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2010年2月18日 (木) 10:33時点における版

成田国際空港
Narita International Airport

IATA: NRT - ICAO: RJAA
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 千葉県成田市
種類 商業
運営者 成田国際空港株式会社
運用時間 6:00 - 23:00
標高 43 m (141 ft)
座標 北緯35度45分50秒 東経140度23分30秒 / 北緯35.76389度 東経140.39167度 / 35.76389; 140.39167座標: 北緯35度45分50秒 東経140度23分30秒 / 北緯35.76389度 東経140.39167度 / 35.76389; 140.39167
公式サイト http://www.narita-airport.jp/jp/
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
16R/34L IIIb 4,000×60 舗装
16L/34R I 2,500×60 舗装
リスト
空港の一覧
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成田国際空港(なりたこくさいくうこう、: Narita International Airport)は、千葉県成田市の南東部、三里塚地区にある国際空港である。

首都圏に発着する国際線や、主要都市への国内線航空便が発着する空港法4条で法定されている空港である。日本国内では広く「成田空港」もしくは「成田」と言う呼び方が定着している。また、国際的な視点から見ると、日本の首都である東京の国際空港として機能しているため、千葉県内に空港が所在しながらも便宜上「東京成田」(: Tokyo-Narita)あるいは単に「東京」とも言われることがあるが、羽田空港と区別するため前者が用いられることが多い。航空法上の混雑空港である。

2004年4月1日成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団 (New Tokyo International Airport Authority, NAA) が日本政府による100%出資で設立された成田国際空港株式会社 (NArita International Airport Corporation, NAA) に改組し民営化(特殊会社化)された。これに合わせ、空港の正式名称もそれまでの「新東京国際空港」から「成田国際空港」に改称された。記述の通り、英字略称は旧公団時代から現在に至るまで同じ「NAA」である。

概要

  • 開港:1978年5月20日
  • 航空機発着回数:18万8820回(2006年)日本第2位(1位は羽田空港
  • 航空旅客数:約3548万人(2007年)日本第2位(1位は羽田空港)、世界第24位
  • 航空貨物取扱量:約225万トン(2007年)日本第1位、世界第7位
  • 空港敷地面積:940 ha(計画1,080 ha)
  • 滑走路
    • A滑走路:16R/34L, 4000×60 m(16R・34LともILSを装備 16RはCatⅢb)
      • 着陸帯 ‐ 4120×300m
    • B滑走路:16L/34R, 暫定2500×60 m(16L・34RともILSを装備)
      • 着陸帯 ‐ 2620×150m(暫定。当初計画 2620×300m )
        • B滑走路は、延長工事の予定が順調とし、当初予定の2010年3月から前倒しして2009年10月22日から供用開始
  • 誘導路:延長 約25.5 km 幅30 m(一部23 m)(暫定計画を含む)(計画延長 約34.2 km 幅30 m)
  • 航空保安無線施設
    • ILS 4式(計画ILS6式)
    • VOR/DME 2式
  • エプロン:面積 約218 ha (計画面積 約260 ha)
  • スポット:137スポット(工事により一部閉鎖中のものを含む)(計画143スポット)
  • 運用時間:24時間
  • 利用時間:6:00 - 23:00(航空機の通常発着時間帯に制限)
  • 誘導路の延長・エプロンの面積の推移は「誘導路の延長とエプロンの面積の推移」を参照

空港機能

全体計画図(詳細は成田空港施設配置図(PDFファイル)を参照)

日本を代表する空の玄関口の一つであるが、歴史的経緯により、開港後30年以上経過した2009年現在も全体計画が完了していない。開設後の拡張工事も進まず、騒音問題からの使用時間制限などもあり、羽田空港の再拡張及びそれに伴う再国際化を行う計画が進んでいる。

A滑走路(第1滑走路)は関西国際空港の第2滑走路(06L/24R)と並び日本では最長の4,000m滑走路を有している。ただし、A滑走路南端から約800mの位置に、反対派の「団結小屋」が建つ未買収地が234残っていたためアプローチ帯を建設できず、本来ここにあるべき進入灯はA滑走路南側内に750mにわたって設置されており、南側から着陸する場合は実質3,250mの滑走路としてしか利用できない。その後、当該範囲の土地の取得により、2009年度よりアプローチ帯を建設する事となり、現在A滑走路南側内にある進入灯をアプローチ帯へ移設させる工事を行っており、4,000mの滑走路として完全運用へ移行する予定である。

B滑走路(第2滑走路)は土地買収が進まなかったため、反対派住民の住居などを避けるため、B滑走路の一部を計画時より北西側に延伸させ、2002年4月18日に、本来の長さより短い2,180mの暫定滑走路として供用開始された。このためB滑走路の離着陸には制約が設けられ、重量の大きなB747以上の大型機と貨物を含む長距離国際線には使用出来ず、中小型機と国内線・近距離国際線のみであった。本来の長さである2,500mとするため北西へ320m再延長し、2009年10月22日から供用が開始された。これは、当初2010年3月の予定であったが、2009年3月に発生したフェデックス機着陸失敗事故の影響を受け、成田国際空港会社と国土交通省が協議をした結果、前倒しでの実施となった。詳細は「歴史」の節を参照。

ただし、前述した騒音問題などにより、深夜や早朝の離着陸ができないなどの不十分な状態が依然として続いている。

B滑走路は、重量が大きく長い離着陸滑走距離が必要となるエアバスA380を除いた大型機着陸が可能となった、2,500m化に伴い、長距離国際線ではアメリカ西海岸地域モスクワへ向かう直行便が離陸できるようになった。

B滑走路に並行する西側誘導路の一部が空港反対派民家とその所有地の影響により、滑走路側に向かって「への字」に湾曲しており、離着陸機に合わせて一時待機を余儀なくされている、これを解消するため、成田空港会社はすでに用地収得済みの「への字」部分について直線化させる改修をすることで進めているが、空港反対派による妨害の恐れがあるため工事開始時期は不明である[1]

2009年7月30日には、B滑走路東側に新誘導路が供用開始され、北風離着陸(RW34R使用)時東側誘導路は「離陸(出発)機専用」、西側誘導路は「着陸(到着)機専用」、南風離着陸(RW16L使用)時東側誘導路は「着陸機専用」、西側誘導路は「出発機専用」となり、誘導路の使い分けにより離陸までの時間短縮が可能になった。これにより、第2旅客ビル北側において着陸機がある時に行っていたB滑走路へ入るホールド(待機)は廃止され、ホールドスポットも廃止された。また新たにB滑走路と第2旅客ビル地区と結ぶ、第3の誘導路を西側に増設する方向で進めている。

今後の運用次第では、A滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用の使い分けも検討されている。

C滑走路(第3滑走路)は、長さ3,200m・幅60mで主に横風用滑走路として計画されているが、現在建設工事は凍結中である。C滑走路はD誘導路として使用されている。仮に横風用滑走路が整備された場合、強い北風・南風の際の着陸が容易になり、離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待できる。しかし、空港反対派の熱田派はC滑走路用地内から撤退したものの、現在もC滑走路用地内に別の空港反対派の所有地や、空港反対派支援者・協力者の一坪運動共有地が多数存在しており、C滑走路南側部分の航空機整備施設区域に接している所には、駐機スポットが(512番、511番、510番、509番、508番、507番、506番)7スポット増設されている、誘導路を滑走路化の整備を行う際、それらの7駐機スポットを撤去する必要があり、代替の駐機スポットの用地が改めて必要とされている。またC滑走路南側延長線上の山武市富里市および北側延長線上の成田市大栄地区が飛行コース下になることから、新たな騒音問題が発生する可能性がある。

