不信任決議

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不信任決議(ふしんにんけつぎ)は、議会で不信任を決議することである。本項では、日本の政治に於ける不信任決議について述べる。

地方自治体での首長不信任決議[編集]

日本地方自治体の議会には、地方自治法により普通地方公共団体の長に対する不信任決議が認められている。なお、日本の普通地方公共団体の長の不信任について地方自治法は「決議」ではなく「議決」の文言を用いている[1]。ただ、一般には内閣不信任決議と同様に「不信任決議」と称されている。

要件[編集]

地方自治法第178条の規定により、議員数の3分の2以上が出席する都道府県または市町村の議会の本会議において4分の3以上の賛成により成立する。地方自治法第281条以下に定められた東京都特別区においても、この規定が適用される。

不信任議決の要件は次の2つである(地方自治法第178条第3項)。

  1. 議員数の3分の2以上の者が出席
  2. 出席議員の4分の3以上の者が賛成

また、非常の災害による応急若しくは復旧の施設のために必要な経費又は感染症予防のために必要な経費を削除又は減額されたため長が再議に付した場合に、なお議会が削除又は減額すれば、首長はその議決を不信任の議決とみなすことができると規定されている(地方自治法第177条第2項及び第4項)。

地方自治法第178条に定義される「不信任の議決」の解釈については、議会が首長に対する辞職勧告決議問責決議を議員数の3分の2以上の出席で4分の3以上の賛成により可決した場合、首長に対する信任決議案を議員数の3分の2以上の出席で4分の3以上の反対により否決した場合、首長が提案した重要議案を議員数の3分の2以上の出席で4分の3以上の反対により否決した場合などが含まれるか否かという点で疑義を生じている。

判例には、「不信任の議決」とみなせるものを同法第177条第4項に該当するものに限定する説(鹿児島地裁昭和25年11月21日判決)、辞職勧告決議案の可決・信任決議案の否決や客観的に首長に対する不信任の意思を表明すると認められる議決は「不信任の議決」に含まれるとする説(和歌山地裁昭和27年3月31日判決)、首長が提案した重要議案を議会が4分の3以上の反対により否決した場合が含まれるとする説(松江地裁昭和28年3月25日判決)、辞職勧告決議は「不信任の議決」に含まれるがそれ以外の議決は含まれないとする説(青森地裁昭和33年2月27日判決)がある。

普通地方公共団体の議会において、当該普通地方公共団体の長の不信任の議決をしたときは、直ちに議長からその旨を当該普通地方公共団体の長に通知しなければならない(地方自治法第178条第1項前段)。

効果[編集]

不信任議決があったときは、議長は直ちに首長に通知することになっている。不信任決議を受けた首長は、10日以内に議会を解散することができる(地方自治法第178条第1項後段)。解散しなければ10日が経過した時点で失職する(地方自治法第178条第2項)。また、議会を解散した場合において、選挙後に開かれた議会で再び不信任決議案が提出された場合は出席議員の過半数の賛成で成立し、首長は議長から通知があった日において失職する(地方自治法第178条第2項・第3項)。

首長に対する不信任決議は成立要件が非常に厳しく、議員にとっても首長からの解散による失職のリスクを伴うため提出には慎重になり、拘束力のない辞職勧告決議になることも多い。

一方、近年は非自民系首長と自民系議員が圧倒的多数を占める議会というオール野党状態である自治体で、非自民系の首長を追い落とすために不信任決議を利用するケースも見られるようになった。時系列順には、1999年の足立区長選、2002年の長野県知事選、2003年の徳島県知事選、2007年の東大阪市長選がこれに該当する。長野県知事選以外では不信任の対象となった首長は落選しており、保守会派の影響力を背景にした不信任決議の可決は、成功率が高いことが分かる。特に、最初の例となった足立区長選では、自公は国政選挙並みの姿勢で臨み、同年10月の自自公連立政権への布石となったといわれている。この場合は、議員個人の落選する危険性と、自民系首長を当選させる利益を天秤に掛けて不信任決議を出すかどうかが選択されることになる。また、議会側が不信任可決に対して議会解散のリスクを少なくするため、議員任期満了間際という時期に不信任決議を可決させ、首長が対抗措置として議会解散権の効果を減らすことを考慮する場合がある。

