過去に存在したユニーの店舗

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ユニー > 過去に存在したユニーの店舗

過去に存在したユニーの店舗(かこにそんざいしたユニーのてんぽ)では、ユニーの店舗のうち、過去に存在していたものと、改築等に伴い改称されたものについて記述する。 ただし、過去に存在していたものについては、ユニーの新ロゴマーク制定(1977年(昭和52年))以降(ユーストアについては、合併後(2008年(平成20年)8月)以降)に存在していたものについて記述する。 また、合併より前のユーストアの閉鎖店舗については、過去に存在したユーストアの店舗を参照のこと。 開店日等の情報は各年度ごとに発刊された「日本スーパー名鑑」(商業界社発行)からの引用による。

過去に存在したユニーの店舗

東海地区

愛知県

  • ユニー栄生店中村区千原町1-1[1]、1970年(昭和45年)12月11日FCユニーより継承開店 - 1980年(昭和55年)3月2日閉店)
店舗面積約1,068m²[1]
旧名ユニー藤宮店。東海道新幹線の高架下を間借りしていた。1980年(昭和55年)1月16日、食料品売場裏の調理場から発生した小火(ボヤ)を契機に閉店。食料品売場を除き小火発生後も約2ヶ月間営業を続けるが、火災の再発は新幹線を止めてしまい、多額な運行補償を国鉄から要求される可能性があったため、黒字経営店舗であったが閉店が決断された。
跡地は長期にわたって雑貨商会社が使用する倉庫だったが改装され、現在はブックオフ名古屋栄生駅南店。
  • ユニー大府店大府市大府町大根141-1[1]、1964年(昭和39年)9月23日開店 - 1987年(昭和62年)3月閉店)
県営アパート住宅の1階、2階で衣料・生活雑貨のみ販売していた小型店。大府駅の北約150mに立地した。
現在、店舗跡の建物はそのまま、1階は地元の個人商店主達が協同組合として出資、営業する商業施設「大府センター」。2階は貸し事務所となっている
  • ユニー刈谷銀座店刈谷市銀座4-18[2]、1964年(昭和39年)7月15日開店[3] - 1988年(昭和63年)8月閉店)[3][4]
当地で江戸時代から続く文房具商「表屋商店」と西川屋との共同出資で「表屋ビル」を建設。開店当初は敷地の3分の1で表屋(文具)および眼鏡・レコード・化粧品の4店が入居し、残りの3分の2をキーテナントの西川屋が占めた[3]。地元では「表屋ユニー」と呼ばれた。
店舗面積約3,785m²で駐車場の無い店舗だった[5]
現在、跡地はフラワー銀座第二駐車場。名鉄刈谷市駅北200mに立地した。
  • ユニー小牧駅前店小牧市大字小牧字駒止2100[1]、1962年(昭和37年)6月28日開店 - 1991年(平成3年)2月閉店)
元ユニー小牧店(初代)。4階建て。1976年(昭和51年)2月、ユニー小牧ショッピングセンターのオープンに伴い改称。
現在、跡地は有料駐車場を経て更地となっている。名鉄小牧駅西側に立地した。
  • ユニー名豊店豊橋市駅前大通2-48[1]、1968年(昭和43年)10月8日開店[6] - 1992年(平成4年)8月閉店)
店舗面積約1,443m²[1]
現存する豊橋市駅前大通の名豊ビル(店舗面積約9,181m²)の核店舗としての出店した[5]。5階・6階で衣料・生活雑貨のみ販売していた。1982年(昭和57年)11月20日に6階はヤング衣料を中心とした、「ジョイワールド」に改装された。のちに売場を縮小、6階を閉鎖して5階のみになった。
現在、5階の跡フロアは貸催事場「名豊イベントホール」となっているが、通常は閉鎖されている。6階は改装され、貸展示場「名豊ギャラリー」および事務所フロア。
西春プラザの2階で衣料品のみ販売していた。食料品は当時1階で営業していたサワムラヤスーパー西春店(のちにメザックサワムラヤ)が受け持っていた。
閉店後の空きフロアには栄電社西春店が出店するが間もなく撤退。跡地は建て替えて、夢屋書店西春店。1996年(平成8年)7月12日にオープンしたが、2013年(平成25年)11月10日に閉店している。土地は引き続きユニーグループのユーライフ所有であり、2016年(平成28年)4月、高齢者用高層住宅「ユーライフメゾンみなみの風」が竣工。名鉄西春駅の北西約500mに立地した。
  • ユニーよこすか店(東海市養父町[7]、1982年(昭和57年)11月[7]5日開店 - 1995年(平成7年)2月閉店)
店舗面積約2,945m²[7]
オープン時の名称は、ユニーラブラよこすか店。「ラブラ」のストアブランドを冠称していた。名鉄尾張横須賀駅西側、横須賀駅西第一ビル内の1階から3階に入居していた。
横須賀駅西第一ビルは横須賀商業開発が所有し、杉山贈答とウシヒロを核店舗として営業している。店舗面積約4,155m²、延べ床面積約12,035m²[8]
  • ユニー笠寺店南区笠寺町西の門25[2]、1971年(昭和46年)1月開店[9](FCユニーより継承) - 1995年(平成7年)8月27日閉店)
店舗面積約3,209m²[1]。衣料・生活雑貨のみ販売し、食料品は当時1階で営業していた公設笠寺市場が受け持っていた。ユニーが入居していた1階の一部と2階以上はユニー閉店後に封鎖されている。
跡地の5階建て建物はそのまま、1階に食品スーパー「ヤマダイ新鮮通り笠寺西門店」が入居していたが、建物の老朽化が進み、2012年(平成24年)3月31日閉店。現在、跡地は建て替えて、「マックスバリュエクスプレス笠寺店」。2013年(平成25年)11月20日オープン。名鉄本笠寺駅北西100mに立地した。
  • アピタ豊田店(豊田市喜多町2-20-1[1]、1972年(昭和47年)6月29日[10]開店 - 1997年(平成9年)2月16日閉店)
元ユニー豊田店。商店街の再開発のために設立された喜多町ビル協同組合と共同で核店舗として出店していた[10]
1983年(昭和58年)[11]12月16日に増床してギャラリエアピタ豊田店として新装開業した。アピタ業態1号店[11]。1991年(平成3年)度にアピタ豊田店と改称。
6階建て地下1階[10]。ユニー豊田店の店舗面積約5,211m²、駐車台数約56台[5]
店舗面積約7,358m²[7]
現在、跡地は駅前道路の拡張部分、および新築した駅前再開発ビルCOMOスクエアのEAST館。名鉄豊田市駅東約250mに立地した。
  • アピタ豊橋店(豊橋市広小路1-2[1]、1969年(昭和44年)7月[5]25日開店 - 1997年(平成9年)2月16日閉店)
元ユニー豊橋店[5]。1983年(昭和58年)12月休業→1984年(昭和59年)4月21日ハートスタッフ豊橋店→1988年(昭和63年)ハートスタッフアピタ豊橋店→1991年(平成3年)度にアピタ豊橋店と改称。
ハートスタッフになってからスポーツクラブを3階に設け、食料品売場は廃止した。1993年(平成5年)12月30日にスポーツクラブを閉鎖している。3階建て地下1階。
店舗面積約3,732m²で駐車台数50台の店舗だった[5]
現在、跡地の建物はそのまま商業ビルFACE豊橋。豊橋駅北東約150m、広小路商店街ときわ通りに立地した。
  • ユニー名港店港区港栄4-3-7[1]、1947年(昭和22年)8月[7]15日開店、1955年(昭和30年)6月15日建替業態変更、1958年(昭和33年)増築、1967年(昭和42年)大増築 - 1997年(平成9年)8月17日閉店[12]
前身の西川屋チェン発祥の地及びユニーの1号店[12]。4階建て。後継店舗はユニー六番町店と共に、1997年(平成9年)9月18日に開店した、アピタ東海通店[13]。跡地は建て替えて、ナフコ名港店となった後、100円ショップ「サン名港店」を経て、現在はソフトバンクショップ築地口店。名古屋市営地下鉄名港線築地口駅南西側に立地した。
店舗面積約2,663m²[7]
  • ユニー六番町店(熱田区四番1-17-7[1]、1960年(昭和35年)7月[11]20日開店 - 1997年(平成9年)8月17日閉店[12]
ユニー(西川屋チェン)の2号店[12]。5階建て。現在、跡地は建て替えてナフコ熱田店。地下鉄名港線六番町駅東側に立地した。
店舗面積約1,050m²[7]
  • ユニー江南店江南市大字古知野字桃源12[1]、1969年(昭和44年)4月27日開店 - 1998年(平成10年)8月23日閉店)
店舗面積約7,712m²[1]
4階建て。1976年(昭和51年)に店舗の南西100mにタマコシ江南店(現・平和堂江南店。1999年(平成11年)に移転)が開店し、競合が激化している。
現在、跡地は建て替えて1999年(平成11年)8月5日にバロー江南店が開店した[14]。後継店舗は、1998年(平成10年)10月23日に開店したアピタ大口店
  • ユニー日進店(日進市、1982年(昭和57年)6月[7]19日開店 - 1999年(平成11年)2月21日閉店)
店舗面積約3,257m²[7]
オープン時の名称は、ユニーラブラ日進店。ラブラ1号店。1987年(昭和62年)6月19日に2階を増床している。
現在、跡地の建物はそのまま、1階ホームセンターコーナン日進店。2階はコジマNEW日進店となっていたが、2013年(平成25年)5月19日に閉店し、後継としてダイソー日進店が入居している。
店舗面積約4,308m²[7]
3階建て。閉店時の店舗面積約4,495m²[15]
オープン時の名称は、ユニーラブラ東浦店。現在、跡地の建物はそのまま、エディオン東浦店(旧ミドリ電化東浦店)および、TSUTAYA東浦店の共同店舗。緒川駅北約200mに立地した。
  • ユニー犬山店犬山市犬山高見町12-1[1]、1962年(昭和37年)12月26日開店 - 1999年(平成11年)8月29日閉店[15]
現在、跡地は、名鉄犬山駅西側で犬山市が買収[16]、所有運営する駐車場。および駐車場の一部を転用し「V・drug犬山駅前店」。2013年(平成25年)4月25日オープン。
4階建て。閉店時の店舗面積約5,602m²[15]
  • ユニー大樹寺店(岡崎市鴨田本町4-11[1]、1972年(昭和47年)12月[5]9日開店 - 2000年(平成12年)8月27日閉店[17]
新業態ユーマート1号店として開店[18]。平屋建てであり、実質、店舗規模的に約5年後に展開されるユーストアの原型、結果的にはレイアウト検討の為の先行試験店舗の位置づけとなった。
閉店時の店舗面積約約2,083m²[1]。駐車台数約200台[5]
跡地は建て替えてフィール岡崎大樹寺店。
  • ユニー蒲郡店(蒲郡市港町13-7[1]、1971年(昭和46年)11月[5]12日開店 - 2000年(平成12年)9月24日閉店[17]
屋上付き3階建て。店舗面積約4,301m²[17]。駐車台数約100台[5]
店舗の跡地約5,150m²を蒲郡市が所有していたが[19]、その内の土地区画整理で蒲郡市が所有していた約4,178m²が[20]2004年(平成16年)に地元蒲郡市の三河精麦へ売却された[19]
跡地は三河精麦の所有地とあわせた約5,140m²を開発してユニクロキャッツカフェなどが開店した[20]
後継店舗として近隣にアピタ蒲郡店が再開発地区(日本通運蒲郡支店跡地)に2000年(平成12年)12月[21]1日に開店した。
  • ユニー尾張旭店(尾張旭市、2000年(平成12年)12月7日開店 - 2003年(平成15年)2月9日閉店[22]
店舗ブランドとしてはジョイマートユニーを除いて、最後に開店したユニー店である。屋上駐車場付き平屋建て。
名鉄三郷駅西150mに立地した。現在、跡地の建物はそのまま、パチンコケイズ尾張旭店。
閉店時の店舗面積約5,601m²[22]
  • 生活創庫名古屋駅店(中村区椿町、1985年(昭和60年)11月21日開店[23] - 2003年(平成15年)8月17日閉店[24]
オープン時の名称は生活創庫アピタ名古屋駅店。初めて「生活創庫」のブランドを用いた。1991年(平成3年)4月14日に増床改装し、生活創庫名古屋駅店として再開店。
1997年(平成9年)2月期に約130億円を売り上げ、2000年(平成12年)2月期には対前年比約6.7%減の約115.1億円でユニー全店中第6位の売り上げをあげていた[15]。しかし、2000年(平成12年)3月に開店したジェイアール名古屋タカシマヤが追い撃ちとなり、2003年(平成15年)2月期には売上高約72億-73億円へ減少したために閉店となった[24]
現在、跡地の建物はそのまま改装され、ビックカメラ名古屋駅西店。
5階建て地下1階。増床改装後の売場面積は15,219m²[7]
  • ユニー安城駅前店安城市御幸本町7-24[1]、1968年(昭和43年)7月[5]10日開店 - 2003年(平成15年)10月25日閉店[25]
元ユニー安城店(初代)。1980年(昭和55年)5月、サンテラス安城のオープンに伴い改称。
3階建て。閉店時の店舗面積約2,723m²[25][7]。駐車台数約27台[5]
建物を解体し、現在はマンション「ライオンズステーションプラザ安城」。安城駅南口側に立地した。
  • ユニー東岡崎店(岡崎市明大寺町字川端34-1[26]、1970年(昭和45年)8月30日開店[26] - 2005年(平成17年)2月20日閉店[27]
6階建て地下1階。閉店時の店舗面積約5,024m²[27]。駐車台数約60台[5]
建物を解体し、現在は子会社ユーライフが建設した地上15階建てのマンション「カーサビアンカ東岡崎」[28]。名鉄東岡崎駅東口側に立地した。
  • ユニー八熊店(中川区八千代31-28[26](現・八熊[7])、1969年(昭和44年)11月22日開店[26] - 2005年(平成17年)2月21日閉店[29]
建物を解体し、現在はマンション「リーデンススクエア金山WEST」。金山駅南西1キロに立地した。
5階建て地下1階。閉店時の店舗面積約4,998m²[27]
  • ユーホーム小牧店(小牧市堀の内3-24[30]、1996年(平成8年)12月6日開店[30] - 2006年(平成18年)7月2日閉店[31]
サンテラス小牧(現・アピタ小牧店)の市道を隔てた東側に開店。屋上駐車場付き平屋建て。
跡地の建物は改装されて、家具・インテリアのタキソウパルクス小牧店となったが、2010年(平成22年)2月14日に閉店し、現在は家具・ホームファッションのナフコTWO-ONE STYLE小牧店。2011年(平成23年)11月10日オープン。
  • ピアゴ大曽根店東区東大曽根町南3-134-5[1]、1969年(昭和44年)10月[11]25日開店 - 2010年(平成22年)2月14日閉店[32]
店舗面積約10,544m²[1]
建物を解体し、土地を売却。現在、跡地はスーパー銭湯とパチンコ店の複合施設「キャッスルタウン大曽根」。2010年(平成22年)12月オープン。大曽根駅南西約200mに立地した。
閉店時の店舗面積約8,007m²[32]
なお、ピアゴ大曽根店は当時閉店が内定していたピアゴ可児店、ピアゴ長後店と共に、「ユニー」の建物看板を「ピアゴ」に差し換えることはなく閉店を迎えた。
  • ピアゴ前後駅前店(豊明市、1989年(平成元年)10月5日開店[33] - 2010年(平成22年)7月19日閉店[34]) SC名称 :パルネス前後
閉店時の店舗面積約1,570m²[32]
元アピタ豊明店。開店当初、翌月開店した下記のアピタ豊川店とともに、内装などを含めて、既存のアピタとも異なる高級化・ファミリー路線を目指した試験店舗。近隣のユニー豊明店とは異なる商品構成で差別化を図ったが[35]、のちに時代と共に特徴化は薄れた。
2005年(平成17年)2月13日に一時閉店し、1階2階の売り場を解約し縮小。地階ワンフロアのみの食料品主体に特化し、アピタ豊明店食品館として同年4月8日再開店。1階2階の跡フロアには他社専門店が入居。2009年(平成21年)2月にピアゴ前後駅前店と改称。
ピアゴ看板を掲げた店舗では初の閉鎖店舗。現在、跡フロアはそのまま後継に「コープあいち とよあけ店」が2010年(平成22年)10月8日にオープン[36]。名鉄前後駅北側に隣接した。
閉店時の店舗面積約2,286m²(直営店舗面積約2,045m²)[34]
アピタ豊明店の店舗面積約9,623m²、延べ床面積約15,179m²[37]
  • アピタ豊川店(豊川市、1989年(平成元年)11月9日開店[33] - 2010年(平成22年)8月15日閉店[38]) SC名称 :プリオ
豊川市(出資比率51.3%)と地元の商店組合や金融機関などが出資して設立された第3セクターの豊川市開発ビルが所有するビルへの出店で[39]、一般テナントの2倍近い坪単価を払っていたため床面積で約34%でしかないにも関らず同社の家賃収入の約60%を支払って経営の屋台骨を支えていた[40]
撤退の約10年前から毎年約2億円余りの保証金の返済を受けていたが[40]、当店が撤退を表明した時点でも尚月額家賃の30カ月分以上にも相当する約9億円の敷金が残っており[39]、返還を同社が求められることになった[39]
賃貸で入居していた核店舗の撤退のため建物はそのままで一部の専門店は残り[39]、店舗跡のフロアには後継にスーパー「フードマーケットマム」などが入居し、2010年(平成22年)10月22日にリニューアルオープンした。名鉄諏訪町駅北約200mに立地した。
  • ピアゴ乙川店(半田市、1979年(昭和54年)9月[41]14日開店 - 2011年(平成23年)8月23日閉店[42][43]) SC名称 :サンテラス乙川[41]
老朽化を理由に閉店[41]。屋上駐車場付き地上2階建て。2色の赤褐色瓦を交互に用いた、欧州をイメージした建物であった[41]。屋上の大看板塔は過去、時計台として機能していた[41]。「サンテラ」との愛称で親しまれていた[41]
店舗面積約10,119m²(直営店舗面積約6,494m²)[44]
乙川駅南側に立地した。しかし、乙川駅の構造上南口が無いため、目の前にありながら大きく迂回せざるを得ず、徒歩10分程度を要した。現在、跡地は建て替えて、カインズホーム半田店[43]。2012年(平成24年)7月3日オープン。
  • ピアゴ安城店(安城市日の出町1-21[45]、1980年(昭和55年)5月[45]16日開店 - 2015年(平成27年)2月15日閉店[46]) SC名称 :サンテラス安城[45]
全体の店舗面積は約8,271m²で、うち直営店舗の店舗面積は約6,262m²、安城織物の所有する建物に出店していた[45]
3階建て。閉店時の店舗面積約8,800m²でうち直営店舗の店舗面積は約6,000m²だった[46]。老朽化に伴い閉店。
2015年(平成27年)に解体着手し[47]、店舗跡地には「バロー安城日の出店」が同年12月17日に開店した[48]

岐阜県

  • ユニー長良北町店岐阜市平和通1-3[1]、1963年(昭和38年)8月13日開店 - 1977年(昭和52年)10月閉店)
1977年(昭和52年)11月3日、新築開店したユニー長良店に移転のため閉店。建物を解体し、現在はマンション「キャッスルハイツ長良北町II」。
廃止された名鉄岐阜市内線長良北町駅電停近隣、現ピアゴ長良店南約700mに立地した。
  • (初代)ユニー瑞浪店瑞浪市寺河戸町浪花通1188-5[1]、1970年(昭和45年)2月[7]28日開店 - 1994年(平成6年)6月19日閉店)
瑞浪駅前にあった地上4階地下1階の小型店。約2.5Km離れた国道19号線沿いに、1994年(平成6年)7月15日新築オープンしたユニー瑞浪店(2代目、現・ピアゴ瑞浪店)に移転[49]のため閉店。
跡地は建て替えて、岐阜銀行瑞浪支店となったが、2012年(平成24年)9月に同行が十六銀行に吸収合併されたことにより支店統廃合され、現在は空きビルとなっている。瑞浪駅南約100mに立地した。
  • ユニー中津川店(中津川市新町2[26]、1970年(昭和45年)11月20日開店[26]-1997年(平成9年)8月17日閉店[50]
真ん中に商店を挟み、Π字型状に本館・新館(1986年(昭和61年)に増床)があった。裏側で連絡通路でつながっていた。旧中山道沿いの中津川新町商店街に立地した[51]。1997年(平成9年)10月10日に近隣にアピタ中津川店が後継店舗として開店した[50]
閉店後に跡地は恵那市の企業へ売却され[52]、その後中津川市内の有力企業人らが出資した[53]株式会社新町開発が土地を取得し[54]、1階と2階を中津川市が区分所有する生涯学習施設として上層階に公共施設賃貸住宅や有料老人ホームが入る10階建て複合ビル建設案を進めていたが[52]、経済情勢の変化や中津川市の生涯学習施設の計画が進まなかったことから計画は断念された[52]
2009年(平成21年)11月に中津川市が土地を取得して2011年10月12日に起工式を行って着工にこぎ告げたものの[51]、中津川市長のリコール(解職請求)運動に発展し[51]、基礎工事を行ったものの、2012年(平成24年)1月より市の財政問題を理由として建設工事を中止。現在は更地として現状復帰されている。
  • ユニー芥見店(岐阜市芥見大船2-96[55]、1985年(昭和60年)4月[7]12日開店 - 2002年(平成14年)9月29日閉店[22])SC名称 :ALMA(アルマ)
店舗面積約3,300m²[7]
アルマ芥見ショッピングパークの核店舗として出店していた[55]
店舗面積約6,958m²[56]、延べ床面積約10,616m²[56]
建物の2階で衣料・生活雑貨のみ販売していた。食料品は1階で営業していたスーパーヤナギヤ(2010年(平成22年)廃業)芥見店が受け持っていた。現在、跡地は建て替えて、ケーヨーデイツー芥見店。
2階建て。閉店時の店舗面積約3,300m²[22][7]
  • ユニー多治見駅前店ギャラリエアピタ館(多治見市、1985年(昭和60年)8月29日開館 - 2004年(平成16年)4月18日閉館[57]
倒産閉鎖した5階建て「ながせショッピングセンター」(アオヤマ運営)の建物を改装し使用。ユニー多治見店(当時)とは3階から連絡橋通路で直接つながっていた。
一般的にはギャラリエアピタ多治見店と呼ばれたが、官庁への届出としては、ユニー多治見店増床の位置付けであり、正規店数にはカウントされない。現在、跡地は駐車場。建物は2007年(平成19年)10月に取り壊された。
閉館時の店舗面積約3,783m²[57]
  • ユニー多治見駅前店(多治見市本町3-101-3[1]、1976年(昭和51年)9月3日開店 - 2006年(平成18年)2月12日閉店[27]
元(初代)ユニー多治見店。1994年(平成6年)10月、サンテラス多治見のオープンに伴い改称。多治見駅東200mに立地した。
店舗面積約5,285m²[27]
店舗跡の建物は大幅に改修されて[58]2008年(平成20年)6月20日にクリスタルプラザ多治見が開業した[59]
1階にヤマナカの高級タイプの食品スーパーの多治見フランテが入居し[60]、3階にスポーツクラブのコパンアトレ[60]、4階に所有者のヤマカ興産本社[58]や内科等の医院[60]、ギャラリーが入居している[59]

