所ジョージ

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所ジョージ
出生名 角田 隆之
生誕 (1955-01-26) 1955年1月26日(69歳)
出身地 日本の旗 日本埼玉県所沢市
学歴 拓殖大学商学部除籍
ジャンル ロック
フォークソング
担当楽器 ギター
活動期間 1977年 -
レーベル キャニオン・レコード
EPICソニー
VAP
avex
事務所 ティヴィクラブ
共同作業者 坂崎幸之助
公式サイト TOKORO WEB

所 ジョージ(ところ ジョージ、英語表記:Tokoro George1955年(昭和30年)1月26日 - )は、日本シンガーソングライターコメディアン俳優司会者ラジオパーソナリティー。本名、芳賀 隆之(はが たかゆき)旧姓、角田(かくた)。

埼玉県所沢市出身。東京都世田谷区成城在住。ティヴィクラブ所属。身長172cm、体重63kg。

概要

小平市錦城高等学校を経て1浪後、公募推薦で拓殖大学商学部に進学するも学費納入の手続きを忘れ、学費未納として除籍される。

シンガーソングコメディアン」を自称し、ミュージシャンコメディアンとして芸能界デビュー。その後、日本を代表するタレントとして複数の冠番組を持つ。その他、俳優声優司会者ラジオパーソナリティディスクジョッキー作家コピーライターゲームクリエイター発明家、また、少年ビッグコミックにおける漫画家としての連載など、様々な活動を行っている。

芸能活動

芸名の由来

芸名の「所ジョージ」の由来は、出身地の所沢市柳ジョージをモチーフに宇崎竜童によって「沢の柳ジョージ」という意味で命名された[1]タモリは「所」「とっころさん」、ビートたけし坂崎幸之助からは「所」、伊東四朗は「ジョージ」「とこちゃん」、明石家さんまは「所さん」や「所ジョージ」とフルネームで呼ぶこともある。

ミュージシャン・音楽面

拓殖大学入学するも1度も授業に出ず[2]、2年生に進級できなかったため音楽の道を志す。程なくデモテープが「面白い」と北島肇プロデューサーに認められて音楽業界に入る。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドボーヤとして、渋谷にあったライブハウス渋谷ジァン・ジァンで前座を務めていた。もう一人の河原崎直彦プロデューサーがダウン・タウン・ブギウギ・バンドも手掛けていた関係で宇崎竜童と出会い、前座で出演するに当たって「所ジョージ」と命名された。ライブ会場では小遣い稼ぎのために勝手に宇崎のシールを作って売ったり、ステージ上では「どうせ誰も聞いていない」との理由で餅を焼いて食べるなどしていた。人前で歌ったことがない状態からボーヤを経て、1977年7月25日に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビュー。

1980年代前半は、CBSソニーの新人登竜門の新宿ルイードなどでしばしば営業活動を行っていた。楽曲などの演奏はほとんど無く、主にしゃべり+ギターの流し芸人スタイルであった。大手との契約があったこの頃より、客を軽視するバカ芸風が確立された。

1998年フジテレビの番組『MUSIC HAMMER』の企画としてシングルCD『「ミュージック・ハンマー」オリジナルサウンドトラック“トンカチ”』をリリース。このCDでは同番組で所と共に司会を務めた坂崎幸之助、篠原ともえも参加している。

1999年には明石家さんまの人生を描いた曲『明石家さんまさんに聞いてみないとネ』をリリース。この企画はさんまが司会を務める『さんまのまんま』に所が出演したことをきっかけに生まれた。この曲にはさんま本人とゲストとしてたまたま通りがかった工藤静香も参加している。プロモーション・ビデオは多忙なさんまと所の2人のスケジュールが取れないため、レコーディング風景の映像をそのまま使っている。記者会見では「ライバルはGLAY」「目標は売り上げ5000万枚」「NHK紅白歌合戦出場を狙う」などと言っていた。なおアルバム『洗濯脱水』には『明石家さんまさんに聞いてみてもネ』という曲も入っている。

2002年7月には、女性フォークデュオ素一(すっぴん)」のシングル「白い月」で初めて他のアーティストのプロデュースを行った。シングル「白い月」は2002年7月24日に発売され、収録されている「白い月」「治療」「ガンバレ」 の3曲の作詞・作曲も所が担当している。

2004年9月、男性フォークデュオ「コブクロ」とともに「トコブクロ」を結成。所がイメージキャラクターとして出演した缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」(アサヒ飲料)のテレビCMのイメージソングを制作した。2004年9月29日には、マキシシングルCD『毎朝、ボクの横にいて。』として発売。

そのほかにも、NHKみんなのうた』では、1989年には「背中でツイスト」、1999年には「歩いてみっか!」を歌っている(前者は所の歌では未発売。ただし中尾隆聖柳田ヒロ赤坂東児らがカバーしたものがCD発売されている。後者は所の歌でCD発売)。なおこれらの曲について、前者ではアニメキャラクター、後者はCGキャラクターとして、映像に登場している。

2006年には、エイベックスより、アルバムを1枚リリースしたり、山本譲二との「譲二さんと所さん」名義でコラボレーションシングルをリリース。山本との競演に関しては、「この異色ユニットでNHK紅白歌合戦に出たい。」と望んでいたが、取り下げられてしまった。

2010年3月、アルバム『コケコッコゥ!!〜七色の声色〜』をリリース。八代亜紀奥田民生トータス松本GO!GO!7188、ビートたけしとおぼしき声が聴こえるが、所は「最新技術を駆使して私の声を七色に変えている」と言い張っている。

楽曲の特徴

自らのレコード・CDは遠慮のない表現やパロディなどのため、かつてはすぐ廃盤になったり、発売されなかったりすることが多かった。シングル『まったくやる気がございません』のイントロでも「滅多に売れたことのないと言う(以降省略)」と言っており、20周年記念アルバム『カニバーサミー』を出演番組で宣伝した際も「(自分の歌は)どうかしてる。売れないわけだ」とコメントした。しかし、デビューアルバム『現金に手を出せ!!』はオリコン最高位33位を記録し、シングル『寿司屋』はザ・ベストテンで、20位より下のかなり低い順位ではあるがランクインしたこともある。

実体験をモチーフにした曲が多く、権威的なオーディオ関係誌のレビューコーナーで「ドキュメンタリーソングの第一人者」と評されたことがある。また、コミックソングも多いが、業界の中では宇崎竜童奥田民生などから高い評価を受けており、レコーディングに大物ミュージシャンや森高千里などの意外なゲストが参加することも多い。友人であるアルフィー高見沢俊彦は、『新堂本兄弟』に所がゲスト出演した際に「こいつ天才なんじゃないかな」と語っていた。音楽業界において唯一無二の存在であるが、「一人だとその分野は盛り上がらない」と、自分の後に続く者が現れないことを嘆いてもいる。

