鈴木正吾

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鈴木 正吾(すずき しょうご、1890年(明治23年)6月30日 – 1977年(昭和52年)6月1日)は、日本の政治家ジャーナリスト

経歴[編集]

1890年愛知県にて出生。明治大学卒業。卒業後は読売新聞記者を経て、雑誌『大観』編集長などを務める。尾崎行雄に師事し、1919年には欧米視察に同行した。1932年第18回衆議院議員総選挙に無所属で立候補して初当選。以降、当選は計7回を数える。その後は国民同盟に入り、1942年翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けずに当選した。戦後、公職追放となる[1]1951年に追放解除となり[2] 、翌1952年第25回衆議院議員総選挙改進党から立候補して当選。しかし、1953年第26回衆議院議員総選挙で落選した。1955年豊川市長に就任、1期務め、1958年第28回衆議院議員総選挙で再選、自由民主党に入った。1963年第30回衆議院議員総選挙で落選、次の第31回衆議院議員総選挙にも立候補したが落選し、政界を引退した。1977年死去。

脚注[編集]

  1. ^ 公職追放の該当事項は「東方同志会参与」。(総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年604頁。NDLJP:1276156 
  2. ^ 『朝日新聞』1951年7月28日朝刊一面。

外部リンク[編集]

  • 季武嘉也『大正期の政治構造』(吉川弘文館、1998)