciconia boycianaになる。

生態[編集]

河川・池沼・湿原などに生息し、日本では里山に囲まれた水田や河川のある里地に生息していた[4]。大陸部では9月中旬から10月中旬に渡りを始め、越冬地に10月中旬から12月に飛来し翌3月上旬まで留まる[4]。日本の繁殖個体群は渡りは確認されていなかったが、冬季は個体数が減少する傾向があった[4]。同種間で激しく争うこともあり中華人民共和国での報告例(2羽で争い1羽が頭部を嘴で突かれ死亡)や、日本では2002年に豊岡市に飛来し2007年に死亡するまで留まっていた野生オス(通称ハチゴロウ)の死因として、検死から病気や重金属・汚染物質などが死因ではないこと・2006 - 2007年に主に野生オスが再導入オスを攻撃した目撃例が計36回あること・最後の争いの目撃例で再導入オスが野生オスを撃退したところが目撃されたことから再導入されたオスとの縄張り争いによる死亡が示唆されている[11]。 成鳥になると鳴かなくなる。代わりに「クラッタリング」と呼ばれる行為が見受けられる。くちばしを叩き合わせるように激しく開閉して音を出す行動で、ディスプレイや仲間との合図に用いられる。

魚類、カエル類、ヘビ類、鳥類の卵や雛、齧歯類、昆虫などを食べる[6]。水生動物は浅瀬で、ヘビ・鳥類の卵や雛・ネズミや昆虫などは乾燥した草地で捕食する[6]。 主にザリガニなどの甲殻類やカエル、魚類を捕食する。ネズミなどの小型哺乳類を捕食することもある。

繁殖様式は卵生。頭部を反らせ嘴を叩き合わせて(クラッタリング)求愛する[5]。婚姻様式は一夫一妻[4]。湿原に面した大木の樹上に巣を作る[5]。巣は木の枝を組み合わせて作る[4]。日本の繁殖個体群は過去には3月下旬から4月上旬に繁殖していて、大陸個体群は4月中旬から4月下旬に繁殖する[4]。2 - 6個の卵を産む[4]。抱卵期間は31 - 35日[4]。造巣・抱卵・育雛は雌雄共同で行う[4]。育雛期間は55 - 70日で、6羽全てが巣立つこともある[5]。雛は孵化してから63 - 74日は巣に留まる[4]。日本では過去には6月下旬から7月上旬に巣立ち、大陸個体群は7月下旬から8月上旬に巣立つ[4]。 主に樹上に雌雄で造巣する。1腹3-5個の卵を産み、抱卵期間は30-34日である。抱卵、育雛は雌雄共同で行う。雛は、約58-64日で巣立ちする。

人間との関係[編集]

野火・伐採による営巣木の減少、ダム建設・干拓・排水・乱獲による獲物の減少、農薬・原油・重金属などによる水質汚染、道路建設や電線の設置・人間の撹乱によって生息数は減少している[4]。大韓民国では1971年に最後のオスが密猟されたことで、繁殖個体群は絶滅した[6]。1975年のワシントン条約発効時からワシントン条約附属書Iに掲載されている[2]。1999年の生息数は約3,000羽と報告されている[3]。2005年における長江での個体数は1,194羽と報告されている[3]

日本[編集]

明治時代以前は樹上にとまったり営巣しないタンチョウと混同され、「松上の鶴」など絵画のモチーフになっていたとされる[12]。日本国内では鶴とつく地名があるが、実際は冬鳥として飛来するタンチョウなどのツル科の構成種ではなく本種と混同されていたと考えられている。松の樹上に巣を作る本種(ツル科はアフリカに分布するカンムリヅルを除き樹上にとまらない)は瑞鳥としてツル類と混同され、絵画や装飾のモチーフとして昭和初期まで用いられていた。

日本では元々は広域に分布していた[4][8][12]。19世紀には江戸市中でも繁殖していた記録がある[6][8]。古文書から葛西の樹上・青山蔵前の寺院の屋根で営巣していたとする記録がある[12]Carl Hagenbeckも駿府城の樹上や、横浜市で飛来していたのを目撃したと記録している[12]。明治時代に乱獲により激減し[6][12]、日本での繁殖個体群は兵庫県但馬地区と福井県若狭地区の個体群を除いて絶滅した[4]。但馬地区(豊岡市周辺)では出石藩であった頃に藩主により本種が霊鳥として保護されていたことから、保護意識があり絶滅をまぬがれたとされている[12]。1908年には禁猟とされ、1921年には生息地が天然記念物に指定された[8]。1930年の但馬地区での生息数は最大で約100羽と推定されている[7][8][12]。第二次世界大戦中に営巣地であった松林が松根油を採取するために伐採されたことや、食糧増産のための水田を荒らす害鳥として駆除されたことにより豊岡市周辺でも生息数が激減した[12]