パロディに関しては、若手の頃から所の楽曲作りにおいて欠かせないものとなっている。ロックバラードテクノレゲエ演歌民謡民族音楽童謡軍歌に至るまで、ジャンルにとらわれない実に幅広い曲作りをしている。

レコーディングされたもっとも短い楽曲は、「スブタ」という曲(『ホング・コングの逆襲』『史上最大全集しょのいち』収録)。歌詞が12文字、演奏時間が5秒の作品。よくバラエティ番組で披露されることが多い。『どっちの料理ショー』や『SMAP×SMAP』で紹介されたこともある。

NHK『スタジオパークからこんにちは』出演時[3] に「♪梅雨時に元気なのはーカタツムリー元気なのに遅い」(「かたつむり」という曲。『安全第二』収録)という、大抵の人が聞いたら呆れる歌(所本人が発言)を歌った際、住吉美紀アナが曲を聴いて生放送中に感動して泣きだすハプニングがあり、所が「あなたどういう感覚してるんだろう」と驚いていた。

コミックソングを歌う反面、心に染み入る歌や哲学的で深い内容の歌も数多く歌っている。音楽評論家の萩原健太は、2009年2月17日放送の『誰も知らない泣ける歌』において「僕は所さんの歌が大好きで、本当に良い曲多いんですよ。日本で一番過小評価されているシンガーソングライターだと思います。」と評している。その日、所が自分の歌で一番好きだと言っているという「ご自由にどうぞ」(『洗濯脱水』収録)が「娘への愛にあふれた歌」として紹介された。

その他、音楽に関して

大きな影響を受けたという吉田拓郎が司会を務めていた[4]LOVE LOVEあいしてる』に3度出演した際、吉田の楽曲を色々貰ったので、お返しに「『ラクダの商人』や『精霊もどし』あげる」と所の楽曲をプレゼントしようとすると、吉田から、「いらない」とあっさり断られた[5]。なお、貰った楽曲のうちの1曲「恋の唄」は、所が2番の歌詞を書き加えて、1999年に発売したアルバム『洗濯脱水』に収録している。

ギターで3カポを多用するため、3フレット分ネックをカットしたギターをオーダーメイドした。ボディの裏側に大きく「TURBO」と書かれていたため、「ターボギター」と呼ばれていた。後に井上陽水にこのギターをプレゼントした際、陽水はネックの短さに驚いている。この経緯については『LIVE 絶滅の危機』に、所本人が語っている様子が収録されている。

宝くじ・ミスタードーナツのCMやいくつかの看板番組では出演するとともに、テーマソングを作詞・作曲し歌っている。『世界まる見え!テレビ特捜部』におけるラサール石井の証言によれば、出演料だけでなく、別途作詞・作曲料も請求している。この件に関して、所本人は否定せず苦笑していた。ただし、所とのCM契約終了後も使用されていることがあり、真偽は不明。

音符を書いて譜面を書くことが面倒臭いのと、とっさに別荘に五線紙がない場合もあるため、歌詞の上に文字で音階を書いて譜面代わりにしている。

タレント業

1977年、当時はまだ無名であったが『オールナイトニッポン』のパーソナリティに抜擢される。これをきっかけに本格的にタレント業に進出する。当初は『元祖どっきりカメラ』などで仕事中に駐車していた愛車をスクラップにされて戻されたり(もちろんすり替えであるが)。歌詞を間違えたら私物没収→視聴者プレゼントでヨットを没収されるなどと若手ならではのヨゴレ仕事もこなして来た。1979年から『ドバドバ大爆弾』の司会者になり一躍名が知れ渡ることとなる。この当時について所は「とにかく『所ジョージ』の名前を覚えてもらおうと思って何でも仕事を引き受けた。どんな仕事をやってもソングライターの思いを持っていればいいと思ってた。でも、時代劇の中でどうすりゃソングライターの顔ができるんだよ。ドラマも同じ。そのうちソングライターだって忘れちゃった。24歳でいつの間にか司会業をやってた」と語り、「その後は誰もソングライターとして見てくれなくなった」との悩みも打ち明けている。

1983年から1990年まで、新人の頃から赤塚不二夫と共に親交の厚いタモリ司会の『笑っていいとも!』のレギュラーを務めていた。『金言・格言 色紙でどうじょ!』などのコーナーが人気となる。1985年からは『所さんのただものではない!』が始まり、バラエティに欠かせない存在となる。

1986年から2001年までミスタードーナツ(2010年に復帰)の、1996年から2006年春まで宝くじのCMのイメージキャラクターを務めている。明るく弾けたキャラクターでこれまでに無数のCMに出演。宝くじやゆうパック、ミスタードーナツなど数多くのCMソングも手掛け、CM大王とも呼ばれた。1997年にはCM出演に関して、アメリカの経済紙・ウォールストリート・ジャーナルの一面に取り上げられたことがある。トヨタ・キャバリエコカ・コーラのCMに出ていたことを例に挙げ、「アメリカが日本に商品を売りたいのならジョージ・トコロに任せればいい。ミスター・トコロに匹敵するアメリカ通商代表はいない」と顔写真付きで紹介された。

肩の力を抜いた、いい意味での「いい加減さ」が人気であり、司会、レギュラーを務める番組は多数で、長寿番組も多い。また、理想の父親、上司ランキングの常連でもある。そのリラックスした司会ぶりは、島田紳助に羨ましがられている。

日本テレビでは長らく出演の無いタモリに代わり、「BIG3」の一人と目されている。

タレントとしての芸風は「いい加減」さを売りにしているが、1980年代まではテレビでは登場時に縦横無尽に暴れまわる芸風であり、番組スタッフと内容を巡って以下のような軋轢をおこしている。そのため、80年代には日本テレビ系からフジテレビ系へ、そして90年代には再度日本テレビ系へと活動の中心を移している。

日本テレビ系列においては、『11PM』の水曜日の司会を長年続けた愛川欽也の勇退を受けて、1986年4月より水曜の司会に起用された。これは同じ日本テレビ系の『TV海賊チャンネル』での功績を認められての抜擢だった。しかし、『TV海賊チャンネル』時代には所ワールドと言ってもいいくらい自由だったのに対し、長寿番組『11PM』では制約が多く、スタッフらとの意見衝突もあって、半年で降板した。

