倉成庄八郎

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倉成 庄八郎(くらなり しょうはちろう、1892年4月19日[1] - 1938年4月22日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴[編集]

長崎県出身[2]1924年日本大学法科専門部卒。税務属、長崎県属、会計検査院書記を経て、長崎市議、同議長、長崎県議、同参事会員、となる[2]。また、万朝報記者、長崎民友新聞副社長となる[2]

1937年第20回衆議院議員総選挙において長崎1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1938年、現職のまま死去した。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、8頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』230頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』121頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。