「麻生太郎」の版間の差分
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{{観点}} |
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{{Ambox |
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| type = serious |
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{{日本の内閣総理大臣 |
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| image = [[画像:Icono aviso borrar.png|40px|削除依頼]] |
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| text = <p style="font-size:112%">'''現在、この項目の一部の版または全体について、[[Wikipedia:削除の方針#削除依頼|削除の手続き]]に従って、削除が提案されています。'''</p> |
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|麻生 太郎<br/>(あそう たろう)<br/>[[画像:Taro Aso cropped.jpg|200px]] |
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<p style="font-size:94%">削除についての議論は、[[Wikipedia:削除依頼|削除依頼]]の[[Wikipedia:削除依頼/麻生太郎20090109|'''依頼サブページ''']]で行われています。削除の議論中はこのお知らせを'''除去しないで'''ください。</p> |
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|{{生年月日と年齢|1940|9|20}} |
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{{#ifexist:Wikipedia:削除依頼/麻生太郎20090109||<div style="border:dashed 2px #c0c0c0; padding:1em; background:#fff; clear:both; text-align:center"> |
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|[[福岡県]][[飯塚市]] |
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<p style="font-size:94%"><span style="white-space:nowrap">依頼サブページはまだ作成されていません。</span><span style="white-space:nowrap">[{{fullurl:Wikipedia:削除依頼/麻生太郎|action=edit&preload={{urlencode:Template:新規削除依頼}}&editintro={{urlencode:Template:新規削除依頼サブページ/doc}}}} 雛型を利用して作成]できます。</span></p> |
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|[[学習院大学]][[政治経済学部|政経学部]]卒業 |
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<p style="font-size:94%"><span style="white-space:nowrap">インクルード文 {{Wikipedia:削除依頼/麻生太郎}} の 貼り付け先は</span> <span style="white-space:nowrap">[{{fullurl:Wikipedia:削除依頼/ログ/{{#time:Y年n月j日|+9 hours}}|action=edit}} Wikipedia:削除依頼/ログ/{{#time:Y年n月j日|+9 hours}}] です。</span></p> |
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|[[学士|政治学士]](学習院大学・[[1963年]]) |
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<p style="font-size:94%"><span style="white-space:nowrap"><span style="border:dashed 2px #ccc; padding:2px">内枠</span>の中にあるメッセージはサブページが作成されると自動消去されます。</span><span style="white-space:nowrap">消去されない場合は{{Purge|キャッシュを破棄}}してください。</span></p></div>}} |
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|麻生セメント(現:[[麻生 (企業)|株式会社麻生]])社長<br/>[[青年会議所|日本青年会議所]]会頭(1978年度、任期1年) |
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<p style="font-size:94%">'''この項目の執筆者の方々へ''': まだ削除は行われていません。削除に対する議論に参加し、[[Wikipedia:削除の方針|削除の方針]]に該当するかどうか検討してください。また、本項目を既に編集されていた方は、自身の編集した記述内容を念のために控えておいてください。</p>}}[[Category:削除依頼中の記事]] |
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|5世<br/>高祖父(麻生太郎の父)・[[麻生太吉]]<br/>高祖父(麻生太郎の妻の父)・[[加納久宜]]<br/>高祖父(牧野の父)・[[大久保利通]]<br/>高祖父(牧野の妻の父)・[[三島通庸]]<br/>曽祖父(父方)・麻生太郎<br/>曽祖父(母方)・[[牧野伸顕]]<br/>祖父(母方)・[[吉田茂]]<br/>父・[[麻生太賀吉]]<br/>義父・[[鈴木善幸]]<br/>(初当選は父の引退から24年後)<br/>義弟・[[寛仁親王]]([[寛仁親王妃信子|信子]]の夫) |
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<!-- 削除についての議論が終了するまで、上記部分は削除しないでください。 --> |
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|[[2008年]][[9月24日]]| |
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{{Copyrights}} |
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|[[福岡県第8区|福岡8区]] |
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|衆9回 |
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|[[自由民主党]] |
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|}} |
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{{日本の国会議員|衆議院議員 麻生 太郎 |
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|{{生年月日と年齢|1940|9|20}} |
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|[[福岡県]][[飯塚市]] |
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|[[学習院大学]]<br/> |
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|政治学士 |
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|麻生セメント(現:[[麻生 (企業)|株式会社麻生]])社長<br/>[[青年会議所|日本青年会議所]]会頭(1978年度、任期1年) |
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|衆・国家基本政策委員会委員 |
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|5世<br/>高祖父(牧野の父)・[[大久保利通]]<br/>高祖父(牧野の妻の父)・[[三島通庸]]<br/>曽祖父(父方)・[[麻生太吉]]<br/>曽祖父(母方)・[[牧野伸顕]]<br/>祖父(母方)・[[吉田茂]]<br/>父・[[麻生太賀吉]]<br/>義父・[[鈴木善幸]]<br/>(初当選は父の引退から24年後)<br/>義弟・[[寛仁親王]]([[寛仁親王妃信子|信子]]の夫) |
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|[[福岡県第8区|福岡8区]] |
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|9回 |
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|[[自民党]]([[為公会|麻生派]]<ref>形式的には無派閥</ref>) |
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|[[自由民主党総裁|総裁]] |
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|衆・第一議員会館210号室 |
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|http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト}} |
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'''麻生 太郎'''(あそう たろう、[[1940年]]〈[[昭和]]15年〉[[9月20日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[実業家]]。[[自由民主党総裁]](第23代)。[[内閣総理大臣]](第92代)。[[国会議員|衆議院議員]](9期)。[[為公会]](麻生派)会長。妹は[[寛仁親王妃信子]]。[[キリスト教徒|クリスチャン]]([[カトリック教会|カトリック]])である。 |
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[[経済財政政策担当大臣|経済企画庁長官]](第[[第1次橋本内閣|53]]代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|2]]代)、[[総務大臣]](第[[小泉再改造内閣|3]]・[[第2次小泉内閣|4]]・[[第3次小泉内閣|5]]代)、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]](第[[第3次小泉内閣改造内閣|137]]・[[安倍内閣|138]]代)や、[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|自由民主党政務調査会長]]、[[自由民主党幹事長]]を歴任。 |
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[[モントリオールオリンピック]][[クレー射撃]]([[クレー射撃#クレー|クレー]]・[[クレー射撃#スキート|スキート]]競技)日本代表<ref name="asouofficial">[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト]</ref>(41位)。元[[麻生 (企業)|麻生セメント]](現・株式会社麻生<ref>麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生からさらに分社化した麻生セメント(2代目)が社名変更したもの。</ref>)[[代表取締役]][[社長]]。 |
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== 経歴 == |
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[[福岡県]][[飯塚市]]に[[麻生太賀吉]]・和子の長男として生まれる<ref>父方の祖父の名前も“麻生太郎”である</ref>。[[麻生 (企業)#概要|麻生塾小学校]](閉校 後の学校法人麻生塾・麻生専門学校)を経て、小学3年生の頃上京し、[[学習院初等科]]に編入<ref>『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁</ref>。 |
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[[1963年]]に[[学習院大学]]政経学部を卒業<ref>[http://www.aso-taro.jp/profile/index.html プロフィール(麻生太郎オフィシャルサイト)]</ref>。帰国後の[[1966年]]に家業の麻生産業(後に清算)に入社し、セメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:[[麻生 (企業)|株式会社麻生]])で[[1973年]]に[[代表取締役]]社長に就任。[[炭鉱]]業から[[セメント]]業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代に[[ブラジル]]の[[サンパウロ市]]に1年近く駐在していたこともある<ref>[http://www.nikkeyshimbun.com.br/070817-72colonia.html 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビュー]([http://www.nikkeyshimbun.com.br/index.html ニッケイ新聞] 2007年8月17日付け )</ref>。また、社長業の傍らで、[[1976年]]のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。 |
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[[1979年]]10月、[[第35回衆議院議員総選挙]]に(旧福岡2区、現:[[福岡県第8区]])から出馬。初当選を果たし政界入りする。落選した[[第37回衆議院議員総選挙]]を除き、現在まで全ての総選挙で当選している。[[宏池会]]に所属。 |
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[[1996年]]に[[第2次橋本内閣]]の[[経済企画庁]][[長官]]に就任し、初入閣。 |
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[[1999年]]1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、元総裁[[河野洋平]]を会長に大勇会(現在の[[為公会]]、通称”麻生派”)旗揚げ。 |
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[[2001年]]4月、[[2001年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬し、[[小泉純一郎]]、[[橋本龍太郎]]と戦い31票で3位。その後発足した[[小泉政権]]では党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]]を務め、[[2003年]]9月からは[[総務大臣]]として入閣し、[[郵政民営化]]を担当した。 |
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[[2006年]]9月、[[2006年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補するも[[内閣官房長官]](当時)の[[安倍晋三]]に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 [[谷垣禎一]]:102票)。 |
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[[2007年]][[3月20日]]、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。 |
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[[2007年]]9月、[[2007年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補する。党員票では[[福田康夫]]を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。 |
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[[2008年]]9月、[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に4度目の立候補をし351票を獲得。[[自由民主党総裁]]に就任する。 |
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2008年[[9月24日]]、第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]を[[組閣]]する。就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。 |
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2008年[[10月2日]]、[[麻生内閣メールマガジン]]「太郎ちゃんねる」を配信。創刊号では[[景気]]対策の必要性を訴えているほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意している。 |
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{{節stub}} |
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== 政治的主張 == |
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=== 経済 === |
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道路整備などを主に主張する[http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-douro-keikaku/iken/yushikisya/ri/7_80_727001.html]エコノミストの[[リチャード・クー]]が「経済政策の理論的支柱」として麻生の[[財政出動]]を中心とする政策作りに協力している<ref>『[[朝日新聞]]』 2008年8月23日</ref>。 |
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[[定額減税]]や[[公共事業]]を中心とする[[財政出動]]に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも[[景気]]対策の優先を提唱している<ref>共同通信 2008年9月10日</ref>。2008年になってからは、財政健全化を目指した[[小泉政権]]の[[構造改革]]路線の推進を否定し、「[[基礎的財政収支]](プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している<ref>『毎日新聞』 2008年9月11日</ref>。 |
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[[消費税]]の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」<ref>[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/071026.html 消費税論議、経済成長が前提](『[[夕刊フジ]]』連載 「日本の底力」 2007年10月26日)</ref>として消費税増税を示唆しつつも、2008年9月には「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として増税には消極的な態度に変わっている。ただし、[[2011年]]以降に10%の消費税を導入する意向を示している<ref>『[[日本経済新聞]]』 2008年9月14日</ref>。 |
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首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、[[道路]]、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に[[公共事業]]が必要との考えを示している<ref>『[[読売新聞]]』 2008年9月13日</ref>。また、「(地方の)[[医療]]、[[介護]]が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路建設により地方の医療が向上するとの考えを示している<ref>『[[共同通信]]』 2008年9月13日</ref>。 |
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2008年[[10月30日]]には、世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円にも及ぶ追加経済対策を発表。[[小渕内閣]]の[[地域振興券]]とよく似た、2兆円を超える[[定額給付金|給付金]](「4人家族で6万円程度になる」としている)を全世帯に支給し、過去最大規模の[[住宅ローン]]減税を実施するなど、[[バラマキ]]色の強い内容と評される。証券アナリストなどは、過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、今回も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示している<ref>『毎日新聞』 2008年10月30日</ref>。[[11月26日]]に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出した<ref>『毎日新聞』 2008年11月27日 麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛ぶ一方で「[[地方分権]]」を理由に事務を[[市区町村]]に委ねたことなどの政府批判を行った[[民主党]][[幹事長]]の[[鳩山由紀夫]]は大きな拍手を浴びた。</ref>。 |
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「'''景気の麻生'''」<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2008102802000147.html 『景気の麻生』 市場安定化策も効果なく] [[東京新聞]] 2008年10月28日</ref>を自認しているが、「株を満期まで持っている人にとっては、時価会計は手続きが大変になる」<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081029-00000574-san-pol</ref>などと株に満期があるとの勘違いをしており、[[円高]]の利点として「[[ガソリン]]が安くなった」<ref>『読売新聞』 2008年11月29日</ref>(ガソリンが安くなった本当の理由は[[原油]]安)と誤った認識を示すなど、野党や世論からはその評判を疑問視する見方も存在する<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081028/plc0810280042000-n1.htm 株価最安値更新に首相「一喜一憂しない」 民主は一斉に政権批判 産経新聞2008年10月28日] </ref>。 |
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=== 外交・安全保障 === |
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外務大臣時代に、当時の[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ政権]]の中心にいた[[新保守主義|ネオコン]](新保守主義者)の考え方に近い、自由と民主主義、法の支配、市場経済を重視する「価値の外交」([[価値観外交]])と、同じ価値観を持った国家と連帯する「自由と繁栄の弧」を唱えた。 |
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; 発展途上国への[[ODA]] |
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: ODAには積極姿勢を取っている。2007年1月26日、「[[政府開発援助|ODA]]は、我が国[[外交]]の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた<ref>{{citeweb|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|title=第166回国会 本会議 第2号|date=2007-01-26|author=衆議院|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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; [[アメリカ合衆国]] |
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: 2007年2月3日、[[京都市]]内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのが[[イラク]]で分かった。([[イラク戦争]]においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。 |
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; [[東アジア]] |
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: 韓国に対しては、2007年1月26日に「日本と[[大韓民国|韓国]]は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な[[民主主義]]国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手[[マスメディア|メディア]]である[[中央日報]]のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。[[サムスン]]だけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。また、韓国人徴用者を強制労働させていた[[麻生太賀吉#麻生炭鉱|麻生炭鉱]]の調査については、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話した<ref name="joinscom20051225">[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71021&servcode=200§code=200 麻生太郎日本外相インタビュー「韓日、靖国に執着しすぎ」 中央日報2005年12月25日]</ref>。 |
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: 中国に対しては、2007年1月26日に「共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります」としている。 |
