岡崎久次郎

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岡崎 久次郎
おかざき きゅうじろう
Kyujiro okazaki.jpg
岡崎久次郎
生年月日 1874年1月14日
出生地 神奈川県
没年月日 1942年3月20日
出身校 東京高等商業学校
所属政党 立憲同志会
立憲民政党
親族 岡崎勝男(弟)
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岡崎 久次郎(おかざき きゅうじろう、1874年1月14日[1] - 1942年3月20日)は、日本実業家政治家衆議院議員(通算6期)。

経歴[編集]

神奈川県出身。1895年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。三井物産に入り、その後退職して大日本自転車、日米商店(のち日米富士自転車)を創業する。相模鉄道初代社長。

1912年第11回衆議院議員総選挙岐阜県から無所属で立候補して当選する。1915年第12回衆議院議員総選挙では立憲同志会公認で立候補して当選。その後一旦政界から引退し、時をおいて1928年第16回衆議院議員総選挙で神奈川3区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選し政界に復帰、以降4期務めた。

1940年2月、衆議院本会議で斎藤隆夫が「支那事変処理を中心とした質問演説」(いわゆる反軍演説)をした際に所属していた民政党が斎藤の議員除名に賛成する方針を取ったのに対し岡崎はこれに反対し離党して、決議では反対票を投じた[2]。この時除名反対票を投じたのは岡崎を含めて7名であり[2]、そのうち斎藤の所属政党である民政党に所属していたことがある議員は岡崎以外では1930年に行われた第17回衆議院議員総選挙に民政党公認で立候補して初当選した北浦圭太郎のみであった。なお北浦は1939年に行われた衆議院議員選挙の再選挙に無所属で立候補して2度目の当選を果たす前に民政党を離党しており、反軍演説のときは院内会派の第一議員倶楽部に所属していた[2]

後に同交会に入り、1942年に死去した。

家族[編集]

参考文献[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ a b c 『昭和の政党』、364頁。