日本初の一覧

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日本初の一覧(にほんはつのいちらん)は、現存の是非にかかわらず、日本で(あるいは日本人による)初めてのことがらの一覧である。

はじめに[編集]

日付を詳しく表す場合の決め事として、新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦1581年以前はユリウス暦1582年以降はグレゴリオ暦)を添える(※あくまで原則で、建国記念の日のように慣例がこれに当てはまらない場合もある)。同年4月(4月)は旧暦4月(新暦4月)、同年4月(4月か5月)は旧暦4月(新暦では5月の可能性もあり)を意味する。

建造物[編集]

  • 交通に関する施設・構造物(空港・鉄道・道路・港湾およびそれに付帯する構造物)は「#交通」の項を参照。
  • 発電所等プラントに関する施設・構造物は「#工業」の項を参照。
  • 小売に関する施設・構造物(ショッピングセンター等)は「#経済」の項を参照。
  • 食に関する施設・構造物(レストラン等)は「#食文化」の項を参照。
  • スポーツに関する施設・構造物は「#スポーツ」の項を参照。
  • アミューズメントに関する施設・構造物は「#アミューズメント」の項を参照。
  • 教育・研究に関する施設・構造物は「#学問」の項を参照。

建物[編集]

[編集]

都市[編集]

交通[編集]

疫病・医療[編集]

人間以外の疫病・医療[編集]

工業[編集]

全般[編集]

宇宙探査機[編集]

人工衛星[編集]

観測機器[編集]

音響・映像・通信[編集]

コンピュータ関連[編集]

プラント[編集]

農業・漁業[編集]

地理[編集]

政治・軍事、ほか[編集]