フジテレビ系列においては、出演していた『笑っていいとも!』で、所がやりたがっていた企画と、スタッフが所に出した企画の内容の違いが浮き彫りになった。次第に『いいとも!』が当初のマニア受けの番組から万人受けする番組に変化する中、所の存在や出演コーナーは番組全体から浮くようになった。1989年年末の『笑っていいとも!特大号』では他の出演者がものまね紅白歌合戦企画で女装する中、所は一人女装せずに、ステージ上を走り『”助走”した』としてスタッフに抵抗した。スタッフとの考えの違いは埋めきれないまま、所は1990年3月に『いいとも!』を降板する。

これを契機に一時期フジテレビに対して不信感を抱き、次第にフジテレビでの仕事を減らし、『ものまね王座決定戦』の司会、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の準レギュラー、『所さんのただものではない!』の司会を1992年3月までにすべて降板した。1992年4月から1995年3月までの期間は、特番などには出演するものの、レギュラー番組への出演はない。その時期の出演番組は、特番の『世界の超豪華珍品料理』、『芸能界ぶったまげリクエストそこまでやる!?』や、ビートたけし繋がりの『たけし・逸見の平成教育委員会』や『平成教育テレビ』、『平成夏休みバラエティー』だけである。 こうした経緯によって、1990年代においては再度日本テレビでの仕事が多くなった。『マジカル頭脳パワー!!』では、かなりの正解率を誇り、VTR問題はVTRが出た瞬間に正解するなど、もの凄い頭の回転力を見せつけ、ほぼ毎回トップ頭脳賞を獲得していた(出題される前に正答したことすらある)。しかし、スタッフのクイズ・ゲームを重視する主張と、所の「クイズも大事だが出演者同士のやりとりも大事」とする主張の対立により、1996年10月10日をもって同番組を降板している。その後、所曰く「(司会の)板東さんに『所さん、頼むから出て』とお願いされて」1997年9月のSPにゲスト出演。番組を挙げて「打倒所」がテーマだった、2001年12月29日放送の復活SPにも出演している。

以上のようなこともあったが、その後も日本テレビには多数のレギュラー番組が存在し、フジテレビにおいても、1994年と1997年、1998年、2006年に所が『笑っていいとも!』のコーナー・「テレフォンショッキング」に出演し、レギュラー番組も持っている。

2010年4月14日、『所ジョージのオールナイトニッポンGOLD 木曜日』収録中に体調の不良を訴え、病院で診察の上、各種検査(血液・CT・MRIなど)をおこなったが原因は不明。レギュラー出演している番組収録は数日(翌週)持ち越され、自宅療養することとなった。しかし、収録再開後も体調不良は三週間に渡って続き、『所さんの世田谷ベース』や『所さんの目がテン!』などの収録は、体調が回復するまでキャンセルされた(「所さんの目がテン!」では、MCの代役に林家正蔵や峰竜太を立てて収録された)。所の体調不良は、『所さんの世田谷ベース』の「第78回:花見ドライブ」(2010年5月9日放送)・「第79回:めくるめくプラ戦車」(2010年5月23日放送)の回でも既に見られ、所自身、この回の収録が直接のきっかけになったと述べている(『所さんの世田谷ベース』の「第80回:愉しきかな車いじり」オープニングトークより)。

俳優・声優業

俳優としては、1980年代半ばから1990年にかけて『うちの子にかぎって』『パパはニュースキャスター』『はいすくーる落書』『ママハハ・ブギ』などTBS系のドラマに脇役として多数出演。1993年に黒澤明監督作品『まあだだよ』に出演し、日本アカデミー賞助演男優賞、ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。1994年にはスペシャルテレビドラマ『私は貝になりたい』にも主演し、当時は役者転向かとも言われたが、現在もタレント、ミュージシャン業をメインにしている。役者業をしたのは、ある人に曲が売れないことを話したところ、「ドラマに出演すれば、曲が売れるのではないか?」と唆されたからだという。また、声優としても活動しており、海外ドラマの『アルフ』やピクサーの『トイ・ストーリー』シリーズ、宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』などに出演。本業が俳優でないにもかかわらず、日本映画界の二大巨匠とも言われる黒澤明と宮崎駿の監督作品両方に出演、さらにディズニー映画に3度も主演歴のある唯一の人物である。

創作活動

雑誌

著書も数多いが、それとは別に雑誌の制作も行っている。現在も続刊中の月刊誌『ライトニング』は、所が自らの所属事務所であるティヴィクラブに出版部門を設立して創刊させたもの。その後『ライトニング』は枻出版社に版元変更し、本人との関わりはわずかとなったが、個人としてメディアを所有した芸能人は世界的にも稀である。他にも過去には『デイトナ』などトータル・コンセプターとして接している雑誌もある。テレビ番組所さんの世田谷ベース』のムック版『所ジョージの世田谷ベース』や、ビートたけしと組んだ『FAMOSO』の編集にも関わっている。『FAMOSO』創刊号は即日で完売し、各地で展覧会が開かれるなど好評を博している。

発明、デザインなど

「創意工夫」をモットーとして、ライフワークとして発明家の顔も持っている。TxTパラレルハンマーアイアンというゴルフクラブの開発に携わり、北野武を共同発明者として特許を出願している(特願2005-234921)。他にもパットを真っ直ぐ打てるようになる小物などゴルフ絡みの発明は多い。それ以外にもテレビのリモコンと爪切りが合体した物や、ポットと懐中電灯がくっついた物といったユニークな発明も行っている。

Tシャツジャケットバッグ腕時計といったファッショングッズのプロデュースもしている。多くの前掛けを繋ぎ合わせデニム風にして、自ら着用していたこともある。その他、フィギュアや置物、ステッカーなどもデザインし、ファッショングッズと共に販売もしている。所にはコーディネーターがいないため、テレビに出演する際には主に私服を着ているが、自身がデザインした服を着ることも多い。

「今の時代は100年後に語られるものがない。昔の人が考えたものをそのまま使っているだけ。何か文化を残さないといけない」ということで、新しい漢字四字熟語民謡などを作ることを自身の宿題としている。いずれもシャレを交えているが、所流の創作四字熟語である『四字列語』は『朝日新聞』で連載され本にもなった。

絵描きとしても活動しており、『所さんのまもるもせめるも』など多くのテレビゲームのキャラクターデザインを手掛けている。また、『少年ビッグコミック』にて『ジョージ君の人間図鑑』というマンガを連載していた。2ページの見開きマンガで自身の趣味や日常生活を描いていた。自らデザインしたキャラクターを用いた『となりのトコロ』というアニメOVA)を制作したこともある。所自身がCGキャラクターとなった短編CGテレビアニメデジタル所さん』は、アニメ界のアカデミー賞と呼ばれるアニー賞の最終選考にノミネートされ、アメリカのフィルムフェスティバルで金賞を受賞した(受賞者は原作・監督の今吉将之)。

