佐藤元治 (政治家)

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佐藤 元治(さとう もとはる、1891年〈明治24年〉1月31日[1][2] - 1960年昭和35年〉12月16日[2])は、大正から昭和時代の政治家新聞編集者福島県福島市長。

経歴[編集]

佐藤源蔵の長男として[1]、福島県行方郡飯曽村前田(相馬郡飯曽村前田を経て現飯舘村前田)に生まれる[2]早稲田大学の校外生として学んだ[2]。大正前期には「普選の歌」をつくり罰金刑を受け、さらに川俣事件に関与して未決入獄43日、禁錮6か月となった[2]。1918年(大正7年)には米騒動にも加わった[2]

輜重兵として3か月徴兵されたのち、福島で新聞記者となり[2]、福島日日、福島民報各社員、民友、福島、毎日各新聞政治部長、報知新聞福島支局長などを経て、福島憲政、福島大衆各新聞を創刊した[1]国会議員に立候補するも破れたが、のち福島市会議員を3期、福島市長を2期歴任した[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 福島14頁.
  2. ^ a b c d e f g h 福島県 1972, 234頁.

参考文献[編集]