  • 歴史上の人物 - 倭奴国(奴国か)の大夫
    紀元57年後漢朝貢して光武帝から印綬(漢委奴国王印)を授けられた人物。日本史上、その活動を(外国史書に)記された最初の人物。大夫は自称であるが、個人名は伝わっていない。
  • 歴史上の人名 - 帥升
    弥生時代中期から後期にかけての時代に属する、倭国の一人で、日本史上、個人名が分かる(外国史書に記された)最初の人物。ただし、実名たる日本語名は不明。なお、後述する「卑弥呼」なども同様である[15]が、言霊思想が浸透していた日本において、信頼に足る者以外に本名を知られることは呪詛に対して無防備になることを意味する[15](※現代感覚ではデスノートが同様)ため、基本的に秘匿され、公になるとしても、それは、権力者の家族やそれに次ぐような縁故者が呪詛の対象外である死者になった後に「歴史の一部」という形で残されるのが通例である[15]
  • 確認される為政者 - 帥升
    史実として確認される最古の為政者であり、王。詳しくは上述。※当然ながら、さらに古い時代にも為政者は存在しており、ただ確認されていないにすぎない。
  • 確認される女性為政者 - 卑弥呼
    史実として確認される最古の女性為政者であり、女王173年頃より以前に即位。
    なお、本名は伝わっていない。「卑弥呼」という名は、日本語名「ヒミコ」に対して中華王朝中華思想に則った「」という侮蔑語を当てた漢訳名であり、本来の意味に沿って「ヒミコ」を漢訳するなら「日御子(太陽神の子)」あるいは「日巫女(:太陽神に仕える巫女)」であろうとの説がある(井沢元彦[15]。また、「ヒミコ」は個人名とは考えられず、後世の「天皇」のように一種の称号であったと推定される[15]
    ※確認されないだけで、さらに古い時代にも女性為政者が存在した可能性は十分にある。
奈良時代に成立した『日本書紀』に故事があり、タケミカヅチは鹿島社(鹿島神宮)にて、フツヌシノカミは香取社(香取神宮)にて、当時すでに古くから軍神として崇められていたという。
秦氏が日本に帰化する際に一族の神を持ち込んだとする説[16][17]を採る場合、百済起源の神ということになる。
古代の朝鮮半島の特に済州島で祀られていた風と海の女神にして姥神[17]であるヨンドゥン・ハルマン英語版[16][注 3]に起源があるとする説[16][17]でも、朝鮮半島南部に由来する神ということになる。
ただし、宇佐神宮(宇佐八幡宮)の縁起八幡宇佐宮御託宣集』(鎌倉時代後期に成立[18])は、古墳時代後期中葉にあたる欽明天皇32年(571年)頃に豊前国宇佐郡の厩峯(馬城嶺、御許山)に囲まれた菱形(ひしがた;菱潟[注 4])の畔に鍛冶翁(かじのおきな)の姿で示顕したと伝えており[16][19]、ここでは鍛冶神英語版が起源ということになっている[16][17]。ほかにも、海神[16][17]、「ヤハタ」という地域の土地神[17]を立てて祀る神[17]焼畑[16][17]などに起源を求める諸説が古くからある[16][17]
飛鳥時代後期にあたる文武天皇元年(697年)、神峯山寺(大阪府高槻市所在)に日本で初めて像が安置されたと、『神峯山寺秘密縁起』に記されている。
なお、帝釈天信仰は、毘沙門天信仰と同等の古さがあり、7世紀中ごろに[20]法隆寺に安置された玉虫厨子(※推古天皇の時代に安置されたと寺伝にあるが、研究の結果、そこまでは遡れないことが確認されている[20]。)に描かれている「施身聞偈図」(せしんもんげず)」に見られる図像[21]が、最古の遺存例である。つまり、遺存例に関しては帝釈天のほうが少なくとも半世紀ほど古い。ただ、バラモン教において最有力な英雄神で軍神でもあるインドラ護法神という役割で仏教に取り込まれた形である帝釈天は、人間の戦さに関与する「軍神」の性質を失っており、「仏教に由来する(日本の)軍神」には該当しない。毘沙門天は、帝釈天とは逆に、バラモン教においては財宝神であったのが、護法神としてインドで仏教に取り入れられた後、中央アジアから中国に伝わる過程で軍神の性質を強めていったものである。
  • 史実として確認される戸籍 - 渡来人に関する戸籍
    欽明天皇元年(540年)の頃より渡来人を支配するために用いられていた戸籍が、史書で存在を確認できる最古の戸籍である。
  • 全国規模の戸籍 - 庚午年籍
    天智天皇9年(670年)に全国規模で作られた(あるいは、造籍を図られた)最初の戸籍。