具体的実例[編集]

(肩書きは、いずれも当時のもの)

都道府県知事に対して[編集]

可決年月日 都道府県 不信任対象者 その後
1976年12月14日 岐阜県 平野三郎 既に汚職事件で書類送検されていたが、可決した当日に辞任。
2002年7月5日 長野県 田中康夫 失職を選択し、再出馬(当選)。
2003年3月20日 徳島県 大田正 失職を選択し、再出馬(落選)。
2006年12月1日 宮崎県 安藤忠恕 当初は失職を選択し再出馬の構えを見せていたものの県政混乱の責任をとり12月3日に辞職表明(翌4日で議会が許可)。

市町村長に対して[編集]

  • 1959年2月20日公印不正使用や不渡手形の乱発などで書類送検された山口市長 長井秋穂を、市議会が不信任。翌22日に逮捕・収監された長井市長は27日に市議会を解散したが、市長に対するリコール運動の盛り上がりから5月22日に辞職した。
  • 1964年9月10日滋賀県能登川町町長 中村甚試が、町議会多数派との対立から不信任。中村町長は町議会を解散したものの、改選後の町議会で再度不信任、12月11日に行われた出直し町長選に出馬して再度当選した。
  • 1967年4月1日埼玉県加須市において、市長中田重蔵の議会軽視に対し不信任決議が可決。中田市長は市議会を解散したものの、改選後の市議会でも再度不信任され、出直し市長選に出馬したが落選した。
  • 1969年12月22日長野県更埴市において、市長坂口登の独善的な市政運営に対し不信任決議が可決。坂口市長は市議会を解散したものの、改選後の市議会でも再度不信任され、出直し市長選に出馬したが落選した。
  • 1972年10月7日、浪速医科大学不正事件で逮捕された堺市長 土師半六に対し、不信任決議が可決。土師市長は11日に辞意を表明した。
  • 1973年12月20日、収賄容疑で逮捕された茨城県岩井市市長 富山光男に対し、不信任決議が可決。富山市長は即日市議会を解散したものの、改選後の市議会で再度不信任決議が可決されて失職。翌年4月28日に行われた出直し市長選に再出馬するが、落選した。
  • 1974年6月21日、補正予算の専決処分をめぐって大阪府松原市議会が、市長長谷川正彦への不信任決議を可決。長谷川市長はは28日に市議会を解散したものの、改選後の市議会で再度不信任決議が可決されて失職した。
  • 1981年2月17日、公務出張の際に私的に親しい女性を同伴させていたとして、東京都小金井市長 星野平壽に対する不信任決議が可決。星野市長は27日に市議会を解散させるが、改選後の市議会でも再度不信任されることが確実になったことから4月15日に退陣を表明した。
  • 1991年4月2日、1月に当選したばかりの今津礼二郎香川県観音寺市長を、反市長派が多数を占める市議会が不信任。今津市長は直ちに市議会を解散させるが、改選後の市議会でも反市長派が多数を占め再度不信任。市長を失職したものの、7月1日に行われた出直し市長選では再選を果たした
  • 1996年8月4日、前日に就任した島根県益田市長 田中八洲男に対し、私立大学誘致を巡る対立から市議会が不信任。12日に田中市長は市議会を解散したものの、市議会議員の任期が25日までしかなかったことから市長と同時に改選された新しい市議の任期が13日からに繰り上がる珍しい事態となった。
  • 2005年6月23日奈良市議会において、公職選挙法違反容疑で書類送検された奈良市長鍵田忠兵衛に対する不信任決議が可決された例がある。可決後、鍵田は市議会を解散した上で自らも市長を辞職したが、落選した。
  • 2006年4月25日、愛知県大治町において、町長伊藤義範が大雨洪水警報発表中に私用でゴルフに出ていた件や議場で暴言を吐いたことで、議会で不信任決議が可決された。5月1日辞職。
  • 2006年6月28日静岡県新居町において、市町村合併の路線対立から、浜松市との合併推進派の古橋武司町長に対する不信任決議が可決された。古橋は議会を解散すると共に自らも辞職し、町長選に立候補するも落選し、湖西市との合併を志向する中嶋正夫が当選した。
  • 2006年8月18日宮城県七ケ宿町において、町有林問題で混乱を招いたとして、町長高橋国雄に対する不信任決議が可決された。8月28日、高橋は議会を解散し自らも辞職したのち、選挙に立候補するも落選した。
