カーブル

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カーブル
كابل
Kabul
アフガニスタンの旗
Section of Kabul in October 2011.jpg
位置
の位置図
位置
カーブルの位置(アフガニスタン内)
カーブル
カーブル
カーブル (アフガニスタン)
カーブルの位置(西南アジア内)
カーブル
カーブル
カーブル (西南アジア)
カーブルの位置(アジア内)
カーブル
カーブル
カーブル (アジア)
座標 : 北緯34度31分59秒 東経69度9分58秒 / 北緯34.53306度 東経69.16611度 / 34.53306; 69.16611
行政
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
  カーブル州
 地区 カーブル地区英語版
 市 カーブル
市長 ムハンマド・ユニス・ナワンディッシュ英語版
地理
面積  
  市域 ? km2
  都市圏 275 km2
標高 1800 m
人口
人口 (2020年現在)
  市域 4,273,156人
  都市圏 4,273,156人
    都市圏人口密度   13,000人/km2
その他
等時帯 アフガニスタン標準時 (UTC+4:30)
夏時間 なし
市外局番 (+93) 20

カーブル市(カーブルし、ペルシア語: كابل‎, ラテン文字転写: Kābul)は、アフガニスタン首都カーブル州州都。日本の主だった報道機関各社は「カブール」という呼称を用いているが、学術的にも一般的にも「カーブル」が妥当である[1]。現地語での発音も「カーブル」に近い。

ヒンドゥークシュ山脈の南縁、カイバル峠の麓のカーブル川英語版沿いの狭小な丘陵に位置する標高約1800メートルの町[2]:231商業が非常に活発であるほか、皮革家具ガラス工業、テンサイ糖の生産なども行われる。アフガニスタンの経済的・文化的中心地で国内最大の都市である。1931年に開学された同国を代表する最高学府である国立カーブル大学はこの都市にある。ガズニーカンダハールヘラートマザーリシャリーフとアフガニスタン国内を一周する環状の高速道路で結ばれている。

3000年以上の歴史を持ち、古くから"文明の十字路"と呼ばれた。現在、数十年続いた戦災からの復興の途上にある。カトマンズと並び、ヒッピーの聖地と言われていた時期もある。

名称[編集]

現地の公用語であるダリー語(アフガン・ペルシア語)やパシュトー語で使用される表記体系であるアラビア文字ないしペルシア文字では、"كابل‎" と綴る。したがって、ラテン文字への転写は "Kābul" であり、カナ転写は「カーブル」となる。発音はいずれの言語でも「カーブル」に近い。[3][4]

しかしながら、日本においては、報道関係者の不注意な聞き間違いから[1]、「カブール」表記が広まった[5]。日本国外務省も「カブール」表記を採用し続けている[6]。日本放送協会も外務省表記に従い「カブール」表記を採る[7]

とはいえ、「カーブル」表記の採用例も無視できないほど多く[8]、専門家が一般人に向けて書いた啓蒙書では「カーブル」が普通である[1]駐日アフガニスタン大使館が提供する公式ウェブサイトでも「カーブル」表記である[9]。また、高等学校世界史教科書などでも「カーブル」が使用されている。[要出典]

英語では [ˈkɑːbəl] または [ˈkɑːbl] と発音されることが多い[10]

歴史[編集]

カーブルは高い山脈に囲まれた広い盆地の中央に位置している[2]:231。カーブルを中心とするこの地域には「カーブリスターン」という名称がある[11]。カーブリスターンは南北と東西、それぞれを結ぶ交易路の交差点であるため、非常に古い時代から人の集住する町があった[2]:231。『リグヴェーダ』(紀元前15世紀頃成書)には Kubha という名前の町への言及があり、プトレマイオス地理書(紀元後2世紀)には Kabura という町の名前が記載されている[2]:231。後述するバーブルの登場以前のカーブルの前身となる町は小さな町にすぎない[12]