静岡県

  • ユニー焼津店焼津市本町4-10-24[1]、1969年(昭和44年)7月3日開店 - 1987年(昭和62年)12月31日閉店)
5階建て。建物を解体し、パチンコ店「コンコルド焼津本町店」を経て、現在はマンション「エンブルマーレ焼津」。
店舗面積約3,729m²[1]焼津信用金庫中央支店の右隣に立地した。
  • ユニー磐田駅前店磐田市中泉399-6[1]、1967年(昭和42年)7月13日開店 - 1990年(平成2年)8月閉店)
店舗面積約1,593m²[1]
元ユニー磐田店(初代)。4階建て。衣料・生活雑貨のみ販売していた。1980年(昭和55年)11月のサンテラス磐田開店[7]に伴い改称。建物を解体し、磐田市役所都市整備化事務所、わかな手芸店および同駐車場を経て現在は空き家となっている。磐田駅北約200mに立地した。
  • ダイイチバルザ静岡店[7]静岡市呉服町2丁目1-5[1]、1967年(昭和42年)11月[9][61]27日開店 - 1988年(昭和63年)2月休業、同年6月家電店改装 - 1994年(平成6年)9月18日閉店)
元ユニー呉服町店。4階建て。衣料・生活雑貨のみ販売。のちに独立家電専門店ダイイチバルザ静岡店(ダイイチバルザ事業部運営)に改装する。1994年(平成6年)2月21日にダイイチ(のちのデオデオ・現エディオン)との家電販売契約解消に伴い、バルザ静岡店と改称。
1994年(平成6年)2月21日付の組織改編でダイイチバルザ事業部が廃止され[62]、1995年(平成7年)に跡地は大林組の系列企業に売却された[63]
閉店後、後継に生活創庫静岡店(後述)が同年10月に家電コーナーを新設し、家電業務は同店に引き継がれた。静岡駅北西約500mに立地した。
跡地は建て替えて開設された「5風来館(ごふくかん)」は、テナントの移転などで2013年(平成25年)3月から地下1階から地上3階までが空き店舗となったが[64]、その地下1階から地上3階に2015年(平成27年)3月4日に「アネックス静岡伊勢丹」が開業した[65]
  • ユニー掛川駅前店(掛川市南西郷七ノ坪118-1[1]、1972年(昭和47年)11月[66]3日開店-1997年(平成9年)2月閉店)
店舗面積約4,453m²[7]
1972年(昭和47年)11月に「ユニー掛川ショッピングセンター」として開業した[66]元ユニー掛川店(初代)。1995年(平成7年)3月24日のサンテラス掛川の開店[67]に伴い改称。
跡地は掛川駅前駐車場。道路向かいにはジャスコ跡地がある。
  • ユニー島田店(島田市、1979年(昭和54年)4月[7]19日開店 - 1999年(平成11年)2月閉店)
店舗面積約4,339m²[7]
島田三丁目ショッピングセンタービルの核店舗として開店。4階建て。地元から営業存続の要請を受けていたものの1999年(平成11年)4月の店舗の賃貸契約の期限を迎えることに伴い[68]閉店。
跡地の建物はそのまま後継に、1階に食品スーパービックポンドストアー本通3丁目店」、2階にドラッグストアウィンダーランド島田店」、3階に100円ショップザ・ダイソー島田店」などが入居するが、建物の耐震上の問題で、2009年(平成21年)3月末に撤退。ビックポンドストアーのみ半年延長し、同年9月末に閉店。翌年早春に建物を取り壊し、一旦更地となった。
跡地は2012年(平成24年)7月に竣工した商業施設・公共施設(図書館等)・マンション複合の10階建て「おび・りあ(新島田ショッピングビル)」。島田駅北約200mに立地した。
  • ステップイン島田店
ユニー島田店が近隣に賃借・設置した立体駐車場の1階で靴を専門的に販売していた。
かつてユニーは靴のマルトミと1986年(昭和61年)からしばらく業務提携をしており、路面型独立靴専門店展開の実験店舗であったが、1店舗のみで終わった。
現在、跡地はそのまま、居酒屋「串特急島田駅前店」が入居。
  • 生活創庫静岡店(静岡市、1984年(昭和59年)11月21日開店[69] - 2000年(平成12年)8月19日閉店[17]
開店時の名称はライブアピタ静岡店[69]。1989年(平成元年)に、生活創庫アピタ静岡店に改称。1991年(平成3年)10月24日に改装し、生活創庫静岡店と再改称される。
跡地の静岡伝馬町プラザビルでは地権者法人がFIVE-Jというテナントビルを経営していたが、2006年(平成18年)に109が地階にSHIBUYA109 DREAMSとして入居。2007年(平成19年)に拡張し、全館をSHIZUOKA109として営業を開始。なお、当初計画ではユニー静岡伝馬町店。静岡鉄道新静岡駅南150mに立地した。
4階建て地下1階。閉店時の店舗面積約6,639m²[17]
  • ユニー富士宮大宮店(富士宮市大宮町18-21[1]、1973年(昭和48年)10月[7]27日開店 - 2002年(平成14年)2月17日閉店[70][71]
店舗面積約4,055m²[7]
2階建て。閉店時の店舗面積約4,145m²[70]。現在、跡地は建て替えてクリエイトSD富士宮店。富士宮駅北西約350mに立地した。
元ユニー富士宮店(初代)。1994年(平成6年)12月2日のサンテラス富士宮の開店[72]に伴い改称。
  • ユニー藤枝白子店藤枝市本町2-1-35[1]、1967年(昭和42年)11月15日開店[73]1989年(平成元年)11月建替-2003年(平成15年)2月16日閉店[22]
元ユニー藤枝店。藤枝市本町にあった店舗面積3,975m²の店舗だった[73]。アピタ藤枝店が1988年(昭和63年)4月20日に開店し[74]、明確に分けるためにユニー藤枝白子店と改称して開店。旧店舗は3階建て。閉店時の店舗面積約1,625m²。
跡地の建物はそのまま、子会社ユーライフが店舗を賃貸し、後継のスーパーヒバリヤ新鮮市場藤枝白子店[73]、薬局スーパーレインボー白子店の撤退を経て、約1年ほど空きビルとなるが、建物の耐震上の問題で2009年(平成21年)秋に取り壊された。現在、跡地はユーライフにより、医療施設と共に「医住」を兼ねた高齢者向け賃貸マンション「ゴールドエイジ藤枝(旧ライフコート藤枝白子)」。2012年(平成24年)10月竣工。
屋上駐車場付き2階建て。閉店時の店舗面積約3,975m²[22]
北西に約700m離れた日清紡跡地にアピタ浜北店が開業。3ヶ月弱アピタとユニーが並行営業。
建物を解体し、現在は遠州鉄道分譲のマンション「ブライトタウン浜北」およびセブン-イレブンなど。遠州鉄道浜北駅北東約300mに立地した。
3階建て。閉店時の店舗面積約3,588m²[25]
  • ユニー三島広小路店(三島市広小路10-6[1]、1973年(昭和48年)7月[77]1日開店 - 2005年(平成17年)5月20日閉店[27]
店舗面積約5,253m²[7]
5階建て地下1階。閉店時の店舗面積約5,425m²[27]
衣料・生活雑貨のみ販売し、食料品は当時地下1階で営業していたキミサワが受け持っていた。後継業務はしばらくサンテラス駿東で引き継がれていた。
建物を解体し、現在はマンション「シャリエ三島広小路レジデンス」。キミサワは建て替え後に出店することになり[78]、2008年(平成20年)5月に食品スーパー「キミサワ広小路店」を出店した[79]伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅前、三島大通り商店街内に立地した。
  • ユニー駿東店(駿東郡清水町、1981年(昭和56年)12月[80]4日開店 - 2008年(平成20年)2月11日閉店[81]) SC名称 :サンテラス駿東[81]
大東紡織が所有する工場跡地に建設された店舗で、最盛期の1994年(平成6年)度に直営の売上高が約83億円に達したが、2006年(平成18年)度は39億円と半分以下に落ち込んだところに、同社との賃貸契約の期限が来たため、閉店となった[80]
開店時、子ども図書館(閉鎖時約1.5万冊蔵書)を開設しており、名古屋市の児童書専門店「メルヘンハウス」にユニーが運営を委託していた[82]
現在、跡地の建物はそのまま、2008年(平成20年)5月2日に「サントムーンアネックス」として、エディオンサントムーン柿田川店などが後継として開店している[83]。跡地利用について詳しくは、のちに店舗の北側に建てられたサントムーン柿田川参照。
3階建て。閉店時の店舗面積は約10,700m²で[81]
店舗面積約3,896m²[7]
  • ピアゴ清水高橋店(静岡市清水区、2003年(平成15年)3月21日開店 - 2016年(平成28年)2月14日閉店)
2階建て地下1階。旧ユーストア清水高橋店。建物は1993年(平成5年)9月1日にシズオカヤ清水店として開店しており、のちに閉店した同店にユーストアが居抜き出店。閉店後の跡地利用は未定。

北陸地区

富山県

  • ユニー新湊店(新湊市(現・射水市)中新湊17-31[1]、1973年(昭和48年)9月2日開店 - 1981年(昭和56年)2月閉店)
ナカシンショッピングセンター内の衣料・呉服テナントとして入居。ユニー撤退後、同センターは1996年(平成8年)に倒産している。
2000年(平成12年)に跡地の建物を解体し、現在はマンション「アパガーデンパレスなかしん」。当時の加越能鉄道新湊港線、現在の万葉線中新湊駅北側に立地した。
閉店時の店舗面積約259m²。
  • ユニー高岡店(高岡市御旅屋町51[26][1]、1971年(昭和46年)11月8日開店[26] - 1994年(平成6年)1月[84]23日閉店)
6階建て地下1階。店舗面積6,809m²[7][84]
跡地は建て替えて立体駐車場「NPC24H高岡駅前パーキング」[84]高岡駅北口側に立地した[84]
  • ユニー魚津店(魚津市釈迦堂33[1]、1975年(昭和50年)7月[7]26日開店 - 1999年(平成11年)8月閉店)
店舗面積約4,751m²[1]
3階建て。跡地は建て替えて、2000年(平成12年)7月に大阪屋ショップ魚津釈迦堂店が開業することになった[85]。副核店舗および店舗設置者は立山酒店。魚津市役所の北に立地した。
同じ魚津市内には、1999年(平成11年)11月12日にフェアモール魚津(核店舗アピタ魚津店)が開業している[86]
店舗面積約2,411m²[7]
2階建て。閉店時の店舗面積約2,523m²[17]
閉店後、長らくユニーが所有する空きビルとなっていたが、2012年(平成24年)3月に解体されることになった[87]富山地方鉄道五百石駅および立山町役場の西1kmに立地した。
  • ユニー富山駅前店(富山市桜町1-3-1[1]、1971年(昭和46年)11月10日開店[26] - 2004年(平成16年)10月24日閉店[57]
店舗面積約5,133m²[7]
5階建て地下1階。閉店時の店舗面積約5,520m²[57]
2005年(平成17年)にレオパレス21が土地と建物を取得して同年6月上旬から建物を解体し、ホテルとマンションの複合ビル建設が有力視されていたが[89]、2010年(平成22年)末に同社は事業化を断念して転売する方針に切り替えた。地下構造物の撤去作業を進めたのち[90]、2012年(平成24年)に北陸電気工事が取得[91]
現在は、同社の不動産事業子会社ホッコー商事が時間貸し駐車場として営業すると共に、敷地の一部に飲食店などが入る2階建てテナントビル「さくらビル」を建設。同年7月24日に最初のテナントが開業した[92]
また、約4,000m²の駐車場跡地は準大手ゼネコンの佐藤工業が保有していたが、民間都市開発推進機構が約40億円で取得して、2007年(平成19年)1月中旬締め切りで公募を行った[93]大和ハウス工業など4社で競合したが、アパホーム(アパグループ)が民間都市開発推進機構の経営審査会と価格審査会の審査で選定されたのち取得し[94]、243室のホテルと90室のマンション、商業施設の3棟からなる複合施設の建設を2008年(平成20年)3月21日に発表[95]。2010年(平成22年)12月24日に「アパヴィラホテル富山駅前」が開業した[96]
  • ユニー大島店(射水郡大島町射水市、1989年(平成元年)6月25日開店[33] - 2006年(平成18年)9月24日閉店[31][97]) SC名称 :アプリオ大島
ショッピングセンター「アプリオ」の核店舗として同ショッピングセンターの売場面積10,708m²のうち6,575m²を占め、1995年(平成7年)に売上高約53億円を上げていたがイオン高岡ショッピングセンターやアル・プラザ小杉、イータウンなどの競合店の登場で2005年(平成17年)に売上高約21.38億円へと約60%減少したため閉店した[97]
店舗跡には建物はそのままで2006年(平成18年)12月7日に大阪屋ショップアプリオ店などが開業した[98]。2階には副核店舗として家具・インテリアの「米三アプリオ店」が入居。2012年(平成24年)7月14日オープン。

石川県

  • ユニー竪町店金沢市竪町48[1]、1968年(昭和43年)[99]6月8日開店 - 1978年(昭和53年)12月24日閉店)
元(初代)ユニー金沢店。1977年(昭和52年)11月のサンテラス金沢の開業[8]に伴い、ユニー竪町(たてまち)店と改称。
閉店後、1979年(昭和54年)に「竪町パティオ」が開店[99]。1987年(昭和62年)頃まで、ユニーが所有し賃貸をしていた。
2006年(平成18年)2月から建物を解体して建て替え[100]、2007年(平成19年)4月20日に金沢パティオとして開業[101]
  • ユニー加賀店(加賀市大聖寺東町1-30[37]、1974年(昭和49年)11月[37]10日開店 - 2000年(平成12年)8月22日閉店[102][17]) SC名称 :ミリオンプラザ
店舗面積約6,668m²[7]
4階建て。閉店時の店舗面積約7,121m²[17]。2007年(平成19年)に建物を解体し、跡地は現在、老人福祉施設「慈妙院加賀」。大聖寺駅北東約700mに立地した。
石川県内では初めての地元商業者による共同店舗であった「ミリオンプラザ」[103]に出店していた[37]

福井県

  • 生活創庫福井店福井市中央1-204-1[1]、1968年(昭和43年)9月[104]28日開店 - 2002年(平成14年)1月20日閉店[105]
総合スーパーのほていや福井ショッピングセンターとして開業し[104]、合併によりユニー福井店となった後、1983年(昭和58年)11月[104]12日に中学・高等学校生向け衣料主体のポアンカ福井店へ業態転換し[104]、1990年(平成2年)2月にOL層を含む若者向けのファッションビルの生活創庫福井店へ再度業態転換した[104]
地下1階から地上4階までの店舗面積約5,607m²で、最盛期の1993年(平成5年)2月期に売上高約24.29億円を上げたが以降は売上が伸び悩み、1999年(平成11年)にだるまや西武百貨店の新館に開業したロフトと顧客層が重なって競争が激化したことなどが影響し、2001年(平成13年)2月期に売上高約13.03億円へ落ち込み、業績の回復が困難だとして閉店となった[104]。閉店後は2006年(平成18年)に三谷商事へ売却。
店舗の入居していたビルは、敷地面積約2,100m²に建てられた地下1階・地上7階階建てで延べ床面積約10,100m²の建物であった[106]
当店が閉店することを発表したため2001年(平成13年)10月29日に福井県知事と福井市長が話し合う県都問題懇談会で年度内に再開発の基本構想をまとめることで合意[107]。2002年(平成14年)1月には、福井市長を委員長として福井県と福井市に地元経済界と地元商店街が共同で福井駅西口中央地区基本構想委員会を設立して当店跡地を中心とした再開発構想の策定を進めた[108]
しかし、2007年(平成19年)12月に都市計画決定されたシティーホテルとマンションに商業施設など合わせた2棟のビルを建設する案は、構想に盛り込まれたホテルの招致が2008年(平成20年)12月に頓挫し、2009年(平成21年)11月に要望したNHK福井放送局の招致も2010年(平成22年)に挫折するなど再開発計画は何度も変更を余儀なくされ、2011年(平成23年)8月に実際に着工した案に決定した[109]
2013年(平成25年)4月に再開発に伴う権利変換計画が承認され[110]、当店の入居していたビルも同月から内装の解体を始めて同年5月21日から外壁の解体工事に進み[106]、解体された。
跡地を含む再開発地区では、2013年(平成25年)10月に地下2階・地上21階建てで高さ約90mのビルが着工され[109]、2016年(平成28年)3月に完成する計画で工事が進められている[109]
再開発ビルの1階と2階には商業施設[109]、3~5階にプラネタリウムや多目的ホールなどの公共施設が入居し[109]、7階以上は分譲マンションとなっている[111]
店舗の入居していたビルは閉店後、「えきまえKOOCAN」としてイベントなどに利用されていたが、その際には「えきまえKOOCAN(旧生活創庫ビル)」との記述も見られた[112][113]
  • アピタ武生店(武生市新町[7]=現・越前市、1988年(昭和63年)5月18日開店[74] - 2010年(平成22年)3月20日閉店[114]) SC名称 :シピィ
店舗面積約5,901m²[7]
ショッピングセンター、シピィを運営する「武生商業開発」が2009年(平成21年)9月28日に民事再生法の適用を申請して事実上破綻した[115]。営業を継続しながら再生計画の策定を進めようとしたが、スポンサー探しが難航したため経営再建を断念し[116]、破産する方針を同年12月に決定し[117]、2010年(平成22年)1月末での営業休止をテナントに通告した[117]
しかし、テナントで作るシピィ専門店会は「武生商業開発」の破綻後も営業の継続を模索したが[118]、民事再生手続きの廃止確定後の営業見通しが立たない上アピタ武生店も業績が悪化しているとして[118]2010年(平成22年)3月に契約を更新せず撤退する方針をユニーがシピィ専門店会に伝えた[116]ため、両者で閉店日を調整して撤去期間を見込んでユニーのテナント契約が切れる4日前の3月20日まででの閉店が決まった[118]
跡地の活用は未定だったが、武生商業開発が権利譲渡したロイヤル総合開発の管理運営で中核店舗に大黒天物産が運営する食品スーパー「ラ・ムー」が北陸地区初の店舗として[119]1階の約20%の売り場面積約2,500m²で出店し[120]、閉店時のテナント52店のうち24店が再出店するなど44店舗で[119]2012年(平成24年)5月24日に再開業した[121]