生活・思想

妻はもともと行きつけのスナックのママであり、現在は『ブンブーンクッキング』の著者、また所の事務所・ティヴィクラブ社長でもある芳賀文子。ビートたけしから、「かみさんは福島出身だから、おにぎりのことを『おぬぐる』と言うんだろ」と冷やかされていた。結婚披露宴では赤塚不二夫が自らビデオカメラを持ってきて撮影し、仲人はタモリが務め、披露宴では所の経歴を「拓殖大学を優秀な成績で除籍」と紹介され、本人も喜んでいる。この時以来、「仲人といえば」「親も同然」が、タモリと所の間の合言葉になっている。披露宴には、当時パーソナリティを務めていた『所ジョージのオールナイトニッポン』のリスナーを招待した。新婚旅行は宇奈月温泉であると、オールナイトニッポンで明かしている。ちなみに本名の芳賀は妻の姓であり、いわば、婿養子である。妻が一人っ子のため、義父に「跡継ぎがいないから養子になるなら結婚してもいいよ」と言われ、「はい、なります」と即答し婿養子になったとのこと。二女の父。次女とはCMで共演したことがある。所の家族に対する愛情は自他共に認めるところであり、「私の家族は素晴らしい」「妻の手料理が世界一私の舌に合っている」など、称賛している。テレビの収録などが終わった後の、所謂飲み会にはあまり出席せず、可能な限り自宅で食事をする主義である。その代わり、共演者や友人などを自宅に招いて、もてなすことが多い(特にビートたけしは10日と置かずに所の家を訪問することを楽しみの一つとしているほどであった)。妻もそんな所に応えるために日々、料理の腕を振るっている。過去には妊娠8ケ月のお腹で自ら車を運転し、福島の港まで魚を買い付けに出掛けたという豪快なエピソードもある。二人の娘は幼少期に、所や来客のグラスにビールを注ぎ「おひとつ、どうぞ」と、おマセで可愛らしい接待をして「さすが私の娘だ!」と所を破顔させ喜ばせたという。

「私はアメリカ人だから」と自称するほど、ライフスタイルは徹底したアメリカンスタイル。トレードマークは「おでこメガネ」「額グラサン」とも呼ばれる、額にめがねサングラスをかけた姿である。ジーンズTシャツといったラフな服装でテレビに出ることが多く、その縁でベストジーニスト(第4回・1987年)に選ばれたこともある。

大学時代は拓殖大学のアーチェリー部に所属していて、『徳光&所の世界記録工場』(日本テレビ)などのテレビ番組でその腕前を披露している。ブランクがあるにも関わらず軽々と的の中心付近を射抜き、かつての片鱗を見せていた。当時は丸刈りに学生服という縦社会に染まっていたため、コント赤信号のツッパリコントを観て「あんなの体育会系じゃない」と憤っていたという。大学の授業には全く出席しなかったが、部活動には熱心だった。また、高校時代はハンドボール部に、中学時代はテニス部に所属していた。

『オールナイトニッポン』に出演していた20代の頃から、何度もカツラメーカーからCMのオファーがあるも、断っていた。頭皮が薄くなったのは、ビートたけしにピコハンで叩かれすぎているからと、まことしやかな事も言われている。

埼玉が「ダ埼玉」と揶揄されていた1980年代前半、埼玉県庁発行の埼玉県民だよりに「ダサいと言われてカッカする方が余程ダサいと思う。埼玉らしい良さを自覚し誇りに思うべきだ」「住むにはとてもいい所だ」など、冷静なコメントを寄せている。

1984年、第1回新語・流行語大賞で「す・ご・い・で・す・ネッ」が流行語部門大衆賞を受賞するなど、流行の先駆者でもある。、また、本人は上述の「おでこメガネ」スタイル(帽子の上に掛けるものも含む)を21世紀に復活させたり、以前女子高生などの間で流行した「ゲロゲロ」「…かもしんない」という言葉や「ルーズソックス」の先駆けも自分であると言っている。

クールでドライな一面もあるためか、人前で涙や悲しみを絶対に見せない。また、『笑ってコラえて』『奇跡体験!アンビリバボー』などの番組で感動的なVTRが流れた後、スタジオで共演者が涙を見せる中で、目を潤ませることはあっても絶対に涙を流さない。また、お葬式にも報道陣の前ではあまり姿を見せず、黒澤明の通夜で取材に応じたぐらいである。ただし、明石家さんま曰く、『オールナイトニッポン』の最終回では号泣していたという。

できちゃった結婚には否定的で「できちゃった結婚は、ウンコしてからトイレを建設するようなもの」と、本能の赴くままに行動して後で焦ることに例えた発言をしている。

2008年7月、男性マネージャーが5000万円以上を横領したため、解雇とした。この男性マネージャーは、CM担当をしていた。2009年の『大改造!!劇的ビフォーアフター』記者会見では弁護士に対策を任せてあり、さほど気にしていないと語った。

2009年4月19日放送『これが世界の現実だ!アフリカ最貧国・ベナン救済計画』(テレビ朝日)で、ベナンの子供達へ通学バスやランチプレートを寄付していると公表した。この通学バスは、所の自家用車の整備を手がける輸入車ディーラーが輸入したダッジ・ラムを、同じく所行きつけの自動車板金業者でスクールバス仕様に改装したものである。

犬を飼っており、犬種はロットワイラーである。名前は、エルメスのケリーバックからヒントを得て「ケリードック」と名付けられている。通称は「ケリー」で、『所さんの世田谷ベース』にも出演している。元は『天才!志村どうぶつ園』にてゲスト出演した時に交友のある志村けんから贈られた犬だった。ある日、仕事に行くため、長女にケリーを戻す様に指示した時にガレージを閉めておく事を指示し忘れた為、そのまま戻していたら夜、所が帰宅したらガレージを歩き回っていておいてあった粉末タイプアクエリアスを食いちぎっていて5袋ぐらいあったが内の2袋しか残骸が残っておらず疑問に思っていたら翌日の散歩でアルミ片の混ざった糞を出したので所は「3袋ぐらいは食べたね」と言い、銀紙犬と言われた。また、自分の糞を踏んだ足で所のベットに入って来るので朝、臭いとも語っている。所は溺愛し、美人だと言っている。 また、過去にも何匹か飼っていた。中でも有名なのは、CMで飼い主の所と共演した事があるシベリアンハスキーのインディーである。

