佐賀県

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さがけん ウィキデータを編集
佐賀県
佐賀県旗佐賀県章佐賀県シンボルマーク
佐賀県旗佐賀県章シンボルマーク
日本の旗 日本
地方 九州地方
団体コード 41000-4
ISO 3166-2:JP JP-41
面積 2,440.67km2
総人口 789,232[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 323人/km2
隣接都道府県 福岡県長崎県
県の木 クスの木
県の花 クスの花
県の鳥 カササギ(カチガラス)
県の歌 県歌:「佐賀県民の歌
さが・ふるさとの歌:「栄の国から
佐賀県準県歌:「風はみらい色
佐賀県庁
知事 山口祥義
法人番号 1000020410004 ウィキデータを編集
所在地 840-8570
佐賀県佐賀市城内一丁目1番59号
佐賀県庁
佐賀県庁
外部リンク http://www.pref.saga.lg.jp/ 佐賀県庁
佐賀県の位置

佐賀県行政区画図

― 市 / ― 町

ウィキポータル 日本の都道府県/佐賀県
ウィキプロジェクト

佐賀県(さがけん)は、日本九州地方の北西部にある県庁所在地佐賀市

日本海有明海の二つの海に接する。県西部の唐津伊万里有田などは古くから陶磁器の産地として有名である。

令制国肥前国東部に当たる。県名の「佐賀」は県庁所在地名から採られたもので、明治維新以前は「佐嘉」とも表記されていた。「佐嘉」の名は、日本武尊がこの地を指して言ったとされる「栄の国」が変化したという説が広く支持されていて、『肥前国風土記』にその記載がある。

陸上で長崎県と県境を接する唯一の県である。

地理

日本の中では西部(西日本)あるいは南部(南日本)に位置しており、九州地方の中では北部(北部九州)または西部(西九州)に位置している。九州7県の中では、面積・人口共に最も少ない。

県内の地域区分としては、佐賀藩唐津藩に二分されていた歴史的経緯から、唐津市を中心とした北部(北西部)と、佐賀市を中心とした南部(南東部)に分ける2区分が最もよく用いられる。より細かく分ける場合は北部・東部・西部の3区分や三神・佐城・杵藤・唐松・伊西の5区分が用いられる。ここでは、地勢の面から3つに分けて説明する。

県北東部には、唐津市浜玉町を西端として最高1,000m級の脊振山地が連なり、その稜線が福岡県との県境になっている。山地は県中央部に位置する天山まで広がっている。東端の鳥栖市基山町で山脈は途切れるが、その延長線には福岡県の耳納山地が延びている。鳥栖市・基山町は隣接する久留米市とともに山地の合間にあり、北の福岡平野と南の筑紫平野を結ぶ交通の要所でかつ工業地域であり、福岡都市圏ベットタウンでもあるため、住宅地が次々と生まれており人口増加率が高い。

脊振山地の南麓はゆるやかな丘陵地帯で、それより南、鳥栖市から白石町までの県南東部は筑紫平野(うち、佐賀県部分は佐賀平野と呼ばれる)が広がる。佐賀平野は穀類の生産が多い穀倉地帯である。鳥栖市や佐賀市など人口の多い都市があり、福岡長崎を結ぶ長崎本線長崎自動車道などの主要交通路が平野を横断している。また有明海沿岸には、江戸時代以降の干拓により造成された地域が分布している。筑紫平野の中央を縦断する筑後川によって福岡県筑後地方と隔てられている。平坦な低地が内陸まで広がり、多数の河川が集まっているため、20世紀半ばまで洪水被害が頻発していたが、治水が進んだことにより現在は被害が大きく抑えられている。

県央の天山を境に、南側は杵島丘陵が広がり、やがて多良岳山系へと続く。西側にも丘陵地帯が連なり、県西部の西松浦半島や北西部の東松浦半島へと続く。県の西半分はほとんどが溶岩台地やゆるやかな丘陵地で構成されている。丘陵地ではミカン栽培、リアス式海岸玄界灘沿岸では沿岸漁業が盛んである。現在の唐津市南部や多久市周辺にはかつて炭鉱があったが、閉山により急速な地域衰退が起こり、人口も急減した。一方で、県を代表するブランドの有田焼・唐津焼の地元であり、武雄市嬉野市の温泉街、唐津城呼子などの観光地が多く点在する。

県南部の多良岳が活動していない火山であるほかは、県内に火山はない。地震の被害を受けることは少ないが、梅雨などの大雨による洪水台風の被害は多い。また、森林面積の3割強を占める自然林二次林のほとんどが常緑広葉樹林で、玄界灘沿岸部には照葉樹林も見られる。残りの7割弱はスギヒノキを中心とする人工林で、森林の人工林率(66%、2002年平成14年))は日本の都道府県の中で最も高い。

韓国など東アジア地域に比較的近いが、海上輸送は旅客では博多港北九州港長崎港などに押されて低迷している。貨物は伊万里港が九州3位のコンテナ取扱量となっている。陸上輸送については鳥栖市など県東部は高速道路網・鉄道網の分岐点となっており、九州での陸上輸送の要となっているが、有明海沿岸や玄界灘沿岸では都市間交通が整備途上にある。空中輸送では1998年(平成10年)に開港した佐賀空港が使用されているが、旅客では近隣の福岡空港長崎空港に比べ便数などの面で大きく差を開けられている。

  • 県の領域
  • 隣接する都道府県
    • 福岡県長崎県
    • 北海道、長崎県、沖縄県を除く全ての都府県には、陸上で隣接する県が2つ以上あるが、佐賀県はその隣接県同士が全く接していない唯一の県である。すなわち、福岡県から長崎県の間を陸上で移動する場合には必ず当県を通過する。