甲信越地区

長野県

  • ユニー長野店長野市大字鶴賀字鍋屋田1437[1]、1970年(昭和45年)4月[122][123]26日開店 - 1982年(昭和57年)4月閉店)
店舗面積約4,099m²[122]
建物の2階以上で衣料・生活雑貨のみ販売していた。食料品は1階で長野市が本拠のニシナ(のちに信州ジャスコに吸収合併)が担当していた。長野電鉄権堂駅西250mに立地した。
建物を解体し、現在は天然温泉付き複合施設「テルメDOME」を併設したマンション「山京長野パレス」。
  • (初代)ユニー駒ヶ根店駒ヶ根市赤穂16292-1[1]、1970年(昭和45年)2月1日開店 - 1984年(昭和59年)7月閉店)
衣料・生活雑貨のみ販売していた。4階建て地下1階。駒ヶ根駅前に新築したアルパショッピングセンターに移転のため閉店。
現在、店舗跡の建物はそのまま大きく改装され、地上部分は「ホテルオオハシ駒ヶ根」。地階は飲食店街となっている。
  • ユニー上田中央店(上田市中央3丁目7-1[1]、1974年(昭和49年)4月19日[124]開店 - 1988年(昭和63年)4月閉店[124]
原町通りの原町問屋の跡に開設された5階建て地下1階の店舗で開業時点で地場資本以外では初めて上田市に進出した大型店であった[124]
跡地は数年間廃墟のままだったが、建物を解体し、現在はビジネスホテル「ユーイン上田」。および同施設も使用する市営駐車場。
原町バス停前、上田駅北約800mに立地した。
  • (2代目)ユニー駒ヶ根店(駒ヶ根市中央[7]、1984年(昭和59年)11月17日開店 - 1996年(平成8年)5月閉店[125]) SC名称 :アルパ
国道153号線沿いにあった店舗を、東に100メートルほど離れた駅前に新築移転。しかし近郊に大型店の進出、中心市街地ポテンシャルの低下、駐車場が少ないなど集客力に欠け閉店。
現在、跡地の3階建ての建物はそのまま、1階に食品スーパー「マルトシ駒ヶ根駅前店」。3階は子育て支援室および多目的ホールとなっている。

関東地区

東京都

  • ユニー成瀬店(町田市南成瀬[7]、1980年(昭和55年)6月[126]20日開店 - 2000年(平成12年)8月18日閉店[17]) SC名称 :ペアーズ成瀬
成瀬相鉄ローゼンショツビングセンター共に出店していた[55]
ペアーズは相高SC[注 1]との共同開発(ペア)によることに由来する。建物を解体し、現在はマンション「カウンテスコート」。成瀬駅北側に立地した。
3階建て。閉店時の店舗面積約6,558m²[17][7]
  • アピタイースト21店(江東区、1992年(平成4年)9月3日開店[127] - 2007年(平成19年)8月19日閉店[128]
オープン時は「生活創庫UNYイースト21店」として鹿島建設グループと共同開発した複合施設「東京イースト21」の核店舗として鹿島東京開発が運営する「東京イースト21モール」[129]やホテル[130]と共に開業したユニーの東京23区で初めての店舗だった[127]。売場は当初から建物の1階から4階まであった。
店舗面積約13,911m²で2000年(平成13年)2月期に対前年比約5.3%減の売上高約135.79億円でユニー全店で第2位の売上高を上げていた[15]
近隣にイトーヨーカドーやジャスコなどが進出して競争が激化したことに対応して2004年(平成16年)4月10日に改装して品揃えの拡充と直営売場の一部専門店化を行ってアピタイースト21店に改称した[130]
跡地の建物はそのまま、1階に後継としてクイーンズ伊勢丹東陽町店が2008年(平成20年)4月25日に入居したが2009年(平成21年)8月に閉店。2009年(平成21年)11月21日にサミットストアイースト21店が後継として開店した[131]。2階以上はビジネスセンターとなっている。
当店と一体的に開発されたイースト21タワー13階に1992年(平成4年)8月3日に東京本部も移転して業務を行っていた[132]

神奈川県

  • (2代目)ユニー大口店(横浜市神奈川区入江町2-18-2[26]、1971年(昭和46年)6月19日開店[26] - 1991年(平成3年)3月10日閉店)
約150m離れた近隣に、1991年(平成3年)3月27日、新築オープンした雑貨創庫ユニー大口店(3代目)に移転のため閉店。同店は現在のピアゴ大口店。
大口駅前の旧店舗は、4階建て地下1階。地階は駐車場。建物は改装され、ユニー関東事務所(ユニー大口東口駅前ビル)となったが[133]、2013年(平成25年)5月6日に新横浜に仮移転。全面的な建て替えが2015年(平成27年)3月までに完了し、同年4月1日から「ユニーグループ・ホールディングス大口ビル」として関東事務所のほか子会社10社の関東の事務所も集約した[133]
  • ユニー元住吉店川崎市中原区井田中ノ町307[1]、1968年(昭和43年)11月1日開店 - 1992年(平成4年)2月閉店)
店舗面積約1,249m²7[1]
4階建て。現在、跡地の建物はそのまま改装され、パチンコパーラー和助西口店。東急東横線元住吉駅西約600m、ブレーメン通り商店街に立地した。
  • ユニー杉田店(横浜市磯子区杉田町字宮田1437[1]、1969年(昭和44年)9月[7]4日開店 - 1995年(平成7年)2月閉店)
店舗面積約1,420m²[7]
元ユニー杉田西口店。ユニー杉田東口店閉店後に改称。建物は3階までが売場で4階が事務所となっていたが、売場は手狭で客用のエレベーターやエスカレーターは設置されていなかった。駐車場も無く、店舗前の道路も手狭で一方通行であり、1993年(平成5年)に杉田とうきゅうが開店してからは不便さが避けられ、不振となり撤退。
建物を解体し、現在はマンション「エクレール杉田」。京急本線杉田駅西側に立地した[134]
  • ユニー橋本店(相模原市緑区橋本3-3-1[1]、1976年(昭和51年)11月[7]12日開店 - 2002年(平成14年)8月18日閉店[22]) SC名称 :サンテラス橋本
4階建て。閉店時の店舗面積約7,765m²[22][7]
跡地は建て替えて、MOVIX橋本ドン・キホーテなどが入居する商業施設SING橋本。橋本駅東300mに立地した。
  • ユニー戸塚西口店(横浜市戸塚区戸塚町60[1]、1966年(昭和41年)12月[7]18日開店 - 2003年(平成15年)1月10日閉店[22]
2階建て。閉店時の店舗面積約863m²[22][7]
元ほていや戸塚店。(初代)ユニー戸塚店。衣料・生活雑貨のみ販売していた。1983年(昭和58年)6月、サンテラス戸塚のオープンに伴い改称。
跡地の建物は取り壊され、戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業(現:トツカーナ)の一部(戸塚パルソ)、三菱東京UFJ銀行戸塚支店あたりに立地した。
  • ユニー衣笠店横須賀市衣笠栄町1-13[1]、1968年(昭和43年)4月3日開店[135] - 2004年(平成16年)2月8日閉店[25]
4階建て地下1階。}}閉店時の店舗面積約1,483m²[25][7]
衣料・生活雑貨のみ販売していた。食料品は地階に1981年(昭和56年)3月21日から開店したヨコサン(ニチイヨコサン、横須賀産業とニチイの合弁会社)が扱っていたが、ユニーよりも早く撤退し、地階は現在封鎖されている。
建物はそのまま改装され、商業ビル「シルパティオ」。1階にドラッグストア、クリエイトS・D横須賀衣笠店。2階に100円ショップキャンドゥ新衣笠店。衣笠駅東150m、衣笠商店街内に立地した。
跡地では2005年7月からスポーツクラブ「メガロス綱島」が営業している[138]。東横線綱島駅西300mに立地した。
4階建て。閉店時の店舗面積約4,392m²[25][7]
  • ピアゴ長後店藤沢市長後字宿下分705[1]、1969年(昭和44年)10月[7][139]25日開店 - 2010年(平成22年)1月17日閉店[140]
4階建て。閉店時の店舗面積約3,045m²[32][7]
ピアゴ名称変更後初の閉鎖店舗。エスカレータは昇りのみ設置。開業当初は屋上に遊戯施設が設けられていた。
現在、跡地は建て替えて、子会社ユーライフが建設し、医療施設と共に「医住」を兼ねた高齢者向け賃貸マンション[141]「ライフコート長後」および、デイケアセンター「さくらんぼ」。2011年(平成23年)7月完成。小田急線長後駅北、約250mに立地した。
  • ピアゴ中山店(横浜市緑区台村町231-1[139]、1967年(昭和42年)11月[139]18日開店 - 2015年(平成27年)2月15日閉店[46]
店舗面積5,667m²[139]、延べ床面積約9,166m²[139]
3階建て。老朽化に伴い閉店。跡地利用は2014年(平成26年)10月段階で未定[142]
  • アピタ日吉店(横浜市港北区箕輪町宇舟下707-2[1]、1977年(昭和52年)6月[11][8]17日開店 - 2015年(平成27年)11月29日閉店[143]) SC名称 :サンテラス日吉
店舗面積約11,725m²[8]
岡本工作機械製作所の工場跡地にユニー日吉店として開店し[144]、2009年(平成21年)3月14日にアピタ日吉店に改称した[143]
直線距離で約350mのパナソニック綱島事業所跡地の「綱島サスティナブル・スマートタウン」に移転する形で[143]、2016年(平成28年)度に新店舗「アピタ横浜綱島店」を開店するとして[145]、閉店することになった[143]
敷地は2015年(平成21年)4月に野村不動産が取得し、マンションなどを建設する再開発を計画している[144]

千葉県

  • アピタ八千代店(八千代市吉橋1851[146]、2000年(平成12年)10月20日開店[146] - 2006年(平成18年)8月20日閉店)
地上4階建で1~2階に総売場面積約20,800m²で直営売場面積が約14,000m²の売場が設置された店舗で、3~4階などに約1,400台収容の駐車場を併設していた[146]
閉店後しばらく空き店舗のままだったが改装され、現在は複合商業施設「イズム緑が丘」となる。2008年(平成20年)5月、総合スーパ-「メガセンタートライアル八千代店」とアミューズメント「キャッツアイ」が核テナントとしてオープン。東葉高速線八千代緑が丘駅北300mに立地した。

埼玉県

計画時はユーストアが立地確保していた。事務所を除いて平屋建てのミニGMSとして開店している[148]
建物はそのまま改装され、トライアル騎西店として2011年(平成23年)5月25日にオープン。
閉店時の店舗面積約2,348m²(直営店舗面積約2,277m²)[34]

茨城県

地下1階地上8階建で延べ面積18,469m²に売場面積10,926m²の東急ストア(水戸とうきゅう)が1980年(昭和55年)9月撤退[150]
その後継として開店したが、中心市街地の歩行者通行量の減少などの影響を受けて閉店した[149]
水戸市南町の繁華街にあり、同業の伊勢甚ダイエーと共にシンボリックな店舗であった為に、撤退決定した前年に地元マスコミによって撤退がトップ項目として伝えられた。
閉店後は当店の入居していた東水ビルは長期に渡って空きビルとなっていたが[149]、2007年(平成19年)に住友不動産[151]売却され[149]、6月に取り壊された。
商業施設やマンションの入る25階建て程度かそれ以上の超高層ビルの建設計画が構想されていた[151]が建築資材値上がりの影響などで計画が実現せず[152]、一部が駐車場として利用されるだけになっていたため[152]、2008年(平成20年)に水戸市が暫定的に一部を無償で借りて使用できるように申し入れて[153]住友不動産と2年間無償で水戸市が一部を借りることで合意が成立し[154]、2009年(平成21年)2月21日に「南町自由広場」がオープンした[155]
「南町自由広場」では東日本大震災の際に発生した福島第一原子力発電所の事故に伴う茨城県産野菜の風評被害の払拭を狙って低価格で販売するイベントが2011年(平成23年)4月に開催されたり[156]、黄門祭りの際の屋台の出店場所となる[157]など様々なイベントの会場として活用されている。
水戸駅北西約1.1kmに立地した。
  • ユニー竜ヶ崎店(龍ケ崎市若柴町[7]、1986年(昭和61年)6月[7]5日開店 - 1996年(平成8年)8月閉店)
店舗面積約591m²[7]
「竜ヶ崎中央店」「竜ヶ崎にれの木店」の2店舗があった。ユニー竜ヶ崎店はこれらをまとめて総称し、食料品を主体に販売していた。同店は北竜台地区のSCを開発する南茨城新都市開発(株)によって誘致された[158]
竜ヶ崎中央店は、1986年(昭和61年)3月に閉店した元カスミ北竜台店。同店撤退の後継として居抜き出店。現在、跡地は新たに建てられた、イトーヨーカドー竜ヶ崎店の北側駐車場の一部分。
竜ヶ崎にれの木店も同様にカスミ撤退の後継店で、同年5月に閉店した元カスミにれの木店。竜ヶ崎中央店から北北西に約1.3km離れており、同店のサテライト店の位置付けであった。商業施設「楡の木プラザ」の核テナントであったが、規模的にはコンビニ店程度でしかなく、閉店後、店舗跡は長期に渡り空きとなった。その他、同施設のテナントABC美容室などは引き続き入居していた。現在、跡地は建て替えて、ウエルシア龍ヶ崎長山店。なお、2011年(平成23年)10月20日に、Drugてらしまとしてオープンしている。
閉店時の店舗面積、中央店約390m²、にれの木店約230m²。
この店舗はユーストアを参考にし、ユーストアの関東版ともいえる子会社マートスリー(1986年(昭和61年)1月設立)の店舗となる予定だった。その後、マートスリーは店舗展開することなく解散している。
2階建てのミニGMSとして開店[159]。現在は建物を解体し、更地となっている。取手市立桜が丘小学校西側、藤代駅の南約3Kmに立地した。
閉店時の店舗面積約4,230m²[57]
総和商業開発が所有する2階建て延べ床面積約23,000m²で約30店が入ったショッピングセンターの「ファンモール総和」の核店舗[161]として売場面積約10,382m²の店舗だった[162]。テナントは約30店が入った。約1,200台収容の駐車場を併設[160]
2004年(平成16年)に売上高が約26億円と全盛期の半分に落ち込んだため閉店となった[161]
跡地の建物はそのまま改装され、アミューズメント施設を核とした5588 KOGAとして2006年(平成18年)9月28日オープン。ヤオコー古河牛谷店などが入居したが[163]、ヤオコーは2011年(平成23年)6月30日に閉店。運営会社の倒産により施設全体は翌年1月31日をもって閉鎖された。
跡地は建て替えられ、ケーズデンキ古河中央店が2013年(平成25年)3月14日に開店。
  • アピタ石下店(常総市本石下、1999年(平成11年)10月22日開店[164] - 2015年(平成27年)12月6日閉店[165]
鉄骨造地上2階建て[164]延べ床面積約17,000m²で[166]、店舗面積約14,453m²のうち直営店舗面積約9,500m²であった[164]。開業時から[164]閉店時まで23店の専門店が入居していた[166]
台風18号平成27年9月関東・東北豪雨)の影響で店舗の南東約3㎞の鬼怒川が決壊し[167]、2015年(平成27年)9月10日午前10時半ごろに浸水で営業を休止した[168]。この営業休止時点で店内にいた従業員約80人や来店客約30人のほか近隣の住民約30人が店内の2階に避難し[168]、2階の100円ショップの食料や飲料を利用して一夜の避難所となった[167]
この水害で1階が約2mの高さまで浸水したため[169]、レジを含むシステムや冷蔵庫・照明などの電気設備が損壊すると共に[169]、食料品や住居関連の売り場があったため食料品のほとんどは破棄せざるを得なくなる大きな被害を受けた[170]
水害後の同年9月15日には仮設テントで営業を再開し[171]、同年10月1日に被害が小さかった2階で食料品や衣料品を扱う形で営業を再開した[166]。しかし、全面復旧を行うには多額の投資が必要で回収のめどが立たないとして、同年12月6日で閉店することになった[166]
  • アピタ守谷店(守谷市、1987年(昭和62年)4月3日開店[45] - 2016年(平成28年)2月14日閉店)旧SC名称 :サンテラス守谷
ユニー守谷店として開業した常総ニュータウンの中心的商業施設で、1993年(平成5年)6月23日に延床面積を約2.3倍の約18,000m²に増床してサンテラス守谷へ名称変更し、新装開店した[172]。2009年(平成21年)2月21日、アピタ守谷店に改称。
ピーク時と比較して、売り上げが半減したとの理由により閉店となった[173]。施設の1階から2階にわたり存在した閉店後の跡フロアは北守谷連絡協議会が中心となって、守谷市議会や施設所有者の「新都市サービス」に後継商業施設の誘致を請願している[174]

群馬県

  • ユニー太田店(太田市飯田町[7]、1977年(昭和52年)10月[7][175]27日開店 - 2007年(平成19年)1月14日閉店[31][175]) SC名称 :ベルタウン太田[175]
店舗面積約7,539m²[7]
東武鉄道伊勢崎線太田駅南口に隣接する太田ベルタウンの核店舗としてを自社所有して営業し、地元企業が共同出資していた「大同」が運営する延べ床面積約12,700m²で約50店の専門店街と一体となって営業していた[175](直営店舗面積約7,539m²[31])。
最盛期の1991年(平成3年)に売上高約54億円を上げて、1990年(平成2年)に売上高約40億円を上げた「大同」が運営する専門店街と合わせて90億円を超える売上高を誇っていたが、2003年(平成15年)12月に太田東部にイオン太田ショッピングセンターが開業するなど近隣の郊外型大型店との競合するようになったため、2005年(平成17年)に売上高約22億円まで落ち込み、「大同」が運営する専門店街も売上高約15億円と低迷するなど集客力が低下し、建物のも老朽化しているとして閉店することになった[175]
ベルタウンの店舗面積約14,965m²[56]、延べ床面積約30,877m²[56]
店舗跡の土地・建物の処分はユニー単独では行わずに地元の意向を尊重して商業施設としての再開を「大同」が目指して後継店舗を招致し[175]、建物はそのままでドン・キホーテが入居。従来からの地元テナントや、オフィスフロア(上層階)、新規に誘致した中華食堂街などと新たなテナントミックスを図り、同年7月に複合商業施設ジェイ・プラザとなる。

近畿地区

滋賀県

  • ピアゴ松原店(彦根市、2003年(平成15年)7月18日開店[176][177] - 2015年(平成27年)10月18日閉店[178]
2001年(平成13年)12月9日に閉鎖となった「近江プラザホテル」[179]の跡地に開設された商業施設「クレッセ彦根(後のフレスポ彦根)」の主要テナントの一つとして、ユーストア松原店として出店[180][177]