2009年12月17日放送『所ジョージのオールナイトニッポンGOLD』での所の話によると正式な名前は、インディアナ・ジョーンズと言うらしく、映画の『インディージョーンズ』で主人公の名前は犬の名前であると言う場面があるが、それよりも前に「インディアナ・ジョーンズ」と言う名前を付けていたと言う。また18歳まで生きたと言う。シベリアンハスキーの様な大型犬が18歳まで生きるのは長寿である。
インディーが亡くなって病院に連れて行ったら休診であったため、次の朝に行けば良いと家に戻り、車に入れっぱなしにしていたら妻(芳賀文子)に「可哀そうだから犬小屋に戻して」と言われて渋々犬小屋に戻したと言う。所は、病院へ連れて行く車中にて、「おまえは、私の芸能活動に貢献した」と感謝の意を述べたと言う。

猫を飼っていたこともある。名前は「ダディーコビヤマウリンボウヘコキムシキンチャンタロウ」通称「ダデオ」。80年代後半、まだ一般に珍しく、家の中で飼育されることが多かったアメリカン・ショートヘアを家の外にも自由に出られる環境で飼っていた。すると、「アメリカン・ショートヘアがロングヘアになった」とのこと。また、大人しい性格と華奢な体躯は野性味を増していき、近所の野良猫たちとケンカをしては傷だらけになって帰ってくることもしばしばあったという。所曰く「ウチは甘やかしませんからね。世間知らずはダメです」。暫くすると怪我もしないで悠々と帰ってくるようになったという。

2010年4月に体調の不良を訴えて各種検査(血液・CT・MRIなど)をおこなった。血液はサラサラで各検査もAランク診断結果だったと述べ、体調不良の原因の一つに、番組収録中にお腹がグルグル鳴るのが嫌で番組収録の前には一切食べ物を口にせぬ考えから、朝昼食を抜いて収録に臨むことも多々あり、自宅に戻ってから夕食などを一気に食べる食習慣が常習化し、そのため、食後一気に血糖値が急上昇することがあると述べ、体調回復後は、ちょくちょく食べ物を口にしているとのこと(『所さんの世田谷ベース』の「第80回:愉しきかな車いじり」オープニングトークより)。

エコカー補助金に対して否定的な考えを持っている。「本当のエコは、古い物を修理して使い続けること」と言う。また、「古い物を修理して使い続けている人にこそ補助金を出すべき」[6]とも言っている。補助金を出してエコカーを買わせる社会の仕組みに対して否定的である。最も「エコカーを作る時にも悪い物を出している」と言うことで、エコカーを作ること自体に否定的である。

電動工具など取扱説明書を読まないで使うことがあり、取扱説明書を読まなかったために雨の中、草刈機で世田谷ベースの除草作業をして草刈機がショートして駄目になったことがあると言う。

趣味・趣向

自動車

無類の自動車好き、特にアメリカ車好きとして有名で、アメリカ本国で購入し日本へ輸送する事も多い。購入した車はいわゆる「吊るし」では乗らず、そのほとんどが何らかの形でモディファイが加えられており、かつては三台のメルセデス・ベンツを一台にまとめた「サンコイチ」のステーションワゴンを所有していたこともある。彼が改造した車種は日産・マーチのような大衆車からメルセデス・ベンツのような高級車と、レパートリーは幅広い(メルセデス・ベンツ製の自動車の改造は曰く「度が過ぎると家の人に怒られる」とのことで、控えめになることが多い)。さらに先日、フォードのトラックをベースにしたホットロッド風な車輌を購入した(フロリダのある駐車場に停めてあったもので、車に書いてある電話番号に連絡すると本当に売ってくれたとか(購入価格$8000:約64万円))。しかし、マニアからは「センスの悪い改造がされている」として敬遠されていることが現状。またオートバイにも造詣が深く、それまでオッサンバイクのイメージが強かったビッグスクーターのボディをイエローにペイントし、カスタムパーツを取り付けるなど若者向けに改造し、現在のビッグスクーターブームの火付け役的存在にもなった。ちなみにエンジンをかける時の音で、その車種を当てる特技を持っている。

著書の中で、格好良さという視点でスーパークロス日本初上陸を讃えるなど、時代を先取りした発言も多い。余談だが、愛車を運転中ハンドルがスッポリと抜けてしまって大パニックになったことがある。運良くも大事故には繋がらなかったと言う『所さんの日本ジツワ銀行』より。月刊誌「デイトナ」では、4台所有しているアメ車のうちの1台と語り、DVD「所さんのスネークモータース コブラ・ブロンコ編」にて、コブラのエピソードとして披露した。)。初めて所有した車はトヨタ・コロナ。

その他の趣味

その他、ゴルフお茶スニーカーライタースカジャン、Tシャツ、エアガンフィギュアなど多数持っており、芸能界では寺門ジモンと並ぶコレクターとして知られる。自らの多趣味を組み合わせて楽しむことが得意であり、ラジコン可動関節フィギュアを載せて走らせたり、フィギュアに小道具と共にポーズを取らせて撮影した写真集を出版したりしている。服装にもこだわりを持ち、フライトジャケットなどを好んで着用している。また自らプロデュースしたレザーブランド「OTAGIRA」は大好評である。「OTAGIRA」を命名したのも本人である。ゴルフについては、「東西お笑い芸人ゴルフコンペ(非公開のプライベートコンペ、「東西お笑い名人会」とも)」では度々優勝している。練習熱心で、「飛ばし屋」である。そのスウィングは個性的である。ゴルフ理論にもこだわりがある。それが高じて2006年、革新的なゴルフクラブ・TxTパラレルハンマーアイアンをプロデュースし、大評判となっている。この他にも爬虫類の飼育やイラスト書きなどの趣味がよく知られている。

ただし、『所さんの20世紀解体新書』でテレビゲーム特集をした際には「テレビゲームはやらない、あれはゲームを製作した人の中の世界で完結するから。」と述べたことがある。

オンキョーMDコンポを愛用している。スピーカーの品番は、D-022Aである。作った歌をMDに録音している。

世田谷ベース

所の地元である東京都世田谷区に、仕事場(事務所)兼遊び場としてガレージ(通称:『世田谷ベース』、英称:SETAGAYA. A. F. BASE)が建っている。その所らしいこだわりや特徴から、『所さんの世田谷ベース』(BSフジ)をはじめ、所の番組収録がここで行われることも多い。所自ら耕している畑があり、知人の車の駐車スペースが確保されているほか、ビートたけし、木梨憲武奥田民生ら友人たちの憩いの場にもなっている。特にたけしは毎週日曜日(多い時は週4日)に遊びに来ている。

世田谷ベース夕張出張所

北海道夕張市にある「花畑牧場 夕張希望の丘」に、『世田谷ベース夕張出張所』として、コレクションが展示されている。入場無料。周辺には、花畑牧場の売店やカフェの他、アートギャラリーにはビートたけしが描いた絵画も展示されている。