2009年9月17日、成田国際空港株式会社は、未買収用地取得を進めるため、現在空港反対派らが持つ「一坪運動共有地」と「土地」を空港会社へ売却を求める訴訟を千葉地裁に起こす方針を固めた[2]

成田国際空港株式会社は、B滑走路2,500m化の2010年以降年間発着回数を現在の1.5倍にあたる年間30万回にする試算を成田国際空港都市づくり推進会議に提示している。実現に向けては課題が山積している[3]ものの、平行同時離陸を容認することなどでそう遠くない将来実現するものと思われる[4]。国際拠点空港としての地位低下防止と競争力強化、容量不足緩和のねらいも含まれている。また、国土交通省と成田国際空港会社で25万回に増やす検討がされているという報道もある[5]。周辺地域住民への環境配慮も必要で、成田空港では開港以来、住宅などの防音工事に400億円超、電波障害対策に200億円超など、合計3,200億円超の環境対策事業を実施しており、今後も実施され続ける予定である。

他の空港とは違い、空港に通じるすべての車両入り口、成田空港駅空港第2ビル駅東成田駅の出口改札に、建設反対の過激派テロの警戒のため検問所が設置されており、専門の警察機動隊である空港警備隊が常駐し検問を行なうなど警備が厳しく、空港敷地内への入場に際しては旅行者・従業員のほか見学・送迎その他の入場客についても、警備員から身分証明書の提示と来場理由を確認(旅客の場合は、航空券の提示を求められる場合もある)するため、時間がかかる場合があり、また警備の都合上、旅客と空港関係者以外の空港敷地への立ち入りが禁止されることも少なからずある。空港警備隊とは別に、空港会社でも警備組織を子会社に置いており、空港警備にあたっているが、その分の警備費は2005年で94億円など、年間100億円近くになる。 なお成田空港の検問については廃止する方向で検討している[6]

1992年の第2ターミナル完成に伴い、管制塔からの視認性が悪化するため新たな管制塔が造られ、従来の管制塔はランプタワーとして地上誘導管制業務を行い、新たな管制塔は航空管制業務を行う施設となっている。

貿易港としての機能

成田空港の2004年(平成16年)度の輸出額は10兆6572億円、輸入額は10兆2978億円と、金額で国内第1位の貿易港である。輸出入品目としては、コンピュータなどの事務用機器、半導体など軽量で付加価値の高い機械機器等が中心となっている。

  • 主な輸出品目(平成16年度):半導体等電子部品 (17.4%)、科学光学機器 (9.4%)、映像機器 (8.2%)、事務用機器 (6.8%)、音響・映像機器の部分品 (4.0%)
  • 主な輸入品目(平成16年度):事務用機器 (15.6%)、半導体等電子部品 (14.5%)、科学光学機器 (7.9%)、音響・映像機器(含む部品)(4.3%)、医薬品 (3.6%)

また、成田空港には、マグロなど魚介類の輸入通関が多く(平成15年度7万1924トン、国内の漁港第8位の松浦港の水揚げ量9万7805トンに次ぐ取扱量)、成田漁港の別名がある[7]

歴史

開港まで

1960年代になると、高度経済成長などで年々増大する国際輸送についての航空機の重要性が高まったが、当時の国際線の主力空港であった羽田空港は手狭であった。そのため、再拡張により航空需要に対応しようと検討したが、

  • 沖合に拡張した場合東京港の港湾計画との調整が極めて難しい。
  • 当時の港湾土木技術では難工事になる。
  • 航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける。
  • 仮に拡張できたとしても、空港の処理能力は20%~30%程度の増加に留まる。

などから長期的航空機輸送需要に対応できないことが判明した。

このため、当時の政財界実力者である松永安左エ門(私設シンクタンク産業計画会議議長、電力中央研究所理事長)が、1964年3月4日新たな東京国際空港の開設を提言した。この提言を受けて、当時の運輸省は、首都圏内の他の場所に新空港を建設するための検討に入った。

そこで、「新東京国際空港」として建設計画が立てられ、当初は千葉県富里村(現・富里市)を建設予定地としていたが、地元自治体との調整は難航した。そのため、1966年佐藤栄作内閣は、建設予定地を同県成田市三里塚に変更した。これは、国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林、またその周辺の土地は開拓農民達の物であったため、用地買収は容易に進むと考えたからである[8]

ファイル:Narita Airport struggle at the Narita city management ground,Narita city,Japan.JPG
成田市営グラウンドで行われた成田空港建設反対デモ(1968年)

しかし、地元農民の一部は買収に伴う移転や騒音問題から空港建設に反発し、「三里塚・芝山連合空港反対同盟」を結成し反対活動を始めた。さらに、「新左翼」の若者達が、「新空港は日本に新たな軍事基地を作るもの」などの理由をつけて農民による反対活動に便乗し、運動が暴力、違法化した(三里塚闘争の項も参照)。用地買収は停滞したため、政府は土地収用法に基づき行政代執行1971年に2回実行、ようやく1期工事の用地を取得したが、この経緯で警察官と反対派が衝突し、警官3人が死亡する事件が起きた(東峰十字路事件)。反対派は鉄塔を建てて対抗していたが、1977年5月6日にこの鉄塔は撤去された。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、学生1名が死亡した。

開港4日前にあたる1978年3月26日、成田空港に反対派ゲリラが警察官らの隙を見て管制塔に乱入し、管制塔内の機器を破壊した(成田空港管制塔占拠事件の項も参照)。このため開港が5月20日まで延期となった。関連して1978年5月5日には京成電鉄の特急「スカイライナー」用車両が宗吾車庫で放火され、1両が焼失したほか、数編成が被害(後に復旧)を受けダイヤに支障をきたした。開港後も過激派の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いた。

福田赳夫内閣は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、千葉県警察本部警備部に新東京国際空港警備隊が発足し、現在の成田国際空港警備隊に至っている。

このような混乱の一因となったのが、政府も自ら認めているように、いわゆる「ボタンの掛け違い」があったにもかかわらず空港建設を強行したことであり、そしてそのような状況に乗じて反対運動を乗っ取ろうとし、反対運動の名のもとに違法かつ過激な活動を行った反対派の存在が、この問題の解決をさらに遅らせ複雑化させることとなった。

開港後

1978年5月20日に開港したものの、それ以後も反対派によるテロ・ゲリラ事件などが多発し、特に1985年(昭和60年)10月20日には千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突した事件が発生した(「10.20成田現地闘争」)。これらの事件により正常な運営、あるいは2期工事の着工もおぼつかなかったが、1991年11月から隅谷三喜男東京大学名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと成田空港問題シンポジウムが15回にわたって開催され、引き続き1993年9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」で今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが確認された。

円卓会議の結論を受け、最終的には1995年に当時の村山富市首相が謝罪、これが地元の受け入れるところとなり、その後2期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。懸案の2期工事のうち平行滑走路については、1996年には未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画され、2002年に供用開始した。隅谷三喜男団長を始めとする中立委員の努力や政府の謝罪などもあって反対派住民の態度もしだいに軟化した。その結果、反対運動に乗じて単に違法かつ過激な反政府活動を行っていただけであった反対派は逆に完全孤立化し、事態は一応の収束を見るに至っている。

なお、この事件を題材とした作品に『ぼくの村の話』(尾瀬あきら 著、講談社モーニングKC)がある。また、ドイツミュンヘン国際空港はこのような紛争を避けるため、徹底して成田空港の事例を研究し、反対派を十分に説得した上で建設されている。日本でも、成田での経験をもとに大規模空港は騒音問題などが発生しにくい海上に造られるようになった[9]