ユニーの店舗で改築等に伴い改称されたもの

ユニー店のアピタ店への改称を含む。その他、ピアゴ店への改称を除く。

東海地区

愛知県

  • ユニー向山店(豊橋市向山町中畑[1]、1975年(昭和50年)5月[5]23日開店 - 1996年(平成8年)10月[181]20日閉店)
店舗面積約5,512m²で駐車台数300台の店舗だった[5]
オープン時はユーマートとして開店[5]。「向山ボウル」の後継として、元ボウリング場を改装した特殊な構造だった。
総営業面積を約2.8倍、直営売場面積を約2.1倍として建て替え、1997年(平成9年)9月26日にアピタ向山店が開業した[181]
  • ユニー桜山店(瑞穂区桜見町1-5[1]、1968年(昭和43年)4月[7]29日開店 - 1999年(平成11年)2月21日閉店)[2]
店舗面積約2,908m²[7]
4階建て。建て替えて、2000(平成12年)年6月8日にユーストア桜山店として開店[182]
ピアゴ桜山店への改称を経て、建物の老朽化が進んだことに加えて富裕層が多い商圏であることから[183]、2011年(平成23年)7月3日に一旦閉店し、都市型小型スーパーへの大幅改装を行ってピアゴ ラ フーズコア桜山店として2011年(平成23年)8月[183]5日に新装開店した。
  • (2代目)ユニー小牧店(小牧市、1976年(昭和51年)2月27日開店 - 1999年(平成11年)2月28日閉店[184]) SC名称 :サンテラス小牧
店舗面積約7,434m²[15]
建て替えて総営業面積約1.65倍の18,802m²に拡張し、2000年(平成12年)3月17日にアピタ小牧店が開業[184]
  • ユニー半田店半田市泉町5[1]、1963年(昭和38年)9月[23]20日開店、1967年(昭和42年)建替 - 1999年(平成11年)3月7日閉店[15]
店舗面積約7,978m²[7]
西川屋チェン半田店として開業[23]。開業時には鉄骨造り地上2階建ての建物で赤と白に外壁が塗り分けられていた[23]
開業時には地元商店街の反発をかわすため地元商店から[185]36店舗が入居する専門店街を併設した[23]
建て替えて、2000年(平成12年)4月28日にユーストア半田店としてオープン[186]。現在はピアゴ半田店となる。直営薬局を置くなど中規模改装に伴い、2011年(平成23年)6月19日に一旦閉店し、同年7月15日に再開店。
5階建て地下1階。閉店時の店舗面積約7,978m²[15][7]
  • ユニー刈谷店(刈谷市南桜町2-56-1[1]、1969年(昭和44年)10月25日開店 - 1999年(平成11年)9月26日閉店[15]) SC名称 : サンテラス刈谷
建て替えて、2000年(平成12年)10月13日にアピタ刈谷店としてオープン[187]
5階建て。閉店時の店舗面積約13,433m²[15]
  • ユニー大田川店(東海市大田町下浜田102-1[1]、1970年(昭和45年)3月[188][189]20日開店 - 2002年(平成14年)8月[189]18日閉店)
店舗面積約11,600m²[1]
名鉄常滑線太田川駅の高架化に伴う仮線路用地として店舗敷地の一部を利用するため閉店[190]。5階建て。後継店舗は2002年(平成14年)10月24日にオープンしたアピタ東海荒尾店[191]
建物を解体し、地元有志らが設立したどんでん広場(グルメコート、産地直売所、イベント広場、駐車場)として、約10年間ユニーから借地して営業を始めたが、借地権の切れた2012年(平成24年)12月末に施設全体が閉鎖された。
2011年(平成23年)年12月17日に同駅の連続立体交差事業は完了した。建物を新たに建設し[192]ラスパ太田川が2015年(平成27年)3月20日に開業した[193]
  • ユニー千代田橋店(千種区、1979年(昭和54年)10月[7]19日開店 - 2003年(平成15年)2月16日閉店[22]) SC名称 :サンテラス千代田橋
建て替えて、2004年(平成16年)9月23日にアピタ千代田橋店としてオープン[194]
店舗面積約13,323m²、延べ床面積約33,822m²[37]。中部旭紡績の所有するビルへの出店[37]
3階建て。閉店時の店舗面積約9,163m²[22]
  • (初代)アピタ一宮店(一宮市大和町[7]、1986年(昭和61年)6月[7]27日開店 - 2003年(平成15年)2月16日閉店[22]
建物はそのまま、2003年(平成15年)6月27日にユーストア妙興寺店として新装開店[195]。現在はピアゴ妙興寺店となる。
4階建て。閉店時の店舗面積約7,123m²[22]
(2代目)アピタ一宮店はユニー一宮店(サンテラス一宮)が名称変更したもので、建て替えた現在のテラスウォーク一宮の前身である。
  • ユニー豊川店(豊川市末広通1-27[1]、1973年(昭和48年)3月[5]23日開店 - 2003年(平成15年)11月3日閉店[25]
2階建て。閉店時の店舗面積約3,588m²[25]。駐車台数約300台[5]
オープン時はユーマートとして開店[5]。建て替えて、2004年(平成16年)10月22日にラ フーズコア豊川店としてオープン[196]
一連の店舗ブランド変更に伴いピアゴ ラ フーズコア豊川店となるが、2010年(平成22年)8月に店内の鮮魚扱いを専門店化するなどの改装に伴い、現在はピアゴ豊川店となる。
  • ユニー柴田店(南区柴田本通1-3[1]、1970年(昭和45年)6月[188]20日開店 - 2007年(平成19年)2月13日閉店[197]
店舗面積約5,971m²[7]
閉店時の店舗面積約6,699m²[31]
最盛期には年間売上高約50億円を上げていたが、近隣の他店との競合などで2006年(平成18年)2月期に約3分の1以下に落ち込んだため、2006年(平成18年)7月に採算が合わないため2007年(平成19年)2月で閉鎖する方針を柴田商店街振興組合に伝えたところ<、同商店街振興組合などが「大型店がなくなると商店街への影響に加え、さらに、車に乗れない近くの高齢者は買い物をする場を失ってしまう」として閉店反対の署名を集める珍しい活動が行われた[198]
建て替えて、2009年(平成21年)1月23日にピアゴ業態で初出店=1号店となるピアゴ ラフーズコア柴田店として開店した[199]
ラフーズコア看板を掲げて建設が進められたが、ピアゴ名付与により、開店直前に急遽看板の差換を行っている。参考リンク。
  • ユニー高蔵寺店(春日井市、1976年(昭和51年)10月15日開店[200] - 2004年(平成16年)2月29日閉店[57]) SC名称 :サンテラス高蔵寺
閉店時の本館の店舗面積約9,434m²[57]
1976年(昭和51年)10月に高蔵寺ニュータウンセンター(サンマルシェ)の核店舗のユニー高蔵寺店として開店し、1992年(平成4年)4月23日に地下1階地上3階建で直営店舗面積5,390m²の南館を増設して直営店舗面積4,987m²の本館とあわせて約2倍の合計10,377m²へ増床して店名をサンテラス高蔵寺へ変更した[201]
建て替えて、2005年(平成17年)5月3日にアピタ高蔵寺店が開店した[202]
  • (2代目)ユニー瀬戸店(瀬戸市幸町33[1]、1972年(昭和47年)11月1日開店[200] - 2004年(平成16年)5月23日閉店[203]
店舗面積約5,174m²[57]
建て替えて、2005年(平成17年)5月27日にアピタ瀬戸店が開店した[204]
  • ユニー豊田元町店(豊田市土橋町2-66[1]、1974年(昭和49年)11月22日開店[200] - 2004年(平成16年)10月18日閉店[205]) SC名称 :サンテラス豊田元町
店舗面積約7,583m²[7]
豊田市における初の郊外型大型店として開業した[10]
オープン時はユーマートとして開店[10]。小型店業態のコンセプトを外したユーマートの旗艦店。
ユニーで初めて「ゾウ」のマスコットキャラクターが建物看板に掲げられた。
建物を大幅に改造し、2005年(平成17年)6月11日にアピタ豊田元町店として新装開店した[206]
  • ユニー高蔵寺店食品館(2004年(平成16年)3月6日開館 - 2005年(平成17年)4月3日閉館[27]
サンテラス高蔵寺をアピタに建て替えるにあたって、食料品売場を別棟(サンマルシェ南館)側に移動して残し、食品館として営業していた。閉店後1ヶ月の準備期間を置き、同年5月3日アピタ高蔵寺店開店[202]
閉店時の店舗面積約2,227m²[27]
  • アピタ江南店(江南市、1985年(昭和60年)4月19日開店[23] - 2006年(平成18年)2月11日閉店)
オープン時の名称は、ビアアピタ江南店[23]郊外型アピタの新築1号店。グレーの内装、当時前例のないむき出し配管の天井を見せることで、新しいタイプの店舗(ニューGMS)であることを打ち出した。アピタの名称としては3号店である。1991年(平成3年)度にアピタ江南店と改称。
開業時には、スポーツクラブなど物販以外のサービス施設が併設されていた[23]。かつて室内プールを備え、ユニー直営として初のスイミングスクールと、通常のスポーツクラブ施設も兼ねた会員制の「ハートスタッフスポーツクラブ江南」が存在したが、のちに閉鎖し跡地を1994年(平成6年)10月7日に売場として増床している[207]
増床棟も含め売り場を縮小。1階のみの食料品専門に特化し、2006年(平成18年)2月25日にアピタ江南店食品館として再開店。食料品以外は既に開店していたアピタ江南西店(ヴィアモール江南)に集約する。同年3月に2階、3階の跡フロアには家具・インテリアのタキソウパルクス江南店がオープンしたがのちに撤退。現在2階は、2011年(平成23年)6月に全面開業した約4,000m²の室内遊園地のキッズユーエスランド(kid's US.LAND)となっていた[208]。3階は閉鎖中。増床棟にはヘルスバンクなどが入居。2009年(平成21年)2月にピアゴ江南店と改称。
  • ユニー黒川店(2代目)(北区黒川本通4-3[1]、1970年(昭和45年)5月[188]30日開店 - 2008年(平成20年)5月6日閉店[209]
1981年(昭和56年)3月に国道41号線の道路拡張に伴い休業し、同年6月までに道路内側へ寄せて狭め、建物自体を縮小する形での改造を行い、7月に再開店している。
4階建て。店舗面積約4,140m²[209]
建て替えて、2010年(平成22年)1月29日にピアゴ ラフーズ コア黒川店(売り場面積990m²)として再開店[140][210]。子会社ユーライフが建設した設備面で高齢者を意識した8階建ての賃貸マンション「カーサビアンカ黒川」の1階にテナントとして入居しており、2階は医療・介護モールとなる「VITA(ヴィータ)黒川」となっている[210]
  • ピアゴ桶狭間店(緑区、1986年(昭和61年)12月12日開店 - 2011年(平成23年)2月6日閉店)
旧ユーストア桶狭間店。建物は改装して2011年(平成23年)8月3日にユーホーム桶狭間店が開店[211]。(7月29日プレオープン。)
  • ピアゴ今池店(千種区千種通り1-16[26]、1971年(昭和46年)11月26日開店[26] - 2011年(平成23年)5月8日閉店[212]
店舗面積約6,738m²[7]
閉店時の店舗面積10,290m²。
建築基準法の耐震基準が強化前の建物で老朽化していたため建て替えに伴って閉店した[212]。近隣に所在するダイエー今池店の競合相手であったが、イオン千種ショッピングセンター(現・イオンタウン千種)が開業後は売り上げが軒並み減少した。地上6階地下1階構造、屋上に遊戯施設が設けられていた。
7階建て地下1階の建物を2階建て地下1階に減築した[213]。1階と2階に飲食店12店と他3店の入居し、地下1階に直営の食品スーパーとして「ピアゴ ラ フーズコア今池店」が出店する「デリスクエア」が2013年(平成25年)11月15日に開店した[213]。(13日と14日は近隣の住民を対象にプレオープン[213]
建替後の営業面積約3,848m²(直営1,203m²)[214]
  • ピアゴ西尾駅東店(西尾市高畠町4-1[1]、1975年(昭和50年)11月[5]7日開店 - 2011年(平成23年)8月16日閉店[215]) SC名称 :ファミリータウンミカ[215]
老朽化を理由に閉店[215]ヤマナカ西尾駅東店と共に協同組合西尾ショッピングセンターが運営していたファミリータウンミカ[216]の核店舗として出店していた。地上4階地下1階構造。ピアゴタイプでは唯一最後に残った直営食料品売場が無い店舗で、衣料・生活雑貨のみ販売していた。食料品は地階1階で共に閉店したヤマナカが受け持っていた。
店舗面積約6,948m² (直営5,742m²)[44]
ファミリータウンミカの跡地約21,000m²は協同組合西尾ショッピングセンターと共同で建て替えて[216]、アピタ西尾店を核店舗とする「VERSA WALK(ヴェルサウォーク)西尾」として2014年(平成26年)3月21日に開店した[217]
  • ユニー一宮店(一宮市両郷町1-6[1]、1975年(昭和50年)6月27日開店 - 2012年(平成24年)8月19日閉店[218]) SC名称 :サンテラス一宮
1980年(昭和55年)6月よりSC名称をサンテラスに改める。2階建て。アピタ一宮店(2代目)に改称(2009年(平成21年)2月21日~店名変更)。
建て替えて、テラスウォーク一宮の核店舗として、2013年(平成25年)12月6日再開店している[219][220]。なお、前々日の12月4日にプレオープンしている。新店舗の営業面積約27,500m²[221]
2000年(平成13年)2月期に店舗面積約12,764m²で対前年比約13.1%減の売上高約124.46億円でユニー全店で第3位の売上高を上げていた[15]
  • (初代)ピアゴ新城店(新城市的場[7]、1980年(昭和55年)9月[222]1日開店 - 2012年(平成24年)8月21日閉店[222]
老朽化および移転のため閉店。地上3階建て。 店舗面積約3,896m²[7]
同店の向かい側の豊橋丸栄新城店跡など面積約9,200m²を店舗建て替え用地として2006年(平成18年)に取得してピアゴ臨時駐車場としており[223]、それらの土地を含む敷地面積約14,000m²に営業面積約8,000m²に建て替えて増床し[224]、2012年(平成24年)11月2日に新装開店した[222](前月10月31日プレオープン)。
跡地にはユーホーム新城店が[225]、2015年(平成27年)4月25日に開店した[46][226]
  • ピアゴアラタマ店南区新効通1-33[26][1](現・駈上[7])、1970年(昭和45年)9月18日開店[26] - 2013年(平成25年)2月19日閉店) SC名称 : サンテラス新瑞
店舗面積7,701m²[1]
開設時のテナント数39店[26]
建築基準法の耐震基準が強化前の建物であり、老朽化していたため建物改造に伴って閉店した。
店舗部分は4階建てを2階建てに減築し、ピアゴ ラ フーズコアアラタマ店として、2014年(平成26年)3月8日に新装開業[227]
  • ピアゴ赤池店(日進市、1985年(昭和60年)9月20日開店 - 2013年(平成25年)5月12日閉店)
オープン時はしんせん赤池店として開店。旧ユーストア赤池店。食料品スーパー。3階建て建物の1階のみを使用し、現行店ではユニー最小の店舗面積、495m²の営業店。
ピアゴ赤池店への改称を経て閉店。閉店後、都市型小型スーパーへの大幅改装を行い、ピアゴ ラ フーズコア赤池店として、2013年(平成25年)6月19日リニューアルオープン。

岐阜県

  • ユニー各務原店(各務原市那加桜町1-72-1[1]、1974年(昭和49年)1月11日開店 - 2003年(平成15年)9月7日閉店[25]
建て替えて、2004年(平成16年)5月27日ジョイマートユニー各務原店としてオープン[228]。現在はピアゴ各務原店となる。
4階建て。閉店時の店舗面積約5,244m²[25]
  • ユニー恵那店(恵那市、1991年(平成3年)5月[75]30日開店 - 2004年(平成16年)5月5日閉店) SC名称 :フェアモール恵那
改装し、同年8月28日ジョイマートユニー恵那店としてリニューアル[229]。現在はピアゴ恵那店となる。

三重県

  • ユニー阿倉川店(四日市市阿倉川町15-27[1]、1973年(昭和48年)6月[7]23日開店 - 2002年(平成14年)5月6日閉店)
店舗面積約2,650m²[7]
オープン時はユーマートとして開店。建て替えて、同年9月11日ジョイマートユニー阿倉川店として開店[230]ジョイマート業態1号店[231]。現在はピアゴ阿倉川店となる。
  • ユーホーム松阪三雲店(松阪市、2000年(平成12年)11月22日開店 - 2014年(平成26年)6月20日閉店[232]
アピタ松阪三雲の中核店舗のひとつとして全面開業(2000年(平成12年)11月23日[233])の前日に開店する。
閉店時の店舗面積約7,600m²[232]
跡地を改装の上、同年11月21日に家具店やスポーツ専門店が新たに入居している。
後継店舗として、近隣にあるピアゴ嬉野店の北側に[234]別棟の増築を行い[235]、2014年(平成26年)11月28日、ユーホーム嬉野店として開店した[46]

静岡県

  • (2代目)ユニー掛川店(掛川市、1995年(平成7年)3月24日開店[67]) SC名称 :サンテラス掛川
約46,000m²の敷地に建てられた鉄骨造り地上2階建てで延べ床面積約15,063m²、直営売場面積8,909m²、テナントの売場面積1,593m²の店舗である[67]
1993年(平成5年)にアピタ掛川店として静岡県に対して申請が出されていた[236]が、サンテラス掛川店として開業した店舗だった[66]
一連の店舗ブランド名変更に伴い、店舗規模理由からアピタ掛川店に改称。(2009年(平成21年)2月21日~店名変更)
  • ユニー伊東店(伊東市、1996年(平成8年)5月24日開店[237]) SC名称 :DUO(デュオ)[237]
伊東商業協同組合と共同で47の地元専門店と共に開設したショッピングセンターDUO(デュオ)の核店舗として開店した[237]
アピタ伊東店に改称。(2009年(平成21年)2月21日~店名変更)
  • ユニー吉原店(富士市国久保2-1-10[1]、1974年(昭和49年)6月[8]7日開店 - 2010年(平成22年)8月17日閉店[34]
店舗面積約7,386m²[7]
閉店時の店舗面積約10,857m²(直営店舗面積約7,704m²)[34]
店舗跡は建て替えて、2011年(平成23年)10月8日に売場面積約11,295m²のアピタ富士吉原店が開業した[238]。2009年(平成21年)2月21日以降も店名変更されなかった唯一の店舗。

北陸地区

富山県

  • ユニー富山西町店(富山市上本町2-17[239]、1972年(昭和47年)7月[8]8日開店 - 1999年(平成11年)5月9日閉店[239][15]
5階建て地下1階。閉店時の店舗面積約7,640m²[15][7]
アピタ富山東店の開店に伴い完全撤退の予定だったが、地元住民の強い要望で建て替え[239]、2000年(平成12年)5月31日にアピタ食品館富山西町(とやまにしちょう)店として開店[240]アピタ食品館業態の1号店。現在はピアゴ富山西町店となる。

石川県

  • (2代目)ユニー金沢店(金沢市、1977年(昭和52年)11月[7]10日開店 - 1999年(平成11年)8月29日閉店[15]) SC名称 :サンテラス金沢
店舗面積約8,360m²[7]
3階建て。閉店時の店舗面積約8,293m²[15]
建て替えて、2000年(平成12年)9月15日にアピタ金沢店としてオープン[241]
  • ユーホーム松任店(白山市、1999年(平成11年)6月24日開店 - 2015年(平成27年)5月10日閉店)
ユーホーム1号店。1995年(平成7年)9月21日にフェアモール松任内にアピタ松任店と共に開店した[242]。立体駐車場付きの別棟を増築し敷地内移転を行っている。跡地にはケーズデンキフェアモール松任店が2015年7月9日に開店。閉店時の店舗面積約6,000m²。

福井県

  • ユニー丸岡店(1984年(昭和59年)11月[7][8]2日開店 - 2003年(平成15年)5月[243]25日閉店)
店舗面積約3,661m²[7]
3階建て。建て替えて、同年11月21日にジョイマートユニー丸岡店としてオープン。現在はピアゴ丸岡店となる。
  • ユーホーム福井大和田店(福井市、2000年(平成12年)10月27日開店[244] - 2011年(平成23年)2月20日閉店[245]
フェアモール福井内の中核店舗のひとつとして開業と共に開店したが、近隣の競合店との競争が激しく売上のびなやんだため閉店となった[245]。跡地はアピタ福井大和田店のテナント増床部分として、大手カジュアル衣料店の大型店を核にファッション・雑貨ゾーンに改装し[245]、2011年(平成23年)6月23日に新装開店[246]
閉店時の店舗面積約7,399m²[34]

甲信越地区

長野県

  • ユニー伊那店(1974年(昭和49年)6月[247][7][45]21日開店 - 1995年(平成8年)2月閉店) SC名称 :サンテラス伊那
店舗面積約5,305m²[7]
3階建て。建て替えて直営売場面積で約1.7倍、総営業面積で約1.6倍、駐車場は約1.2倍へ拡張し、1996年(平成8年)11月8日にアピタ伊那店として新装開店した[248]
  • ユニー飯田駅前店(飯田市東和町2-35[1]、1974年(昭和49年)4月[247][139]20日開店 - 2003年(平成15年)8月17日閉店[57]
店舗面積約8,635m²[37]
5階建て地下1階。改装し、同年12月12日ジョイマートユニー飯田駅前店として開店[249]。現在はピアゴ飯田駅前店となる。

新潟県

  • ユーホーム新潟西店(新潟市、2003年(平成15年)4月25日開店[250] - 2006年(平成18年)8月20日閉店)
跡地はアピタ新潟西店のテナント増床部分として改装され、現在は、スーパースポーツゼビオドコモショップ、ザ・ダイソーなどが入店している。
閉店時の店舗面積約9,254m²。
  • ユーホーム新潟亀田店(新潟市、2000年(平成12年)11月10日開店[251] - 2007年(平成19年)1月14日閉店[252]
跡地はアピタ新潟亀田店のテナント増床部分として改装され、現在は、アカチャンホンポニトリ、子供遊技場「すくすくスクエア」が入店している。
閉店時の店舗面積約7,363m²。

関東地区

神奈川県

  • ユニー戸塚店(2代目)(横浜市戸塚区上倉田[7]、1978年(昭和53年)6月[45]23日開店) SC名称 :戸塚ビル(サンテラス戸塚)[45]
アピタ戸塚店に改称。(2009年(平成21年)2月21日に店名変更)

群馬県

  • ユニー藤岡店(藤岡市藤岡416-4[1]、1975年(昭和50年)2月[7]27日開店 - 2003年(平成15年)8月17日閉店[25]
建て替えて、2004年(平成16年)4月23日ジョイマートユニー藤岡店としてオープン[253][254]。現在はピアゴ藤岡店となる。
2階建て。閉店時の店舗面積約5,484m²[25][7]

近畿地区

京都府

  • ユーストア精華台店(2005年(平成17年)11月3日開店[255] - 2009年(平成21年)6月15日閉店) SC名称 :ユータウンけいはんな[255]
アピタ精華台店に改称。(2009年(平成21年)6月19日に店名変更) 同時にSC名もアピタタウンけいはんなに変更された。

補足

1. 1977年(昭和52年)時点でのユーマート店は次の通り[1]

