エマーム・ホメイニー国際空港

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エマーム・ホメイニー国際空港
فرودگاه بین‌المللی امام خمینی
Tehran Imam Khomeini International Airport
Tehran IKIA at Night.jpg
IATA: IKA - ICAO: OIIE
概要
国・地域 イランの旗 イラン・イスラム共和国
所在地 テヘラン州
母都市 テヘラン
運営者 イスラーム革命防衛隊
開港 2004年5月8日
ターミナル 1
拠点航空会社 イラン航空
標高 1,007 m (3,305 ft)
座標 北緯35度24分58秒 東経51度9分8秒 / 北緯35.41611度 東経51.15222度 / 35.41611; 51.15222座標: 北緯35度24分58秒 東経51度9分8秒 / 北緯35.41611度 東経51.15222度 / 35.41611; 51.15222
ウェブサイト http://www.ikia.ir/
地図
エマーム・ホメイニー国際空港の位置
エマーム・ホメイニー国際空港の位置
IKA/OIIE
エマーム・ホメイニー国際空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
11R/29L 4,198×45 アスファルト
11L/29R 4,249×45 アスファルト
閉鎖中
リスト
空港の一覧
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エマーム・ホメイニー国際空港(エマーム・ホメイニーこくさいくうこう、ペルシア語: فرودگاه بین‌المللی امام خمینی‎ Forūdgāh-e Beinol-melalī-ye Emām Khomeinī)は、イラン首都テヘランの南約30kmにある国際空港である。現在市域内となってしまっているメヘラーバード国際空港を代替する目的で建設された。当初はアフマーダーバード空港の呼称であったが、1979年イラン・イスラーム革命の指導者であるルーホッラー・ホメイニー(イランではエマームの称号を冠される)の名が採られた。現在、供用中のターミナルと同程度ないしより大規模なターミナル2が建設中であるが、完成日時は発表されていない。

歴史[ソースを編集]

開港まで[ソースを編集]

空港の建設は1979年のイラン・イスラーム革命以前から行われており、ダラス・フォートワース国際空港を範にとって設計された。当初の設計は合衆国の設計コンソーシアムTAMSの手になるものである。さらに空港の設計建設管理を一括して行う地元の合弁事業体TAMS-AFAが設立された。

しかしながら、イラン・イスラーム革命の勃発により計画は凍結。その後、政府はイランの技術ノウハウによる建設を決定し、地元の設計者・技術者をフランスのADPが主導する形で進められたものの、この契約も2年後に破棄。公共企業連合たる被抑圧者財団(M&J財団)に引き継がれる。メイン・ターミナルは被抑圧者財団によって落成された。さらにこの時点でイラン民間航空機構の決定により、第2ターミナル建設および全体の管理はトルコオーストリアのコンソーシアムTAVに引き継れた。

開港と混乱[ソースを編集]

当初の開港予定は2004年2月1日(「10夜の夜明け」=革命記念週間の初日)が予定された。しかしイラン石油省との協定調印の不調による新空港への燃料供給懸念など問題が山積、開港は同年5月8日まで遅延した。さらに開港を目前にして地元航空会社2社が新空港への移転を拒否する事態が出来した。経済紙「ハヤーテ・ノウ」は半官半民の航空会社イラン・アーセマーン航空社長アリー・アーベドザーデの「私たちは外国人の運営する空港からは飛ばさない」という言葉を引いている。

5月7日、当局はTAVに空港からの機材・人員の引揚を命令、運営はイラン航空に委ねられた。これについても後を受けた空港支配人ホセイン・ピールーズィーは「TAV関係者はまだ空港運営を行っているとの報告であった。全員が金曜日までに空港から立ち去っていたにもかかわらず、である。私は軍から虚偽の報告を与えられたのだと考えている」と発言している。

