山田又司
山田 又司(やまだ またじ、1884年9月3日[1] - 1963年7月21日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。
経歴[編集]
新潟県出身[2]。1908年(明治41年)、慶応義塾大学政治科卒。鉱業に従事する。長岡市議、新潟県議会議員を務め[2]、長岡市青年会長、新潟港湾調査会顧問、長岡商業会議所特別議員、日本金鉱、会津石膏各(株)社長、大阪機械製作所、日蘭公司、北越新報、中央証券取引所各(株)取締役、長岡鉄道、北越印刷各(株)監査役となる[2]。
1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙において新潟2区(小選挙区制)から憲政会公認で立候補して初当選[3]。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙において新潟3区(当時)から立憲民政党公認で立候補して再選[4]。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して三選[5]。以後、1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙まで政友会から立候補した。1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙には出馬せず引退した。
エピソード[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。