  • 豊川、向山、大樹寺、豊田元町、武豊、阿倉川

2. 2009年(平成21年)2月20日時点でのサンテラス店は次の通り。いずれもピアゴもしくはアピタに名称変更。

  • 掛川、富士宮、磐田、一宮、新瑞、安城、乙川、多治見、日吉、戸塚、守谷

3. 2009年(平成21年)2月20日時点でのアピタ食品館店は次の通り。いずれもピアゴに名称変更。

  • 豊明、江南、富山西町、金沢ベイ

4. 2009年(平成21年)2月20日時点でのジョイマートユニー店は次の通り。いずれもピアゴに名称変更。

  • 各務原、恵那、阿倉川、飯田駅前、丸岡、藤岡

建て替え および中・長期の閉店を伴う改装

店舗を建て替えたが、改称されなかったユニー店

いずれも現在はピアゴ店。

愛知県
  • ユニー武豊店(1973年(昭和48年)12月[8]7日開店 - 1995年(平成7年)2月閉店、同年10月20日再開店[256]
2階建て。愛知県知多郡武豊町字西田崎19-1にある約20,000m²の敷地に800台収容の駐車場を併設する店舗で、延べ床面積を約4,915m²から約15,552m²へ、売場面積を約3,675m²から約7,745m²へ(直営約3,569m²から約5,078m²へ)各々拡大する形で大幅に増床して1995年(平成7年)10月20日に新装開店した[256]
  • ユニー豊明店(1973年(昭和48年)9月[257]21日 - 開店1995年(平成7年)5月14日閉店[257]、同年12月1日再開店[258]
2階建て。愛知県豊明市三崎町井ノ花5-1にある約13,953m²の敷地に500台収容の駐車場を併設する店舗で[258]、地上2階建て延べ床面積約7,007m²から地上3階建て延べ床面積約16,230m²へ[257]、直営売場面積を約3,948m²から約6,134m²へ各々拡大する形で大幅に増床して1995年(平成7年)12月1日に新装開店した[258]
  • ユニー中村店(名古屋市中村区大門[7]、1968年(昭和43年)9月[7][139]25日開店 - 1995年(平成7年)2月閉店、1996年(平成8年)4月26日再開店[259]
店舗面積約3,680m²[7]
新たに鉄骨造・地上5階地下1階建てで敷地面積約4,974m²、延べ床面積約22,258m²、売場面積約7,106m²(直営約5,853m²)に500台収容の駐車場を併設する店舗へ増床して1996年(平成8年)4月26日に新装開店した[259]
4階建て。
石川県
  • ユニー七尾店(七尾市御祓町7-10[1]、1973年(昭和48年)12月[7]13日開店 - 1994年(平成6年)5月閉店、1995年(平成7年)4月29日再開店[260]
店舗面積約4,726m²[7]
5階建て。閉店後、七尾駅前市街地再開発事業の中核施設となるパトリアの事業に参画し、同施設の核店舗として、直営売場面積約6,870m²の店舗としてオープンした[260]

ユニー・ユーストア合併以降の建て替え店舗(予定含)

愛知県
  • ピアゴ蟹江店(海部郡蟹江町、1977年(昭和52年)10月21日開店 - 2011年(平成23年)2月13日閉店[34]、同年9月23日再開店[261])食料品特化
ユーストア1号店として開店した店舗で[261]、閉店時の店舗面積約1,737m²(直営店舗面積約1,655m²)[34]
売場面積を約1028坪へと約2倍に拡大すると共に[261]全館発光ダイオード(LED)照明や電力使用量の約10%を賄う太陽光発電装置から来店者向けに電気自動車(EV)用充電スタンドまで導入した省エネルギー対策のモデル店として2011年(平成23年)9月23日に新装開店した[262]
  • (2代目)アピタ一宮店(一宮市、1975年(昭和50年)6月27日開店[263] - 2012年(平成24年)8月19日閉店[218]) 旧SC名称 :サンテラス一宮
店舗面積約25,408m²[264]
「ユニー一宮店」として1975年(昭和50年)に国道22号の「名岐バイパス」沿いの約47,000m²の敷地に大規模な駐車場を備えたモータリゼーションに対応した郊外型大型店舗として開店して「サンテラス一宮店」を経て「アピタ」一宮店へ店名を変更してきたユニーの主力店舗の一つで[221]、開業後も増改築を繰り返して時代の変化に対応してきたが[221]、開業初期からの建物の老朽化が進んでいたことから建て替えのため閉店[221]
閉店後に建て替え前の店舗の建物を活用して一宮市消防本部が施設全体を訓練場所としてエンジンカッターによる防火シャッターの切断など営業中の店舗では出来ない実践的な消防訓練を2012年(平成24年)8月29日に行った[218]
温室効果が小さい二酸化炭素(CO2)を冷媒とする冷凍・冷蔵機器の導入や[265]店内を回るのに長時間歩かずにすむ[221]新たな店舗構造など[266]に加えて、他店で実験してきた成功事例を集約して導入し[267]、競争力を強化した次世代型「アピタ」業態の構築を目指して全面的な建て替えを進めた[266][267]
建て替えて、テラスウォーク一宮の核店舗として、2013年(平成25年)12月6日再開店している[219][220]。なお、前々日の12月4日にプレオープンしている。新店舗の営業面積約27,500m²[221]
  • ピアゴ尾西店(尾西市小信中島東精平59[1](現・一宮市)、1974年(昭和49年)12月[7]23日開店 - 2014年(平成26年)1月19日閉店[268]、同年12月5日再開店[269]
店舗面積約4,775m²[7]
建て替えて、医薬品や介護用品の売り場を充実させるなど住居関連品売場を3割拡大し再開店している[269]
  • ピアゴ碧南店(碧南市、1974年(昭和49年)10月[5]25日開店 - 2014年(平成26年)5月18日閉店[232]、2015年(平成27年)7月31日再開店[270]
閉店時の店舗面積約6,100m²(直営店舗面積約5,500m²)[232]。駐車台数約300台[5]
2015年(平成27年)7月31日に開店した建て替え後の新店舗は[270]、ユニー初の高床式を採用して1階に駐車場として2階に売り場としており[270][271]、衣食住の売り場から専門店街まで1フロアに集約することで買い回り性の向上を目指した[271]
  • ピアゴ岩倉店(岩倉市旭町[7]、1979年(昭和54年)11月9日開店[272] - 2014年(平成26年)8月31日閉店[273]
店舗面積約7,839m²、延べ床面積約12,579m²[45]。豊島紡績の所有するビルへの出店[45]
閉店時の店舗面積約9,300m²(直営店舗面積約5,700m²)[268]
建て替えて、地上3階建てで旧店舗の1.8倍の売場面積約17,000m²の新店舗を建設し[273]、2015年(平成27年)12月4日にアピタ岩倉店として再開店した[274][275]
岐阜県
  • ピアゴ可児店(可児市、1981年(昭和56年)11月[276]20日開店 - 2010年(平成22年)5月9日閉店[34]、2012年(平成24年)12月14日再開店[277][278]
3階建て。閉店時の店舗面積約10,896m²(直営店舗面積約7,940m²)[34]
2008年(平成20年)9月23日に同店から北東約1kmにオープンしたラスパ御嵩[279]と共存とならず閉店。
ショップランド可児の核店舗として営業。跡地は一旦更地となって、他社によるショッピングセンター建設が模索されたが、諸事情によりユニーが再出店を決めた。なお、正式開店前の12月12~13日にプレオープンしている[278]。新店舗の営業面積約4,549m²。
静岡県
  • ピアゴ浜松泉町店(浜松市泉町1-1[1]、1973年(昭和48年)9月[7]28日開店 - 2012年(平成24年)5月20日閉店[280]、2013年(平成25年)4月20日再開店[281]
店舗面積約4,490m²[7]
屋上駐車場付き2階建て。閉店時の店舗面積約5,587m²(直営店舗面積約4,952m²)[282]
閉店の同年7月より建て替え工事に着工[283]。なお、正式開店前の4月17日にプレオープンしている。新店舗の営業面積約7,631m²(直営6,156m²)[214]
  • ピアゴ磐田店(磐田市見付字天王下[7]、1980年(昭和55年)11月22日開店[284] - 2014年(平成26年)3月31日閉店[268]) 旧SC名称 :サンテラス磐田
店舗面積約4,724m²[7]
閉店時の店舗面積約8,200m²(直営店舗面積約5,600m²)[268]
サンテラス磐田として開店[284]ピアゴ磐田店に改称。(2009年(平成21年)2月21日に店名変更)
建て替えを行う際に敷地面積を約28,000m²に拡張して[285]店舗面積も約3倍の約22,500m²へ拡大し[286]、2015年(平成27年)11月21日に「アピタ磐田店」として再開店した[287][286]。「アピタ磐田店」の開店時には専門店50店が出店[286]
神奈川県
  • ピアゴイセザキ店(横浜市中区伊勢佐木町3-105[1]、1969年(昭和44年)4月25日継承開店[288] - 2013年(平成25年)8月18日閉店[268]2015年(平成27年)7月3日再開店[289]
店舗面積約4,019m²[7]
閉店時の営業面積約4,190m²(直営4,161m²)[214]
2014年(平成26年)8月から新店舗の建設に着手し[290]、2015年(平成27年)7月3日に新店舗での営業を開始した[289]。新店舗での開業時にはユニーで初めて食品売り場を2フロアで展開した[289]
  • アピタ金沢文庫店(横浜市金沢区、1972年(昭和47年)9月23日開店[291] - 2014年(平成26年)5月18日閉店[232]) SC名称 :バザァル金沢文庫
店舗面積約8,518m²[7]
閉店時の店舗面積約12,700m²(直営店舗面積約8,800m²)[268]
ユニー金沢文庫店として開店し[292]、2009年(平成21年)4月1日にアピタ金沢文庫店に改称。
店名変更後も専門店街はバザァル金沢文庫のショッピングセンター名を使用していた。
2014年(平成26年)にの解体工事に着手して[293]2015年(平成27年)9月に新築工事に着手し[145][294]、再開店を予定[145]
茨城県
  • アピタ佐原東店(1999年(平成11年)11月19日開店[295] - 2011年(平成23年)6月26日営業休止、2012年(平成24年)8月3日再開店[296])SC名称 :パルナ
ショッピングセンターパルナの核店舗。東日本大震災を起因とする土壌液状化により床が傾く[297]など大きく損壊したため[298]営業を休止。その後取り壊しが必要と判断され、2011年(平成23年)8月16日閉店届出。
建て替えて2012年(平成24年)8月3日に再開店した[299]。なお、1階売場のみ震災後の3月18日から営業を再開していた。
長野県
  • アピタ岡谷店(岡谷市銀座[7]、1985年(昭和60年)9月[300]27日開店 - 2014年(平成26年)8月31日閉店[301]
延床面積が約20,969m²で[300]、閉店時の店舗面積約13,900m²(直営店舗面積約8,700m²)[268]
建て替えて、2016年(平成28年)の再開店を予定しており[302]、サーキット型モール「レイクウォーク岡谷」の核店舗とする計画としている[303]

合併以降、衣料品取り扱いを廃し中規模改装による食料品特化型となった店舗

  • ピアゴ清洲店(清須市、1990年(平成3年)9月開店[304] - 2010年(平成22年)9月5日閉店、2010年(平成22年)10月8日再開店)
  • ピアゴ大治店(海部郡大治町、1978年(昭和53年)9月[45]22日開店 - 2010年(平成22年)8月1日閉店、2010年(平成22年)12月3日再開店)

合併以降、既述以外に増減築を含む大規模改造・改装を行った店舗(予定含)

愛知県
  • ピアゴ植田店(名古屋市天白区、1987年(昭和62年)[305]1月30日開店 - 2011年(平成23年)4月10日閉店、同年10月21日再開店[305]
2011年(平成23年)10月21日に専門店を中心に売場面積を5,640m²から7,623m²へ増床して新装開業した[305]
  • アピタ港店(名古屋市港区、1993年(平成5年)10月21日開店[306] - 2014年(平成26年)2月16日閉店[268]、同年11月7日再開店[307][308]) SC名称 :ポートモール
大規模改装を行い、サーキット型モールへの改修や専門店の入れ替えを行い、2014年(平成26年)11月7日にアピタ港店と専門店75店が入居するポートウォークみなととして新装開業した[308]
  • ピアゴ守山店(名古屋市守山区大字守山字東山78[1]、1971年(昭和46年)10月1日開店[26] - 2014年(平成26年)3月31日閉店[268]、2015年(平成27年)7月17日再開店[309]
店舗面積約4,882m²[7]
閉店時の店舗面積約6,300m²(直営店舗面積約3,700m²)[268]。2014年(平成26年)6月から旧店舗建物の減築改造を行っている[310]
耐震補強のための建物改修を行い、同時に食料品の強化や娯楽・書籍のテナント導入などの売り場見直しを行って2015年(平成27年)7月17日に新装開店した[309]
  • ピアゴ江南店(江南市村久野[7]、1985年(昭和60年)4月19日開店[23] - 2014年(平成26年)4月18日閉店、同年12月12日再開店)
2階にアミューズメント施設2店を出店させるなど、大規模改装を行い再開店している[311]
長野県
  • アピタ飯田店(飯田市鼎名古熊2461[312]、1995年(平成7年)11月10日開店[312] - 2015年(平成27年)8月16日閉店、同年10月15日再開店[313]
サーキット型モールへ改修や、駐車場を利用するなど売場面積約16,000m²(約1.3倍)への増床を行い、新装開業した[313]
福井県
  • アピタ敦賀店(敦賀市、1990年(平成2年)11月[314]5日開店 - 2012年(平成24年)4月1日閉店[314]、同年10月11日再開店[315]
地元商業者の協同組合つるがセントラルプラザと共同運営する地元主導型のショッピングセンター「ポー・トン」の核店舗として開店[314]。協同組合つるがセントラルプラザの組合員数が2002年(平成14年)の38から5に激減し、協同組合側のスペースに空き店舗が多くなったことから組合による専門店街の運営に終止符を打つことになり、一旦閉店してユニー主導で改装を行うことになった[314]
大規模改装を行い、直営食料品売場の設置や、多くの専門店の入れ替えを行い、39の専門店が併設される店舗となった[315]。。
静岡県
  • アピタ初生店(浜松市初生町[7]、1989年(平成元年)3月24日開店[33] - 2013年(平成25年)4月[316]14日閉店、同年10月4日再開店[316]
店舗面積約6,530m²[7]
大規模改装を行い[316]、多くの専門店の入れ替えを行っている。

合併時に存在した店舗と1977年(昭和52年)までに閉鎖した店舗

概要

ほていやと西川屋は合併時点で、ほていや76店と西川屋32店の合計108店舗に、FCユニー5店を合算し合併直後の報道では計113店舗としている[317]。なお、合併時点で合わせて112店舗としている出典も存在する[23]

現在もその同じ地にあるピアゴ・アピタ・さが美店は10店舗に過ぎない。特にほていやは呉服店であったことから間口も狭く、また同一地区で呉服店、衣料品店、食料品店と2 - 4店舗を同時に展開したため数も多く、さが美への移管およびスクラップ&ビルドの対象になった。さが美および〇印を除く大項目1項と2項にリンクしない店舗が1977年(昭和52年)までに閉鎖された店舗である。
ここでは合併後設立した地域販売会社を主体に編集。関係した店舗をはじめ、さが美に移管した分や、FCユニーも含めて、一度はユニー〇〇店と称されたものを出来うる限り網羅した。

開店日等の情報は各年度ごとに発刊された「日本スーパー名鑑」(商業界社発行)からの引用による記述もあり、店名呼称・開店日がそれに由来する記述もある。元資料の古い住所表記は現代で使われる住所に改めた。なお、開店日については異説があり、年鑑に記載された開店日よりも数年前から営業していた可能性がある店舗が数店見受けられる。

両社の正式合併が本決まりになった1970年(昭和45年)2月より、閉鎖予定店舗を除き同年8月20日までの間に全ての店舗看板名に「ユニー」名を付与し、工事中の例外を除き、以降より新規開店する店舗はユニー名で開店するよう申し合わせがなされた。
凡例
※は「ほていや」もしくは「西川屋」を称さずユニーで開店した店舗
〇は現在もピアゴ・アピタ・さが美として営業を続けている店舗
F : フル構成、食 : 食料品、衣 : 衣料品、呉 : 呉服、雑 : 生活雑貨品、他 : その他

さが美になった旧ほていや呉服店舗

合併直前はストアブランド「嵯峨美」を使っていた。一部株式会社さが美未移管店舗も記載。

中部ユニー店舗

旧ほていやの店舗を継承[23]

愛知県
  • ユニー万松寺さが美センター(名古屋市中区大須、1950年(昭和25年)3月17日開店) → さが美移管後、さが美万松寺西店
改組後、最初に開店したほていや1号店である。昭和30年代は総本店と呼ばれた。
古川呉服店創業者の弟がのれん分けの形で、横浜から名古屋大須に進出。ただし創業者の古川政治郎と秀一兄弟はもともと愛知県西春日井郡新川町阿原の出自であり[318]、地元帰りしたともいえる。株式会社化を名古屋で行い、3年後に横浜の創業店を包括している。なお、古川呉服店の呼びかけに対し、縁のあった名古屋市の猪飼呉服店・今枝呉服店が会社設立に参加合流している。
路面店「さが美万松寺店」として長期間営業し、のちに「さが美レンタルブティック」に業態変更したが、2008年(平成20年)に撤退している。
現在、跡地の建物はそのまま、免税家電・雑貨ショップ「アッキーワン」。万松寺通り商店街に立地した。
ほていや時代からの伝統を受け継ぐ、さが美を代表する店舗であった。現在も続くさが美男性店員の和服に(赤)たすきのスタイルは、この店舗の創業から続いている。
  • ユニー万松寺さが美(名古屋市中区大須、1950年(昭和25年)6月1日開店) → さが美移管後、さが美万松寺東店
1号店の3ヵ月後に開店し、本店を補完する店となった。1号店とはわずか東に約150m離れているだけである。
現在、跡地の建物はそのまま、茶卸販売「嘉木園」が所有するビルの増床部分、甘味スタンド「甘香房」および古着・婦人服店「Gymnopedie(ジムノペディア)」。
黎明期の店舗はこの東店の他に、昭和30年代前半頃まで、中店(1951年(昭和26年)12月開店 ・現、ヤングレディス洋品店「Party」の位置)、角店(1952年11月開店 ・現、メンズウェア「大須屋」の位置)があった。中区大須の万松寺通り商店街には計4店舗のほていや呉服店があり、商品を補完し合ったり売上げを競ったりした。また、1953年には西区の円頓寺(えんどうじ)商店街に円頓寺店(現、喫茶「松葉」左隣の空き地)を開いている。
  • ユニー栄町店(名古屋市中区栄、1957年(昭和32年)3月26日開店 - 1971年(昭和46年)8月1日閉店)
スカイルの北側、広小路通りに面していた。同店舗建設の為に閉店。
跡地は1973年(昭和48年)12月にスカイルが開業した[319]
後継店舗がマルエイスカイル地下メルサにある現在のさが美栄地下店である。
  • ユニー栄さが美センター(名古屋市中区栄、1965年(昭和40年)12月5日開店 - 1972年(昭和47年)3月30日閉店[320]
6階建ての店舗で1階呉服売り場から出火して全焼し、2名死亡・1名負傷の人的な被害が発生した。当店での火災発生の約販時間前に近隣にあったオリエンタル中村百貨店で放火騒ぎがあったことから、放火の疑いが濃いとされる[320]
上記の火災による閉店。建物を解体し、現在は「日土地栄町ビル」となっている。跡地は現ビルの東南角付近にあり、三ッ蔵通り、および大津通りに面していた。なお、ユニー栄さが美のちょうどはす向かいに立地した。
  • ユニー栄さが美(名古屋市中区栄、1965年(昭和40年)12月5日開店 - 1971年(昭和46年)8月4日閉店[注 2]
旧名ほていや栄町嵯峨美店。建物を解体し、現在はラシックとなっている。跡地は現建物の南西側、大津通りに面する大垣共立銀行が入居しているあたりに立地した。
  • ユニー栄地下さが美(名古屋市中区栄、1973年(昭和48年)12月1日開店)〇※ → さが美移管後、さが美栄地下店
メルサ栄本店の地下1階に出店。
岐阜県
  • ユニー柳ヶ瀬さが美(岐阜市柳ヶ瀬通、1952年(昭和27年)8月31日開店)→ さが美移管後、さが美柳ヶ瀬店
ほていやの岐阜進出1号店。旧名ほていや柳ヶ瀬店。さが美運営の宝石店「キラット」(1号店)に業態変更後閉店。現在、跡地は柳ヶ瀬駐輪場。柳ヶ瀬通商店街、洋傘店「富久屋」の右隣に立地した。
  • ユニー岐阜さが美(岐阜市神田町、1960年(昭和35年)5月3日開店 - 1972年(昭和47年)閉店)
現在、跡地の建物はそのまま改装され、美容室「プラージュ新岐阜店」。ユニー柳ヶ瀬さが美の補完店舗として、南南東に100m離れた長良橋通りに面した場所に立地した。さが美に移管されることなく閉店。
富山県
  • ユニー富山さが美(富山市上本町、1968年(昭和43年)7月1日開店 - 1973年(昭和48年)2月20日閉店)
旧名ほていや富山店。1973年(昭和48年)、ユニー富山西町店内に移転する。ユニー富山西町店から桜橋電車通りを挟み、北ななめ向かいに立地した。
跡地は建て替えのち、ホテルを経て、美容学校「富山ビューティアカデミー」だったが、現在は閉校し、同校の西側にあった旧大和百貨店跡の再開発に伴って一旦更地になっている。
福井県
  • ユニー福井さが美(福井市中央町、1967年(昭和42年)9月13日開店 - 1974年(昭和49年)閉店)
ほていやの北陸進出1号店。当初のほていや福井店だったが、近隣にほていや福井ショッピングセンター開店後、ほていや福井呉服寝装センターに改称される。閉店後、同ユニー福井店内に移転した。
福井駅前の「加藤ビル」の1階から3階を賃借していたもので、売場面積約1,500m²の店舗であった[321]
現在、店舗跡の建物はそのまま大幅に改装され、北陸銀行福井支店福井駅前出張所が入居。
関東ユニー店舗

旧ほていやの店舗を継承[23]

