井阪豊光

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井阪豊光

井阪 豊光(いさか とよみつ、1881年明治14年)12月9日[1]1966年昭和41年)2月26日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会政友本党立憲民政党→立憲政友会→昭和会)、外務政務次官大阪府岸和田市長弁護士

経歴[編集]

大阪府泉南郡八木村(現在の岸和田市)に衆議院議員井阪光暉の長男として生まれる[1][3]1910年(明治43年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、弁護士を開業した[1]

1920年大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回第16回と当選を重ねた。その後、岸和田市長に選出された。

1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙で返り咲きを果たし、第21回まで連続当選を果たした。その間、岡田内閣で外務政務次官に就任した。

戦後、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となる[4]。追放解除後は政界に復帰することはなかった。

その他、財団法人寺田病院理事、尼ヶ崎城内土地株式会社監査役、水間鉄道取締役、帝国護謨製造株式会社取締役などを務めた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 人事興信録 第10版 1934.
  2. ^ 衆議院議員名鑑 1990.
  3. ^ a b 衆議院要覧 1942.
  4. ^ 総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年165頁。NDLJP:1276156 

参考文献[編集]

  • 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』 衆議院事務局、1942年
  • 人事興信所編 『人事興信録 第10版 上巻』 人事興信所、1934年
  • 衆議院・参議院編 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』 大蔵省印刷局、1990年