アフガニスタン・イスラム首長国

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アフガニスタン・イスラム首長国(アフガニスタン・イスラムしゅちょうこく、パシュトー語: د افغانستان اسلامي امارت英語: Islamic Emirate of Afghanistan)は、タリバン(ターリバーン)が採用したアフガニスタンの国号。日本では、タリバン政権と呼称するのが一般的である。1996年9月にタリバンが首都カブールを含む国土の8割を支配領域とし、タリバンによる政権が成立したが、2001年12月にアメリカ軍の攻撃を受け一度消滅した。その後タリバンはこの国号の下で反政府勢力として活動をつづけ、2021年8月には再びカブールを占領、政権を奪還した。本項では、1996年から2001年まで存在した第一次タリバン政権と、2021年に再度発足した第二次タリバン政権について述べる。

タリバン政権(第1次、1996年 - 2001年)[編集]

アフガニスタン・イスラム首長国
د افغانستان اسلامي امارت
アフガニスタン・イスラム国 1996年 - 2001年 アフガニスタン・イスラム国
アフガニスタンの国旗 アフガニスタンの国章
国旗 国章
国の標語: لا إله إلا الله محمد رسول الله
(lā ilāhā illā-llāhu; muhammadu rasūlu-llāhi)
(アラビア語:アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり)
国歌: دا د باتورانو کور(事実上)
Dā də bātorāno kor
英訳:This is the Home of the Brave
アフガニスタンの位置
公用語 パシュトー語
首都 カーブル
カンダハール(事実上)
アミール=アル=ムウミニーン
1996年 - 2001年 ムハンマド・オマル
首相
1996年 - 2001年ムハンマド・ラッバーニー
面積
2000年587,578km²
人口
2001年推定26,813,057人
変遷
建国 1996年9月
消滅2001年12月17日
通貨アフガニ
国際電話番号+93
現在ターリバーンの旗 アフガニスタン

タリバン政権の樹立と統治[編集]

1996年から2001年の旧タリバン政権は、部分的に承認された国家として存在し、パキスタントルクメニスタン[1][2]サウジアラビアアラブ首長国連邦によってのみ承認された[3] 。それは、イスラム法学派のハナフィー学派とグループの創設者であるムハンマド・ウマルの宗教的命令に従って、イスラム宗教法(シャリーア)のデオバンド派の解釈によって支配された神学として運営されていた。 自由民主主義、世俗主義、そして西側諸国、特に米国とイスラエルへの反対が強く促進された[4][5]。この時期、キリスト教徒、シーア派イスラム教徒、仏教徒、シーク教徒、ヒンドゥー教徒などの非スンニ派イスラム教徒の少数派は、広範な宗教的差別や文化的虐殺、その他の形態の迫害に直面した。 タリバーンはまた、1500年前のバーミヤンの仏像など、数多くの記念碑や歴史的遺物を破壊した[6]

政権の崩壊[編集]

タリバンは最盛期にアフガニスタンの約90%を支配したが、残った北東部は旧政権の北部同盟に支配されており、アフガニスタン政府としての国際連合の代表権を引き続き保持していた。タリバンはウサーマ・ビン・ラーディンとアルカーイダ関係者に安全な避難場所を提供し、アメリカ同時多発テロ事件などの主要なテロ攻撃の計画を可能にした。

2001年のアルカイダによるアメリカ同時多発テロ事件(9.11)後の米国による「対テロ戦争」の宣言に続いて、タリバン政権に対する国際的な非難が高まり、アラブ首長国連邦サウジアラビアパキスタンから相次いで外交的承認を取り消された。

2001年の米国主導のアフガニスタン侵攻は、タリバーンがアルカイダの指導者及び9.11の首謀者オサマ・ビンラディンを引き渡すことを要求したブッシュ政権の最後通告に従うことを拒否した後に起こった。2001年12月17日のトラボラ戦の終結は、北部同盟によるタリバン政権の効果的な転覆を示した。北部同盟は、2か月前のアメリカの侵攻後に設立された国際治安支援部隊(ISAF)によって大いに強化された。これにより、タリバンは国の大部分を喪失し、北部同盟による政権が樹立され、アフガニスタン・イスラム共和国が国号に採用された。