地形

平野
佐賀平野筑紫平野
脊振山地筑紫山地)、多良岳山地
経ヶ岳(県内最高地点、1,076m)、脊振山(1,056m)、天山(1,046m)、多良岳(996m)、井原山(982m)、金山(967m)、雷山(955m)、羽金山(900m)
丘陵地
上場台地、杵島丘陵
河川・湖沼
筑後川(佐賀県内を流れる分は15.5km)、嘉瀬川(57.5km)、松浦川(45.3km)、六角川(43.6km)
北山ダム嘉瀬川ダム(建設中)
有明海諫早湾
玄界灘唐津湾伊万里湾壱岐水道対馬海峡
半島
東松浦半島北松浦半島の一部
有明海側 : 沖ノ島(おきのしま)
玄界灘側 : 高島(たかしま)、神集島(かしわじま)、小川島(おがわじま)、加部島(かべしま)、加唐島(かからじま)、松島(まつしま)、馬渡島(まだらじま)、向島(むくしま)
自然公園
国立国定公園では、県内では唯一、玄界灘沿岸が玄海国定公園に指定されている。
県立自然公園では、黒髪山県立自然公園、多良岳県立自然公園、天山県立自然公園、八幡岳県立自然公園、脊振・北山県立自然公園、川上・金立県立自然公園の6か所が指定されている。

気候

佐賀県は、日本の中では比較的気候が温暖であるが、冬の寒さは緯度の割りには厳しく、東京よりも寒い。日本を広域的に見た場合、県内全域が太平洋側気候に入るが、北部の玄界灘沿岸部は日本海側気候にも近い。台風の通過・被害が多いが、九州のほかの県と比べると少ない方である。山地平野が入り組んでいるため、県内の気候は大きく3つに分かれる。

佐賀市を中心とした南部の平野部
夏に降水量が多く、冬は少ない。年間を通しても降水量1800mm程度である。気温は熊本市などの盆地に近い傾向で、1日の気温差が大きい傾向にあり、夏は最高気温が35℃を超えることもある。海抜が低いため水害(洪水)が多いほか、有明海から吹き付ける塩分を含んだしぶきが塩害を発生させることも多い。また、内陸のため冬季を中心に乾燥しやすい。
佐賀市では、平年梅雨入り6月8日梅雨明け7月18日春一番2月23日初霜11月20日初雪12月15日、桜(ソメイヨシノ)の開花日3月27日、満開日4月4日となっている。また、晴れの特異日が11月24日(出現率83.3%)、雪の特異日が2月2日(36.7%)、雨の特異日が6月23日(70.0%)などとなっている。
唐津市、伊万里市などの北部の玄界灘沿岸
夏も降水量が多いが、冬も季節風の影響で降水量が比較的多く降雪も年に数回記録される。海洋性気候を呈し、1日の気温差が小さい傾向にあり、夏の最高気温が35度を超えるようなことは少ない。
嬉野市嬉野地区、佐賀市三瀬地区などの山間部
三瀬地区で年間降水量約2400mmとなっており、全体的に降水量は多く、特に夏に多い。1年の気温差、1日の気温差が共に大きい。冬は県内では特に低温となり、雪やの日数も多い。平年の天山の初冠雪は12月4日[1]
佐賀県内各地の平年値(統計期間:1971年昭和46年) - 2000年平成12年)、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
北部 南部
唐津市
枝去木
唐津 伊万里 佐賀 佐賀市
川副
白石 嬉野
平均
気温
最暖月 25.4
(8月)
26.7
(8月)
27.4
(8月)
27.1
(8月)
26.1
(8月)
最寒月 5.3
(1月)
5.1
(1月)
5.2
(1月)
4.7
(1月)
4.1
(1月)
降水量
(mm)
最多月 324.3
(7月)
389.3
(6月)
362.8
(6月)
369.7
(6月)
446.8
(6月)
最少月 56.5
(12月)
53.9
(12月)
42.4
(12月)
43.0
(12月)
50.9
(12月)

土地利用

土地利用別割合グラフ
数字は本文に対応
1 2 3 4

総面積 2439.31 km2 のうち、

  •   1.森林・荒地 49.2% - 全国平均より3割ほど少ないが、少ない分が耕地になっている。
    • 森林面積 1096.9 km2 - 2000年平成12年)、全国第42位。人口、面積と同じ順位。
  •   2.耕地 39.1% - 全国平均の2倍で、耕地として使用できる土地が広く農業が盛んといえる。
  •   3.住宅地 6.8% - 全国平均の1.4倍である。一軒あたりの用地が広く、住宅が密集していないといえる。
  •   4.その他 4.9% - 全国平均とほぼ同程度。
  • 可住地面積割合 54.9% - 2002年(平成14年)、全国第9位。住宅を立てやすい平らな土地が多いといえる。

歴史

県名の由来

県名である「佐賀」は明治の県設置時に県庁所在地となった佐賀郡にちなむものだが、古来は「佐嘉」の表記が主に使われていた。やがて「佐賀」も使われるようになり、明治維新の時に「佐賀」に統一された。古い「佐嘉」の表記は佐嘉神社などに残されている。「佐嘉郡」は、風土記の一つである『肥前国風土記』に記された、以下の記述に由来すると言われている。

昔者(むかし)、樟の樹一株此の村に生ひたりき。幹枝秀高く、莖葉繁茂り、朝日の影には、杵嶋の郡の蒲川山を蔽ひ、暮日の影には、養父の郡の草横山を蔽へりき。日本武尊、巡幸しし時、樟の茂り榮えたるを御覽はして、勅りたまひしく、此の國は榮(さか)の國と謂ふべし、とのりたまひき。因りて榮の郡といひき。後改めて佐嘉の郡と號く。 — 肥前国風土記(書き下し文)

これは、「日本武尊が御巡幸の時、楠樹(クスノキ)の栄え繁る有様を見られ、この国は『栄の国』と呼ぶがよかろう、と申され、その後『栄の都』といい、改めて佐嘉郡と呼ぶようになった。」といった意味である。この文中に見られるクスノキは、佐賀平野を中心として県内各地にあり、天然記念物指定の古い大楠が多数あるほか、佐賀県の県木にも指定されており縁が深い。

また、「佐嘉郡」の由来としては、もう1つ説があり、同じく肥前国風土記の以下の記述に由来する。

一云、郡西有川、名曰佐嘉川、年魚有之、其源出郡北山、南流入海。此川上有荒神、往来之人生半殺半。於茲県主等祖大荒田占問、于時有土蜘蛛大山田女、狭山田女。二女子云、取下田村之土、作人形馬形、祭祀此神、必有応和。大荒田即随其辞祭此神々、此祭遂応和之。於茲大荒田云、此婦如是実賢女、故以賢女欲為国名、因曰賢女郡、今謂佐嘉郡訛也。 — 肥前国風土記(原文)