沖縄ベース

その他、沖縄県に42000坪(東京ドーム3個分)の広さを持つ『沖縄ベース』を所有しており、敷地内にはゴルフ練習場やプライベートビーチがある。北野武監督映画アウトレイジ北村総一朗が演じた関内(山王会会長)の家は、この「沖縄ベース」を借りて撮影した。その際、北野は冗談か本気かは定かではないが「この家を爆破するシーンを撮りたい」と所に言ったが、さすがにそれは許可されなかった。

山中湖ベース

また、山梨県道志村には「道志ベース」が、山中湖には『山中湖ベース』があり、それぞれ特徴的な建物となっている。

八王子ベース

2010年5月現在、東京都八王子市に『八王子ベース』を建設しており、毎週週末に来ているほどに仲の良いビートたけしのために『北野別邸』も建てている(TBS『お茶の水ハカセ2010年5月18日放送分)。

他の人物との関係

植木等を尊敬し、「無責任男」のキャラクターと植木本人の人格に惚れ込んでおり、所は植木等のことを「お父さん」と呼んでいた。ドラマで父子役を演じたこともある。家が近いということもあり度々植木の家に遊びに行き、その都度植木は所を丁重にもて成すなどプライベートでも親交が深く、植木の死後、彼の妻の意向により植木の愛車であった日産・シーマを譲り受けている。(雑誌Daytonaの世田谷ベースの関連記事より)。その車内でハナ肇とクレージーキャッツの曲を聴きながら一日過ごすこともあるという。「植木さんみたいな大人になりたい」と語るなど趣味や生き方、芸風を含めて憧れの対象だった。

黒澤明とは映画『まあだだよ』で知り合ったが、黒澤は『どちら様も!!笑ってヨロシク』をはじめ所の番組を欠かさず観ていて、元々所の大ファンだった。演出に厳しい黒澤だが「君はそのままやってくれればいいよ」とほとんど指示を出さず、演技をべた褒めするなど、所のキャラクターに惚れ込んでいた。黒澤は所がいると機嫌が良くなるため、スタッフが黒澤の隣に所の席を用意するほどだった。また黒澤の御殿場の別荘に招かれた際には「別荘から富士山がきれいに見えて得をした」と語っている。生前、所は黒澤に「いつでも遊びにおいで」と言われていたが、「世界の黒澤の家にそうそう行けない」と結局自宅にお邪魔することはなかった。その後悔と反省から植木等の家に足を運ぶようになったという。

作家の大江健三郎とも交流がある。ある日、所が犬を連れて散歩していたところ偶然大江と出会い、それ以来文通をする仲になっている。大江は以前から『所さんの世田谷ベース』のファンであり、所について「インディペンデントで、芸風がすっきりしていて嫌味がないので、家族みんなでファンです。それで、知り合いでもないのに知っている様な気がして、つい寄っていって「所さん、こんにちは」と言ってしまった」と言う。近所に住んでいるので手紙はポストに入れず、直接所の家の郵便受けに持って行っている。

赤塚不二夫やタモリとは新人時代から長く交友がある。レコードデビューに際し、所はテレビ各局のオーディションを受けていたが、そこで演出家の滝大作の目に留まる。滝は赤塚の「面白グループ」の一員であり、そのつてで赤塚やタモリと出会う。所もタモリと同じく一時期、赤塚の家に居候していたことがあり、赤塚所有のメルセデス・ベンツを乗り回していた。赤塚やタモリら「面白グループ」と毎晩のようにバカ騒ぎをし、所の結婚式を盛大に祝い、赤塚の思い付きで作った映画『下落合焼とりムービー』やテレビ番組にも共に出るなど公私隔たりのない親密な付き合いをしていた。赤塚は「一生バカを続けなよ」と所の歌への思いを伝えている。

アルフィーとは同学年ということもあり、『所ジョージのオールナイトニッポン』に桜井賢の父を元ネタにした「桜井の父」のコーナーを設けるなど、新人の頃から仲が良い。上記の「面白グループ」の一員でもある。特に坂崎幸之助と親交が厚く、所は坂崎のことを「こうちゃん」「坂崎コウノトリ」と呼んでいる。これに対して坂崎は「トコロ」と呼び捨てにすることが多い。アルフィーの売れない時代に自らの曲を自室で坂崎と二人でアレンジ・レコーディングしたり、『オールナイトニッポン』にレギュラーコーナーを持たせたり、挙句の果てには所がアルフィー入りを懇願したりしている。同じマンションをルームシェアしていたこともあった。近年、音楽のライブ活動をしようとしない所に対し坂崎は「俺が会場やスタッフや楽器の段取りするから。お前は来て歌うだけでいい」とまで言っている。所の楽曲作りにも協力しており、アルバムに多数サポート役として参加している。

漫画家秋本治と交友があり、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』単行本の巻末(19巻)にコメントを寄せているほか、同作品のアニメのエンディングテーマ『ブウェーのビヤビヤ』を歌っている。共に車好きでガンマニアでもあり、若い頃はサバイバルゲームをするなどして遊んでいた。『所ジョージのオールナイトニッポン』出演中の所を秋本とそのスタッフがモデルガンで襲撃したこともある(26巻「クレイジーホースの巻」)。主役の両津勘吉が所の『まったくやる気がございません』を聴いていたり(30巻「建前パーティーの巻」)、看板に所自筆のアルバムの広告があったり(27巻「CHPの巻」)、「所ジョージの墓」と書かれた墓石があったり(25巻「両津家の人びとの巻」)、所を「日本一アロハシャツの似合う男」として紹介する(100巻「アロハ天国の巻」)などしている。

ビートたけしのことを本名:北野武の意で親愛を込めて「北野さん」と呼び、「ビートさん」や「たけしさん」とは呼ばない。北野武は毎週日曜、多い時は週4回ほど世田谷ベースに足繁く通う程の間柄であり、所が場をセッティング、所の奥さんが料理を作って出しており、北野は「所の家おもしれーな。これなら姉ちゃんのいるとこ(キャバクラ)行かなくてすむな」とコメントする。また、北野がTBS系列の『情報7days ニュースキャスター』「たけし編集長の週間実は…」で使った小道具を所の家に持っていくため、さすがの所も少し迷惑している様である。更にTxTパラレルハンマーアイアンの開発のきっかけも北野である。北野は所の勧めでフェラーリを購入、およそ25年ぶりに自らハンドルを握ることとなり、さらには所とフェラーリのオーナーズクラブ「フェラーリ持ってる会↑」を結成し会長を務めることとなった(それぞれのフェラーリ(所ジョージは黒の612、北野武は赤の599)のエンブレムが「コマネチ!!」のポーズなどのパロディとなっているものに変えられた)。その後、北野の企画で、フェラーリADACHIKU(スバル・R1の599仕様)、フェラーリMINAMIURAWA(スバル・R2の612仕様)が作られた。車両より高い改造費がかかっており、フェラーリと並べてもひけをとらない見た目になっている。北野は、この一年で車を3台も買っている。ランボルギーニ ガヤルドとポルシェ979Kで世田谷ベースにおいてあり、1台乗ってきては乗り換えている。また自宅には、北野とのプライベート写真が一万枚ほどある。『ここ(世田谷ベース)で一番の宝物はこれ』と言って、北野が遊びに来る度に撮った写真を紹介した。 普段は北野のいい加減差に苦笑いすることが多いが『こんな近くで北野さんといつも話が出来るなんて凄いこと』とも語っている。