タリバンの勢力は、米国主導の対テロ戦争により、増強された北部同盟によって後退をかさね、2001年12月17日に全土を失陥、指導部はいったん国外へ脱出もしくは地方に潜伏した。その後、ターリバーンは反乱軍として活動をつづけ、2001年12月の転覆から2021年8月のカーブル進駐にいたるまで、すべての公式通信において、一貫して「アフガニスタン・イスラム首長国」を自称しつづけた[7]

歴史[編集]

初期の歴史と民族紛争[編集]

タリバンとその支配は、ソビエト・アフガニスタン戦争後の混乱から生じた。それは、アフガニスタン南部のマドラサの学生で構成されたイスラム教とパシュトゥーン人の政治宗教運動として始まりだった。 圧倒的に民族的なパシュトゥーン人であるタリバーンは、パシュトゥーンワーリーの部族コードとサラフィストの教えの要素を融合させて、それが支配した反西洋および反現代のイスラム主義イデオロギーを形成した。 近隣のパキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦からの支援を受け始めた。

タリバーンは、アフガニスタンの他の民族コミュニティの多くを外国人と見なしていた。パシュトゥーン人はアフガニスタンで最大の民族グループであり、タリバン運動の大部分を占めていた。タリバンが南部と南東部の拠点から拡大するにつれて、彼らはより多くの抵抗に遭遇した。 パシュトゥーンワーリーのパシュトゥーン部族コードに組み込まれた彼らのブランドのデオバンド派イスラム教は、アフガニスタンの他の民族グループによって外国人と見なされていた[8][9][10]。マザリシャリフの戦いは、この民族的緊張を示した[11][12]

政権の樹立[編集]

タリバーンはカンダハールから広がり、1996年に最終的にカブールを占領した。2000年末までに、タリバーンは、主にバダフシャン州の北東隅にある野党(北部同盟)の拠点を除いて、国の90%を支配した。 タリバンの直接の支配下にある地域は、主にアフガニスタンの主要都市と高速道路だった。 部族のカーンと軍閥は、事実上、さまざまな小さな町、村、および農村地域を直接支配していた[13]。タリバーンは、アフガニスタン全土に、法と秩序を確立し、イスラムのシャリーア法の厳格な解釈を、ムラー・モハメッド・オマールの宗教的勅令とともに課そうとした[14]

イスラム首長国の5年間の歴史の中で、タリバーン政権はハナフィー学派のイスラム法学とムラー・オマールの宗教的勅令に従ってシャリーアを解釈した。タリバンは、豚肉アルコール音楽テレビ映画[14]などの多くの種類の消費者向け技術、および絵画や写真[14]などのほとんどの芸術形態を禁止した。男性と女性の参加スポーツではサッカーやチェスを含む[14]凧揚げや鳩や他のペットの飼育などの娯楽活動も禁止されており、タリバンの判決に従って鳥は殺された。映画館は閉鎖され、モスクとして再利用された[14]。西洋とイランの新年のお祝いは禁じられていた。タリバーンは偶像崇拝の一形態と見なしていたため、写真を撮ったり、写真や肖像画を表示したりすることは禁じられていた。女性は働くこと、学校や大学に通うことを禁じられ[14]、パルダを観察し、男性の親戚が家の外に同行するように求められた。これらの制限に違反した者は罰せられた[14]。男性はひげを剃ることを禁じられており、タリバンの好みに応じてひげを成長させて長く保つこと、そして家の外でターバンを着用することを要求された[14][15]。共産主義者は体系的に処刑された。祈りは強制され、アザーンの後に宗教的義務を尊重しなかった人々は逮捕された[14]。ギャンブルは禁止され[14]、泥棒は手や足を切断することで罰せられた[14]。 2000年、タリバーンの指導者ムラー・オマールはアフガニスタンでのアヘン栽培と麻薬密売を公式に禁止した[14][16][17]。タリバーンは、2001年までにアヘン生産の大部分(99%)をほぼ根絶することに成功した[16][17][18]。アフガニスタンのタリバーン統治の下で、麻薬使用者とディーラーの両方が厳しく起訴された。アフガニスタンのさまざまな州で伝統的に行われている少年愛の性的奴隷制と小児性愛の一種であるバッチャ・バーズィのアフガニスタンの慣習も、タリバン政権の6年間の統治下で禁じられていた。