  • 2007年1月9日愛知県松野町において、市町村合併の路線対立から町長派と反町長派の対立が激化し、町長岡武男に対する不信任決議が可決された。岡は議会解散を選択し、選挙の結果、町長派が多数派となった。
  • 2007年3月29日兵庫県加西市において、職員採用及び市長の公用車の単独使用について不正があったとして市長中川暢三に対する不信任決議が可決された。中川暢三は2007年4月5日に議会を解散したが、市議選後の5月13日に不信任決議が再可決され、自動失職。出直し市長選挙として行われた2007年6月17日執行の加西市長選に立候補し、再度当選した。
  • 2007年9月3日大阪府東大阪市において、自民・公明・一部のリベラル派により、市長長尾淳三の不信任決議案が38-10で可決された。長尾は議会の任期満了が近かったためもあり、失職を選択。10月28日に執行された出直し市長選挙に市民の信任を再び問うたが長尾は落選し、野田義和が当選した。
  • 2009年2月6日鹿児島県阿久根市において、ブログでの言動が刑事告発に発展した問題や、議会を無視した人事があったとして、市長竹原信一に対する不信任決議が可決された。竹原は市議会解散を選択し、2月22日の市議選では市長派議員を当選させたが、4月17日に不信任決議が再可決され、自動失職。出直し市長選挙として行われた2009年5月31日執行の阿久根市長選に立候補し、再度当選した。
  • 2009年3月24日愛知県西尾市において、受託収賄罪で逮捕された市長中村晃毅に対する不信任決議が可決された。中村は拘置中のまま市議会解散を選択したが、5月3日執行の市議選で選出された議員は、5月20日に全会一致で不信任決議を再可決したため、中村は自動失職。出直し市長選挙への出馬を断念した。出直し市長選挙は、6月28日の告示日に、榊原康正無投票当選を決めた。
  • 2009年4月20日三重県尾鷲市において、税理士法違反で罰金刑を受けた市長奥田尚佳に対する不信任決議が可決された。奥田は市議会解散を選択したが、不信任に賛成した議員は全員再選され、市議選後の6月19日に不信任決議が再可決され、自動失職。出直し市長選挙として行われた2009年7月26日執行の尾鷲市長選に立候補したが、落選した。
  • 2010年9月2日埼玉県草加市において、収賄罪で有罪判決を受けた元助役の擁護する個人的見解を定例記者会見、広報紙、議会報告など公の場を利用した木下博信に対する不信任決議が可決された。木下は市議会解散を選択したが、市議選後の10月27日に不信任決議が再可決され、自動失職。出直し市長選挙として行われた2010年12月12日執行の草加市長選に立候補したが、落選した。
  • 2012年12月20日福島県双葉町において、東京電力福島第一原発事故で生じた汚染土壌を搬入する放射性廃棄物中間貯蔵施設についての福島県と双葉郡8町村の会議に欠席した町長井戸川克隆に対する不信任決議が可決された。井戸川は町議会解散を選択したが、その後町長辞職を表明し退任した。
  • 2013年1月9日愛媛県西条市において、選挙で新市役所庁舎の建設見直しを訴えて当選したがその後工事続行を決め、その対応が公約違反だとして市長青野勝に対する不信任決議が可決された。市議会解散を選択を選択し、選挙後も混乱は続いたが不信任決議の再可決は行われなかった。
  • 2013年6月10日兵庫県上郡町工藤崇町長に対し、反町長派が多数を占める町議会との対立から不信任決議が可決された。町議会解散を選択したが、同日体調不良を理由に町長を辞職した。
  • 2015年3月16日宮城県大衡村において、村の50代の女性職員に性的関係を強要したり、1300通ものメールを送りつけたりするパワハラセクハラ行為を行ったとして損害賠償を求める訴訟を起こされている跡部昌洋村長に対する不信任決議が可決された。跡部は村議会解散を選択したが、その2日後に村長を辞職した。
  • 2015年8月3日北海道福島町において、選挙で当選して町長に就任したら便宜を図るよう、IT関連会社の元取締役の男から依頼され、100万円を受け取ったとして事前収賄罪に問われている佐藤卓也福島町長に対する不信任決議が可決された。佐藤は辞職と町議会解散のいずれも選択せず、地方自治法の規定に基づき失職した。