明石家さんまとも20代の頃から親交があり、ゴルフで遊んだり、さんまが所の家に電話をかけてきた際にわざとしばらく出ないなど、微笑ましい付き合いをしている。また、さんまがこのまま独身で寂しい老後を過ごすことになった時のためにと、所の家にさんま用の部屋が用意してある。畳敷きでホーロー看板が飾ってあるなど、昭和レトロな内装になっている。

島田紳助は前述にもあるが、所のリラックスした司会を羨ましがっている他、『行列のできる法律相談所』内で度々所の物真似をしている。所が同番組にゲスト出演した際、紳助に「お笑いの中で一番オシャレな格好をしている」と評された(直後、「(自分は)お笑いなの?」と所が聞き返し、紳助が「ヒットした歌がないからお笑い」と返すやりとりがあった)。

志村けんは、所の出身地である埼玉県所沢市の隣の東京都東村山市出身ということもあってか交友がある。現在飼っている犬は、志村からの贈り物である。『志村けんのバカ殿様』に出演した際には、『志村けんの唄』と『東村山ラプソディー』の2曲を披露。志村の『東村山音頭』に対抗し、所沢から見た真実の東村山を歌い上げた(「東村山 東京の外れー!大外れー!!」)。

林家正蔵を可愛がっており、その縁で同じ一門の林家ペーとその妻・パー子が所の番組に出る機会も多い。アルバム『僕の犬』に収録されている『海老名の穴』という曲は露骨に正蔵をこき下ろすものであり、正蔵本人と林家ペー・パー夫妻がコーラスで参加している。正蔵の座右の銘は所にもらった言葉である「何事もだいなしにする」。正蔵は所のことを「芸能界の父親、兄代わりの保護者的存在で、お笑いというジャンルを超えて哲学者として尊敬している」と語っている。

さまぁ〜ずとは、彼らが売れてないバカルディの頃から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いだけで売れないかもしれないけどね」とコントを評価している。『天才!トコロ店』『所萬遊記』『所さんの真剣ゴルフ対決!〜勝てるものならかかってきなさい〜』『お茶の水ハカセ』(ゲスト出演)など共演番組も多く、かつて2人が乗っていたアメ車を番組内で選ぶほどに可愛がっている。また所は、三村ツッコミは笑いを求めないのでお笑いとして勉強になると言っていた。

名字が同じである総合格闘家所英男に入場曲として、後にアルバム『安全第二』に収録される『逆境ファイター』と言う曲を提供している。『所萬遊記』の企画であったため、共演していたさまぁ〜ずと中島知子もコーラスで参加している。

大相撲の藤島親方(元武双山)とは番組のゲストに来て以来交流がある。バイク仲間であり、彼の化粧廻しをデザインし断髪式にも参加している。尊敬する人物に所を挙げるV6三宅健に現役時代の武双山を紹介してから、三宅は大の大相撲ファンになった。

現在の出演番組

レギュラー番組

単発・不定期番組

過去の出演番組

バラエティ番組

日本テレビ系列

TBS系列

フジテレビ系列

テレビ朝日系列

テレビ東京系列

インターネットテレビ

テレビドラマ

声の出演

ラジオ

映画

CM

多くの企業のCMに出演している。「CM大王」の異名も。

作品

ディスコグラフィー(シングル)

キャニオンレコード
  • 「ギャンブル狂騒曲」(1977年)
  • 「ムーン・ナイト・セレナーデ (月光夜曲)」(1977年)
  • 「夢見るジョンジョロリン」(1978年)
  • 「いい加減にしろよ」(1978年)
  • 「Do!Do!Do!」(1979年)
  • TOKYOナイト&デイ」(1979年)
  • 「寿司屋(生鮮魚介類小片付握飯量販店)」(1979年)
  • 「ほんとうにいい気持ち」(1980年)
  • 「ご心配なく」(1980年)
  • 「正男という名で小学生」(1980年)
  • 「君と二人で」(1981年)
  • 「まったくやる気がございません」(1981年)
  • 「銀座アンノン娘」(1982年)
  • 明石家さんまさんに聞いてみないとネ」(明石家さんま&所ジョージ名義、1999年) オリコン30位
エピックレコード
  • 「私の名前で出ています」(1984年)
  • I've got a すんごいですね ROCK'N ROLL HEART」 (1984年)
  • 正気の沙汰でないと」(1984年)
  • 「恋のバックファイヤー」(1984年)
  • 「LAST NUMBER」(1986年)
  • 「白いTシャツ」(1986年)
  • 「ブルーライトチャイナタウン」(1987年)
  • 「故郷」(1988年)
  • 「世田谷のアラブ人」(1989年)
  • 「春一番の前」(1990年)
パイオニアLDC
  • 「真っ暗な夜に」(ビートたけしと組んだT's名義、1991年) オリコン42位
バップ
  • 「ラクダの商人」(1996年)
  • 「僕の犬」(1996年)
  • 「東京BIG CITY」(1997年)
  • 「わかんない2」(1997年)
  • ブウェーのビヤビヤ」(1998年)フジテレビこちら葛飾区亀有公園前派出所」エンディングテーマ
  • 「トンカチ」(1998年) オリコン82位(収録曲が7曲あるため、オリコンではアルバム扱いだった)
    • 所ジョージがデザインした通常ジャケット以外に、篠原ともえ、坂崎幸之助、KEIKOマーク・パンサー奥田民生SPEED、吉田拓郎がそれぞれデザインしたジャケットのものが存在する[7]
  • 農家の唄」(所ジョージ&ダーツダックス名義、1999年)
  • 「歩いてみっか」(2000年)
  • 旅の犬」(2000年)

ディスコグラフィー(オリジナルアルバム)

キャニオン・レコード

  • ジョージ・ファースト 現金に手を出せ!!(1977年12月) オリコン33位
  • ジョージのセロリ・パセリ(1978年年6月) オリコン64位
  • 成りさがり 大学ぐらいは出たかった(1979年4月) オリコン76位
  • LIVE 追跡(1979年4月)
  • REVENGE OF HONG KONG 〜ホング・コングの逆襲(1979年7月)
  • みんな不良少年だった(1980年11月)
  • FUEL ALBUM(1981年8月)
    • 以上の作品は、2009年2月18日に紙ジャケット、限定生産でCDで再発された。