これは、「郡の西にある佐嘉川(現在の嘉瀬川にあたる)という川があり、「荒ぶる神」によって川が氾濫し多くの人々が亡くなっていた。これを鎮めるために、土蜘蛛(天皇に恭順しない土着の豪傑を意味する蔑称)の2人の賢女(さかしめ)が「下田の村の土で人形や馬形を作り、神を祀れば、鎮まるでしょう。」と言い、大荒田がその通りにしたところ、氾濫が鎮められた。大荒田はこの2人の賢女を讃え、この地域を「賢女の群(さかしめのこおり)」と呼ぶようにした。現在はこれが訛って佐嘉の郡(さかのこおり)と呼んでいる」といった意味になる。

古代

復元された吉野ヶ里遺跡の環濠集落

今の長崎県本土と佐賀県全域が、令制国として7世紀末までに成立した肥前国に含まれる。

大陸方面から伝来した稲作の、日本における発祥地域ともされ、宇木汲田遺跡では縄文時代晩期の炭化籾、菜畑遺跡では縄文時代晩期の炭化米や水田跡が見つかっている。『魏志倭人伝』にみえる「末廬国(まつらのくに)」が現在の唐津地方にあったとされ、大陸由来の青銅器や銅器が多数出土する遺跡が点在する。また、吉野ヶ里町神埼市の丘陵地帯には弥生時代の大規模環濠集落である吉野ヶ里遺跡があり、その近辺にも九州北部に特徴的な甕棺墓が多く見つかっている。また、前方後円墳をはじめとした古墳も比較的多く存在する。

平安時代後期には神崎荘長島荘などの荘園が形成されるようになる。

中世・近世・近代

名護屋城の配置図

鎌倉時代から室町時代にかけて、百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられている。その中でも規模が大きかったのが、九州千葉氏高木氏綾部氏松浦氏少弐氏波多氏後藤氏などであった。また、玄界灘沿岸は松浦党の影響力も強かった。戦国時代に入って、龍造寺氏が一気に勢力を伸ばし、肥前・肥後北部・筑後・筑前南部まで領地を広げた。龍造寺隆信の死後鍋島直茂が国政の代行を行うようになり、1607年(慶長12年)には龍造寺氏の支配領をほぼすべて鍋島氏が継承することとなった。しかし、この前後に両一族の確執があり、鍋島藩の化け猫騒動の話を生み出したともいわれている。一方、唐津藩では波多氏が改易されて寺沢氏に換わり、唐津藩の初代藩主となった。

唐津城

江戸時代には、佐賀藩、その支藩である蓮池藩、鹿島藩、小城藩の3藩、および、唐津藩が置かれていた。そのほか、現在の鳥栖市・基山町付近に対馬府中藩の田代領、唐津市浜玉町付近に同藩浜崎領があり、それぞれ対馬府中藩の飛地となっていた。また、現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが幕府直轄領となっていた。

佐賀藩およびその支藩は鍋島氏とその庶流家、龍造寺氏の分家などによる支配が続き、政治的には比較的安定していた。しかし、長崎の警備費用がかさむなどして財政は当初から厳しく、享保の大飢饉1828年(文政11年)のシーボルト台風による甚大な被害はそれに拍車をかけた。ただ、広大な有明海の干拓によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行なったことで、1840年代には約67万石と、200年前の2倍近くにまで石高を伸ばすことに成功している。また、19世紀中ごろに入って鍋島直正は財政の建て直しに努め、役人の削減、有田焼石炭といった特産品の保護育成に努めた。また、地理的に長崎に近いことや長崎警備を担当していた関係などから海外の情報の入手が比較的容易であったため、反射炉蒸気機関車模型といった先進的な科学技術の実験・研究も進んでいた。

一方の唐津藩は寺沢氏が島原の乱の影響を受けて改易され、その後も領主が大久保氏大給松平氏土井氏水野氏小笠原氏とめまぐるしく変わり、政治はあまり安定していなかった。寺沢広高松浦川の改修を行うなどしたが、その後水野忠任の代の1771年(明和8年)には虹の松原一揆が起こるなどした。

佐賀藩は戊辰戦争以降、明治維新に尽力する人物を多く輩出した。明治維新期に活躍した大隈重信副島種臣大木喬任江藤新平佐野常民島義勇の6人に、彼らを育てつつ幕末期に活躍した鍋島直正を加えて『佐賀の七賢人』と称することがある。幕末時に薩長土志士たちが中心であった明治新政府は、戊辰戦争半ばから肥前有志を仲間入りさせ「薩長土肥」体制としたため肥前出身者も明治政府の主要官職を占め続けていたが、藩閥打倒を叫ぶ民権派の影響などもあり大正以降は薩長土同様に藩閥的な勢力ではなくなった。

県内情勢をみると、明治時代には杵島郡や東松浦郡などの炭鉱の近代化が進んで産業振興が行われ、鉄道の建設がそれを後押しした。しかし一方では、労働環境の問題なども生じるようになった。農村では近代化は顕著ではなかったが、1930年代の「佐賀段階」で技術が一新されたことにより、米は大幅な増産となり、人口も増加した。

佐賀県の成立

1871年の大規模府県統合時、旧肥前国の範囲は伊万里県(佐賀県)と長崎県に二分された。このような処分は全国でも2例だけで、他は旧武蔵国埼玉県東京都神奈川県北東部)である。これには、日米修好通商条約で開港の対象となった5港を管轄する県の領域をできるだけ狭くおさめる目的があったとされている。

現在の佐賀県が成立するまで、明治初期には統廃合が繰り返され、1876年(明治9年)には全県が他県に併合される事態も起きた。全県併合の背景には、1874年の佐賀の乱への処分の意味があったと言われている。併合後の根強い復県運動によって、7年後に佐賀県が復活する。[2]

