アフガニスタン・イスラム首長国

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アフガニスタン・イスラム首長国
د افغانستان اسلامي امارات‬‎
アフガニスタン・イスラム国 1996年 - 2001年 アフガニスタン・イスラム国
アフガニスタンの国旗 アフガニスタンの国章
国旗国章
国の標語: لا إله إلا الله محمد رسول الله
(lā ilāhā illā-llāhu; muhammadu rasūlu-llāhi)
(アラビア語:アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり)
国歌: なし(音楽は非合法化されていた)
アフガニスタンの位置
2000年のアフガニスタン
公用語 パシュトー語
首都 カーブル
カンダハール(事実上)
アミール=アル=ムウミニーン
1996年 - 2001年 ムハンマド・オマル
首相
1996年 - 2001年ムハンマド・ラッバーニー
面積
2000年587,578km²
人口
2001年推定26,813,057人
変遷
建国 1996年9月
消滅2001年12月17日
通貨アフガニ
国際電話番号+93
現在アフガニスタンの旗 アフガニスタン

アフガニスタン・イスラム首長国パシュトー語: د افغانستان اسلامي امارات‬‎)は、1996年9月、カブール陥落後にタリバンアフガニスタンの支配を開始したイスラム国家。英語では“Islamic Emirate of Afghanistan”と表記された。

概要[編集]

ピーク時に、タリバンはアフガニスタンの約90%を支配したが、残った北東部は旧政権の北部同盟に支配されており、アフガニスタン政府としての国際連合の代表権を引き続き保持していた。タリバンはウサーマ・ビン・ラーディンとアルカイダ関係者に安全な避難場所を提供し、アメリカ同時多発テロ事件などの主要なテロ攻撃の計画を可能にした。アメリカ同時多発テロ事件以降、タリバン政権に対する国際的な非難が高まり、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、パキスタンから相次いで外交的承認を取り消された。アフガニスタン・イスラム首長国は、米国主導の対テロ戦争により、増強された北部同盟によって打ち倒された後、2001年12月17日に消滅した。 なお、2018年現在においても、タリバーン勢力側は、アフガニスタンの正当な政権として「アフガニスタン・イスラム首長国」と称している。

政府[編集]

1996年9月に首都カブールを掌握すると、首都を脱出した旧政権(アフガニスタン・イスラム国=北部同盟)に代わる暫定政権を発足させた。当初は、旧政権側との統一した政権ができるまでの暫定的措置として、新たに任じられた各省庁の長も「大臣代行」を称していたが、北部への進撃の過程で「大臣」に改め、1997年10月には最高指導者ムハンマド・オマルの首長即位と、国号の「アフガニスタン・イスラム首長国」への変更を宣言するに至った。

最高指導者のオマルは拠点のカンダハールに留まり、対外的な露出を抑え、「カンダハール・シューラ(指導者会議)」を主導し、首都カブールの「カブール・シューラ(統治評議会)」に指令を出す統治形態がとられた。 統治評議会は、内閣に相当し、評議会議長(首相)と2名の副議長(副首相)、各省庁の大臣で構成され、ムハンマド・ラバニを議長とする政府を組織した。政府の閣僚・次官、中央銀行総裁などその他の政府機関の高官に就任したタリバーンの幹部は学歴や各分野への見識の深さではなく、オマルへの忠誠や内戦の論功行賞で選ばれた。また省庁の実務を支える官僚についても、パシュトゥーン人を優遇し、旧政権から表彰された役人を解雇し、給与も数か月間も遅配されるなど勤労意欲は下がり、行政機構は空洞化するに至った。

対外関係[編集]

 政府承認 [編集]

以下の国のみが政権を承認した[1]

その他に、2000年には、ロシア連邦と独立紛争を起こしていたチェチェン・イチケリア共和国を国際社会で初めて承認している。

国土の90%以上を掌握したものの、過激な政策で国際的な承認が広がらなかったこともあり、アフガニスタンとしての国際連合の代表権は引き続き旧政権である北部同盟が保持し続けていた。

 対日関係 [編集]

日本政府は、タリバン政権側も北部同盟側も承認せず、1989年から駐カブールの大使館は閉鎖されたままであったが、国際機関を経由して経済援助は行ってきた[2]。政権崩壊直前の2001年4月にはNGO団体(国際医療ボランティア)のAMDAの招きにより、アッバス保健相が来日して、アフガニスタンへの医療支援を訴えている。

脚注[編集]

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  1. ^ Terrorism and Global Disorder – Adrian Guelke – Google Libros. Books.google.com. https://books.google.com/books?id=diJSFBiOMjUC&pg=PA55#v=onepage&q&f=false 2018年6月8日閲覧。. 
  2. ^ 毎日新聞2001年

関連項目[編集]