年表

  • 1962年(昭和37年)11月16日:新空港建設の方針を閣議決定。
  • 1963年(昭和38年)
    • 6月10日:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行。4000 m滑走路2本、3600 m滑走路1本、2500 m滑走路2本の巨大空港案が計画される。立地箇所については特定はされていない。
    • 8月27日:富里案および霞ヶ浦案を運輸相が提示。富里・八街反対同盟が結成される。
  • 1965年(昭和40年)11月19日:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1967年(昭和42年)8月1日:「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」が公布、施行。
  • 1968年(昭和43年)2月26日:三里塚・芝山連合空港反対同盟と機動隊が衝突。
  • 1971年(昭和46年)
    • 2月22日:建設予定地で第1次行政代執行。反対同盟と機動隊が衝突。
    • 9月16日東峰十字路事件。建設予定地で第2次強制代執行。反対派の鉄塔が倒される。千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員30名が東峰十字路付近で過激派数百人に襲撃され、そのうち3名が殉職した。
  • 1977年(昭和52年)
    • 5月6日:4,000m滑走路の南側延長上に反対派によって建設された、高さ約30mおよび、約60mの鉄塔2基が航空法第49条違反の物件であるとして、空港公団は千葉地方裁判所に妨害物除去仮処分命令申請書を提出。千葉地裁の仮処分決定を受け、2基の鉄塔が除去される。
    • 5月7日:運輸省航空局のYS-11型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
    • 8月22日:進入表面等の制限表面の上に出る立木の伐採が完了。
    • 11月11日:銚子市上空の飛行に関する合意を同市から得る。
    • 11月26日:飛行場および航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を運輸大臣に提出。
    • 11月28日:運輸大臣が開港日を昭和53年3月30日と告示。
    • 12月3日:ICAO(国際民間航空機関)および関係50ヵ国に対し新空港開港に関わるノータム(航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。
アルファベットで「成田」と書かれている。成田国際空港A滑走路中心付近
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月24日財団法人 空港保安事業センターが開設。
    • 3月26日:開港4日前の成田空港に過激派ゲリラがマンホールを介して乱入し、空港管理棟16階の管制室の機器類を破壊。
    • 3月28日:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港延期を正式に決定。運輸省も新空港開港延期に関わるノータムを全世界の航空関係機関に発出する。
    • 4月4日:新東京国際空港関係閣僚会議において、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を決定。新たな開港日を5月20日に決定。運輸省は新たにノータムを全世界に発出する。
    • 5月5日:車両基地に留置中の京成電鉄の特急「スカイライナー」に過激派が放火、1両が全焼。
    • 5月20日:開港。
    • 5月21日:開港後の初便である日本航空のロサンゼルス発のダグラスDC-8-62F貨物機が、第1便として着陸。京成電鉄空港線(京成成田駅~成田空港駅(現:東成田駅))が開業。京成上野駅からの特急スカイライナーが運行開始。
    • 5月27日中核派によって、国鉄成田線、佐原-大戸駅間のCTC(列車集中制御装置)の回線が切断され、航空燃料輸送列車が立ち往生する。
    • 7月:新東京国際空港警備を目的として千葉県警察新東京国際空港警備隊が創設される。
    • 8月2日:過激派がリムジンバスの搭乗口である東京都中央区の東京シティエアターミナルに火炎車を突入。
    • 9月4日:過激派が成田市の京成電鉄ガード下にてトラックを炎上させ鉄道輸送を妨害。
    • 9月7日:千葉県八千代市など数か所で電話同軸ケーブルが切断され、茨城県北相馬郡守谷町(現・守谷市)守谷VOR/DMEおよび同県稲敷郡阿見町阿見VOR/DMEの機能が麻痺する。
    • 9月16日:過激派が成田市荒海のアウターマーカーを火炎瓶などで破壊。
  • 1979年(昭和54年)
    • 8月30日千葉市高浜(現・美浜区高浜)新空港用燃料パイプライン工事現場において、中核派による時限発火装置によって火災が発生。抗打機4台が全焼する。
    • 9月7日:過激派が空港第9ゲートより侵入。車両を火炎瓶等によって炎上させ、滑走路燈などを破壊する。
  • 1980年(昭和55年)10月18日:過激派が京成電鉄高砂検車区、京成上野駅、京成電鉄宗吾検車区に停車中のスカイライナーに時限発火装置を仕掛け、一部炎上させる。
  • 1981年(昭和56年)
    • 3月16日:鹿島港から土屋燃料中継基地に向かっていた燃料輸送列車が、千葉県神崎町内で過激派に襲撃、放火される。幸いジェット燃料には着火しなかった。
    • 5月11日茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)内で鹿島線の橋桁(第2宮中架道橋)が溶接機で切り取られているのが見つかる。
  • 1982年(昭和57年)3月13日:中核派によって、国鉄鹿島線、国鉄成田線、国鉄総武本線などの信号ケーブルが切断される。また、国鉄西船橋変電所が時限発火装置によって爆破され、空港用航空燃料輸送列車の運行停止を招く。また県内の列車運行に大きな乱れが生じる。
  • 1983年(昭和58年)
    • 6月:過激派が空港建設に携わる企業の作業員宿舎を放火。民間人の作業員2名が焼死。
    • 8月8日:航空燃料B系パイプライン供用開始(航空燃料暫定輸送終了)。
  • 1984年(昭和59年)
    • 6月23日:開港以来の国際旅客5,000万人達成。
    • 8月1日:航空燃料A系パイプライン供用開始。(1日あたり2万2,000 kl、年間最大800万 kl)
    • 11月14日:燃料パイプライン1本が、過激派の襲撃によって停止する。
  • 1985年(昭和60年)
  • 1986年(昭和61年)11月26日:第2期工事に着工。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月19日:開港以来の国際旅客1億人達成。
    • 9月21日:成田空港の土地問題を担当する千葉県収用委員会会長が千葉市内の帰宅中に武装した数人の男に襲撃され、瀕死の重傷を負う。事件後中核派が犯行を自認する(千葉県収用委員会会長襲撃事件)。
    • 10月24日:千葉県収用委員会会長以下全委員が辞表を提出。千葉県収用委員会の機能は事実上停止に陥る。以後、機能停止状態が続いていたが、2004年(平成16年)12月8日、16年ぶりに機能回復した。ただし成田空港に対しては、土地収用法の適用は現段階では対象外としている。
  • 1989年(平成元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証]2月28日:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成。
  • 1990年(平成2年)
    • 9月28日:開港以来の国際旅客1億5,000万人達成。
    • 11月6日:開港以来の発着回数が100万回達成。
第2ターミナルに駐機するイラン航空、アメリカン航空、チャイナエアライン、中国国際航空、日本航空の各機材
空港第2ビル駅
  • 1991年(平成3年)
    • 1月18日:開港以来の航空貨物取扱量1000万トン達成。
    • 3月19日:成田線成田駅~成田空港駅、京成本線京成成田駅~成田空港駅が開業。
    • 8月1日:2期区域エプロン一部供用開始。
    • 11月21日:第1回成田空港問題シンポジウム開催(以後15回開催)。
  • 1992年(平成4年)
    • 2月20日:情報通信センター、北オペレーションセンター供用開始。
    • 12月3日:第2旅客ターミナルビル地下駅「空港第2ビル駅」供用開始。
    • 12月6日:第2旅客ターミナルビル供用開始、第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1および第2サテライト閉鎖。
  • 1993年(平成5年)
    • 2月2日:新管制塔供用開始(全高92.3 m)。
    • 2月5日:開港以来の国際旅客2億人達成。
    • 5月24日:第15回成田空港問題シンポジウム開催(終了)。
    • 9月20日:第1回成田空港問題円卓会議開催(以後12回開催)。
  • 1994年(平成6年)
    • 9月15日:A滑走路16(北側)進入方式フルカテゴリーII運用開始。
    • 10月11日:成田空港問題解決のための第12回成田空港問題円卓会議で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ(円卓会議終了)。