現代

県内の都市は比較的規模が小さかったため、太平洋戦争末期の空襲の被害は近県に比べて少なかったが、戦後の発展も著しいものではなかった。商業の発展があったものの、従事者や生産額ともに依然として第一次産業の比率が比較的高かった。1960年代には、治水・灌漑の進展と集落協働による農法改善を原動力とした「新佐賀段階」が起こり、1967年に10a当り収量542kg(全国平均403kg)を記録するなど、農業は発展を見た[3]

しかし、1960年代後半より減反が進んだことで米中心の農業は打撃を受け、加えて炭鉱の閉鎖が加速し、多久・杵島・東松浦などの旧炭鉱地域を中心として、高度経済成長期に急速な過疎化が進んだ。これに対して1970年代以降、農業は米だけではない野菜や果実などへの多品目化に移行し、また佐賀平野では二毛作による麦の生産が浸透して農業の維持を図った。工業では、高速道路の整備以降は高速周辺での工場誘致が各地で起こった。これによって、鳥栖市を中心とした県北東部では集積した工場が基幹産業へと成長した。

県人口(後述)は戦前の60万人台から、第一次ベビーブームを経て1954年昭和29年)頃に97万7,000人とピークを迎えたが、高度経済成長の進展とともに急速に減少して1973年(昭和48年)には82万2,000人と底を打った後、緩やかに回復して80万人台の半ばを推移している[4]。人口減少と少子高齢化が進行しているものの、出生率は比較的高い。

沿革

佐賀城(鯱の門)。1602年築城、1874年佐賀の乱の際に戦闘が行われ建物の大半が失われた。
佐賀線のディーゼルカーと筑後川橋梁(筑後川昇開橋

人口

年少人口(0 - 15歳)を中心とした18歳までの人口割合が高く、20歳前後での進学就職による転出が多いことが特徴である。


佐賀県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

総人口の推移

1920年~2010年の県人口の推移
総計 [単位 人]

西暦 人口
1920年 673,895
1925年 684,831
1930年 681,565
1935年 686,117
1940年 701,517
1947年 917,797
1950年 945,082
1955年 973,749
1960年 942,874
1965年 871,875
1970年 838,468
1975年 837,674
1980年 865,574
1985年 880,013
1990年 877,851
1995年 884,316
2000年 876,654
2005年 866,369
2010年 849,709

政治

国政

衆議院小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。

県政

知事

現職:古川康

2003年(平成15年)4月23日 - (2007年(平成19年)再選、第55代・56代)

佐賀県行政組織構成の概要

県議会

財政

平成21年度

  • 標準財政規模 2449億1300万円
  • 財政力指数 0.34 ( 都道府県平均 0.52 )
    • 佐賀県は財政力指数が0.3〜0.4のIIIグループ(11自治体)に分類されている
  • 経常収支比率 89.9% ( 都道府県平均 95.9% )
  • 将来負担比率 155.3% ( 都道府県平均 229.2% )
  • 実質公債費比率 13.9% ( 都道府県平均 13.0% )
  • 人口100,000人当たりの職員数 1560.04人 ( 都道府県平均 1138.41人 )
  • ラスパイレス指数 96.5 ( 都道府県平均 98.9 )
    • ラスパイレス指数は国家公務員の給料部分のみの比較で、すべての職員手当を除外してある指数である(民間のボーナスに相当する期末・勤勉手当も除外した指数)

地方債残高

  • 普通会計分の地方債現在高 6833億2000万円
  • 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 68億7000万円

平成20年度

  • 財政力指数 0.34 ( 都道府県平均 0.52 )

防衛・治安

県政の課題・主な政策

  • 城原川ダム建設問題 - 建設賛成派と反対派の対立が続き、1979年(昭和54年)の計画策定から30年以上経過した現在まで着工に至っていない。→詳しくは城原川ダム参照。
  • 玄海原発プルサーマル問題 - 地元と県の了解により、2009年(平成21年)12月から3号機で日本初のプルサーマル営業運転を開始した。依然として、安全性などへの不安を理由とした反発の声が上がっている。→詳しくは玄海原子力発電所参照。
  • 玄海原発再稼働問題 - 2011年(平成23年)福島第一原子力発電所事故に伴う安全性不安により、定期検査後3月 - 4月に営業運転再開する予定だった2号機・3号機の運転が中止された[7]。再開に際しての地元同意を形成する段階で九州電力やらせメール事件が発生し、関与が取り沙汰されている古川知事の責任問題も浮上したことから、議論が停滞している。
  • 九州新幹線長崎(西九州)ルート問題 - 九州新幹線長崎(県は西九州の呼称を用いる)ルートの武雄温泉 - 諫早間の建設をめぐり、JRより経営分離される並行在来線と指定された長崎本線沿線の鹿島市・江北町が反対していたため、着工できない状態が続いていた。2007年(平成19年)12月のいわゆる「三者合意」によりこの2市町の反対の意思をいわば「無視」する形で着工が決まった。『県民だより』の建設推進ありきの広報活動に対する批判も起きた。また、県も建設に疑問を持つ県民が多いことを認めており、今後理解を求める活動を行う、としている。→詳しくは九州新幹線 (長崎ルート)参照。
  • ネットモニタリング - 危機管理・広報課が「佐賀」や「古川康」などのワードを含む書き込みについてチェックを行い、内容によってお礼や説明などの対応をとっている。一部からは「ネット監視」との批判もある[8]

経済・産業

玄界灘沿岸の漁村
太良町沿岸の海苔養殖網の支柱群
干拓地では農業が盛んである。白石町にて、国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

平成19年度の県内総生産は3兆115億円である[9]。47都道府県では第43位であり、世界で85位前後の「国」に相当する経済規模を有している[10]

産業別就業者数(2005年(平成17年))では、第一次産業が11.0%、第二次産業が24.8%、第三次産業63.8%となっている。他の都道府県に比べて第一次産業の割合が多いことから、農業県と言われることも多い。

統計

  • 所得・生活
    • 1世帯あたり人員 2.94人(2005年(平成17年)、全国3位の多さ)
    • 一人当たり県民所得 245万3000円(2004年(平成16年)度)
    • 常用労働者の一人当たり月間給与額 32万5863円(2002年(平成14年)度)
    • 1人1日当たりごみ排出量 884g(2004年(平成16年)、全国最少)
    • ようかんの合計購買金額が全国1位。(2005年(平成17年)、佐賀市、全国49都市中)
  • 産業
  • その他

