第20回衆議院議員総選挙
第20回衆議院議員総選挙 | |||
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内閣 | 林内閣 | ||
解散日 | 1937年(昭和12年)3月31日 | ||
解散名 | 食い逃げ解散 | ||
公示日 | 1937年(昭和12年)4月1日 | ||
投票日 | 1937年(昭和12年)4月30日 | ||
選挙制度 | 中選挙区制 | ||
改選数 | 466() | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満25歳以上の男性日本国民 | ||
有権者数 | 1461万8298人 | ||
投票率 | 73.31%(5.34%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 立憲民政党 | 立憲政友会 | 社会大衆党 |
党首 | 町田忠治 | 総裁代行委員[注釈 1] | 安部磯雄 |
前回選挙 | 205 | 175 | 18 |
選挙前議席 | 206 | 172 | 19 |
獲得議席 | 179 | 175 | 36 |
増減 | 27 | 3 | 17 |
党順 | 第4党 | 第5党 | 第6党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 昭和会 | 国民同盟 | 東方会 |
党首 | 不在 | 安達謙蔵 | 中野正剛 |
前回選挙 | 20 | 15 | 新党 |
選挙前議席 | 24 | 11 | 9 |
獲得議席 | 19 | 11 | 11 |
増減 | 5 | 2 | |
選挙状況 | |||
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< 1936年1942年 > | |||
第20回衆議院議員総選挙(だい20かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1937年(昭和12年)4月30日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
[編集]衆議院で昭和会を閣内与党、国民同盟などを閣外協力として1937年(昭和12年)2月2日に発足した林銑十郎内閣は、2月15日に再開された第70回帝国議会において重要法案の審議引き延ばし戦術に出た民政党・政友会の二大政党に散々にてこずらされた。そこで昭和12年度予算が可決されると、林内閣は議会における与党勢力の躍進を期待して衆議院解散に打って出た。
しかし、予算成立直後のこの解散は他に理由も乏しいことから「食い逃げ解散」として国民の反発が強く、昭和会・国民同盟はいずれも議席を減らして与党勢力は諸派・無所属を合わせても40議席前後とふるわなかった一方で、民政党も議席を減らして政友会とほぼ互角となったものの二大政党の優位は変らなかった。注目すべきは社会大衆党の躍進で、無産政党が憲政史上初の第三党となっている。この選挙結果を受けて林内閣は5月31日に総辞職した。
なお、この選挙での当選者は1941年(昭和16年)の衆議院議員ノ任期延長ニ関スル法律により特例として任期が1年延長されたことで、結果として5年間にわたって議員の地位にあった。この任期中に大政翼賛会が結成されて日本から政党が事実上消滅し、任期満了によって翼賛選挙とも呼ばれる次の総選挙を迎えることとなる。
選挙データ
[編集]内閣
[編集]解散日
[編集]解散名
[編集]公示日
[編集]投票日
[編集]改選数
[編集]- 466
選挙制度
[編集]- 中選挙区制
- 普通投票(男性のみ)
- 満25歳以上の男性
- 有権者 14,618,298
党派別獲得議席
[編集]- 総裁=安達謙蔵
- 総裁=中野正剛
議員
[編集]当選者
[編集]立憲民政党 立憲政友会 社会大衆党 昭和会 国民同盟 東方会 諸派 中立
*の選挙区は無投票
補欠当選等
[編集]立憲民政党 立憲政友会 社会大衆党 国民同盟 東方会 諸派 中立
年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
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1937 | 5.24 | 宮城1区 | 繰上補充 | 元 | 宮沢清作 | 立憲政友会 | 菅原傳 | 立憲政友会 | 1937.5.9死去 |
6.5 | 栃木1区 | 元 | 坪山徳弥 | 立憲政友会 | 石山寅吉 | 社会大衆党 | 1937.5.16死去 | ||
11.10 | 愛知3区 | 新 | 内藤守正 | 立憲民政党 | 瀧正雄 | 中立 | 1937.10.25任企画院総裁 | ||
12.30 | 北海道4区 | 元 | 松尾孝之 | 立憲政友会 | 岡田春夫 | 立憲民政党 | 1937.12.11死去 | ||
- | 新潟1区 | (未実施) | 山本悌二郎 | 立憲政友会 | 1937.12.14死去 | ||||
1938 | 1.10 | 鳥取全県区 | 繰上補充 | 元 | 由谷義治 | 東方会 | 山枡儀重 | 立憲民政党 | 1937.12.25死去 |
1.14 | 岡山2区 | 新 | 重井鹿治 | 中立 | 西村丹治郎 | 立憲民政党 | 1937.12.20死去 | ||
1.17 | 群馬1区 | 新 | 金沢正雄 | 立憲政友会 | 飯塚春太郎 | 立憲民政党 | 1938.1.8死去 | ||