神奈川県
  • ユニー名品街さが美(横浜市西区南幸、1958年(昭和33年)9月19日開店、1969年(昭和44年)7月仮移転 - 1973年(昭和48年)11月閉店)
横浜駅西口に開業していた横浜駅名品街に出店。相鉄ジョイナスが建設されている間は、高島屋地下1階に店舗仮移転をしている。
  • ユニージョイナスさが美(横浜市西区南幸、1973年(昭和48年)11月20日開店)〇※ → さが美移管後、さが美ジョイナス店
地平にあったアーケード街状の横浜駅名品街を取り壊し、跡地に相鉄ジョイナスが建てられた為、同ビル内に店名を変えて引き続き出店。
  • ユニー二丁目さが美(横浜市中区伊勢佐木町、1953年(昭和28年)4月9日開店) → さが美移管後、さが美二丁目店
横浜市伊勢佐木町が、ほていやの前身、古川呉服店発祥の地である[318]
ほていや二丁目店の開店日が横浜最古となっているが、ほていや最古の店舗ではない。
発祥店舗は戦前、「古川モスリン」名で営業しており、現在のピアゴイセザキ店の斜め向かい、衣料品店「ウノコレチオーネ」の場所にあった。
さが美運営の毛皮専門店「カティアール」、宝石店「キラット」を経て、現在、跡地の建物はそのまま松屋フーズ伊勢佐木町店。
  • ユニー横浜さが美(横浜市中区伊勢佐木町、1953年(昭和28年)7月15日開店) → さが美移管後、さが美横浜店
ほていや二丁目店の3ヵ月後に開店し、名古屋大須の店舗同様、短期間に相互補完する店舗を近隣に設けている。1959年(昭和34年)に差別化を意図し、初めて「嵯峨美」ブランドを用いて高級呉服を扱った店舗、“横浜嵯峨美”として改装された。
現在、跡地は建て替えて、吉野家伊勢佐木町店。
  • ユニー一丁目さが美(横浜市中区伊勢佐木町、1955年(昭和30年)8月23日開店[注 3])〇 → さが美移管後、さが美一丁目店
現在も継続して同一地に存在する最古のさが美である。店舗ビルは自社所有となっている。店舗敷地の前身は、ほていや創業者が独立前に勤務していた「越後屋呉服店」(三越とは無関係)である。
  • ユニー衣笠さが美(横須賀市衣笠栄町、1967年(昭和42年)11月15日開店) → さが美移管後、さが美衣笠店
衣笠仲通り沿いにあったユニー衣笠店の右隣に立地した。なお店舗正面は衣笠本通り側にあった。現在は建て替えられ、村瀬眼科医院などが入居する雑居ビルとなっている。ユニー衣笠店閉店後も数年間営業を続けていた。
東京都
  • ユニー蒲田さが美(東京都大田区西蒲田、1971年(昭和46年)1月8日開店)※ → さが美移管後、さが美蒲田店
現在、跡地の建物は建て替えて、山田うどん蒲田店。蒲田駅西口、サンライズアーケード街に出店していた。
さが美移管後、同サンライズアーケード街を西に約50m移転するが、2007年(平成19年)に閉店している。現在、移転先の跡地の建物はそのまま、電器店「サンコーフレックス」。
静岡県
  • ユニー沼津さが美(沼津市大手町、1961年(昭和36年)4月29日開店、1974年(昭和49年)3月移転 - 1976年(昭和51年)10月閉店)
元ほていや沼津店。旧名ほていや沼津呉服寝装センター。
跡地の建物はそのまま、第二平和観光ビル。現在のパチンコ店「マルホシ」1 - 3階部分に出店していた。
さが美移管後は呉服に特化したため、店舗規模を縮小せざるを得ず、自社所有の建物であったが退店し、南に40mほど離れた仲見世通り商店街に路面店「さが美沼津店」として移転した。その後、沼津駅南コミュニケーションスポット「イーラde」に再度移転したが、2014年(平成26年)3月6日に再び仲見世通り商店街に路面店として戻っている。
合併直前に閉店したほていやの呉服店舗
  • 今池嵯峨美店(名古屋市千種区今池、1963年(昭和38年)11月23日開店 - 1969年(昭和44年)12月閉店)
平屋建て。用地提供のため隣接のほていや今池店とともに取り壊され、ユニー今池ショッピングセンターが建設された。
さが美設立後に、さが美今池店として同店に入居したが、2009年(平成21年)に退店している。今池嵯峨美店の跡地は、ピアゴ今池店内のテナント「海転寿司丸忠」付近に位置した。
  • 中日タウン嵯峨美店(名古屋市中区栄、1967年(昭和42年)8月22日開店 - 1970年(昭和45年)頃閉店)
現存する中日ビル3階に出店していた。
  • 大森店(東京都大田区山王 - 1960年(昭和35年)2月25日開店)
跡地は建て替えて、現在は「大森駅ビルRaRa」。

旧ほていや系(中部ユニー)店舗

旧ほていやの店舗を継承[23]。 ※印なき店舗はオープン時「ほていや」を称した。ユニマートは合併後に付与された食料品主体の小型店の名称である。

愛知県
  • ユニー大松ユニマート(東区黒門町、1967年(昭和42年)6月28日開店 - 1973年(昭和48年)閉店)食雑
旧名「ほていや大松通り店」(ほていや新聞広告)、または「ほていや大松店」(スーパーマーケット年鑑)。
現在は跡地の建物は解体され、マンション「シェーネスハイム黒門」 - 電機機器販売業「貝出電機商会(倉庫)」にかけて立地した。
  • ユニー大曽根ショッピングセンター(東区東大曽根町、1969年(昭和44年)10月[11]25日開店)F → ユニー大曽根店、のちの#ピアゴ大曽根店
開店直後のSC名は「カーニバルシティ」であったが、すぐに使用されなくなった。一部5階建て、ほていや初の本格的大型GMS[11]
1971年(昭和46年)に店舗の北側、駐車場の場所に数十メートルの線路を敷設し、当時現役最古参のドイツ製輸入蒸気機関車クラウス17号と客車を試乗会と称し、客寄せのため走らせている。
当時の百貨店法の解釈により、ほていや大曽根ショッピングセンターは規制をクリアするため、当初はほていやの系列会社が販売部門を担当するように装っており、「中部ほていや(のちにさが美)」が呉服を、「中部サガミ(のちにラブモール・エミールバレー)」が衣料品を、「中部ミズホ(のちにユニマート)」が食料品・日用雑貨を、「ニューほていや(のちにユーライフ・オーデライフ・カルルハウス・ハウジングセンター)」が家電・寝具等の生活雑貨を取り扱っていた。
  • ユニー大曽根西店(区東大曽根通、1962年(昭和37年)12月12日開店)衣呉 → さが美移管後、さが美大曽根本通り店
旧名ほていや大曽根店。1973年(昭和48年)頃、ユニー大曽根さが美に改称。
建物を解体し、現在、跡地は東大曽根商店街と国道19号線を結ぶ細い市道となっている。衣料輸入商社「プリーズワン」配送センター隣に立地した。同じ東大曽根商店街で、同店から東60mには西川屋系のユニー大曽根東店があった。
西川屋系ユニー黒川店としばらく並行営業。後に同店閉店後、同店名を継承。
  • ユニー浄心店(西区城西、1955年(昭和30年)7月27日開店 - 1973年(昭和48年)閉店)衣呉
建物を解体し、現在、跡地は雑居ビル「永楽ビル」。セブンイレブン等が入居。
当時は未開通であるが、地下鉄鶴舞線浄心駅地上に立地した[注 4]
  • ユニー庄内ショッピングセンター(名古屋市西区庄内通、1967年(昭和42年)5月31日開店 - 1977年(昭和52年)2月20日閉店)F → ユニー庄内店
建物を解体し、現在はマンション「庄内コーポラス」A棟。
当時は未開通であるが、地下鉄鶴舞線庄内通駅南約100mに立地した。
  • ユニー新名センター(中村区井深町、1963年(昭和38年)12月1日開店 - 1976年(昭和51年)1月閉店)衣呉雑
1972年(昭和47年)頃、ユニー新名ユニマートを統合し、1店舗として店舗数に計上する。
  • ユニー新名ユニマート(中村区井深町、1963年(昭和38年)12月1日開店 - 1976年(昭和51年)1月閉店)食
名古屋駅から名鉄栄生駅あたりまで続く新幹線高架下のスペースを利用した2階層構造のショッピングセンターとして1963年(昭和38年)12月に開業した「新名古屋センター」の中に「ほていや」が出店した[322]。新幹線の開業前年に開業している[322]
旧名ほていや新名フード店。当初この店舗は、他社スーパーと折半で設立した別会社「ほていやフード(株)」によって開店・運営された。
現在、跡地はそのまま、貸し事務所に改装され軒を連ねている。同駅付近の新幹線高架下には後にユニー藤宮店、ユニー栄生ユニマートが出店しており、都合4店舗が新幹線高架下に存在した。なお、店長は4店舗兼務となっていた。
  • ユニー栄生ユニマート(中村区栄生町、1966年(昭和41年)11月19日開店 - 1974年(昭和49年)頃閉店)食雑
旧名ほていや栄生店。店舗は新幹線の高架下にあり、名鉄栄生駅に隣接していた。
ユニー藤宮店側に移転し、のちに同店をユニー栄生店に改称。現在、跡地はフィール栄生店。
  • ユニー中村ショッピングセンター(中村区大門通、1968年(昭和43年)9月[139]25日開店)F 〇 → ユニー中村店、のちのピアゴ中村店
  • ユニー藤宮店(名古屋市中村区千原町、吉田屋1968年(昭和43年)7月1日開店、1970年(昭和45年)12月11日継承開店)衣 ※ → #ユニー栄生店
元FCユニーエコー栄生店。衣料品のみ販売していたが、1974年(昭和49年)頃、市道名古屋環状線をはさんで、はす向かいにあったユニー栄生ユニマートを撤退させ吸収し、食料品を引き継ぎ加え営業を始めた。1976年(昭和51年)ユニー栄生店に改称[注 5]
  • ユニー清正公店(中村区則武、1968年(昭和43年)11月27日開店 - 1971年(昭和46年)閉店)食 
店舗跡は新名古屋高架株式会社によって貸事務所群に改装され、名古屋駅北方の新幹線高架下の同社が運営する清正公(せいしょうこう)街区にあった。現在は弁当販売会社、(株)だるま.の事務所その他となっている。
  • ユニー堀田ユニマート(瑞穂区下坂町、吉田屋1960年(昭和35年)3月15日開店、1971年(昭和46年)継承開店 - 1973年(昭和48年)2月20日閉店)食衣 ※
元FCユニーエコー堀田店。
建物を解体し、現在はマンション「丸美タウン堀田」。名鉄堀田駅北150mに立地した。
  • ユニー桜山ショッピングセンター(瑞穂区桜見町1-5[1]、1968年(昭和43年)4月[7]29日開店)F 〇 → #ユニー桜山店、のちのピアゴ ラ フーズコア桜山店(旧ユーストア)
同一の建物内に、ほていや桜山店(衣)、ほていや桜山フード店(食)を2店舗として計上し開店しているが、まもなくほていや桜山ショッピングセンターとしてまとめられた。
  • ユニー笠寺ショッピングセンター(南区桜本町、吉田屋1951年(昭和26年)3月1日創業、1960年(昭和35年)11月25日建替、1970年(昭和45年)4月17日業態変更、1971年(昭和46年)1月継承開店)衣 ※ → #ユニー笠寺店
元FCユニーエコー笠寺店。屋上付き5階建て。のちにエコー百貨店と称した衣料品店、吉田屋の旧本店である。
  • ユニー豊橋衣料センター(豊橋市駅前大通、1966年(昭和41年)[323]7月1日開店 - 1976年(昭和51年)8月[5]22日閉店)衣
元ほていや豊橋店[323]。3階建て。1969年(昭和44年)7月、北西に100m離れたほていや豊橋ショッピングセンター新築開店に伴い、ほていや豊橋衣料センターに改称。のちに同ユニー豊橋店に移転し、吸収統合された。
現在、跡地は駐車場「ジーエルパーキング」。居酒屋「いろり」の右隣に立地した。
  • ユニー豊橋ショッピングセンター(豊橋市広小路1-2[1]、1969年(昭和44年)7月[5]25日開店)F → ユニー豊橋店、のちの#アピタ豊橋店
店舗面積約3,732m²[5]。駐車台数約50台[5]
  • ユニー岡崎店(岡崎市明大寺本町、吉田屋、1967年(昭和42年)3月1日増築、1971年(昭和46年)継承開店 - 1973年(昭和48年)閉店)衣 ※
地場資本による岡崎市で初めての大型小売店「エコー百貨店」として、1963年(昭和38年)12月1日に開店した[324]高島屋での研修を行った店員による運営であった[324]
「エコー百貨店」は「ほていや岡崎店」との競争に敗れて1964年(昭和39年)3月には商品入荷時に乱発した手形の決済などで資金繰りが行き詰まり[325]、1964年(昭和39年)7月に営業譲渡された[324]
元FCユニーエコー岡崎店。建物を解体し、現在、跡地は大和証券岡崎支店。
ほていや岡崎店の約2.5倍の売場面積を誇り、食料品も含めたフル構成だったが、継承後は大幅に縮小し、のちに東に250mほど離れたユニー東岡崎店に移転し、吸収統合された。
  • ユニー東岡崎ハウジングセンター(岡崎市明大寺本町、1964年(昭和39年)2月[325]29日開店 - 1975年(昭和50年)2月閉店)雑
元ほていや岡崎店。地下1階・地上5階建ての延べ床面積約3,300m²の富士ビルを借りて出店した[325]
東に200mほど離れたユニー東岡崎ショッピングセンター開店に伴い、1階の食料品、2階の呉服を新店に移し、住居関連品専門に改装し再開店。のちに同店に完全移転し、吸収統合された。
現在、跡地の建物の富士ビル(現:第二新星ビル)はそのまま、居酒屋「笑笑東岡崎駅前店」などが入居。 
  • ユニー東岡崎ショッピングセンター(岡崎市明大寺町字川端34-1[26]、1970年(昭和45年)8月30日開店[26])F ※ → #ユニー東岡崎店
  • ユニー瀬戸店(初代)(瀬戸市深川町、1964年(昭和39年)3月1日開店 - 1972年(昭和47年)閉店)衣雑
近隣に、1972年(昭和47年)11月23日新築開店したユニー瀬戸店(2代目)に移転のため閉店。現在、跡地はマンション「レインボー深川」。名鉄尾張瀬戸駅東北東約400mに立地した。
  • ユニー瀬戸ユニマート(瀬戸市深川町、1966年(昭和41年)5月11日開店 - 1972年(昭和47年)閉店)食
旧名ほていや瀬戸フード店。近隣に新築移転のため閉店。
現在、跡地は理容「カットサロンオバタ」に隣接する月極駐車場。ユニー瀬戸店(初代)の跡地であるマンション「レインボー深川」の北ななめ向かいに立地した。
  • ユニー江南ショッピングセンター(江南市古知野町桃源[1]、1969年(昭和44年)4月[188]27日開店、1973年(昭和48年)6月22日新館増築)F → #ユニー江南店
  • ユニー豊田衣料センター(豊田市喜多町、1966年(昭和42年)開店[326] - 1972年(昭和47年)閉店)Fのち衣
同一の建物内に、ほていや豊田センター店(呉)、豊田ニューホテイヤ(衣)、ほていや豊田フード店(食)を3店舗として計上し開店しているが、1968年(昭和43年)、同店から北に100m離れて新築開店したほていや豊田ショッピングセンターに食料品を移動。ほていや豊田衣料センターと改称。
同店から東に150mほど離れたユニー豊田店新築開店に伴い移転のため閉店。現在、跡地は建て替えて三菱東京UFJ銀行(旧・東海銀行)豊田支店[10]
  • ユニー豊田ショッピングセンター(豊田市喜多町、1968年(昭和43年)11月[5]11日開店 - 1977年(昭和52年)2月20日閉店)Fのちに食雑
近隣に、1972年(昭和47年)6月29日新築開店したユニー豊田店[10]に衣料品を移動。ユニー豊田リビングセンターに改称された。のちにユニー豊田店に移転・統合されたが、当初食料品は引き継がれず、ユニー豊田店ではしばらく食料品を扱わなかった。
跡地は財団法人豊田市都市整備公社が運営する喜多町駐車場(立体型)。
店舗面積約1,813m²[5]。駐車台数約31台[5]
  • ユニー常滑店(初代)(常滑市市場町、1963年(昭和38年)11月12日開店 - 1975年(昭和50年)7月30日閉店)F
火災のため閉店。木造瓦葺の2階建ての建物は1884年(明治17年)に芝居小屋「神明座」として建てられたもので、映画館「常滑日活」を経て、増築の上で開店している。
3年半のブランクを経て、北東に1kmほど離れた国道247号線沿いにユニー常滑店(2代目、現・ピアゴ常滑店)を新築、復活させた。
現在、跡地は駐車場。菓子店「鯉泉堂」向かいに立地した。
  • ユニー西春プラザ(北名古屋市西之保、吉田屋1969年(昭和44年)11月開店、1970年(昭和45年)11月28日継承開店)衣 ※ → #ユニー西春店
元FCユニーエコー西春店。
岐阜県
  • ユニー岐阜駅前店(岐阜市神田町、1962年(昭和37年)3月22日開店)衣 → さが美移管後、さが美新岐阜駅前店
旧名ほていや駅前店。ほていや初の衣料品セルフ店。のちにユニー新岐阜さが美に業態転換。
現在は建物を解体し、跡地はTOYOビル。長良橋通り沿い、名鉄岐阜駅(旧新岐阜駅)から約200m北に立地した。
  • ユニー長良北町店(岐阜市平和通1-3[1]、1963年(昭和38年)8月13日開店)衣のちにF(#ユニー長良北町店
同店は、中部地方のスーパーマーケットで初めて“薬品コーナー”を設けた店舗である。
  • ユニー柳ヶ瀬センター(岐阜市柳ヶ瀬通、1964年(昭和39年)6月6日開店、1971年(昭和46年)4月[26]28日建替 - 1976年(昭和51年)8月22日閉店)衣
旧名ほていや柳ヶ瀬西店。のちに建て替えて売り場面積を10倍とし、新築された柳ヶ瀬ビルのキーテナントとして1971年(昭和46年)再開店。この頃、柳ヶ瀬周辺には計4店舗のほていや系店舗(柳ヶ瀬センター・柳ヶ瀬さが美・岐阜センター・岐阜さが美)が集中。ほていや時代では劇場通店を含めて5店舗が集中している。
閉店後、後継に近鉄アミコ、続いてシネアールイマージュが入居。建物は再開発のため2009年(平成21年)6月に取り壊され、現在は、10階建ての住居商業複合ビル「オアシス柳ヶ瀬」。2012年(平成24年)3月30日竣工。柳ヶ瀬通商店街、洋傘店「富久屋」の左隣、すなわちユニー柳ヶ瀬さが美の1軒おいて左隣に立地した。
  • ユニー岐阜センター(岐阜市神田町、1964年(昭和39年)9月5日統合開店 - 1976年(昭和51年)8月22日閉店)Fのちに衣
元ほていや日の出町店(岐阜市日ノ出町、1962年(昭和37年)7月7日開店)食、および元ほていや神田町店(岐阜市神田町、1957年(昭和32年)3月2日開店)衣。近隣別棟同士の両店舗を統合し、ほていや岐阜センターに改称。
現在、ほていや日の出町店分の跡地の建物はそのままライブハウス「クラブG」の右側部分。のちに南下して拡張しており、その拡張部分は別ビルで増床している。別ビルは時計・雑貨専門店ウオッチマンを経て、現在は空きビル。
約20m東に離れた別棟は元ほていや神田町店。同店は、ほていやで初めて洋装品と洋品雑貨を取り扱った初の衣料店となった。なお、別ビルで増床する前に同店を閉鎖している。ほていや神田町店分の跡地は現在、手芸用品店「柳屋」。長良橋通りに面した場所に立地した。
複雑な位置変遷を経て、最終的には神田町の増床拡張した別ビルのみが残り、この位置が最終的にユニー岐阜センターの住所になっている。
  • ユニー関店(初代)(関市本町、1963年(昭和38年)10月27日開店 - 1976年(昭和51年)3月閉店)F
建物はほていやも出資した、(株)関百貨店から賃借していた。近隣の関市片倉町1-3に[1]、1976年(昭和51年)3月9日新築開店したユニー関店(2代目、現・ピアゴ関店)に移転のため閉店。
現在、跡地は「いろは精肉商会」駐車場。長良川鉄道越美南線関駅南東500mに立地した。
石川県
  • ユニー金沢ショッピングセンター(金沢市竪町48[1]、1968年(昭和43年)6月8日開店)F → ユニー金沢店、のちの#ユニー竪町店
同一の建物内に、ほていや金沢嵯峨美店(衣)、ほていや金沢店(呉)、金沢ニューホテイヤ(雑)、ほていや金沢フード店(食)を4店舗として計上し開店しているが、まもなくほていや金沢ショッピングセンターとしてまとめられた。
  • ユニー横安江店(金沢市安江町、1969年(昭和44年)12月5日開店 - 1976年(昭和50年)10月閉店)衣
老朽化でアーケードは撤去されたが、かつてアーケード街であった横安江町商店街に立地。現在、跡地は横安江町広場。公園になっている。仏壇仏具「沢田」の左隣に立地した。
福井県
  • ユニー福井ショッピングセンター(福井市中央1-204-1[1]、1968年(昭和43年)9月[7]28日開店)F → ユニー福井店、のちの#生活創庫福井店
旧名ほていや福井ショッピングセンター[注 6]
  • ユニー長野プラザ(長野市大字大字鶴賀字鍋屋田1437[1]、1970年(昭和45年)4月26日開店)衣雑 ※ → #ユニー長野店
合併直前に閉店した中部ほていやの店舗
  • 今池店(名古屋市千種区今池、1962年(昭和37年)12月12日開店 - 1969年(昭和44年)12月閉店)F
地下1階地上3階建て。開店とともに中京地区のほていやでは初めて、食料品の販売を本格的に始めた店舗。
用地提供のため隣接の今池嵯峨美店とともに取り壊され、ユニー今池ショッピングセンターが建設された。

