庄内空港
庄内空港 Shonai Airport | |||||||||
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IATA: SYO - ICAO: RJSY | |||||||||
概要 | |||||||||
国・地域 |
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所在地 | 山形県酒田市 | ||||||||
種類 | 商業 | ||||||||
運営者 | 山形県 | ||||||||
運用時間 | 7:00 - 22:00 | ||||||||
標高 | 26 m (86 ft) | ||||||||
座標 | 北緯38度48分44秒 東経139度47分14秒 / 北緯38.81222度 東経139.78722度座標: 北緯38度48分44秒 東経139度47分14秒 / 北緯38.81222度 東経139.78722度 | ||||||||
公式サイト | 庄内空港 | ||||||||
地図 | |||||||||
庄内空港の位置 | |||||||||
滑走路 | |||||||||
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空港の一覧 |
庄内空港(しょうないくうこう、英: Shonai Airport)は、山形県庄内地方の酒田市と鶴岡市にまたがり立地する地方管理空港である。空港ターミナルビルは酒田市浜中に所在している[1]。愛称は「おいしい庄内空港」である。
概要[編集]
1970年代前後から、全国的に高速交通時代を迎えたが、庄内地方はそれに取り残されたため、空港設置を望む声が上がった。そうした要望を踏まえ地元自治体で組織される庄内開発協議会は、1970年7月、庄内空港建設を提唱した。また県も庄内空港建設調査会を設置。同調査会は『山形県庄内空港整備計画』を策定し、庄内地域の経済発展と情報格差是正に庄内空港の必要性を強調するとともにジェット機空港の建設を提言した[2]。これを受け県は、庄内空港建設を県の重要開発事業として定め、国への働きかけを開始した。しかし、整備計画で建設予定地として提示された三川町において「庄内の美田をつぶすな」との声が起こり、建設推進の動きは止まってしまった[2][3]。
その後、全国的に高速交通網の構築が進展する中、庄内地方は大都市(東京・大阪・仙台)到達まで陸路では半日を要する「陸の孤島」状態が依然として解消されないことに焦燥を募らせた庄内14市町村(当時)の議会が1980年7月、『庄内空港建設促進に関する決議』を可決、さらに翌年1月には、地元の各団体の代表者が結集し、庄内空港建設促進期成同盟会(会長前田巌)が結成され、前田の主導によって関係各方面への陳情や庄内全戸での100円募金と署名運動さらには啓蒙等が活発に繰り広げられた[4]。
1986年11月、庄内空港建設が組み込まれた『第五次空港整備5ヵ年計画』が閣議決定されたことによって庄内空港の開設は決定した。だが、空港建設地である酒田市浜中の地権者の同意を取り付ける段階で「庄内空港を考える会」という建設反対グループが組織されたほか、反対グループを支援する「浜中の地権者を守る会」まで生まれ、さらには共有地権者まで現れる事態となった。反対理由は「行政不信」や「防風防砂対策への不信」などを主としたが[5]、県による懸命な説得と設計の一部変更、砂丘農家に対する配慮の約束が交わされ、1988年6月、反対者と知事らとの間で協定書が締結され建設反対運動は解決をみた[6]。また最大の反対理由として挙げられていた防風防砂対策への不信の解消策の一つとして、黒松など5万本を植栽した庄内空港緩衝緑地整備事業が実施されることになった[5][7]。
1988年6月に空港本体の起工式が挙行され、工事は順調に進み、竣工の予定半年前に完成した。このため開港日も半年ほど早まり、べにばな国体の前年である1991年10月1日に開港した[6]。開港に前後して、周辺自治体らによって広大な土地を活かした複数の工業団地を造成し、ハイテク産業を中心とした工場の誘致に成功している。庄内地方と隣接する秋田県にかほ市は、秋田空港より近くまた無料の駐車場があるため、利用圏内になっている。
ローカル線扱いの東京線は、庄内地方から東京へ短時間で直行できる唯一の高速交通手段で、陸路よりも有利なため、搭乗率は高く収益性が良い。そのためそれまで1日3便であった運航が、2006年のナイトステイの実現により1日4便に拡大されることになった。全日本空輸(ANA)グループの独占路線のため競争が働かない関係から「特割」などの事前購入割引運賃の割引率は低く設定されている。主な利用客は、地元関係者や帰省者に加えて、誘致した企業のビジネス(出張)関係である。年間利用客数は、国内356,529人、国際580人(2013年度)[8]。搭乗率低迷により、2007年度限りで新千歳便が、2008年度限りで伊丹便が廃止となった[9]。しかし、格安航空会社のジェットスター・ジャパンが2019年8月1日に成田線を開設。これにより、定期便はANAの羽田便(1日4往復)、ジェットスター・ジャパン(JJP)の成田便(1日1往復)となっている。
空港近隣には、長野県諏訪市に本社を置くセイコーエプソンの子会社である東北エプソンがあることから、同社の出張に利用するため、本社に近い松本空港と結ぶ社用機による社員専用便が1998年から1日2便定期運航している[10]。
2012年、「まめうさ」が空港ビルのマスコットキャラクターに決定している。
沿革[編集]
- 1991年10月 - 供用開始。全日本空輸がエアバスA320で東京国際空港線、ボーイング737-500で大阪国際空港線開設。
