釘本衛雄

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釘本衛雄

釘本 衛雄(くぎもと もりお、1880年明治13年)5月25日[1] - 1949年昭和24年)6月23日[2])は、衆議院議員立憲民政党)、福島市長

経歴[編集]

福島県双葉郡幾世橋村(現在の浪江町)出身。浪江郵便局で通信事務員として働いた後、早稲田大学高等予科で学んだ。福島新聞社で記者、主筆を務めた後、福島民友新聞社副社長を経て、1936年(昭和11年)に福島新聞社社長に就任した[3]

また福島県会議員に4度選出され、1931年(昭和6年)からは議長を2度務めた。1937年(昭和12年)、第20回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。

1945年(昭和20年)から2年間福島市長を務めた。戦後、公職追放となり[4]、追放中の1949年(昭和24年)に死去した。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年(昭和12年)、19頁。
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ 『人事興信録』
  4. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、294頁。NDLJP:1276156 

参考文献[編集]

  • 『衆議院要覧(乙)昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。