ムスリム支配以前のカーブル盆地、カーブリスターンの政治状況については、法顕(5世紀)や玄奘三蔵(7世紀)といった仏僧が残した漢籍史料や、征服前に当地を商売で訪れたアラブ商人の報告がいくつかの情報をもたらしている[12]。遅くとも7世紀前半の支配層は、夏をカーブル盆地で過ごし冬をパンジャーブで過ごす移動型の生活を営んでいた[12]。アラビア語史料は彼らを「トゥルク」と呼び[13]、彼らはヒンドゥー化したトルコ系遊牧民(トゥルクシャーヒー)であったと考えられるが[12]エフタル系民族の可能性もある[13][14]。彼らには「ズンビール」という称号を持つ王がおり、おそらくは太陽を崇拝する宗教を信じていた[13][14][15]

7世紀中ごろ(653-654年)、アラブ=ムスリムの大征服の波はカーブリスターンにも達し、スィースターン方面軍の将軍アブドゥッラフマーン・ブン・サムラカタルーニャ語版アラビア語版が派遣した一部隊は、ズンビールらを破ってカーブルの町を一時的に占領した[2]:231。その後、約200年間にわたりズンビールたちは、カーブリスターンを征服しようと遠征を繰り返すムスリムの諸勢力に抵抗したが、最終的には9世紀末ごろ、サッファール朝により駆逐された[12]。カーブルの町はこの200年余りの間繰り返された小競り合いの結果、破壊された[2]:231

サッファール朝以後、カーブルの支配者はサーマーン朝ガズナ朝ゴール朝ホラズムシャー朝と遷移するがいずれにおいてもカーブルの都市化は進まず、官衙の類が設置されることすらもなかった[12]。中央ユーラシアから豊かなインドへと抜ける道のチョークポイントに近い場所であるため、いざインドへ攻め込む際には各地方の軍勢がここで落ち合った[12]。例えば、アブル・ファドル・バイハキー英語版歴史書英語版には、1031年にガズナ朝スルターン・マスウードアラビア語版がカーブルで1670頭の戦象部隊を閲兵したという記事がある[12]。しかし、そのようなイベントのない平時はムスリム軍人が少数駐屯していただけの場所であり、カーブル周辺の諸郡や山岳は非イスラーム教徒が自ら治めていた[12]

チンギス・ハーンからティムールへと続くモンゴルの時代においてもこうした状況に大きな変化はなく、13世紀にデリーのスルターンが自立を宣言したときですらも、そのことによりカーブルの戦略的重要性が増すということはなかった[12]。しかし、16世紀前半にザヒールッディーン・バーブルがカーブルを自身の版図の首府として以来、この町の戦略的重要性は強く意識されるようになった[12]

ムガル帝国とサファヴィー朝との争奪を経て1738年アフシャール朝ナーディル・シャーによって征服され、その死後、パシュトゥーン人(アフガン人)がアフガニスタンの起源となるドゥッラーニー朝を興すとその首都となった。1839年1879年に、2度のアフガン戦争で2度とも一時イギリス軍の占領下に置かれる。

ソ連のアフガン侵攻[編集]

廃墟となった市街地(1993年

1979年ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻が始まると、12月23日にソ連軍によって占領され、1988年に撤退するまでその司令部が置かれてムジャーヒディーンゲリラとの激しい攻防の中心となった。

1992年ナジーブッラー共産主義政権が崩壊すると、カーブルはムジャーヒディーンの手に落ちたが、ムジャーヒディーン各派の紛争によって甚大な被害を受けた。同年12月、かつては市内に86台走っていたトロリーバスはすべて運行停止を余儀なくされた。1993年までに、市内の電気系統と上下水道は完全に機能を停止した。当時、ラッバーニーが率いるイスラム協会英語版タジク人中心)が市内を掌握していたが、有名無実の首相ヘクマティヤール率いるイスラム党英語版 (HIG) が市街を1996年まで3年間にわたり包囲した。市内では、イスラム協会、ドスタム将軍派のイスラム民族運動ウズベク人勢力)、イスラム統一党ハザーラ人系)の間で戦闘が続き、数万人の民間人が犠牲になるとともに、大量の難民が発生した。

ターリバーン政権[編集]

