山田順策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

山田 順策(やまだ じゅんさく、1887年(明治20年)2月23日 - 1961年(昭和36年)6月19日)は、日本の政治家実業家歯科医師衆議院議員(2期)、旧静岡市長(1期)。

歯科医、自動車業、金融関係など、多種の業績に貢献した。

経歴[編集]

  • 1887年(明治20年) 庵原郡瀬名村(現在の静岡市葵区)で生まれる。
  • 1911年(明治44年) 東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)卒業。
  • 1912年(大正元年) 静岡市に歯科医院を開業。
  • 1921年(大正10年) 静岡市会議員となる。25年務める。
  • 1923年(大正12年) 静岡自動車株式会社を設立し、初代社長となる。
  • 1925年(大正14年) 静岡県自動車組合連合会会長となる。
  • 1931年(昭和6年) 静岡県会議員(静岡市会議員と兼任)となる。
  • 1931年 静岡乗合自動車協会会長、日本乗合自動車協会副会長となる。
  • 1932年(昭和7年) 静岡県歯科医師会会長となる。
  • 1933年(昭和8年) 日本歯科医師会代議員となる。
  • 1937年(昭和12年) 衆議院議員となる(旧静岡1区、静岡市会議員と兼任)。
  • 1940年(昭和15年) 静岡県自動車学校を設立する。
  • 1942年(昭和17年) 静岡市信用組合(現・しずおか信用金庫)の組合長となる。
  • 1945年(昭和20年) 静岡女子薬学専門学校(現静岡県立大学薬学部)の理事長となる。
  • 1946年(昭和21年) 全国信用組合協会の副会長となる。
  • 1946年 公職追放となる[1]
  • 1951年(昭和26年) 静岡薬学専門学校(現静岡県立大学薬学部)の理事長となる。
  • 1952年(昭和27年) 静岡県歯科技工士協会の顧問となる。
  • 1953年(昭和28年) 静岡信用金庫の理事長となる。
  • 1955年(昭和30年) 静岡市長選挙に立候補し当選。
市政の改革、刷新を図り、積年の赤字約1億2千万円を就任2年で解消。
  • 1955年 県市長会長、東海地区市長会長、全国市長会副会長を務める。
  • 1957年(昭和32年) 静岡ライオンズクラブの会長となる。
  • 1959年(昭和34年) 静岡市長を退任。
  • 1960年(昭和35年) 全国信用不動産会社取締役となる。
  • 1960年 藍綬褒章受章。
  • 1961年(昭和36年) 74歳で死去。勲三等旭日中綬章受章。

備考[編集]

  • 静岡県議会議員の山田誠は山田順策の孫。

脚注[編集]

  1. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。