敦賀市
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敦賀市(つるがし)は、福井県南部(嶺南)の、敦賀湾に面する都市である。古代より港湾を中心に栄え、北陸と関西を結ぶ位置から近代以降は鉄道や道路の要地ともなっている。原子力発電所でも知られる。
目次 |
[編集] 概要
気候は季節風の強まる冬でも、日本海沿岸の中では比較的穏やかとされる。古代より畿内と北陸を結ぶ北陸街道が通り、また畿内や瀬戸内海に繋がる水運を利用できる琵琶湖からは愛発山を越えてすぐ北側に位置するため交通の要衝とされ、街道沿いには氣比神宮が鎮座して門前町が形成されて、敦賀港とともに発展した。
近代には、欧亜国際連絡列車の日本側入口として、外国製の地球儀には、3~4都市しか記載されない日本の都市の1つとして、敦賀を含めた物が多く見られた(戦後も70年代あたりまでこうした地球儀が国内でも販売されていた)。現在も鉄道や高速道路(予定)の接合地であり、重要港湾敦賀港には北海道向けのフェリー定期航路や韓国向けのコンテナ船航路が開設されているなど、日本海側の交通の要衝である。
第二次世界大戦前に市制を敷いた点や、市街地の規模から、福井県嶺南の代表都市とされる。2007年に、市制施行70周年を迎えた。
方言は、福井県嶺北地方の語尾をはねあげる北陸訛りとは一線を画し、関西弁のイントネーションを平板にしたものがベースである。滋賀県北部と共通性が高い。
[編集] 地理
現在の市域は、令制国での越前国敦賀郡と区域が一致しているが、観光などでは、若狭、若狭・敦賀などの地域区分を使用されることも多い。これは敦賀郡が木の芽峠で他の越前地域と交通遮断されていること、江戸時代に若狭藩(小浜藩)領であったことから敦賀以北の越前よりも風俗が若狭あるいは近江に近いことが理由とされている。福井県内の地域区分で言う嶺南と一致する。[1]
[編集] 位置
敦賀市は、木ノ芽峠のすぐ南側で、若狭湾の最も奥に位置する。更に、日本海側と太平洋側が最も接近する地域が、敦賀(若狭湾の最も奥)と名古屋(伊勢湾の最も奥)を結ぶ線である。琵琶湖の北端から市街地まで20kmも離れていない為、過去には何度も琵琶湖と日本海を結ぶ水路建設の話が持ち上がった。
[編集] 地形
典型的な扇状地地形であり周囲三方を山に囲まれている。またリアス式海岸である若狭湾の東端に位置する。湾は海に入ると急激に水深が下がることから、昔から良質な天然漁港で有名だった。上記の理由により平地が少なく、市の大部分は山林で占められている。
[編集] 歴史
[編集] 平安時代まで
- 氣比神宮創建
- 「古事記」「日本書紀」に「角鹿」[2]が記される。
- 大宝律令(701年完成)において「敦賀」に改称される。
- 804年渤海使が訪れ、交易が行われた。松原客館が置かれる(10世紀初期まで)。
- 10世紀から13世紀 日宋貿易の拠点となった。
[編集] 鎌倉時代から江戸時代まで
- 戦国時代まで
- 1336年新田義貞が恒良親王と尊良親王を奉じて金ヶ崎城に入城、しかし、足利方の越前国守護である斯波高経らの軍勢に包囲され落城した。
- 朝倉氏が越前国を掌握した後は、朝倉氏一族の敦賀郡司が置かれる。
- 1575年越前国平定のため柴田勝家を総大将とした織田信長軍が敦賀に入る(総勢10万5,000ともいわれる)。
- 1589年大谷吉継が越前国敦賀城主となり、5万7,000石(敦賀郡、今立郡、丹生郡)を領有した。
- 江戸時代まで
- 1600結城秀康が越前一国を領する。
- 1634年酒井忠勝が若狭および越前敦賀郡を領することとなり小浜藩領となった。
- 江戸時代には北前船の寄港地として栄えた。
- 1682年若狭国小浜藩第2代藩主酒井忠直の次男酒井忠稠が、父の死去により同藩領のうちから越前国敦賀郡および近江国高島郡の内で1万石を分与されて敦賀藩を樹立。しかし敦賀藩とはいっても、敦賀郡の大部分は小浜藩が領していた。
- 1864年京都を目指していた水戸藩尊攘過激派が、敦賀郡新保で藩主直系徳川慶喜率いる討伐隊が来ると聞いて投降した。翌1865年、敦賀にて武田耕雲斎ら352人が粛清された(天狗党の乱)。