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: [[中華民国|台湾]]に対しては、2006年3月9日、参院[[予算委員会]]で、「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言。台湾のメディアでは「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と報道された。 |
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; [[北方領土問題]] |
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: 2006年12月13日の衆院[[外務委員会]]において、北方領土問題を解決するために北方4島([[択捉島|択捉]]、[[国後島|国後]]、[[色丹島|色丹]]、[[歯舞群島|歯舞]])全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した<ref>『読売新聞』2006年12月14日</ref>。これは[[海部俊樹]]元首相から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。 |
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; [[核武装論]] |
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: 2006年10月、自民党政調会会長の[[中川昭一]]が核武装論も選択肢として考えておくべきだと発言し、一部から非難をうけた。麻生は[[非核三原則]]の堅持を明言を前提としつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は[[言論統制]]された国ではない。[[言論の自由]]を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と中川の擁護とも解釈できる発言を行った。この発言が原因で12月に[[民主党 (日本 1998-)|民主党]] 、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]] 、[[日本共産党|共産党]]など[[野党]]4党から外相としての不信任決議案を提出された。 |
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; [[憲法改正論議]] |
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: 2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の[[自衛権#集団的自衛権|集団的自衛権]]の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。 |
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=== 歴史認識 === |
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[[日本統治時代の朝鮮]]・[[日本統治時代 (台湾)|台湾]]に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年[[5月31日]]、[[東京大学]]学園祭において「[[創氏改名]]は[[朝鮮民族|朝鮮人]]が望んだ」([[満州]]や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本は[[ハングル]]普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年[[2月4日]]の[[福岡市]]での講演において、日本が[[植民地]][[台湾]]の[[義務教育]]に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって[[識字率]]などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。 |
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2007年[[2月19日]]、衆議院予算委員会において[[アメリカ合衆国下院|米下院]]に提出された[[慰安婦]]問題をめぐる[[アメリカ合衆国下院121号決議|対日非難決議案]]にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070219011.htm|title=第166回国会 予算委員会 第11号|author=[[衆議院]]|date=2007-02-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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2007年[[3月21日]]、[[長崎県]][[時津町]]で講演。日本独自の[[中東]]和平[[外交]]として、[[ヨルダン#ヨルダン渓谷|ヨルダン渓谷]]の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で[[金髪]]だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、[[機関銃]]撃ったとか1回もない」と語った。 |
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2006年[[5月26日]]、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『[[ナショナリズム]]』でした。この2つは、地図に黒々と、太い[[国境]]を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた<ref> {{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0526.html|title=国際交流会議「アジアの未来」2006 麻生太郎外相スピーチ「ネットワーク型アジア」の未来を構想する(外務大臣演説)|author=[[外務省]] |date=2006-09-18|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「[[村山談話]]」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した<ref>『毎日新聞』 2008年10月2日</ref>。 |
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また、2008年[[10月5日]]には[[従軍慰安婦]]問題に関して旧日本軍の関与を認めアジア諸国に謝罪した[[河野談話]]について「政府の基本的立場は現在も談話を'''ふしゅうする'''」と述べた[http://jp.youtube.com/watch?v=r6DrKUiGKuw]。マスコミは「踏襲(とうしゅう)」の読み間違いとして報道した。 |
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2008年[[10月31日]]には[[航空自衛隊]][[幕僚長]]の[[田母神俊雄]]が[[旧日本軍]]の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008103101117 空幕長論文「適切でない」=麻生首相-民主も批判 時事通信2008年11月1日]</ref>。 |
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(参考:麻生の歴史認識について[http://jp.youtube.com/watch?v=6zZvLEBeYJU][http://jp.youtube.com/watch?v=A1JiOARkeR8&feature=related][http://jp.youtube.com/watch?v=lp6kaVOw5_0&feature=related][http://jp.youtube.com/watch?v=mPN3JTUvD80&feature=related][http://jp.youtube.com/watch?v=vBENe77b2UU&feature=related][http://jp.youtube.com/watch?v=Kda_-xnNaeE&feature=related]YouTube動画,安倍・麻生・谷垣三者討論) |
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麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる(2008年[[12月4日]]配信)」において、「[[1941年]]12月に[[第二次世界大戦]]が[[真珠湾攻撃]]で始まるんです」と発言した。 |
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=== 靖国神社問題 === |
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政治家の[[靖国神社問題|靖国神社参拝問題]]については、[[政教分離原則|政教分離]]が問われるなど一番の問題は[[靖国神社]]が[[宗教法人]]であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる[[特殊法人]]への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、[[靖国廟]]でも[[招魂社]]でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している<ref>『時事通信』 2008年10月7日</ref>。 |
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2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた<ref>『読売新聞』 2006年8月4日</ref>。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている<ref>『日本経済新聞』 2008年10月7日</ref>。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「[[中華人民共和国|中国]]が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これは[[タバコ]]を吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。 |
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[[A級戦犯]]の[[分祀]]については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している<ref>『時事通信』 2006年3月8日</ref>が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている<ref>[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html 麻生太郎オフィシャルサイト] 靖国に弥栄(いやさか)あれ</ref>。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにして[[A級戦犯]]を[[分祀]]することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している<ref>『日本経済新聞』 2008年9月15日</ref>。 |
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2006年[[1月28日]]、[[名古屋]]で行われた公明党議員の会合で、「[[英霊]]は[[天皇]][[陛下]]のために[[万歳]]と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が[[参拝]]なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)[[公人]]か[[私人]]かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した<ref>『共同通信』 2006年1月31日</ref>。 |
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日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している<ref name="joinscom20051225"/>。 |
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2006年[[5月26日]]に都内の[[ホテル]]で開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分が[[カタール]]で中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した<ref>『日本経済新聞』 2006年5月26日夕刊</ref>。 |
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{{節stub}} |
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== 人物 == |
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[[画像:TaroAso.jpg|thumb|200px|記者会見に臨む麻生]] |
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=== 人物像 === |
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身長175cm、体重70Kg、血液型A型。名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが、「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。基礎的な漢字をたびたび読み誤り、マスコミを引き連れたパフォーマンスで本屋へ行った際に1ヶ月前に買った本と同じ本([[日下公人]]の「日本はどれほどいい国か」)を再度買ってしまうなど、本を読んでいないと推測された<ref> http://gendai.net/?m=view&c=010&no=21576</ref>。 |
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大学進学に関しては「東大を受験したい」と父親に言ったが、父親から『官立大学はお金がない人がいくところで、お金持ちのおまえが行くのは税金がムダ。それに東大は役人になるためにいくところだ。おまえ役人になるのか?』と言われたがために、東大へ行けないこともなかったがあえて私立の[[学習院大学]]へ進学した、と自著で述べている<ref>麻生太郎『とてつもない日本』</ref>。 |
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特徴は[[江戸言葉|べらんめえ調]]の軽妙な語り口と[[毒舌]]も織り交ぜた発言で、[[街頭演説]]などで聴衆の人気を博した。しかし、過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。 |
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[[夢実現21世紀会議]]の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて[[日韓トンネル]]の実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。また[[日韓議員連盟]]の副会長や、[[日韓海底トンネル推進議員連盟]]の[[九州]]支部顧問も務めている。 |
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海外留学などの経験から、英語力が堪能であるため海外などでのスピーチは通訳なしで英語で行っている。その一方で、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだり、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだり、「詳細」を「ようさい」と読んだりと、日本語の能力に関しては疑問符がついている<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html 「村山談話をフシュウ?」、首相誤読 議事録は「踏襲」] 朝日新聞 2008年11月12日閲覧</ref>。 |
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{| class="wikitable" style="float:right" |
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|+ '''ある日の豪遊例(2006年2月14日)'''<ref name="31akahata"/> |
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! 店名 !! 金額 |
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! 露地やま祢(料亭) |
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| 9万6358円 |
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! シュミネ(クラブ) |
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| 48万2610円 |
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! かかしや(日本料理) |
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| 9万6660円 |
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! 山祥庵(ステーキハウス) |
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| 9万6003円 |
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! 幸本(料亭) |
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| 110万3711円 |
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! 宵待草(クラブ) |
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| 9万410円 |
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! ウイングスインコーポレイテッド |
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| 8万8570円 |
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|} |
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豪遊ぶりが目立ち、総理大臣に就任以後も高級ホテルや高級料亭などを頻繁に行き来していることが報道されている。政治資金収支報告書によると、2006年度には資金管理団体「素淮会」から高級クラブなどに173回、合計で約3500万円を支出している<ref name="31akahata">{{cite web | url=http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-14/2008081415_01_0.html | title=麻生幹事長、政治資金で飲み食い | work=[[しんぶん赤旗]] | publisher=[[日本共産党]] | date=2008-08-14 | accessdate=11月2日 | accessyear=2008年 }}</ref>。2007年度にも「[[ミシュランガイド]]」東京版で最高の3つ星を獲得した寿司店など高級店を「会合」名目で利用している<ref>{{cite web| url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080901-4146106/news/20080912-OYT1T00740.htm | title=麻生氏は他4候補を圧倒、小沢代表と互角…政治資金中央分 | work=[[読売新聞]] | publisher=[[読売新聞社]] | date=2008-09-12 | accessdate=11月2日 | accessyear=2008年 }}</ref>。 |
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[[2004年]]9月に、3年10か月の[[国民年金]]保険料未払い期間があったことが判明している。[[民主党代表]](当時)の[[菅直人]]が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。{{main|政治家の年金未納問題}} |
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2008年[[10月24日]]の[[資産公開制度|閣僚資産公開]]で福岡県の実家や都内一等地の邸宅、軽井沢の別荘など併せて4億395万円の個人資産を所持している事が分かった。前首相[[福田康夫]]が所持している総資産の6倍に及び<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=200810/2008102400737 麻生氏、不動産4億円所有=際立つセレブぶり-新旧首相比較]時事通信 2008年10月24日</ref>、国会議員の中でも有数の「セレブ議員」<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2008/10/25/06.html 麻生セレブ首相 資産4億5547万円]スポニチ 2008年10月25日</ref><ref>[http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008102401000521.html 世襲議員、資産にばらつき セレブ内閣、最大50倍の差]47NEWS 2008年10月24日</ref>と報道された。 |
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=== 邸宅 === |
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敷地面積2400平方メートル、土地代だけで時価50億円を超えると言われる大邸宅を[[渋谷区]][[神山町 (渋谷区)|神山町]]の一等地に所有している<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092902000245.html 別世界「麻生御殿」 敷地2400平方メートル 地価は50億円] 2008年9月29日 [[東京新聞]]</ref>。また、弟の泰氏の土地を併せれば5000平方メートルを優に超える。敷地内には木造3階建ての洋館が屹立し父親の[[麻生太賀吉]]氏が存命中の頃は専属コックがおり、フランス料理のフルコースなども調理していた。報道機関では「麻生御殿」とも呼称される<ref>[http://www.47news.jp/news/2008/09/post_2395.html "麻生御殿"は別世界 一等地の高台に洋館]47NEWS 2008年10月28日</ref>。東京の大邸宅の他には約2万坪の実家が[[福岡県]][[飯塚市]]に存在する<ref>[http://www.zakzak.co.jp/top/200809/t2008091301_all.html 麻生豪邸、土地代だけで62億円!?5候補お宅を査定] ZAKZAK 2008年[[9月13日]]</ref>。2008年[[10月27日]]、インターネット上で「麻生首相の自宅を見に行こう」という呼びかけで集まった30人ほどのグループが無届のデモを行い、そのうちの3人の男が警察官に暴力を振るうなどして[[公務執行妨害]]並びに都公安条例違反で警視庁に逮捕されたと報じられた。その後、3人は記者会見を開いて逮捕時の映像を公開し「暴行の事実は無く、事前にデモでは無いとして警察に了解を得ていた。格差と貧困をリアルに実感することが目的だった」として抗議している<ref>[http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20081028ddlk13040306000c.html 麻生首相宅見学ツアー:フリーター労組ら「暴行しておらず不法逮捕」と会見] 毎日新聞 2008年10月28日</ref>。 |
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=== 信仰 === |
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[[キリスト教徒|クリスチャン]]([[カトリック教会|カトリック]])である。靖国神社に参拝することもある(入閣している時はこれまで参拝してない)が、自身が[[神道]]ではなくクリスチャンということもあり、靖国神社の非宗教法人化を提唱している。[[終戦の日|終戦記念日]]の[[8月15日]]ではなく、[[例祭|例大祭]]に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は[[聖母の被昇天]]という祭日であり、この日に祝いの[[ミサ]]があるという事情もある)。 |
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[[クールビズ]]スタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としての十字架の鎖部分である<ref>側近の議員である[[松本純]]がウェブサイトで説明している。</ref>。 |
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=== 漫画 === |
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[[読書]]が趣味。特に[[漫画]]好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身の[[ウェブサイト]]に掲載している『[[ビッグコミックオリジナル増刊]]』2003年7月2日号のインタビュー<ref>{{cite web|url=http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|title=麻生太郎 コミックを語る|work=ビッグコミックオリジナル 増刊号|date=2003-07-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>によれば、自分の車内には常に最新の週刊コミック誌を置いているという。漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、[[ポーランド]]外相からは、現地([[ポーランド語]])版の『[[犬夜叉]]』を寄贈されている<ref>自著『とてつもない日本』p.168(新潮新書、2007)</ref>。 |
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漫画好きであることを自身の政策や政治的主張に利用することも多く、[[2006年]]や[[2007年]]の[[自民党総裁選]]の際には[[秋葉原]]で街頭演説し、漫画を始めとした日本の[[ソフトウェア|ソフト]][[コンテンツ]]産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持つべきであると述べた。[[2006年]]4月に[[デジタルハリウッド大学]]で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画である[[勇午]]について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた<ref>[[garbagenews.com]][http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/05/post_868.html]</ref>。 |