  • 1995年(平成7年)4月8日:開港以来の国際旅客2億5,000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
  • 1996年(平成8年)
    • 3月28日:ILSカテゴリーIIIa運用開始、およびストップ・バーシステム供用開始。
    • 7月1日:新東京国際空港公団 (NAA) 本社が成田空港内に移転。
  • 1997年(平成9年)
    • 4月3日:開港以来の国際旅客3億人達成。
    • 10月13日:開港以来の航空貨物取扱量2,000万トン達成。
  • 1998年(平成10年)
    • 1月22日:芝山鉄道線建設工事起工。
    • 2月1日:第1旅客ターミナルビル第1サテライトの供用開始。
    • 2月2日:空港へ迫撃弾2発と金属弾1発が打ち込まれ、貨物地区の作業員1名が迫撃弾の破片に被弾。救急車で近くの病院に搬送される。迫撃弾のうち1発は近くで破裂、金属弾1発は不発だった。
    • 4月25日:1日の発着枠を360回から370回へと改定。
    • 5月27日:「エコ・エアポート基本構想」を発表。
    • 7月15日:「地域と共生する空港づくり大綱」発表。
    • 11月10日:NAAとアメリカの「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の間で初の姉妹空港の締結を調印。
    • 11月18日:成田空港-羽田空港間直通列車運転開始。
    • 12月23日:開港以来の航空機発着回数200万回達成。
第1ターミナル北ウィングに駐機するアリタリア航空とノースウエスト航空の機材
  • 1999年(平成11年)
    • 3月16日:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
    • 4月27日:新消音施設(ノイズリダクションハンガー)竣工。
    • 5月10日:平行滑走路2000年度完成目標断念を発表。
    • 9月3日:平行滑走路等の整備に関する工事実施計画の変更認可申請。
    • 9月12日太陽光発電システム運用開始。
    • 12月3日:平行滑走路工事着工。
    • 12月26日:17時23分頃、京成上野発の特急電車が成田空港駅到着直後に2両目座席下から発火。同電鉄西馬込発東成田行急行電車においても東成田駅到着前に座席下から出火。17時30分頃にもJR総武線久里浜発成田空港行快速電車がJR成田駅を発車した直後に連結部から発火。3件の事件全ての焼け跡から時限発火装置が見つかる。JRでは運休や延遅などにより約1万人に影響が出た。
  • 2000年(平成12年)
  • 2001年(平成13年)10月31日:暫定平行滑走路の完成。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月21日:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
    • 4月12日:成田空港駅に停車中の京成電鉄の特急列車の車内に時限発火装置が仕掛けられ、連結部分より発火。
    • 4月18日:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用開始。
    • 5月13日:回転翼航空機(ヘリコプター)の受け入れ条件を一部緩和。
    • 9月25日:第2旅客ターミナルビルスイングゲートの供用開始。
    • 5月27日:第2旅客ターミナルビル出発ロビー北側増築部(Wカウンター・Yカウンター)の供用開始。
    • 10月16日:空港南口ゲートの供用開始。
    • 10月27日芝山鉄道の供用開始。
    • 12月16日:第1旅客ターミナル第3サテライトの供用開始。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月20日:公団、新東京国際空港の改称「成田国際空港」および新会社「成田国際空港株式会社」の名称について扇国土交通大臣へ要望書を提出。
    • 4月17日:第2旅客ターミナルビル北側および地上通路沿いのスポットの供用開始。
    • 5月29日:開港以来の航空貨物取扱量3,000万トン達成。
    • 11月17日:航空燃料輸送量1億 kl達成。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日:新東京国際空港公団が民営化され「成田国際空港株式会社」に改組し、同時に空港の正式名称も新東京国際空港から「成田国際空港」に改称、第2給油センター供用開始。
    • 10月19日:第1ターミナルの第1サテライトと第2サテライトを結ぶ連絡通路が開通。
    • 11月25日:第1旅客ターミナルビルの第4サテライトが開業。
  • 2005年(平成17年)
    • 6月8日:開港以来の離着陸回数が300万回達成。
    • 7月15日:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意。
    • 11月:元過激派16人が国などから1978年の管制塔襲撃事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、2005年になって給料を差し押さえられた。
    • 11月8日:第2ゲートの検問を突破した男を千葉県警察の警察官が追跡中、同県佐倉市直弥の路上で男にナイフで刺され、1人(成田国際空港警察署)は右脇腹を刺され死亡、もう1人(佐倉警察署)は左腕に軽傷を負う。男は他の警察官に殺人未遂などで現行犯逮捕
    • 11月18日:旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検の捜索を受ける。
  • 2006年(平成18年)
    • 1月15日:空港反対同盟熱田派の熱田一元代表が、空港敷地内にある自宅敷地と、所有権を持つ「横堀墓地」を売却することを表明。熱田元代表は「若者が世界へ飛び立ち、帰ってくることによって日本の将来に役立つと考えた」とコメントし、反対運動から完全に身を引く。
    • 4月13日:ILSカテゴリーIIIb運用開始。
    • 6月2日:航空会社再配置、第1旅客ターミナル南ウイング(第5サテライト)・第4-第5サテライト連絡地下通路が供用開始。
    • 7月10日:成田国際空港会社、国に対し平行滑走路の北伸2500 m化に伴う飛行場変更申請[10]
  • 2007年(平成19年)
    • 11月18日:開港以来の航空貨物取扱量4,000万トン達成。
    • 12月26日:第1旅客ターミナル中央エリアおよび北ウイングの供用開始。
開港30周年記念塗装が施された日本航空のボーイング747-400型機
  • 2008年(平成20年)
    • 3月6日:成田市南三里塚の雑木林で迫撃砲2門が発見される。翌7日、成田国際空港会社空港技術センター(芝山町岩山)で迫撃弾が発見される。革命軍を名乗る組織から「1日午前6時45分に滑走路に撃ち込んだ」との犯行声明文が報道機関に送られる。
    • 3月16日:15日午後5時すぎから4時間近くにわたり、北朝鮮から発射された電波により成田空港の管制システムで混信が発生する。業務に支障は起きなかったが、総務省国際電気通信連合 (ITU) の無線通信規則に定める識別信号の送出を行っていないと認められたため、国際電気通信連合に通報した。
    • 4月1日緊急地震速報を運用導入。
    • 5月20日:開港30周年を迎え記念式典が催され、これを記念して日本航空のボーイング747-400型機に特別塗装が施された。シンガポール航空によるエアバスA380の営業運航が開始された。
    • 9月12日:旧NAA本社ビル跡地に第5駐車場 (P5) がオープン。
    • 9月25日:当時国土交通大臣であった中山成彬の成田空港建設の反対闘争に関する発言が問題となる。この際の他の発言とともに問題視されたが、中山大臣は反対闘争に対する発言の責任を取る形でその後辞任した。
    • 10月4日:第2ターミナル サテライト到着コンコース和的整備がグッドデザイン賞を受賞する。
    • 10月16日:第7貨物ビルおよび貨物地区トラック待機場の供用開始。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月23日フェデックスマクドネルダグラスMD-11Fが着陸失敗し大破炎上、乗員2名死亡。開港以来初の全損及び死者の出た事故となる。
    • 4月:前項の事故を受け、B滑走路2500m供用開始時期を「2010年3月から2009年10月に前倒しする」方向で成田国際空港会社と国土交通省が協議に入る[11]
    • 5月12日:B滑走路東側誘導路(新設)着陸誘導電波の性能検査が行われる。
    • 5月20日:成田国際空港会社と国土交通省の協議の結果、B滑走路2500m供用開始日を「2009年10月22日」に正式決定。成田市の小泉一成市長は、同日、空港会社によるB滑走路供用開始日が決定したことに伴い「航空機の離発着時の安全性がより確保されるとのことで一定の理解をする」としたうえで、「空港会社に対して、騒音の影響を受ける地域への丁寧な説明を要請している」と述べる。
    • 7月30日:B滑走路東側誘導路、供用開始[12]
    • 10月22日:B滑走路、2500m化供用開始[13]