1996年にカーブルはターリバーンに陥落し、ナジーブッラーは公開処刑された。ターリバーンのカーブル占拠の間は、カーブルを巡る紛争はすべて止んだ。ラッバーニー、ヘクマティヤール、ドスタム、マスードらはカーブルから撤退した。

ターリバーン政権(アフガニスタン・イスラム首長国)期も引き続き首都はカーブルとされ、省庁も同市内に置かれたが、政治の中心は南部のカンダハールだった。同地はアフガニスタンの最大民族パシュトゥーン人の都市で、パシュトゥーン人主体のターリバーンにとっては本拠地だった。ターリバーンの指導者はパシュトゥーン人以外にもタジク人ウズベク人ハザーラ人など多民族が共存する大都市カーブルの風土に馴染まず、本拠地カンダハールに住み続け、同地からカーブルの省庁に指令を下すといった首都機能の逆転現象が見られた。

アフガン紛争[編集]

治安維持に当たるANP英語版の隊員(2011年

約5年後、2001年10月にアメリカがアフガニスタンに侵攻した。米軍による激しい空爆によって、同年11月21日ターリバーンはカーブルを放棄し、北部同盟が代わってカーブルを支配下に治めた。ターリバーン政権期に政治の中心としての機能を失っていたカーブルは首都機能を回復し、12月20日にはカーブルにアフガニスタン暫定行政機構の本部が置かれた。

アフガニスタン・イスラム共和国[編集]

カルザイ大統領の率いる現政権(アフガニスタン・イスラム共和国)が制定した憲法で首都がカーブルに指定され、再度首都としてアフガニスタンの中心都市になり、現在に至る。

気候[編集]

標高が高いため気温は低めである。夏は乾燥し、降水量のほとんどは冬に集中する。ケッペンの気候区分ではステップ気候(BSk)に属する。

カーブル (1956–1983)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.8
(65.8)
18.4
(65.1)
26.7
(80.1)
28.7
(83.7)
33.5
(92.3)
36.8
(98.2)
37.7
(99.9)
37.3
(99.1)
35.1
(95.2)
31.6
(88.9)
24.4
(75.9)
20.4
(68.7)
37.7
(99.9)
平均最高気温 °C (°F) 4.5
(40.1)
5.5
(41.9)
12.5
(54.5)
19.2
(66.6)
24.4
(75.9)
30.2
(86.4)
32.1
(89.8)
32.0
(89.6)
28.5
(83.3)
22.4
(72.3)
15.0
(59)
8.3
(46.9)
19.6
(67.3)
日平均気温 °C (°F) −2.3
(27.9)
−0.7
(30.7)
6.3
(43.3)
12.8
(55)
17.3
(63.1)
22.8
(73)
25.0
(77)
24.1
(75.4)
19.7
(67.5)
13.1
(55.6)
5.9
(42.6)
0.6
(33.1)
12.1
(53.8)
平均最低気温 °C (°F) −7.1
(19.2)
−5.7
(21.7)
0.7
(33.3)
6.0
(42.8)
8.8
(47.8)
12.4
(54.3)
15.3
(59.5)
14.3
(57.7)
9.4
(48.9)
3.9
(39)
−1.2
(29.8)
−4.7
(23.5)
4.3
(39.7)
最低気温記録 °C (°F) −25.5
(−13.9)
−24.8
(−12.6)
−12.6
(9.3)
−2.1
(28.2)
0.4
(32.7)
3.1
(37.6)
7.5
(45.5)
6.0
(42.8)
1.0
(33.8)
−3.0
(26.6)
−9.4
(15.1)
−18.9
(−2)
−25.5
(−13.9)
降水量 mm (inch) 34.3
(1.35)
60.1
(2.366)
67.9
(2.673)
71.9
(2.831)
23.4
(0.921)
1.0
(0.039)
6.2
(0.244)
1.6
(0.063)
1.7
(0.067)
3.7
(0.146)
18.6
(0.732)
21.6
(0.85)
312.0
(12.283)
平均降雨日数 2 3 10 11 8 1 2 1 1 2 4 3 48
平均降雪日数 7 6 3 0 0 0 0 0 0 0 0 4 20
湿度 68 70 65 61 48 36 37 38 39 42 52 63 52
平均月間日照時間 177.2 178.6 204.5 232.5 310.3 353.4 356.8 339.7 303.9 282.6 253.2 182.4 3,175.1
出典: NOAA[16]