特別区の区長に対して[編集]

可決年月日 特別区 不信任対象者 その後
1967年5月17日 練馬区 須田操 区議会を解散したものの、改選後の区議会では与党が過半数割れし6月2日に辞意を表明(21日付で区長退任)。
1993年9月21日 葛飾区 出口晴三 区議会を解散したものの、改選後の区議会で再度不信任案が可決されて失職。再可決前に出口区長は、公職選挙法違反容疑で逮捕された。
1999年4月1日 足立区 吉田万三 解散を選択したが、吉田与党の共産は2議席を増やしたものの、自民自由公明民主の圧倒的多数は変わらず、5月28日に不信任決議が再可決され、自動失職。出直し区長選挙となり、6月20日の投開票で、自自公民推薦の鈴木恒年に敗れ落選した。

国会での不信任決議[編集]

国会で不信任決議を行う場合、憲法上規定されている衆議院本会議における出席議員の過半数による内閣不信任決議日本国憲法第56条第2項第69条)とそれ以外の法的拘束力のない不信任決議がある。法的拘束力がない不信任決議の対象は衆参両院の役員(議長・副議長・委員長・事務総長等)及び個々の政治任用職にある者(国務大臣・副大臣等)に対して用いられる。衆参両院の役員に対しては、委員会で不信任決議を行う場合がある。慣例上、法的効果の有無に関わらず先決問題とされ、基本的には最優先で審議される。

政治任用職者への不信任決議[編集]

衆議院において内閣全体ではなく個々の閣僚に対して不信任決議がなされることもあるが、法的に辞職を強制するものではなく憲法第69条のような効果も生じない[2][3]。ただし、個々の閣僚に対する不信任決議であっても、内閣はこれを内閣全体の基本政策に対する不信任の意思表示であるとみて衆議院を解散しあるいは総辞職することは可能と解されている[4]。なお、参議院では政治任用職にある者(国務大臣・副大臣等)に対しては問責決議が行われている。

1992年のPKO国会では、PKO法案の採決引き伸ばしを狙う野党が、議事妨害の一環として、先決問題である閣僚不信任案を全員分一件づつ提出してはその度に討論と記名投票を行わせる構えを見せた。これに対して与党は内閣信任決議案を提出し可決させた。その上で、内閣信任決議が行われた以上は、個別の閣僚に対する不信任案の審議は一事不再議の慣例に抵触するため不要であるとした。