主な航空機事故

  • 2001年12月1日:着陸して駐機場に移動中のミュンヘンルフトハンザドイツ航空714便 エアバスA340-300型機の主翼が、離陸のため誘導路に停止中の仁川行き日本エアシステム253便 A300-600R型機の尾翼に接触した。
  • 2003年1月27日:仁川発の全日本空輸908便 ボーイング767-300(JA605A, エアージャパン運航)が、雨天追い風の中で速度超過のまま着陸、滑走路中央近くで着地したため停止できず、B滑走路を約70 mオーバーランし草地に突っ込み、誘導路灯や滑走路末端補助灯を倒し停止した。このため開港後初めて事故により滑走路が閉鎖された。
  • 2009年3月23日:6時49分、広州発のフェデックス80便MD-11F貨物機が、A滑走路への着陸に失敗、左主翼が接地し反転、滑走路脇で炎上、操縦士と副操縦士の両名が死亡。開港以来初の航空機墜落全損死亡事故となり、事故後A滑走路は開港以来最長となる26時間21分にわたり閉鎖。詳細はフェデックス80便着陸失敗事故を参照。

施設

第1と第2ターミナルを結ぶシャトルバス
第1ターミナル
ファイル:Narita Airport T1s dl.jpg
第1ターミナル南ウィング出発ロビー
第1ターミナル第5サテライト
第2ターミナル本館出発ロビー
第2ターミナルサテライト連絡シャトル
第2ターミナル「ナリタ5番街」

旅客が用いるターミナルビルは2棟に分かれており、無料のターミナル間連絡バスなどの交通機関によって結ばれている[14]。両ターミナル間は連絡バスで約10-15分。

複数ターミナルを持つ大規模空港に多く見られるように、ターミナル間の距離が離れているため、ターミナルを間違えると移動に時間がかかる。特に、近年増加している他社とのコードシェア便(共同運航便)では注意が必要で、実際に機材を運航する航空会社が使用するターミナルに向かう必要がある。

1992年の第2ターミナルの完成以降、第2ターミナルへの各種サービスの偏重、混雑時間の集中やコードシェア便の増加により、利用者にとって不便な部分が多かった。そのため、1990年代中盤より第1ターミナルの南北ウィングの改修を進める上に、航空連合のグループごとにまとめて、同じターミナルに集約することによって、混雑解消を目指し、かつ利用者の利便性を高めるため、第1ターミナル南ウイングが供用開始する2006年6月から約1年間かけて20社が段階的に移転することになった。

現在、各航空会社は主な3つの国際航空連合ごとにまとまっており、ワンワールド陣営の多くは第2ターミナル、スターアライアンス陣営の多くは第1ターミナル南ウイング、スカイチーム陣営の多くが第1ターミナル北ウイングを使用している[15]

第1ターミナル

1978年の開港当時から使用されている。その後改築と増床を重ね、現在は中央ビル並びに南北ウイングと第1~第5サテライトに分かれている。出発ロビーは4階、到着ロビーは1階である。第1、第2サテライトは主にスカイチーム加盟各社のチェックイン・カウンターがある北ウイングに、第3~5サテライトは主にスターアライアンス加盟各社と、ANAハンドリング各社のチェックイン・カウンターがある南ウイングに接続している。

  • 中央ビル 主に店舗などがある。
  • 北ウイング
    • 第1サテライト 11~18ゲート(11番はバスゲート兼用、13番は欠番、15番は今後、エアバスA380対応となる予定[16]
    • 第2サテライト 21~29ゲート(26番は今後、エアバスA380対応となる予定[17]。28番、29番はバスゲート)
  • 南ウイング
    • 第3サテライト 31~38ゲート
    • 第4サテライト 41~47ゲート(46番はエアバスA380対応、*45番も今後、同型機対応ゲートとなる予定[16]
    • 第5サテライト 51~59ゲート(59番はバスゲート)

中央ビルと北ウィングが最初に大幅な改築を受け、新たなチェックインカウンターの設置や店舗の改装などが施されて1999年3月16日に新装開業したほか、2006年6月2日に新装開業した南ウイングの改築完成時に日本初となるインライン・スクリーニングやカーブサイド・チェックインなどのサービスが導入された。また、この前後にはエールフランスの新デザインコンセプトのラウンジや全日空の新ラウンジもオープンした。なお、南ウイングから発着するシンガポール航空や、第2ターミナルを使用するニュージーランド航空やエジプト航空などを除くスターアライアンス加盟各社は、搭乗手続きを航空会社別のチェックインカウンターで行わず、世界初の試みであるマイレージ上級会員や搭乗クラスによってカウンターを分けた「ゾーン・チェックイン」スタイルで行われている。

第2ターミナル

1992年12月に供用開始され、供用当時は単一ターミナルビルとしては世界最大級の規模を誇った。出発ロビーは3階、到着は1階で、本館とサテライトに分かれる。両館の連絡は、無料の新交通システム(空港に使用されるものとしては世界初の空気浮上式。厳密には水平式エレベーター日本オーチス・エレベータ製)による。現在はブリティッシュ・エアウェイズを除くワンワールド加盟各社が使用しているほか、日本航空がハンドリングする各航空会社や、ニュージーランド航空やエジプト航空などの複数のスターアライアンスやスカイチームの加盟航空会社も使用している。

  • 本館
    • 61~67ゲート
    • 71~77ゲート
    • 70A~70M(バスゲート)
  • サテライト
    • 81~88ゲート
    • 91~99ゲート

なお、63・64・65の各ゲートは国内・国際線共用ゲートとなっており、国内線で運用した飛行機がその後、国際線で運用する飛行機がこのゲートを使用する場合が多い。そのため、待合室は国内線、国際線利用者が利用できる時間帯が決まっている。また、66・67ゲートには、コミューター機対応の国内線専用ゲートがある。

2007年に大規模な改装が行われ、チェックインカウンター周辺の改装とあわせて日本初となる自動出入国管理ゲートやインライン・スクリーニングなどの新サービスが導入されたほか、成田国際空港初のペットホテルやキッズルームも設けられた。また同時に日本最大となる5,000 m²の店舗面積を持つ[18]免税店モール「ナリタ5番街」がオープンしたほか、各航空会社のラウンジの改装・新設も行われ、日本最大の約4,000 m²の面積を持つ日本航空のラウンジ[19]や、アメリカン航空やチャイナエアラインのラウンジが新たに完成した。また、同空港唯一の屋内駐車場であるP2からは連絡通路で直結しているため、雨天でも雨に濡れることなくターミナルにアクセスすることができる。