EPICソニー

  • PILE DRIVER(1983年3月)
  • FROM TOKOROZAWA WITH LOVE 〜所沢より愛をこめて(1984年
  • BLUE LIGHT CHINATOWN(1987年7月)
  • HEAVY LIGHT(1988年9月)
  • NIGHT OF COYOTE 〜コヨーテの夜(1989年10月)
  • ホテル・チャイナタウン(1991年1月)

VAP

avex

ディスコグラフィー(ベスト盤)

キャニオン・レコード

EPICソニー

  • 所ジョージ史上最大全集しょのいち

バップ

他のミュージシャンへの楽曲提供

未発売曲

所の曲には、テレビでのみ披露されただけの未発売曲が多数にあるが、下記するの曲は曲名が定まっている楽曲のみ。

  • 志村けんの唄
    • 「志村けんのバカ殿様」で披露された楽曲。タイトルにある様に志村けんについて歌っているかと思いきやいかりや長介をこき下ろす内容の歌で、エンディングで放送禁止用語が入っている。
  • 東村山ラプソディー
    • 「志村けんのバカ殿様」で、上記の「志村けんの唄」の後に披露された曲、「東村山の歌」(「東村山音頭」のことで、所が曲名を忘れていた)は、良いことばっかり言ってるから真実を歌わないと」と言う趣旨で作ったと言う。
  • ちんこ馬子唄
  • まちにでかけるうた
  • 夢の中でさようなら
    • OVA「となりのトコロ」のエンディングテーマ。

著書

  • 所ジョージの私ならこうします - 世直し改造計画
  • 所ジョージのハレハレ青春口座
  • 所ジョージのハッタリぶぁいく術 - 口先とヘッドワークでバイクライフを楽しむ本!
  • 所ジョージの俺に訊け
  • 所ジョージの店頭販売
  • 所ジョージの我思うところに所あり
  • 所ジョージのためになる昔話
  • 所ジョージさんの頭がパァ〜。
  • 所さんの目がテン! - 知っているとエライ!所ジョージのこだわり科学
  • 所さんの目がテン!(2)
  • 所さんの目がテン!(3)
  • 所さんのランチボックス
  • 所さんのまもるもせめるもアクアク大冒険
  • 所さんのハッタリ大放送―とっても役立つムダ
  • 所さんの新亭主論―幸せのルール・ブック
  • 所さんの私はクジラ 無駄がない
  • 所さんにまかせなさい
  • トコロさんの新昔ばなし(頭蓋骨骨盤篇)
  • トコちゃんのコトパロジー 国語、算数、イカ、シャケ、貝。
  • トコちゃんのフロム・ティー
  • トコちゃんの人生楽ありゃ楽もある(昔ばなし教訓編)
  • ウサギとカメとトコちゃん
  • トコロンブスのタマゴ―トコちゃんの言われてみればそのとおり
  • トコちゃんの新調・昔ばなし(ヒーロー回転ループ・スペクタクル編)
  • むかしむかし、あるトコちゃん。 - トコちゃんの日本昔ばなし・その後
  • マッチ売りのトコちゃん
  • 牛若トコロ丸
  • 投稿四字列語
  • アタマ八分目、ココロ八分目
  • さめたカツ丼はどこだ…!!
  • 日々、これ口実
  • 末端価格で出ています - 所ジョージの読み切りTV
  • 弁当はどこだ…!! - January‐March
  • スんゴイですねェ〜 - Shonen big comic books
  • 電話のいたずら
  • 花咲かじいさんの恩返し - トコロ流昔話
  • No.1の幸せ - 幸せには理由(わけ)があってなんとなく幸せなわけがない話
  • テラシマくんはカンガルウ
  • 所ジョージ大全集
  • 新亭主論 - ずっと一緒に暮らしたい
  • 買いたい新書 - 選ばれし民、かく生き、かく暮らすの記
  • 元祖・所ジョージさんの 頭悪いんじゃないの?
  • 新幹線はでかい!
  • マグロ君は海産物
  • まちがってる〜 - 今世紀最後の「偉大なるボツ」
  • テラシマくんのやさしい失敗
  • はたらくテラシマくん
  • ザ・原宿 - Harajuku徹底guide
  • 私はまっかなプロデューサー - 所ジョージさん書き下し天才シナリオ集(Vol.1)

ゲームソフト

DVD

全て発売元・販売元は(株式会社)ポニーキャニオンから発売

世田谷ベース

  • 「所さんの世田谷ベース」
2007年12月19日発売 PCBP.61604 \7,875(3枚組)
  • 「所さんの世田谷ベースⅡ」
2008年7月16日発売 PCBP.61605 \7,875(3枚組)
  • 「所さんの世田谷ベースⅢ」
2009年3月18日発売 PCBP.61606 \7,875(3枚組)
  • 「所さんの世田谷ベースⅣ」
2010年3月15日発売 PCBP.61607 \7,875(3枚組)
  • 「所さんの世田谷ベースⅤ」
2010年3月16日発売 PCBP.61608 \7,875(3枚組)
  • 「所さんの世田谷ベースⅥ」
2011年11月16日発売 PCBP.61609 \7,875(3枚組)

沖縄ベース

  • 「所さんの沖縄ベース」
2009年8月19日発売 PCBP.51705 \5,250(2枚組)

SNAKE MOTORS

  • 「所さんのスネークモータース コブラ・ブロンコ編」
2010年11月17日発売 PCBP.52101 \5,250(2枚組)
2011年5月18日発売 PCBP.52102 \5,250(2枚組)

脚注・出典

  1. ^ 石川遼スペシャル RESPECT 〜ゴルフを愛する人々へ〜2010年4月25日 テレビ東京放送分参照
  2. ^ 所ジョージさんインタビュー「本人曰ク、文化人類学的」連載第2回
  3. ^ 2010年4月7日放送分
  4. ^ LOVE LOVE あいしてる:1999/06/19
  5. ^ 坂崎幸之助のJ-Friends1、2008年、自由国民社、p100、LOVE LOVE あいしてる:1997/11/29LOVE LOVE あいしてる:1998/09/26LOVE LOVE あいしてる:1999/06/19
  6. ^ 日本の制度では逆に、新車登録から一定期間(ディーゼル11年、ガソリン13年)経過した車両は税金が上がる。ライフサイクルアセスメントも参照。
  7. ^ MUSIC HAMMER オリジナルサウンドトラック

外部リンク