カックラキン大放送!!

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カックラキン大放送!!
主に番組の収録が行われた中野サンプラザ
ジャンル バラエティ番組
演出 白井荘也
出演者 出演者を参照
製作
プロデューサー 笈田光則
岡崎和彦
制作 日本テレビ
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
カックラキン大放送!!
放送期間1975年4月4日 - 1975年9月26日
(第1期)
1976年4月2日 - 1986年3月28日
(第2期)
放送時間金曜 19:30 - 20:00
放送分30分
カックラキン決定版!
放送期間1986年4月25日 - 1986年9月26日
放送時間金曜 19:30 - 20:00
放送分30分

特記事項:
元々は『コント55号のなんでそうなるの?』放送休止時の補完番組として企画された。
1976年よりレギュラー化された。
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カックラキン大放送!!』(カックラキンだいほうそう)は、1975年4月4日から1986年3月28日まで日本テレビで毎週金曜 19:30 - 20:00 (JST) に放送されていたバラエティ番組である。

ここでは1986年4月25日から同年9月26日まで同局で放送された後継番組『カックラキン決定版!』(カックラキンけっていばん)についても記す。

概要

マチャアキ・二郎さんのシチュエーション

当初は『コント55号のなんでそうなるの?』の補完番組として、1975年4月より半年間の放送予定で坂上二郎野口五郎研ナオコをメインキャストに据えてスタート。その後、半年間『コント55号のなんでそうなるの?』が放送された後、1976年4月より同じく坂上・野口・研のトリオを引き続き起用して第2シリーズがスタートした。
元々、第2期も第1期と同様に半年間の予定で放送枠を確保しており、秋からはこれまでコント55号と約半年ずつ交互に同時間枠で番組を受け持ってきた堺正章を久々にメインに据えた別のバラエティー番組を制作する意図があったが、スタート当初から視聴率も堅調に推移していたこともあり、秋以降も正式のレギュラー番組として定着。
同番組の継続が決まったため、堺司会の新番組の話は流れたが、その代替策として、1977年春でスケジュールの都合で一旦降板することになった野口の後任として同番組のメインキャストとして堺を新たに起用。”日本テレビ金曜19時後半枠=「マチャアキ・55号」枠”の集大成として話題を集めることになった。

新御三家レギュラー時代(番組の黄金期)

やがて新御三家の中で日本テレビが支援する野口五郎が主役になり、その人柄の良さやタレント性を視聴者にアピールする番組となった。特に、1978年春に堺正章が降板してからは、同じく新御三家の郷ひろみが新たに加わり、1980年代前半にかけてほぼ1年交互でメインキャストとして活躍。さらに西城秀樹も時折ゲスト出演し、アイドル歌手がメインのお笑いバラエティ番組としての地位を築いていった。
また、1980年から起用された高田みづえは同番組でのレギュラー出演を通してコメディエンヌとしての才能を開眼。同番組出演をきっかけに、1980年代前半にかけて歌手だけにとどまらない活躍で幅広い層からの人気を獲得していった。

トシ・マッチレギュラー時代

1984年春から、番組もリニューアルして、長年メインを張ってきた野口五郎・郷ひろみに代わり近藤真彦がメインに据えるようになった。更に1985年4月には、かつての番組レギュラーだった堺正章が復帰し、同時に近藤に替わって田原俊彦が出演するようになった。番組開始当初からレギュラーの坂上二郎や車だん吉が降板するなどのリニューアルを行った。

1986年4月25日からは再び近藤真彦をメインに据え、番組タイトルを『カックラキン決定版!』に改めた。内容も、コントを減少させて控室でのトークなどの企画ネタを増やすようになり、さらに番組の顔だった研ナオコがこの再度のリニューアルを機に降板するなど大幅な変更が行われたが、11年間・全511回にわたって放送された番組シリーズは1986年9月をもって幕を閉じた。