第一次産業

佐賀平野を中心に穀類を中心とした農業が、入り江の多い玄界灘に面する北西部では果樹農業畜産沿岸漁業が盛んである。有明海に面した県南地域では海苔の養殖が盛んである。

農業

佐賀県は、県の面積に対する耕地の割合(耕地率)が24%、後述する二毛作の影響で耕地面積に対する作付面積の割合(耕地利用率)が133%(1986年(昭和61年)から20年以上連続で全国1位)と、ともに日本全国の中でも高く、農業が盛んな県である。

主要農産物のは古くより、特に力が入れられている。1930年代には、耕地整理と電気による機械灌漑の導入によって1反当たりの収量(反収)が日本一となり、その原動力となった効率的な農業手法の改良は「佐賀段階」と呼ばれた。1953年(昭和28年)の大水害等を受けて治水と平行して利水が展開されたことで1950年代に大規模灌漑施設が整備され、さらに佐賀平野で古くから根付いていた集落共同を生かして農法の改良や統一を行ったことで、1960年代にも反収日本一となった。1970年代ごろまで米が県の農業生産額の半分以上を占めていたが、減反の流れなどから米を取り巻く環境は一変した。県などによる大規模な耕地整理により効率化が図られたものの、転作と多品目化が進み、2000年代には25%程度に減少した。一方で、野菜・果実・畜産物の占める割合は約6割に上昇した。また、米の生産額の割合は減っているが、依然佐賀県の耕地の4分の3は水田であり、米作りは盛んである。品種別ではヒノヒカリコシヒカリ夢しずくなどが多い。近年は高温登熟障害による減収が頻発しているため、高温に強い「さがびより」の生産が拡大されている。また、ヒヨクモチを中心としたもち米の生産は非常に多く、生産量では全国1位(2002年(平成14年))となっている。

佐賀平野は米だけではなく大豆大麦など、農産品に占める穀類の比率が高い穀倉地帯である。佐賀平野では、夏の表作として稲を栽培する一方、温暖なため冬でも早い生育が見込め、冬の適度な乾燥があることから、冬の裏作として小麦大麦を栽培する二毛作を行っている。ビール焼酎の原料などになる二条大麦の年間収穫量は34,000トン(2006年(平成18年))で全国最多。大豆の年間収穫量は14,200トン(2005年)で全国4位。

近郊や西日本を中心とした大都市向けの野菜類の生産も多い。野菜では、タマネギレンコン大豆の生産が多い。塩害に強いため干拓地で多く栽培されるたまねぎの年間収穫量は162,400トン(2006年(平成18年))で全国2位。脊振山地筑紫山地)では、標高が高いため降水量が多く冷涼な気候を生かして小規模ながら高原野菜の栽培も行われている。

果実では、イチゴ(主要品種は、さがほのか、とよのかなど)、ミカンナシなどの生産が多い。ミカンの収穫量は年々減少傾向にあるが、温室栽培で出荷期間が長いハウスみかんの年間収穫量は11,200トン(2005年(平成17年))で全国1位、シェア約22%となっている。

畜産では、九州の他県と同じように、肉牛の飼育頭数は多い。肉牛に関しては、伊万里市を中心に生産される『佐賀牛』(「伊万里牛」)ブランドが近年広くPRされている。

また、嬉野市など県内各地で、の生産も多い。嬉野茶ブランドで販売されている。

国内の農産物消費の頭打ちなどを考慮し、米や果実、牛肉などを「佐賀ブランド」で輸出する試みも行われている。

漁業

北西部の玄界灘日本海)と南部の有明海とで、特徴が大きく異なる。

有明海では、海苔の生産が特に多く、貝類の漁獲量も多い。板のりの年間収穫量は21億8,570万枚(2005年(平成17年))で全国1位、シェア約22%である。特に贈答品として特化しており、最高級品を『佐賀海苔 有明海一番』として販売している。アサリタイラギガザミコハダ(ツナシ)、アカシタビラメ(クチゾコ)、スズキなどの漁獲量が多いのが特徴。ガザミのうち太良町近海で獲れるものは『竹崎カニ』と呼ばれている。また、筑後川の下流域では初夏にエツ漁が行われ、本県南東部は福岡県筑後地方と並ぶ産地として知られる。

近年有明海は多くの海産物で収獲量変動が激しくなっており、就業者の減少も加わり、水産業の衰退が深刻化している。また1990年代以降、海苔の不作や魚介類の不漁が増加しており、諫早湾干拓事業の影響が指摘されていることから漁業者が反対運動を起こしている。

玄界灘では、アジサバなどの魚類やイカタコエビなどの漁獲量が多く、以上でこの海域の漁獲量の9割以上を占めている。呼子漁港仮屋漁港唐津港などで水揚げ量が多い。

第二次産業

鉱業

県内では明治時代から本格的な石炭の採掘が始まった。杵島炭鉱古賀山炭鉱唐津炭田の諸炭鉱など、炭鉱は県中部や北西部に集中しており、最盛期には賑わいを見せた。しかし1950年代以降、埋蔵量・採掘量の減少やエネルギー政策の転換により規模は縮小し、1970年代までにすべての炭鉱は閉山した。

また、有田町の泉山では磁器の原料として、李参平が発見した陶石の採掘が行われていた。しかし、明治中期から使用が始まった天草産の陶石に押され需要が低迷したため、1992年(平成4年)で採掘は終了し、現在は一部で在庫が使用されているのみになっている。

製造業

佐賀県では、日本全体の傾向と同様に重化学工業の比率も高いが、特に食品の出荷額が多い。また、窯業の出荷額が占める割合が大きい(下の項目参照)。工業出荷額自体は、1960年代から1980年代にかけて大きく伸びている。

地域的には九州の交通の要衝である鳥栖市や、県庁所在地の佐賀市周辺で工業が盛ん。鳥栖市・基山町などには、特に多くの企業の工場が進出しており、周辺の福岡県久留米市などとともに一大工業地域を作っている。また、伊万里湾では、造船半導体を軸として水産加工・食品・木材などの工場が並ぶ臨海工業地域が形成されている。