太平洋戦争前後の食料不足の中で食用にされたこともあり[注釈 1]1956年には20羽にまで減少してしまった。ちなみにこのコウノトリの減少の原因には化学農薬の使用や減反政策がよく取り上げられるが、日本で農薬の使用が一般的に行われるようになったのは1950年代以降、減反政策は1970年代以降の出来事であるため時間的にはどちらも主因と断定しにくく、複合的な原因により生活環境が失われたと考えられる[要出典]

第二次世界大戦以降は水銀系農薬による獲物の減少や繁殖力の低下(1960年代に変死例・繁殖の失敗が増加したこと・捕獲後に死亡した個体から大量の水銀が検出されたため)・近親交配により生息数が減少した[4][6][7][8][12]。1953年に種として天然記念物、1956年に特別天然記念物に指定された[8][12]。1959年に兵庫県豊岡市での巣立ちの記録以降は繁殖が確認されなくなった[8][6][7][12]。1964年には小浜市で雛が孵化した例があったが、この雛は育たなかったとされる[12]その後、1962年に文化財保護法に基づき兵庫県と福井県が「特別天然記念物コウノトリ管理団体」の指定を受けた[要出典]

1965年から野生個体の捕獲と、飼育下で繁殖させる試みが進められるようになった[8][12]。捕獲された個体は短期間で死亡する個体が多く、闘争による死亡やケージなどの問題・前述した大量の水銀が体内から検出されたことが影響していると考えられている[12]1971年に豊岡市で野生個体を捕獲したことで、日本産の個体群は野生絶滅した[8](この個体は捕獲後1か月で死亡している)[12]。1966年に初めて神戸市立王子動物園が、以後は1972年に多摩動物公園、1978年に大阪市天王寺動物園などで、中華人民共和国産の個体を導入して繁殖させる試みが進められた[12]このため人工飼育以外のコウノトリは国内には皆無となり、さらには1986年2月28日に飼育していた最後の個体が死亡し、国内繁殖が確実視される野生個体群は絶滅した。[要出典]

コウノトリの郷公園で人工繁殖され飼育されているコウノトリ達。公開ケージには給餌目当てにアオサギ、ダイサギ、チュウサギ、そして放鳥・野生コウノトリ達が集まってくることがある。(2006年9月撮影)

国内の野生最後の生息地のひとつである福井県の武生市に1970年12月2日に飛来した雌の一羽(コウちゃん)は、くちばしを損傷しており、満足に餌を採ることができない状態で衰弱が激しかった為に保護され、1971年2月28日に豊岡市のコウノトリ飼育場に移送された。「武生」と改名されたその一羽は2005年6月20日まで生き、34年という国内最長飼育記録を建てると共に、100個を超える卵を産んだが、成長したのは雌の「紫」一羽のみだった。[要出典]

多摩動物公園では、中国から譲り受けて人工飼育を続けていた結果、1988年4月6日に国内初の人工繁殖に成功した[要出典]

豊岡市のコウノトリ飼育場(後に保護増殖センター)でも、ハバロフスクから譲渡されたペアが1989年に飼育下繁殖に成功した[7]

大阪市天王寺動物園、豊橋総合動植物公園でも繁殖が成功し、国内飼育数を増やしている。兵庫県では繁殖成功後の1992年4月22日には野生復帰計画が開始される。その後、コウノトリ飼育場では、近親交配を避けるため、何度か動物園やロシアからコウノトリをもらい受け、2002年5月5日には生育したものとあわせて飼育100羽を達成した[要出典]

野生化のため豊岡市の空に放されたコウノトリ(J0362, 第一回放鳥)、背中に追跡用発信機が付けられている

1999年に本種の再導入を目的として兵庫県立コウノトリの郷公園が開園した[7]

2005年現在では豊岡市のコウノトリの郷公園周辺地域にコウノトリの生息可能な環境が整備されつつあり、周辺の農家も農薬の散布を控え、無農薬栽培に切り替える等の協力をしている[13]そして、2005年9月24日には世界初の放鳥(餌をとるなどの訓練をつんだ8羽の中から選ばれた、2-7歳の雄2羽と雌3羽の計5羽)が行われ、34年ぶりにコウノトリが大空に羽ばたくこととなった。この放鳥式典には山階鳥類研究所総裁等を務める秋篠宮文仁親王・紀子妃も参加し、約3500人もの参加者とともに見送った。放鳥にあたっては、飼育生活が長いので餌を求めるためか、2羽が30分程で戻ってきてしまうというハプニングも見受けられた。2005年12月24日には放鳥記念碑の除幕式が行われた。その後2006年4月14日には自然放鳥したコウノトリの産卵が確認され、続けて18日にも2卵目が発見された。しかし、これらの卵は孵化しなかった。[要出典]翌2007年も放鳥個体による産卵が行われ、1つのペアから1羽が孵化した。この雛は2007年7月31日に無事に巣立った。コウノトリの野生での巣立ちは1964年に福井県小浜市で野生最後の巣立ちが見られて以来、実に43年ぶりであった[13]今後も放鳥されたペアへの托卵など、段階的に自然に戻す計画も考案されている。放鳥したコウノトリは背中に発信機をつけているため、約1年は人工衛星から行動範囲を監視できるが、コウノトリの郷公園やボランティアにより放鳥個体の追跡調査も行われている。また、多摩動物公園でも、コウノトリが動物園の内外を自由に飛翔できるような飼育展示方法が検討されている[要出典]