再放送・放送ライブラリーでの閲覧

歴代レギュラー陣の内1984~1986年のメインキャストだった近藤真彦と田原俊彦、1976年~1977年に出演していた川崎麻世は本放送時ジャニーズ事務所に所属しており(近藤は現在でも在籍)、肖像権での絡みから再放送は一切行われなかったが、2009年12月から2014年6月までCS放送日テレプラスで再放送されていた。ただし、第1回目から放送するのではなく、前述の黄金期に放送され、かつ現存する回の中から著作権・肖像権上差し支えない回を選んで放送。実質上「傑作選」形式での放送となっている。また、2011年12月よりファミリー劇場が放送権を獲得し、日テレプラスと同様の傑作選方式で放送を行っている。

放送ライブラリーでは、1985年4月19日放送分を閲覧することができる。

番組名の由来

番組名の『カックラキン』の由来について、番組プレゼンテーションでは「(放送日から)カックラ金曜日」との説明があった。実際には、番組スタッフが使う神楽坂の料亭にきんさんという面白い人がいて、いつもお客を笑わせていたため、その人の呼び名「かぐらざかのきんさん」をヒントにして付けたとされている[誰によって?]

レギュラー・準レギュラー

  • 坂上二郎 - 第1期、及び1976年4月〜1981年3月、1982年4月〜1983年3月、1984年4月〜1985年3月までレギュラー
  • 野口五郎-第1期、及び1976年4月〜1977年3月、1977年10月〜1979年3月、1980年4月〜1981年3月、1982年4月〜1983年3月までレギュラー(郷ひろみと1年交替でレギュラー出演)。その後も1985年まで準レギュラーとして複数回出演。
  • 研ナオコ - 第1期、及び1976年4月〜1977年9月(不祥事による一時降板)、1978年4月〜1980年6月、1980年10月〜1983年3月、1984年1月〜1986年3月までレギュラー。
  • 堺正章 - 1977年4月〜1978年3月、1985年4月〜1986年9月までレギュラー(1978年4月以降も準レギュラーとして複数回出演)。
  • 井上順 - 1977年10月〜1978年3月(研ナオコの謹慎に伴う代役として出演)、1981年4月〜1982年3月(一時降板した坂上二郎の後任として出演)、1983年4月〜1985年3月(坂上二郎の後任→坂上とのダブルキャスト)までレギュラー。
  • 郷ひろみ - 1979年4月〜1980年4月、1981年4月〜1982年3月、1983年4月〜1984年3月までレギュラー(野口五郎と1年交替でレギュラー出演)。その後も1985年まで準レギュラーとして複数回出演。
  • 高田みづえ - 1980年6月〜10月まで(一時降板した研ナオコの後任として出演)、1981年10月〜1985年6月まで(研ナオコとのダブルキャスト)レギュラー。
  • 近藤真彦 - 1984年4月〜1985年3月まで(郷ひろみの後任として参加)、及び『決定版!』レギュラー。
  • 田原俊彦 - 1985年4月〜1986年3月までレギュラー(近藤真彦の後任として参加)。
  • 柳沢慎吾 - 1985年春からレギュラー(車だん吉の後任として参加)。
  • 高見知佳 - 1985年7月〜 1986年9月までレギュラー(高田みづえの後任として参加)。
  • 車だん吉 - 第1期、及び1976年4月〜1985年春までレギュラー。病気療養のため降板。
  • ラビット関根(現:関根勤)-1977年〜1986年3月までレギュラー。
  • 小林麻美 - 第1期レギュラー。
  • 岡田奈々 - 1976年4月〜9月までレギュラー。
  • 川崎麻世 - 1976年9月〜1977年までレギュラー。  
  • 芦川よしみ-1976年9月〜1977年9月までレギュラー。
  • 太川陽介 - 1977年〜1979年秋までレギュラー。
  • 岡田有希子-1985年〜1986年までレギュラー。
  • 西城秀樹 - 準レギュラー(主に野口・郷の休演時のピンチヒッター)として複数回出演。
  • 森昌子-1980年頃まで準レギュラーとして複数回出演
  • 石野真子-1979年〜1980年頃まで準レギュラーとして複数回出演
  • 桜田淳子 - 1982年頃まで準レギュラーとして複数回出演
  • あおい輝彦 - 初期(1976年頃)に準レギュラーとして数回出演
  • ゴールデンハーフスペシャル(ダンサー) - メンバーの「トミー」はその後単独でレギュラー。
  • イーグルス(ダンサー)
  • 徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー) - ナレーション・提供スポンサー読みを主に担当していたが、顔出し出演をすることもあった。

