鈴木仙八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鈴木 仙八(すずき せんぱち、1899年8月19日[1] - 1967年5月14日[1][2])は、日本政治家自由民主党衆議院議員(5期)。

鈴木 仙八
すずき せんぱち
生年月日 (1899-08-19) 1899年8月19日
出生地 日本の旗 東京府北豊島郡王子村(現・東京都北区
没年月日 (1967-05-14) 1967年5月14日(67歳没)
所属政党無所属→)
日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
分党派自由党→)
日本民主党→)
自由民主党

選挙区東京都第1区→)
旧東京5区
当選回数 5回
在任期間 1946年4月10日 - 1952年8月28日
1953年4月19日 - 1955年1月24日
1960年11月20日 - 1963年10月23日

選挙区 王子区選挙区
当選回数 1回
在任期間 1943年 - 1946年
テンプレートを表示

来歴[編集]

1899年東京府北豊島郡王子村(現東京都北区)に鈴木八五郎の三男として生まれる。王子町議、東京市議東京府議を歴任する[2]1942年第21回衆議院議員総選挙では東京6区(当時)から非推薦で立候補して落選した[3]。翌年、東京都発足による第1回東京都議会議員選挙では王子区から立候補して当選した。1946年第22回衆議院議員総選挙東京都第1区(当時)から日本自由党公認で立候補して初当選[4]鳩山一郎派に属した。1947年第23回衆議院議員総選挙からは、東京都第5区で立候補した[5]第1次吉田内閣商工参与官第3次吉田内閣建設政務次官、衆議院決算委員長を歴任した[1][2]1961年日本国憲法下で唯一可決された不信任決議である、久保田鶴松衆議院副議長への不信任決議案を提出した。

1963年第30回衆議院議員総選挙で落選[5]、政界を引退した。この他自民党東京都連副会長[2]日本身体障害者団体連合会の初代会長、王子百貨店社長などを務めた[1]。1967年死去。

人物[編集]

  • 隻眼で、常に片眼に眼帯をしていたと伝えられる。同じ自由党の高橋英吉と風貌がよく似ていたらしく、吉田茂が高橋を鈴木と間違えたというエピソードがある[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』325頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』333頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』126頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』140-141頁。
  5. ^ a b 『朝日選挙大観』432頁。
  6. ^ 戸川猪佐武 小説永田町の争闘. 角川文庫 60頁。

参考文献[編集]

  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
議会
先代
荒舩清十郎
日本の旗 衆議院決算委員長
1961年 - 1962年
次代
津雲国利