瞽女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
葛飾北斎『北斎漫画』第8編(文政元年〈1818年〉刊)15丁に「.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}肉障(あきめくら)[注 1]」の題で掲載されている瞽女の顔。左列の4人と中列の右上以外の3人、計7人が瞽女。それ以外は座頭。
葛飾北斎北斎漫画』第8編(文政元年〈1818年〉刊)15丁に「肉障あきめくら[注 1]」の題で掲載されている瞽女の顔。左列の4人と中列の右上以外の3人、計7人が瞽女。それ以外は座頭
盲女ごぜ / 黒川真道編纂『日本風俗図絵』第3輯(1914-1915年大正3-4年〉刊行)に掲載の一図。
大尽だいじん富豪、あるいは、遊廓で大金を使う客。)の酒宴に招かれた3名の瞽女が、舞踊を披露する舞子まいこ舞妓。※この図の左ページに描かれている。)と気を合わせて三味線爪弾いている。ここでの彼女らは流行りの髪型と豪奢な着物で美しく装っている。

瞽女(ごぜ)とは、日本女性盲人芸能[1]を意味する歴史的名称。その名は「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する[1]

近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である[注 2]女盲目(おんなめくら)と呼ばれる場合もある[2]。時にやむなく売春をおこなうこともあった[3][4]

歴史[編集]

近世以前[編集]

瞽女の起源は不詳であるが、室町時代後期に書かれた『文明本節用集』には「御前コゼ 女盲目(ごぜん こぜ おんなめくら)」と記され、『七十一番職人歌合』にもその姿が描かれている[2]。近世では三味線やを弾くのが普通となった[1]。瞽女の演目(瞽女唄)のひとつに「クドキ(口説節)」があり、これは浄瑠璃から影響を受けた語りもの音楽であるが、義太夫節よりも歌謡風になっている[5]江戸時代の瞽女は越後国高田(上越市)や長岡(長岡市)、駿河国駿府静岡市)では屋敷を与えられ、一箇所に集まって生活しているケースがあり、これを「瞽女屋敷」と称した[6]。全国組織はなく、師匠となる瞽女のもとに弟子入りして音曲技法を伝授されるという形態をとった[6]。親方となる楽人(師匠)は弟子と起居をともにして組をつくり、数組によりを組織した[6]説経節の『小栗判官』や「くどき」などを数人で門付演奏することが多く、娯楽の少ない当時の農村部にあっては、瞽女の巡業は少なからず歓迎された[6][注 3]。また、江戸時代中期・後期の瀬戸内地方にいた瞽女の多くは広島藩長州藩あるいは四国地方の多くの藩から視覚障害者のための「扶持」を受けたといわれる。

近代以降[編集]

庶民の着物を着て、頭にホッカムリをしているひとりのゴゼが、立ったままシャミセンをヒキ、大きく口を開けて歌っています。彼女は足を広げてバランスをとっていますが、竹でできている杖を第三の足のように使ってもいます。眼が見えないというのに、タカゲタを履いています。
Goze Singing in Chrysanthemum Garden意訳: 咲く庭で歌う瞽女)
瞽女の手彩色写真アメリカ雑誌ナショナルジオグラフィック1912年4月号に掲載された1枚である。元の写真写真家エリザ・シドモアが寄稿したもので、[注 4]恐らくは同年に撮影されている。

越後新潟県)には長岡瞽女(ながおか ごぜ)と高田瞽女(たかだ ごぜ)の2派が大きくその組織を形成していた。また、山梨県には甲府の横近習町・飯田新町の総数200人を超える大きな組も存在した。長野県では飯田、松本、松代など、岐阜県では高山など、静岡県では駿府、沼津、三島など、愛知県千葉県埼玉県群馬県福岡県などに多数の小さな組合があった。

生活手段として三味線を片手に各地を巡り、『葛の葉子別れ』等の説話やその土地の風俗や出来事などを弾き語りしたり、独特の節回しを持つ「瞽女唄(ごぜうた)」にして唄い語るもので、まだテレビラジオが普及していなかった時代、新潟県内だけでなく、群馬県や東北地方など、主に豪雪地帯村落などで農閑期に現われる娯楽の一端であった[注 5]