[編集] 明治維新から第二次世界大戦まで
- 1869年8月1日(旧暦6月24日)版籍奉還後、敦賀藩主酒井忠経が知藩事(敦賀藩知事)に任命される。
- 1870年4月21日(旧暦3月23日)敦賀藩が鞠山藩と改称される。
- 1870年10月12日(旧暦9月17日)鞠山藩が廃止されて、小浜藩に編入される。
- 1871年8月29日(旧暦7月14日)廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀は小浜県の所属となる。
- 1871年12月31日(旧暦11月20日)府県の再編により敦賀県が設置され、県庁所在地となる。
- 1876年8月21日敦賀県が分割され、滋賀県に編入される。
- 1881年2月7日滋賀県から分離され、福井県に編入される。
- 1882年3月10日敦賀駅開業。
- 1889年4月1日 津内、泉、三島の三村が合併し、敦賀郡敦賀町として町制を施行する。
- 1889年7月東海道本線の支線として米原~金ヶ崎(現敦賀港駅:つるがみなと)間開通。
- 1892年大和田荘七が大和田銀行を設立(建物は現在みなとつるが山車会館別館にあたる)
- 1896年7月北陸本線敦賀~森田間開業。
- 1896年敦賀港が対外貿易港に指定。
- 1899年敦賀港が国際港として開港する。
- 1905年石油貯蔵庫として「赤レンガ倉庫」が建てられる。
- 1907年初めて電灯が灯る。
- 1909年市内電話を開設。
- 1910年敦賀駅が現在地に移転。
- 1912年ウラジオストク航路(ロシア)に接続する欧亜国際連絡列車が新橋(1914年からは東京駅)~金ヶ崎(後に敦賀港に改称)で運行される。
- 1917年小浜線敦賀~十村間開業。
- 1918年ロシアの作曲家プロコフィエフがアメリカ合衆国への亡命途上、敦賀にて日本上陸。
- 1920年~1921年日本赤十字社が祖国を失いシベリアに取り残されたポーランド孤児を救出。敦賀にて日本上陸。
- 1927年大和田銀行新本店竣工(昭和初期の代表的建物で現在の敦賀市立博物館)。
- 1933年大和田荘七が町庁舎を寄贈。
- 1937年4月1日市制施行。敦賀郡敦賀町と松原村が合併し、敦賀市が発足。
- 1940年迫害を逃れてきたユダヤ人が敦賀に上陸。(命のビザ)
- 1945年敦賀空襲により被災。
[編集] 第二次世界大戦後
- 1947年市内バス営業開始。
- 1955年1月15日 敦賀郡愛発村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村の近隣5村を編入合併。これにより市制施行以前の敦賀郡全域が敦賀市域となる。
- 1957年北陸本線敦賀~米原間、現在の経路で交流電化開業。
- 1962年北陸トンネル完成。
- 1963年1月三八(サンパチ)豪雪、154cmの積雪を記録。
- 1970年3月日本原子力発電敦賀発電所1号機(沸騰水型軽水炉)運転開始。大阪府吹田市で開催中の日本万国博覧会に関西電力原子力事業本部美浜発電所1号機(加圧水型軽水炉)と共に送電。
- 1970年8月新日本海フェリー、舞鶴~敦賀~小樽航路就航。
- 1972年北陸トンネル列車火災事故発生。
- 1974年現在の敦賀市本庁舎完成。
- 1974年8月新日本海フェリー、敦賀~新潟~小樽航路就航。
- 1977年北陸自動車道武生~敦賀間開通。
- 1980年北陸自動車道敦賀~米原間開通、名神高速道路に接続。
- 1981年1月五六豪雪、198cmの積雪を記録。
- 1981年大韓民国東海市と姉妹都市盟約締結。
- 1981年国道27号金山バイパス、岡山~野神間開通。
- 1985年白木トンネル開通。
- 1985年氣比神宮で昭和の大造営。
- 1986年「えびす大黒綱引き」(敦賀市西町:現-相生町)が国の無形民俗文化財に指定。
- 1986年学校法人敦賀学園敦賀女子短期大学開学。(現学校法人敦賀学園敦賀短期大学)
- 1986年学校法人嶺南学園敦賀気比高等学校開校。