衆議院本会議での国務大臣等への不信任決議議決例
本会議採決日 対象者 役職 採決 票差 備考
 
1948年(昭和23年)6月24日 にしお/西尾末広 国務大臣 否決 178 209 031 日本国憲法下初の閣僚不信任決議採決。いわゆる無任所大臣副総理
1949年(昭和24年)11月25日 もり/森幸太郎 農林大臣 否決 120 239 119 他に同種1案あり。一事不再議により採決せず。
1950年(昭和25年)3月4日 いけた/池田勇人 大蔵大臣
通商産業大臣
否決 099 178 079 他に同種1案あり。一事不再議により採決せず。
1951年(昭和26年)03月29日 よした/吉田茂 外務大臣 否決 少数 多数 不明 起立採決。
1951年(昭和26年)03月31日 おおはし/大橋武夫 国務大臣法務総裁 否決 少数 多数 不明 起立採決。
1951年(昭和26年)11月8日 いけた/池田勇人 大蔵大臣 否決 少数 多数 不明 起立採決。議事日程上1案。
(個別2案の一括採決ではない。)
根本龍太郎 農林大臣
1952年(昭和27年)02月27日 おかさき/岡崎勝男 国務大臣 否決 少数 多数 不明 起立採決。補職は賠償庁長官。
1952年(昭和27年)06月10日 きむら/木村篤太郎 法務総裁 否決 少数 多数 不明 起立採決。
1952年(昭和27年)11月28日 いけた/池田勇人 国務大臣 可決 208 201 007 翌日辞任。補職は通商産業大臣・経済審議庁長官。
1953年(昭和28年)8月3日 おかさき/岡崎勝男 外務大臣 否決 133 193 060
1954年(昭和29年)3月20日 おおたち/大達茂雄 文部大臣 否決 134 268 134
1954年(昭和29年)4月10日 いぬかい/犬養健 法務大臣 否決 123 236 113
1955年(昭和30年)07月25日 すきはら/杉原荒太 国務大臣 否決 132 228 096 補職は防衛庁長官。
1955年(昭和30年)12月16日 しけみつ/重光葵 外務大臣 否決 135 259 124
1956年(昭和31年)03月20日 おおた/太田正孝 国務大臣 否決 141 237 096 補職は自治庁長官。
1956年(昭和31年)03月22日 しけみつ/重光葵 外務大臣 否決 139 249 110 副総理
1956年(昭和31年)04月19日 きよせ/清瀬一郎 国務大臣 否決 146 234 112 補職は文部大臣。
1956年(昭和31年)04月29日 こはやし/小林英三 国務大臣 否決 153 254 101 補職は厚生大臣。
1956年(昭和31年)05月23日 ふなた/船田中 防衛庁長官 否決 137 208 071
1956年(昭和31年)05月23日 いちまた/一万田尚登 大蔵大臣 否決 137 227 090
1956年(昭和31年)11月26日 くらいし/倉石忠雄 労働大臣 否決 139 247 108
1957年(昭和32年)5月14日 まつうら/松浦周太郎 労働大臣 否決 141 216 075
1958年(昭和33年)04月9日 いちまた/一万田尚登 大蔵大臣 否決 116 219 103
1958年(昭和33年)12月23日 なたお/灘尾弘吉 文部大臣 否決 145 227 082
1959年(昭和34年)02月17日 なかの/永野護 運輸大臣 否決 135 239 104
1959年(昭和34年)11月27日 ふしやま/藤山愛一郎 外務大臣 否決 133 198 065
1961年(昭和36年)6月6日 すとう/周東英雄 農林大臣 否決 132 216 084
1962年(昭和37年)4月5日 こさか/小坂善太郎 外務大臣 否決 148 236 088
1962年(昭和37年)4月28日 やすい/安井謙 自治大臣 否決 099 180 081
1963年(昭和38年)3月1日 おおひら/大平正芳 外務大臣 否決 122 259 137
1963年(昭和38年)6月22日 おおはし/大橋武夫 労働大臣 否決 118 199 081
1964年(昭和39年)4月28日 かや//賀屋興宣 法務大臣 否決 107 229 122
1965年(昭和40年)02月23日 しいな/椎名悦三郎 外務大臣 否決 148 248 100