閣僚と副大臣は「マドラサ教育」を持ったムッラーであった。 保健大臣や州知事などの数人は、主に軍の司令官であり、必要に応じて戦うために行政のポストを離れる準備ができていた。彼らを列の後ろに閉じ込めたり、彼らの死に導いた軍の逆転は、国家政権の混乱を増大させた。 全国レベルでは、「タジク、ウズベク、ハザラのすべての上級官僚」は「資格があるかどうかにかかわらず」「パシュトゥーン人」に置き換えられた。 その結果、省庁は「概して機能を停止した」。

ラシッドはタリバーン政府を「カンダハリスによって運営されている秘密結社...神秘的で秘密主義的で独裁的」であると説明した。 彼らのスポークスマンが説明したように、彼らは選挙を行わなかった。

第一次政権の政治[編集]

1996年9月に首都カーブルを掌握すると、首都を脱出した旧政権(アフガニスタン・イスラム国北部同盟)に代わる暫定政権を発足させた。当初は、旧政権側との統一した政権ができるまでの暫定的措置として、新たに任じられた各省庁の長も「大臣代行」を称していたが、北部への進撃の過程で「大臣」に改め、1997年10月には最高指導者ムハンマド・オマルの首長即位と、国号の「アフガニスタン・イスラム首長国」への変更を宣言するに至った。

最高指導者のオマルは拠点のカンダハールに留まり、対外的な露出を抑え、「カンダハール・シューラ(指導者会議)」を主導し、首都カブールの「カブール・シューラ(統治評議会)」に指令を出す統治形態がとられた。統治評議会は、内閣に相当し、評議会議長(首相)と2名の副議長(副首相)、各省庁の大臣で構成され、ムハンマド・ラバニを議長とする政府を組織した。政府の閣僚・次官、中央銀行総裁などその他の政府機関の高官に就任したタリバーンの幹部は学歴や各分野への見識の深さではなく、オマルへの忠誠や内戦の論功行賞で選ばれた。また省庁の実務を支える官僚についても、パシュトゥーン人を優遇し、旧政権から表彰された役人を解雇し、給与も数か月間も遅配されるなど勤労意欲は下がり、行政機構は空洞化するに至った。

2001年当時の主要な閣僚 [編集]

元首

内閣

1996年9月27日発足。2000年3月、8月内閣改造

  • 統治評議会議長(首相) - ムハンマド・ラッバーニー(政権崩壊前の2001年4月に病死)
  • 統治評議会第一副議長(第一副首相) - ムハンマド・ハッサン・アフンド
  • 統治評議会第二副議長(第二副首相) - アブドゥル・カビール(議長の死去後、2001年11月の政権崩壊まで議長職を代行)
  • 外相 - アブドゥル=ワキール・アフマド・ムタワッキル
  • 内相 - アブドゥル=ラザン・アフンド
  • 財務相 - アブドゥル=ワサイ・アガジャン・モタセム
  • 教育相 - アミール・ハーン・ムッタキー
  • 国防相 - ムッラー・ハッジ・ウバイドゥッラー・アフンド
  • 勧善懲悪相 - ムハンマド・ワーリ
  • 航空・観光相 - アフタル・ムハンマド・マンスール(2010年にターリバーンのナンバー2に就任、2015年7月に最高指導者に就任。2016年5月死亡)
  • 通信・労働相 - アフマドゥッラー・モティ
  • 情報・文化相 - クトラドゥッラー・ジャマール
  • 保健相 - ムッラー・ムハンマド・アッバース・アフンド
  • 司法相 - ヌールッディーン・トゥラービー
  • 軽工業相・食糧相 - ハムドラ・ザーヒド
  • 鉱工業相 - ムハンマド・イーサー・アフンド
  • 農相・動物管理相 - アブドゥル=ラティーフ・マンスール
  • 巡礼寄進相 - サイード・ギアスディン・アガー
  • 計画相 - サドルッディーン・サイード
  • 貿易相 - アブドゥル・ラッザーク
  • 難民相 - アブドゥル・ラキブ
  • 国境・部族問題相 - ジャラールッディーン・ハッカーニー英語版
  • 兵站相 - ヤル・ムハンマド
  • 保安相 - ムハンマド・ファーズィル
  • 高等教育相 - カリ・ディーン・ムハンマド

