伊坂秀五郎

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伊坂秀五郎

伊坂 秀五郎(いさか ひでごろう、明治11年(1878年12月17日[1] - 昭和15年(1940年)12月17日)は、衆議院議員(4期)、鉄道実業家。昭和会所属。

経歴[編集]

明治11年生まれ。三重県出身。慶應義塾で学ぶ。

三重県河芸郡若松村長(現・鈴鹿市)、三重県会議員、三重県参事官、三重県議会副議長を経て、三重県会議員議長(26代)を歴任。鉄道会議員となり、伊勢鉄道会社社長、その後の伊勢電鉄株式会社取締役。1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙立憲政友会からの推薦を受けて当選(以降3回当選)。のちに昭和会の結成に参加し、所属する。

他には、「開国曙光碑」の発起人となる。

五私鉄疑獄事件で贈賄罪で公判に付され、一審は無罪であったが、1934年(昭和9年)に二審で懲役四ヶ月・執行猶予3年の判決を受け[2]1936年(昭和11年)の大審院判決で確定した[3]

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、14頁。
  2. ^ 『昭和11年 時事年鑑』時事新報社、1935年、p.404。
  3. ^ 『昭和13年 時事年鑑』時事新報社、1937年、p.419。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年(平成2年)。
  • 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、41頁)

関連項目[編集]