1965年(昭和40年)11月10日 しいな/椎名悦三郎 外務大臣 否決 134 159 025 否決例における最小の票差。
1965年(昭和40年)11月10日 さかた/坂田英一 農林大臣 否決 088 137 049
1965年(昭和40年)11月10日 ふくた/福田赳夫 大蔵大臣 否決 126 164 035
1965年(昭和40年)11月10日 みき/三木武夫 通商産業大臣 否決 090 148 058
1967年(昭和42年)8月4日 ほう/坊秀男 厚生大臣 否決 143 202 059
1967年(昭和42年)8月6日 ふしえた/藤枝泉介 自治大臣
国家公安委員会委員長
否決 150 221 071
1967年(昭和42年)8月6日 みすた/水田三喜男 大蔵大臣 否決 124 210 094
1967年(昭和42年)8月7日 きむら/木村俊夫 国務大臣 否決 112 216 104 補職は内閣官房長官。
1969年(昭和44年)7月12日 さいとう/斎藤昇 厚生大臣 否決 121 180 059
1969年(昭和44年)7月29日 さかた/坂田道太 文部大臣 否決 118 218 100
1971年(昭和46年)10月27日 ふくた/福田赳夫 外務大臣 否決 169 274 105
1971年(昭和46年)10月27日 たなか/田中角栄 通商産業大臣 否決 171 280 109
1973年(昭和48年)9月21日 やまなか/山中貞則 防衛庁長官 否決 161 241 080
1973年(昭和48年)9月21日 おくの/奥野誠亮 文部大臣 否決 161 230 069
1975年(昭和50年)07月1日 ふくた/福田一 自治大臣 否決 少数 多数 不明 起立採決。他の補職は国家公安委員会委員長・北海道開発庁長官。
1975年(昭和50年)07月1日 おおひら/大平正芳 大蔵大臣 否決 少数 多数 不明 起立採決。
1975年(昭和50年)10月25日 むらかみ/村上勇 郵政大臣 否決 160 222 062
1975年(昭和50年)10月25日 おおひら/大平正芳 大蔵大臣 否決 160 217 057
1977年(昭和52年)5月11日 みはら/三原朝雄 防衛庁長官 否決 147 232 085
1977年(昭和52年)5月11日 ふした/藤田正明 総理府総務長官
沖繩開発庁長官
否決 167 228 061
1987年(昭和62年)4月23日 みやさわ/宮澤喜一 大蔵大臣 否決 191 282 091
1997年(平成9年)04月22日 ちかおか/近岡理一郎 科学技術庁長官 否決 少数 多数 不明 起立採決。
1997年(平成9年)11月25日 みつつか/三塚博 大蔵大臣 否決 214 259 045
2002年(平成14年)2月5日 たけへ/武部勤 農林水産大臣 否決 186 276 090
2004年(平成16年)8月5日 さかくち/坂口力 厚生労働大臣 否決 185 279 092
2007年(平成19年)5月31日 やなきさわ/柳澤伯夫 厚生労働大臣 否決 131 333 202
2010年(平成22年)05月31日 あかまつ/赤松広隆 農林水産大臣 否決 141 306 165
2010年(平成22年)11月15日 せんこく/仙谷由人 内閣官房長官 否決 152 314 162
2010年(平成22年)11月15日 まふち/馬淵澄夫 国土交通大臣 否決 151 316 165
2014年(平成26年)6月20日 いしはら/石原伸晃 環境大臣 否決 142 326 184
2016年(平成28年)11月10日 やまもと/山本有二 農林水産大臣 否決 125 323 198
2016年(平成28年)11月29日 しおざき/塩崎恭久 厚生労働大臣 否決 122 338 216 記名投票における最大の票差。
2017年(平成29年)5月18日 かねだ/金田勝年 法務大臣 否決 125 334 209
※太字は不信任決議可決例
※役職欄に記載の職名は当該不信任決議案の題名に用いられた表記による(必ずしも法的に正式な表記ではない)。
※これらのほかにも、決議案提出後(撤回、会期終了等により)採決に至らなかったものが多数ある。