- 1986年敦賀セメント・北陸電力共同岸壁が完成。
- 1986年福井厚生年金健康福祉センター「サンピア敦賀」(現ウェルサンピア敦賀)(呉羽町)が開所。
- 1987年2月日本原子力発電敦賀発電所2号機(加圧水型軽水炉)運転開始。
- 1988年国道8号敦賀バイパス余座~坂ノ下間開通。
- 1988年中郷古墳群が国の史跡に指定。
- 1988年敦賀港鞠山北A岸壁供用開始。
- 1989年嶺南ケーブルネットワークがケーブルテレビ放送開始。
- 1990年大韓民国釜山~敦賀間定期コンテナ船就航。
- 1990年敦賀港鞠山北C岸壁供用開始。
- 1990年敦賀市プラザ萬象(ばんしょう)(東洋町)が開館。
- 1991年敦賀港鞠山北B岸壁供用開始。
- 1991年敦賀市立図書館(東洋町)が移転開館。
- 1991年北陸電力敦賀火力発電所営業運転開始。
- 1992年敦賀市清掃センター(櫛川)が完成。
- 1993年国道27号金山バイパス野神~木崎開通。
- 1994年「日本海さかな街」(若葉町一丁目)が開業。
- 1994年旧動力炉・核燃料開発事業団高速増殖原型炉「もんじゅ」初臨界(1995年初送電)。
- 1996年3月国道8号敦賀バイパス田結~余座開通。これと同時に敦賀新港(鞠山埠頭)に接続。
- 1996年東海市との姉妹都市提携15周年を記念して、敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 1997年5月敦賀市みなとつるが山車(やま)会館開館。
- 1999年7月敦賀港開港100周年記念事業「つるが・きらめきみなと博21」開催。
- 1999年7月新日本海フェリー、敦賀~新潟~秋田~苫小牧航路就航。
- 2001年姉妹都市提携20周年を記念して敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 2001年中華人民共和国台州市と姉妹都市盟約締結。
- 2003年JR西日本小浜線直流電化開業。
- 2003年国道476号木ノ芽峠トンネルが完成。
- 2004年3月 金ヶ崎緑地が臨港トンネル(金ヶ崎トンネル)とともに供用開始。
- 2004年3月国道27号金山バイパス全通。
- 2005年「男女共同参画宣言都市」となる。
- 2006年9月24日 JR西日本北陸本線長浜~敦賀間、及び湖西線永原~近江塩津間を交流電化から直流電化へ切替。
- 2006年10月21日敦賀駅までの直流電化に伴い、新快速電車を中心に直流専用電車が乗り入れ開始(直流電化開業)。
- 2008年11月15日国道8号敦賀バイパス坂ノ下~小河口開通。これにより敦賀バイパス全通。
[編集] 人口
| 敦賀市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 敦賀市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は敦賀市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 行政
高浜町や旧大飯町と共に、地方交付税(普通交付税)の不交付団体である。
- 敦賀市長:河瀬一治 (1995年から)
- 敦賀市議会議員:26人(2007年統一地方選挙より)
[編集] 産業
- 産業人口(2005年国勢調査)
- 第一次産業: 869人
- 第二次産業: 9,816人
- 第三次産業: 23,379人
[編集] 工業
[編集] 漁業
- 浦底漁港
- 立石漁港
- 白木漁港
[編集] 加工業
[編集] 製菓業
[編集] 電力業
[編集] 地域
[編集] 健康
- 平均年齢 43.5歳(2005年国勢調査)
[編集] 市街地
市街地は主に、市街地(アーケード商店街を中心とした笙の川以東)と、新市街地(通称新木崎通り若葉交差点から昭和町交差点までの通りを中心とした笙の川以西)の二つに分けられる。敦賀空襲後、区画整理されたため市街地でも戦前の面影には乏しい。