日本では激減・絶滅の原因となった乱獲・営巣木の伐採・毒性の強い農薬の使用など禁止・規制されたものもあるが、湿原・池沼・ため池の干拓、排水、河川改修、谷津田薪炭林などの放棄、圃場整備による乾田化・水路のコンクリート化や農薬などにより生息地や獲物が減少しているといった問題がある[4]

2012年現在は再導入された個体数は約60羽に達し、2009年以降は大陸から飛来し周年生息するようになった個体と繁殖させる試みも進められている[4]

絶滅危惧IA類 (CR)環境省レッドリスト[4]

Status jenv CR.svg

日本では1885年に恩賜上野動物園で飼育された記録(以後は少なくとも1923年・1935年にも)がある[12]。同種とされていたヨーロッパコウノトリ(基亜種シュバシコウ)と比較すると、闘争によって死亡することがありペア形成および飼育下での繁殖が難しいとされる[12]

伝承[編集]

兵庫県豊岡市下宮に鎮座する久久比神社には日本で唯一の本種にまつわる伝説が残されている。

七つの外湯めぐりで形成される城崎温泉には、七つの外湯のひとつに本種が傷を癒していた事により発見したと伝説が伝わる、鴻の湯がある。

ヨーロッパでは、「赤ん坊はコウノトリのくちばしで運ばれてくる」「コウノトリが住み着いた家には幸福が訪れる」という言い伝えがあるが、本種ではなく、シュバシコウCiconia ciconia)である(ヨーロッパに本種はいない)。

出典[編集]

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  1. ^ Appendices I, II and III<https://cites.org/eng>(Accessed 30/12/2017)
  2. ^ a b UNEP (2017). Ciconia boyciana. The Species+ Website. Nairobi, Kenya. Compiled by UNEP-WCMC, Cambridge, UK. Available at: www.speciesplus.net. (Accessed 30/12/2017)
  3. ^ a b c d e f g BirdLife International. 2016. Ciconia boyciana. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T22697695A93630816. http://dx.doi.org/10.2305/IUCN.UK.2016-3.RLTS.T22697695A93630816.en. Downloaded on 30 December 2017.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 大迫義人 「コウノトリ」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-2 鳥類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい2014年、36-37頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 江崎保男 「コウノトリ」『日本動物大百科 3 鳥I』日高敏隆監修、平凡社、54頁。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 竹下信雄 「コウノトリ」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社2000年、180-181頁。
  7. ^ a b c d e f 内藤和明, 池田啓 「コウノトリの郷を創る」『ランドスケープ研究』第64巻 4号、社団法人日本造園学会、2000年、318-321頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j 江崎保男 「コウノトリ科」『日本動物大百科 3 鳥I』日高敏隆監修、平凡社、50頁。
  9. ^ 江崎保男・宮良全修 「与那国島におけるコウノトリの集団越冬」『山階鳥類研究所研究報告』第27巻 2号、山階鳥類研究所、1995年、92-97頁。
  10. ^ a b c 小宮輝之 「コウノトリ科の分類」『世界の動物 分類と飼育8 (コウノトリ目・フラミンゴ目)』黒田長久・森岡弘之監修、東京動物園協会、1985年、48-58頁。
  11. ^ 江崎保男, 佐竹節夫, 吉沢拓祥, 三橋陽子, 大迫義人 「兵庫県豊岡市に飛来・定着した野生コウノトリの死亡とその原因?激しい種内闘争?」『山階鳥類学雑誌』第43巻 2号、山階鳥類研究所、2011年、197-201頁。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 小宮輝之 「ニホンコウノトリ 衰退と飼育の歴史」『世界の動物 分類と飼育8 (コウノトリ目・フラミンゴ目)』黒田長久・森岡弘之監修、東京動物園協会、1985年、59-64頁。
  13. ^ a b 今藤祐馬 (2018年7月1日). “コウノトリひな誕生 皆で支える野生復帰に”. 中国新聞. 中国新聞社. 2009年2月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年6月29日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ 2009年3月1日、京都府亀岡市で開催されたガレリアかめおか開館10周年記念事業「~ダイナミックかめおか~丹波学トーク64」における兵庫県立コウノトリの郷公園主任研究員・兵庫県立大学自然・環境科学研究所准教授の大迫義人の発言から。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]