飛鳥時代中期にあたる天智天皇5年(666年[要出典]、高句麗最後の王となった宝蔵王の子息で日本に帰化していた高麗若光は、未開の原野が広がっていた相模国餘綾郡(よろぎのこほり)の郡司に就任した[要出典][24]。餘綾郡郡衙比定地は、神奈川県中郡大磯町国府本郷の馬場台遺跡[注 5]。霊亀2年(716年)には朝廷が高麗郡を新たに設け、関東東海七か国に散在していた亡命高麗人1799人を当地に移住させたうえで若光を郡司に任命し、開拓を進めさせた[26][27][28][29]
音楽学者実業家1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙和歌山地方区から無所属で立候補し、徹底したドブ板選挙の結果、トップ当選を果たして参議院議員になった。「殿様議員」「紀州の殿様」などと呼ばれた。
ここでは、挙げる人がいるという意味で徳川義親尾張徳川家第19代当主植物学者狩猟家)を記載する。彼は、1911年(明治44年)10月4日、満25歳になったことで自動的に貴族院侯爵議員に就任した。
なお、「個性を大衆に支持されている者」という意味で徳川義親は確かに「タレント」ではあったが、当時は公選ではなく官選の時代であり、タレント性を武器に「立候補して当選」したわけではなく、資格年齢に達したことで爵位侯爵位)を得、爵位に基づいて議員資格を得ている。
吉本興業東京吉本)所属のお笑いタレント演歌師で、演歌歌手作詞家作曲家でもある。1946年(昭和21年)、第二次世界大戦後初の衆議院議員総選挙となった第22回衆議院議員総選挙東京1区から立候補して当選しており、一般的には「タレント議員第1号」といわれている[30]。当時「タレント」という言葉は無く、石田は「芸能人代議士」と呼ばれていた。
  • 「タレント」と呼ばれたタレント国会議員 - 藤原あき
1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙全国区において116万票の大量得票でトップ当選した。立候補するにあたっての彼女の職業は「タレント」であり、ここに「タレント議員」という用語が生まれた。
YouTuber(暴露系)。2022年(令和4年)に行われた第26回参議院議員通常選挙に「ガーシー」名義でNHK党公認比例代表として立候補し、当選した[31]。当選したと同時にYouTubeアカウントは「バン(※利用停止措置)」され、YouTuberでなくなっている。したがって、議員活動は元YouTuberとして行うことなった。ただし、海外にいる東谷には日本国内で詐欺容疑の逮捕状が出されており、帰国するとただちに拘束されることから、国内で議員活動を全く行うことなく任期を終える可能性まであるとの憶測を呼んでいる[32][33]。東谷は多くの問題を抱える議員であり、それについては該当記事を参照のこと。
小説家1892年(明治25年)に当選して以来、衆議院議員として活躍し、10回当選している。農商務次官・外務参政官などを歴任し、条約改正反対運動に尽力した。
日本画家。第5回貴族院子爵議員互選選挙の補欠選挙で当選し、1920年(大正9年)3月20日付で貴族院議員に就任している[34]
外交官でありながら、陸上競技選手として1924年パリオリンピック長距離走に出場したアスリートでもあった。1949年(昭和24年)、第24回衆議院議員総選挙民主自由党から立候補して当選し、国会議員になった。
「日本レスリング界の父」と呼ばれるレスリング競技者。1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙自由民主党から立候補して当選し、国会議員になった。これをもって「スポーツ議員第1号」と呼ばれることが多いが、上述した岡崎勝男のほうが16年ほど早く、また、水球1932年ロサンゼルスオリンピックおよび1936年ベルリンオリンピックの代表選手であった阪上安太郎1958年(昭和33年)第28回衆議院議員総選挙当選のほうが7年ほど早い。つまり、正しくは「スポーツ議員第3号」である。ただ、目を見張る実績を挙げたアスリートということでは、八田が第1号である[注 6]
1950年(昭和25年)の第2回参議院議員通常選挙日本共産党から全国区で立候補して当選し、国会議員になった。
なお、音楽学者も含めるなら、1947年(昭和22年)当選の徳川頼貞が早い。
表現の自由」「著作権法の整備」「海賊版対策」を選挙公約の3本柱に掲げ[35]2022年(令和4年)7月10日に投開票が行われた第26回参議院議員通常選挙自由民主党公認比例代表として立候補し、当選した[35][31]。当時、54歳。出身者ではなく現役の漫画家として政治活動をする[35]

