松竹

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松竹株式会社
Shochiku Co., Ltd.
東京劇場ビル。
本社及び関連部署、子会社と上映館が入居している。
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9601
1949年5月16日上場
大証1部(廃止) 9601
1949年5月14日 - 2013年7月12日
福証 9601
1949年7月上場
札証 9601
1950年4月上場
本社所在地 日本の旗 日本
104-8422
東京都中央区築地4丁目1-1
設立 1920年11月8日(帝国活動写真株式会社)
業種 情報・通信業
法人番号 6010001034809 ウィキデータを編集
事業内容 映画事業
演劇事業
代表者 代表取締役社長 迫本淳一
資本金 330億18百万円
発行済株式総数 1億3937万8578株
売上高 連結:889億円
単独:532億円
(2014年2月期)
営業利益 連結:86億円
単独:52億円
(2014年2月期)
純利益 連結:20億円
単独:15億円
(2014年2月期)
純資産 連結:695億円
単独:710億円
(2014年2月末日現在)
総資産 連結:2,037億円
単独:1,359億円
(2014年2月末日現在)
従業員数 連結:1,227人 単独:535人
決算期 2月末日
主要株主 歌舞伎座 3.44%
みずほコーポレート銀行 3.22%
主要子会社 松竹ブロードキャスティング 100%
松竹マルチプレックスシアターズ 100%
関係する人物 白井松次郎
大谷竹次郎
小山内薫
城戸四郎
永山武臣
奥山融
外部リンク http://www.shochiku.co.jp/
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松竹株式会社(しょうちく)は、日本映画演劇の制作、興行、配給を手掛ける会社。歌舞伎の興行については現在ほぼ独占的に手がけている。創業は1895年で設立は1920年11月8日(帝国活動写真株式会社の設立日)である。

概要

元来は演劇興行。現在は歌舞伎を主に新派、松竹新喜劇も手掛ける。かつては、文楽(人形浄瑠璃)や歌劇(SKD - 松竹歌劇団、OSK - 大阪松竹歌劇団)、演芸浅草松竹演芸場道頓堀角座神戸松竹座等)から相撲興行やプロ野球セ・リーグ加盟の松竹ロビンス)、ボウリングアイススケートリンクの運営等幅広い活動を行い、一時は松竹交響楽団なる本格的なオーケストラまで所有していた。

1995年には創立100年事業の一環として松竹大船撮影所の敷地内に「鎌倉シネマワールド」なるテーマパークを開業させたが、不入りでわずか3年で閉鎖に至った。

メディア対策として、東宝大映(現:角川書店)等と共にフジテレビジョン(フジテレビ)の会社設立に参加(1959年開局)。なお、現在はフジテレビ旧会社法人の後身に当たるフジ・メディア・ホールディングス株式の殆どを放出している反面、松竹大株主の10位以内に東京放送ホールディングス(TBSHD)の名が連なるなど放送局との関係に変化が見られる(両者とも認定放送持株会社である)。

一方では通信衛星を利用した自社製作の番組(映画、テレビドラマ、劇場中継等)を中心に流す「衛星劇場」「ホームドラマチャンネル」等を立ち上げ、現在に至る。

2005年、創業110年を記念した女優発掘オーディション松竹STAR GATE歌舞伎座で開催。

かつては松竹で社員監督には助監督時代から脚本が書けなければなれないと言われており、他社の作品と比較し、監督が脚本を兼務する作品が非常に多かったのが特徴であった。[要出典]

歴史

映画

松竹映画

主要作品

1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年 - 2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年(予定)

主要監督

主要脚本家

主要俳優

男優
女優


この元専属の男女優達の中で『小津映画最後のヒロイン→映画「極道の妻たちシリーズ」へ』の岩下志麻を象徴として、松竹退社後や1970年代初めの日本映画界の斜陽化以降、映画・テレビドラマでの役柄や世間のイメージが松竹時代から激変してしまったスターが多い。

しかし、今ではDVD化・ビデオ化の充実やテレビ放映(上記の衛星劇場など様々なチャンネル)で、誰もが彼らの変わる前の松竹時代の作品に気軽に接することが出来る。

オープニングロゴ

1936年に撮影所を蒲田から大船に移した時期に富士山の背景による松竹タイトルが初登場した。横書きで「松竹映画」の文字が出てくるのは戦中で、戦後は様々なバリエーションの松竹タイトルが作られるも結局は富士山背景のバージョンに落ち着いた。 1980年代序盤に「松竹映画」のロゴを一新、2000年「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の配給に際して、既存のロゴが似合わないという声があり、富士山をイメージしたCGに「SHOCHIKU」と表記する新たなオープニングが製作された。その後、既存のオープニングを基に図案化したCGによる富士山を背景にローマ字で「Shochiku」と表記するオープニングも製作され、主に時代劇や山田洋次監督作品で使用されていた。