5月8日にエマーム・ホメイニー国際空港は開港した。しかし、数時間もたたないうちに、空港運営における外国人の関与と、それによる航空保安上の懸念を理由として革命防衛隊の手で閉鎖されてしまった。結局、着陸が許可されたのはドバイからのエミレーツ航空の第一便のみで、続く同じドバイからのイラン航空便は新空港が閉鎖されていたうえにメヘラーバード国際空港への着陸も許可されず、エスファハーン国際空港への目的地変更を余儀なくされ、残余の便はすべて着陸空港をメヘラーバードへと変更されたのである。5月11日、トルコ外務省のユギュル・ズィヤル次官はイランのキャマール・ハッラーズィー外相と会談、この件に関するイラン軍の活動に懸念を表明した。

5月13日、新空港は再開された。革命防衛隊の幕僚代理としてアリー・アフシャール准将は「外国企業はすでに空港運営から離れており、保安上の懸念はすでに解消した」と発言。一方、TAV側は論争解決のために2週間の退去で合意したものの、TAVが第1ターミナル運営を行うというイラン政府との署名協定書がいまだに効力を持つと信じる、と述べている。

さらに問題をややこしくしたのが、2005年4月29日に英国およびカナダが発出した両国市民への空港利用に関する警告である。警告では、エマーム・ホメイニー空港の滑走路が以前のガナート(地下水路)上に建設されており、安全性に懸念があるとした。イラン当局はこれについて、同空港は国際民間航空機関による調査・認証を経ており、安全上の問題はないとの反論を行っている。

メヘラーバードからの国際線移転[ソースを編集]

メヘラーバード空港からの国際線移転は段階的に進められた。当初はペルシア湾岸諸国発着便のみがエマーム・ホメイニー空港へ移転した。国内線と巡礼便(ハーッジウムラのためのサウジアラビアゆき)以外は全てエマーム・ホメイニー空港へ移転する計画であった[1] 。この計画にそって2006年に残余の国際線が移転する予定であったが、たびたび延期。最終的には2007年10月28日午前0時をもってダマスカスジッダメディナなど数便以外をエマーム・ホメイニーに移転することが10月26日に発表された。これは発表通りに実施され、エマーム・ホメイニー空港はテヘランにおける国際空港として、完全な運用に移った[2]

施設・運用の問題[ソースを編集]

エマーム・ホメイニー空港の設計には批判がある。いくつかの区域での天井の低さ、洗面所の不足などを主とするものである。これはメヘラーバード空港からの移転により空港運用能力に関わる問題にまで拡大している。第2ターミナルはいまだ建設中で完成していない。

2008年の利用客による抗議[ソースを編集]

2008年1月4日テヘラン州ギーラーン州は50年来イランには見られなかった激しい暴風に見舞われた。その後も気象状況は緩和せず、1週間にわたって全てのフライトが欠航となった。しかしエマーム・ホメイニー空港は標準的な乗客用サービス、すなわちレストラン、近傍のホテル免税店などが欠如しており、なにより今後の見通しに関わる情報提供が欠けていた。怒った利用客により空港内は騒乱状態となり、個々の要求への返答と食材の無償提供、さらにはイラン航空による運営の廃止をせまった。これに対してイラン航空は諸要求に応えた。また騒乱は警察によって非暴力的に解散され、空港は運用が続けられた。しかしこの事件を受けて、2008年1月13日、イラン航空は公式に空港運営を辞退した。

空港利用税[ソースを編集]

イランのパスポート保持者は年齢に関係なく課税される。これはイラン暦1年間(西暦3月20〜3月21日)において1回目に15万リヤール、2回目に20万リヤールが徴収される。ただしイギリスアラブ首長国連邦トルコへの出発に際しては1回目30万リヤール、2回目40万リヤールである。1ドルは約9200リヤールである。海外在住のイラン市民については現在、空港税は要求されないようになった。

就航航空会社と就航都市[ソースを編集]

国際線[ソースを編集]

航空会社 就航地
イランの旗 イラン航空

中東 クウェート国際空港クウェート)、ダマスカス国際空港ダマスカス)、ドバイ国際空港ドバイ)、バーレーン国際空港バーレーン)、ハマド国際空港ドーハ)、ラフィク・ハリリ国際空港ベイルート)、キング・アブドゥルアズィーズ国際空港ジッダ