宗教[編集]

司法[編集]

刑罰[編集]

  • 史上初めて死刑された人物 - 山部大楯 [36][37]
    古代日本の豪族。罪状は、女鳥王(めとり の ひめみこ、雌鳥皇女)が着用していた玉釧[注 7]窃盗。『古事記』によれば、山部の罪は、女鳥王(仁徳天皇から求婚されたものの、太后・石之日売命〈『日本書紀』では磐之媛命〉の嫉妬cf.〉を怖れて〈古事記〉これを拒み、速総別命〈はやぶさわけ の みこ、『日本書紀』では隼別皇子〉と結婚した。ここで夫は天皇の暗殺を企てたため、夫婦は天皇から討伐命令を出された。)と隼別皇子の追討を命じられ、これを果たすも、女鳥王が着用していた玉釧を掠め盗り、妻への贈り物としたことであった。後日、新嘗祭の後の豊明節会で、山部の妻が件の玉釧を身につけて参内した際、それが女鳥王の玉釧である事実に太后が気付いたことで犯行が発覚した。山部の妻は退席させられ、改めて呼び出された夫の大楯は、犯行を非難されたうえで死刑に処されることとなった。執行年月は、『古事記』での出来事を『日本書紀』の紀年で比定した場合、仁徳天皇40年11月(推定 西暦352年12月頃)となる。執行手段は不明。ただし、『日本書紀』では、追討者は山部大楯ではなく、吉備品遅部雄鯽(きびのほんちべ の おふな)および佐伯阿俄能胡(さえき の あがのこ)となっている。また、女鳥王の手に巻いていた玉釧の窃盗行為に対しては、佐伯阿俄能胡が自白して自らの土地を献上したことで死罪を免れたことになっている。
  • 検察による許可の下、参観者がいる状態で死刑を執行された人物 - 赤井景韶(あかい かげあき)[38][39]
    1885年(明治18年)7月27日絞首刑に処された[38]安政6年9月25日1859年10月20日)生まれ[38]。27歳死亡[38]。ただし、冤罪事件である。高田事件によって収監されたが、その後、脱獄し、逃走中のところを目撃した人力車車夫を殺害した。刑の執行は当時の自由党の党員を始めとする100余名が参観している。
    また、1896年(明治29年)9月15日には、検事の許可の下、斎藤甚吉(27歳)なる人が死刑になっている。刑の執行は北海道根室の刑場で行われており、30名が参観している。[40]
  • 史上初めて斬殺刑に処された人物 - 凡河内香賜 [41][37]
    古墳時代5世紀後半の豪族。死刑理由:壇所(かむにわ[注 8]采女[注 9]と関係を持つ。
    雄略天皇9年、新羅遠征のための神託を伺うべく、雄略天皇は香賜と采女を派遣して、胸方神(宗像三女神)を祀らせた。神事を行おうとする際、前述の行為に及ぶ。この行為を問題視した雄略天皇により、難波吉士日鷹に殺害命令を下したが、既に本人は逃亡。その後、弓削連豊穗を派遣して、国・郡・県とあまねく手配し、ついに凡河内氏の本拠地に近い三島郡藍原、のちの摂津国嶋下郡安威郷(現在の大阪府茨木市大田)で捕られ、斬り殺された。執行年は、 雄略天皇9年(推定 西暦465年)。
  • 史上初めて絞首刑に処された人物 - 蘇我倉山田石川麻呂連座した15人 [37]
    15人の名前不明。死刑理由:謀反の疑いをかけられた蘇我倉山田石川麻呂の連座。乙巳の変(この変の際、蘇我倉山田石川麻呂は皇極天皇の御前で朝鮮使者の手紙を読み上げていた。その際、蘇我入鹿暗殺計画を知っていたため、冷や汗をかきまくり、蘇我入鹿に不信がられた。)後に、日本初の右大臣に就任。大化5年(649年)3月に、異母弟の蘇我日向が石川麻呂が謀反を起こそうとしていると中大兄皇子に讒言。この讒言を信じた中大兄皇子が孝徳天皇に報告した。その後、孝徳天皇は2度マヘツキミを石川麻呂のもとに派遣して事の虚実を問わせた。石川麻呂は使者に対して、直接孝徳に陳弁したいと答えたところ、孝徳天皇により派遣された蘇我日向と穂積咋が兵を率いて山田寺を包囲した。長男の興志は兵士を集め抗戦することを主張したが、結局石川麻呂は妻子8人と共に山田寺で自害した。そして、自害した蘇我倉山田石川麻呂に連座する形で、斬殺された者14人、絞首刑により執行された者が15人に上ったという。
  • 史上初めて銃殺刑に処された人物 - 須田秀広
須田盛秀嫡男須賀川城落城時に伊達軍に生け捕られ、天正17年10月29日1589年12月6日)に伊達政宗の手により火縄銃で執行された。
罪状は仲間を作って、前者は約600両、後者は約520両相当を得るまで官物窃盗を繰り返し行ったこと。1872年(明治5年)5月13日に死刑が確定し、6月8日に多田陸軍裁判中主理(9等判任官)立会いの下、矢上大尉・勝部少尉・葉山少尉率いる小隊により執行された。

身分・職業・立場[編集]

末弘ヒロ子
日本のミスコン優勝者第一号。

非営利サービス[編集]

経済[編集]

貨幣[編集]

債券[編集]

郵政[編集]

営利サービス[編集]

小売施設[編集]

会社[編集]

特許・商標等[編集]

特許[編集]

商標登録・意匠登録[編集]

製品[編集]

学問[編集]

全般[編集]

総記[編集]

言語[編集]

地球科学[編集]

受賞[編集]

教育・研究施設[編集]

運動、スポーツ[編集]

武術武道格闘技フィジカルトレーニング等々を含む運動全般、および、フィジカルスポーツ(マインドスポーツ[頭脳スポーツ]と区別される肉体スポーツ)全般に関する日本初。

エンターテインメント[編集]