番組内のコーナー

オープニング
  • 1976年 - 1977年頃:野口五郎、研ナオコ、坂上二郎が1人ずつ登場し、オープニングテーマ「これから始まるカックラキンの大放送」を歌う。
  • 1977年 - 1978年3月:大きなカンカン帽のセットが開いて中から出演者が登場し、堺正章がバンジョーを弾きながらオープニングテーマを歌い、続いて出演者全員で歌う。その後ゴールデンハーフスペシャルが踊る映像に切り替わり番組名のコールやスポンサーが紹介される。
  • 1978年4月 - 1979年:大きなコーヒーカップのセットが開いて中から野口五郎、研ナオコ、坂上二郎が登場し、オープニングテーマを歌いながらセットを降りてくる。
  • 1979年以降:その時々のヒット曲をシャレのめしたコントを放送。毎回オチは関根がひどい目に遭い、その様子をバックにスポンサーが紹介されていた(太川陽介が代役で出演したことがある)。スポンサーテロップの表記中には早送りで巻き戻し再生などを行っていた。1979年には出演者がモノマネに挑戦する「カックラものまね大賞」を多く行っていたが、1980年には「カックラ オープニング★ショー!!」になった。ちなみに、最初のシーンでは出演者のイラストが表示されていた。
お笑いお茶の間劇場
ホームドラマ形式のメインコント。愛妻・くまを亡くした父親(坂上)が男手ひとつで長男(堺)、次男(井上)、長女(研)を育て、お手伝いさん(高田)、下宿人(野口など)、美容師の弟(だん吉)、店員(関根)に囲まれながら暮らすという設定。ただし、長男と次男はめったに出てこなかった。また、長男の家のパン屋が舞台だった時期(1977年秋 - 1978年3月)や次男の家のおもちゃ屋が舞台だった時期(1981年度)もある。メインキャラや常連ゲストには毎回共通の職業設定があり、例としてあげると野口は「〈日の本テレビ〉のディレクター」、郷は「〈モーニング企画〉の部長」、西城秀樹は「だん吉の元で働く美容師」か「野口のコネで来訪したスター」、高田みづえ・森昌子は「郷の妹」、山口百恵がゲスト出演した時は「野口の元で働くAD[1]」として登場していた。だん吉が登場する際は、毎回必ずといっていいほど「兄さん兄さん兄さん兄さん!!」と叫ぶのも番組の名物となっていた。タイトルは毎回テレビ番組のタイトルのパロディで、新聞のテレビ欄にもこのタイトルが書かれていたが、内容は元ネタとそれほど関係なかった。ただし、毎日放送アップダウンクイズ』のパロディだった「アップダウンオヤジ」では坂上が宙釣りになって上下していた場面があった。
お笑いカックラ劇場
1985年度のメインコントで、『お笑いお茶の間劇場』の後継コーナー。堺が社長を務める便利屋「レンタルハンド」(社員は田原・研・関根)を舞台に依頼人等とのドタバタが繰り広げられる。
ナオコお婆ちゃんの縁側日記
研ナオコ扮する老婆と野口五郎など若手男性レギュラー扮する孫の会話コント。1978年春開始のPART IIでは「なぞなぞむし」なるキャラクターを生んだ(当初はナオコばあちゃんの歌の中に出てくるだけで実体がなかったが、1978年秋頃からパペットキャラが登場するように)。もちろんなぞなぞも披露している。なお、おばあちゃんの役名は「研タマ」であり、「ナオコ」ではない。
刑事シリーズ