港町として栄えてきた市街地には各所に史跡・旧跡が立地し、農地は殆ど無く殆どが住宅地か商業地である。敦賀駅前から敦賀港付近にかけてのアーケード街は、全体として活気に乏しく、半ばシャッター通りと化しているが更にその加速化を危惧する声もある。しかし、2006年秋に敦賀駅までの直流電化(新快速電車乗り入れ)により、敦賀駅が京阪神から身近となったことから、同様に直流電化による新快速電車乗り入れでやや活気づいた長浜市の例を鑑みて、状況が好転する希望的観測をする向きもある。ちなみに、乗車カードは導入されていない。
国道8号に指定されているアーケード街の一部は、かつて北陸の幹線としてトラックや観光バスが行き交ったことから夜間にラーメン屋台が出るようになり、現在でも、市内外から屋台の「敦賀ラーメン」を目当てに客が訪れる。毎年9月2、3、4日の敦賀まつりの期間中は、アーケード街一帯から氣比神宮にかけて数多くの露天商が出店し大変混雑する。
また、敦賀都市計画マスタープランによると、北陸新幹線敦賀駅駅舎整備事業と平行して東口を新設、現在の敦賀駅前通を東へ延長し国道8号敦賀バイパスに接続、その周囲に「中高年齢層の利用も考慮した」商業施設や住宅施設を整備する計画となっている。国道8号敦賀バイパスの全通により、中心部の混雑緩和には貢献しているものの、観光客や運送業等が敦賀を素通りする空洞化の加速が危惧されている。そこで、バイパス全通による交通量の減少を見越して、車道・歩道周辺の整備が計画されている。
新市街地は以前は田畑しかなく夜は真っ暗だったが、二本の通りを中心として商業地や住宅地(戸建住宅・賃貸アパート・分譲マンション)が広がり人口増加傾向にある。特に片道2車線の福井県道142号松島若葉線(通称新木崎通り)周囲には広い敷地を生かしたロードサイドショップが多く立地するようになった。高等学校や短期大学、専修学校が近くに立地しているため、若者が集まりやすいのも発展した要因と思われる。敦賀市本庁舎や敦賀警察署といった役所も、もとは市街地に立地していたのがこの付近に移転したことで市の中心になりつつある。新木崎通りの南端国道27号との交差点に日本海さかな街ができてからは、休日になると観光客が訪れるようになった。ただ、新市街地が敦賀駅から離れており、二次交通(バス)も発達していないのが難である。
[編集] 姉妹都市・提携都市
- 日本国内
- その他の国
[編集] 学校
[編集] 幼稚園
- 敦賀市立敦賀北幼稚園(曙町)
- 敦賀市立松陵幼稚園(平和町)
-
- 早翠幼稚園(本町一丁目)
- 第二早翠幼稚園(市野々)
- 学校法人栄光学園
- 敦賀教会幼稚園(本町二丁目)
[編集] 小学校
- 敦賀市立赤崎小学校(赤崎)
- 敦賀市立粟野小学校(莇生野)
- 敦賀市立粟野南小学校(公文名)
- 敦賀市立咸新小学校(井川)
- 敦賀市立沓見小学校(沓見)
- 敦賀市立黒河小学校(御名)
- 敦賀市立常宮小学校(常宮)
- 敦賀市立中央小学校(野神)
- 敦賀市立敦賀北小学校(曙町)
- 敦賀市立敦賀西小学校(結城町)
- 敦賀市立敦賀南小学校(清水町一丁目)
- 敦賀市立中郷小学校(岡山町一丁目)
- 敦賀市立西浦小学校(色)
- 敦賀市立東浦小学校(杉津)
- 敦賀市立松原小学校(松島町)
[編集] 中学校
- 敦賀市立粟野中学校(金山)
- 敦賀市立気比中学校(清水町一丁目)
- 敦賀市立松陵中学校(松葉町)
- 敦賀市立角鹿中学校(角鹿町)
- 敦賀市立西浦中学校(色)
- 敦賀市立東浦中学校(杉津)
- 学校法人嶺南学園
- 敦賀気比高等学校付属中学校(沓見)
[編集] 高等学校
- 福井県立敦賀高等学校(松葉町)
- 福井県立敦賀工業高等学校(山泉)
[編集] 短期大学
- 学校法人敦賀学園
- 敦賀短期大学(木崎)
[編集] 専修学校
- 敦賀市立看護専門学校(木崎)
[編集] 交通
陸上交通では、福井・舞鶴・京都・米原の四方との、海上交通では北海道への結節点となっている。
[編集] 鉄道
[編集] 現在
- 中央駅:敦賀駅
[編集] 過去
- 中央駅:敦賀駅
[編集] 主な道路
[編集] 有料道路