店舗

両旅客ターミナルの中にはレストラン書店みやげ物屋などの各種売店、DFSなどの免税店テナントとして入っているほか、銀行として三菱東京UFJ銀行成田空港支店(第1ターミナルビル内)、三菱東京UFJ銀行成田空港第2ビル出張所と千葉銀行成田空港支店(第2ターミナルビル内)やATMがあり、郵便局は第1ターミナルビル内に成田空港内郵便局、第2ターミナルビル内に成田空港内第二郵便局がそれぞれ設置されている。また郵便事業会社成田国際空港支店の分室も両ターミナルビルに設置されている。そのほか、診療所などの医療機関コンビニエンスストアやビジネスセンター、ドコモワールドカウンター等の、国際ローミング対応の携帯電話のレンタル・販売ショップ、航空会社のラウンジクレジットカード会員向けラウンジなどがある。

第1ターミナル南ウィングの出国後の制限エリア(北ウィングの旅客も利用できる)には、オープン当時は空港内の免税店モールとして国内空港最大の店舗面積をもっていた[20]narita nakamise」が2006年の改装時にオープンしたほか、2007年には、第2ターミナルの出国後の制限エリアに、「narita nakamise」を約1.4倍上回る、空港内の免税店モールとして現在国内空港最大の店舗面積を持つ[18]ナリタ5番街」が開業した。なお、第2ターミナルは本館だけでなくサテライトにも免税店や書店、レストランなどの店舗や航空会社のラウンジがある。

貨物ターミナル

2007年現在、成田国際空港の国際航空貨物の取扱量は香港国際空港仁川国際空港に次いで世界3位の地位を占める。開港当時は第1ターミナル北ウイング横に集中して貨物ビルが置かれていたが、航空貨物需要の増加に対応して五月雨式に拡張を続けたために、貨物ターミナル地区、整備地区貨物上屋、天浪地区貨物上屋、南部貨物地区などに、JALカーゴや日本貨物航空、各フォワーダーなどの貨物ビルが点在している。貨物地区内には勤務者やドライバーの為にコンビニ(サンクス)も設置(第2貨物ターミナル内)され、またトラック待機場にもコンビニが設置されている。

施設規模をすべて合わせると20.2万平米の規模を持ち、相次ぐ拡張の結果、年間240万トンの取り扱いが可能となったが、暫定滑走路の延伸工事の完成に臨み、さらに取扱量を増やすために現在も拡張工事が行われている。

駐車場

空港内の駐車場

P1・P2・P3・P5および貨物地区駐車場といった有料駐車場が設けられている。また、オートバイ用の駐車スペースも確保されている。一部の駐車場は事前にインターネットで申し込むことが可能で、割引も適用される。なお、第2ターミナルに隣接しているP2は、第2ターミナルと連絡通路で直結しており、雨天でも雨に濡れることなくターミナルにアクセスすることができる唯一の駐車場である。

周辺の駐車場

国道51号が交差する寺台ICから国道295号へ入って空港へ向かうと、空港の数キロ手前から駐車場業者が多数存在する。なおターミナル前のカーブサイド(車両乗降場)での送迎や駐車、車両受け渡しは禁止されている。また空港周辺のホテルの多くは、宿泊すると最大で2週間程度無償で車を預かってくれるサービスを用意している。

宿泊施設

空港敷地内の唯一の宿泊施設として、第1ターミナル横に成田エアポートレストハウスがある。各ターミナルとは無料のシャトルバスで結ばれているほか、第1ターミナル北ウイングとは徒歩で10分ほどの距離にある。

また空港周辺、成田駅周辺には国際チェーンの大規模ホテルから小規模ホテルまで多数のホテルが点在している。なお、上記のように宿泊すると最大で2週間程度無償で車を預かってくれるサービスを用意しているホテルも多く、ホテルによっては「パーキングプラン」のような、宿泊と無償駐車をセットにした商品を出していることもある。

詳細は空港周辺ホテル予約 | 成田国際空港公式WEBサイトを参照のこと。

拠点・焦点都市としている航空会社

4社の航空会社がこの空港を本拠空港もしくはハブ空港(拠点空港)としている。また、1社が焦点都市として運航している。

本拠空港・拠点空港

焦点空港

もっとも、厳密には本来の意味でのハブ空港として機能させているのはデルタ航空・ノースウエスト航空のみ。詳しくはハブ空港を参照。

就航路線

就航会社

旅客便の発着便数では、日本のフラッグ・キャリアでインカンバント・キャリア(日米航空協定において日米間と以遠区間の路線便数を自由に設定できる航空会社)でもある日本航空グループが圧倒的に多い。その次に同じくインカンバント・キャリアである全日本空輸とデルタ航空/ノースウエスト航空が続く。そしてデルタ航空/ノースウエスト航空とともに、以遠権を元にアメリカ線のみならずアジア線も多く運航するユナイテッド航空、そして東京国際空港にも乗り入れる大韓航空中国国際航空が次ぐ形となっている[21]

貨物便では、成田国際空港を本拠地として使用しており、かつインカンバント・キャリアである日本のJALカーゴや日本貨物航空、アメリカのフェデックスやデルタ/ノースウエスト・カーゴが上位を占めている。

2010年春以降の発着枠拡大後には、カタール航空エミレーツ航空エティハド航空マカオ航空が新規就航予定である。

基本的には第1ターミナル北ウイングにスカイチーム加盟各社、第1ターミナル南ウイングにスターアライアンス加盟各社、第2ターミナルにワンワールド加盟各社が発着しているが、スカイチーム所属だが第2ターミナル発着の中国南方航空や、スターアライアンス所属だが第2ターミナル発着のニュージーランド航空やエジプト航空、ワンワールド所属だが第1ターミナル北ウィング発着のブリティッシュ・エアウェイズなど、いくつかの例外もある。

第1ターミナル 北ウイング

第1ターミナル 南ウイング

第2ターミナル

貨物航空会社

運休中の航空会社

乗り入れ予定航空会社

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過去に乗り入れていた航空会社

定期路線一覧

原則として到着都市名(リンク先は到着空港)のみを記述するが、同一都市圏に二つ以上の空港が存在もしくは空港名に到着都市名が含まれていないなどの場合は「都市名/空港名」の様式で記述する。

国際線

運休・廃止路線(旅客便のみ)

国内線

各路線、午前中または夕方成田着と夕方~夜間成田発を中心に運航されており、国際線の間合い運用として、国際線用の機材が用いられる便も多い。

  • 2009年秋冬スケジュールの情報
  • ほとんどのJAL, ANA運航便が外国航空会社とのコードシェアを行っている。

空港へのアクセス

成田空港への交通機関、また成田空港から東京国際空港(羽田空港)への交通機関の詳細については、成田空港公式ページ:空港アクセス情報を参照。

成田空港第2ターミナル駅
JR東日本の成田エクスプレス
京成成田空港線・成田高速鉄道アクセスと京成スカイライナー、JRの路線地図

歴史

東京都心までは5-60km程度あり、東京都心部への用務客は移動に要する時間が比較的長いために、当初は東京~成田空港間に成田新幹線を建設し結ぶ計画で、開港時には第1ターミナル地下に鉄道駅の施設がほぼ完成していた。しかし、騒音などの被害が出ることを嫌った沿線(特に東京都江戸川区千葉県東葛飾郡浦安町現浦安市)自治体や住民の反対運動が激しく中止となった。さらに空港自体の建設が難航したため、余波を受け千葉県内の道路鉄道などの公共事業の計画は大幅に狂ってしまった。空港建設時の様々な問題から千葉県では収用委員会が機能停止してしまい、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである。