旧ほていや系(関東ユニー)店舗

旧ほていやの店舗を継承[23]。 すべてオープン時「ほていや」を称した。

神奈川県
  • ユニー大口ショッピングセンター(初代)(横浜市神奈川区大口通、1963年(昭和38年)1月21日開店 - 1971年(昭和46年)閉店)F
現在のピアゴ大口店と異なり、駅を挟んで反対側の西口側に出店していた。1971年(昭和46年)6月19日、入江町に新築開店したユニー大口店(2代目、旧ユニー関東事務所)に移転のため閉店。
現在、跡地の建物は解体され、湘南信用金庫大口支店。
  • ユニー四丁目店(横浜市中区伊勢佐木町、1963年(昭和38年)4月26日開店 - 1977年(昭和52年)2月20日閉店)食雑のちに衣雑
旧名ほていや横浜センター。商業施設は4階までの6階建て。5階以上はユニーの関東本部の事務所になっていた。
現在、跡地は建て替えて、ビジネスホテル「リブマックス横浜関内」。1階には「平禄寿司」横浜中伊勢佐木町店。
  • ユニーイセザキセンター(横浜市中区伊勢佐木町3-105[1]、松喜屋1918年(大正7年)創業[327]、1968年(昭和43年)3月11日松喜屋を合併[288]、1969年(昭和44年)4月25日継承開店[288]、1978年(昭和53年)3月23日増築)衣のちにF 〇 → ユニーイセザキ店、のちのピアゴイセザキ店#ピアゴイセザキ店
呉服店として創業して第2次世界大戦後に百貨店となった「松喜屋」(別名:赤トーダイ)[328]の営業権をほていやが1969年(昭和44年)に譲受し継承した店舗[288]
食料品は近隣のほていや横浜センターが扱っていたため、松喜屋の食料品スーパー部分は継承されなかった。1978年(昭和53年)の増床を機に食料品を加え、取り扱いを復活。かつては屋上に遊戯施設が設けられていた。
法人としての「松喜屋」は存続したが、1976年(昭和51年)8月にユニーが吸収合併をしている[329]
  • ユニー弘明寺店(横浜市南区中島町4-8[1]、1962年(昭和37年)5月[8]20日開店、1972年(昭和47年)1月21日建替)F 〇 → ピアゴ弘明寺店
開店と同時に関東地区のほていやでは初めて、食料品の販売(生鮮食品は全社初)を始めた店舗。2階建て。1階で食料品、2階で衣料品・呉服を扱い、ほていやGMSの基本スタイルとなる。映画館跡に開店。現在、さが美店とピアゴイセザキ店の松喜屋通算年を除くと、ユニー最古である。
1971年(昭和46年)4月に火災で閉店。新たに建て替えを行い再開店している。4階売場は後に事務所に改装された。
  • ユニー杉田東口ユニマート(横浜市磯子区杉田1丁目、1962年(昭和37年)7月5日開店 - 1976年(昭和51年)4月20日閉店)食雑
元ほていや杉田店。旧名ほていや杉田東口店。京急線杉田駅東側の映画館跡に出店していた。ほていやGMSスタイルの2号店として開店。後に開店したほていや杉田西口店としばらく並行営業ののち、西口店に統合。閉店後、1階にマイマートという店名の別のスーパー[注 7]が出店し、2階がダンスホールとなるも、平成初期に火災で閉店。その後杉田駅東口再開発事業により建物は解体され、再開発ビル「プララ杉田」が建設された。現在のプララ杉田前タクシー乗り場付近、時計店「パピセル名宝堂」辺りに出店していた。
  • ユニー杉田西口店(横浜市磯子区杉田町字宮田1437[1]、1969年(昭和44年)9月4日開店)食衣のちにF → #ユニー杉田店
  • ユニー綱島ショッピングセンター(横浜市港北区綱島西3-3-3[1]、1969年(昭和44年)11月[136]29日開店)F → #ユニー綱島店
ほていやが神奈川県で開設した最後のGMS店舗である。
旧名ほていや戸塚センター。
  • ユニー中山ショッピングセンター(横浜市緑区台村町往還下231-1[1]、1967年(昭和42年)11月[8]18日開店、1973年(昭和48年)頃北側増築)F 〇 → ユニー中山店、のちのピアゴ中山店
ほていやがGMSとして建設した建物では最後に残った店舗であった。
  • ユニー元住吉店(川崎市中原区井田中ノ町307[1]、1968年(昭和43年)11月1日開店)F(#ユニー元住吉店
  • ユニー大滝町店(横須賀市大滝町[135]、1963年(昭和38年)8月20日開店[135] - 1976年(昭和51年)8月閉店)Fのちに衣雑
売場面積約650m²の関東ほていや横須賀店として開店[135]。地下1階・地上3階建てに増改築して食料品売り場を開設すると共に、ほていや大滝町店に改称した[135]
跡地は建て替えて三菱東京UFJ銀行横須賀支店およびマンション「ラコスタ壱番館」。
  • ユニー衣笠ユニマート(横須賀市衣笠栄町、1964年(昭和39年)3月17日開店 - 1974年(昭和49年)10月閉店)食雑
元ほていや衣笠店。旧名ほていや衣笠食品文化品センター。ほていや衣笠衣料センターの開店に伴い、衣料品を新店に移動し、食料品・日用雑貨を扱った。ユニー衣笠店から衣笠本通りを挟んで、約40m北側に立地した。
跡地は、相州観光が所有する空きビル(東横ビル)となっていたが、2010年(平成22年)初夏に取り壊し、現在は駐車場「タイムズ衣笠駅前」となる。
  • ユニー衣笠衣料センター(横須賀市衣笠栄町1-13[1]、1968年(昭和43年)4月3日開店[135])衣 → #ユニー衣笠店
関東ほていや衣笠洋品センターとして開店[135]
  • ユニー長後ショッピングセンター(藤沢市長後字宿下分705[1]、1969年(昭和44年)10月[7]25日開店)F → ユニー長後店、のちの#ピアゴ長後店
静岡県
  • ユニー七間町店(静岡市葵区七間町、1964年(昭和39年)11月1日統合開店 - 1973年(昭和48年)閉店)F
元静岡嵯峨美(1961年(昭和36年)開店)呉、および元ほていや静岡店(1962年(昭和37年)12月12日開店)衣。隣接同士の両店舗を統合し、食料品売場を加えて旧名ほていや静岡センターに改称。現在の七間町(しちけんちょう)通り、映画館「静岡オリオン座」の左に立地した。
現在、跡地は「アイペック静岡七間町第一駐車場」および「人宿町駐車場」となる。
  • ユニー田町店(静岡市葵区田町、1963年(昭和38年)2月17日開店 - 1976年(昭和50年)11月閉店)F
閉店後、後継に食品スーパー「ウオチョー田町店」が翌年4月14日に開店。同店はのちに建て替えのため、西に小移転している。
小移転後の跡地は、同店の駐車場となる。同店撤退後、現在はセレモニーホール「しずてつソーサレア」駐車場。
  • ユニー呉服町センター(静岡市葵区呉服町2—1-5[1]、1967年(昭和42年)11月[61]27日開店)衣 → ユニー呉服町店、のちの#バルザ静岡店
同一の建物内に、ほていや呉服町センター店(呉)、呉服町ニューホテイヤ(衣)、ほていや呉服町フード店(食)を3店舗として計上し開店しているが、のちに食料品の扱いを止め、ほていや呉服町センターとしてまとめられた。
  • ユニー浜松店(浜松市中区肴町、1961年(昭和36年)[11]12月8日開店、1966年(昭和41年)10月22日建替 - 1976年(昭和51年)4月閉店)F
元ほていや浜松スーパー。ほていやにおいて初めて食料品(生鮮食品を除く)を取り扱い、多角化への一歩を踏み出すことになった店舗。当時、呉服チェーン店が食料品店を出すことは国内でも稀であった。建て替えて、旧名ほていや浜松センターに改称。
現在、跡地の建物は建て替えて、3階建て商業ビル「ハブビル」。主力テナントは3階にあるカラオケ「コートダジュール」。
映画館「浜松日活」の跡地に建てられた建物は、ほていやも出資した(株)浜松東映日活から賃借していた。ユニー浜松衣料センターの約50m北に立地し、至近距離にあった。
  • ユニー浜松衣料センター(浜松市中区鍛冶町、1960年(昭和35年)2月13日開店 - 1977年(昭和51年)8月閉店)衣
ほていやの静岡進出1号店。元ほていや浜松センター。建て替えて、旧名「浜松嵯峨美」に改称。跡地の建物はそのまま大きく改造され、現在は商業ビル「Q:FACE」。主力テナントはカラオケ店「ジョイサウンド」。
  • ユニー千歳ユニマート(浜松市中区千歳町、1963年(昭和38年)4月21日開店 - 1973年(昭和48年)閉店)食雑
旧名ほていや千歳店。跡地の建物は解体され、現在はスロット店「ジャンボ」モール街店の左側部分。浜松駅西250m、現在のモール街に立地した。
  • ユニー沼津洋品センター(沼津市大手町、1964年(昭和39年)5月2日開店、1968年(昭和43年)10月25日増床 - 1976年(昭和51年)10月閉店)衣のちにF → ユニー沼津店
元ほていや沼津センター。のちにほていや沼津洋品センターに改称。
のちにユニー沼津ショッピングセンターと改称。後日、隣接の店舗と合わせ、ユニー沼津店として統合。
現在、跡地の建物はそのまま、マルトモビル。1階は靴下・肌着店「トラヤ沼津仲見世店」2階に居酒屋「わたみん家沼津南口店」が入居。沼津駅南側に立地した。
  • ユニー沼津食品文化品センター(沼津市大手町、1968年(昭和43年)10月15日開店 - 1976年(昭和51年)10月閉店)食雑 → ユニー沼津店
のちにユニー沼津ショッピングセンターと改称。隣接の旧ユニー沼津洋品センターと併せ、同名の2店舗として店舗数に計上していたが、後日、ユニー沼津店として統合された。隣接の店舗とは2階部分で連絡していた。
現在、跡地の建物はそのまま、パチンコ店「ジョイランド」。建物はスーパーマルトモ所有。
  • ユニー磐田ユニマート(磐田市中泉、1966年(昭和41年)12月18日開店 - 1977年(昭和51年)頃閉店)食雑 
旧名ほていや磐田食品文化品センター。
跡地の建物を解体し、現在はマンション「イースト・アイ」。ユニー磐田衣料センターから一軒挟んで西20mに立地した。
  • ユニー磐田衣料センター(磐田市中泉399-6[1]、1967年(昭和42年)7月13日開店)衣 → ユニー磐田店、のちの#ユニー磐田駅前店
  • ユニー焼津ショッピングセンター(焼津市本町4-10-24[1]、1969年(昭和44年)7月3日開店)衣のちにF → #ユニー焼津店
ほていや時代に地元の食料品スーパー大勝(だいかつ)堂と提携し開店。のちに大勝堂は施設を所有する形でスーパー業務をユニーに委譲し発展解消している。

旧西川屋系(東海ユニー)店舗

旧西川屋の店舗を継承[23]。 ※印なき店舗はオープン時「西川屋」を称した。

愛知県
  • ユニー名港店(港区港栄4-3-7[1]、1947年(昭和22年)8月[7]15日開店)衣のちにF(#ユニー名港店
1959年、伊勢湾台風の頃の名港店は中店と呼ばれ、他に北店(紳士用品)、南店(寝装寝具用品)と小規模店を中店まわりに2店舗設けていた。1967年(昭和42年)に北店部分(現:中田歯科)を除き、南店の店舗の敷地、隣接する他商店を買収して中店部分を中心に大増築している。
伊勢湾台風被災がきっかけとなり、リスク分散のため、多店舗化への道を歩むことになった。
西川屋において初めて食料品を取り扱い、ほていや・西川屋を含めて総合GMSとしては1号店である。
  • ユニー黒川店(初代)(北区城見通、1961年(昭和36年)11月開店、1968年(昭和43年)3月増築 - 1976年(昭和51年)2月閉店)F
西川屋3号店。西川屋初の外食事業として店内に名古屋初のセルフカフェテリアが設けられたが、当時の人たちにはセルフ方式がなじまず、のちに通常の売り場に改装された。
会社合併後もしばらく並行営業するが、のちにほていや系のユニー黒川ショッピングセンターに統合・吸収される形で閉店。
跡地は建て替えて、栄電社(のちのエイデン)黒川店。栄電社の撤退を経て、現在はブックオフ名古屋黒川店。地下鉄名城線黒川駅西側に立地した。
  • ユニー大曽根東店(北区東大曽根本通、1967年(昭和42年)12月3日開店 - 1973年(昭和48年)2月20日閉店)食衣
旧名西川屋大曽根店。2階建て。同業衣料品スーパー「エビスヤ大曽根店」と同一日に開店した共同店舗。のちにほていや系のユニー大曽根ショッピングセンターに統合・吸収される形で閉店。
現在は跡地の建物は解体され、東大曽根商店街「村上時計店」 - 「大誠堂」にかけて立地した。
  • ユニー大門店(中村区大宮町、1964年(昭和39年)6月28日開店、1969年(昭和44年)6月21日改装開店 - 1973年(昭和48年)2月20日閉店)衣
旧名衣料マート西川屋。西川屋チェン社長の次弟が運営していた別会社、(株)西川屋洋品店を1969年(昭和44年)5月吸収合併。
当初、店舗は太閤通りに面していたが、のちに約20m南下した場所に小移転。小移転後の建物はコンビニを経て解体され、現在、跡地はそれぞれパチンコ「琥珀」大門店の駐車場。
  • ユニー八熊ショッピングセンター(中川区八千代通1-28[1](現・八熊[7])、1969年(昭和44年)11月22日開店[26])F → #ユニー八熊店
  • ユニー柴田ショッピングセンター(南区柴田本通1-3[1]、1970年(昭和45年)6月[188]20日開店)F 〇※ → #ユニー柴田店、のちのピアゴ ラ フーズコア柴田店[199]
  • ユニーアラタマショッピングセンター(南区新郊通1-33[26][1](現・駈上[7])、1970年(昭和45年)9月18日開店[26])F 〇※ → ユニー新瑞店、のちの#ピアゴアラタマ店
開店当初、直営ボウリング場「アラタマボウル」(48レーン)が店舗4階に設けられていた。
1982年(昭和57年)11月20日にカルチャープラザ「ララピア21」(文化教室・総合サービス窓口)を設置し、サンテラス名が付与された。
  • ユニー豊橋名豊店(豊橋市駅前大通2-48[1]、1968年(昭和43年)10月8日開店[6])衣雑 → #ユニー名豊店
オープン時は、名豊ビルの4階・5階に出店。のちに4階から撤退し、6階に売り場を新たに設けた。
  • ユニー半田ショッピングセンター(半田市泉町5[1]、1963年(昭和38年)9月[7]20日開店、1967年(昭和42年)建替、1969年(昭和44年)12月6日・1970年(昭和45年)10月8日新館増築)F 〇 → #ユニー半田店、のちのピアゴ半田店(旧ユーストア)
西川屋チェン半田店として開業[23]。開業時には鉄骨造り地上2階建ての建物で赤と白に外壁が塗り分けられていた[23]
開業時には地元商店街の反発をかわすため地元商店から[185]36店舗が入居する専門店街を併設した[23]
映画館半田松竹跡に出店。建て替え後、新館増築を重ね、A館B館C館の計3館で構成されていた。全3館完成時のコンセプトは「オールランドパビリオン」
  • ユニー刈谷銀座店(刈谷市銀座4-18[2]、1964年(昭和39年)7月15日開店[3]、1968年(昭和43年)10月増築)F(#ユニー刈谷銀座店
元西川屋刈谷店。刈谷ハイライフ・アベニュー開店に伴い西川屋刈谷銀座店に改称。「表屋商店」と西川屋との共同出資で「表屋ビル」を建設。開店当初は敷地の3分の1で表屋(文具)および眼鏡・レコード・化粧品の4店が入居し、残りの3分の2をキーテナントの西川屋が占めていた[3]
  • ユニー刈谷ハウジングセンター(刈谷市東陽町、1969年(昭和44年)10月25日開店)雑 → サンテラス刈谷A館
旧名ニシカ・ハウジング。A館5階建て。店舗面積約5,450m²。東芝炉材刈谷工場の跡地に建設され、3年で閉店した「葵百貨店」の廃屋を活用した家具専門店。店舗内のほぼ全域が西川屋直営。既存建築物を流用した経緯から、開店当初はSCを構成する他店舗と接続されていなかった。そのため、C館完成時にA館とB館とを繋げる連絡通路が増築されている[330]
サンテラス化後は家具専門を止め、住居関連品売場が入った。1979年(昭和54年)11月には総合家電館「ユニックス」として改装。その他、直営スポーツ用品コーナー「プレイワン」などがあった。現在、跡地は建て替えて日本生命刈谷ビル。
  • ユニー刈谷ファッションセンター(刈谷市南桜町、1969年(昭和44年)10月25日開店、1973年(昭和48年)2月22日増床、1975年(昭和50年)3月20日新館増築)食衣 〇 → サンテラス刈谷B館(#ユニー刈谷店
B館5階建て。店舗面積約6,000m²。全体の3分の2を西川屋直営として1階に食料品、2 - 3階に衣料品店を設け、残りの敷地で31の専門店が営業[330]
1973年(昭和48年)に増床し、ユニー刈谷ショッピングセンターに改称する。のちのサンテラス刈谷の本館に相当する。
  • ユニー刈谷レジャーセンター(刈谷市南桜町、1969年(昭和44年)11月29日開店 - 1974年(昭和49年)閉店)他
C館3階建て。店舗面積約1,500m²[330]。1階が食堂、2 - 3階が32レーンのボウリング場[330]
1階の食堂は西川屋外食事業第2弾となる直営レストラン「ピカデリー」が入居していた。ステーキコーナーがあり、昼はレストラン・カフェテリア。夜はニューパブの形式を取った。店内では生演奏用のピアノが置かれた。その後、1973年(昭和48年)に閉店して駐車場に改装された。「ピカデリー」名は同店に勤めていた調理師の独立により、刈谷市市役所近くの喫茶店に受け継がれた。
ボウリング場は1973年(昭和48年)にユニー刈谷ニューボウルに改称されたが、閉店後解体され駐車場となった。現在、アピタ刈谷店北東側の立体駐車場となっている。
なお、合併前のSC名は上記3店舗をあわせて「刈谷ハイライフ・アベニュー」と称し[330]、当時の丸紅飯田と提携して建設された。合併直後はユニー最大の売場面積となっていた。
当時の百貨店法の規制をクリアするため、当初は西川屋チェンの系列会社が販売部門を担当するように装っており、「西川屋センター(のちにユニーセンター)」が呉服を、「西川屋ストア(のちにユニーストア)」が衣料品を、「西川屋チェン(のちにユニーマート)」が食料品・生活雑貨・日用雑貨を、「西川屋ハウジング(のちにユニーハウジング)」が住宅・家具関連を取扱っていた。
  • ユニー安城店(初代)(安城市御幸町7-24[1]、1968年(昭和43年)7月[5]10日開店)F → のちの#ユニー安城駅前店
  • ユニー西尾店(西尾市本町、1966年(昭和41年)11月1日開店 - 1976年(昭和51年)8月閉店)F → のちのユーマート西尾店
現在、跡地は和食店「はと屋」駐車場。上田家具店の左隣に立地した。
1975年(昭和50年)11月7日に新築開店したユニー西尾駅東店(のちのピアゴ西尾駅東店(閉店))としばらく並行営業。建物はそのまま後継に食品スーパー「ハッピーフード」が入居。
  • ユニー犬山店(犬山市大字犬山高見町12-1[1]、1962年(昭和37年)12月26日開店、1972年(昭和47年)10月27日新館増築、1975年(昭和50年)7月11日新館増床)F(#ユニー犬山店
主婦の店犬山店を買収し開店する。
  • ユニー小牧店(初代)(小牧市大字小牧字駒止2100[1](現・中央)、1962年(昭和37年)6月28日開店、1967年(昭和42年)9月増築)F → のちのユニー小牧駅前店(#ユニー小牧駅前店
西川屋初の名古屋市外出店。屋上に遊戯施設があった。
  • ユニー大田川ショッピングセンター(東海市大田町下浜田102-1[1]、1970年(昭和45年)3月[188]20日開店、1973年(昭和48年)11月15日増床)F → #ユニー大田川店
1972年(昭和47年)2月7日に火災で半焼[331]、これを機に1973年(昭和48年)、売り場面積を2倍に増床している。
  • ユニー大府店(大府市大府町大根141-1[1](現・中央町)、1964年(昭和39年)9月23日開店)Fのちに衣雑(#ユニー大府店
当時、有力店としては珍しく西川屋が誘致される形での出店となった。
岐阜県
  • ユニー中津川ショッピングセンター(中津川市新町2[26]、1970年(昭和45年)11月20日開店[26])F ※ → #ユニー中津川店
  • ユニー瑞浪ホームセンター(瑞浪市寺河戸町常盤通、1966年(昭和41年)3月24日開店-1975年(昭和50年)8月31日閉店)雑
元西川屋瑞浪店。3階建て。ユニー瑞浪店(初代)開店にあたり、食料品・衣料品を西に約100m離れた新店に移し、2階を劇場、3階を麻雀店として賃貸、1階をホームセンターに改装して再開店。
建物を解体し、ときわ駐車場を経て、現在は瑞浪市地域交流センター「ときわ」。2007年(平成19年)7月に開設。
  • ユニー瑞浪店(初代)(瑞浪市寺河戸町浪花通1188-5[1]、1970年(昭和45年)2月28日開店)食衣のちにF(#ユニー瑞浪店(初代)
  • ユニー土岐店(土岐市泉町久尻、1966年(昭和41年)2月24日開店 - 1973年(昭和48年)2月20日閉店)F
西川屋の県外出店1号店。土岐市駅前の「総合ビル」の1 - 2階と地下1階に入居していた。
現在、跡地の建物はそのまま地階は封鎖、大部分は空き店舗となっているが、ビルの北端に不動産店「十時不動産」が入居。2階は進学塾が入居していたが、現在は撤退している。
三重県
  • ユニー津店(津市西丸之内、銀杏屋1963年(昭和38年)3月15日開店 - 1977年(昭和52年)2月20日閉店)F
建物を解体し、パチンコ店を経て、現在はマンション「アトレ津新町」。近鉄津新町駅東250mに立地した。
  • ユニー四日市店(四日市市諏訪栄町、銀杏屋1966年(昭和41年)3月1日開店 - 1977年(昭和52年)2月20日閉店)F
近鉄四日市駅前の諏訪栄町一番街商店街にジャスコ発祥1号店(旧岡田屋)と共に立地していた[332]
建物を解体し、現在、跡地は「パチンコホームラン・アピカ店」。
四日市、津の店舗は西川屋と1970年(昭和45年)2月21日に合併した銀杏屋(店名表示はいちようや、呼称はいちょうや)店舗である。いちょうやのロゴは〇の中にイチョウの葉のデザインを入れていた。
長野県
  • ユニー飯田衣料センター(飯田市知久町、マルサン1957年(昭和32年)10月1日開店、1970年(昭和45年)2月21日継承開店 - 1974年(昭和49年)4月閉店)衣
西川屋と1970年(昭和45年)に合併した旧マルサン百貨店の本店。合併後、西川屋飯田店となる。
跡地は建て替えて、現在はカラオケ店「メトロポリス」。下記2店舗共々飯田駅南東500m、りんご並木沿いに立地した。
  • ユニー飯田子供センター(飯田市知久町、1970年(昭和45年)2月21日継承開店 - 1974年(昭和49年)4月閉店)衣
跡地は金物店を経たのち、建て替えて居酒屋「四君子」。現在は空き店舗。ユニー飯田衣料センターのはす向かいに立地した。
  • ユニー飯田ユニマート(飯田市知久町、1970年(昭和45年)2月21日継承開店 - 1974年(昭和49年)4月閉店)食雑
ユニー飯田駅前店開店後、元マルサンの関係者がマルサン名を継承し、同地に後継として健康食品店「マルサン」を開店させている。
現在は建物を解体し、駐車場および飯田エフエム放送。ユニー飯田衣料センターの南ななめ向かいに立地した。
  • ユニー飯田銀ビル店(飯田市銀座、マルサン1968年(昭和43年)3月1日開店、1970年(昭和45年)2月21日継承開店 - 1974年(昭和49年)4月閉店)衣
跡地の建物はそのまま、ホテル「ニューギンザ」を経て、現在は文房具店「キング堂」の事務機器部となっている。ユニー飯田衣料センターの東南東100mに立地した。
上記、飯田市内の4店舗は西川屋と1970年(昭和45年)2月21日に合併したマルサン店舗である。マルサン店舗を引継ぐ形で統合・拡張のうえで、1974年(昭和49年)4月、新築したユニー飯田駅前店(飯田市東和町)に移転している。マルサンのロゴは〇の中に漢数字の三を入れていた。
西川屋が経営不振に陥った地元資本の衣料品百貨店「ハセガワ」の建物を買収し開店。地階の食料品売場は地元資本のケガサワが運営する「中央スーパー」が担当していた。
合併直前に閉店した西川屋の店舗
  • 天塚店(名古屋市西区天塚町、1968年(昭和43年)10月25日開店 - 1970年(昭和45年)11月閉店)食雑
西川屋の食品スーパー1号店。しかし運営の実態はノウハウ的な問題で、主婦の店バローが肩代わりしていた。
近隣にダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンターが開店したことにより、ただちに勝ち目無しと判断。閉店が即断された。
現在、跡地の建物はそのまま、マンション「天塚コーポラス」の1階、「ふとんのもり」。
その他の西川屋の店舗
  • ドンコパーク
西川屋直営の外食事業として、名古屋競馬場の東側向かいの、名古屋市港区東土古町(ひがしどんこちょう)でレストラン「ドンコパーク」を1969年(昭和44年)頃から1974年(昭和49年)頃まで運営していた。