1.26 | 福島2区 | 元 | 湊季松 | 立憲民政党 | 八田宗吉 | 立憲政友会 | 1938.1.16死去 | ||
2.10 | 愛知2区 | 元 | 服部英明 | 立憲民政党 | 丹下茂十郎 | 立憲政友会 | 1938.2.4死去 | ||
2.16 | 茨城3区 | 更正決定 | 元 | 山本粂吉 | 立憲民政党 | 赤城宗徳 | 中立 | 1938.2.14当選無効 | |
2.21 | 新潟3区 | 繰上補充 | 新 | 藤井浩然 | 立憲政友会 | 大竹貫一 | 国民同盟 | 1938.2.14任貴族院議員 | |
3.4 | 北海道4区 | 元 | 深沢吉平 | 立憲民政党 | 南条徳男 | 立憲政友会 | 1938.2.21選挙法違反 | ||
3.10 | 福島1区 | 更正決定 | 元 | 堀切善兵衛 | 立憲政友会 | 菅野善右衛門 | 立憲政友会 | 1938.3.7当選無効 | |
3.25 | 高知1区 | 繰上補充 | 新 | 浅井茂猪 | 立憲政友会 | 富田幸次郎 | 立憲民政党 | 1938.3.23死去 | |
大阪4区 | 元 | 森田政義 | 立憲政友会 | 西尾末広 | 社会大衆党 | 1938.3.23除名 | |||
4.16 | 沖縄全県区 | 新 | 小田栄 | 社会大衆党 | 盛島明長 | 立憲政友会 | 1938.4.7選挙法違反 | ||
5.10 | 長崎1区 | 新 | 則元卯太郎 | 立憲民政党 | 倉成庄八郎 | 立憲政友会 | 1938.4.22死去 | ||
7.14 | 宮城1区 | 再選挙 | 元 | 宮沢清作 | 立憲政友会 | 宮沢清作 | 立憲政友会 | 1938.6.24当選無効 | |
11.12 | 北海道5区 | 元 | 東条貞 | 立憲政友会 | 東条貞 | 立憲政友会 | 1938.10.21選挙法違反 | ||
- | 新潟4区 | (未実施) | 川合直次 | 立憲民政党 | 1938.8.4死去 | ||||
岡山2区 | (未実施) | 重井鹿治 | 無所属 | 1938.8.23辞職 | |||||
福島2区 | (未実施) | 湊季松 | 立憲民政党 | 1938.9.3死去 | |||||
新潟3区 | (未実施) | 藤井浩然 | 立憲政友会 | 1938.10.23死去 | |||||
1939 | 3.24 | 宮城1区 | 再選挙の 繰上補充 |
新 | 北村文衛 | 立憲民政党 | 宮沢清作 | 立憲政友会 | 1939.3.14死去 |
4.20 | 奈良全県区 | 再選挙 | 元 | 北浦圭太郎 | 中立 | 森栄蔵 | 立憲政友会 | 1939.3.28選挙法違反 | |
4.30 | 長崎1区 | 元 | 本田英作 | 立憲政友会 | 中村不二男 | 立憲民政党 | 1939.4.7選挙法違反 | ||
5.4 | 鳥取全県区 | 元 | 稲田直道 | 立憲政友会 | 稲田直道 | 立憲政友会 | 1939.4.10当選無効 | ||
5.10 | 富山1区 | 元 | 石坂豊一 | 立憲政友会 | 寺島権蔵 | 立憲民政党 | 1939.4.18選挙法違反 | ||
5.24 | 愛知1区 | 元 | 加藤鐐五郎 | 立憲政友会 | 山崎常吉 | 諸派 | 1939.5.3選挙法違反 | ||
5.30 | 北海道2区 | 補欠選挙 | 元 | 松浦周太郎 | 立憲民政党 | 林路一 | 中立 | 1938.6.27死去 | |
新 | 村上元吉 | 立憲政友会 | 松浦周太郎 | 立憲民政党 | 1939.5.6当選無効 | ||||
6.13 | 大阪4区 | 元 | 吉川吉郎兵衛 | 立憲民政党 | 森田政義 | 立憲政友会 | 1939.3.21死去 | ||
元 | 西尾末広 | 社会大衆党 | 川村保太郎 | 社会大衆党 | 1939.5.20選挙法違反 | ||||
8.27 | 兵庫3区 | 再選挙 | 新 | 吉田賢一 | 中立 | 田中源三郎 | 立憲政友会 | 1939.8.4選挙法違反 | |
11.18 | 宮崎全県区 | 元 | 鈴木憲太郎 | 立憲民政党 | 鈴木憲太郎 | 立憲民政党 | 1939.10.21選挙法違反 | ||
- | 三重1区 | (未実施) | 加藤久米四郎 | 立憲政友会 | 1939.1.7死去 | ||||
福岡2区 | (未実施) | 田島勝太郎 | 立憲民政党 | 1939.1.28死去 | |||||
北海道5区 | (未実施) | 遠山房吉 | 立憲民政党 | 1939.3.17死去 | |||||
鹿児島1区 | (未実施) | 蔵園三四郎 | 第一議員倶楽部 | 1939.4.6死去 | |||||
福岡1区 | (未実施) | 中野正剛 | 無所属 | 1939.4.11辞職 | |||||
北海道1区 | (未実施) | 一柳仲次郎 | 立憲民政党 | 1939.4.14死去 | |||||
北海道2区 | (未実施) | 東武 | 立憲政友会 | 1939.9.3死去 | |||||
三重2区 | (未実施) | 浜田国松 | 立憲政友会 | 1939.9.6死去 | |||||
山口1区 | (未実施) | 庄晋太郎 | 立憲政友会 | 1939.9.14死去 | |||||
和歌山1区 | (未実施) | 木本主一郎 | 立憲政友会 | 1939.9.18死去 | |||||
京都1区 | (未実施) | 江羅直三郎 | 立憲民政党 | 1939.12.8死去 | |||||