自動車部品、機械、半導体部品などの製造は比較的盛んであり、シリコンウェハーについては大規模工場が立地する関係で年間生産額が全国最多の769億8,700万円(2003年(平成15年))となっている。

雇用創出や税収増加、人口流出の抑制を狙って、1980年代ごろから工場団地への工場誘致が盛んになった。現在も市町村や県が中心となって工場誘致を行っている。

窯業

有田町など佐賀県西部では、陶磁器関係の産業が特に盛んで、有田焼伊万里焼)、唐津焼などのブランドも多い。有田では、17世紀に朝鮮から渡来した陶工の李参平が泉山で良質な陶石を発見したことで有田焼を創始し、古くは輸出もされたブランド品が生産され、近年は日用品も含めて様々なジャンルの陶磁器が生産されている。有田町は、陶磁器の生産量で県の6割を占め、年間出荷額でも200億円~300億円を数える。このほか、伊万里市などでも盛ん。

その他

江戸時代に長崎街道を伝って砂糖が豊富に流通したため製菓業が盛ん。小城市の羊羹、佐賀市の丸ぼうろ、唐津市の松露饅頭など、各地に伝統的な菓子が残っているほか、江崎グリコの創業者江崎利一森永製菓の創業者森永太一郎は共に佐賀県出身であるなど人材も輩出している。

全国でも有数の米どころであることもあり清酒の醸造が盛んで、鎌倉時代には「肥前酒」として幕府に献上していた。製造、消費共に清酒より焼酎が多い傾向が強い九州においては異色となっている。

第三次産業

佐賀県の商業は、人口規模や県民所得からして特に盛んという訳ではない。2000年代初頭から、郊外型の大規模ショッピングセンターの建設が相次ぐ一方で、市街地の商店街の衰退が各地で進んでいる。また他方では、交通の便がよく県内よりも大規模な福岡市久留米市などの商業街へも客は流出していたが、この傾向は現在もある。

サービス業人口は多いが、他県と比べて大きな特徴は見られない。観光業については、観光資源に乏しいとされることがあるが、その活用やPRがうまく進んでいないだけとも言われている。2005年(平成17年)からは知事が「ファミリーツーリズム」という考え方を提唱し、親・子・孫の三世代旅行を誘致する施策を展開している。

福岡や長崎といった運輸・貿易の集中地帯の中継地としての役割もあり、鳥栖ジャンクションを中心として高速道路沿いや幹線道路沿いに、運輸業や倉庫業の事業所が多い。

佐賀県内に本社を置く企業

製造業
金融業

県内に拠点事業所を置く企業

地域

都道府県別の面積順位が42位と小さな県であり県全体を一つの地域とすることも多いが、大きく分ければ佐賀平野を中心とした南部と東松浦半島を中心にした北部に分けられる。また、さらに細かい区分では佐城(佐賀市・小城市・多久市)三神(鳥栖市・神埼市・三養基郡・神埼郡)杵藤(武雄市・鹿島市・嬉野市・杵島郡・藤津郡)唐松(唐津市・東松浦郡)伊西(伊万里市・西松浦郡)の5地区に分けることが多い。

市町村

各市町の位置図
注)表示環境により位置がずれることがあります。

:佐城/南部 :三神/南部 :杵藤/南部
:唐松/北部 :伊西/北部

市町村合併により2005年(平成17年)1月から市町村数は減少し(2004年(平成16年)12月時点では7市8郡38町4村〔49市町村〕だった)、2007年(平成19年)10月1日現在、以下の10市6郡10町(計20市町)がある。なお、2006年(平成18年)3月20日に脊振村が神埼市になったのを最後に、佐賀県内の村は全て消滅した。佐賀県では、江北町が「まち」としている他は、「町」はすべて「ちょう」と読む。

合併ですでになくなった市町村については、佐賀県の廃止市町村一覧を参照のこと。

広域市町村圏

  • 佐賀地区広域市町村圏 - 佐賀市、多久市、小城市、神埼市
  • 唐津・東松浦広域市町村圏 - 唐津市、玄海町
  • 鳥栖地区広域市町村圏 - 鳥栖市、上峰町、基山町、吉野ヶ里町、みやき町
  • 伊万里・北松地域広域市町村圏 - 伊万里市、有田町
  • 杵藤地区広域市町村圏 - 武雄市、鹿島市、嬉野市、白石町、大町町、江北町、太良町

地方拠点都市地域

  • 佐賀地方拠点都市地域 - 佐賀市、多久市、小城市、神埼市
  • 唐津・東松浦地方拠点都市地域 - 唐津市、玄海町

主要社会基盤

  • 電力事業者
  • 上水道事業者
    • 佐賀東部水道企業団 - 神埼市、川副町、東与賀町、吉野ヶ里町、基山町、上峰町、みやき町に供給
    • 佐賀西部広域水道企業団 - 多久市、武雄市、小城市、嬉野市、大町町、江北町、白石町、久保田町に供給
      • 西佐賀水道企業団 - 小城市南東部、久保田町、白石町東部に供給
    • 佐賀市、鳥栖市、唐津市、伊万里市、玄海町、鹿島市、太良町は各市町の水道局等が供給。
  • 都市ガス事業者
    • 佐賀ガス(13A) - 佐賀市に供給
    • 唐津ガス(13A) - 唐津市に供給
    • 鳥栖ガス(13A) - 鳥栖市に供給
    • 伊万里ガス(13A) - 伊万里市に供給

教育

大学・短期大学

佐賀県の大学進学率は37.4%(2003年(平成15年)高校卒業者)。

専修学校

高校

佐賀県高等学校一覧を参照のこと。

特別支援学校

学校教育以外の施設

健康・福祉

人口構成・健康に関する指標

  • 平均年齢 42.1歳(2002年(平成14年))
    • 年少人口割合 15.8%(2002年(平成14年)) - 全国3位。
    • 生産年齢人口割合 62.8%(2002年(平成14年)) - 全国38位。
    • 老年人口割合 21.4%(2002年(平成14年)) - 全国21位。
  • 合計特殊出生率 1.56(2002年(平成14年)) - 全国4位。
  • 人口1000人当たり死亡率 9.0(2002年(平成14年)) - 全国18位。
  • 平均寿命(厚生労働省『都道府県別生命表』より)
    • 男性 76.95歳(2000年(平成12年)) - 全国44位。
    • 女性 85.07歳(2000年(平成12年)) - 全国13位。

