李参平
| 李参平 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 이삼평 |
| 漢字: | 李參平 |
| 片仮名: 現地語読み |
イ チャムピョン |
李 参平あるいは李 三平(り さんぺい、生年不詳 - 明暦元年8月11日(1655年9月10日))は、朝鮮出身の陶工。有田焼(伊万里焼)の生みの親として知られている。日本名は金ヶ江 三兵衛(かねがえ さんべえ)。
目次 |
[編集] 生涯
忠清道金江(現・忠清南道公州市反浦面)出身。1592年(文禄元年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、有田を含む肥前の領主であった鍋島直茂が日本に連れて来た陶工たちの一人で、金ヶ江三兵衛の名を与えられた。
なお、今日一般に呼ばれている「李参平(李三平)」という朝鮮名は、金ヶ江三兵衛が参平(あるいは三平)とも記されること、金ヶ江家の文書に本来の姓が李氏であったと記されることから、後世推測された名である。尚、「参平」の朝鮮語読みは「チャムピョン」、「三平」の朝鮮語読みは「サムピョン」である。
はじめ鍋島直茂の重臣多久安順に預けられ、小城郡多久に住んだ。一般に知られている説話によると、李参平は磁器生産に適した白磁石を求めて鍋島領内各地を転々とし、1616年(元和2年)に有田東部の泉山で良質の白磁石の石場を発見した。李参平はここに天狗谷窯を開き、日本初の白磁器を焼いた。これが有田焼の起こりである、という。
有田の龍泉寺の過去帳には、1655年(明暦元年)没、戒名・月窓浄心居士と記されている。李参平の墓所は長らく忘れ去られていたが、1959年に天狗谷窯付近で戒名を刻んだ墓石が上半分を欠いた形で発見された。現在は墓石は白川墓地に移され、「李参平の墓」として有田町指定史跡となっている。
[編集] 顕彰
李参平は、有田の「陶祖」と称される。
有田の総鎮守とされる陶山神社では、応神天皇・「藩祖」鍋島直茂とともに「陶祖」李参平を祭神とする。1917年には有田焼創業300年を記念し、陶山神社に「陶祖李参平碑」が建立された。陶器市開催に合わせ、毎年5月4日には「陶祖祭」が行われる。
有田焼の発祥については、考古学的な調査から1610年代前半から有田の西部で磁器生産が始められていることがわかるなど、今まで語られてきた説話をそのまま信じることについては疑義も呈されている。しかしながら、有田焼の生産とその発展には李参平をはじめとする朝鮮出身陶工が大きな役割を果たしたことは確かである。
2005年7月、李参平の碑文に書かれている「1592年豊臣秀吉の文禄の役当時、李参平は日本に協力的だった」という文句について韓国政府が抗議し、「李参平は1592年、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時、鍋島軍に捕らえられ、道案内などの協力を命令されたと推定される」に修正された[1]。