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2007年[[5月22日]]には海外の漫画家を対象とした「[[国際漫画賞]]」を創立することを発表。「漫画の[[ノーベル賞]]のようなものを作りたい」と述べている。同年[[5月30日]]から[[ウィーン]]で開催された[[核拡散防止条約]] (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が[[広島]]の[[被爆]]体験を描いた漫画『[[はだしのゲン]]』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。[[外務省]]が[[英語]]版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している<ref>[[時事通信]] 2007年4月29日</ref>。 |
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[[羽田空港]]で『[[ローゼンメイデン]]』を読んでいたところを見たという[[2ちゃんねる]]の書き込みが[[インターネット]]上で話題となり、一部の[[おたく]]層から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われた[[サブカルチャー]]雑誌『[[メカビ]]』Vol.1のインタビューにおいて『ローゼンメイデン』について、「少女コミックの割には、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている<ref>麻生太郎著 『自由と繁栄の弧』 P.296~P.305 「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 9784344013339<!-- 初出は雑誌メカビ Vol.01 だが、入手しやすさを考慮してこっちに --></ref>。だが、2008年2月18日の[[SMAP×SMAP]]にゲスト出演した際に質問され「空港で噂の[[ローゼンメイデン]]が置いてあったので読んだ」と語り、さらに『[[英語でしゃべらナイト]]』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『[[現代用語の基礎知識]]』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。こうしたことから、漫画好きの人々からの支持は高いと言われている。 |
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ただし全ての漫画に理解があるというわけではなく、[[1989年]] - [[1991年]]に掛けての[[有害コミック騒動|「有害コミック」騒動]]では、1991年「子供向け[[ポルノグラフィ|ポルノコミック]]等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。この会では、業界関係者を招致し、自主規制の現状について説明させた。 |
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一方、『[[名探偵コナン]]』を使った外務省の[[パブリック・リレーションズ|PR]]冊子作成発表時に、『名探偵コネン』と読み間違えたり、その作者[[青山剛昌]]の名前を読めなかった。また、外相時に[[メキシコ]]の[[日墨学院]]を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|るろうに剣心]]」について質問され、答えられない場面もあった。 |
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2008年[[8月2日]]に死去した[[漫画家]]の[[赤塚不二夫]]について、「あの種の[[ギャグ漫画]]の草分け的存在で『[[シェー]]』をはじめ、よく笑った」とコメントした<ref>{{cite news| url =http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080200396&rel=y&g=soc | title =「よく笑った。残念」=赤塚不二夫さん死去で-自民・麻生幹事長 | publisher = [[時事通信]]| date = 2008-08-02}}</ref>。 |
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2008年[[9月25日]]の英有力紙[[フィナンシャル・タイムズ]]では「貴族的家柄で失言と偏愛的な青年向け漫画愛好家である麻生太郎」と表され、国外でも漫画好きの政治家と認知されている<ref>[[FT.com]][http://www.ft.com/cms/s/0/e2ea1c54-8b2a-11dd-b634-0000779fd18c.html?nclick_check=1 A temp in Tokyo]</ref>。 |
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2008年[[9月26日]]東京・[[秋葉原]]で遊説を行い、さらに同所で開かれた「秋葉原エンタまつり08」の特別ステージにゲスト出演。『ジャパニメーションは、21世紀日本の資源。正しく国益。』という持論に基づき、漫画家・[[アニメーター]]の待遇向上による作品の品質向上、多国間における著作権保護の促進による国際競争力強化、ネット時代の柔軟なコンテンツ流通のあり方等について政策として強力に取り組むと共に、平和日本の文化として世界へのアピールを宣言。多くの聴衆からの熱狂的支持を受けた<ref>[[FT.com]][http://www.ft.com/cms/s/0/e2ea1c54-8b2a-11dd-b634-0000779fd18c.html?nclick_check=1 A temp in Tokyo]</ref>。 |
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その1ヵ月後の[[10月26日]]には再び秋葉原で街頭演説を行った。その際2008年[[6月8日]]に起こった[[秋葉原通り魔事件]]を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、地方銀行について触れ、従業員の[[最低賃金]]を上げることや、[[非正規雇用]]を[[正規雇用]]にし、その際の負担は政府が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を訴えた。また、総理大臣になってからの多忙さで、漫画があまり読めなくなったことも話した。 |
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しかしながら[[2008年自由民主党総裁選挙|総裁選]]時の街頭演説とは異なり「アキバはいつまでもてめーの味方ぢ(じ)ゃねーぞ」と書かれた紙を掲げる者や「アキバを利用している」等と批判的な見解を示す者<!-- 出典を提示してください。 (これについては「2ちゃんねらーを装った市民団体の仕業」との指摘が出ている)-->がおり、「秋葉原ですら麻生離れがすすんでいる」という報道がなされた<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20081027-423154.html “ホーム”アキバでも麻生首相離れ]日刊スポーツ 2008年10月27日</ref>。 |
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[[週刊少年ジャンプ]]で人気を博しており、麻生も好きだと公言している漫画、「[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]」の[[両津勘吉]]の銅像が東京・亀有に2008年11月に設立され、アニメで両津の声を務めた[[ラサール石井]]と原作者や麻生も参加し除幕式が行われたが、その際に麻生は原作者の[[秋本治]]には挨拶したにも関わらずラサール石井に対しては知らなかったためか完全に無視し、そのことに憤慨したラサール石井がblogで「握手どころか、1回も目を合わすこともない。漫画好きなんじゃないの?庶民派アピールなんじゃないの?俺、両さんの声やってるんすけど。ははあ。この人、俺のこと知らないな。漫画好きでもアニメはみてないのね。なんで俺をシカト?いやあ、なんかヘンだよこの人。ていうか、馬鹿だなあ」などと麻生批判を展開したことが話題になった。このblogはラサールに対する批判で炎上し、該当記事はその後削除された<ref>http: //www.j-cast.com/2008/11/13030313.html</ref>。 |
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2008年11月20日、アニメ映画監督として知られる[[宮崎駿]](学習院大学では麻生と同期)が、都内の[[日本外国特派員協会]]で行われた記者会見の中で、機会のあるごとに麻生が「[[オタク]]」文化を理解する人物として自分を積極的に打ち出していることについて、記者が宮崎にどう考えるかと質問したところ、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることをわざわざ首相が宣伝する必要はないという考えを示した<ref>[http://www.afpbb.com/article/entertainment/entertainment-others/2541223/3544143 宮崎駿監督、麻生首相の自称「漫画好き」に苦言] AFPBB News</ref>。これに対して、ネット上の一部で「オタク批判だ!」という宮崎への批判も出たが、[[スタジオジブリ]]関係者は、「ネットで言われているような『漫画を読むのは恥ずかしい』などと宮崎監督は言っているわけではない」「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピール(政治利用)として使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」との見解を示している<ref>[http://www.j-cast.com/2008/11/21030823.html 首相のマンガ好き「恥ずかしいこと」 宮崎駿監督発言でネット大混乱]</ref>。 |
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『後継者の品格—現代に見る帝王学』の著者の[[新井洋]]は「麻生さんは、育ちが悪いと自分を卑下することで、逆に家柄の良さをひけらかしています。マンガオタクも秋葉原好きも、自分が庶民的であることのアピールですが、真の[[帝王学]]を学ばれた方はそういうひけらかしはしません」と述べている<ref>週刊新潮第53巻37号、平成20年10月2日</ref>。 |
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[[衆議院議員]]の[[平沼赳夫]]は、[[読売新聞]]の連載記事でのインタビューにて「総理が秋葉原で漫画の話をしてはいけない。総理は歴史、政治、道徳、宗教学などの本を読まなければいけない」と苦言を呈している。[[中曽根康弘]]は、麻生が「勉強になる」と公言する漫画『[[ゴルゴ13]]』を読み、「バカだね」と発言した<ref>週刊文春、2008年12月11日</ref> |
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=== クレー射撃 === |
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大学時代から[[クレー射撃]]を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。[[1974年]]に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年の[[モントリオールオリンピック]]代表に選出される。 |
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その後[[2000年]]5月に[[日本クレー射撃協会]]会長に就任した。 |
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== 他党、支持団体との関係 == |
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=== 公明党との関係 === |
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[[公明党]]と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる<ref>http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0808/web-news0801-1.html</ref>。麻生の2008年総裁選出馬表明直後には、公明党支持母体の[[創価学会]]婦人部・公明代表代行の[[浜四津敏子]]が異例のスピードで支持表明をし、麻生が総裁選で優位となる流れを作り話題となった<ref>http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html</ref>。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の[[北側一雄]]も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している<ref>日本経済新聞 2008年9月11日</ref>。 |
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=== 民主党との関係にかかわる報道 === |
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[[週刊文春]]は、組閣にあたり[[漆間巌]]の起用を真っ先に決めたのは、警察OBであることから、現役警官からの情報が得られることが理由であり、[[小沢一郎]][[民主党]]代表の持病である[[狭心症]]の状態や、[[民主党]]大物議員の[[マルチ商法]][[スキャンダル]]を調査させるという目的であると報じた<ref>「小沢氏が倒れたら民主党がガタガタになり、そのタイミングで解散するという選択肢が生まれたのです」(政治部記者)。10月6日、小沢氏は日本医大病院に入院した。風邪と報じられたが、密かに集められた情報では不整脈の疑いがあった。「情報収集は警察が行い、元警察庁長官の漆間巌官房副長官に情報が上げられたのです」(別の記者)首相就任時、麻生氏が真っ先に決めた人事は、漆間氏の官房副長官だったというが。別の官邸記者が言う。 |
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「漆間氏が警察庁出身であることを買って、麻生首相が起用したのです。しかし、マルチ商法業界からの献金問題で、民主党の大物議員の逮捕を狙いながら、結局、何もなかった。」[[週刊文春]]2008年12月11日号</ref>。 |
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=== 統一教会との関係 === |
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[[勝共推進議員]]の1人であり、[[国際勝共連合]]から送り込まれた1人の統一教会([[世界基督教統一神霊協会]])信者を[[秘書]]として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道された<ref>『[[週刊現代]]』1999年2月27日号</ref>。麻生は週刊誌の取材に対して、統一教会との関係を全面否定している。 |
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=== 献金 === |
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麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の[[政治献金]]を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており[[政治資金規正法]]違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した<ref>{{Cite web | date=2004-08-06 | url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601001272.html | title=補助金受け650万献金 麻生総務相関連会社 | publisher=共同通信 | accessdate=2008-09-14 }}</ref><ref>{{Cite web | date=2004-08-06 | url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601005853.html | title=違法ではないが返金受ける 麻生総務相関連会社 | publisher=共同通信 | accessdate=2008-09-14 }}</ref>。 |
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[[道路特定財源]]を資金源とする[[道路運送経営研究会]](道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。 |
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[[山田洋行]]から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている<ref>夕刊フジ2007年11月22日</ref>。 |
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== 発言 == |
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=== 物議を醸した発言 === |
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* 衆議院選挙に初出馬した[[1979年]]、地元の[[飯塚市]]での街頭演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん<ref>週刊現代第50巻第23号2008年、[[6月21日]]</ref><ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年[[10月2日]]</ref>」と発言した。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている<ref>週刊現代第50巻第23号2008年、[[6月21日]]</ref>。[[1983年]]の選挙では「[[平民]]の皆様」と発言した<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日</ref>。 |
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* [[1979年]]、「[[日中貿易]]なんかやっても無駄。中国はお金を持っていない。代金を払ってくれないよ」と発言している<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年[[10月2日]]</ref>。 |
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* [[1983年]][[2月9日]]、[[高知県]]議選の応援演説にて「東京で[[美濃部亮吉|美濃部]][[革新]]都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に[[参政権]]を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えていることを批判した<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-09-23/2008092302_03_0.html 新総裁 麻生氏 発言録] しんぶん赤旗</ref>。 |
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* [[2002年]]7月、[[田中康夫]][[長野県]][[知事]]について「醜く太っていて嫌な体型だ。自分で身体の努力していない、年を取ってなりたくない体型だ」<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年[[10月2日]]。なお、同誌は麻生が防衛大臣(当時)の[[久間章生]]について「彼の何がすごいかって、あの体型にあの顔、それなのに頭がよいことだ」と発言したことも掲載している</ref>と発言した。 |
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* 2003年[[9月11日]]の麻生も同席した[[自民党総務会]]において、大勇会の会合において[[被差別部落]]出身の[[野中広務]]に対する差別発言をしたことを会合の出席者から聞いたとして、野中がこの発言を強く批判した<ref>[[魚住昭]]『[[野中広務]] 差別と権力』</ref><ref>[[角岡伸彦]]『はじめての[[部落問題]]』</ref>。麻生は発言を否定している。{{See|野中広務#麻生太郎への批判}} |
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* 2003年[[10月20日]]に[[ホームレス]]について、「[[新宿]]のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも[[糖尿病]]という時代ですから」と発言し、事実に反するうえに差別的であるとして各地の[[日雇い]][[労働者]]および野宿者支援組織などから抗議を受けたが<ref>{{cite web|url=http://www.tokyohomeless.com/body2-75.html|title=麻生発言 新宿連絡会|author=新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議|date=2003-10-29|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>、翌日の会見で改めて趣旨を説明し<ref>{{cite web|url=http://www.soumu.go.jp/d-news/2003/1021.html|title=麻生総務大臣閣議後記者会見の概要|author=総務省|date=2003-10-21|accessdate=9月24日|accessyear=2007年}}</ref>、撤回はしていない。 |
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* 総務大臣在任中の[[2005年]][[10月15日]]、この日に開館した[[九州国立博物館]]の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一[[文化]]、一[[文明]]、一[[民族]]、一[[言語]]の国は[[日本]]のほかにはない」と発言。同博物館は[[選挙区]]は異なるものの麻生の地元である[[福岡県]]内にあり、しかもその展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである<ref>東京新聞 平成20年9月26日 付朝刊1面</ref>。 |
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* 2006年[[1月9日]]、[[福岡県]][[飯塚市]]で開いた集会で、[[シドニー]]で予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「([[イスラエル]]の)[[アリエル・シャロン|シャロン]]首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお[[葬式]]になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。<ref>共同通信 2008年1月19日配信記事</ref> |
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* 2006年[[7月4日]]の[[アメリカ独立記念日]]に合わせて、北朝鮮が[[ミサイル]]を[[日本海]]に発射して挑発行為をしたことに対して、当時外相だった麻生は記者会見で「今日(7月5日)は、キムなんとか(=[[金日成]])の記念日だったな(実際は7月8日に死去)」「距離とか方向とか見てみますと、むしろ[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソ連]]領に近いほうに発射されてますんで」と発言した<ref>日刊ゲンダイ 2008年12月11日掲載記事</ref>。 |
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* 2006年[[7月8日]]に[[広島市|広島市内]]で行なった講演で、[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|北朝鮮がミサイルを撃ち]]、主要国が重大な関心を持ったことについて、「[[金正日]]に感謝しないといけないのかもしれませんが<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日</ref>」と発言した<!-- {{要出典範囲|(ただし、その後に「冗談は抜きにして」と念を押しており、金正日に対する痛烈な皮肉であることを留意すべし)|)}} -->。 |
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* 2006年9月、[[福井市|福井市内]]で自身が外国人から聞いた日本の印象に触れて「夜、[[日比谷公園]]で女が一人で歩いている。考えられない。しかもそこそこの顔をしているやつでも襲われない。この国はやたら治安がいいんだ」と発言したことを[[立命館大学]]教授が証言している<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年[[10月2日]]</ref>。 |
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* [[2007年]][[7月19日]]、[[富山県]][[高岡市]]内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。[[アルツハイマー型痴呆|アルツハイマー]]の人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の[[塩崎恭久]]からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌[[7月20日]]に謝罪したうえで撤回した<ref>「麻生外相が陳謝――アルツハイマー発言」『朝日新聞』[[2007年]][[7月21日]]、34面。</ref>。 |
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* 2007年[[7月20日]]、アルツハイマー発言の翌日に[[鳥取県]][[倉吉市]]での[[演説]]で「[[酒]]は『[[きちがい]]水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した<ref>『毎日新聞』2007年7月20日</ref>。 |
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* 2008年2月、[[中国産食品の安全性#中国製冷凍餃子中毒事件|中国製冷凍餃子中毒事件]]に関連し[[熊本市]]での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? [[農業協同組合|農協]]は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。 |
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* 2008年7月に講演の中で、「1930年代、[[ドイツ]]では[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス党]]がやたら出てきて、当時の[[ヴァイマル共和政|ワイマール共和国]]に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と、[[民主党]]とナチスを同一視するかのような発言をしたことが報じられた<ref>2008年8月5日 TBSニュースで報道</ref>。 |