障害者の更生・療護・授産施設

  • 希望の家
  • 佐賀春光園
  • 長光園
  • かささぎの里
  • 鹿島療育園
  • るりこう苑
  • 佐賀整肢学園・オークス
  • 聖華園

交通

鳥栖ジャンクション
佐賀駅南口

佐賀県は古くから地理的な交通拠点であった。古代から中世にかけては玄界灘沿岸が大陸との交通・交易の中継地であった。江戸時代には長崎と西国・東国各地を結ぶ長崎街道鹿児島街道を中心に宿場町が発達していた。また、南東部の佐賀平野では、運河クリークを利用した水運が盛んであった。

明治に入って、鳥栖-佐賀-大村-長崎の間に順次、鉄道が開通。また、福岡-唐津-多久-佐賀のルートに石炭輸送目的の鉄道が開通した。これらにより輸送速度が飛躍的に伸びた。しかし、このころはまだ周辺の農村への交通はほとんど発達していなかった。周辺交通が整備され始めたのは、戦後の復興期、産業建て直しのためだった。しかしその後の高度経済成長により、県の人口が減少し始めると同時に石炭産業が終わりを迎え、石炭輸送目的中心の交通網整備は方向転換を余儀なくされた。

その後、九州自動車道長崎自動車道の開通、国鉄長崎本線佐世保線の電化、佐賀線の廃線などを経て、現在に至っている。西九州自動車道有明海沿岸道路など、整備中の道路計画もある。

空港

鉄道

県内の主要な駅は、佐賀駅鳥栖駅新鳥栖駅唐津駅伊万里駅肥前山口駅などである。

バス

県内の主なバスターミナル佐賀駅バスセンター唐津大手口バスセンター鹿島バスセンター嬉野温泉駅など。

道路

船舶

重要港湾 - 唐津港伊万里港

地方港湾 - 呼子港避難港)・仮屋港星賀港住ノ江港諸富港鹿島港大浦港

旅客
貨物

名所・観光・催事

佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
唐津くんち
虹の松原
有田陶器市
武雄温泉・楼門
祐徳稲荷神社
塩田津の街並み
九年庵

唐津市・東松浦郡は、虹の松原七つ釜の海食洞、リアス式海岸、クジラのように急峻にせり出す形状の島々など、玄界灘唐津湾に面した海沿いの自然景勝地として知られている。また、海水浴サーフィンダイビングといったマリンスポーツなどにも利用されている。また、陸部も鏡山や丘陵地帯・海岸部の棚田などの自然景勝がみられるほか、丘の上に建つ唐津城名護屋城跡(博物館)も観光スポットである。11月上旬には日本三大くんちの1つである唐津くんち(唐津市)、6月上旬には呼子大綱引(唐津市呼子町)が行われるほか、呼子の朝市も有名である。

伊万里湾も同様に、湾口部のいろは島やリアス式海岸が特徴的景観となっており、海水浴も行われている。10月下旬には伊万里トンテントン祭りが行われる。また、伊万里市・有田町・武雄市の黒髪山周辺は奇岩のなす地形や豊富な植物、各種伝説などで知られる。また、この周辺は陶磁器関連のスポットが多数存在する。有田町には有田焼(伊万里焼)の窯元や店が点在し、九州陶磁文化館、有田陶磁美術館、有田ポーセリンパークなどの文化施設もあるほか、ゴールデンウィークには有田陶器市が開かれ多数の客で賑わう。また、唐津市にも唐津焼が根付いており、関連施設が点在する。

日本三大美肌の湯である嬉野温泉(嬉野市)温泉は湯豆腐嬉野茶でも有名で、武雄温泉(武雄市)は楼門と武雄温泉新館が国の重要文化財に指定されており、それぞれ趣の異なった温泉街として賑わう。

一方、県庁所在地佐賀市は平坦な田園地帯の中にあり、城下町時代の名残のある込み入った街路や水路網などの景観が特徴的である。江戸~明治期の建物が残る佐賀市歴史民俗館佐賀城跡と佐賀城本丸歴史館佐嘉神社反射炉跡などの歴史遺産が点在する。10月下旬から11月上旬には佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開かれ、熱気球が舞う光景が広がるほか、8月には栄の国まつりが開催される。

県南部一帯には泥質干潟の有明海が広がり、玄界灘や伊万里湾とは大きく異なった景観となる。ムツゴロウシオマネキなどの希少生物や、紅葉のように変化するシチメンソウなどがみられる。また5月頃には鹿島ガタリンピック(鹿島市)が開催される。

県北部の北山ダム(佐賀市三瀬村)は避暑地となっており、どんぐり村などが観光地として整備されている。嘉瀬川を下って行くと古湯温泉熊の川温泉(ともに佐賀市富士町)、川上峡などのスポットが点在する。

吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里町・神埼市)は復元整備され、国営吉野ヶ里歴史公園となっている。

その他

有形文化財建造物

文化財

有形文化財

主な天然記念物

文化

方言

佐賀藩にあたる県東部~南部では佐賀弁が話され、同じ藩域だった長崎県諫早地方では似た言い回しが多い。唐津藩にあたる県北西部では唐津弁対馬藩飛び地にあたる鳥栖市東部・基山町では田代弁が話される。

県民性

一般的に佐賀の県民性として、「いひゅうもん(異風者)」あるいは「ふうけもん(風変者)」という言葉が代表的に使われることが多い。両者とも変わり者、頑固、融通が利かないといったニュアンスがある。ただし、現代の佐賀弁では「ふうけもん」は馬鹿者といった否定的な意味が強いので、あまりそぐわない。また、特に男性に関してしばしば葉隠武士道精神とも結び付けられ、上下関係やしきたりを重んじる、几帳面、まじめとされる場合がある。また「佐賀んもんの通ったあとにはぺんぺん草も生えん(佐賀の人が通った後にはぺんぺん草も生えない)」などと揶揄・自嘲される場合があるが、佐賀藩時代の厳しい財政下で大名家(鍋島家)自らの倹約から受け継がれた主に藩士の倹約家気質がさまざまな形で受け止められ、当時の言い回しが現代まで残ったものである。