人口動態[編集]

人口は2,536,300人(2006年の公式推計[17])。2010年都市的地域の人口では337万人であり、世界の第97位、同国では第1位である[18]ペルシア語系住民が市内人口の多数を占め、スンナ派タジク人が最大のグループで、シーア派ハザーラ人とタジク人がそれに続く。ペルシア語化したパシュトゥーン人の住民も多い。少数派では、パシュトー語系のスンナ派住民がもっとも多く、テュルク系のウズベク人が続く。他にインド語派方言を話すヒンドゥー教徒とシク教徒も相当数が居住している。

人口増加が著しく、2025年に718万人、2050年に1709万人、2075年に3267万人、2100年の人口予測では5030万人を数える世界10位の超巨大都市となる予測が出ている[19]

インフラ[編集]

カーブル市内の地図

輸送機関[編集]

カーブル国際空港がカーブル市民の長距離移動の玄関口となっている。同空港は、アフガニスタンの国営航空であるアリアナ・アフガン航空のハブ空港であるだけでなく、多くの外国の航空会社にも利用されている。2008年には3,500万ドルの費用を掛けた新ターミナルが完成している。

カーブルには公営のバス会社 (Millie Bus) も運営されており、市内の多くの路線がある。2007年現在、約200台のバスが稼働しているが、さらに増便される予定である。かつてカーブルを走行していた、近代的なトロリーバスを再導入する計画も検討中である。バスに加えて、タクシーも市内のどこでも利用することができる。

自家用車の利用もカーブルでは増えつつあり、トヨタランドローバーBMWヒュンダイなどの代理販売店が市内中に見られる。一般道路や高速道路の整備が進むに連れて、自家用車を購入する人が増えている。カーブル市内でもっとも普通に見られるのはトヨタのカローラである。バイクを除いて、カーブル市内のほとんど全ての交通機関は軽油を利用している。

通信[編集]

ビジネス街の新しいランドマーク、カーブル・トレード・センター

GSM/GPRS携帯電話サービスが、Afghan Wireless、Roshan、Areebaの3社によって提供されており、携帯電話の利用が飛躍的に伸びている。2006年6月、アラブ首長国連邦の通信会社Etislatは、アフガニスタン国内での営業免許を政府から取得したことを発表し、全国規模の携帯電話ネットワークの構築の意志を明らかにした。

同年11月に、アフガニスタン通信省と中華人民共和国の通信機器メーカー中興通訊は、6,450万ドルで全国に光ファイバーネットワークを構築する契約を交わした。これによって、カーブル市内だけでなく全国で、電話、インターネットテレビラジオ放送の通信状態が向上することが見込まれる。2009年現在、アフガニスタンのテレビ放送局は6社ある。

再建と開発[編集]

2010年1月時点で、アフガニスタン国際銀行(INGグループによって運営されている)、カーブル銀行、ウエスタンユニオンなど、カーブル市内には14の銀行がある。 2005年には、4つ星クラスの高級ホテルが6階の最上階に入った屋内式のショッピング・モール、カーブル・シティ・センターがオープンした。5つ星の高級ホテル、セレナホテルは2005年にオープンし、ハイアットリージェンシーホテルは2007年なかばにオープン。1969年に開業し、長年カーブルのランドマークであるインターコンチネンタルホテル (カーブル)も、改装されて営業中である。

また、カーブル川南岸とJade Meyward通りに囲まれたカーブル旧市街は、内戦で破壊された建造物に混じって数多くの古いモスクが存在し、また、活発な商業活動が行われている地域であるが、更なる発展のために、20-25年の長期かつ大規模な商業的、歴史的、文化的再開発事業計画 (City of Light Development) が、現在[いつ?]、カルザイ大統領と政府の支援を得た民間資本 (ARCADD) によって進められている。

