寺島権蔵
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寺島 権蔵(てらしま ごんぞう、1888年(明治21年)1月18日 - 1940年(昭和15年)4月9日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、富山県三日市町長。
経歴[編集]
富山県下新川郡三日市町出身。早稲田大学政治科卒業。独立新聞記者、東京毎日新聞記者として活動するかたわら、合名会社横山鉱業部経済調査嘱託を兼ねた。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。さらに三日市町長も兼ね、5期在任した。また廣田内閣では商工参与官に任命された。
その他、富山日報社取締役・富山海底遊覧船株式会社取締役・魚津製氷会社社長などを務めた。
妻は、布施嘉三郎氏の妹であるとの記録がある。
参考文献[編集]
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十二年十一月』 衆議院事務局、1937年。