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* 2008年8月、首相(当時)の福田康夫は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで[[内閣改造]]を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから[[幹事長]]に就任した([[福田康夫内閣改造内閣]])。[[8月4日]]、参議院議長の[[江田五月]]を表敬訪問した際、ドイツで[[ヴァイマル共和政#世界恐慌と共和政の崩壊|ヴァイマル共和政]]末期に政治不信が募り、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示すことで、国会審議に復帰するよう民主党を牽制した。江田は麻生の悲観的な見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した<ref>{{Cite web | date=2008-08-04 | url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080400890&rel=y&g=pol | title=「自民・麻生氏、ナチス引用し審議促す=「民主を冒涜」鳩山氏反発」 | work=[http://www.jiji.com/ 時事ドットコム] | publisher=時事通信 | accessdate=2008-10-13 }}</ref>この会談においても「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と、先月の講演とほぼ同じことを述べたことについて、民主党政権が[[ナチス・ドイツ]]のように横暴極まりないという印象を与えかねないとして、鳩山由紀夫が撤回を求めた<ref>{{Cite web | date=2008-08-04 | url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20080804-391810.html | title=「麻生幹事長が民主をナチスに例えた?」 | work=[http://www.nikkansports.com/ nikkansports.com] | publisher=日刊スポーツ | accessdate=2008-10-13 }}</ref>。麻生は、「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。 |
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* 2008年の[[自民党総裁選]]の立会い演説会で「[[外務大臣]]として働いた方のうち、私ほど、外交について多くを述べた方は、かつてただの1人もいらっしゃらないと思います」と発言し、外相経験者で内閣官房長官(当時)の[[町村信孝]]を驚かせた<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年[[10月2日]]</ref>。 |
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* 2008年9月、首相就任前『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と[[宮内庁]]に指示を出した<ref>週刊現代第50巻第35号、2008年[[9月20日]]</ref>。 |
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* 2008年[[9月14日]]、JR[[名古屋市|名古屋駅]]前での[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]候補としての街頭演説の中で、前月に[[岡崎市]]など[[愛知県]]内で3人の死者を出した[[平成20年8月末豪雨]]に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。[[安城市|安城]]や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html 「豪雨、岡崎だったからいいけど」麻生氏、名古屋駅前の演説で発言]『[[中日新聞]]』2008年9月16日</ref><ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html 「豪雨が安城や岡崎だったからいいけど」 麻生氏失言 怒り渦巻く]『中日新聞』2008年9月17日閲覧</ref>。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html 麻生氏から岡崎市に謝罪文 豪雨めぐる発言で]『朝日新聞』2008年9月17日閲覧</ref>。 |
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* 首相就任後、麻生は毎晩のように高級ホテル([[帝国ホテル]]、[[ホテルオークラ]]、[[ニューオータニ]]など)のバーや、料亭で会食していることを報道された。記者団に「庶民の感覚と懸け離れているのでは」と質問された際に麻生は「高級料亭、毎晩、みたいな話で作り替えている。引っかけるような言い方はやめろ」などと答え、その後も攻撃的な口調で答えた<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20081023-421866.html 麻生首相逆ギレ、ホテルでの飲食「安い」]</ref>。また、「普通の店に行くと[[SP]]やマスコミの影響で営業妨害になる」と主張したうえで、「店の妨害をして平気ですか?いま聞いてんだよ、答えろ!」と、質問した記者に強い口調で反問した<ref>[http://www.sanspo.com/shakai/news/081023/sha0810230506007-n1.htm 麻生首相Vs報道陣ブチ切れ!夜会合批判で] サンスポ 2008年10月23日</ref>。発言のあと、麻生が総理就任後の1ヶ月で3度訪れた<ref>[http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20081024/1020316/ 麻生首相の“セレブ”な晩ごはん(全店リスト付)。首相が足繁く通う店の正体は?]日経トレンディネット 2008年10月24日</ref>『帝国ホテルの会員バー「ゴールデンライオン」は入会金52万5000円、年会費12万6000円であり麻生のように数人を連れて一夜を過ごすだけで10万円は軽く超える』と報道された<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3874702/ 麻生首相が「安い」と豪語したバーは入会金52万5000円!]日刊ゲンダイ 2008年10月24日掲載</ref>。与党の幹部からは「庶民派を気取っていても化けの皮がはがれる」と批判された<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/55117 与党、首相発言に危機感 「化けの皮はがれる」]西日本新聞 2008年10月22日</ref>。この発言に対し[[ノンフィクション作家]]の[[保阪正康]]は「記者が聞いているのは、<普通の庶民と違う感覚について、恐れ、不安があるんですよ>ということだった。これに対し麻生さんは『ホテルは安いんだ』とか、護衛がいて大変だ、とか答えた。質問と答えがあっていない」と指摘し、「自分の恵まれた生活空間の中でしか物事を見ていない。それが、今回の発言につながったと思いますね」と述べている<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081031dde012010050000c.html 麻生首相、本音ぽろり 「自分中心」前面に]毎日新聞 2008年10月31日</ref>。 |
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* 2008年[[9月24日]]、[[毎日新聞]]が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した<ref> 毎日新聞 2008年9月24日 東京朝刊</ref>。 |
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* 2008年10月26日に行われた自民党の秋葉原街頭演説会の様子が[[YouTube]]に投稿され、九州でのある事例で、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したことを紹介したうえで「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」と演説した<ref>[http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-f1c0.html 麻生首相の非正規雇用労働者蔑視発言ほか] [[植草一秀]]『知られざる真実』</ref>。前後の文脈から「食いっぱぐれそうな顔をしている」というのは[[非正規雇用]]の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった。また、「結婚したらあたしが一人で働かないかん」と、まるで非正規雇用の男性が失業者と同等だという差別的な発言であることも指摘された。 |
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* 2008年[[11月20日]]、[[全国知事会議]]で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って([[医師]]は)社会的[[常識]]がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。[[厚生労働大臣]]の[[舛添要一]]や、自民党の[[国会対策委員長]]の[[大島理森]]、元副総裁の[[山崎拓]]、[[税制調査会]]会長の[[津島雄二]]などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の[[河村建夫]]も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、[[日本医師会]]会長の[[唐沢祥人]]が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に[[全国保険医団体連合会]]も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。[[茨城県]]医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。民主党代表代行の菅直人にも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた<ref>毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊</ref>。 |
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* 2008年[[11月22日]]、訪問先の[[ペルー]]・[[リマ]]で、民主党代表の[[小沢一郎]]が、[[11月17日]]の党首会談で第2次[[補正予算]]案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、党首としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている<ref>産経新聞 2008年11月23日 朝刊</ref> |
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* 2008年[[11月20日]]の経済財政諮問会議において、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金 (医療費)を何で私が払うんだ」「私の方が(多額の)税金は払っている」「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と、発言していたことが、2008年[[11月26日]]に公開された議事要旨から判明した。 この発言は保険制度の概念を軽視し「病気になるのは本人の不摂生(自己責任)のため」と受け止められ、批判を浴びた。後に麻生は「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した<ref>2008年11月27日 読売新聞</ref>。山崎拓、税制調査会長の津島雄二、前幹事長の[[伊吹文明]]、[[中山泰秀]]、[[渡辺喜美]]などが苦言を呈した。公明党代表の[[太田昭宏]]は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、[[国民新党]]の[[亀井静香]]は「[[社会保障]]とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。河村建夫も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。 |
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* 2008年[[11月23日]]、訪問先のペルー・リマでの記者会見で「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と発言したことを同年[[11月30日]]放送の[[TBS]]のテレビ番組『[[時事放談]]』で問題発言として紹介された。 |
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* 2008年11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、[[定額給付金]]について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と、定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる発言をした<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081115-429731.html 「給付なんていらない人、いっぱいいる」]</ref>。また、2008年[[12月6日]][[長崎県]][[諫早市]]で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない。」と発言した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081207-OYT1T00088.htm 「さもしく1万2千円欲しい人も…」定額給付金で首相発言]</ref>。 |
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* 2008年[[12月14日]]、北九州エコタウン([[北九州市]])を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、毎日新聞は暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/aso/news/20081216ddm005010145000c.html 麻生首相:また「問題発言」]</ref>。 |
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* 2008年[[12月15日]]、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/aso/news/20081216ddm005010145000c.html 麻生首相:また「問題発言」]</ref>。 |
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* 2008年[[12月19日]]、[[ハローワーク]][[渋谷]](東京都[[渋谷区]])を視察。失業し、再就職の相談に来ていた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい。」と話しかけたところをTBSのニュース番組で報道された。この発言に対し、民主党幹事長の鳩山由紀夫は、「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1219/TKY200812190363.html 「就職は目的意識ないと」 首相、ハローワークで若者に] 朝日新聞 2008年12月20日</ref>。ほかに同ハローワークを訪れていた相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えていた<ref>[http://news.tbs.co.jp/20081219/newseye/tbs_newseye4021564.html 麻生首相、ハローワークを視察News i TBS]</ref>。 |
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* [[2009年]][[1月6日]]の会見において、[[定額給付金]]に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「[[国会議員]]も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回真逆の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が大きく噴出している<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090106-OYT1T00634.htm 給付金「皆さんに使ってほしいな」首相が辞退期待から転換(2009年1月6日 読売新聞)]</ref>。 |
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=== その他の発言 === |
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* 2003年の総務大臣就任記者会見の場で、[[IT]]の発達で役所から書類がなくなり、「地方自治体を含め中央官庁を、IT、いわゆる[[フロッピーディスク|フロッピー]]で(コンピュータ同士を)繋ぐ」「フロッピー1枚で(役所の仕事を)全部できるようになる」という趣旨の発言をした。([http://jp.youtube.com/watch?v=r9giYCIOY4w youtube映像]) |
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* 外務大臣当時の2006年11月、[[ニューヨーク・タイムズ]]が太平洋戦争中における[[麻生太賀吉|麻生鉱業]]の[[捕虜]][[強制労働]]を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、在ニューヨーク総領事館にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに[[2008年]][[12月18日]]、裏づけとなる[[第一復員省]]まとめの公文書が[[厚生労働省]]で発見された事を受け削除されている<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20081219-OYS1T00212.htm 旧麻生鉱業炭坑に外国人捕虜、厚労省が公文書開示][[讀賣新聞]]12月19日</ref>。 |
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* 2007年[[10月6日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の情報番組である[[ハッケン!!]]でのインタビューで「[[2ちゃんねる]]に時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062210004-n1.htm 麻生太郎氏「2ちゃん、時々書き込む」]『 [[産経新聞]]』</ref>。 |
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* 財務大臣(当時)の[[谷垣禎一]]との「[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0701.html#2-E|title=外務大臣会見記録(平成19年1月)|author=外務省|date=2007-01-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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* 「治安の良さは日本のブランド」としており、日本は世界的に治安が良い国という認識を持っている。街頭演説でも同様の主張をしている。 |
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* 2008年[[9月16日]]、[[自民党総裁選]]で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に麻生は「ひと言多いこと」と発言した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080916/stt0809162123012-n1.htm 【自民総裁選】総裁候補が自己分析 「ひと言多い」麻生氏に、「太陽に吠えろ」の石原氏] 産経新聞 2008年12月13日 閲覧</ref>。 |
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* 2008年9月、「[[総理大臣公邸]]に入居するのは[[解散総選挙]]を行った後」としており、現在も自宅から通勤している。総理が自宅(東京・[[渋谷区]])から官邸へ通勤するのは、元首相の[[宮沢喜一]]以来、15年ぶりのことである。 |
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* 2008年[[10月19日]]には[[スーパーマーケット]]を視察しそこで買い物をしたが、その後に高級[[ホテル]]のバーで食事を取ったため多くの報道機関からは「庶民派をアピールしている」と冷ややかに受け止められ<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081023k0000m010091000c.html 麻生首相:就任1カ月 有名ホテルなどで連夜の会合]毎日新聞 2008年10月22日</ref><ref>[http://www.sanspo.com/shakai/news/081028/sha0810281635011-n1.htm 麻生首相、カップめんは「400円?」]サンスポ 2008年10月22日</ref><ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20081029-OHT1T00055.htm 麻生首相またセレブ発言「カップ麺は400円」]スポーツ報知 2008年10月29日</ref>、民主党からは「スーパーを少し見たあと、超高級ホテルで食事している。単なるパフォーマンスだ」<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081022-00000569-san-pol スーパー視察の後に…野党から辛辣な批判]産経新聞 2008年10月22日</ref>と批判された。 |
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* 2008年[[10月28日]]の参院[[外交防衛委員会]]で食品高騰問題を取り上げた[[民主党]]の[[牧山弘恵]]から[[カップ麺]]1個の値段を聞かれると「日清食品が最初(1971年に“[[カップヌードル]]”を)出したときはえらく安かった。(カップ麺は)いま400円くらいします?そんなにしない?私、最近自分で買ったことないので」と答えた<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1028/TKY200810280356.html 首相、カップめんは「400円くらい?」委員会で答弁] 朝日新聞 2008年10月28日</ref>。なお、2008年10月28日時点でのコンビニでのカップめん1個の小売価格は平均170円程度であり、麻生の答弁の聞いたほかの委員からは「え~?」「知らないの~!?」などと驚きの声が上がった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2008/10/29/01.html カップ麺四百円…金満家首相は庶民感覚ゼロ] スポニチ 2008年10月29日</ref>。 |
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* スーパーの視察に続き、2008年[[11月10日]]には自民党学生部の者たちと居酒屋で飲むというパフォーマンスを見せた。そして翌日の自民党役員会で「まあ、(メニューは)[[ホッケ]]の[[煮付け]]とかそんなもんでしたよ」と言い、実際庶民的なものを食べたことをアピールしたつもりだった。しかし、ホッケの煮付けは、麻生が飲みに出掛けた居酒屋には置いていないという。これに大島理森から、「ホッケは焼くしかないんですよ」と突っ込まれた。なお、麻生はこの居酒屋パフォーマンスのあとに、いきつけの高級ホテルのバーに移動しており、マスコミからは「つかの間の庶民派アピール」などと皮肉られた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20081109095.html 首相が学生と居酒屋懇談…1時間後には高級ホテル] スポニチ 2008年11月9日</ref>。 |
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* 2008年[[11月10日]]放映の[[中国]]テレビ[[CCTV]]に出演「私の家は貧しかったので子供の頃は、高校まで弁当では麦を食べていました」と発言<ref>[http://jp.youtube.com/watch?v=3R_y5lV98sQ You Tube動画]</ref>。 |
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* 2008年[[11月19日]]、都内のホテルで開かれた私立[[幼稚園]][[PTA]]の全国大会で挨拶した麻生は「家庭でしつける力がなくなってきた」と指摘した上で、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、幼稚園で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した。しかし、会場には園児の母親たちが大勢出席しており幼稚園の教員を前に演説していたと勘違いした麻生は、終盤ようやくそれに気付き訂正した<ref>時事通信 2008年11月19日配信記事</ref>。 |
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* 2008年[[12月25日]]夜、首相官邸で行われた閣僚との[[忘年会]]の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという<ref>『時事通信』2008年12月25日22時53分配信</ref>。 |
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=== 漢字の読み間違い === |
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国会答弁の中などで、漢字の読みを何度も間違えていることが指摘されている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081113-OYT1T00202.htm みぞうゆう?ふしゅう??…麻生さんは漢字苦手?] 読売新聞 2008年11月13日</ref>。 |
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主なものとしては |
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| colspan="2" | |
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|踏襲||「ふしゅう」[http://jp.youtube.com/watch?v=r6DrKUiGKuw youtube動画] [http://jp.youtube.com/watch?v=0AuehQwKKf4 youtube動画] |
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|- |
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|頻繁||「はんざつ」 |
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|破綻||「はじょう」 |