明治時代から昭和の初期には多数の瞽女が新潟県を中心に活躍していた。この頃の代表的な瞽女に伊平タケがいる。伊平タケは開局間もないNHKに出演し、SPレコードの吹込みを行なった。第二次世界大戦後、ほとんどの瞽女は廃業後に転職したために、その数は急速に減少していった。小林ハルはその中で最後まで活躍した長岡瞽女であった。後年、小林ハルは唯一の長岡瞽女唄伝承者として、その継承と保存に尽力した(数少ない音源の多くも彼女のものである)。またハルの故郷である新潟県三条市には保存会も存在し、日本の伝統芸能の一つである「長岡瞽女唄」を後世に伝承すべく、精力的に活動を続けている。

高田瞽女は旧・高田市(現・上越市の旧・高田市域)を中心として活動を行ってきた。高田瞽女は、親方(師匠)が家を構え、弟子を養女にして自分の家で養っていった。親方はヤモチ(屋持)と呼ばれ、明治の末に17軒、昭和の初期に15軒となり、これらの親方が座をつくり、いちばん修業年数の多い親方が「座元」となり、高田瞽女たちを統率していった。

昭和30年代、高度経済成長を続ける日本で、瞽女とその芸能は衰退していった。そんな中、杉本キクイは、杉本シズ、難波コトミの2人の弟子を抱えて、それでも昔の唄を聞いてやろうという村々を頼りに細々と旅を続けていった。キクイは、若い頃から下の者の面倒をよくみて慕われ、組の親方達にも信頼される聡明なしっかりした人柄で、たくさんの瞽女唄を記憶している優れた瞽女であった。1970年(昭和45年)、杉本キクエは、国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財「瞽女唄」の保持者に認定されている。

現在は、高田系瞽女では小竹勇生山(こたけ ゆうざん)・小竹栄子・月岡祐紀子(つきおか ゆきこ)らが、長岡系瞽女では竹下玲子・萱森直子(かやもり なおこ)らが、その芸を継承し、後世に伝えるべく活動している。

著名な人物[編集]

瞽女を扱った作品[編集]

漫画・劇画・絵本[編集]

瞽女である危篤の義母を見舞った、息子の話。単行本『与太』(青林堂)に収録。
  • 田名瀬咲子 『ごぜ姉さ』 少年写真新聞社、2003年。絵本。

音楽[編集]

映像作品・演劇[編集]

  • 映画 『はなれ瞽女おりん』(1977年)
瞽女を扱った物語。監督は篠田正浩、音楽は武満徹岩下志麻主演。原作は、水上勉はなれ瞽女おりん』(新潮社、1975年) 。
盲目ながら音で周囲を察知し、仕込み杖で凄腕の居合を使う瞽女おもんを松山容子が演じた。
第20話・21話に瞽女のキャラクターが登場。「葛の葉子別れ」を唄うシーンがある(唄:月岡祐紀子)。
アニメーション映画
  • アニメ『蟲師』(2006年)
第25話 眼福眼禍に瞽女のキャラクターが登場。
  • 映画 『ICHI』(2008年)
瞽女を扱った物語。監督は曽利文彦、音楽はリサ・ジェラルド綾瀬はるか主演。
  • DVD 『瞽女さんの唄が聞こえる』(2009年) 監督伊東喜雄。杉本キクエらの記録映像。制作:(有)地球村
  • 映画『瞽女GOZE』(2020年公開予定)
最後の長岡瞽女、小林ハルの半生を描いた作品。監督は瀧澤正治、音楽はまついえつこ吉本実憂主演[12]

その他[編集]

  • 斎藤真一 絵画作品「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)」(1971年)や、著書『瞽女=盲目の旅芸人』(1972年)等、瞽女を扱った作品多数。

関連文献・解題[編集]

