八尾空港

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八尾空港
Yao Airport
Yao Airport02.JPG
IATA: N/A - ICAO: RJOY
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 大阪府八尾市
種類 軍民共用
運営者 国土交通大臣
運用時間 8:00 - 19:30
敷地面積 69.7[1] ha
標高 10[1] m
座標 北緯34度35分46秒 東経135度36分10秒 / 北緯34.59611度 東経135.60278度 / 34.59611; 135.60278座標: 北緯34度35分46秒 東経135度36分10秒 / 北緯34.59611度 東経135.60278度 / 34.59611; 135.60278
ウェブサイト 八尾空港
地図
八尾空港の位置
八尾空港の位置
RJOY
八尾空港の位置
八尾空港の位置
RJOY
八尾空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
09/27 NO 1,490×45 舗装
13/31 NO 1,200×30 舗装
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空港の一覧
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上空から見た八尾空港国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

八尾空港(やおくうこう、: Yao Airport)は、大阪府八尾市にある国管理空港空港法に基づく空港の分類では「その他の空港」に位置づけられている。関西圏ゼネラル・アビエーションの拠点として利用されている。 この空港を利用する小型飛行機やヘリコプターは、市街地のかなり低空を飛行する為、騒音が問題となっている[要出典]

概要[編集]

大阪市南東約14km[注 1]にある空港。定期便の就航はなく、主として航空宣伝・写真測量・操縦訓練などの事業用や自家用の小型航空機ヘリコプターの離発着に利用されているほか、陸上自衛隊消防警察の航空隊が利用している。

1933年(一説には1934年、1938年とも)に設置された阪神飛行学校の滑走路が前身。陸軍の飛行場などを経て、1956年から八尾飛行場として供用された。1961年に空港整備法上の第二種空港に指定され、1967年に八尾空港と改称された[2]。2006年には、隣接地に航空法の高さ制限を超える違法構造物が建設されたため、滑走路1本の閉鎖を余儀なくされた[3]2008年空港法で、「その他の空港[注 2]」に位置付けられたが、「当分の間は、国土交通大臣が設置・管理する空港で、国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港とみなす」との経過措置が設けられた。[注 3][4]

設置者及び管理者は国土交通大臣で、大阪航空局八尾空港事務所が管理する[注 4]。運用時間は8時から19時30分の11.5時間(必要に応じて延長する場合あり)[5]で、、空港への進入道路は22時から翌6時の間は閉鎖される[5]。最大離陸重量5.7tを超える航空機の使用は原則認められていない[5]

利用状況[編集]

約180機の固定翼機ヘリコプターが常駐しており、小型ビジネスジェット機も常駐・飛来する。

利用目的は、固定翼機及び回転翼機を使用しての宣伝広告・写真測量・遊覧飛行・薬剤散布・操縦訓練等の産業航空、災害援助・海難援助・消火救難・海洋汚染パトロール、報道・ドクターヘリの給油、企業所有のビジネス航空機の運航整備基地などのほか、自家用航空機にも利用されており多種多様である。

  • 年間着陸回数 : 13,757回(2015年度)[6]

歴史[編集]