伝統産業・特産品

丸ぼうろ
佐賀錦(鹿島錦)

マスメディア

新聞

地方紙
全国紙
  • 産経新聞以外の4紙(読売、朝日、毎日、日経)や専門紙の日刊工業新聞が県内に総局・支局を置いているほか、読売新聞毎日新聞は鳥栖市に印刷工場がある(福岡都市圏や九州各県へ輸送する新聞を印刷)。なお、産経新聞は毎日新聞九州センター鳥栖印刷工場で九州・山口県で販売する「九州・山口特別版」を委託印刷する。※産経新聞九州・山口特別版が創刊される前の2009年(平成21年)9月30日付までは、産経新聞大阪本社発行で午後6時(18時)締切の早版(6版)を大阪から空輸して西日本新聞販売店(西日本新聞エリアセンター)より委託販売していたが。同年10月1日の九州・山口特別版創刊後の現在は、毎日新聞販売店より委託販売している(※駅売店・コンビニエンスストアでも同日より販売している)。
  • 県内は日経のみ朝夕刊セットで、日経を除く全国紙5紙と西日本新聞は朝刊のみの統合版で発行されている。なお、西日本・読売・毎日は、佐賀市中心部と鳥栖市・基山町の一部で夕刊を配達する地域が存在する。

テレビ放送局

佐賀県のテレビジョン放送受信は地勢的要因により、九州の中でも特殊な状況となっている。現時点で県内向けの放送を行っている報道機関は以下の2局のみ。民放に至っては1局しか存在しない。

しかし、県境や有明海沿岸では、アンテナとブースター設備により、隣接する福岡長崎熊本の3県の放送が視聴されている。直接受信が困難な地帯向けにケーブルテレビ局も各地で整備されており、県内大半の地域では、福岡県の民放を視聴できるようになった。フジ系以外では福岡県の民放が佐賀県分の報道取材等を行っている。

特に熊本市金峰山から送出される電波は有明海一帯に広く届いており、1969年(昭和44年)にNHK佐賀とstsが相次いで放送を開始するまでは、NHK熊本放送局熊本放送がその代わりを果たしていた。

佐賀県における県外民放受信実態
NHK NNS ANN JNN TXN FNS 受信エリア
福岡 NHK福岡 福岡放送 九州朝日放送 RKB毎日放送 TVQ九州放送 テレビ西日本 県内の大半
熊本 NHK熊本 熊本県民テレビ 熊本朝日放送 熊本放送 テレビ熊本 主に有明海沿岸
長崎 NHK長崎 長崎国際テレビ 長崎文化放送 長崎放送 テレビ長崎 主に長崎県境の市や町

まさに「電波銀座」と言える特殊事情ゆえに、地上デジタル放送の開始は遅れ、全国最後発となる2006年(平成18年)12月1日開始であった。当初は域外受信に対する規制厳格化が求められ、県内で在福民放が見られなくなるのではという不安の声が挙がっていたことから、県が音頭を取り事業者を組織し、佐賀デジタルネットワーク社を設立。デジタル放送の県内事業者向け配信を一手に担うとともに、インターネット接続プロバイダ業務も行うこととなった。ただ、県外民放の再配信は福岡県分に限られ、熊本放送については各事業者が個別に許可を得る方式とした。(※現在、熊本県域の(※NHK熊本を含む)民放テレビ局については大牟田方向にUHFアンテナと増幅器(ブースター)を設置しなければ視聴することはできない状況となっている。)

また、特に有明海沿岸ではところによってUHFアンテナを向ける方向がまちまちで、地デジではこれにより却って地元局視聴の障害となるケースが続出している。そのため、佐賀県地デジ推進協議会では、平田と古賀を起用して、有明海沿岸地域向けにアンテナ設備の点検を呼び掛ける啓発CMを制作し、繰り返し放送している。

ちなみに佐賀県は、ビデオリサーチによる視聴率調査が行われていない5都道府県(他は福井県山梨県徳島県及び宮崎県)の1つとなっている。

県内でサービスを提供している主なケーブルテレビ放送局は以下の通り。

ラジオ放送局

スポーツ

プロスポーツチーム・社会人スポーツチーム

過去に存在したスポーツチーム

スポーツ施設

J2サガン鳥栖のホームグラウンドであるベストアメニティスタジアム(鳥栖スタジアム)

公営競技

佐賀県を舞台にした作品

映画(※は県内ロケあり)
ドラマ(※は県内ロケあり)
小説
漫画
ゲーム

その他

佐賀県は地域区分局にあたる郵便局が県内に存在しない唯一の都道府県である。県内全域をさす郵便番号84(上2桁)の地域区分局は、福岡県の久留米東郵便局郵便事業久留米東支店)となっている。

関連項目

脚注

  1. ^ 詳しくは佐賀地方気象台のホームページを参照。
  2. ^ 府県の変遷(九州地方)
  3. ^ 佐賀段階と新佐賀段階 農業農村整備情報総合センター
  4. ^ 平成16年人口動態統計-佐賀県- 第1表 人口動態総覧 年次推移 佐賀県、2008年3月18日。excelファイル
  5. ^ 享保の飢饉 寶樹山德善院
  6. ^ 参照:佐賀県ホームページ 佐賀県組織図[1]
  7. ^ 玄海原子力発電所2、3号機の定期検査の状況について 九州電力、2011年3月24日。
  8. ^ http://www.saga-chiji.jp/kaiken/06-11-1/shitsumon14.html
  9. ^ 平成19年度県民経済計算
  10. ^ World Economic Outlook Database
  11. ^ 詳しくは佐賀県 統計のページを参照。

外部リンク

行政
観光
先代
佐賀県(第1次)・厳原県

唐津県鹿島県小城県蓮池県

行政区の変遷
1871年 - 1876年
(伊万里県→第2次佐賀県)
次代
三潴県肥前国

長崎県対馬国

先代
長崎県の一部(肥前国東部)
行政区の変遷
1883年 -
(第3次佐賀県)
次代
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