2015年の創業120年を機に、本物の富士山の映像をバックに「松竹」の文字とロゴを映し出したものにリニューアル。制作はチームラボ[2]、撮影・VFXはIMAGICAウェスト[3]が行った。

ちなみに1930年代前期から戦中にかけてエンドタイトルの後に松竹マークが数秒間映し出される作品共通の演出が用いられていた。この演出は戦中から終戦期の作品では松竹マークを背景に「終」の文字が映し出されるものに変わり、戦後は用いられなくなった。

撮影所

2011年現在、京都撮影所のみ現存している。

松竹洋画

洋画買付

1920年(大正9年)11月1日、松竹キネマ合名社創業と同時に、東京歌舞伎座にて自社作品との併映の形で洋画の興行を開始したのを嚆矢とする。松竹キネマ合名社内には外国部が設置され、洋画の買い付けにあたった。同年12月31日、銀座金春館を洋画専門劇場として開場。生駒雷遊徳川夢声といった一流活弁士を出演させた。翌1921年(大正10年)からは浅草の帝国館を松竹洋画の拠点と定めたが、大作の一部は歌舞伎座や明治座でも興行を行った。

一方、関西松竹合名社の手により、1923年(大正12年)5月17日には道頓堀大阪松竹座が完成。洋画興行と松竹楽劇部(のちのOSK日本歌劇団)による音楽舞踊のアトラクションを採り入れ話題となった。同年9月1日の関東大震災により、松竹キネマ合名社の外国部は大阪に移転。浅草帝国館は復興し、引き続き松竹洋画の本拠としたが、外国映画社の日本支店の多くは京阪神地区に移転していたため、事実上大阪松竹座が基幹劇場となっていた。

1924年(大正13年)、関西松竹合名社は国産映画の量産に力を入れることになり、洋画の輸入買付を手控える。以降同社は外国映画社から提供を受けた作品を配給する事に専念した(フリー・ブッキング制)。

松竹座チェーン

1924年(大正13年)6月、松竹キネマ合名社は新宿武蔵野館と提携。1926年(大正15年)には新宿武蔵野館に代わり目黒キネマが封切館に加わったが、やがて自社作品の拡充のため外国部を廃止して洋画興行および配給から撤退した。

一方、関西松竹合名社は大阪松竹座の成功に伴い、1924年12月31日に新京極の明治座を「京都松竹座」に改称して洋画興行を開始、翌1927年(昭和2年)には新開地の「神戸松竹劇場」を「神戸松竹座」に改称し、また「名古屋末広座」を買収して「名古屋松竹座」とするなどにより、松竹座チェーンが形成された。

1928年(昭和3年)8月、浅草松竹座が開業し、翌1929年(昭和4年)9月には四谷大木戸の「山手劇場」を「新宿松竹座」と改称。松竹座チェーンは東京に進出。また大阪松竹座・浅草松竹座にそれぞれ輸入部を設け、洋画の購入を再開した。

SPチェーン

1931年(昭和6年)5月、松竹座チェーンのライバルであったパラマウント映画チェーンと合併することとなり、松竹パ社興行社を設立。浅草大勝館新宿松竹座有楽町邦楽座・新宿武蔵野館・浅草電氣館・大阪松竹座・京都松竹座・神戸松竹座・大阪公楽座を直営劇場として洋画興行を行なったが、これに11月から日比谷帝国劇場が加わった。

トーキーと字幕の発達により、活動弁士の解雇が相次いだ。

SYチェーン

1933年(昭和8年)5月、パラマウント側が本来の映画配給に専念すべく、興行も含めた松竹パ社興行社から撤退。同年6月からSYコンパニー(松竹洋画興行部)が発足した。浅草常盤座新宿昭和館が新たに加わり、都内の配給網は2系統になった。この後も契約館を増やし、運営母体も1936年(昭和11年)4月には松竹興行から独立して松竹洋画興行社となった。