1940 | 1.12 | 茨城1区 | 再選挙 | 新 | 渡邉健 | 立憲民政党 | 葉梨新五郎 | 立憲政友会 | 1939.12.20選挙法違反 |
2.10 | 鹿児島3区 | 新 | 山元亀次郎 | 中立 | 小林三郎 | 立憲民政党 | 1940.1.17選挙法違反 | ||
10.21 | 東京5区 | 補欠選挙 | 新 | 広川弘禅 | 無所属 | 斯波貞吉 | 立憲民政党 | 1939.10.14死去 | |
新 | 大橋清太郎 | 無所属 | 麻生久 | 無所属 | 1940.9.6死去 | ||||
- | 東京3区 | (未実施) | 頼母木桂吉 | 立憲民政党 | 1940.2.19死去 | ||||
- | 静岡2区 | (未実施) | 高木粂太郎 | 立憲民政党 | 1940.3.4死去 | ||||
- | 兵庫5区 | (未実施) | 齋藤隆夫 | 無所属 | 1940.3.7除名 | ||||
- | 新潟2区 | (未実施) | 佐藤与一 | 立憲民政党 | 1940.3.25死去 | ||||
- | 香川2区 | (未実施) | 三土忠造 | 無所属 | 1940.7.24任枢密院顧問官 | ||||
- | 長崎2区 | (未実施) | 佐保畢雄 | 無所属 | 1940.9.9死去 | ||||
- | 福島1区 | (未実施) | 堀切善兵衛 | 無所属 | 1940.9.26辞職 | ||||
- | 福岡2区 | (未実施) | 田尻生五 | 無所属 | 1940.11.14辞職 | ||||
1941 | - | 広島2区 | (未実施) | 望月圭介 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.1.1死去 | |||
- | 東京2区 | (未実施) | 安部磯雄 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.1.21辞職 | ||||
- | 山形2区 | (未実施) | 清水徳太郎 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.4.2死去 | ||||
- | 山形1区 | (未実施) | 佐藤啓 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.4.21死去 | ||||
- | 広島2区 | (未実施) | 山道襄一 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.5.11死去 | ||||
- | 鹿児島3区 | (未実施) | 山元亀次郎 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.7.24選挙法違反 | ||||
- | 滋賀全県区 | (未実施) | 青木亮貫 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.8.4死去 | ||||
- | 富山2区 | (未実施) | 土倉宗明 | 衆議院議員倶楽部 | 1941.8.8選挙法違反 | ||||
- | 北海道2区 | (未実施) | 村上元吉 | 翼賛議員同盟 | 1941.11.8死去 | ||||
- | 長野3区 | (未実施) | 宮沢胤勇 | 翼賛議員同盟 | 1941.11.19辞職 | ||||
- | 福島3区 | (未実施) | 比佐昌平 | 翼賛議員同盟 | 1941.11.23死去 | ||||
1942 | - | 愛媛3区 | (未実施) | 砂田重政 | 翼賛議員同盟 | 1942.1.29辞職 | |||
- | 神奈川3区 | (未実施) | 岡崎久次郎 | 同交会 | 1942.3.20死去 | ||||
- | 東京1区 | (未実施) | 道家斉一郎 | 翼賛議員同盟 | 1942.3.28死去 | ||||
出典:衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。 |
初当選
[編集]- 計80名
- 立憲民政党
-
- 21名
- 小泉純也(鹿児島1区)
- 立憲政友会
-
- 30名
- 社会大衆党
-
- 15名
- 東方会
-
- 3名
- 諸派
-
- 2名
- 中立
-
- 9名
返り咲き・復帰
[編集]- 計39名
- 立憲民政党
-
- 9名
- 立憲政友会
-
- 22名
- 社会大衆党
-
- 2名
- 昭和会
-
- 2名
- 諸派
-
- 1名
- 小池四郎(福岡4区)
- 中立
-
- 3名
引退・不出馬
[編集]- 計43名
- 立憲民政党
-
- 22名
- 立憲政友会
-
- 19名
- 昭和会
-
- 1名
- 三鬼鑑太郎(岩手2区)
- 中立
-
- 1名
- 福田耕(福井全県区)
落選
[編集]- 計74名
- 立憲民政党
-
- 34名
- 立憲政友会
-
- 31名
- 花城永渡(沖縄全県区)
- 昭和会
-
- 5名
- 東方会
-
- 1名
- 由谷義治(鳥取全県区)
- 中立
-
- 3名
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院要覧 昭和17年11月 丙』内閣印刷局、1942年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。