このコーナーにおいて犯人役のラビット関根がカマキリ拳法を披露する(1979年1月5日放送の「新刑事ゴロンボ PART II」“クルトラマン殺人事件!!”にて初披露)。このギャグはこの番組がきっかけ。また、被害者役の車だん吉の殺されっぷりも話題になった。流れとして「だん吉が殺される→刑事のパートナー(研ナオコが演じる「ナンシー」や高田みづえが演じる「ミッシー」)が刑事を呼ぶ→刑事が到着後現場検証を行なう→関根が現れて職務質問される→犯人とバレて、拳法を繰り出す→関根の自滅」というのが毎回のパターンだった。また「名探偵Mr.GOO!!」からは、刑事登場のBGM終了時に観客が刑事の役名を呼ぶことが恒例となった。
2010年1月8日放送の『おもいッきりPON!』で、野口と研による芸能生活40周年ジョイントツアーの話題を取り上げた際、1979年2月16日放送の「新刑事ゴロンボ PART II」“ドクターゴロンボ登場”(ゴロンボとナンシーが病院を潜入捜査する内容)の映像が流された。
堺先生のドクター記録
やたらメスを患者に入れまくる(というよりは刺しまくる)医師が主人公の医療コント。看護師役は芦川よしみ、患者役はだん吉。『マチャアキのガンバレ9時まで!!』内の外科医コントを承継。1980年6月からの研ナオコ一時降板時には、野口五郎が副院長役で参加していた。堺がレギュラー出演している時は必ず放映され、番組末期の1985年度にも行われていた(放送ライブラリーの映像より)。
2012年2月27日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』で、堺の出演回(放送回不明)の映像(他にお笑いお茶の間劇場などの映像も)が流された。
コーナーの合間
コーナーの合間(刑事シリーズ内の場合もあり)には、レギュラー出演者やゲスト出演者が歌を披露する。基本的に、歌の演奏はオーケストラの生演奏で、歌は1番の歌詞のみを歌う。歌のイントロ部分では、徳光和夫のナレーションが入り歌手の近況などを述べるほか(1980年代に入ってから?)、常に歌詞テロップを表示していた。曲の始まりと終わりのほか、歌い出しの部分でも拍手が入っていた。また、堺正章レギュラー時代には堺扮する小学生“尻間千太郎”(『マチャアキのガンバレ9時まで!!』からのスピンオフ)が、1979年には関根とだん吉扮するおすぎとピーコのパロディキャラ“おまつとパーコ”が、1982年には研扮する千太郎のリバイバルキャラ“伊谷見優子”が歌の終了後に現れて、歌手(主に女性アイドル)とのトークを繰り広げた。
エンディング
番組開始当初(第2期)は出演者がステージに集合しエンディングテーマを歌う。最後に野口五郎が軽いジョークを言って締め括っていた。
1977年から1978年3月まではカンカン帽のセットに出演者が集合してエンディングテーマを歌い、堺正章がトークをした後にカンカン帽が閉まる。カンカン帽が閉まると同時に背景(都会の夜景)のビルに「また来週」と電光表示される。
1978年4月からコーヒーカップのセットに集合し、エンディングテーマ歌い、トークをした後カップが閉まり、ファンファーレと共に(カップの表面に取り付けられた)「また来週」の文字が出る。
野口五郎が「コーラス・ライン」を売り出していた頃(1980年)は、同曲がそのままエンディングテーマとなっていた。
1980年代前半には「哀しみのソレアード」(1980年夏より「コーラス・ライン」の後を受けて使用)が流れる中、出演者がステージセットの階段に座りながらトークを行っていた。