音楽[編集]

メディア[編集]

ヒットチャート[編集]

日本(日本レコード協会)におけるミリオンセラー認定は1989年1月21日以降に達成されたものに限られている(ゴールドディスクを参照)。

コンクール[編集]

作曲・演奏[編集]

放送[編集]

放送局・放送免許[編集]

ラジオ[編集]

ラジオ放送に関するインフラ・技術[編集]
ラジオ放送の形式[編集]
ラジオ番組のジャンル[編集]

テレビ[編集]

テレビ放送に関するインフラ・技術[編集]
テレビ放送の形式[編集]
テレビ番組のジャンル[編集]

スポンサー・CM[編集]

新聞[編集]

映画[編集]

出版[編集]

演芸[編集]

アミューズメント[編集]

ここでは、娯楽の中で、本人が参加して楽しむことのできるものを扱う。捉え方は「エンターテイメント」を参照のこと。

アミューズメントパーク[編集]

ゲーム[編集]

全般[編集]

記念日[編集]

習俗、催事[編集]

※解説文の外にある出典は全体に係る。

祭事、宗教色のある催事[編集]

祭事(宗教的年中行事等)と宗教行事風の娯楽催事(イベント)(両者の境目ははっきりしない)。

  • 釈迦の誕生日を祝う行事 - 推古天皇14年(606年)に飛鳥寺で行われたとされる(第1回の)灌仏会
  • 花見会 - 特定不可能
    桜の花見が普及する以前は、中国文化の影響からの花見が一般的であった。しかし、梅の花見が行われ始めた時期についての史料は無い。
  • クリスマス - 天文21年12月9日1552年12月24日)の降誕祭ミサ
    大寧寺の変後の周防国山口(現・山口市滝町など)において、イエズス会宣教師コスメ・デ・トーレスらが司祭館に日本人信徒を招いて行った。
  • 雪祭り - 古来、行われてきた催事であり、日本初は特定不可能。
    下記の通り、一定条件を課せば限定は可能である。なお、雪祭りは雪具供養等の祭事の側面をもつ場合があり、宗教色のない催事とは区別する。また、「雪まつり」と称し、地方公共団体等が開催する現代的なイベントだけを恣意的に過去の雪祭りと切り離して区別・定義することは辞典的でなく、ここでは避ける。
    • 大会形式の近代的雪祭り[注 18]
    • 雪合戦を主とする、大会形式の近代的雪祭り
      • 一中雪戦会:上に同じ。
    • スケートを主とする、大会形式の近代的雪祭り
    • 雪像展覧会を主とする、大会形式の近代的雪祭り[注 19]
      • 小樽市北手宮尋常小学校(現・小樽市立北手宮小学校)の雪祭り
        「現存する日本最古の、大会形式の近代的雪祭り」である。1935年(昭和10年)2月24日に第1回開催。同校は1988年(昭和63年)9月21日に「雪まつり発祥の地記念碑」を建立しているが、上述の通り、実際は「雪像展覧会を主とする」等の限定条件付きである[135]
    • 住民主催で始まった、雪像展覧会を主とする、大会形式の近代的雪祭り[注 20]
      • 十日町雪まつり[136]
        第1回は1950年(昭和25年)2月4日・5日、新潟県中魚沼郡十日町の十日町文化協会が主催し、雪の芸術展や雪具供養の火の周りで十日町小唄を踊る雪中カーニバルやスキー駅伝大会などを主要イベントとして開催された[136]。十日町は「現代雪まつり発祥の地」を宣言し、十日町雪まつりが「日本初の雪祭り」であると標榜していて[136]、それが広く一般にも通用しているため、ここに記すが、上述の通り、実際は「雪像展覧会を主とする」「住民主催で始まった」等の限定条件付きである。
  • バレンタインデー - 諸説並立して、定説なし
    確認できている販売促進活動で最も早期に当たるものは、神戸モロゾフ製菓(現・モロゾフ)による1936年(昭和11年)2月12日起源説。詳しくは「バレンタインデー#沿革」を参照のこと。
  • ハロウィン - 不明
    確認できている販売促進活動で最も早期に当たるものは、キデイランド原宿店が1970年代に開始したハロウィン関連商品の店頭販売[137]