その他の役人 [編集]

第1次政権の国際関係[編集]

政府承認[編集]

以下の国のみが政権を承認した[20]

その他に、2000年には、ロシア連邦と独立紛争を起こしていたチェチェン・イチケリア共和国を国際社会で初めて承認している。このため、ロシア政府はターリバーンをテロ組織に指定した[21]

国土の90%以上を掌握したものの、過激な政策で国際的な承認が広がらなかったこともあり、アフガニスタンとしての国際連合の代表権は引き続き旧政権である北部同盟が保持し続けていた。

対日関係[編集]

日本国政府はタリバン政権側も北部同盟側も承認せず、1989年から駐カブールの大使館は閉鎖されたままであったが、国際機関を経由して経済援助は行ってきた[22]。1997年7月には来日したアッバス保健相代行が都内で外務省の登誠一郎・中近東アフリカ局長と会見。外務省側は北部同盟との和平促進を促したが、ターリバーン側は難色を示した。アッバス保健相らはNGO団体(国際医療ボランティア)のAMDAの招きにより他にも複数回来日し、1998年には、全ての子どもにワクチンを打ち終わるまで北部同盟との戦闘を停止するとの「ワクチン停戦」に署名している。この「ワクチン停戦」には別の時期に北部同盟側のアブドラ外務次官らも来日して署名している。アッバス保健相は、政権崩壊直前の2001年4月にも来日して、アフガニスタンへの医療支援を訴えている。

第1次政権の軍事[編集]

1996年にターリバーンがカブールを支配した後、アフガニスタン軍は解散し、代わりにターリバーンが指揮する独自の軍隊が創設された。ターリバーンは、400台のソビエト製T-54T-55およびT-62主力戦車と、200台以上の装甲兵員輸送車を保有していた[23] [24]。ターリバーンは自分たちの軍隊と指揮官の訓練を始めた。 その中にはパキスタンの軍統合情報局(ISI)によって訓練されたものさえあった[25]。ISIは、1990年代にアフガニスタンを征服するための彼らの推進において、パキスタンの同盟国としてタリバンを支援し続けた。軍は少年兵を使用しており、その多くは14歳未満であった[26] 。40万人の現役要員と5万人の予備要員がいた。

タリバーン下の空軍は5機のMiG-21MFと10機のSu-22戦闘爆撃機を中心に、6機のMi-8輸送ヘリコプター、5機のMi-35攻撃ヘリコプター、5機のL-39C攻撃機、6機のAn-12輸送機を保有していた[27]。また、民間航空サービスでは、ボーイング727Tu-154、5機のAn-24、およびDHC-6を保有していた[27]

これらの航空機はすべて、2001年のアフガニスタンでの戦争中に米軍によって破壊された。MIG-21のほとんどはアフガニスタンの廃品置き場で終わりを迎えた[28]

タリバン政権(第2次、2021年 - )[編集]

2019年8月、米国トランプ政権はタリバンとの間で和平協議を行い、2020年8月、2021年5月を期してアフガニスタンより米軍を全面撤収させることに合意した。2021年1月に発足した米国バイデン政権は、米軍の完全撤退の期限を同年8月末と発表。タリバンは2021年5月より攻勢を開始し、同年8月15日、ターリバーンはカーブルを陥落させ、パンジシール州を除くアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言した[29]

「国内融和」の宣伝と実際[編集]