1978年の開港時には、京成電鉄が旧成田空港駅まで「スカイライナー」の運行を開始したものの、肝心の空港ターミナルへは空港敷地内の駅からバスへ乗り継ぐ必要があり、その不便さから利用客は伸びなかった。このように空港アクセス鉄道問題解決への動きが一向に進展せず、都心部と空港ターミナルを直結する軌道系交通機関が存在しない状況であったため、日本国外のガイドブックで「エラーポート」と評される[31]ほど、都心からの距離の遠さと所要時間の長さは、世界の主要空港との比較で大きく見劣りする点であった。

当初、成田新幹線計画が混迷を極めていたこともあって別の方法も模索され、1982年に新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会が運輸省(当時)にA・B・Cの3案を答申し、1984年に運輸省はB案(北総線延伸)を採択し推進すると決定した[32]

1987年に、上記のように「不便な国際空港」と呼ばれていた状況をみた当時運輸大臣を務めていた石原慎太郎(現東京都知事)の「鶴の一声」により、建設途中で中止となった成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤と駅などの設備の一部を活用してJR東日本と京成電鉄の路線をそれぞれ分岐・延伸の上、成田空港に乗り入れる案(成田空港高速鉄道)を指示し[32]、この路線は1991年に開業した。これにより、空港ターミナル(現第一ターミナル)直下に駅が誕生し、「成田エクスプレス」が東京駅までを最短53分で結ぶ[33]など利便性が向上した。また、これに合わせて京成本線のうち、それまで「成田空港」と名乗っていた京成電鉄の駅は「東成田駅」に改称し、同区間は新たに開業した成田空港高速鉄道との分岐地点である駒井野信号場 - 東成田駅間は京成東成田線と言う支線扱いの路線となった。同線開業の翌年、第二ターミナル開業の際にも、同時に空港第2ビル駅が設置された。

滞っていたB案(北総線延伸)も鉄道アクセスの充実のため、京成線の短絡線として北総線の延伸工事として成田新高速鉄道プロジェクトが進行中であり、工事は現在順調に進んでいる。2010年3月までに工事を完了させ、4月から乗務員習熟試運転が開始された後、7月に旅客営業を開始する予定となっておいる。この新線が開業すると、東京都内(京成上野駅)から成田空港への所要時間が最速36分と大幅に短縮が見込まれる。

また、都心と時速300 kmのリニアモーターカーで結ぶ「羽田・成田リニア新線構想」を神奈川県松沢成文知事や千葉県森田健作知事[34]が提唱している。ルートは、両空港間以外にも、横浜から東京都内や千葉を経て成田空港に至るもので、新宿やさいたま新都心までの支線も整備も考えられている。この構想が実現すれば、両空港間のアクセスが約27分と大幅に短縮される。この構想について、国土交通省が2009年2月に総事業費3兆円と試算を示したが、財源など実現に向けての課題がある[35]

鉄道

京成電鉄のスカイライナー
東京空港交通のリムジンバス

第1ターミナルの下に成田空港駅が、第2ターミナルの下に空港第2ビル駅があり、東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄が乗り入れている。また、京成線を経由する成田高速鉄道アクセスが2010年の完成を目指し工事中であり、完成すると日暮里駅 - 空港第2ビル駅間の所要時間が36分に短縮される。

このほか、空港勤務者などが利用している京成東成田線芝山鉄道の東成田駅(旧成田空港駅)利用でもアクセス可能。各ターミナルまで無料ターミナル間連絡バスがあり、第2ターミナルまでは徒歩でも移動可能。

バス

高速バス・リムジンバス

東京空港交通成田空港交通京成バス千葉交通富士急湘南バスなどが東京シティエアターミナルや主要ホテルなどの都内各地や千葉県内の主要駅、横浜シティエアターミナルなどとの間を5分-60分に1本程度の頻度で運行。発着地により共同運行会社も乗り入れる。詳細は当該項目を参照。

一般路線バス

成田空港交通千葉交通が運行している。

タクシー

ヘリコプター

かつて1988年6月20日から1991年11月19日まで、羽田空港および横浜みなとみらい21との間でシティ・エアリンクの運航によるヘリコプター航路があった。

自動車

自動車で空港へアクセスする場合、以下3つのルートがある。どのルートでも空港敷地進入時にはゲートにて運転免許証を提示し、トラックは荷室のチェックを受ける必要がある(トラックはさらに貨物地区進入時にもう1回チェックを受ける必要がある)。

※日本国外からの要人の訪日や反対派によるデモ、空港内における事件、事故などによってゲートが封鎖される場合がある。

成田空港の今後

2009年10月13日鳩山政権前原誠司国土交通大臣は、韓国の仁川国際空港など東アジアで高まる国際航空路線の獲得競争に対抗するため、日本政府として今後羽田空港に重点を置きハブ空港化を進めていく方針を表明した。これによって、従来までの国内線は羽田、国際線は成田という住み分けが見直されることとなり、地元自治体、政治家、企業関係者などに波紋を与えている。

しかし翌日、同大臣は千葉県の森田県知事と対談し、従来通りの羽田・成田の運用を崩さない趣旨の方法を伝えた。

また地元産業界などからの強い要望もあり、NAAはB滑走路第三誘導路の完成と、30万回化が見込まれる2013年を目途に、可能であれば南進、出来なければB滑走路をさらに北進する形で大型機及びA380の発着に問題がなくなる3500m以上への延伸を検討している[36]

2009年12月12日、国土交通省は、アメリカ・ワシントンDCで開かれていた日米航空交渉で、『航空自由化(オープンスカイ)協定』で合意したと発表。成田・羽田の両空港については発着便数に余裕のない混雑空港として、これまで通り政府間の協議で便数を決定するとし、2010年3月に年2万回分の国際便が増枠される成田空港については、現在約3割のシェアを持つアメリカ発着枠の削減を目指す方向で日米が一致した。

2009年12月15日、成田空港周辺の9市町長でつくる成田空港圏自治体連絡協議会は、午後11時から午前6時まで離着陸禁止の規制を緩和し、運航時間を延長する案を成田国際空港会社側に示した[37]

トランジットツアー

空港乗り継ぎ乗客を対象として、成田山新勝寺での護摩体験や酒蔵見学など、空港周辺で日本文化を体験するミニツアー(有料)や、イオンモール成田へのショッピングツアー(有料)を実施している。なお、ツアー案内は英語のみとなる。

周辺施設

  • 航空科学博物館 - 成田空港の南隣にある
  • 三里塚記念公園 - 宮内庁下総御料牧場の歴史を後世に伝えるために、御料牧場旧跡地に開設された公園。中には三里塚御料牧場記念館があり、御料牧場百年余の歴史について解説されている。
  • 成田市さくらの山(成田市)、三里塚さくらの丘 (NAA) - 空港のすぐそばにあり、離着陸する飛行機がよく見える駐車場・公衆トイレなどが整備された公園。両方の公園に桜の名前が付くのは、空港建設で移転した宮内庁下総御料牧場が桜の名所として親しまれてきたため。

管理会社・成田国際空港株式会社

成田空港株式会社ビル(旧ビル)

成田国際空港株式会社(なりたこくさいくうこう 英語: Narita International Airport Corporation :NAA)は2004年4月1日、成田国際空港株式会社法により成田国際空港の設置および管理を目的として設立された。新東京国際空港公団の業務を承継した特殊会社で、全株式を政府(国土交通大臣 90.01%、財務大臣 9.99%)が所有し、政府から資金の無利子貸付を受け、また当分の間出資や債務保証を受ける。一方、営業年度ごとの事業計画や新株発行、社債の募集、資金の借入については国土交通大臣の認可を要する。