[編集] 国道
[編集] 福井県道
[編集] バス
[編集] 港湾
- 航路
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事
[編集] 景勝地
[編集] 社寺・日本庭園
[編集] 敦賀港、周辺の博物館
[編集] 旧跡
[編集] その他
[編集] 原子力発電広報施設
- 日本原子力研究開発機構 - アクアトム(神楽町二丁目)、アトムプラザ(木崎)、エムシースクエア(白木一丁目)
- 日本原子力発電 - 敦賀原子力館(明神町)、げんでんふれあいギャラリー(本町二丁目)
- 福井県 - 福井原子力センターあっとほうむ(吉河)
[編集] 祭事
- 1月に漁師が夷子方、百姓が大黒方に分かれ、その年の大漁と五穀豊穣を願って競われる綱引きの伝統は、400年にわたり受け継がれている。
- 氣比神宮例大祭と敦賀まつり(9月上旬)
- 花換まつり[1] - 金崎宮、4月上旬
- とうろう流しと大花火大会:気比の松原において行われる。(8月16日)
- 晴明の朝市(相生町):晴明神社の門前(博物館通り)で行われる。
- 敦賀西町の綱引き(相生町):国指定重要無形民俗文化財
- きらめきサマーフェスティバル(敦賀港)(7月海の日前後の週末)
- 敦賀港カッターレース(敦賀港)(7月海の日もしくは次の日曜)敦賀海洋少年団が1996年から実施。
[編集] 関連人物
[編集] 出身有名人
- 大和田荘七(明治期~昭和初期の実業家)
- 大和田伸也、大和田獏(俳優の兄弟、大和田荘七の子孫)
- 桑原じつ造(東洋史学者。京都帝国大学教授歴任)
- 桑原武夫(フランス文学者。評論家。文化勲章受章。京都大学人文科学研究所所長として広く活躍)
- 橋本進吉(国語学者。東京帝国大学教授歴任)
- 稲垣達郎(国文学者。早稲田大学教授歴任)
- 松木謙治郎(元プロ野球選手、元阪神タイガース監督)
- 辻佳紀(元プロ野球選手、テレビタレント)
- 高橋里志(元プロ野球選手)
- 峰さを理(女優、元宝塚歌劇団所属)
- 風見梢太郎(作家、2008年に執筆した長編小説「浜風受くる日々に」には敦賀の風物が多出)
- 高木毅(衆議院議員)
- 伊東一刀斎(敦賀出身とする書物がある)
[編集] ゆかりのある人物
- 恒良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて捕われ、後に殺害された。金崎宮祭神。
- 尊良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて自害。金崎宮祭神。
- 大谷吉継:敦賀城主。関ヶ原の戦いで西軍につき自害。
- 武田耕雲斎:水戸藩士。天狗党首領。敦賀郡新保にて幕府側に投降。一党は敦賀で全員虐殺されたものの、処断したのはあくまで幕府官吏であり、埋葬した敦賀側と水戸側には後日姉妹都市関係が誕生した。敦賀の歴史をまとめた本には、天狗党を手厚く待遇したという。
- セルゲイ・プロコフィエフ:ロシアの作曲家。敦賀港にて日本上陸。
- 杉原千畝:外交官。命のビザで知られる。
- 古関裕而:「大敦賀行進曲」を作曲。市の盆踊り曲の一つとして市民に知られる。
[編集] その他
[編集] 市外局番
敦賀市の市外局番は、料金単位区域(敦賀MA)と同一の範囲を持つ0770(市内局番は20~49)で統一されており、以下の区域への通話は市外局番不要かつ市内通話料金が適用される。なお、小浜MAも同じ市外局番(市内局番は50~79)であるが、MAが異なるため、市外局番が必要である。
なお、西日本電信電話による級局区分は、2級局である。
[編集] 情報
[編集] 脚注・出典
- ^ 越前敦賀和菓子処 紅屋と言う店もある。(寛政5年創業)
- ^ 敦賀の由来となった角鹿(つぬが)のこと、敦賀市立角鹿中学校のホームページ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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