カブール制圧翌日の2021年8月17日、タリバンのムジャヒド報道官は記者会見を行い、「イスラムの教えの範囲内」で女性の就労や教育、それにメディアの活動などを保障する考えをしめした。また「われわれはすべての人を許し、政府軍や外国勢力のために働いていた人たちにも報復はしない。また、いかなる国の脅威にもならない」と述べた[30]

翌8月18日には、民間のテレビ放送「トロ・ニュース」にタリバンの広報担当者が出演、女性キャスターのインタビューを受けながら、「タリバンは、イスラム教に基づいて女性に権利を与えることに尽力している。女性は、必要とされる保健部門やその他の部門で働くことができる。女性に対する差別はないだろう」と述べた[31]

「暫定政権」の発足[編集]

タリバンは、2021年9月7日、「暫定政権」の閣僚31人の名簿を発表した。「暫定」とした理由は、「式典の遅れで権力の空白を生むより、「公的サービスを国民に届けるため、緊急的に閣僚を発表する必要があった」と説明された。

タリバンは、閣僚名簿の発表を受けて最高指導者アクンザダ師の声明を発表、「閣僚たちが、イスラムの規範を守るために懸命に働くことを保証する」、「タリバンは、少数派や恵まれない人たちの権利を守るため、イスラムの教えの範囲で取り組む」と伝えた。

