飯村五郎

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飯村五郎

飯村 五郎(いいむら ごろう、1888年明治21年)4月13日[1] - 1946年昭和21年)5月8日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会昭和会)、弁護士

経歴[編集]

茨城県筑波郡真瀬村(現在のつくば市)出身。飯野茂吉の二男として生まれ、1910年(明治43年)に茨城県会議長飯村忠七の婿養子となった[3]1913年大正2年)、東京帝国大学法科大学を卒業後、一年志願兵制度によって陸軍三等主計に任じられた[4]。退役後は弁護士を開業した。

1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。その間、米内内閣厚生参与官を務めた。 1935年(昭和10年)には昭和会を結党にも参加している[5]

議員として積極的に議会に働きかけた活動として、小貝川河川改修があげられる。 改修により小貝川から切り離された湾曲部分の一つが、現在も常総市上蛇町の吉野公園として残されている[6]

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、12頁。
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ 『代議士月旦』p.167
  4. ^ 『代議士詳覧』p.153-154
  5. ^ 内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  6. ^ 飯村五郎/常総市ホームページ常総市

参考文献[編集]

  • 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。 
  • 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。