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|順風満帆||「じゅんぷうまんぽ」 |
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|- |
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|低迷||「ていまい」 |
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|- |
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|詳細||「ようさい」[http://jp.youtube.com/watch?v=WDpwjCUDtKI youtube動画] |
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|- |
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|未曽有||「みぞうゆう」 |
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|実体経済||「じつぶつけいざい」 |
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|焦眉||「しゅうび」 |
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|- |
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|物見遊山||「ものみゆうざん」 |
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|- |
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|有無||「ゆうむ」 |
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|思惑||「しわく」 |
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|- |
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|措置||「しょち」 |
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||前場||「まえば」 |
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|詰めて||「つめめて」[http://jp.youtube.com/watch?v=WDpwjCUDtKI youtube動画] |
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|- |
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|怪我||「かいが」[http://jp.youtube.com/watch?v=LuhFrhPv6lg youtube動画] |
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|} |
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などがある。 |
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* 上記の読み間違えリストは英国で発行されている[[フィナンシャル・タイムズ]]にも、「批判は彼がしばしば起こす読み間違えにまで行き着いて(latch on)いる。…(中略)…知識人からは(彼の誤読は)恥ずかしいものとして見られている一方で、オンライン百科事典であるウィキペディアの麻生総理の項には、誤読のリストが特集されている。」として取り上げられた<ref>[http://www.ft.com/cms/s/0/4a04d94c-c541-11dd-b516-000077b07658.html Japanese premier’s fumbles leave LDP vulnerable] フィナンシャル・タイムズ 2008年12月22日 閲覧</ref>。 |
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* 自民党[[自由民主党総務会|総務会長]]の[[笹川尭]]は、「総理の原稿にはカナを振ったほうがいい」と述べた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3911455/ 肥留間正明の芸能斜め斬り 麻生首相原稿に仮名を振ってもらえ]内外タイムス 2008年12月24日 閲覧</ref>。 |
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* 福岡県内の自民党地方議員からも、漢字の読み間違いについて「ここまでバカとは思わなかった」という指摘が出ている<ref>[http://www.data-max.co.jp/2008/12/post_3767.html 地元議員からも首相批判 選挙区の地盤沈下]</ref>。また、麻生の地元である福岡市内の小学校では、漢字の読みが苦手な小学生に対し「(麻生)太郎ちゃん」というあだ名をつけることが流行している<ref>[http://www.data-max.co.jp/2008/12/post_3732.html 小学校の太郎ちゃん]</ref>。 |
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* これら読み間違いについて、[[週刊朝日]]は「マンガ脳政権」、[[サンデー毎日]]は「阿呆太郎」と揶揄した<ref>[http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_tarou_aso2__20081129_28/story/29gendainet02039326/ ついに出た“阿呆”太郎という週刊誌の見出し (ゲンダイネット)]</ref>。 |
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* [[2009年]][[1月4日]]の年頭記者会見において書き初めをした際、落款で「平成廿一年」とすべきところを「平成廿十一年」と書いてしまった([[自由民主党]]ホームページにも掲載していたが、その後、十の字を除いた訂正版に差し替え)。前年も漢字の間違いが多く指摘されただけに、自民党内も「チェック体制はどうなっているのか」と危機感をあらわにしている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090105-OYT1T00690.htm 漢字は今年も鬼門?麻生首相、書き初めで筆滑る(2009年1月5日 読売新聞)]</ref>。 |
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== 年譜 == |
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* [[1940年]]9月 - [[福岡県]][[飯塚市]]に生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。 |
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* [[1959年]]3月 - [[学習院高等科]]卒業。 |
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* [[1963年]]3月 - [[学習院大学]][[政治経済学部|政経学部]]政治学科[[卒業]]。 |
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* 1963年4月 - [[スタンフォード大学]]に[[留学]]。 |
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* [[1965年]] - [[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]に留学。 |
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* [[1966年]]8月 - 麻生産業株式会社に入社。 |
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* 1966年11月 - 麻生産業株式会社の[[取締役]]に就任。 |
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* [[1973年]]5月 - 麻生セメント株式会社の[[代表取締役]]社長(1979年12月まで)。 |
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* [[1976年]]7月 - [[モントリオールオリンピック]]に日本代表として出場。 |
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* [[1978年]]1月 - [[社団法人]][[青年会議所|日本青年会議所]]の会頭に就任(1978年12月まで)。 |
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* [[1979年]]10月 - [[第35回衆議院議員総選挙]]に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。 |
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* [[1983年]]11月 - [[鈴木善幸]]元首相の三女千賀子と[[結婚]]、後に一男一女をもうける。 |
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* 1983年12月 - [[第37回衆議院議員総選挙]]で3期目の当選を目指したが落選。 |
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* [[1986年]]7月 - [[第38回衆議院議員総選挙]]で返り咲き当選(3期目)。以降[[第44回衆議院議員総選挙|第44回]]まで6回連続当選。 |
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* [[1988年]]12月 - 文部[[政務次官]]に就任([[1989年]]6月まで)。 |
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* [[1990年]]3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。 |
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* [[1991年]]1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。 |
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* 1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。 |
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* [[1992年]]12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。 |
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* [[1996年]]11月 - [[経済企画庁]][[長官]]に就任(1997年9月まで)。 |
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* [[1997年]]9月 - [[日本会議国会議員懇談会]]第2代会長に就任(2003年9月まで) |
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* 1999年3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。 |
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* [[2001年]]1月 - [[経済財政政策担当大臣]]に就任(2001年4月まで)。 |
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* 2001年4月 - 党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]](2003年9月まで)。 |
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* 2003年9月 - [[総務大臣]]に就任。 |
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* 2003年11月 - 総務大臣に再任。 |
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* [[2004年]]9月 - 国民スポーツ担当を併任。 |
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* [[2005年]]10月 - [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任。 |
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* 2006年9月 - 外務大臣に再任。 |
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* 2006年12月 - [[為公会]](麻生派)を設立し、会長に就任。 |
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* 2007年3月20日 - 在職25年となり、衆議院本会議で永年在職議員表彰を受ける。 |
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* 2007年8月27日 - [[安倍改造内閣]]において[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に就任。 |
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* 2008年[[8月1日]] - [[福田改造内閣]]において再び自民党幹事長に就任。 |
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* 2008年[[8月10日]] - [[日本バスケットボール協会]][[会長]]に就任。 |
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* 2008年[[9月2日]] - [[福田康夫]]首相の辞任表明に基づく[[自民党総裁選]]に立候補。 |
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* 2008年[[9月22日]] - 第23代自民党総裁に就任。 |
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* 2008年[[9月24日]] - 第92代内閣総理大臣に就任。[[麻生内閣]]組閣。 |
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== 主な役職等 == |
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* [[日本クレー射撃協会|社団法人日本クレー射撃協会]][[会長]] |
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* [[日韓議員連盟]]副会長 |
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* [[日韓トンネル研究会]]九州支部顧問 |
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* [[北京オリンピックを支援する議員の会]] |
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* [[日本オリンピアンズ協会]]顧問 |
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* [[日本バスケットボール協会]]会長 |
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== 家系 == |
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麻生家は、[[宇都宮氏]]の流れを汲む[[麻生氏]]の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が[[遠賀郡]]麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという<ref>{{cite web|url=http://www.aso-group.jp/history/100years_03.html|title=麻生百年史(麻生グループ)|author=麻生グループ|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。[[江戸時代]]には[[村]]の[[庄屋]]を務め、[[1868年]]大[[庄屋]]となった。[[明治]]の始め曾祖父・[[麻生太吉]]が目尾御用炭山を採掘し[[石炭]]産業に着手、九州三大石炭[[財閥]]の一つに伸し上がり[[鉄道]]、電力、[[金融]]等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は、[[吉田茂]]の資金源となった。 |
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吉田茂は祖父、[[加納久朗]][[子爵]]は祖母・夏子の兄で[[立花宗茂]]の弟・[[立花直次]]の子孫に当たる。[[牧野伸顕]][[伯爵]]、[[自由民権運動]]の闘士[[竹内綱]]は曽祖父、[[明治]]の元勲[[大久保利通]]、自由民権運動の弾圧で知られる[[三島通庸]]子爵は高祖父にあたる。妻は元首相の[[鈴木善幸]]の三女。妻との間に1男1女あり、いずれも2007年3月の時点で大学生。麻生の弟・泰の妻は、[[日本医師会]]の元会長である[[武見太郎]]の娘。妹・[[寛仁親王妃信子|信子]]は[[寛仁親王|寬仁親王]]妃。従兄弟に[[キャプテン・フューチャー]]の翻訳者として知られるSF作家の[[野田昌宏]]がいる。 |
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[[文芸]]・[[野球]][[評論家]]の[[大井廣介]]は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては[[いとこ|従兄弟]]にあたる。また[[明治天皇]]の落胤を名乗った日本画家[[橘天敬]]は太賀吉のいとこの夫である。 |
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橋本龍太郎は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄[[加納久朗]]の孫久美子が龍太郎の妻)。安倍晋三は遠縁の親戚(麻生の祖父[[吉田茂]]の長女桜子の夫・吉田寛が[[岸信介]]元首相の[[いとこ]]となるため)。宮澤喜一は遠縁の親戚(妻の兄弟の[[鈴木俊一]]の妻が宮澤喜一のいとことなるため)。宮澤家は[[ブリヂストン]]の石橋家と親戚であり、この石橋家を通して鳩山家ともつながる。 |
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なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、[[世襲政治家]]が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。 |
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{{Familytree/start}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | | ND1 | | | | | | | | | ||ND1 = 野田勢三郎}}{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |}|-|-| ND2 | | | | | ||ND2 = 野田健三郎}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |:| | | |}|-|-|-| ND3 | | | | |ND3 = 野田宏一郎<br/>([[野田昌宏]])ひらけ!ポンキッキの生みの親}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |:| | |,| AS4 |,| SZ2 | | | | |AS4 = ツヤ子|SZ2 = [[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |:| | |!| SZ1 |^| SZ3 | | | | |SZ1 = [[鈴木善幸]]<br/>(首相)|SZ3 = 千賀子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | KN1 |v| KN2 |:| | |!| | | | |:| | | | | |KN1 = [[加納久宜]]|KN2 = [[加納久朗]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | |)|-|-|-| KN3 |!| | | | |:| | | | |KN3 = 八重子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | |`|-|-|-| KN4 |!| | | |,| AS6 | | | | |KN4 = 夏子|AS6 = '''麻生太郎'''}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |}|-|-|^| AS5 |)| AS7 | | | | |AS5 = [[麻生太賀吉]]|AS7 = 麻生次郎}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| AS1 |-| AS2 |-| AS3 | |}|-|-|+| AS8 | | | | |AS1 = 麻生賀郎|AS2 = [[麻生太吉]]|AS3 = 麻生太郎|AS8 = 雪子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | | | | |,| YS2 |!|:| | | | | | |YS2 = 和子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | TK1 |-| YS1 |)| YS3 |!| SM1 | SM2 | |TK1 = [[竹内綱]]|YS1 = [[吉田茂]]<br/>(首相)|YS3 = [[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]|SM1 = 相馬和胤|SM2 = ([[相馬氏|相馬家]]第33代当主<br/>ミングオブジャパン社長)}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |}|-|-|+| YS4 |)| AS9 | | | | |YS4 = 吉田正男|AS9 = 旦子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | |,| MK2 |)| YS5 |!|:| | | | | | |MK2 = 雪子|YS5 = 江子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| OKB |-| MK1 |!| | | |`| YS6 |!| AR1 | AR2 | |OKB = [[大久保利通]]|MK1 = [[牧野伸顕]]|YS6 = 桜子|AR1 = 荒船清彦|AR2 = (駐スペイン大使)}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | |}|-|-|(| | | | | | | |)| A10 | | | | |AK2 = 英子|A10 = [[寛仁親王妃信子|信子]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| MS1 |-| MS2 |!| | | | | | | |!|}|-|-|v| AKK |MS1 = [[三島通庸]]|MS2 = 峰子|AKK = [[彬子女王]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | |`| MK3 | | | | |!| TMH |`| YOK |MK3 = 利武子|TMH = [[寛仁親王|寬仁親王]]|YOK = [[瑶子女王]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |:| | | | | | |`| A11 | | | | |A11 = 麻生泰<br/>([[麻生 (企業)|麻生]]社長)}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |}|-|-|-| AK2 | |:| | | | | | |AK2 = 英子|TK1 = [[武見太郎]]<br/>(日本医師会会長)}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | |:| | | |}|-|-|v| TK2 | | | | |MK3 = 利武子 (1)|TK2 = 和子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left| | | | | | | | | AK1 | | TK1 |`| TK3 | | | | |AK1 = 秋月種英|TK1 = [[武見太郎]]<br/>([[日本医師会|日医]]会長)|TK3 = [[武見敬三]]}} |
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{{Familytree/end}} |
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== 著作 == |
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* 『祖父・吉田茂の流儀』 [[PHP研究所]] 2000年 ISBN 978-4569611112 |
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* 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 [[徳間書店]] 2007年 ISBN 978-4198925819 |
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* 『[[自由と繁栄の弧]]』 [[幻冬舎]] 2007年 ISBN 978-4344411975 |
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* 『とてつもない日本』 [[新潮社]]([[新潮新書]]) 2007年 ISBN 978-4106102172 |
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'''共著''' |
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* 『自民党の智恵』麻生太郎・[[伊吹文明]][他]共著、[[シンクタンク2005・日本]]編集 [[成甲書房]] 2008年1月 ISBN 978-4880862279 |
|||
* 『「国力」会議』麻生太郎・[[石破茂]]・[[平沼赳夫]]・[[与謝野馨]]・[[浜田和幸]]共著 [[祥伝社]] 2008年5月 ISBN 978-4396613075 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<div class="reflist-scroll">{{reflist|3}}</div> |
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== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Taro Aso}} |
