ニュース映画

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ニュース映画(ニュースえいが)は、映画館で上映される短編映画の一種で、ニュースを題材にして継続的に制作及び上映される作品群のことである。

概要[編集]

1908年フランスパテ兄弟社が長編映画の前にニュース映画を上映するようになったのが始まりとされる。

日本においては、1930年松竹による「松竹ニュース」が定期的に製作されたニュース映画の始まりとされているが、一説には、1914年に東京キネマ協会が開始した「東京シネマ画報」が、定期的に製作されたニュース映画の始まりであるとも言われている。

1934年頃から、トーキーの発達に伴い新聞社を主体に製作活動が活発となった。また、皇室、並びに大日本帝国国軍関連のニュースについては、必ず冒頭に取り上げており、「日本ニュース」第1号(1940年6月封切)の記念すべきトップニュースが「昭和天皇関西御巡幸」であった。またこの皇室、並びに国軍関連のニュースでは敬意を表すために画面右端(縦書きの場合。作品内容により項目名の前に大書する場合もある)に「脱帽」の文字を入れてあった。

1941年以降1945年の終戦までは、国策宣伝のために情報統制がかけられ、自由な製作はできなくなり、また、全国の映画館で上映が義務付けられていた。また皇室、戦争・国軍に関連したもの、国外ニュースの一部については当時の陸軍省海軍省の厳格な審査検閲が必要であったため、それをクリアした項目については「陸軍省(海軍省)検閲済」という字幕が表示された。

戦後は、再び新聞社を主体にニュース映画の製作が復活した。しかし、1960年代になると、テレビの普及やテレビニュースの発達に伴い、衰退。大手ニュース映画作品も全て製作を終了しており、現在ニュース映画を上映する映画館はほとんどなくなった。

一般の劇映画 (本編) の前座として短編アニメ映画と共に上映された他、ニュース映画を専門に上映するニュース映画専門館もあった。

アメリカにおいては、複数のニュース映画を上映する際のフィルム交換時間の穴埋めとして、短編のアニメ映画が上映された。日本でも有名な『トムとジェリー』は、その目的で製作されたアニメ映画である。

日本国内における代表的な制作会社[編集]

「日本ニュース」[編集]

  • 1940年4月 - 社団法人日本ニュース映画社設立。
  • 1940年5月 - ニュース映画統制の下に国策ニュース映画としての「日本ニュース」製作開始。
  • 1941年5月 - 社団法人日本映画社に改組。
  • 1945年10月 - 社団法人日本映画社を解散。
  • 1945年12月 - 株式会社日本映画社に改組。
  • 1946年1月 - 新たに「日本ニュース」第1号としてスタート。
  • 1951年12月 - 東宝の全額出資による株式会社日本映画新社(日映新社)に改組。この時から東宝が配給を担当し、全国東宝系劇場で上映されることになる。
  • 1952年1月 - 朝日新聞社と提携が成り、「朝日ニュース」に改題。
  • 1959年4月 - シネスコ化。
  • 1975年4月 - カラー化。週刊から隔週刊に公開時期を変更。
  • 1976年4月 - 朝日新聞社との提携を解消。「日本ニュース」に復題。
  • 1985年5月 - 公開時期を3週間に1回に変更。
  • 1992年3月 - 取材活動を終了。
  • 1992年9月 - 終刊。

1955年までの作品は「朝日ニュース」も含め、NHKに権利一切が譲渡されている。また、1955年以降の作品は「朝日ニュース」も含め日本映画新社が保有し続けていたが、2008年より同じ東宝グループ会社の東宝ステラに移管されている(日本映画新社は2009年に解散した。)。なお、1946年までの作品は川崎市市民ミュージアムで視聴可能である。また、1945年までの一部作品は、2009年8月13日から10月12日までの期間限定ながら無料で「NHK 戦争証言アーカイブス トライアルサイト[1]」にて公開された。なお2010年8月よりオープンした正式サイトでは、1940 - 1945年までに公開された264本のうち254本が視聴でき、2011年5月18日から戦後編(2012年4月28日現在、1948年12月分まで、1-155号視聴可能)も公開された。[2]

1940年の第1号から敗戦後の51年までの日映作品のうち、解説入りのダイジェスト版が1979年5月-80年3月、NHK総合テレビ「NHK特集 激動の記録」(全5回)として放映され、2008年にはNHKエンタープライズがDVDとして商品化。1946年-1951年の作品については、1990年代にNHK衛星放送で「ニュースで見る昔の日本」で5分間に編集したものを放送していたこともある。

戦争期間中の冒頭の映像

第二次世界大戦が行われた最初の2年間には国民一致団結して戦争に勝利しようという願いをこめた映像字幕が上映されたことがあった。

  • 1941年末-1942年11月頃 まず冒頭にグライダーが上空を飛行する画像(それをバックに発行号数)→海軍攻撃の模様を写しながら「大東亜戦争完遂へ!」という字幕(縦書き)
  • 1942年12月頃-1943年11月頃 日本と極東・東南アジア地域の地図をバックに「戦ひ抜け!大東亜戦争」→後に「撃ちてし止まむ」(縦書き)→引き続き発行号数(当初は地図をバック。その後ブラックバック)

読売新聞社関係のニュース映画[編集]