カーブルから約6.4km(4マイル)離れた郊外、バグラミ地区に、近代的な設備を備えた89,000m2(22エーカー)の工業団地が完成し、近い将来、新たなビジネスセンターになると思われる。 2006年9月には、2,500万ドルの費用を掛けたコカ・コーラの工場がオープンした。

名所[編集]

カーブルの旧市街には、細い曲がりくねった小路沿いに多くのバザールがひしめいている。その他の見所には、カーブル国立博物館(アフガニスタン国立博物館)、ダルラマン宮殿アマーヌッラー・ハーンの王宮)、バーブル廟、戦勝記念塔、カーブル動物園などがある。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 上岡弘二、吉枝聡子「地名・人名の書き方—間違い探し」『暮らしがわかるアジア読本—イラン』、河出書房新社、1999年9月、 78-79頁、 ISBN 978-4-309-72467-6
  2. ^ a b c d e f Adamec, Ludwig W. (2012). Historical Dictionary of Afghanistan. Scarecrow Press. ISBN 9780810878150. https://books.google.com/books?id=AAHna6aqtX4C&pg=PAPA231 
  3. ^ KABUL - Encyclopaedia Iranica”. イラン大百科事典. 2016年5月31日閲覧。
  4. ^ AFGHANISTAN v. Languages - Encyclopaedia Iranica”. イラン大百科事典. 2016年5月31日閲覧。
  5. ^ たとえば、『大辞林第三版』など大辞林 第三版. “カブール”. kotobank.jp. 2014年3月21日閲覧。
  6. ^ アフガニスタン基礎データ”. 外務省. 2016年5月31日閲覧。
  7. ^ NHKドキュメンタリー:アフガン秘宝の半世紀”. NHK. 2016年5月31日閲覧。
  8. ^ たとえば、『世界大百科事典第2版』など世界大百科事典 第2版. “カーブル”. kotobank.jp. 2016年5月31日閲覧。
  9. ^ アフガニスタン国勢情報”. 在日アフガニスタン大使館. 2016年5月31日閲覧。
  10. ^ Kabul”. dictionary.reference.com. 2014年3月23日閲覧。
  11. ^ Bosworth, C.E. (2012). “Kābulistān”. Encyclopaedia of Islam, Second Edition,. Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs.. doi:10.1163/1573-3912_islam_SIM_3748. ISBN 9789004161214. 
  12. ^ a b c d e f g h i j k Planhol, Xavier de (30 December 2012). “KABUL ii. HISTORICAL GEOGRAPHY”. Encyclopaedia Iranica. XV. pp. 282-303. http://www.iranicaonline.org/articles/kabul-ii-historical-geography 2019年5月7日閲覧。. 
  13. ^ a b c 高野, 太輔 (1996). “ウマイヤ朝期イラク地方における軍事体制の形成と変容 : シリヤ軍の東方進出問題をめぐって”. 史学雑誌 105 (3): 307-331. doi:10.24471/shigaku.105.3_307. 
  14. ^ a b Bosworth, C.E. (2012). “Zunbīl”. Encyclopaedia of Islam, Second Edition,. Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs.. doi:10.1163/1573-3912_islam_SIM_8211. ISBN 9789004161214. 
  15. ^ Bosworth, C.E. (2012). “Zūn”. Encyclopaedia of Islam, Second Edition,. Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs.. doi:10.1163/1573-3912_islam_SIM_8210. ISBN 9789004161214. 
  16. ^ Kabul Climate Normals 1956-1983”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年3月30日閲覧。
  17. ^ http://www.cso.gov.af/
  18. ^ http://www.demographia.com/db-worldua.pdf
  19. ^ Hoornweg, Daniel; Pope, Kevin (January 2014). “Population predictions of the 101 largest cities in the 21st century”. Global Cities Institute (Working Paper No. 4). http://media.wix.com/ugd/672989_62cfa13ec4ba47788f78ad660489a2fa.pdf. 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]