宗教色のない催事[編集]

商業イベントなど、宗教色が全く無い催事。

探検・冒険[編集]

地球[編集]

宇宙[編集]

食文化[編集]

ファッション[編集]

  • 扇(扇子)- 奈良時代後期の発掘品があり、折り畳み出来る扇子は、紙不足の難に窮したが故の日本の発明品である。 日本最古扇司は上京区。
  • 西洋理髪店 - ヘアー・ドレッシング・アンド・シェイビング・サロン:文久3年/元治元年(1864年)、ファーガソンが横浜ホテルで開業。
  • テーラー -「(金)柴田音吉洋服店」(神戸市):1883年、日本人最初のテーラーである柴田音吉が元町で開業[2]
  • パーマネントウエーブ -「オリエンタルホテル理髪部」(神戸市):1923年(大正12年)。

事故・犯罪事件関連[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ この説に対しては『薬経太素』なる書は存在しないとする強い批判がある。そもそも同書は『日本後紀延暦18年(799年)2月乙未(21日)条に「(和気広世)大学会諸儒講論陰陽書新撰薬経太素等」とあり、これを「大学に諸儒を会して陰陽の書を議論し、新たに薬経太素等を撰す」と訓じたことに由来する。しかし、同条については、「大学に諸儒を会し、『陰陽書』、『新撰薬経』、『太素』等を講論す」と訓じる説が通説である。『陰陽書』は、詳細は不明であるが、呂才撰『陰陽書』(『大唐陰陽書』)などの陰陽道の基本書を指すと考えられる。また、『新撰薬経』は、蘇敬ほか撰『新修本草』の薬図・図経(略して薬経)のこと、『太素』は、楊上善撰『黄帝内経太素』のこととみられ、両書とも当時の医学の基本書を指すと考えられる。したがって、『薬経太素』なる書は『日本後紀』を誤読した結果生まれた偽書(『続群書類従』に採録された『薬経太素』は後世〈寛文元年[1661年]-延宝元年[1673年]頃か〉になって作られたと考えられる)であり、現在、その存在を支持する説はない。
  2. ^ 八幡製鐵所は1901年操業開始だが、当初状態が不安定だったため、翌年1902年に稼動を停止。本格的に稼動したのは2年後の1904年から。釜石鉱山田中製鐵所は1887年に操業開始、1903年より銑鋼一貫製鉄所として稼動している。
  3. ^ 朝鮮語で「婆さん」を意味する俗語[17]
  4. ^ 現在も境内にある「菱形池」。当時は山々に囲まれての実の形をしていたであったと考えられる。
  5. ^ 当時の郡名については出典が無く、「神奈川県大磯」という現代地名が示されているのみであるが、これを当時の郡に比定すれば「餘綾郡」内の地域で間違いなく、その餘綾郡の郡衙の所在地は馬場台遺跡を比定地と考える[25]のが有力説である。
  6. ^ 岡崎は途中棄権と棄権で終わっている。阪上は最高成績が第4位である。
  7. ^ 玉釧(たまくしろ)とは、玉(ぎょく)で飾った腕輪
  8. ^ 神庭。神の儀式を行う場所。
  9. ^ 天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行う女官
  10. ^ 夜中に垣を乗り越えて脱走した罪で銃手7人の死刑が1869年(明治2年)8月13日に可決された。
  11. ^ 罪状は倉庫に侵入し383円95銭相当(1円を2万円で換算した場合、約770万円[45])の官物を窃盗したことである[46]1877年(明治10年)11月1日に死刑執行が確定し、同月28日に死刑が執行された。他に、上官や同僚から19円62銭の金銭と他人の官給品、逃亡した際に6人に詐欺を行い207円10銭を得たこと、1876年(明治9年)7月3日の脱獄の犯罪を犯している。[47]
  12. ^ 脱賊であったが、長鯨丸に降伏し、艦内に服役する形で働いていた。罪状は、艦内のクロノメーターを盗み、逃走したこと。1869年(明治2年)9月8日に死刑が可決された。