  • 1933年(昭和8年) - 中河内郡大正村大字南木本・太田の農地埋め立てにより東西700m、南北300mの芝生張滑走路が設けられ、阪神飛行学校が設立、民間機パイロットの養成訓練開始。
    • なお開校年については、八尾市立図書館ウェブサイト(外部リンク節を参照)や『日本民間航空史話』(日本航空協会)では1938年(昭和13年)、陸上自衛隊八尾駐屯地ウェブサイトでは1934年(昭和9年)と、それぞれ記述している。
  • 1940年(昭和15年) - 大日本帝国陸軍へ移譲。阪神飛行学校閉校。大正陸軍飛行場と改称。
  • 1941年(昭和16年) - 敷地が約6倍に拡張される。北側と西側へ拡張され、南木本と太田を結ぶ道路(旧八尾藤井寺線)は分断され西へ迂回させられるが、エプロンへの通路が設けられたため地下道でくぐるようになった。
  • 1944年(昭和19年)7月 - 京阪神防空のため編成された陸軍第11飛行師団司令部が置かれ、また二式単戦「鍾馗」四式戦「疾風」装備の飛行第246戦隊第246飛行場大隊が置かれた。
  • 1945年(昭和20年) - 日本を占領下に置いた連合国を構成するアメリカ軍によって一時接収され、ヘリコプター部隊が使用。三角地(現ターミナルエリア)での農耕が始まる。
  • 1952年(昭和27年) - 阪神飛行場と改称し、一部民間での使用開始。
  • 1954年(昭和29年) - アメリカ軍が撤収し、日本政府に全面返還。
  • 1956年(昭和31年)3月31日 - 八尾飛行場と改称し、全国初の民間飛行場として使用開始。
  • 1961年(昭和36年) - 空港整備法による第二種空港に指定。
  • 1969年(昭和44年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地設置。
  • 1970年(昭和45年) - 大阪市消防局航空隊基地設置。
  • 1984年(昭和59年) - 八尾南駅北側にあった旧エプロンが廃止され、新たに整備された現ターミナル地区へ移転。
  • 1987年(昭和62年) - 固定翼エプロン増設。A滑走路改良工事。
  • 1994年(平成6年) - B滑走路改良工事。
  • 2004年(平成16年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地が、関西空港海上保安航空基地への再編に伴い廃止。
  • 2006年(平成18年)5月11日 - B滑走路隣接民有地に、航空法が定める高さ制限を越える建造物の築造があり、撤去作業のため6月12日まで閉鎖。
  • 2007年(平成19年)2月13日 - 阪急ホールディングス・阪神電気鉄道の経営統合に伴う事業の一環として、阪神タイガースヘリコプターの披露式典が行われた。
  • 2008年(平成20年)8月19日 - 着陸しようとした第一航空の小型機が機体トラブルのため、八尾市内の大阪外環状線弓削交差点東側の市道に緊急着陸。乗っていた2人が軽傷を負う事故が発生した。
  • 2013年6月3日 - 日本維新の会共同代表の橋下徹と大阪府知事兼幹事長の松井一郎は米軍の新型輸送機オスプレイの訓練について八尾空港を候補地として国に提案したが[7]、八尾市長の田中誠太は受け入れ反対を表明した[8](そもそも、空け荷でも15tほどの自重があるオスプレイは、現在の八尾空港の滑走路面の舗装が耐えうる航空機重量上限の5.7tを大きく上回るため、仮に運用の受け入れを行うならば路面改修の必要がある)。
  • 2016年(平成28年)3月26日 - 小型機の墜落事故が発生し、4名が死亡する事故が発生した。[9]

施設[編集]

自家用ヘリコプターロビンソンR22 BetaII)
サウスエプロン

滑走路など[編集]

1490mと1200mの2本の滑走路があり、現在の日本では比較的珍しい2本の交差滑走路[注 5]となっている。また、ノースエプロン(回転翼用6スポット)とサウスエプロン(固定翼用66スポット、回転翼用4スポット、試運転用1スポット)が設けられている[5]

航空事業者施設[編集]

次の事業者が事業所や格納庫などを設置し、業務用や自家用の航空機を配備している[5]

その他の施設[編集]

大阪市消防局航空隊「おおさか」

敷地内にあるその他の拠点施設と配備航空機は次のとおり。

  • 大阪府中部広域防災拠点
備蓄倉庫や災害時の物資集配センター、ヘリコプターの駐機場や応援部隊の活動の拠点となる広場などが整備されている。

交通[編集]

関連項目[編集]

その他[編集]

八尾VOR/DMEは整備されているものの、管理官所は、大阪空港事務所システム運用管理センターである。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ただし、大阪市役所から空港事務所までの距離
  2. ^ 空港法施行令(平成20年6月18日政令第197号)において、空港の分類を指定する別表に記載されていない空港。空港法第2条に規定する空港(共用空港以外の空港)のうち拠点空港、地方管理空港及び公共用ヘリポートを除く空港
  3. ^ 空港法施行令(平成20年6月18日政令第197号)改正附則「(経過措置) 2 第一条の規定による改正前の空港整備法施行令別表第二に規定する八尾空港は、当分の間、空港整備法及び航空法の一部を改正する法律第一条の規定による改正後の空港法(昭和三十一年法律第八十号。次項において「新空港法」という。)第四条第一項第六号に掲げる空港とみなす。」
  4. ^ 空港整備事業は近畿地方整備局大阪港湾・空港整備事務所が担当する
  5. ^ 軍用拠点を併置しない空港としては東京国際空港、軍用の拠点が併置される空港としては当空港および仙台空港新潟空港、軍用拠点のみが置かれる基地では空自松島・空自防府北・海自小月が該当する。

出典[編集]

外部リンク[編集]