1937年(昭和12年)4月、松竹キネマが松竹興行を合併し、現在の「松竹株式会社」となったため、松竹洋画興行社も合併に参加して、松竹株式会社の洋画部になった。さらに翌1938年(昭和13年)洋画の新規輸入が許可制になったため、輸入件数が減少し、洋画部は映画部洋画課に、翌1939年(昭和14年)には映画部洋画興行係に機構が縮小されていった。

1940年(昭和15年)、帝国劇場を失い、洋画購入件数も減少するが、却って希少価値を生んだため興行成績は良好であった。しかし1942年(昭和17年)4月に戦時統制に伴う「社団法人映画配給社」が設立され、松竹の洋画興行はここで一旦終止符が打たれた。

1946年(昭和21年)、占領軍により設置された「セントラル映画社」から、東宝と共に洋画興行を引き受けて復活。セントラル映画社との交渉がこじれ一旦打ち切られるが、翌1947年(昭和22年)、松竹保善社の名で再契約し、「浅草ロキシー映画劇場」(旧金龍館)で洋画興行を行い、同館内に「ロキシー興行社」を設置して洋画興行を復活させた。1949年(昭和24年)3月、接収されていた「有楽町邦楽座」が「ピカデリー劇場」として返還されたのを機に、ロキシー興行社を解消して松竹本社内に洋画係を復活。1950年(昭和25年)に洋画配給課が設置され、1927年(昭和2年)以来(※)の洋画配給を復活させた(※松竹キネマ時代から数える)。

1951年(昭和26年)11月、ユナイテッド・アーティスツ社(ユナイト映画)と提携。興行・配給成績共に洋画界の覇権を握る。配給部門は1955年(昭和30年)に外画部、1958年(昭和33年)に外国部に改められると共に業容を拡大した。

1959年(昭和34年)ユナイト社との提携を解消。別途セレクト・インターナショナル映画社と合弁で「松竹セレクト国際映画」を設立して、洋画配給部門を独立させた。しかし、翌1960年(昭和35年)には基幹劇場の築地・松竹セントラル劇場等数館が日本映画の上映館に転換。「SYチェーン」は事実上崩壊し、全国をカバーする洋画興行はすべて東宝が握る事になった。

STチェーン

1962年(昭和37年)、松竹セレクト国際映画はセレクト側が撤退したため、松竹国際映画に改称。しかしながら依然として洋画配給としては弱体であったため、映配株式会社と合併することとなり、同年10月、松竹映配が発足。一方の興行チェーンも東急レクリエーションと提携することで独自の興行チェーンを復活。同年9月に「松竹・東急チェーン」(STチェーン)が発足した。なお、東急との関係で東映洋画系もこれに含まれることがある。

一方、買付映画の不振により松竹映配の業績は悪化。1973年(昭和48年)8月に解散することとなり、受け皿会社として同年9月に富士映画を発足。1983年(昭和58年)、松竹富士に改称したが、これも1999年(平成11年)に合理化のため解散、配給部門としては長期低迷が続いている。現在、松竹の洋画配給は本社映像本部が行っている。

映画館

2011年3月までの直営映画館

(以下の映画館、シネコンはいずれも2011年3月から松竹マルチプレックスシアターズが運営。)

子会社経営

共同経営

2011年3月1日に松竹本社が映画興行部門を松竹マルチプレックスシアターズに譲渡したため、松竹本社の直営映画館やシネコンは現在存在しない。
早稲田松竹を経営している松竹映画劇場株式会社は松竹グループに属していない別会社である。同社の実態は不動産賃貸業で、シブヤ西武(旧渋谷松竹映画劇場跡)が主な物件である。ただし、現松竹社長の迫本淳一が大学卒業後の一時期所属していたことがある。

テレビ作品

松竹は経営参加を行ったフジテレビジョンを通じてテレビ進出を図るが、テレビ番組はそれよりも前に手掛けていた。初期はテレビ映画がメインであったが、大阪・毎日放送(MBS)とスタジオドラマを共同製作していた例もある。なお、大阪地区では他に朝日放送(ABC)と組んだ「道頓堀アワー」(角座から演芸中継)や読売テレビと組んだ「親バカ子バカ」等一連の寛美物のテレビドラマがあった。2000年代以後は単発の2時間ドラマ制作を僅かに見かける程度に縮小している。