「讀賣新聞ニュース」(「讀賣ニュース」)[編集]

  • 1937年4月 - 読売新聞社が制作。全国の映画館で上映される。
  • 1940年5月 - ニュース映画統制のため製作が打ち切られることになり、終刊。

「讀賣国際ニュース」[編集]

  • 1949年3月 - 国際映画社が「国際ニュース」の製作を開始。配給は松竹
  • 1950年7月 - 国際映画社は読売新聞社に買収され、読売映画社と改称(現・読売映像)。「国際ニュース」も「讀賣国際ニュース」と改題し、引き続き松竹が配給。
  • 1960年7月 - シネスコ化。
  • 1997年 - 終刊(大手のニュース映画は、これで全て終刊となる)。

朝日新聞社関係のニュース映画[編集]

「朝日映画週報」[編集]

  • 1924年4月 - 朝日新聞社が制作。全国の映画館で上映される(後「アサヒキネマニュース」に改題)。

「朝日世界ニュース」[編集]

  • 1934年7月 - 当初同年2月アメリカ・ユニバーサル映画と提携して開始した「朝日ユニバーサルニュース」と5月ドイツ・ウーファ社と提携した「朝日ウーファニュース」の隔週上映だった物を、「朝日世界ニュース」として一本化。同時に毎週公開に変更。なお、製作は朝日新聞社となっていたが、実際はPCL社のニュース部が担当した。
  • 1937年12月 - 朝日新聞社、PCL社の後身である東宝映画と共同で朝日映画製作株式会社を設立し、同社に「朝日世界ニュース」の製作を移管。
  • 1940年4月 - ニュース映画統制のため製作が打ち切られることになり、終刊。

「朝日ニュース」[編集]

  • 1952年1月 - 日本映画新社との提携が成り、同社製作の「日本ニュース」を「朝日ニュース」に改題(号数は「朝日世界ニュース」の最終号・330号から継承した331号から開始した)。
  • 1976年4月 - 日本映画新社との提携を解消(「日本ニュース」参照)。

以下の作品は、朝日新聞社との直接の関係はない。

「新世界ニュース」[編集]

  • 1946年3月 - 朝日映画製作の後身、朝日映画社が「新世界ニュース」を製作開始。配給は松竹。
  • 1947年2月 - 朝日映画社は新世界映画社と改称。
  • 1949年2月 - 新世界映画社の債務超過のため業務停止となり、終刊。

「東映ニュース」[編集]

毎日新聞社関係のニュース映画[編集]

「東日大毎国際ニュース」[編集]

  • 1924年 - 大阪毎日新聞社が「大毎キネマニュース」を製作。全国の映画館で上映される。
  • 1933年 - 「大毎東日キネマニュース」に改題。
  • 1935年7月 - 外国通信社との提携により「東日大毎国際ニュース」に改題。毎週公開となる。
  • 1940年4月 - ニュース映画統制のため製作が打ち切られることになり、終刊。

「毎日NBCテレビニュース」[編集]

「毎日世界ニュース」[編集]

  • 1947年2月 - 理研映画社が「理研文化ニュース」の製作を開始。時事通信社の提供による。配給は大映。
  • 1952年4月 - 理研映画社は日米映画社を合併して新理研映画社と改称。
  • 1952年8月 - ニュース映画も合併することとなり、「理研文化ニュース」は終刊。代わりに毎日新聞社提供の「毎日世界ニュース」の製作を開始。配給は引き続き大映が担当。
  • 1960年7月 - 「大毎ニュース」に改題。同時にシネスコ化。
  • 1970年5月 - 配給元の大映が日活と配給網を一元化することに伴い製作が打ち切られることになり、終刊。

※現在は放送番組センターが保有。1956年以降の作品は放送ライブラリーで視聴可能。1952年-1953年の作品については、1990年代にNHK衛星放送で「ニュースで見る昔の日本」で5分間に編集したものを放送していたこともある。

「毎日ニュース」[編集]

  • 1954年12月 - 毎日新聞社が戦後再び直接製作に携わるニュース映画として「日活世界ニュース」の製作を開始。同じく映画製作活動を再開した日活が配給を担当。
  • 1955年1月 - 毎日新聞社、毎日映画社を設立し、「日活世界ニュース」の製作を移管。
  • 1960年9月 - 「毎日ニュース」に改題。シネスコ化。
  • 1970年6月 - 配給元がダイニチ映配になる(1971年9月 大映に変更、1972年1月日活に復帰)。
  • 1977年8月 - 週刊上映を取りやめる。
  • 1981年10月 - カラー化。
  • 1992年4月 - 終刊。

※後年日活系映画館での上映はほとんどなくなり、東京地区では八重洲・観光文化ホールのみの上映となった。また、1991年4月から12月までは「毎日ニュースアングル」の題名で制作された。

※「日活世界ニュース」時代の作品は毎日放送が権利を所有し、一部インターネット上で公開されている。
※「毎日ニュース」時代の作品は毎日映画社が権利を所有し、一部インターネット上で公開されている。

日本以外の国と地域における代表的な制作会社[編集]

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脚注[編集]

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  1. ^ NHK 戦争証言アーカイブス トライアルサイト
  2. ^ NHK戦争証言アーカイブスについて - NHKオンライン「総局長会見資料」 2010年7月22日閲覧