東エルサレム

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東エルサレム
القدس الشرقية
מזרח ירושלים
東エルサレム(2014年)
東エルサレム(2014年)
位置
東エルサレムの位置の位置図
東エルサレムの位置
エルサレムの地図西エルサレム(青色)東エルサレム(緑色)無人地区(赤色)の位置図
エルサレムの地図
西エルサレム(青色)
東エルサレム(緑色)
無人地区(赤色)
行政
パレスチナの旗 パレスチナイスラエルの旗 イスラエル
 地区 エルサレム県エルサレム地区
 市 エルサレム
 地域 東エルサレム
人口
人口 (2007年12月1日現在)
  地域域 225,416人

東エルサレム(ひがしエルサレム、アラビア語: القدس الشرقية‎, ヘブライ語: מזרח ירושלים‎)は、現代のエルサレム東部の地区名。1949年以前のエルサレム市域の20%を占め、ユダヤ教イスラム教キリスト教聖地でもある旧市街を含む。周囲の28パレスチナ国パレスチナ自治政府)は東エルサレムを首都とみなしているが、現状はイスラエル実効支配を行っている。また、パレスチナとイスラエルは双方共に領有権を主張しているが、国際的にはどちらの主張も認められていない。人口は約23万人[1]


概要[編集]

エルサレムの旧市街は東エルサレムにあり、旧市街はユダヤ教キリスト教、ならびにイスラム教聖地として国際的に知られている。

歴史[編集]

東エルサレムが「成立」したのは、1949年の第一次中東戦争の休戦協定によりエルサレムをイスラエルとヨルダンが東西に分割統治したことに始まる。イスラエルは西エルサレムを含んだ地域を、ヨルダンは旧市街を含めた東エルサレムを含めたヨルダン川西岸地域(現在のヨルダン川西岸地区)を統治することとなった。

しかし、1967年の第三次中東戦争時にイスラエルがヨルダン川西岸地区を占領。東エルサレムもイスラエルの占領下におかれ、周囲の28の地方自治体と共に西エルサレムに統一・編入(併合)された。この「新エルサレム」は現在に至るまでイスラエルが実効支配している。(ただし、国際的には認められていない)
ヨルダンは1994年に締結したイスラエル・ヨルダン平和条約英語版で東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区の領有を放棄した。しかし、パレスチナ自治政府は東エルサレムを独立後の首都とみなしている。

中東の衛星放送・アルジャジーラの報道によれば、2008年のエフード・オルメルト首相パレスチナ自治政府マフムード・アッバース議長の秘密交渉の中でパレスチナ側が、同地域のハル・ホマ地区を除く全入植地をイスラエル側に譲渡する大幅な譲歩案を示していた経緯が明らかにされている[2]

なお、東エルサレムは歴史的にヨルダン川西岸地区(旧ヨルダン実効支配地域)に含まれてはいるが、政治的・文化的・人道的な重要性からヨルダン川西岸地区とは別個に取り扱われることが多い。一例としてオスロ合意は、他のパレスチナ領域と別個の問題として東エルサレムを取り扱かっている。また、イスラエルは東エルサレムの併合を宣言しているため、イスラエルは東エルサレムをヨルダン川西岸地区の一部としては考えていない。

社会・文化[編集]

東エルサレムは、主にパレスチナ人が居住しており、交通機関などもパレスチナ人特有のアラブ・バスが運行されている。ユダヤ教のヨム・キプールに該当する日においても、東エルサレムにおいては通常の日常生活が営まれている。

観光[編集]

脚注[編集]