ドラマ

時代劇

現代劇

アニメ・特撮

以下の作品は代表的なものをピックアップしたものである。ほとんどは単独製作ではなく松竹映像商品部が製作委員会に加入する形式で製作されている。

アニメ

2008年にはOVA作品『絶対衝激 〜PLATONIC HEART〜』のDVD発売元となっている。

特撮

松竹がこの分野に本格的に参入したのは上掲の通り、つい近年のことである。しかしながら、1960年代に黒い編笠などのヒーローものに連なる30分ドラマを制作し、その中で散発的に特撮を使った作品を製作しており、また劇場用映画として1967年宇宙大怪獣ギララ1968年吸血鬼ゴケミドロ吸血髑髏船昆虫大戦争を僅か4本ながら製作している(この「ギララ」は「男はつらいよ 寅次郎真実一路」にも冒頭の寅次郎の夢シーンで登場する)。尚、ゴケミドロの企画及び特撮にピープロダクションが参加しているが、同社は同時期の神州天馬侠とでも特撮を担当している。

アニメーションへの参入は更に古く、1933年に「力と女の世の中」を松竹蒲田撮影所が製作するが経済的事情により、わずか3作品で終わる(いずれも現存せず)。1941年には、当時の漫画映画ブームに着目して松竹動画研究所を設立、「フクちゃんの奇襲」(原作・横山隆一)など戦時下にも拘わらず終戦までに6作品を製作発表している。この松竹動画研究所は日本アニメーション界の草分け的存在であり、日本のアニメーション史に名を残す傑作『くもとちゅうりっぷ』や『桃太郎 海の神兵』など、叙情的なアニメ作品を戦時中に世に送り出したことで知られる。セル画の全編使用などアニメーションの製作技法を確立し、クオリティの高さに手塚治虫が感涙した逸話もある。これらの経緯から日本のアニメーションに、直接的にも間接的にも多大な影響を与えている。

演劇・諸芸

南座(京都四条川端南東角)
歌舞伎座(4代目)
大阪松竹座(大阪道頓堀)
新橋演舞場

歌舞伎

多くの歌舞伎俳優と専属契約を結んでおり、歌舞伎の制作ならびに興行をほぼ独占している。昭和以降、歌舞伎俳優の集約が進み歌舞伎興行を事実上、独占することとなった。国立劇場での歌舞伎公演も、松竹の協力なしには成り立たない。歌舞伎座南座大阪松竹座など傘下の劇場で定期公演を行うほか、『松竹大歌舞伎』として全国巡業を実施し、国立劇場公演にも協力している。

新派

松竹新喜劇

歌劇

1922年(大正11年)、大阪松竹座開場にあたり松竹楽劇部(後、大阪松竹歌劇団)を創設。1928年(昭和3年)に東京松竹楽劇部(後、松竹歌劇団)が創設された。東西それぞれでレビューを上演し、少女歌劇文化の隆盛に貢献した。1957年(昭和32年)に大阪松竹歌劇団が松竹から独立し、OSK日本歌劇団と改称して今日に至る。松竹歌劇団は東京を中心に活動を続けたが衰退し、1990年にレビューを終了し1996年に解散した。2004年以降、OSKが松竹傘下の劇場で定期公演を行うようになったが、いまも直接の関係はない。

  • 東京の国際劇場を拠点に興行されていたレビューについては松竹歌劇団の項を参照のこと。
  • 大阪の大阪松竹座大阪劇場(大劇)・松映(戦前のみ)を拠点としていたレビューについては、OSK日本歌劇団の項を参照のこと。

人形浄瑠璃

  • 1909年(明治42年)から1963年(昭和38年)まで、人形浄瑠璃(文楽)の制作ならびに興行を独占していた。文楽の項を参照のこと。

演芸

劇場

下記劇場は年数回松竹の興行が行われる。

※劇場ではないが、徳島県鳴門市の大塚国際美術館システィーナ礼拝堂において、2009年から年1回歌舞伎の興行が行われている。『和と洋のコラボ』がメインテーマで、毎年新作が製作されている。

