笹山茂太郎

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笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 - 1982年5月15日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(9期)、秋田県横手市出身。

経歴[編集]

  • 秋田県立横手中学校第一高等学校を経て、東京帝国大学卒業。
  • 農林省入省。農林書記官、本省会計課長などを経たが、その後、山林局長のときに、戦時中の政府・軍部の方針であった里山伐採・平地林伐採運動について『行き過ぎのないように』との局長通達を全国の林務課長あてに出したことが、全国知事会で問題となり、熊本の営林局長に左遷させられる事態となった。本省の局長が営林局長に降格されることは、いまだかつてないことであった。第二次世界大戦後、復権し、農政局長、初代の開拓局長として食糧不足下での未墾地取得問題に取り組む。その後、初代の水産庁長官、農林事務次官を歴任し、当時のGHQとの交渉を続けながら、現在も存続している農業改良普及事業や農業災害補償制度などの戦後農政の基盤となる諸制度の骨格作りをした。また、事務次官時代には、戦後の未曾有の食糧危機に際し、吉田茂白州次郎を仲介にGHQとかけあい、アメリカからの援助米10万トン獲得に努力した。

政歴[編集]

評伝[編集]

  • 官僚時代には自身の意見を曲げずに東條首相に反対し、左遷されたこともあった。また議員時代は元官僚ながら松村謙三とともに脱官僚を唱えて党人派を貫くなど、無頼の気骨ある人物として知られた。
  • 保守政治家としては三木同様典型的なハト派であった。
  • 池田首相退陣の頃はいよいよ閣僚目前と見られていたが、直後に三木のもとを離れて松村と行動を共にし、最後まで国務大臣になることはできなかった。
  • 小派閥に属し続けたこともあり恵まれなかったが、党役員としては、代議士会長を長くつとめたほか、農林族の大物議員でもあった。
  • 自伝として 白雲去来(昭和53年10月刊、楽游書房)がある。

家族親族[編集]


議会
先代:
福田繁芳
日本の旗 衆議院決算委員長
1972年
次代:
宇都宮徳馬