- 1995年6月 - 新千歳空港線(6月 - 10月)が開設。
- 1996年
- 2月 - 新千歳空港線通年運航開始。
- 4月 - 動物検疫指定港になる。
- 1997年4月 - 植物検疫指定港になる。
- 1998年
- 2000年
- 4月 - 庄内産青果物フライト輸送50万ケース達成。
- 5月 - 関西国際空港線を全日本空輸からエアーニッポンに移管。
- 7月 - 搭乗者数300万人達成。
- 2003年10月 - 関西国際空港線休止。
- 2004年4月 - フェアリンク(現・アイベックスエアラインズ)がボンバルディアCRJ-100・200で大阪国際空港(伊丹)線を開設。
- 2005年6月 - 搭乗者数500万人突破。
- 2006年4月 - 機材の夜間駐機(ナイトステイ)開始。
- 2007年
- 9月 - 全日本空輸が新千歳空港線を2007年度をもって休止することを関係各所に通告。
- 10月 - 搭乗者数600万人達成。
- 12月21日 - JR羽越本線脱線事故を受け、突風のメカニズムを把握するため気象庁気象研究所によって空港ビル屋上にドップラー・レーダーが設置される。
- 12月27日 - セイコーエプソン社有機の着陸後に左車輪と接触した滑走路灯が破損。人的被害や他便への影響はなし。
- 2008年3月13日 - 昨年12月21日から屋上に設置されていたドップラーレーダーが、冬期間の観測を終えたため撤去されたが、10月下旬に再び設置され翌年3月まで観測された。期間中、竜巻と見られる現象を何度か観測した。
- 2009年3月 - 大阪国際空港線休止。
- 2012年12月8日 - 全日空機が、着陸後にオーバーランして滑走路先の芝生で停止。人的被害はなし[11]。
- 2014年
- 2015年
- 2016年10月1日 - 開港25周年を迎える[14]。
- 2019年8月 - ジェットスター・ジャパンがエアバスA320で成田国際空港線開設[15]。
就航路線[編集]
国内線[編集]
- 全日本空輸 (ANA)
- 東京国際空港(羽田空港)
- ジェットスター・ジャパン (JJP)
廃止された路線[編集]
- 全日本空輸(エアーニッポンで運航された便もあり)
- 中日本エアラインサービス
- アイベックスエアラインズ
- 大阪国際空港(伊丹空港)
交通[編集]
運行本数・運賃・経路・所要時間等の詳細は、該当項目や公式サイト[1]を参照。
リムジンバス[編集]
道路[編集]
- 山形県道33号庄内空港立川線 庄内空港敷地内が起点
- 接続路線(県道33号に接続)
その他[編集]
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ 庄内空港ビルについて(2020年1月12日閲覧)
- ^ a b 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』p.679
- ^ 『山形県地域開発史』p.592
- ^ 『山形県地域開発史』p.593
- ^ a b 『山形県地域開発史』p.594
- ^ a b 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』p.681
- ^ 『山形県地域開発史』p.597
- ^ “管内空港の利用状況概況集計表(平成25年度速報値)” (PDF) (プレスリリース), 国土交通省東京航空局
- ^ “アイベックス来年3月末 庄内-伊丹線廃止へ”. 『荘内日報』. (2008年10月1日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “ものづくり進化論(日経産業新聞)エプソン、国内工場でプリンターヘッドの生産性10倍”. 日本経済新聞電子版/日経産業新聞. (2016年1月4日) 2017年5月4日閲覧。
- ^ 全日空機がオーバーラン 雪の庄内空港、芝生で停止 - ウェイバックマシン(2012年12月10日アーカイブ分)『朝日新聞』(2012年12月9日)2020年1月15日閲覧。
- ^ 「山形空港」と「庄内空港」の愛称が決定しました! - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分)山形県(2014年5月29日)2020年1月15日閲覧。
- ^ 「小型機パンクで滑走路一時閉鎖 山形・庄内空港」 - ウェイバックマシン(2016年11月13日アーカイブ分)『共同通信』(2014年6月23日)2020年1月15日閲覧。
- ^ “庄内空港25周年、利用促進へ団結誓う”. 『山形新聞』. (2016年10月3日). オリジナルの2016年10月4日時点におけるアーカイブ。 2017年5月4日閲覧。
- ^ 「ジェットスター庄内-成田線が就航 東北初開設」『河北新報』2019年8月2日付(2020年1月12日閲覧)
参考文献[編集]
- 山形県地域開発史作成事務局編『山形県地域開発史』山形県職員研修所、1993年。
- 山形県編 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』山形県、2004年。
関連書籍[編集]
- 庄内空港周辺整備基金協会事務局 企画/編集『神話に挑んだ日々 庄内空港建設記念誌』庄内空港周辺整備基金協会、1998年。
- 庄内空港ビル株式会社編『空への感謝 20年の蒼穹 庄内空港開港20周年記念誌』庄内空港ビル、2012年。
外部リンク[編集]
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