付帯事業

賃貸不動産

映画・演劇と並ぶ基幹事業となっている。

旧本社跡地にSPCを通じて建築された築地松竹ビル(銀座松竹スクエア)
グルメシティ京極店が入居する京都松竹第二ビル

プロ野球

松竹ロビンスの項を参照。なお、松竹は役員派遣以外は本格的に球団経営には携わらず、あくまでもスポンサーの立場で終始していた。

アイススケートリンク

ボウリング場

現在は全て撤退している。

  • 東京築地
  • 東京新宿
  • 東京浅草
  • 京都太秦
  • 神戸新開地

ほか

連結子会社

ほか

かつて存在した施設

かつて存在した劇場

  • 帝国劇場東宝経営で存続)
  • 新富座江戸三座のひとつ森田座の後身。現・京橋税務署ならびに東京都中央都税事務所。)
  • 市村座(江戸三座のひとつ。末期の下谷二長町時代に経営。現・凸版印刷本社。)
  • 明治座(松竹の手を離れて存続)
  • 国際劇場(現・浅草ビューホテル)
  • 浅草松竹座(現・浅草ROX
  • 浅草松竹演芸場(現・浅草ROX)
  • 浅草松竹新劇場(傍系会社・中映に移管後、「浅草新劇場」に改称。2012年閉鎖。)
  • 浅草常盤座(現・浅草ROX3…改築工事中)
  • 新宿第一劇場(新歌舞伎座・新宿松竹座。現・IDC大塚家具新宿ショールーム)
  • 新宿松竹座(大国座・新宿歌舞伎座・新宿大劇場。現・IDCフロンティア本社)
  • ムーランルージュ新宿座(作文館。松竹の経営は戦時中の一時期のみ。現・新宿国際会館)
  • 東京劇場(松竹マルチプレックスシアターズ経営の映画館として現存)
  • 東横劇場(東横ホール。東急百貨店所有。現・東急百貨店東横店「東急レストラン街」)
  • 名古屋松竹座(矢場町所在。現・マンション)
  • 中京劇場
  • 京都明治座(のちの京都松竹座、2001年11月閉鎖)
    • 2001年12月に近接部にMOVIX京都(本館・現:South)が竣工。
  • 京都座(のちの京都ロキシー、1999年閉鎖)
    • 2005年に京都明治座跡地を跨いで京都松竹座ビルとして建て替え竣工し、低層部に紀伊国屋書店 京都MOVIX店、上層部にMOVIX京都(新館・現:North)で構成される
  • 夷谷座(のち京都松竹劇場を経て京都ピカデリー。現・グルメシティ京極店)
  • 京都歌舞伎座(のちのSY松竹京映(京極映画劇場)。現・ダイニング・バー「ネロ・パッソ」)
  • 文楽座(四つ橋・佐野屋橋南詰。現・大丸心斎橋店の提携駐車場ビル)
  • 道頓堀浪花座(道頓堀五座の一つ。現・商業施設「道頓堀ゼロゲート」。)
  • 道頓堀中座(道頓堀五座の一つ。現・商業施設「中座ビル」。松竹とは無関係)
  • 道頓堀角座(道頓堀五座の一つ。)
    • 最終的に映画館ビルとなっていたが、廃座の上、2008年土地建物を第三者に売却。2013年7月28日より松竹芸能が所有者より賃借する形で演芸場「松竹芸能 道頓堀角座」を開場。
  • 道頓堀朝日座(道頓堀五座の一つ。東映に売却)
  • 道頓堀弁天座(道頓堀五座の一つ。文楽座・道頓堀朝日座。現・商業施設「DOBOXビル」)
  • 大阪歌舞伎座(現・ビックカメラなんば店)
  • 大阪劇場(現・なんばオリエンタルホテル)
  • アシベ劇場(現・アムザ1000)
  • 松映(新世界。旧・大阪国技館。現・駐車場)
  • 神戸松竹劇場(現・パチンコ店)
  • 神戸松竹座(現・パチンコ店)
  • 神戸八千代劇場

かつて存在した主な映画館

脚注

  1. ^ 松竹120年の歴史を彩る映画音楽集発売、坂本龍一が手がけた「母と暮せば」など”. 映画ナタリー (2016年1月7日). 2016年1月7日閲覧。
  2. ^ 松竹オープニングロゴと松竹創業120周年のロゴを、チームラボが制作”. News Detail. チームラボ (2014年12月17日). 2015年2月19日閲覧。
  3. ^ 松竹オープニングロゴを制作” (PDF). IMAGICAウェスト (2014年12月25日). 2015年2月19日閲覧。
  4. ^ (第50話までの製作を担当していた)東伸テレビ映画が倒産したことに伴う措置
  5. ^ a b c 京都市学区大観(京都市学区調査会、1937年8月1日発行) p.550

関連項目

外部リンク