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{{Wikiquote}} |
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* [[麻生内閣]] |
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* [[麻生氏]] - [[宇都宮氏]] - [[筑豊御三家]] * [[宇都宮氏]] |
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* [[麻垣康三]] |
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* [[士志の会]]([[古賀誠]]、[[平沼赳夫]]、[[高村正彦]]) |
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* [[為公会]] |
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* [[麻生包囲網]] |
|||
* [[日本国政府専用機]](小型の政府専用機導入を提案) |
|||
* [[福岡県出身の人物一覧]] |
|||
* [[学習院大学の人物一覧]] |
|||
* [[射撃選手一覧]] |
|||
* [[保守]] |
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* [[伝統と創造の会]](会長[[稲田朋美]]、幹事長[[薗浦健太郎]]) |
|||
== 参考文献 == |
|||
* 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 [[角川書店]] 1983年 224-227頁 |
|||
* [[広瀬隆 (作家)|広瀬隆]] 『私物国家 日本の黒幕の系図』 [[光文社]] 2000年 191、333頁 |
|||
* [[佐藤朝泰]] 『豪閥 <small>地方豪族のネットワーク</small>』 [[学習研究社|立風書房]] 2001年 451、500頁 |
|||
* [[神一行]] 『閨閥 改訂新版 <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』 角川書店2002年 31、42-44頁 |
|||
* [[魚住昭]] 『野中広務 差別と権力』 [[講談社]] 2004年06月29日 ISBN 4062123444 |
|||
* [[角岡伸彦]] 『はじめての部落問題』 [[文藝春秋]] 2005年11月20日 ISBN 4166604783 |
|||
* 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910 |
|||
* 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『[[週刊文春]]』を部落問題で恫喝した』」『[[週刊現代]]』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。 |
|||
* 麻生太郎 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所 2000年 ISBN 978-4569611112 |
|||
* 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819 |
|||
* 麻生太郎 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344411975 |
|||
* 麻生太郎 『とてつもない日本』 新潮社(新潮新書) 2007年 ISBN 978-4106102172 |
|||
* 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著 シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 978-4880862279 |
|||
* 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著 祥伝社 2008年5月 ISBN 978-4396613075 |
|||
== 外部リンク == |
|||
* [http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト] |
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* [http://www.kantei.go.jp/jp/asoprofile/index.html 麻生総理プロフィール]([http://www.kantei.go.jp/ 首相官邸] 公式ホームページ) |
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* [http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2008/09/29housin.html 第170回国会における麻生内閣総理大臣 所信表明演説](2008年9月29日) |
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* [http://www.mmz.kantei.go.jp/jp/m-magazine/index.html 麻生内閣メールマガジン](「太郎チャンネル」動画配信開始) |
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* [http://www.nicovideo.jp/official/asou 麻生自民党チャンネル](ニコニコ動画) |
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* [http://jp.youtube.com/junmatsumoto031109 松本純Channel](Youtube) |
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* [http://asianbeat.com/ja/selection/selection_20080909_172751.html 『MANGA』を語る] |
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| title = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣]] |
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| title = {{Flagicon|日本}} [[外務大臣 (日本)|外務大臣]] |
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| title = {{Flagicon|日本}} [[経済財政政策担当大臣]] |
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| title = [[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]] |
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| before = [[亀井静香]] |
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| title = [[福岡県第8区]]選出 |
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| title = [[日本会議]]国会議員懇談会会長 |
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{{日本国歴代内閣総理大臣 |
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|当代=[[麻生内閣|92]] |
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|在任期間=2008年 - |
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|前代=[[福田改造内閣|91]] |
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|前首相名=福田康夫 |
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{{自民政調会長}} |
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{{DEFAULTSORT:あそう たろう}} |
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[[Category:福岡県出身の人物]] |
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[[Category:福岡県の政治家]] |
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[[Category:飯塚市]] |
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[[Category:日本の内閣総理大臣]] |
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[[Category:日本の閣僚経験者]] |
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[[Category:日本の実業家]] |
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[[Category:オリンピック射撃競技日本代表選手]] |
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[[Category:馬主]] |
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[[Category:1940年生]] |
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[[zh-min-nan:Asô Tarô]] |
2009年1月9日 (金) 05:28時点における版
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{{{名前}}} | |
在任期間 | {{{就任}}} - {{{退任}}} |
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生年月日 |
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党総裁(第23代)。内閣総理大臣(第92代)。衆議院議員(9期)。為公会(麻生派)会長。妹は寛仁親王妃信子。クリスチャン(カトリック)である。
経済企画庁長官(第53代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第2代)、総務大臣(第3・4・5代)、外務大臣(第137・138代)や、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長を歴任。
モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー・スキート競技)日本代表[1](41位)。元麻生セメント(現・株式会社麻生[2])代表取締役社長。
経歴
福岡県飯塚市に麻生太賀吉・和子の長男として生まれる[3]。麻生塾小学校(閉校 後の学校法人麻生塾・麻生専門学校)を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入[4]。
1963年に学習院大学政経学部を卒業[5]。帰国後の1966年に家業の麻生産業(後に清算)に入社し、セメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)で1973年に代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にブラジルのサンパウロ市に1年近く駐在していたこともある[6]。また、社長業の傍らで、1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現:福岡県第8区)から出馬。初当選を果たし政界入りする。落選した第37回衆議院議員総選挙を除き、現在まで全ての総選挙で当選している。宏池会に所属。
1996年に第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。
1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、元総裁河野洋平を会長に大勇会(現在の為公会、通称”麻生派”)旗揚げ。
2001年4月、自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎、橋本龍太郎と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、2003年9月からは総務大臣として入閣し、郵政民営化を担当した。
2006年9月、自民党総裁選に立候補するも内閣官房長官(当時)の安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。
2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。
2007年9月、自民党総裁選に立候補する。党員票では福田康夫を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。
2008年9月、自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自由民主党総裁に就任する。
2008年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣を組閣する。就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。
2008年10月2日、麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる」を配信。創刊号では景気対策の必要性を訴えているほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意している。
この節の加筆が望まれています。 |
政治的主張
経済
道路整備などを主に主張する[2]エコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力している[7]。
定額減税や公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱している[8]。2008年になってからは、財政健全化を目指した小泉政権の構造改革路線の推進を否定し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している[9]。
消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」[10]として消費税増税を示唆しつつも、2008年9月には「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として増税には消極的な態度に変わっている。ただし、2011年以降に10%の消費税を導入する意向を示している[11]。
首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に公共事業が必要との考えを示している[12]。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路建設により地方の医療が向上するとの考えを示している[13]。
2008年10月30日には、世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円にも及ぶ追加経済対策を発表。小渕内閣の地域振興券とよく似た、2兆円を超える給付金(「4人家族で6万円程度になる」としている)を全世帯に支給し、過去最大規模の住宅ローン減税を実施するなど、バラマキ色の強い内容と評される。証券アナリストなどは、過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、今回も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示している[14]。11月26日に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出した[15]。
「景気の麻生」[16]を自認しているが、「株を満期まで持っている人にとっては、時価会計は手続きが大変になる」[17]などと株に満期があるとの勘違いをしており、円高の利点として「ガソリンが安くなった」[18](ガソリンが安くなった本当の理由は原油安)と誤った認識を示すなど、野党や世論からはその評判を疑問視する見方も存在する[19]。
外交・安全保障
外務大臣時代に、当時のブッシュ政権の中心にいたネオコン(新保守主義者)の考え方に近い、自由と民主主義、法の支配、市場経済を重視する「価値の外交」(価値観外交)と、同じ価値観を持った国家と連帯する「自由と繁栄の弧」を唱えた。
- 発展途上国へのODA
- ODAには積極姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた[20]。
- アメリカ合衆国
- 2007年2月3日、京都市内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。(イラク戦争においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。
- 東アジア
- 韓国に対しては、2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである中央日報のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。サムスンだけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。また、韓国人徴用者を強制労働させていた麻生炭鉱の調査については、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話した[21]。
- 中国に対しては、2007年1月26日に「共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります」としている。
- 台湾に対しては、2006年3月9日、参院予算委員会で、「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言。台湾のメディアでは「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と報道された。
- 北方領土問題
- 2006年12月13日の衆院外務委員会において、北方領土問題を解決するために北方4島(択捉、国後、色丹、歯舞)全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した[22]。これは海部俊樹元首相から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。
- 核武装論
- 2006年10月、自民党政調会会長の中川昭一が核武装論も選択肢として考えておくべきだと発言し、一部から非難をうけた。麻生は非核三原則の堅持を明言を前提としつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と中川の擁護とも解釈できる発言を行った。この発言が原因で12月に民主党 、社民党 、共産党など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。
- 憲法改正論議
- 2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の集団的自衛権の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。
歴史認識
日本統治時代の朝鮮・台湾に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ」(満州や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
2007年2月19日、衆議院予算委員会において米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた[23]。
2007年3月21日、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」と語った。
2006年5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた[24]。
2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「村山談話」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した[25]。
また、2008年10月5日には従軍慰安婦問題に関して旧日本軍の関与を認めアジア諸国に謝罪した河野談話について「政府の基本的立場は現在も談話をふしゅうする」と述べた[3]。マスコミは「踏襲(とうしゅう)」の読み間違いとして報道した。
2008年10月31日には航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄が旧日本軍の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた[26]。
(参考:麻生の歴史認識について[4][5][6][7][8][9]YouTube動画,安倍・麻生・谷垣三者討論)
麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる(2008年12月4日配信)」において、「1941年12月に第二次世界大戦が真珠湾攻撃で始まるんです」と発言した。
靖国神社問題
政治家の靖国神社参拝問題については、政教分離が問われるなど一番の問題は靖国神社が宗教法人であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる特殊法人への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも招魂社でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している[27]。
2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた[28]。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている[29]。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。
A級戦犯の分祀については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している[30]が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている[31]。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにしてA級戦犯を分祀することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している[32]。
2006年1月28日、名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した[33]。
日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している[21]。
2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した[34]。
この節の加筆が望まれています。 |
人物
人物像
身長175cm、体重70Kg、血液型A型。名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが、「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。基礎的な漢字をたびたび読み誤り、マスコミを引き連れたパフォーマンスで本屋へ行った際に1ヶ月前に買った本と同じ本(日下公人の「日本はどれほどいい国か」)を再度買ってしまうなど、本を読んでいないと推測された[35]。
大学進学に関しては「東大を受験したい」と父親に言ったが、父親から『官立大学はお金がない人がいくところで、お金持ちのおまえが行くのは税金がムダ。それに東大は役人になるためにいくところだ。おまえ役人になるのか?』と言われたがために、東大へ行けないこともなかったがあえて私立の学習院大学へ進学した、と自著で述べている[36]。
特徴はべらんめえ調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。しかし、過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。
夢実現21世紀会議の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて日韓トンネルの実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。また日韓議員連盟の副会長や、日韓海底トンネル推進議員連盟の九州支部顧問も務めている。
海外留学などの経験から、英語力が堪能であるため海外などでのスピーチは通訳なしで英語で行っている。その一方で、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだり、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだり、「詳細」を「ようさい」と読んだりと、日本語の能力に関しては疑問符がついている[37]。
店名 | 金額 |
---|---|
露地やま祢(料亭) | 9万6358円 |
シュミネ(クラブ) | 48万2610円 |
かかしや(日本料理) | 9万6660円 |
山祥庵(ステーキハウス) | 9万6003円 |
幸本(料亭) | 110万3711円 |
宵待草(クラブ) | 9万410円 |
ウイングスインコーポレイテッド | 8万8570円 |
豪遊ぶりが目立ち、総理大臣に就任以後も高級ホテルや高級料亭などを頻繁に行き来していることが報道されている。政治資金収支報告書によると、2006年度には資金管理団体「素淮会」から高級クラブなどに173回、合計で約3500万円を支出している[38]。2007年度にも「ミシュランガイド」東京版で最高の3つ星を獲得した寿司店など高級店を「会合」名目で利用している[39]。
2004年9月に、3年10か月の国民年金保険料未払い期間があったことが判明している。民主党代表(当時)の菅直人が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。
2008年10月24日の閣僚資産公開で福岡県の実家や都内一等地の邸宅、軽井沢の別荘など併せて4億395万円の個人資産を所持している事が分かった。前首相福田康夫が所持している総資産の6倍に及び[40]、国会議員の中でも有数の「セレブ議員」[41][42]と報道された。
邸宅
敷地面積2400平方メートル、土地代だけで時価50億円を超えると言われる大邸宅を渋谷区神山町の一等地に所有している[43]。また、弟の泰氏の土地を併せれば5000平方メートルを優に超える。敷地内には木造3階建ての洋館が屹立し父親の麻生太賀吉氏が存命中の頃は専属コックがおり、フランス料理のフルコースなども調理していた。報道機関では「麻生御殿」とも呼称される[44]。東京の大邸宅の他には約2万坪の実家が福岡県飯塚市に存在する[45]。2008年10月27日、インターネット上で「麻生首相の自宅を見に行こう」という呼びかけで集まった30人ほどのグループが無届のデモを行い、そのうちの3人の男が警察官に暴力を振るうなどして公務執行妨害並びに都公安条例違反で警視庁に逮捕されたと報じられた。その後、3人は記者会見を開いて逮捕時の映像を公開し「暴行の事実は無く、事前にデモでは無いとして警察に了解を得ていた。格差と貧困をリアルに実感することが目的だった」として抗議している[46]。
信仰