アジア スワンナプーム国際空港バンコク)、クアラルンプール国際空港クアラルンプール)、チャトラパティ・シヴァージー国際空港ムンバイ)、ジンナー国際空港カラチ)、北京首都国際空港北京市

ヨーロッパ アムステルダム・スキポール空港アムステルダム)、ジュネーヴ空港ジュネーヴ)、エセンボーア国際空港アンカラ)、アタテュルク国際空港イスタンブール)、ウィーン国際空港ウィーン)、コペンハーゲン空港コペンハーゲン)、フィウミチーノ空港ローマ)、ミラノ・マルペンサ空港ミラノ)、ストックホルム・アーランダ空港ストックホルム)、ヨーテボリ・ランドヴェッテル空港ヨーテボリ)、ケルン・ボン空港ケルン)、フランクフルト空港フランクフルト)、ハンブルク空港ハンブルク)、パリ=オルリー空港パリ)、ロンドン・ヒースロー空港ロンドン[3]シェレメーチエヴォ国際空港モスクワ)、ヘイダル・アリエフ国際空港バクー)、タシュケント国際空港タシュケント

イランの旗 マーハーン航空 アムリトサル、イスタンブール(アタチュルク)、インディラ・ガンディー国際空港デリー)、ドバイ国際空港(ドバイ)、バーミンガム空港バーミンガム)、バグダード国際空港(バグダード)、スワンナプーム国際空港(バンコク)、上海浦東国際空港上海市)、広州白雲国際空港広州市[4]
イランの旗 イラン・アーセマーン航空 ドゥシャンベ空港ドゥシャンベ)、ドバイ国際空港(ドバイ)、マナス国際空港ビシュケク
イランの旗 キーシュ航空 アタテュルク国際空港(イスタンブール)、ダマスカス国際空港(ダマスカス)、ドバイ国際空港(ドバイ)、イズミル[季節]
イランの旗 カスピアン航空 アタテュルク国際空港(イスタンブール)、ズヴァルトノッツ国際空港エレバン)、ボルィースピリ国際空港キエフ)、ダマスカス国際空港(ダマスカス)、ドバイ国際空港(ドバイ)、ミンスク第2空港ミンスク
イランの旗 ターバーン航空 アルマトゥ、アタテュルク国際空港(イスタンブール)、コンヤ[季節]、ダマスカス国際空港(ダマスカス)、ドバイ国際空港(ドバイ)、イスパルタ、イズミル、ヴァルナ[季節]
ウクライナの旗 ウクライナ地中海航空 キエフ・ジュリャーヌィ国際空港(キエフ)
ロシアの旗 アエロフロート・ロシア航空 シェレメーチエヴォ国際空港モスクワ
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン航空 ヘイダル・アリエフ国際空港(バクー)
アフガニスタンの旗 アリアナ・アフガン航空 カーブル国際空港カーブル)、マザーリシャリーフ国際空港(マザーリシャリーフ
アルメニアの旗 アルマヴィア ズヴァルトノッツ国際空港エレバン
イラクの旗 イラク航空 バグダード国際空港(バグダード)、ナジャフ
アラブ首長国連邦の旗 エミレーツ航空 ドバイ国際空港(ドバイ)
アラブ首長国連邦の旗 エティハド航空 アブダビ国際空港(アブダビ)
アラブ首長国連邦の旗 エア・アラビア シャールジャ国際空港シャールジャ
カタールの旗 カタール航空 ハマド国際空港ドーハ
バーレーンの旗 ガルフ航空 バーレーン国際空港バーレーン
クウェートの旗 クウェート航空 クウェート国際空港クウェート
クウェートの旗 ジャジーラ航空 クウェート国際空港(クウェート)
ベネズエラの旗 コンビアサ航空 カラカス、ダマスカス国際空港(ダマスカス)
シリアの旗 シリア・アラブ航空 ダマスカス国際空港(ダマスカス)
ジョージア (国)の旗 スカイ・グルジア トビリシ国際空港トビリシ
タジキスタンの旗 タジキスタン航空 ドゥシャンベ空港ドゥシャンベ
中華人民共和国の旗 中国南方航空 ウルムチ地窩堡国際空港ウルムチ市)、北京首都国際空港(北京市)
タイ王国の旗 タイ・エアアジア X ドンムアン空港(バンコク、2016年6月22日より就航予定)[5]
トルコの旗 ターキッシュ エアラインズ アタテュルク国際空港イスタンブール
トルコの旗 ペガサス航空 サビハ・ギョクチェン国際空港(イスタンブール)、アドナン・メンデレス空港イズミル)、コンヤ空港コンヤ)[季節]
トルコの旗 アトラスジェット ガズィアンテプ[季節]、アタテュルク国際空港(イスタンブール)、アドナン・メンデレス空港(イズミル)、コンヤ空港(コンヤ)
トルコの旗 サンエクスプレス アンタルヤ空港(アンタルヤ)、アダナシャキルパシャ空港シャキルパシャ)[季節]
トルコの旗 オヌル航空 エセンボーア国際空港アンカラ)、アタテュルク国際空港(イスタンブール)、ウスパルタ、アドナン・メンデレス空港(イズミル)[季節]
トルコの旗 コレドン航空 アンタルヤ空港(アンタルヤ)、アタテュルク国際空港(イスタンブール)[季節]、ガズィアンテプ
イギリスの旗 bmi ロンドン・ヒースロー空港(ロンドン)
オランダの旗 KLMオランダ航空 アムステルダム・スキポール空港(アムステルダム)
ドイツの旗 ルフトハンザドイツ航空 フランクフルト空港(フランクフルト)
オーストリアの旗 オーストリア航空 ウィーン国際空港(ウィーン)
イタリアの旗 アリタリア-イタリア航空 フィウミチーノ空港(ローマ)

