橘天敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

橘 天敬(たちばな てんけい、1906年 11月3日1984年 6月1日)は、日本の画家。下図が無く、岩絵具と金箔でダイナミックに描いた障壁画は、アメリカのスミソニアン博物館の中にあるフリーア美術館ネルソン・アトキンス美術館、ロンドンの大英博物館などに収蔵されている。

人物と作品[編集]

幼少期は野山を駆け回る腕白な少年であった。大正9年3月、大谷小学校を卒業すると末永節先生や個人教授のもとに学び、得意は数学で英語は最も苦手だった。 外遊は多かったものの生涯殆ど英語を話さず周囲に頼り、何処の国でも身振り手振りのユーモア溢れるジェスチャーで一心に気持ちを伝え、通じていたのか不思議 にも外国人の友人・知人は多かった。


東京美術学校専科時代には岡本一平に可愛がられ、街で一緒に並んで似顔絵を描き、菊池寛久米正雄らにも紹介され初めて銀座の黒猫というカフェに 連れて行かれるなど、既に一世を風靡していた漫画家、小説家との出会いは新鮮で有難くその後、野口雨情西条八十時雨音羽中山晋平らも展覧会の 発起人として近衛文麿と共に名を連ねているが、自由で大らかな超一流の先輩芸術家たちとの交流は果敢な青年期に貴重な影響を与えるものとなった。


仏画を描いた経緯は17歳の秋に美術学校内で関東大震災に遭ったことがきっかけであった。その例えようのない惨状に「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱え、震え、祈り、 仏画に専心する強い決意のもと、山口県観念寺で修業し、初めて「如来像」を描いたという。

その後、海外での個展や留学が続き、広く学びながら文化交流に努めたが、戦後、園部香峰から雅号を橘天敬に改めた頃より、六曲一双屏風に障壁画の大作を次々描くようになった。 画業として特筆すべきは、昭和47年(1972年)夏、米国ワシントンのスミソニアン博物館内のフリーア美術館に六曲一双障壁画「風神雷神之図」が収蔵された事である。 これは昭和期の日本美術史上、世界レベルの貴重な功績であったが、当時、記事にしたのは残念ながら毎日新聞だけである。“光琳、宗達に続く「異例の美術館入り」”との見出しで、 故人の作品以外は収蔵しないという前例を破っての経緯だったが、以来50年近くそれに継ぐ日本画家は無いようだ。大観以降、現代アートに繋ぐ架け橋としての再評価は不可欠であろう。


展覧会に欠かさず訪れ、天敬の「心の師」でもあった安岡正篤は、天敬の画風を陶淵明の詩から「大化縦浪派」(たいかしょうろうは)評した。また、世界平和を願う同志として作品と その生涯を暖かく見守り、自筆の書と天敬の墨絵が一緒に描かれた掛軸も残っている。晩年、諸々の平穏を願い得度したが、昭和57年(1982)5月に脳梗塞で倒れ、更に胃がんが見付かり、 昭和59年(1984)に逝去した。


葬儀委員長は美術評論家の三宅正太郎氏、戒名は小松院殿天敬義仁大居士。 画家自身、意図せぬような波乱万丈の生涯であったが、その分、人への思いやりや愛情は深く、可愛いらしい小さな雀を描いた「友を呼ぶ」、優しさ溢れる「聖母観音」などにも象徴される。 また、豪放磊落で文武両道の精神を重んじ、力強く堂々とした獅子なども描いた。


お墓は台東区谷中の長久院に在るが、天敬が生涯「芸術の師」と仰ぎ、谷中墓地に眠る横山大観といつでもお酒が酌み交わせるようにと、生前の両者を知るお墓守の計らいで、対面に位置 するよう建てられている。


画歴年表[編集]

※ この項目は「画歴年表」であり、「画歴」に関する事以外、書き込まぬようお願いします。


に贈呈。同氏没後は司法省より スミソニアン フリーア美術館に移管される。

  • 1963年-障壁画「無心光明」六曲一双 制作。池上本門寺所蔵
  • 1964年-障壁画「日暖かし帝城の春」[六曲一隻、逓信総合博物館所蔵。(現、郵政博物館
  • 1965年-3月明治神宮参集殿にて“橘天敬の芸術展”開催。
  • 障壁画「八州之気図」六曲一双、「明治神宮宝物殿」奉納。
  • 障壁画「悠々無限之図」六曲一隻、外務省を通じ蒋介石総統に贈る。
  • 1966年-米国、西テキサス州立大学芸術学部名誉教授となる。キャニオン美術館で個展。
  • ワシントン国立第一銀行ホールに於いて個展。
  • 1968年-障壁画「日暖かし帝城の春・二」六曲一双 制作。身延山久遠寺所蔵。      
  • 1970年-東京美術倶楽部にて「橘 天敬 障壁画鑑賞展」開催。
  • 1971年-米国テキサス州 パンハンドル・プレインズ歴史博物館にて「橘天敬 障壁画展」 
  • 1972年-米国ワシントンDC国立フリーア美術館に六曲一双「風神雷神」が収蔵される。
  • テキサス州ダラス市、百貨店 ニーマン マーカスで「障壁画展」開催。
  • 1975年-三越本店7階ギャラリーにて、個展「橘天敬の藝術」開催。
  • 1977年-5月、駐仏日本大使館後援により、パリ市 ドロアン画廊にて個展。
  • パリ市より「芸術功労賞」(金メダル)受賞。  
  • 1978年-10月3日帝国ホテルにて、障壁画「スターンの桜」(六曲一双)を発表。同月、福岡 岩田屋にて個展。六曲一隻「不動明王」制作展示。
  • 1979年-大阪 阪急百貨店にて個展。
  • [[1980年}}-6月米国テキサス州パンハンドル・プレインズ歴史博物館にて個展。
  • 7月-静岡 松坂屋にて個展。 
  • 9月-銀座、ギャラリーセンタービルにて個展。
  • 1984年-5月、障壁画「春琴之譜」六曲一双、米国スミソニアン・フリーア美術館より、ミズリー州カンサス市ネルソン・アトキンス美術館に移管収蔵される。