会社の事業の範囲として、空港周辺における航空機の騒音などにより生じる障害の防止と損失補償のための諸事業が盛り込まれている。

なお、同社の略称であるNAAは、前身の新東京国際空港公団の英字略称 (New Tokyo International Airport Authority :NAA) を継承した形で使用している。

2005年11月18日に旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上し、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検特捜部の捜索を受けた。この官製談合疑惑では、成田国際空港の社員2人(懲戒解雇処分)が競売入札妨害の疑いで逮捕されるなど、一連の談合疑惑は官製談合事件へと発展しており、日本の空の玄関でこのような事件が起きたことに対し、非難の声が上がっている。今後、成田国際空港会社が談合体質から抜け出せるかどうか注目されている。

姉妹空港提携

空港用地内の地名と住所

成田国際空港用地においては地名変更や地番整理は実施されておらず、従前の地名と境界線がそのまま残されている。空港用地の大部分は千葉県成田市に属するが、一部は千葉県山武郡芝山町及び香取郡多古町にまたがっており、用地内にはこれら1市2町の計18の大字(おおあざ)が介在し、これらの境界線が複雑に入り組んでいる。空港内の主な施設の正式の住所は以下のとおりである。

第1・第2旅客ターミナル、貨物地区等がある空港中心部の地名は、成田市三里塚古込(ふるごめ)、駒井野木の根天浪(てんなみ)、取香(とっこう)、東三里塚に分かれている。このうち、三里塚、古込、駒井野、木の根は上掲のターミナルビルや公共施設等の住所として使われている。天浪は大部分がA滑走路の用地であるが、旅客第1ターミナルビルからA滑走路を隔てて反対側の動物検疫所小動物検疫舎の住所は天浪字西原となっている。取香は新空港インターチェンジ付近の地名で、貨物地区内に飛地がある。運送会社等が入居する「貨物管理ビル」(取香字天浪800)は、当該飛地内にある。東三里塚はA滑走路南方に位置し、空港用地南端の南部貨物ビルの住所は東三里塚字岩之台となっている。

B滑走路の敷地は大部分が成田市東峰(とうほう)、天神峰(てんじんみね)、十余三(とよみ)に属し、ごく一部が成田市吉岡(きちおか)及び堀之内に属する。A滑走路敷地の一部は成田市小菅に属する。

横風用C滑走路(未供用)用地には芝山町香山新田及び菱田の各一部が介在する。用地内の成田市と芝山町の境界は複雑に入り組んでおり、芝山町菱田の区域は旅客第1ターミナルビル付近まで喰い込んでいる。空港南部の整備地区付近にも芝山町大里及び岩山に属する部分がある。また、新空港インターチェンジ付近には香取郡多古町一鍬田(ひとくわだ)の飛地が存在する。

発行物

  • 1978年5月20日、新東京国際空港開港記念の額面50円の切手が発行された。

脚注

  1. ^ 成田空港誘導路「への字」緩和へ 反対運動の象徴を改修(2009年7月26日 西日本新聞)
  2. ^ 成田の一坪共有地売却求め提訴へ 空港会社、反対派相手に(2009年9月17日 メディアジャム)
  3. ^ 「30万回」に多くの壁 読売新聞 2008.05.27
  4. ^ http://news.kanaloco.jp/kyodo/article/2009110701000533/
  5. ^ 成田空港の発着、年25万回に増便「アジアのハブ」へ競争力日経新聞2008年3月7日
  6. ^ 成田空港が検問廃止を検討 開港から31年、初の警備体制見直し(2009年11月29日 産経ニュース)
  7. ^ 「成田空港の貿易動向」平成17年2月 東京税関資料
  8. ^ 時をほぼ同じくして、日本中央競馬会も関東馬の厩舎が飽和状態にあった為、大規模な競走馬収容施設を探しており、三里塚もその候補地に挙がっていた。しかし先に空港決定が決まった為に、新たな用地を探すことになった。これが後の美浦トレーニングセンターである。2009年に入って週刊Gallopが美浦トレセンの誕生秘話を連載した中で、このことが触れられている。
  9. ^ 成田国際空港株式会社 - 環境対策・地域共生 - 共生の経緯 - 地域と共生する空港づくり大綱
  10. ^ http://www.naa.jp/jp/airport/seibi_sinsei.html
  11. ^ 秋にも延長滑走路の運用開始 炎上事故受け、半年前倒し(2009年4月10日 西日本新聞)
  12. ^ 成田空港:東側誘導路の供用スタート 毎日新聞
  13. ^ 成田、B滑走路の本格運用開始 大型機が発着可能に(2009年10月22日 西日本新聞)
  14. ^ ターミナル間連絡バス
  15. ^ 成田国際空港株式会社 - 航空会社再配置計画
  16. ^ a b 平成21年度下半期における発注見通し (空港運用本部 滑走路保全部; 随意契約)” (PDF). 成田国際空港株式会社 (2009年). 2009年12月29日閲覧。
  17. ^ 2009年度7月分の実績(No.2とNo.8)
  18. ^ a b 「月刊エアライン」2008年7月号 P.49「『narita nakamise』よりも約1.4倍広い」
  19. ^ 「月刊エアライン」2008年7月号
  20. ^ 成田空港ホームページ
  21. ^ 2009年6月の航空会社別発着回数 日本航空グループ:3370回、全日空グループ:1748回、ノースウエスト航空=1428回、ユナイテッド航空=653回、大韓航空=420回、中国国際航空=384回、キャセイパシフィック航空=302回(成田国際空港会社)
  22. ^ トランスアエロ航空、4月以降も運航せず-再開は未定、早くても下期か トラベルビジョン 2009/03/05
  23. ^ エティハド航空、2010年2月に中部国際空港に初就航 - 成田も3月に
  24. ^ エミレーツ航空、ドバイ - 成田間直行便の運航を開始すると発表
  25. ^ 新たな路線(成田-マカオ直行便)の新規就航が決定致しました。 マカオ航空 2009/11/27
  26. ^ 2010年4月26日より成田-ドーハ線就航を決定
  27. ^ US Airways Announces Slot Transaction with Delta Air Lines
  28. ^ B滑走路延伸の2010年以降復便の可能性あり。日本・スカンジナビア三国航空当局間協議の結果について 国土交通省 平成20年9月17日
  29. ^ 日本トランスオーシャン航空JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり
  30. ^ エアーニッポンエアーセントラルの機材・乗務員で運航する便あり
  31. ^ 一例として Ian L. McQueen著『Japan: a budget travel guide』、講談社インターナショナル、1992年、210ページには「Narita "errport" (as it has been called) is Japan's contribution to the world's collection of vast projects started on half-vast ideas.」などとある。なお、本書はロンリープラネットより『Japan: A Travel Survival Kit』の題で販売されていたものの改訂版にあたる。現在のロンリープラネット社のガイドは別内容である。
  32. ^ a b どうなる、こうなる首都圏の鉄道網--(最終回)成田新線・新交通編 - 1 / 2 Business Media 誠 2008年11月7日
  33. ^ JR東日本
  34. ^ 森田健作マニフェスト
  35. ^ 成田~羽田リニア、事業費3兆円=国交省が試算 時事ドットコム(時事通信)2009年02月24日
  36. ^ 「成田B滑走路、さらに北伸もありうる」NAA社長 「Asahi.com(朝日新聞)」2009年10月23日
  37. ^ 「【成田空港】羽田対抗で周辺市町長が深夜早朝便の制限緩和提案」 (2009年12月15日 産経ニュース)

関連画像


関連項目

外部リンク

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