過去の就航路線[ソースを編集]

航空会社 就航地
イランの旗 イラン航空 仁川国際空港仁川広域市、2010年9月以降休航)、成田国際空港千葉県、2011年11月以降休航)
イランの旗 カスピアン航空 リスト・フェレンツ国際空港ブダペスト
イタリアの旗 アリタリア航空 ミラノ・マルペンサ空港ミラノ、2008年3月29日休航。ローマに変更)
フランスの旗 エールフランス パリ=シャルル・ド・ゴール空港パリ)、2008年10月26日以降休航したが2016年再開予定[6]

事件・事故[ソースを編集]

2007年12月15日イラン時間午前3時、KLMオランダ航空エアバス A330型機がルフトハンザ航空機と接触する事故が起こっている。犠牲者は出ていないが、この事故の影響でルフトハンザ航空601便は欠航、両社社員間で深刻な口論が持ち上がる結果となった。事故はKLM機が搭乗橋横付けのために停止する際に、フランクフルトへ向けて離陸のため滑走路へ向かっていたルフトハンザ機の翼に接触したためである。両機とも重大な損傷は受けていない[7]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ Rezaee, Siavash (2007年10月30日). “President of National Civil Aviation Organization in an interview with "Iran": small airlines will be eliminated” (Persian). Iran-e Eqtesadi. p. 2 
  2. ^ “Hot news”. IKIA.ir. (2007年10月26日). http://www.ikia.ir/pages/templates/Template1/index.asp?id=82&ki=33 2007年10月26日閲覧。 
  3. ^ Winter Schedule 2007/2008” (English). Iran Air. 2008年1月12日閲覧。
  4. ^ イランのマーハーン航空、A340でテヘラン/広州線に就航
  5. ^ “エアアジア、バンコクからテヘラン、マスカットへ”. newsclip.be. (2016年5月19日). http://www.newsclip.be/article/2016/05/19/29269.html 2016年5月25日閲覧。 
  6. ^ http://corporate.airfrance.com/en/strategy/network-and-hubs/the-balanced-network-of-air-france/africa-middle-east/index.html
  7. ^ Lufthansa, KLM planes collide at IKIA” (English). Press TV. 2008年1月5日閲覧。

外部リンク[ソースを編集]