国会役職者への不信任決議[編集]

議会が自ら選任した役員を解任するには国会法など議会法上に特段の定めがある場合を除き許されない[5]。国会法は常任委員長についてのみ解任規定を置いている(国会法30条の2)。しかし、議会運営を混乱させて責任を明らかにする必要がある場合や誠実に職務を執行せず議会運営が停滞しているとみられる場合には当該役員に対して自ら職を辞するよう不信任決議をなしうる[6](常任委員長に対しても解任が相当とまではいえない場合には不信任決議をなしうる)。不信任決議によって辞任が強制されたりすることはなく決議に拘束力はないが、当該役員は在任の根拠を失うため自らの進退を決する政治的・道義的責任を負うこととなる[5]。国会役職者に対する不信任決議については法的拘束力があるとみる学説も存在するが、1961年6月8日の「衆議院副議長久保田鶴松君不信任決議案」においてはその可決によっても当然に失職とされたわけではなく、同日午後に久保田副議長から清瀬一郎議長宛に辞職願が提出されたのを受け、国会法第30条に基づいて「副議長久保田鶴松君辞職の件」として記名投票による採決が行われた上で辞職が許可されている[7]

衆議院規則は議員が議長・副議長・仮議長のいずれかの信任又は不信任に関する動議若しくは決議案を発議するときは、理由を附して50人以上の賛成者と連署して議長に提出しなければならないとする(衆議院規則第28条の2第1項・第3項)。発議要件について参議院規則には同旨の規定はないが、同様の重い発議要件を課すべきとされる[5]

役員の不信任に関する議事は一般の議事に対しては優先して扱われる。議長の不信任決議案が発議された場合、国会法上の「議長に事故がある」ものとして扱われる(昭和53年衆議院先例集66)[8]。そして国会法の規定に従って副議長が議長の職務を行い決議案の採決が行われる(国会法21条)。

なお、常任委員長に対する解任決議は本会議で「その院の決議をもって」行われ(国会法30条の2)、常任委員会における不信任決議においてこの規定を援用して委員長を解任することはできない[8](法的拘束力のない不信任決議をなしうるにとどまる)。委員長の信任または不信任動議の議事は、慣例では委員長の指名する委員会理事が代行する[9]