エフシーユニー店舗

あかのれん」と「ヤマダ屋」、「吉田屋(エコー百貨店)」の3社と業務提携し、1969年(昭和44年)11月に設立したフランチャイズチェーン[23]

「株式会社エフシーユニー」は1975年(昭和50年)2月に「株式会社あかのれん」が吸収合併し[329]、4年3か月で消滅した。

FCユニーとして店舗展開されたうち、ユニー(中部ユニー)は旧「エコー百貨店」の店舗を1970年(昭和45年)末から引き継ぐことになった。 会社設立直後はユニーを除く各社継承の12店舗が存在していた。

エコー百貨店(吉田屋)系FCユニー引継店舗
  • エフシーユニーエコー栄生店 → ユニー藤宮店
  • エフシーユニーエコー堀田店 → ユニー堀田ユニマート
  • エフシーユニーエコー笠寺店 → ユニー笠寺ショッピングセンター
  • エフシーユニーエコー西春店 → ユニー西春プラザ
  • エフシーユニーエコー岡崎店 → ユニー岡崎店
ヤマダ屋系FCユニー店舗
  • FCユニー大曽根店(名古屋市北区大曽根、ヤマダ屋1925年(大正14年)10月1日創業 - 1974年(昭和49年)2月閉店) → 現・ふとんタナカ名古屋大曽根店
あかのれん系FCユニー店舗

法人としての「エフシーユニー」は「あかのれん」が吸収合併して継承[329]

現在では建て替えた4店を除きすべて閉店している。なお、当初から店舗ブランドは「あかのれん」を用いた。

  • FCユニー新瑞橋店(名古屋市南区駈上、1962年(昭和37年)11月15日開店) → あかのれん新瑞橋店(建て替え)
  • FCユニー三谷店(蒲郡市三谷町祢々谷、1963年(昭和38年)12月3日開店 - 1993年(平成5年)頃閉店) → あかのれん三谷店
  • FCユニー勝川店(春日井市八光町、1964年(昭和39年)5月26日開店1972年(昭和47年)6月小移転建て替え) → あかのれん勝川店
  • FCユニー刈谷店(刈谷市銀座、1965年(昭和40年)10月29日開店 - 1971年(昭和46年)頃閉店) → ユニー刈谷銀座店と隣接のため、あかのれんが引継ぐことなく閉店
  • FCユニー糸貫川店(本巣市上真桑、1970年(昭和45年)2月21日開店 - 2002年(平成14年)頃閉店) → あかのれん糸貫川店、のちのA&K糸貫川店
  • FCユニー内田橋店(名古屋市南区明治、1970年(昭和45年)6月20日移転開店) → あかのれん内田橋店(建て替え)
FCユニー独自の新規開店店舗

法人の「エフシーユニー」を「あかのれん」が吸収合併して継承[329]

  • FCユニー浜北店(浜松市浜北区、1971年(昭和46年)11月20日開店-2002年(平成14年)頃閉店) → あかのれん浜北店
  • FCユニー恵那店(恵那市大井町、1974年(昭和49年)4月26日開店) → あかのれん恵那店(建て替え)
  • FCユニー可美店(浜松市南区増楽町-1974年(昭和49年)6月26日開店-1995年(平成7年)頃閉店) → あかのれん可美店(現在は建て替えられ、自動車用品店のモンテカルロ/タイヤ専門館可美店)

中部スーパーマーケットチェーン

「ユニー」本体と「エフシーユニー」は、「丸正(現・ハローフーヅ(株))」と「主婦の店バロー」、「ライコースーパー(岐阜市発祥のローカルスーパー)」の3社と共同出資して、共同仕入れ会社株式会社中部スーパーマーケットチェーンを関連会社として1970年(昭和45年)に設立している[123]

グループとしての取り込みを図ったが[123]、提携は解消されて消滅した。

補完(参考)

ほていや・西川屋の共同仕入れ会社、株式会社ユニー設立(1969年(昭和44年))以前に閉鎖したほていやの店舗は次の通り。

  • 蒲郡店(蒲郡市元町)呉
現在、跡地は建て替えて、陶磁器店「瀬戸屋本店」。蒲郡駅北約400m、駅前本通り商店街に立地した。
  • 劇場通店(岐阜市神室町、1962年(昭和37年)開店)呉
現在、跡地は建て替えて、婦人服店「WISH」。高島屋岐阜店(旧:岐阜劇場跡地)南50mに立地した。
  • 北安東店(静岡市葵区安東、1964年(昭和39年)開店)食衣
現在、跡地は「コープしずおか城北店」の南駐車場。
  • 沼津ニューホテイヤ(沼津市大手町)雑
現在、跡地の建物は空き店舗。ほていや沼津洋品センターの南側向かい、現在の甘味店「どんぐり」の左隣に立地した。
  • 大森ターミナル店(東京都大田区山王)呉
旧大森山王会館内に出店。
  • 川崎店(川崎市川崎区駅前本町)呉
川崎駅、旧川崎ターミナルビル内に出店。
  • 辻堂店(藤沢市辻堂)呉
辻堂駅南口側に立地した。

補足

大項目3項の記述店以外に、1975年(昭和50年)までに開店し、同年まで存在した各地域販売会社によって運営された店舗は次の通り。

1.中部ユニー

  • 瀬戸(2代目)、今池、豊明、豊田、知立(計画時のSC名:バザァル知立)、尾西、各務原、上田中央、加賀、七尾、新湊、高岡、富山駅前、富山西町、(開店準備:高蔵寺、関(2代目)、多治見)

2.関東ユニー

  • 大口(2代目)、金沢文庫、三島広小路、吉原、富士宮、掛川、浜松泉町、(開店準備:橋本)

3.東海ユニー

  • 守山、豊田元町[10]、大樹寺、武豊、蒲郡、豊川、碧南、阿倉川、飯田駅前、伊那、(開店準備:小牧)

本部・地区本部所在地の移転変遷

合併直前のほていや・西川屋の各本社各本部配送センター所在地は次の通り。

  • 株式会社ほていや(名古屋市中区栄3-22-11)
    • 東愛知運営部(岡崎市明大寺本町)・岐阜運営部(岐阜市梅林)
    • 静岡地区本部・浜松運営部・沼津運営部・関東地区本部
    • ほていや仕入本部(名古屋市中区栄1-6-14) 共同仕入会社(株)ユニー内。現、御園座ビルの中にあった
    • ほていや配送センター(清須市清洲)
    • ほていや横浜配送センター(横浜市港南区下永谷) 現在、跡地はさが美本社
  • 株式会社西川屋チェン(名古屋市港区品川町1-60) 現在、跡地はトーカンCVS営業部およびCVS向け配送業者マルセイカンパニー
    • 西川屋仕入本部(名古屋市中区栄1-6-14) ほていやと同じ
    • 西川屋配送センター(名古屋市港区品川町1-60) 西川屋チェン本社と同じ

ユニーは2008年(平成20年)に地区本部制度を廃止し、各地区本部は本社直轄の地域事務所として組織再編している。

合併後

  • 本社
設立時 : 名古屋市中区栄2-10-19 名古屋商工会議所ビル[23]7F
一次移転 : 名古屋市中村区名駅2-45-19[333] 桑山ビル
二次移転 : 名古屋市中村区名駅3-26-8[306][126] 日興証券ビル(旧:名古屋駅前桜通ビル、現:KDX名古屋駅前ビル)
1993年(平成5年)11月1日 : 稲沢市天池五反田町1番地[334]
  • 中部本部
旧ほていや : 名古屋市中区栄1-6-14
  • 東海本部
旧西川屋 : 名古屋市港区品川町1-60
  • 中京地区本部(1976年(昭和51年)2月統合)/中京事務所
設置時 : 名古屋市中村区名駅2-45-19 桑山ビル
現在:稲沢市天池五反田町1番地(1993年(平成5年)11月1日 移転[334]
  • 静岡地区本部/山静事務所
設置時 : 静岡市駿河区丸子赤目ケ谷6288。ユニー丸子配送センター内。現在、跡地は丸玄工芸。
一次移転 : 静岡市葵区呉服町2-1-5 旧ユニー呉服町店内
二次移転 : 静岡市葵区常磐町2-13-1 住友生命静岡常磐町ビル
三次移転 : 静岡市葵区伝馬町6-1 伝馬町再開発ビル
現在 : 静岡市駿河区森下町4番30号 メンテックビル4階・5階
  • 北陸地区本部/北陸事務所
設置時 : 松任市(現・白山市)平松町138[1]
一次移転 : 金沢市高岡町1-33 明治生命ビル(現:明治安田生命金沢ビル)
二次移転 : 金沢市中村町10-20 アピタ金沢店敷地内(駐車場改築)
三次移転 : 金沢市広岡3-3-79(旧:JR金沢体育館[335]
四次移転 : 金沢市彦三町1丁目2番1号 アソルティ金沢彦三ビル1階
現在: 金沢市広岡3-3-77 JR金沢駅西第一NKビル(旧JR金沢体育館建て替え)6階(2014年(平成26年)7月移転[335]
  • 関東地区本部/関東事務所
設置時 : 横浜市中区富士見町2-7(株)関東ユニー内
一次移転 : 横浜市中区伊勢佐木町4-117 旧ユニー四丁目店内
二次移転 : 東京都港区高輪3-26-33[1] 秀和品川ビル(現:品川ビル)

のちに東京本部に改称

三次移転(1992年(平成4年)8月3日[132]) : 東京都江東区東陽6-3-2 イースト21タワー13階[132]、北関東分室をユニー川本店内に設置。

北関東分室を川口市に移転、北関東本部設置。横浜市神奈川区に南関東本部を設置。

四次移転 : 川口市本町4-1-8 川口センタービル

関東地区本部に再改称

五次移転 : 横浜市神奈川区入江2-18 旧ユニー大口店を改装した旧南関東本部に全機能集約
六次移転 :横浜市港北区新横浜二丁目6番3号 DSM新横浜ビル6階・7階・8階(建て替えの為仮移転)
現在:横浜市神奈川区入江2-18「ユニーグループ・ホールディングス大口ビル」として2015年4月1日より業務を行うことになった[133]

参考/出店を断念した店舗

計画していた開店予定店。店名は仮称。西暦左は計画発表年、西暦右は竣工予定年。

愛知県

  • ユニー九番町店(名古屋市港区九番町) - 1974年(昭和49年)-1975年(昭和50年)。日本住宅公団1階
地元の商店街などの反対運動が激しかったため、1975年(昭和50年)6月に出店を断念した[336]
  • ユニーラブラ浄心店(名古屋市西区) - 1985年(昭和60年)-1987年(昭和62年)。浄心ステーションビル北館。代わりにグループの専門店トピオ等が入居
  • アピタ名古屋南店モール棟(名古屋市南区) - 2007年9月-2010年。ウォークモールとしてオープンを目指したが、建設発表後に施行されたまちづくり3法#都市計画法・建築基準法の改正の解釈により、アピタ名古屋南店の南側、日清紡跡地利用を断念
  • ユニー津島店(愛知県津島市)- 1979年。津島毛糸紡績跡(現・ヨシヅヤ津島本店)
  • ユニー木曽川店(愛知県葉栗郡木曽川町=現・一宮市) - 1979年-1983年。3階建て木曽川商業開発尾北SCの核店舗。水新紡績跡(現・ZENT木曽川店)。アピタ木曽川店とは別の物件

岐阜県

  • ユーマート笠松店(岐阜県羽島郡笠松町東陽町) - 1973年。2階建。名鉄笠松駅前
  • ユニー垂井店(岐阜県不破郡垂井町) - 1983年
  • ユニー恵那駅前店(岐阜県恵那市) - 1988年-1989年。計画された駅前再開発ビルの2階衣料品店舗。1階には食料品店バロー。フェアモール恵那(仮称・ショップランド恵那)開設に注力のため断念

三重県

  • ユーホーム嬉野店(三重県一志郡嬉野町、現・松阪市) - 1999年12月のユーストア嬉野店の開店時に開設予定だったが、長期間出店を凍結。現在はピアゴとなった同店の駐車場に出店計画を復活させて増築出店。2014年冬オープン

長野県

静岡県

  • ユニー清水店(静岡県清水市大和町2丁目=現・静岡市清水区本郷町) - 1972年-1973年。5階建地下1階
  • ユニー豊田町店(静岡県磐田郡豊田町=現・磐田市) - 1990年。豊田町駅開設に伴う駅前開発
  • アピタ藤枝店Part2(静岡県藤枝市) - 1992年。アピタ藤枝店の別館
  • アピタ沼津店(静岡県沼津市東椎路) - 2007年-2009年。湿地帯のため地盤改良費増により断念
  • アピタ袋井店(静岡県袋井市

富山県

  • ユニー婦中店(富山県婦負郡婦中町速星=現・富山市) - 1981年-1982年。国道359号線沿い
  • スペラダ高岡店(富山県高岡市御旅屋町) - 1983年-1986年。御旅屋第1街区再開発。仮称大和百貨店高岡店別館との共同店舗。ファッションビル(ポアンカタイプ)を想定
  • ユーホーム富山東店(富山県富山市) - フェアモール富山に併設

石川県

  • アピタ小松店(石川県小松市沖町)

福井県

  • ユーホーム福井店(福井県福井市) - アピタ福井店に併設

神奈川県

  • ユニー十日市場店(横浜市緑区十日市場町) - 1980年-1981年。十日市場駅前南西

埼玉県

  • ユニー上尾店(埼玉県上尾市緑丘3丁目) - 1978年-1979年。北上尾駅前北東

茨城県

群馬県

奈良県

脚注

注釈

  1. ^ 相模鉄道高島屋の合弁企業の株式会社相高。現在の相鉄ローゼン
  2. ^ 1951年(昭和26年)の開店とする資料あり
  3. ^ 1952年の開店とする資料あり
  4. ^ 名古屋市電浄心町電停付近
  5. ^ ユニー藤宮(ふじのみや)店。1973年(昭和48年)開店のユニー富士宮ショッピングセンターと異字同音であり、改称時期まで約3年間地区本部が違うものの、同音店舗が存在した。富士宮をショッピングセンターとすることで便宜上、使い分けが出来ていた模様。
  6. ^ 取り壊し前の建物に微かに残るほていやロゴ[1]
  7. ^ 当初マイマートと称していた酒販チェーンのマインマートとは無関係。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
  2. ^ a b c 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社
  3. ^ a b c d e 刈谷市史編さん編集委員会(編) 『刈谷市史 第4巻 現代』 刈谷市、1990年。pp407-408
  4. ^ 刈谷市史編さん編集委員会(編) 『刈谷市史 第4巻 現代』 刈谷市、1990年。pp546
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『東三河の経済と社会 第二輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1977年3月。
  6. ^ a b 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部編 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de 『流通会社年鑑 1993年版』 日本経済新聞社、1993年10月25日。
  8. ^ a b c d e f g h i j 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。
  9. ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。
  10. ^ a b c d e f g h 豊田市教育委員会 『豊田市史 第4巻 現代』 豊田市、1977年。
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  333. ^ 石原武政 田村正紀 『日本の組織 第8巻 消費文化のインターフェース 流通と販売の組織』 第一法規出版、1989年5月。ISBN 978-4474151086
  334. ^ a b “ユニー、稲沢物流センターに本社移転、11月から業務稼働”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年10月22日)
  335. ^ a b “ラスパ白山が着工 ユニーの大型商業施設”. 北國新聞 (北國新聞社). (2014年6月7日)
  336. ^ 『読売年鑑 1976年版』 読売新聞社、1976年3月。
  337. ^ “ユニー「アピタ前橋店」の出店を断念し退店届提出 群馬県東善町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年10月7日)
  338. ^ “ユニーの奈良市佐保台地区への大型店出店計画に対し地元住民が反対運動起る”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年12月16日)

関連項目