尾張瀬戸駅

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尾張瀬戸駅*
尾張瀬戸駅駅舎(2006年12月)
尾張瀬戸駅駅舎(2006年12月)
おわりせと - OWARI SETO
所在地 愛知県瀬戸市山脇町12-1
所属事業者 名古屋鉄道
所属路線 瀬戸線
キロ程 20.6km(栄町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 頭端式 1面2線
乗車人員
-統計年度-
4,810人/日(降車客含まず)
-2008年-
開業年月日 1905年(明治38年)4月2日
備考 * 1921年 瀬戸駅から改称。
改札口

尾張瀬戸駅(おわりせとえき)は、愛知県瀬戸市山脇町にある名鉄瀬戸線である。瀬戸線の瀬戸側のターミナル駅である。 環境モデル駅として、電力には太陽光パネル発電も、水洗トイレには雨水も使用している[1]

地元の市民からは、尾張をつけず、単に瀬戸駅と呼ばれ親しまれている。

駅構造[編集]

島式1面2線ホーム地上駅。行き止まりの終端構造になっている。ホームの有効長は6両相当分。ホーム転落防止柵LED表示の発車案内などが設置されている。

のりば
ホーム 路線 行先
1・2 瀬戸線 大曽根栄町方面

駅舎は線路終端の東側にあり、陶都瀬戸をイメージした登り窯の形をしている。駅舎は瀬戸市の商業文化複合施設パルティせとと接続している。駅舎内にも、時計修理店がある(当初は、サンコス)。

改札口は有人で、自動券売機自動改札機、LED表示の発車案内などが設置されている。以前、高砂殿テレビCM撮影に使われたことがある。SKE48のPV撮影も行われたことがある。[2]

ホーム北側には留置線が2本あり、運用車両のうち半数ほどが滞泊する。この留置線の北側には、貨物取扱の設備跡が見られる。

2001年平成13年)の駅舎移転以前の旧駅舎は現在より少し西寄りにあり、現在のホームのある位置には留置線と貨物取扱設備があった。

配線図[編集]

尾張瀬戸駅 構内配線略図
尾張瀬戸駅 構内配線略図
大曽根・
栄町方面
凡例
出典:[3]


駅周辺[編集]

パルティせと
銀座通り商店街

瀬戸市内では、毎年陶祖まつり(春)とせともの祭(秋)が開催されており、当駅はその最寄り駅となっている。

バス[編集]

最寄停留所は、駅北東のバスターミナルにある瀬戸駅前となる。以下の路線が乗り入れ、名鉄バスジェイアール東海バスにより運行されている。

名鉄バス[編集]

ジェイアール東海バス[編集]

コミュニティバス[編集]

利用状況[編集]

当駅の一日平均乗車人員は、以下の通り推移している。

  • 2005年度 5,430人
  • 2006年度 5,077人
  • 2007年度 4,809人
  • 2008年度 4,810人

瀬戸線の駅では、20駅中7位である。(データは、バス連絡定期券を含む)

歴史[編集]

1905年明治38年)、瀬戸線開業時に、瀬戸側の起点となる瀬戸駅として、開業した。開業当時は、旅客以上に、地元で生産される瀬戸焼出荷の拠点としての役割を担った。1921年大正10年)には、尾張瀬戸駅に名称が変更された。

その後、1978年昭和53年)、栄町乗入れ工事に伴い、貨物の取り扱いが廃止された。このとき、運用車両の増加に対応するため、元の貨物側線が電留線として整備された。電留線については、後述の総合改善事業実施に伴い、2002年までに配線変更が行われた。

駅舎は大正時代以来長く同じものが使用され続けていたが老朽化が進んだため、国土交通省の鉄道駅総合改善事業として事業主体となる第三セクター方式の尾張瀬戸駅整備株式会社を設立し、駅前公共施設パルティせと2005年2月19日開設)やバスターミナルの整備を合わせて、再開発が行われ、2001年平成13年)、現在地に移転した。2005年(平成17年)の愛・地球博開催時は、当駅より名鉄バスが担当するシャトルバスが出て、会場への拠点駅の一つとしての役割を担った。旧駅舎は2005年にオープンした瀬戸蔵ミュージアム内に一部復元のうえ展示されている。

隣の駅[編集]

名古屋鉄道
瀬戸線
急行(尾張旭駅まで各駅停車)・準急(小幡駅まで各駅停車)・普通
瀬戸市役所前駅 - 尾張瀬戸駅

参考文献[編集]

  • 名古屋鉄道広報宣伝部『名鉄まるわかりブック』名古屋鉄道、2007年7月発行

脚注[編集]

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  1. ^ 『名鉄まるわかりブック』(p10)より。
  2. ^ バンザイVenusのPVに登場する。
  3. ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第816号 2009年3月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、巻末折込「名古屋鉄道 配線略図」

関連項目[編集]