本会議での国会役職者への不信任決議議決例
本会議採決日 議院 対象者 役職 採決 票差 備考
 
1949年(昭和24年)05月31日 参議院 松嶋喜作 副議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1949年(昭和24年)11月30日 衆議院 岩本信行 副議長 否決 129 228 099
1952年(昭和27年)6月27日 参議院 佐藤尚武 議長 否決 031 171 140
1952年(昭和27年)7月1日 参議院 佐藤尚武 議長 否決 028 118 090
1952年(昭和27年)7月31日 衆議院 岩本信行 副議長 否決 102 202 100
1953年(昭和28年)8月1日 衆議院 堤康次郎 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1954年(昭和29年)6月5日 衆議院 堤康次郎 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1956年(昭和31年)5月30日 参議院 寺尾豊 副議長 否決 068 122 054
1956年(昭和31年)6月2日 参議院 芥川治 事務総長 否決 049 128 079
1959年(昭和34年)04月3日 参議院 松野鶴平 議長 否決 065 91 026 参議院における記名投票での最小の票差。
1959年(昭和34年)12月21日 衆議院 加藤鐐五郎 議長 否決 116 224 092
1961年(昭和36年)6月8日 衆議院 清瀬一郎 議長 否決 134 223 089
1961年(昭和36年)6月8日 衆議院 久保田鶴松 副議長 可決 207 150 -057 即日辞任。
1962年(昭和37年)12月22日 参議院 重宗雄三 議長 否決 062 101 039
1962年(昭和37年)12月22日 参議院 重政庸徳 副議長 否決 056 105 049
1963年(昭和38年)6月22日 衆議院 清瀬一郎 議長 否決 129 215 086
1963年(昭和38年)6月22日 衆議院 原健三郎 副議長 否決 113 178 065
1963年(昭和38年)6月29日 参議院 重宗雄三 議長 否決 075 110 035
1965年(昭和40年)05月27日 参議院 重政庸徳 副議長 否決 056 104 048
1965年(昭和40年)05月27日 参議院 重宗雄三 議長 否決 056 105 049
1965年(昭和40年)12月03日 衆議院 田中伊三次 議長 否決 101 173 072
1965年(昭和40年)12月10日 参議院 重宗雄三 議長 否決 069 122 053
1965年(昭和40年)12月10日 参議院 河野謙三 副議長 否決 087 120 033
1969年(昭和44年)7月11日 衆議院 石井光次郎 議長 否決 130 187 057 衆議院における記名投票での否決の最小の票差。
1969年(昭和44年)7月11日 衆議院 小平久雄 副議長 否決 146 204 058
1969年(昭和44年)7月26日 衆議院 松田竹千代 議長 否決 125 212 087
1969年(昭和44年)7月27日 衆議院 藤枝泉介 副議長 否決 134 219 085
1969年(昭和44年)8月3日 参議院 安井謙 副議長 未決 000- 00- 000-
1970年(昭和45年)1月14日 参議院 重宗雄三 議長 否決 098 128 030
1971年(昭和46年)11月26日 衆議院 船田中 議長 否決 101 263 162
1971年(昭和46年)11月26日 衆議院 荒舩清十郎 副議長 否決 094 254 160
1975年(昭和50年)6月30日 参議院 河野謙三 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1975年(昭和50年)07月3日 参議院 前田佳都男 副議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1975年(昭和50年)12月12日 参議院 河野謙三 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1978年(昭和53年)6月14日 参議院 安井謙 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1982年(昭和57年)7月30日 参議院 徳永正利 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1983年(昭和58年)11月28日 参議院 木村睦男 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1992年(平成4年)6月07日 参議院 長田裕二 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
1992年(平成4年)6月13日 衆議院 櫻内義雄 議長 否決 157 326 169 PKO国会
1995年(平成7年)6月13日 衆議院 土井たか子 議長 否決 186 298 112 終戦50年決議の取扱について。
1995年(平成7年)6月13日 衆議院 鯨岡兵輔 副議長 否決 184 299 115 終戦50年決議の取扱について。
1997年(平成9年)12月12日 参議院 斎藤十朗 議長 否決 096 143 047
1999年(平成11年)8月12日 参議院 斎藤十朗 議長 否決 092 139 048
2000年(平成12年)10月19日 参議院 井上裕 議長 否決 096 126 030
2000年(平成12年)11月21日 衆議院 綿貫民輔 議長 否決 001少数 999多数 999不明 起立採決。
2002年(平成14年)7月31日 参議院 倉田寛之 議長 否決 097 135 038
2004年(平成16年)6月5日 参議院 倉田寛之 議長 否決 020 128 108 参議院における記名投票での最大の票差。
2004年(平成16年)6月5日 参議院 川村良典 事務総長 否決 001少数[10] 999多数 999不明 起立採決。[11]
2007年(平成19年)6月20日 衆議院 河野洋平 議長 否決 118 319 201
2010年(平成22年)2月25日 衆議院 横路孝弘 議長 否決 115 326 211 衆議院における記名投票での最大の票差。
2012年(平成24年)8月10日 参議院 平田健二 議長 否決 42 194 152 参議院における押しボタン式投票での最大の票差。
2013年(平成25年)6月26日 参議院 平田健二 議長 否決 100 128 028
2015年(平成27年)9月18日 参議院 山崎正昭 議長 否決 76 148 072 平和安全法案の取扱について。
2016年(平成28年)12月14日 参議院 伊達忠一 議長 否決 72 167 095
※太字は不信任決議可決例
委員会での国会役職者への不信任決議可決例
委員会採決日 議院 委員会 不信任対象者 役職 備考
1948年(昭和23年)12月22日 衆議院 予算委員会 上林山栄吉 委員長 辞任拒否。
1994年(平成6年)1月12日 参議院 政治改革に関する特別委員会 本岡昭次 委員長 即日辞任。
2007年(平成19年)6月18日 衆議院 懲罰委員会 横光克彦 委員長 辞任拒否。

脚注[編集]

  1. ^ 『法令用語事典 第八次改定版』 学陽書房、2001年、204頁
  2. ^ 伊藤正己著 『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、523頁
  3. ^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、121頁
  4. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、844頁
  5. ^ a b c 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、265頁
  6. ^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、264-265頁
  7. ^ 第38回国会 衆議院 本会議 第54号 昭和36年(1961年)6月8日(議事録
  8. ^ a b 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、266頁
  9. ^ ただし当日中に議決に至らない場合には、次回の委員会開会日時を委員長が設定する。委員長代行の者に委任してもよい。(衆議院委員会先例集 平成4年版 1.3(29) p.36)
  10. ^ 会議録では「なしと認めます」と発言があったことから、実際の起立者は0人だった。
  11. ^ 当初は押しボタン式投票で行う予定だったが機械の故障により起立採決に変更された。

関連項目[編集]