角屋堅次郎
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年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2018年4月)
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角屋 堅次郎
かどや けんじろう
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生年月日 | 1917年3月15日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 2017年4月7日(100歳没) |
死没地 | ![]() |
出身校 | 満州大学大学院卒業 三重高等農学校(現:三重大学)卒業 |
前職 | 日本社会党三重県本部委員長 全農林中央執行委員長 農林省技官 |
所属政党 | (左派社会党→) 日本社会党 |
称号 | 衆議院永年勤続議員 勲一等旭日大綬章(1989年11月) 従三位(2017年4月) |
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選挙区 | 旧三重2区 |
当選回数 | 11回 |
在任期間 | 1958年5月22日 - 1990年1月24日 |
角屋 堅次郎(かどや けんじろう、1917年(大正6年)3月15日 - 2017年(平成29年)4月7日)は、日本の政治家。元衆議院議員(11期)。
年譜[編集]
- 三重県出身。三重県伊勢市豊浜生まれ。
- 学歴は宇治山田中学(現在の宇治山田高校)を卒業。その後三重高等農学校(現在の三重大学)卒業、満州大学同大学院卒業。
- 農林省に勤務して、農林省技官、全農林中央執行委員長、日本社会党三重県本部委員長などを歴任する。
- 1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙で左派社会党から立候補するが落選。1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙では、左右両派が統一された日本社会党より旧三重2区から立候補して初当選した。以降、連続11回当選し、30年以上にわたり、衆議院議員を務めた。
- 日本社会党内では、国会対策副委員長・農林水産部会長・中央執行委員・選挙対策委員長・両院議員総会長などを務める。
- 1989年(平成元年)11月、勲一等旭日大綬章を受章。
- 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退した。
- 日本社会党農林部長・水産政策委員長・農林水産委員を務めた農水族議員である。衆議院公害対策委員長・環境保全特別委員会委員長と務めて、永年勤続議員として衆議院から表彰をされる[1]。
- 2017年(平成29年)4月7日、老衰・腎不全のため死去[2][3]。100歳没。従三位に叙せられる[4]
その他[編集]
- 日中国会議員書画展へ書画を提供している[5]。
脚注[編集]
- ^ 「日本政治史に残る三重県選出国会議員」の232ページの記述。(著者)廣新二。出版年は1985年(昭和60年)三重県選出日本社会党議員の「角屋謙次郎」の項目。
- ^ 角屋堅次郎氏が死去 元衆院議員 日本経済新聞 2017年4月7日
- ^ 角屋堅次郎氏死去 元社会党衆院議員 - 産経ニュース 2017年4月7日
- ^ [1] 平成29年4月28日閣議および閣僚懇談会議事録 2017年7月17日閲覧
- ^ [2]NPO法人日中国会議員書画展実行委員会
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