タリバン「暫定政権」の陣容[32]
ポスト名 就任者 任期 生没年 備考
首相代行 ムハンマド・ハッサン・アフンド英語版 2021年9月7日-      
外相代行 アミール・カーン・ムタキ 2021年9月7日-      
第1副首相代行 アブドゥル・ガニ・バラタキ
(アブドゥル・ガニ・バラダル)
2021年9月7日-      
内務相代行 シラジュディン・ハッカーニ
(シラージュディン・ハッカーニ)
2021年9月7日-      
第2首相代行 アブドゥル・ハラニ・ハナフィー 2021年9月7日-      
勧善懲悪相代行 ムハンマド・ハリド 2021年9月7日-      
国防相代行 ムハンマド・ヤクーブ 2021年9月7日-      
高等教育相代行 アブドゥル・バキ・ハッカーニ[33] 2021年9月7日-      
通商産業相代行 アジジ[34] 2021年9月21日-    タジク人  
副保健相代行  [35] 2021年9月21日-    ハザラ
タリバン報道官
ポスト名 名前 任期 会見日 取材者 記事名 備考
報道官 ムジャヒド   2021年8月17日 (カーブル攻略後の初の公開会見) 「タリバン 女性の就労など認める考え示すも メディア統制開始か」[36]
報道担当幹部 スハイル・シャヒーン   2021年9月11日 朝日新聞  「中村哲さんは「特別な存在」 タリバン幹部、事件の再捜査を明かす」[37]
報道担当 マラヴィ・アブダラ・ラハマニ   2021年9月13日 BBC  「タリバン、抵抗勢力の拠点で民間人を殺害 BBCが証拠入手」[38]
報道官 シャヒーン   2021年9月14日 (ツイッターに投稿) 「タリバン、副首相バラダル師が内部抗争で死亡とのうわさを否定」[39]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ Turkmenistan-Foreign Relations”. Globalsecurity. 2017年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月31日閲覧。
  2. ^ Turkmenistan Takes a Chance on the Taliban”. Stratfor. 2019年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月31日閲覧。
  3. ^ Guelke, Adrian (25 August 2006). Terrorism and Global Disorder – Adrian Guelke – Google Libros. ISBN 9781850438038. https://books.google.com/books?id=diJSFBiOMjUC&pg=PA55 2012年8月15日閲覧。 
  4. ^ Nagamine, Yoshinobu (2016). The Legitimization Strategy of the Taliban's Code of Conduct: Through the One-Way Mirror. Palgrave Macmillan. pp. 19. ISBN 9781137530882 
  5. ^ Jeffrey, Craig; Harriss, John (2014). Keywords for Modern India. Oxford University Press. pp. 77. ISBN 9780191643927 
  6. ^ “The man who helped blow up the Bamiyan Buddhas” (英語). BBC News. (2015年3月12日). https://www.bbc.com/news/world-asia-31813681 2021年8月17日閲覧。 
  7. ^ Taliban rejects Bush ultimatum” (英語). gulfnews.com (2001年9月22日). 2021年8月22日閲覧。
  8. ^ Why are Customary Pashtun Laws and Ethics Causes for Concern?”. 2014年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月15日閲覧。
  9. ^ Zahid. “TRIBUNE LIBRE N°37 UNDERSTANDING TALIBAN THROUGH THE PRISM OF PASHTUNWALI CODE”. www.cf2r.org. 2014年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月15日閲覧。
  10. ^ Wandering Kuchis pay for their Taliban links”. The Age (2005年8月27日). 2021年8月31日閲覧。
  11. ^ Massacre in Mazar Sharif – 2”. www.hazara.net (2013年4月19日). 2021年8月31日閲覧。
  12. ^ Travis, Hannibal (2013) (英語). Genocide, Ethnonationalism, and the United Nations: Exploring the Causes of Mass Killing Since 1945. Routledge. pp. 115. ISBN 978-0-415-53125-2. https://books.google.com/books?id=NbWdlRL8WzMC&lpg=PA115. "The massacres in Mazar-i-Sharif alone in 1998 claimed 8,000–10,000 lives" 
  13. ^ Griffiths 226.
  14. ^ a b c d e f g h i j k l Matinuddin, Kamal (1999). “The Taliban's Religious Attitude”. The Taliban Phenomenon: Afghanistan 1994–1997. Karachi: Oxford University Press. pp. 34–43. ISBN 0-19-579274-2. https://books.google.com/books?id=BIyVMkjat2MC&pg=PA34 2020年7月8日閲覧。 
  15. ^ US Country Report on Human Rights Practices – Afghanistan 2001”. State.gov (2002年3月4日). 2020年3月4日閲覧。
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  19. ^ ターリバーン政権は国際連合でのアフガニスタン政府としての代表権を主張したが、国際連合は旧政権の北部同盟にアフガンの代表権を引き続き与えたため、ターリバーンは使節(正式な大使ではない)という形式で国連に代表を派遣した。
  20. ^ Terrorism and Global Disorder – Adrian Guelke – Google Libros. Books.google.com. https://books.google.com/books?id=diJSFBiOMjUC&pg=PA55#v=onepage&q&f=false 2018年6月8日閲覧。 
  21. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年8月18日). “ロシアがタリバンと協調姿勢 「裏庭」の安定確保 反欧米アピールも” (日本語). 産経ニュース. 2021年8月19日閲覧。
  22. ^ 毎日新聞2001年
  23. ^ Stars and Stripes (2014-07-15), The Beasts of Kabul: Inside the Afghan Army's Soviet Tanks, https://www.youtube.com/watch?v=f2TRMeQXlTs 2018年7月5日閲覧。 
  24. ^ The Guardian, Taliban lose grip on Mazar i Sharif, 7 November 2001
  25. ^ West, Julian (2001年9月23日). “Pakistan's godfathers of the Taliban hold the key to the hunt for Bin Laden”. London: Daily Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/pakistan/1341405/Pakistans-godfathers-of-the-Taliban-hold-the-key-to-hunt-for-bin-Laden.html 
  26. ^ CONFLICTS IN KOSOVO, SIERRA LEONE AND ANGOLA, QUESTION OF EAST TIMOR KEY ELEMENTS OF SECURITY COUNCIL'S WORK FOR 1999”. 2021年8月22日閲覧。 “The United Nations Security Council expressed deep distress over reports indicating that thousands of non-Afghani nationals – some younger than 14 years old – were involved in the fighting on the Taliban side.”
  27. ^ a b Jane's Sentinel Security Assessment, 2001
  28. ^ Ivanov, Grigory. “WINGS PALETTE – MiG MiG-21/J-7 Fishbed/Mongol – Afghanistan (Taliban)”. wp.scn.ru. 2018年7月5日閲覧。
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  30. ^
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関連項目[編集]