  • 橋本照嵩 大崎紀夫編 『瞽女―橋本照嵩写真集』、のら社、1974年
1972年3月より約1年間、長岡瞽女(金子セキ・中静ミサオ・手引きの関谷ハナ)の旅に同行した写真記録。門付けの具体的風景がよくわかる。日本写真協会新人賞受賞。
  • 佐久間惇一 『瞽女の民俗』、岩崎美術社<民俗民芸叢書>、1983年
主に中越下越の瞽女の研究。
  • 鈴木昭英 『瞽女 - 信仰と芸能』、高志書院、1996年
民俗学による越後瞽女の研究。
  • 宮成照子編 『瞽女の記憶』、桂書房、1998年
  • 桐生清次編著 『最後の瞽女 小林ハル』、文芸社、2000年
聞き書きによる小林ハルの伝記。三味線、胡弓の名手として知られた佐藤千代の生涯を綴っている。
  • ジェラルド・グローマー 『瞽女と瞽女唄の研究』(研究篇・史料篇)、名古屋大学出版会、2007年
研究篇では文献・聞き書き資料により全国の瞽女の歴史を追い、瞽女唄の旋律の分析、歌詞の形成過程などを考察し、史料篇では中世~近代の膨大な瞽女関係の史料を年表の形で掲載。
  • ジェラルド・グローマー 『瞽女うた』岩波新書、2014年
  • 橋本照嵩 『瞽女―アサヒグラフ復刻版』、Zen Foto Gallery、2019年
週間グラフ誌『アサヒグラフ』より、橋本照嵩が撮影した瞽女の掲載ページを抜粋した復刻版。1970年5月8日号掲載「盲目の歌女・瞽女」と、1973年10月26日号、同11月2日号、同9日号、同16日号連載「瞽女の四季」の計5号分。

脚注[編集]

注釈[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 「障(めくら)」はともかく、どういうわけか、「肉障」と書いて「あきめくら」と振り仮名が添えてある。「肉」に見えるのは「開」の異体字かも知れないが、確認できない。
  2. ^ 幕藩体制時代には大名御抱え(おかかえ)の瞽女もいたが、多くは放浪の旅芸人であった[1]
  3. ^ 男性盲人には三都を中心に当道座という大きな自治的組織があり、検校勾当座頭等の官位を授与していた。検校には優れた音楽家として活躍した者が多いほか、鍼灸按摩も独占職種として幕府に公認されていた。学者棋士[要曖昧さ回避]として名を馳せた者もいる。また当道座以外にも盲僧座があった。
  4. ^ 彼女の活動歴と同誌の速報性に鑑みて。
  5. ^ 山を越えた群馬県沼田市福島県会津地方に巡業があった記録がある[7][8]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 吉川 (1990), p. 44.
  2. ^ a b 川嶋 (2000), p. 567.
  3. ^ 明田 (1990), p. 515.
  4. ^ 東 (2012), p. 115.
  5. ^ 吉川 (1990), pp. 40, 44.
  6. ^ a b c d 『音の日本史』 (1999), p. 18.
  7. ^ 『沼田市史』[出典無効]
  8. ^ 塩川町史』[出典無効]
  9. ^ kb 伊平タケ.
  10. ^ kb 杉本キクイ.
  11. ^ 水上勉原作「はなれ瞽女おりん」(2016年3月4日時点のアーカイブ
  12. ^ 映画『瞽女GOZE』公式サイト ”. 映画「瞽女 GOZE」製作委員会 (2020年). 2019年11月11日閲覧。

参考文献[編集]

辞事典
  • 『日本歴史大事典 1 あ~け』朝尾直弘ほか編、小学館〈日本歴史大事典〉、2000年6月1日。ISBN 4095230010ISBN 978-4095230016OCLC 1020900564
  • ブリタニカ・ジャパンブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “瞽女”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb-Brit ]
  • 小学館『デジタル大辞泉』. “瞽女”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb泉 ]
  • 平凡社『百科事典マイペディア』. “瞽女”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb-MyPedia ]
  • 日立デジタル平凡社世界大百科事典』第2版. “瞽女”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb平百 ]
  • 小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』. “瞽女”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb-Nipp ]
  • 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “瞽女・御前”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb 瞽女・御前 ]
  • 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “盲瞽女・盲御前”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb 盲瞽女・盲御前 ]
  • 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “瞽女節・御前節”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb 瞽女節・御前節 ]
  • ブリタニカ・ジャパン『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “ごぜ唄”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb ごぜ唄 ]
  • 日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版. “瞽女屋敷”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb 瞽女屋敷 ]
  • 日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版. “高田瞽女”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb 高田瞽女 ]
  • 講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』. “伊平タケ”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb 伊平タケ ]
  • 日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』、ほか. “杉本 キクイ”. コトバンク. 2021年3月25日閲覧。[ ref name: kb 杉本キクイ ]
書籍、ムック
雑誌、広報、論文、ほか

関連項目[編集]

外部リンク[編集]