クリスチャン(カトリック)である。靖国神社に参拝することもある(入閣している時はこれまで参拝してない)が、自身が神道ではなくクリスチャンということもあり、靖国神社の非宗教法人化を提唱している。終戦記念日の8月15日ではなく、例大祭に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という祭日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。
クールビズスタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としての十字架の鎖部分である[47]。
漫画
読書が趣味。特に漫画好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身のウェブサイトに掲載している『ビッグコミックオリジナル増刊』2003年7月2日号のインタビュー[48]によれば、自分の車内には常に最新の週刊コミック誌を置いているという。漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、ポーランド外相からは、現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている[49]。
漫画好きであることを自身の政策や政治的主張に利用することも多く、2006年や2007年の自民党総裁選の際には秋葉原で街頭演説し、漫画を始めとした日本のソフトコンテンツ産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持つべきであると述べた。2006年4月にデジタルハリウッド大学で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画である勇午について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた[50]。 2007年5月22日には海外の漫画家を対象とした「国際漫画賞」を創立することを発表。「漫画のノーベル賞のようなものを作りたい」と述べている。同年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約 (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画『はだしのゲン』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している[51]。
羽田空港で『ローゼンメイデン』を読んでいたところを見たという2ちゃんねるの書き込みがインターネット上で話題となり、一部のおたく層から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われたサブカルチャー雑誌『メカビ』Vol.1のインタビューにおいて『ローゼンメイデン』について、「少女コミックの割には、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている[52]。だが、2008年2月18日のSMAP×SMAPにゲスト出演した際に質問され「空港で噂のローゼンメイデンが置いてあったので読んだ」と語り、さらに『英語でしゃべらナイト』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『現代用語の基礎知識』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。こうしたことから、漫画好きの人々からの支持は高いと言われている。
ただし全ての漫画に理解があるというわけではなく、1989年 - 1991年に掛けての「有害コミック」騒動では、1991年「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。この会では、業界関係者を招致し、自主規制の現状について説明させた。
一方、『名探偵コナン』を使った外務省のPR冊子作成発表時に、『名探偵コネン』と読み間違えたり、その作者青山剛昌の名前を読めなかった。また、外相時にメキシコの日墨学院を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「るろうに剣心」について質問され、答えられない場面もあった。
2008年8月2日に死去した漫画家の赤塚不二夫について、「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした[53]。
2008年9月25日の英有力紙フィナンシャル・タイムズでは「貴族的家柄で失言と偏愛的な青年向け漫画愛好家である麻生太郎」と表され、国外でも漫画好きの政治家と認知されている[54]。
2008年9月26日東京・秋葉原で遊説を行い、さらに同所で開かれた「秋葉原エンタまつり08」の特別ステージにゲスト出演。『ジャパニメーションは、21世紀日本の資源。正しく国益。』という持論に基づき、漫画家・アニメーターの待遇向上による作品の品質向上、多国間における著作権保護の促進による国際競争力強化、ネット時代の柔軟なコンテンツ流通のあり方等について政策として強力に取り組むと共に、平和日本の文化として世界へのアピールを宣言。多くの聴衆からの熱狂的支持を受けた[55]。
その1ヵ月後の10月26日には再び秋葉原で街頭演説を行った。その際2008年6月8日に起こった秋葉原通り魔事件を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、地方銀行について触れ、従業員の最低賃金を上げることや、非正規雇用を正規雇用にし、その際の負担は政府が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を訴えた。また、総理大臣になってからの多忙さで、漫画があまり読めなくなったことも話した。
しかしながら総裁選時の街頭演説とは異なり「アキバはいつまでもてめーの味方ぢ(じ)ゃねーぞ」と書かれた紙を掲げる者や「アキバを利用している」等と批判的な見解を示す者がおり、「秋葉原ですら麻生離れがすすんでいる」という報道がなされた[56]。
週刊少年ジャンプで人気を博しており、麻生も好きだと公言している漫画、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉の銅像が東京・亀有に2008年11月に設立され、アニメで両津の声を務めたラサール石井と原作者や麻生も参加し除幕式が行われたが、その際に麻生は原作者の秋本治には挨拶したにも関わらずラサール石井に対しては知らなかったためか完全に無視し、そのことに憤慨したラサール石井がblogで「握手どころか、1回も目を合わすこともない。漫画好きなんじゃないの?庶民派アピールなんじゃないの?俺、両さんの声やってるんすけど。ははあ。この人、俺のこと知らないな。漫画好きでもアニメはみてないのね。なんで俺をシカト?いやあ、なんかヘンだよこの人。ていうか、馬鹿だなあ」などと麻生批判を展開したことが話題になった。このblogはラサールに対する批判で炎上し、該当記事はその後削除された[57]。
2008年11月20日、アニメ映画監督として知られる宮崎駿(学習院大学では麻生と同期)が、都内の日本外国特派員協会で行われた記者会見の中で、機会のあるごとに麻生が「オタク」文化を理解する人物として自分を積極的に打ち出していることについて、記者が宮崎にどう考えるかと質問したところ、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることをわざわざ首相が宣伝する必要はないという考えを示した[58]。これに対して、ネット上の一部で「オタク批判だ!」という宮崎への批判も出たが、スタジオジブリ関係者は、「ネットで言われているような『漫画を読むのは恥ずかしい』などと宮崎監督は言っているわけではない」「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピール(政治利用)として使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」との見解を示している[59]。
『後継者の品格—現代に見る帝王学』の著者の新井洋は「麻生さんは、育ちが悪いと自分を卑下することで、逆に家柄の良さをひけらかしています。マンガオタクも秋葉原好きも、自分が庶民的であることのアピールですが、真の帝王学を学ばれた方はそういうひけらかしはしません」と述べている[60]。
衆議院議員の平沼赳夫は、読売新聞の連載記事でのインタビューにて「総理が秋葉原で漫画の話をしてはいけない。総理は歴史、政治、道徳、宗教学などの本を読まなければいけない」と苦言を呈している。中曽根康弘は、麻生が「勉強になる」と公言する漫画『ゴルゴ13』を読み、「バカだね」と発言した[61]
クレー射撃
大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年のモントリオールオリンピック代表に選出される。
他党、支持団体との関係
公明党との関係
公明党と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる[62]。麻生の2008年総裁選出馬表明直後には、公明党支持母体の創価学会婦人部・公明代表代行の浜四津敏子が異例のスピードで支持表明をし、麻生が総裁選で優位となる流れを作り話題となった[63]。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の北側一雄も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している[64]。
民主党との関係にかかわる報道
週刊文春は、組閣にあたり漆間巌の起用を真っ先に決めたのは、警察OBであることから、現役警官からの情報が得られることが理由であり、小沢一郎民主党代表の持病である狭心症の状態や、民主党大物議員のマルチ商法スキャンダルを調査させるという目的であると報じた[65]。
統一教会との関係
勝共推進議員の1人であり、国際勝共連合から送り込まれた1人の統一教会(世界基督教統一神霊協会)信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道された[66]。麻生は週刊誌の取材に対して、統一教会との関係を全面否定している。
献金
麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の政治献金を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており政治資金規正法違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した[67][68]。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。
山田洋行から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている[69]。
発言
物議を醸した発言
- 衆議院選挙に初出馬した1979年、地元の飯塚市での街頭演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん[70][71]」と発言した。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている[72]。1983年の選挙では「平民の皆様」と発言した[73]。
- 1979年、「日中貿易なんかやっても無駄。中国はお金を持っていない。代金を払ってくれないよ」と発言している[74]。
- 1983年2月9日、高知県議選の応援演説にて「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えていることを批判した[75]。
- 2002年7月、田中康夫長野県知事について「醜く太っていて嫌な体型だ。自分で身体の努力していない、年を取ってなりたくない体型だ」[76]と発言した。
- 2003年9月11日の麻生も同席した自民党総務会において、大勇会の会合において被差別部落出身の野中広務に対する差別発言をしたことを会合の出席者から聞いたとして、野中がこの発言を強く批判した[77][78]。麻生は発言を否定している。→「野中広務 § 麻生太郎への批判」を参照
- 2003年10月20日にホームレスについて、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病という時代ですから」と発言し、事実に反するうえに差別的であるとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが[79]、翌日の会見で改めて趣旨を説明し[80]、撤回はしていない。
- 総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である福岡県内にあり、しかもその展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである[81]。
- 2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「(イスラエルの)シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。[82]
- 2006年7月4日のアメリカ独立記念日に合わせて、北朝鮮がミサイルを日本海に発射して挑発行為をしたことに対して、当時外相だった麻生は記者会見で「今日(7月5日)は、キムなんとか(=金日成)の記念日だったな(実際は7月8日に死去)」「距離とか方向とか見てみますと、むしろソ連領に近いほうに発射されてますんで」と発言した[83]。
- 2006年7月8日に広島市内で行なった講演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて、「金正日に感謝しないといけないのかもしれませんが[84]」と発言した。
- 2006年9月、福井市内で自身が外国人から聞いた日本の印象に触れて「夜、日比谷公園で女が一人で歩いている。考えられない。しかもそこそこの顔をしているやつでも襲われない。この国はやたら治安がいいんだ」と発言したことを立命館大学教授が証言している[85]。
- 2007年7月19日、富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の塩崎恭久からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌7月20日に謝罪したうえで撤回した[86]。
- 2007年7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した[87]。
- 2008年2月、中国製冷凍餃子中毒事件に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。
- 2008年7月に講演の中で、「1930年代、ドイツではナチス党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と、民主党とナチスを同一視するかのような発言をしたことが報じられた[88]。
- 2008年8月、首相(当時)の福田康夫は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで内閣改造を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから幹事長に就任した(福田康夫内閣改造内閣)。8月4日、参議院議長の江田五月を表敬訪問した際、ドイツでヴァイマル共和政末期に政治不信が募り、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示すことで、国会審議に復帰するよう民主党を牽制した。江田は麻生の悲観的な見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した[89]この会談においても「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と、先月の講演とほぼ同じことを述べたことについて、民主党政権がナチス・ドイツのように横暴極まりないという印象を与えかねないとして、鳩山由紀夫が撤回を求めた[90]。麻生は、「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。
- 2008年の自民党総裁選の立会い演説会で「外務大臣として働いた方のうち、私ほど、外交について多くを述べた方は、かつてただの1人もいらっしゃらないと思います」と発言し、外相経験者で内閣官房長官(当時)の町村信孝を驚かせた[91]。
- 2008年9月、首相就任前『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と宮内庁に指示を出した[92]。
- 2008年9月14日、JR名古屋駅前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送[93][94]。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した[95]。
- 首相就任後、麻生は毎晩のように高級ホテル(帝国ホテル、ホテルオークラ、ニューオータニなど)のバーや、料亭で会食していることを報道された。記者団に「庶民の感覚と懸け離れているのでは」と質問された際に麻生は「高級料亭、毎晩、みたいな話で作り替えている。引っかけるような言い方はやめろ」などと答え、その後も攻撃的な口調で答えた[96]。また、「普通の店に行くとSPやマスコミの影響で営業妨害になる」と主張したうえで、「店の妨害をして平気ですか?いま聞いてんだよ、答えろ!」と、質問した記者に強い口調で反問した[97]。発言のあと、麻生が総理就任後の1ヶ月で3度訪れた[98]『帝国ホテルの会員バー「ゴールデンライオン」は入会金52万5000円、年会費12万6000円であり麻生のように数人を連れて一夜を過ごすだけで10万円は軽く超える』と報道された[99]。与党の幹部からは「庶民派を気取っていても化けの皮がはがれる」と批判された[100]。この発言に対しノンフィクション作家の保阪正康は「記者が聞いているのは、<普通の庶民と違う感覚について、恐れ、不安があるんですよ>ということだった。これに対し麻生さんは『ホテルは安いんだ』とか、護衛がいて大変だ、とか答えた。質問と答えがあっていない」と指摘し、「自分の恵まれた生活空間の中でしか物事を見ていない。それが、今回の発言につながったと思いますね」と述べている[101]。
- 2008年9月24日、毎日新聞が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した[102]。
- 2008年10月26日に行われた自民党の秋葉原街頭演説会の様子がYouTubeに投稿され、九州でのある事例で、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したことを紹介したうえで「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」と演説した[103]。前後の文脈から「食いっぱぐれそうな顔をしている」というのは非正規雇用の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった。また、「結婚したらあたしが一人で働かないかん」と、まるで非正規雇用の男性が失業者と同等だという差別的な発言であることも指摘された。
- 2008年11月20日、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。厚生労働大臣の舛添要一や、自民党の国会対策委員長の大島理森、元副総裁の山崎拓、税制調査会会長の津島雄二などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の河村建夫も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、日本医師会会長の唐沢祥人が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に全国保険医団体連合会も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。茨城県医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。民主党代表代行の菅直人にも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた[104]。
- 2008年11月22日、訪問先のペルー・リマで、民主党代表の小沢一郎が、11月17日の党首会談で第2次補正予算案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、党首としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている[105]
- 2008年11月20日の経済財政諮問会議において、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金 (医療費)を何で私が払うんだ」「私の方が(多額の)税金は払っている」「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と、発言していたことが、2008年11月26日に公開された議事要旨から判明した。 この発言は保険制度の概念を軽視し「病気になるのは本人の不摂生(自己責任)のため」と受け止められ、批判を浴びた。後に麻生は「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した[106]。山崎拓、税制調査会長の津島雄二、前幹事長の伊吹文明、中山泰秀、渡辺喜美などが苦言を呈した。公明党代表の太田昭宏は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、国民新党の亀井静香は「社会保障とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。河村建夫も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。
- 2008年11月23日、訪問先のペルー・リマでの記者会見で「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と発言したことを同年11月30日放送のTBSのテレビ番組『時事放談』で問題発言として紹介された。
- 2008年11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、定額給付金について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と、定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる発言をした[107]。また、2008年12月6日長崎県諫早市で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない。」と発言した[108]。
- 2008年12月14日、北九州エコタウン(北九州市)を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、毎日新聞は暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した[109]。
- 2008年12月15日、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した[110]。
- 2008年12月19日、ハローワーク渋谷(東京都渋谷区)を視察。失業し、再就職の相談に来ていた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい。」と話しかけたところをTBSのニュース番組で報道された。この発言に対し、民主党幹事長の鳩山由紀夫は、「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した[111]。ほかに同ハローワークを訪れていた相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えていた[112]。
- 2009年1月6日の会見において、定額給付金に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「国会議員も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回真逆の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が大きく噴出している[113]。
その他の発言
- 2003年の総務大臣就任記者会見の場で、ITの発達で役所から書類がなくなり、「地方自治体を含め中央官庁を、IT、いわゆるフロッピーで(コンピュータ同士を)繋ぐ」「フロッピー1枚で(役所の仕事を)全部できるようになる」という趣旨の発言をした。(youtube映像)
- 外務大臣当時の2006年11月、ニューヨーク・タイムズが太平洋戦争中における麻生鉱業の捕虜強制労働を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、在ニューヨーク総領事館にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに2008年12月18日、裏づけとなる第一復員省まとめの公文書が厚生労働省で発見された事を受け削除されている[114]。
- 2007年10月6日、フジテレビ系列の情報番組であるハッケン!!でのインタビューで「2ちゃんねるに時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった[115]。
- 財務大臣(当時)の谷垣禎一との「安倍晋三首相に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた[116]。
- 「治安の良さは日本のブランド」としており、日本は世界的に治安が良い国という認識を持っている。街頭演説でも同様の主張をしている。
- 2008年9月16日、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に麻生は「ひと言多いこと」と発言した[117]。
- 2008年9月、「総理大臣公邸に入居するのは解散総選挙を行った後」としており、現在も自宅から通勤している。総理が自宅(東京・渋谷区)から官邸へ通勤するのは、元首相の宮沢喜一以来、15年ぶりのことである。
- 2008年10月19日にはスーパーマーケットを視察しそこで買い物をしたが、その後に高級ホテルのバーで食事を取ったため多くの報道機関からは「庶民派をアピールしている」と冷ややかに受け止められ[118][119][120]、民主党からは「スーパーを少し見たあと、超高級ホテルで食事している。単なるパフォーマンスだ」[121]と批判された。
- 2008年10月28日の参院外交防衛委員会で食品高騰問題を取り上げた民主党の牧山弘恵からカップ麺1個の値段を聞かれると「日清食品が最初(1971年に“カップヌードル”を)出したときはえらく安かった。(カップ麺は)いま400円くらいします?そんなにしない?私、最近自分で買ったことないので」と答えた[122]。なお、2008年10月28日時点でのコンビニでのカップめん1個の小売価格は平均170円程度であり、麻生の答弁の聞いたほかの委員からは「え~?」「知らないの~!?」などと驚きの声が上がった[123]。
- スーパーの視察に続き、2008年11月10日には自民党学生部の者たちと居酒屋で飲むというパフォーマンスを見せた。そして翌日の自民党役員会で「まあ、(メニューは)ホッケの煮付けとかそんなもんでしたよ」と言い、実際庶民的なものを食べたことをアピールしたつもりだった。しかし、ホッケの煮付けは、麻生が飲みに出掛けた居酒屋には置いていないという。これに大島理森から、「ホッケは焼くしかないんですよ」と突っ込まれた。なお、麻生はこの居酒屋パフォーマンスのあとに、いきつけの高級ホテルのバーに移動しており、マスコミからは「つかの間の庶民派アピール」などと皮肉られた[124]。
- 2008年11月10日放映の中国テレビCCTVに出演「私の家は貧しかったので子供の頃は、高校まで弁当では麦を食べていました」と発言[125]。
- 2008年11月19日、都内のホテルで開かれた私立幼稚園PTAの全国大会で挨拶した麻生は「家庭でしつける力がなくなってきた」と指摘した上で、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、幼稚園で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した。しかし、会場には園児の母親たちが大勢出席しており幼稚園の教員を前に演説していたと勘違いした麻生は、終盤ようやくそれに気付き訂正した[126]。
- 2008年12月25日夜、首相官邸で行われた閣僚との忘年会の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという[127]。
漢字の読み間違い
国会答弁の中などで、漢字の読みを何度も間違えていることが指摘されている[128]。
主なものとしては
踏襲 | 「ふしゅう」youtube動画 youtube動画 |
頻繁 | 「はんざつ」 |
破綻 | 「はじょう」 |
順風満帆 | 「じゅんぷうまんぽ」 |
低迷 | 「ていまい」 |
詳細 | 「ようさい」youtube動画 |
未曽有 | 「みぞうゆう」 |
実体経済 | 「じつぶつけいざい」 |
焦眉 | 「しゅうび」 |
物見遊山 | 「ものみゆうざん」 |
有無 | 「ゆうむ」 |
思惑 | 「しわく」 |
措置 | 「しょち」 |
前場 | 「まえば」 |
詰めて | 「つめめて」youtube動画 |