  13. ^ 山下知恵は、父である山下万蔵に最初は怒って拒絶していたが、3日後に情事が行われる。この情事により、密通で出来た子供がいる状態であったが、懐妊した。しかし、1872年(明治5年)3月に山に登っている途中転落して、流産している。その後も情事を重ねていたが、同年7月3日に捕まり、翌年7月7日に父と共に無期懲役(終身懲役)の判決が出る。当時の法では、この様な行為は違法であった。また、判決前に神奈川県から司法省に出した伺いでは、父娘共に梟首(獄門)にするよう求めていた。山下知恵の他に2件(東京府と愛媛県で其々1件)、同様の理由で父娘共に無期懲役の判決が出ており、どちらも1873年(明治6年)に判決が下され、この年に無期懲役の判決が下された女性の判決理由は全員父との情事となった。また、東京府では、植村ヒテが14歳であり15歳以下であったため、収贖(刑に服する代わりに,金銭を納めて罪過を贖(あがな)うこと)することで、無期懲役を受刑することを免れている。なお、当時の無期懲役の収贖金額は35円(現在の価値で70万円)である。
  14. ^ 植村ヒテは、1874年(明治6年)3月9日夜に父である植村虎次郎の欲情をきっかけに情事を重ねる。そして、同年5月上旬に再び重ねる。そして、植村虎次郎の病気により生活が困難であるためになるように、両親(母は実母ではない。)に言われたが断ったため、両親が怒る。この状況に困り、同年6月2日に自首し、翌日に父が逮捕される。そして、同年10月17日に無期懲役(懲役終身)の判決が父と共に下される。但し、植村ヒテは15歳以下であったため、35円の収贖(刑に服する代わりに,金銭を納めて罪過を贖(あがな)うこと)することで、無期懲役を受刑することを免れている。なお、ヒテは、植村虎次郎の不倫により出来た子供でもある。
  15. ^ 科刑理由:住吉仲皇子側についた阿曇連浜子に従ったため。
    住吉仲皇子は、皇太子で兄の去来穂別(いざほわけ:のちの履中天皇)であると偽り、黒媛羽田矢代宿禰の娘)との情事を重ねた。この行為発覚を恐れ、天皇の宮を包囲し放火。脱出した去来穂別は、軍を再編し竜田山を越えたところで、数十人の武器を持って追いかけててくる者たちがいた。皇太子はそれを見て怪しみ、近くにやってきた時に人を遣って尋ねた。 彼らは、「淡路の野島(のしま)の海人である。阿曇連浜子の命令で、仲皇子のために、太子を追っています」と答えた。そこで、伏兵を出して、取り囲んで捕えられた。後に、本来反逆であり死刑になる所、徒刑に減刑され、倭(やまと)の蒋代屯倉(こもしろのみやけ)での労働を伴う刑を受けた。
  16. ^ 科刑理由:住吉仲皇子側について反乱に加担したため。
    古代日本の豪族。住吉仲皇子側についたが、皇太子の弟の瑞歯別皇子(のちの反正天皇)が仲皇子暗殺を報告し、村合屯倉を与えられたその日に捕らえられた。履中天皇は、即位後の4月に阿曇浜子を呼び出して、死刑から減刑し、入墨刑にすることを宣告。宣告した日の内に、目の縁に入れ墨をした。
  17. ^ 既婚女性や男性を含む「美人」コンテスト(「ミス・コンテスト」より広義)。
  18. ^ 「大会形式」であり、個人的な遊びが大規模になっただけのものは含まない。「近代的」であり、昔から行われてきた雪遊びの延長線上のものは含まない。以下同様。
  19. ^ 興りが「住民主催」であったものだけでなく「法人主催」であったものも含む。
  20. ^ 「住民主催」であり、学校等の法人主催は含まない。
  21. ^ この場合の「五大陸」とは、ヨーロッパ大陸ユーラシア大陸アフリカ大陸北アメリカ大陸南アメリカ大陸を指す。なお、ヨーロッパ大陸はモンブランを登頂した。
  22. ^ ここでいう「日本公認」は「当時の日本陸軍の公認」を踏襲したもので、今日においても12月19日が「日本初飛行の日」とされている論拠である。
  23. ^ 白瀬京子は、マゼラン海峡を含む一部区間、乗船していない。このため、白瀬個人は、ヨット世界一周は達成していない。

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外部リンク[編集]