スタジオ

番組後期で収録が行われた日本テレビ旧社(現:日本テレビ放送網麹町分室
  • 当初は中野サンプラザ調布市グリーンホールといった主に大ホールでの公開収録が行われていたが、アイドルへの声援でセリフのやりとりができなくなったため、後期では日本テレビGスタジオでの収録(日時・内容によって公開または非公開を決定)に変更された。
    • 収録日は木曜日の事が多く、同じ木曜日の生放送番組『ザ・ベストテン』(TBS系列)に当番組収録後の歌手が会場から直行して出演したり[2]、番組収録場所に『ザ・ベストテン』の「追っかけマン(TBSの中継リポーター)」が来訪し収録場所から生中継したこともあった[3]
  • 2013年11月18日放送東京MXテレビ5時に夢中!」にゲスト出演した野口は、「あれは生放送をやってるかの様に収録してたんです。日によっては2本撮りもありました」と、司会のふかわりょうの質問に、こう振り返った。

スタッフ

  • 構成:出倉宏、源高志、玉井冽、鵜沢茂郎
  • 音楽:永作幸男
  • 演奏:ガッシュ・アウト
  • コーラス:COSMOS
  • 振付:西条満
  • イラスト:マンガ太郎
  • 技術:須田昌宏
  • 照明:横田五百男、松山正則
  • 美術:志村靖夫
  • コーディネート:高田修司、町山宏
  • 音楽効果:三神直
  • ディレクター:草野公、中西邦夫、西田弘一、面高昌義
  • プロデューサー:笈田光則、岡崎和彦
  • 演出:白井荘也(途中から制作を兼務)
  • 製作著作:日本テレビ

ネット局

遅れネット局含む。系列はネット終了時点のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 製作局
北海道 札幌テレビ
青森県 青森放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
岩手県 テレビ岩手 日本テレビ系列 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
宮城県 ミヤギテレビ 1975年9月まではNETテレビ系列とのクロスネット局
秋田県 秋田放送
山形県 山形放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1980年3月までは日本テレビ系単独加盟局
福島県 福島中央テレビ 日本テレビ系列 1981年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
山梨県 山梨放送
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1981年3月まで
テレビ新潟 日本テレビ系列 1981年4月開局から
長野県 信越放送 TBS系列 1984年3月29日まで[4]
テレビ信州 テレビ朝日系列
日本テレビ系列
1984年4月9日から[5]
静岡県 静岡放送 TBS系列 1979年9月まで
静岡第一テレビ 日本テレビ系列 1979年10月から
同年7月に開局したが、スポンサーとの兼ね合いで3か月遅れて移行した
富山県 北日本放送
石川県 北陸放送 TBS系列 1984年3月まで同時ネット、1985年9月打ち切り
福井県 福井放送 日本テレビ系列
中京広域圏 中京テレビ 第1期と第2期の1977年3月までは日曜18:30からの遅れネットで放送
1977年4月より同時ネット
近畿広域圏 読売テレビ
鳥取県島根県 日本海テレビ 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
広島県 広島テレビ 日本テレビ系列 1975年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
クロスネット時代は3日遅れの月曜19:00から放送
山口県 山口放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1978年9月までは日本テレビ系単独加盟局
徳島県 四国放送 日本テレビ系列
香川県
香川県・岡山県
西日本放送 当初は香川県のみ
1983年4月から電波相互乗り入れで岡山県でも放送
愛媛県 南海放送
高知県 高知放送
福岡県 福岡放送
長崎県 長崎放送 TBS系列 1984年3月まで
テレビ長崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
1984年4月から
熊本県 熊本放送 TBS系列 1982年3月まで
くまもと県民テレビ 日本テレビ系列 1982年4月開局から
大分県 テレビ大分 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
宮崎県 宮崎放送 TBS系列
鹿児島県 南日本放送 1982年9月まで
鹿児島テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
1982年10月から
沖縄県 沖縄テレビ フジテレビ系列

脚注

  1. ^ 高田文夫『完璧版 テレビバラエティ大笑辞典』(2003年 白夜書房)P189
  2. ^ 山田修爾『ザ・ベストテン』(新潮文庫 2008年)P53
  3. ^ DVD『ザ・ベストテン 山口百恵 完全保存版 DVD BOX』(2009年  TCエンタテインメント)収録映像「いい日旅立ち」(1979年1月18日放送回)、DVD『ザ・ベストテン 中森明菜 プレミアムBOX』(2012年 ユニバーサルミュージック)収録映像「十戒 (1984)」(1984年10月25日放送回)より 。
  4. ^ 1984年3月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  5. ^ 1984年4月9日 信濃毎日新聞 テレビ欄


外部リンク

日本テレビ系列 金曜19時台後半枠
前番組 番組名 次番組
カックラキン大放送!!
(第1期)
コント55号の
なんでそうなるの?
(第3期)
コント55号の
なんでそうなるの?
(第3期)
カックラキン大放送!!
(第2期)

カックラキン決定版!