怪我 | 「かいが」youtube動画 |
などがある。
- 上記の読み間違えリストは英国で発行されているフィナンシャル・タイムズにも、「批判は彼がしばしば起こす読み間違えにまで行き着いて(latch on)いる。…(中略)…知識人からは(彼の誤読は)恥ずかしいものとして見られている一方で、オンライン百科事典であるウィキペディアの麻生総理の項には、誤読のリストが特集されている。」として取り上げられた[129]。
- 自民党総務会長の笹川尭は、「総理の原稿にはカナを振ったほうがいい」と述べた[130]。
- 福岡県内の自民党地方議員からも、漢字の読み間違いについて「ここまでバカとは思わなかった」という指摘が出ている[131]。また、麻生の地元である福岡市内の小学校では、漢字の読みが苦手な小学生に対し「(麻生)太郎ちゃん」というあだ名をつけることが流行している[132]。
- これら読み間違いについて、週刊朝日は「マンガ脳政権」、サンデー毎日は「阿呆太郎」と揶揄した[133]。
- 2009年1月4日の年頭記者会見において書き初めをした際、落款で「平成廿一年」とすべきところを「平成廿十一年」と書いてしまった(自由民主党ホームページにも掲載していたが、その後、十の字を除いた訂正版に差し替え)。前年も漢字の間違いが多く指摘されただけに、自民党内も「チェック体制はどうなっているのか」と危機感をあらわにしている[134]。
年譜
- 1940年9月 - 福岡県飯塚市に生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。
- 1959年3月 - 学習院高等科卒業。
- 1963年3月 - 学習院大学政経学部政治学科卒業。
- 1963年4月 - スタンフォード大学に留学。
- 1965年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
- 1966年8月 - 麻生産業株式会社に入社。
- 1966年11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。
- 1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
- 1976年7月 - モントリオールオリンピックに日本代表として出場。
- 1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
- 1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
- 1983年11月 - 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。
- 1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙で3期目の当選を目指したが落選。
- 1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目)。以降第44回まで6回連続当選。
- 1988年12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。
- 1990年3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
- 1991年1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
- 1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
- 1992年12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。
- 1996年11月 - 経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。
- 1997年9月 - 日本会議国会議員懇談会第2代会長に就任(2003年9月まで)
- 1999年3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
- 2001年1月 - 経済財政政策担当大臣に就任(2001年4月まで)。
- 2001年4月 - 党政務調査会長(2003年9月まで)。
- 2003年9月 - 総務大臣に就任。
- 2003年11月 - 総務大臣に再任。
- 2004年9月 - 国民スポーツ担当を併任。
- 2005年10月 - 外務大臣に就任。
- 2006年9月 - 外務大臣に再任。
- 2006年12月 - 為公会(麻生派)を設立し、会長に就任。
- 2007年3月20日 - 在職25年となり、衆議院本会議で永年在職議員表彰を受ける。
- 2007年8月27日 - 安倍改造内閣において自民党幹事長に就任。
- 2008年8月1日 - 福田改造内閣において再び自民党幹事長に就任。
- 2008年8月10日 - 日本バスケットボール協会会長に就任。
- 2008年9月2日 - 福田康夫首相の辞任表明に基づく自民党総裁選に立候補。
- 2008年9月22日 - 第23代自民党総裁に就任。
- 2008年9月24日 - 第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣組閣。
主な役職等
- 社団法人日本クレー射撃協会会長
- 日韓議員連盟副会長
- 日韓トンネル研究会九州支部顧問
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 日本オリンピアンズ協会顧問
- 日本バスケットボール協会会長
家系
麻生家は、宇都宮氏の流れを汲む麻生氏の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという[135]。江戸時代には村の庄屋を務め、1868年大庄屋となった。明治の始め曾祖父・麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つに伸し上がり鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は、吉田茂の資金源となった。
吉田茂は祖父、加納久朗子爵は祖母・夏子の兄で立花宗茂の弟・立花直次の子孫に当たる。牧野伸顕伯爵、自由民権運動の闘士竹内綱は曽祖父、明治の元勲大久保利通、自由民権運動の弾圧で知られる三島通庸子爵は高祖父にあたる。妻は元首相の鈴木善幸の三女。妻との間に1男1女あり、いずれも2007年3月の時点で大学生。麻生の弟・泰の妻は、日本医師会の元会長である武見太郎の娘。妹・信子は寬仁親王妃。従兄弟にキャプテン・フューチャーの翻訳者として知られるSF作家の野田昌宏がいる。
文芸・野球評論家の大井廣介は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては従兄弟にあたる。また明治天皇の落胤を名乗った日本画家橘天敬は太賀吉のいとこの夫である。
橋本龍太郎は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄加納久朗の孫久美子が龍太郎の妻)。安倍晋三は遠縁の親戚(麻生の祖父吉田茂の長女桜子の夫・吉田寛が岸信介元首相のいとことなるため)。宮澤喜一は遠縁の親戚(妻の兄弟の鈴木俊一の妻が宮澤喜一のいとことなるため)。宮澤家はブリヂストンの石橋家と親戚であり、この石橋家を通して鳩山家ともつながる。
なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、世襲政治家が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。
野田勢三郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田健三郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田宏一郎 (野田昌宏)ひらけ!ポンキッキの生みの親 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ツヤ子 | 鈴木俊一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鈴木善幸 (首相) | 千賀子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
加納久宜 | 加納久朗 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
八重子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏子 | 麻生太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生太賀吉 | 麻生次郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生賀郎 | 麻生太吉 | 麻生太郎 | 雪子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
竹内綱 | 吉田茂 (首相) | 吉田健一 | 相馬和胤 | (相馬家第33代当主 ミングオブジャパン社長) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吉田正男 | 旦子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
雪子 | 江子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大久保利通 | 牧野伸顕 | 桜子 | 荒船清彦 | (駐スペイン大使) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三島通庸 | 峰子 | 彬子女王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利武子 | 寬仁親王 | 瑶子女王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生泰 (麻生社長) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋月種英 | 武見太郎 (日医会長) | 武見敬三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著作
- 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所 2000年 ISBN 978-4569611112
- 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819
- 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344411975
- 『とてつもない日本』 新潮社(新潮新書) 2007年 ISBN 978-4106102172
共著
- 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著、シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 978-4880862279
- 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著 祥伝社 2008年5月 ISBN 978-4396613075
脚注
- ^ 麻生太郎オフィシャルサイト
- ^ 麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生からさらに分社化した麻生セメント(2代目)が社名変更したもの。
- ^ 父方の祖父の名前も“麻生太郎”である
- ^ 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁
- ^ プロフィール(麻生太郎オフィシャルサイト)
- ^ 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビュー(ニッケイ新聞 2007年8月17日付け )
- ^ 『朝日新聞』 2008年8月23日
- ^ 共同通信 2008年9月10日
- ^ 『毎日新聞』 2008年9月11日
- ^ 消費税論議、経済成長が前提(『夕刊フジ』連載 「日本の底力」 2007年10月26日)
- ^ 『日本経済新聞』 2008年9月14日
- ^ 『読売新聞』 2008年9月13日
- ^ 『共同通信』 2008年9月13日
- ^ 『毎日新聞』 2008年10月30日
- ^ 『毎日新聞』 2008年11月27日 麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛ぶ一方で「地方分権」を理由に事務を市区町村に委ねたことなどの政府批判を行った民主党幹事長の鳩山由紀夫は大きな拍手を浴びた。
- ^ 『景気の麻生』 市場安定化策も効果なく 東京新聞 2008年10月28日
- ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081029-00000574-san-pol
- ^ 『読売新聞』 2008年11月29日
- ^ 株価最安値更新に首相「一喜一憂しない」 民主は一斉に政権批判 産経新聞2008年10月28日
- ^ 衆議院 (2007年1月26日). “第166回国会 本会議 第2号”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ a b 麻生太郎日本外相インタビュー「韓日、靖国に執着しすぎ」 中央日報2005年12月25日
- ^ 『読売新聞』2006年12月14日
- ^ 衆議院 (2007年2月19日). “第166回国会 予算委員会 第11号”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 外務省 (2006年9月18日). “国際交流会議「アジアの未来」2006 麻生太郎外相スピーチ「ネットワーク型アジア」の未来を構想する(外務大臣演説)”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 『毎日新聞』 2008年10月2日
- ^ 空幕長論文「適切でない」=麻生首相-民主も批判 時事通信2008年11月1日
- ^ 『時事通信』 2008年10月7日
- ^ 『読売新聞』 2006年8月4日
- ^ 『日本経済新聞』 2008年10月7日
- ^ 『時事通信』 2006年3月8日
- ^ 麻生太郎オフィシャルサイト 靖国に弥栄(いやさか)あれ
- ^ 『日本経済新聞』 2008年9月15日
- ^ 『共同通信』 2006年1月31日
- ^ 『日本経済新聞』 2006年5月26日夕刊
- ^ http://gendai.net/?m=view&c=010&no=21576
- ^ 麻生太郎『とてつもない日本』
- ^ 「村山談話をフシュウ?」、首相誤読 議事録は「踏襲」 朝日新聞 2008年11月12日閲覧
- ^ a b “麻生幹事長、政治資金で飲み食い”. しんぶん赤旗. 日本共産党 (2008年8月14日). 11月2日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “麻生氏は他4候補を圧倒、小沢代表と互角…政治資金中央分”. 読売新聞. 読売新聞社 (2008年9月12日). 11月2日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 麻生氏、不動産4億円所有=際立つセレブぶり-新旧首相比較時事通信 2008年10月24日
- ^ 麻生セレブ首相 資産4億5547万円スポニチ 2008年10月25日
- ^ 世襲議員、資産にばらつき セレブ内閣、最大50倍の差47NEWS 2008年10月24日
- ^ 別世界「麻生御殿」 敷地2400平方メートル 地価は50億円 2008年9月29日 東京新聞
- ^ "麻生御殿"は別世界 一等地の高台に洋館47NEWS 2008年10月28日
- ^ 麻生豪邸、土地代だけで62億円!?5候補お宅を査定 ZAKZAK 2008年9月13日
- ^ 麻生首相宅見学ツアー:フリーター労組ら「暴行しておらず不法逮捕」と会見 毎日新聞 2008年10月28日
- ^ 側近の議員である松本純がウェブサイトで説明している。
- ^ “麻生太郎 コミックを語る”. ビッグコミックオリジナル 増刊号 (2003年7月2日). 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 自著『とてつもない日本』p.168(新潮新書、2007)
- ^ garbagenews.com[1]
- ^ 時事通信 2007年4月29日
- ^ 麻生太郎著 『自由と繁栄の弧』 P.296~P.305 「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 9784344013339
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- ^ http: //www.j-cast.com/2008/11/13030313.html
- ^ 宮崎駿監督、麻生首相の自称「漫画好き」に苦言 AFPBB News
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- ^ 週刊新潮第53巻37号、平成20年10月2日
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- ^ http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html
- ^ 日本経済新聞 2008年9月11日
- ^ 「小沢氏が倒れたら民主党がガタガタになり、そのタイミングで解散するという選択肢が生まれたのです」(政治部記者)。10月6日、小沢氏は日本医大病院に入院した。風邪と報じられたが、密かに集められた情報では不整脈の疑いがあった。「情報収集は警察が行い、元警察庁長官の漆間巌官房副長官に情報が上げられたのです」(別の記者)首相就任時、麻生氏が真っ先に決めた人事は、漆間氏の官房副長官だったというが。別の官邸記者が言う。 「漆間氏が警察庁出身であることを買って、麻生首相が起用したのです。しかし、マルチ商法業界からの献金問題で、民主党の大物議員の逮捕を狙いながら、結局、何もなかった。」週刊文春2008年12月11日号
- ^ 『週刊現代』1999年2月27日号
- ^ “補助金受け650万献金 麻生総務相関連会社”. 共同通信 (2004年8月6日). 2008年9月14日閲覧。
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- ^ 夕刊フジ2007年11月22日
- ^ 週刊現代第50巻第23号2008年、6月21日
- ^ 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日
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- ^ 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日
- ^ 新総裁 麻生氏 発言録 しんぶん赤旗
- ^ 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日。なお、同誌は麻生が防衛大臣(当時)の久間章生について「彼の何がすごいかって、あの体型にあの顔、それなのに頭がよいことだ」と発言したことも掲載している
- ^ 魚住昭『野中広務 差別と権力』
- ^ 角岡伸彦『はじめての部落問題』
- ^ 新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議 (2003年10月29日). “麻生発言 新宿連絡会”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
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- ^ 東京新聞 平成20年9月26日 付朝刊1面
- ^ 共同通信 2008年1月19日配信記事
- ^ 日刊ゲンダイ 2008年12月11日掲載記事
- ^ 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日
- ^ 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日
- ^ 「麻生外相が陳謝――アルツハイマー発言」『朝日新聞』2007年7月21日、34面。
- ^ 『毎日新聞』2007年7月20日
- ^ 2008年8月5日 TBSニュースで報道
- ^ “「自民・麻生氏、ナチス引用し審議促す=「民主を冒涜」鳩山氏反発」”. 時事ドットコム. 時事通信 (2008年8月4日). 2008年10月13日閲覧。
- ^ “「麻生幹事長が民主をナチスに例えた?」”. nikkansports.com. 日刊スポーツ (2008年8月4日). 2008年10月13日閲覧。
- ^ 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日
- ^ 週刊現代第50巻第35号、2008年9月20日
- ^ 「豪雨、岡崎だったからいいけど」麻生氏、名古屋駅前の演説で発言『中日新聞』2008年9月16日
- ^ 「豪雨が安城や岡崎だったからいいけど」 麻生氏失言 怒り渦巻く『中日新聞』2008年9月17日閲覧
- ^ 麻生氏から岡崎市に謝罪文 豪雨めぐる発言で『朝日新聞』2008年9月17日閲覧
- ^ 麻生首相逆ギレ、ホテルでの飲食「安い」
- ^ 麻生首相Vs報道陣ブチ切れ!夜会合批判で サンスポ 2008年10月23日
- ^ 麻生首相の“セレブ”な晩ごはん(全店リスト付)。首相が足繁く通う店の正体は?日経トレンディネット 2008年10月24日
- ^ 麻生首相が「安い」と豪語したバーは入会金52万5000円!日刊ゲンダイ 2008年10月24日掲載
- ^ 与党、首相発言に危機感 「化けの皮はがれる」西日本新聞 2008年10月22日
- ^ 麻生首相、本音ぽろり 「自分中心」前面に毎日新聞 2008年10月31日
- ^ 毎日新聞 2008年9月24日 東京朝刊
- ^ 麻生首相の非正規雇用労働者蔑視発言ほか 植草一秀『知られざる真実』
- ^ 毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊
- ^ 産経新聞 2008年11月23日 朝刊
- ^ 2008年11月27日 読売新聞
- ^ 「給付なんていらない人、いっぱいいる」
- ^ 「さもしく1万2千円欲しい人も…」定額給付金で首相発言
- ^ 麻生首相:また「問題発言」
- ^ 麻生首相:また「問題発言」
- ^ 「就職は目的意識ないと」 首相、ハローワークで若者に 朝日新聞 2008年12月20日
- ^ 麻生首相、ハローワークを視察News i TBS
- ^ 給付金「皆さんに使ってほしいな」首相が辞退期待から転換(2009年1月6日 読売新聞)
- ^ 旧麻生鉱業炭坑に外国人捕虜、厚労省が公文書開示讀賣新聞12月19日
- ^ 麻生太郎氏「2ちゃん、時々書き込む」『 産経新聞』
- ^ 外務省 (2007年1月16日). “外務大臣会見記録(平成19年1月)”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 【自民総裁選】総裁候補が自己分析 「ひと言多い」麻生氏に、「太陽に吠えろ」の石原氏 産経新聞 2008年12月13日 閲覧
- ^ 麻生首相:就任1カ月 有名ホテルなどで連夜の会合毎日新聞 2008年10月22日
- ^ 麻生首相、カップめんは「400円?」サンスポ 2008年10月22日
- ^ 麻生首相またセレブ発言「カップ麺は400円」スポーツ報知 2008年10月29日
- ^ スーパー視察の後に…野党から辛辣な批判産経新聞 2008年10月22日
- ^ 首相、カップめんは「400円くらい?」委員会で答弁 朝日新聞 2008年10月28日
- ^ カップ麺四百円…金満家首相は庶民感覚ゼロ スポニチ 2008年10月29日
- ^ 首相が学生と居酒屋懇談…1時間後には高級ホテル スポニチ 2008年11月9日
- ^ You Tube動画
- ^ 時事通信 2008年11月19日配信記事
- ^ 『時事通信』2008年12月25日22時53分配信
- ^ みぞうゆう?ふしゅう??…麻生さんは漢字苦手? 読売新聞 2008年11月13日
- ^ Japanese premier’s fumbles leave LDP vulnerable フィナンシャル・タイムズ 2008年12月22日 閲覧
- ^ 肥留間正明の芸能斜め斬り 麻生首相原稿に仮名を振ってもらえ内外タイムス 2008年12月24日 閲覧
- ^ 地元議員からも首相批判 選挙区の地盤沈下
- ^ 小学校の太郎ちゃん
- ^ ついに出た“阿呆”太郎という週刊誌の見出し (ゲンダイネット)
- ^ 漢字は今年も鬼門?麻生首相、書き初めで筆滑る(2009年1月5日 読売新聞)
- ^ 麻生グループ. “麻生百年史(麻生グループ)”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
関連項目
- 麻生内閣
- 麻生氏 - 宇都宮氏 - 筑豊御三家 * 宇都宮氏
- 麻垣康三
- 士志の会(古賀誠、平沼赳夫、高村正彦)
- 為公会
- 麻生包囲網
- 日本国政府専用機(小型の政府専用機導入を提案)
- 福岡県出身の人物一覧
- 学習院大学の人物一覧
- 射撃選手一覧
- 保守
- 伝統と創造の会(会長稲田朋美、幹事長薗浦健太郎)
参考文献
- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 224-227頁
- 広瀬隆 『私物国家 日本の黒幕の系図』 光文社 2000年 191、333頁
- 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 451、500頁
- 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店2002年 31、42-44頁
- 魚住昭 『野中広務 差別と権力』 講談社 2004年06月29日 ISBN 4062123444
- 角岡伸彦 『はじめての部落問題』 文藝春秋 2005年11月20日 ISBN 4166604783
- 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910
- 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『週刊文春』を部落問題で恫喝した』」『週刊現代』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。
- 麻生太郎 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所 2000年 ISBN 978-4569611112
- 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819
- 麻生太郎 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344411975
- 麻生太郎 『とてつもない日本』 新潮社(新潮新書) 2007年 ISBN 978-4106102172
- 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著 シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 978-4880862279
- 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著 祥伝社 2008年5月 ISBN 978-4396613075
外部リンク
- 麻生太郎オフィシャルサイト
- 麻生総理プロフィール(首相官邸 公式ホームページ)
- 第170回国会における麻生内閣総理大臣 所信表明演説(2008年9月29日)
- 麻生内閣メールマガジン(「太郎チャンネル」動画配信開始)
- 麻生自民党チャンネル(ニコニコ動画)
- 松本純Channel(Youtube)
- 『MANGA』を語る
公職 | ||
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先代 福田康夫 |
内閣総理大臣 第92代:2008年 - |
次代 現職 |
先代 町村信孝 |
外務大臣 第137・138代:2005年 - 2007年 |
次代 町村信孝 |
先代 片山虎之助 |
総務大臣 第3・4・5代:2003年 - 2005年 |
次代 竹中平蔵 |
先代 額賀福志郎 |
経済財政政策担当大臣 第2代 : 2001年 |
次代 竹中平蔵 |
先代 田中秀征 |
経済企画庁長官 第53代:1996年 - 1997年 |
次代 尾身幸次 |
党職 | ||
先代 福田康夫 |
自由民主党総裁 第23代 : 2008年 - |
次代 現職 |
先代 中川秀直 伊吹文明 |
自由民主党幹事長 第40代: 2007年 第42代: 2008年 |
次代 伊吹文明 細田博之 |
先代 亀井静香 |
自由民主党政務調査会長 第44代:2001年 - 2003年 |
次代 額賀福志郎 |
議会 | ||
先代 創設 |
福岡県第8区選出 1996年 - |
次代 現職 |
先代 島村宜伸 |
日本会議国会議員懇談会会長 第2代:1997年9月 - 2003年 |
次代 平沼赳夫 |