北陸トンネル

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北陸トンネル(ほくりくトンネル)は、福井県敦賀市南条郡南越前町にまたがる複線鉄道トンネル北陸本線敦賀駅南今庄間、木ノ芽峠の直下に位置する。総延長13,870m、1962年6月10日開通。

北陸トンネル敦賀側坑口。トンネルの上に「北陸隧道」とある。

目次

[編集] 概要

1972年山陽新幹線六甲トンネルが完成するまで、日本最長のトンネルであった。なお、狭軌の陸上鉄道トンネルに限定するなら、2009年時点でも日本最長である(1982年スイスのフルカ・オーバーアルプ鉄道(現マッターホルン・ゴッタルド鉄道)に新フルカトンネル(15,442m)が開通するまでの20年間は狭軌の鉄道トンネルとして世界最長だった)。

2002年東北新幹線八戸延伸開業に伴うダイヤ改正で、青函トンネルから快速海峡」が廃止されて以降、普通列車が走るトンネル(都市部の地下トンネルを除く)としても日本最長になった。

[編集] トンネル開通前

敦賀と今庄の間には海抜762mの鉢伏山がそびえ、その鞍部である木ノ芽峠(海抜628m)は、古くから北陸道の隘路であった。

旧杉津駅付近(北陸道杉津PA)より
麓の杉津集落(写真中央部より左側の沿岸、その右側は横浜地区)と敦賀湾を望む

北陸トンネル開通前の北陸本線敦賀~今庄間(1896年開通)は、木ノ芽峠を避け、敦賀市の海岸部に近い杉津駅(すいづえき)を経由する山中峠ルートを採っていた。だがこの区間は、海岸の山麓を縫いながら4カ所のスイッチバックを擁して25の急勾配を上り下りする厳しい条件の単線区間であった。途中には3箇所の駅、3箇所の信号場、12箇所のトンネルも存在し、列車の行き違いにも時間を要した。眺望こそ優れた区間であったが、速度や輸送力、列車本数(急勾配の単線区間であるゆえ、列車本数に限りがあった)の面で、重要幹線である北陸本線にとってのネックとなっていた。 勾配の厳しさのみならず、地盤の脆弱さによる崖崩れ、冬期には雪国特有の深刻な雪害にも悩まされていた。

補助機関車としてD51形蒸気機関車をつけての重連では700t.輸送が限界であったため1955年より(試作機的な)電気式ディーゼル機関車DD50形、当時最新鋭だった電気式ディーゼル機関車DF50形等が配属され、機関車三重連により1000t.輸送を始めたが貨物増には対処しきれず、1956年7月には金沢鉄道管理局管内で抑制列車は36本を数え、駅頭滞貨は3万8000t.(対前年比178%)にも及んだ。

[編集] トンネル工事

北陸トンネル入口の看板(敦賀市深山寺)
左手の道路(国道476号)は深山信号場跡
北陸トンネル 樫曲斜坑入口の看板
(敦賀市獺河内)

敦賀以南の改良(深坂トンネル開削、鳩原上りループ線構築、交流電化)に引き続く北陸線の抜本的な輸送改善を期し、戦前より様々な改良案が出されていた。

本格的に着手したのは1952年以降で国鉄金沢改良委員会を中心に検討された。

  1. 在来線腹付け盤下げ複線化案(敦賀-新保-杉津-大桐-今庄)
  2. 南今庄(大桐付近に設置予定のもので現「南今庄」とは違う)より杉津海岸へトンネルで抜け、海岸沿いに敦賀までの単線を新たに敷設する新線案(敦賀-阿曽-杉津-南今庄(新大桐)-今庄)
  3. 今庄より中之郷までの直線トンネル複線化案(中ノ郷-今庄)
  • 1.は既存のルートを最大限に生かしスイッチバック解消のため路盤を下げ、勾配緩和工事を瑣末に行うものであったが、雪害・地崩れ対策に明るい解決策がない。
  • 2.は海岸沿いのルートを取ることによって雪害・地崩れ対策などには若干効果があるがスピードアップなどの面においては在来線に変わるメリットがさほど見いだせない。また、新線を在来線と併設するか新線のみとするかも不透明であった。
  • 3.は明治初期より計画されていたもので技術的にも最も好感を持たれていたが敦賀を通らない案は容認できないこと。また、将来、米原-敦賀の湖東経由東海道線の輸送量がパンクした際に湖西周りからのバイパス路線を接続しにくいこともネックであった(湖西線開通によりその意図は達成された)。

などを理由にいずれも却下。

結局、スピードアップを最優先事項とし、今庄から敦賀まで一本のトンネルを掘る事になった。

1957年に着工。敦賀・今庄の両坑口のほか、中間2箇所からも立坑・斜坑を掘るという突貫工事で掘削が進められた。世界的にも注目され海外からの視察団もよく訪れた。断層や出水に悩まされたが1961年7月に貫通、翌1962年3月に完成。以後、整備を重ね6月9日には旧線から線路を付け替え暫定運行を開始し、6月のダイヤ改正に合わせ10日より正式供用を開始した。当初から交流20,000Vで電化されていた。今庄止まりの通勤列車はすべて敦賀まで延長され所要時間は1時間以上の短縮となった。

この区間の開業に伴い、杉津経由の旧線は廃止されている。沿線住民との折衝の結果、大桐駅の代替駅として約2km今庄よりに南今庄駅が新設されたが、敦賀-新保、敦賀-杉津(海岸周り)、今庄-大桐、と旧駅間にはそれぞれ新たに代替バス路線が設定された。旧線敷地跡は1963年11月4日に道路化された。

掘削時に温泉が湧き出し、現在は「敦賀トンネル温泉」(北陸トンネル温泉)として営業中である。

  • その反面、トンネル掘削の影響で地下水流が変わり、新保集落ではかつていたるところで湧き出ていた温泉が枯れたといわれる。

工事期間中、北陸トンネルのルートに当たる敦賀市葉原には作業員が多く住み、葉原小学校には229人(1959年)もの児童が在籍した。

  • 期間中、新保駅のスイッチバック今庄方引き込み線が延長されて葉原斜坑への資材運搬拠点とされた。
  • 6月10日の開通祝賀式典に併せ、殉職者慰霊祭が敦賀ポータル側で行われた。

[編集] 開通後の状況

トンネルの先は嶺北

現在ではトンネル開通など目新しくはないが、当時は折からの高度成長期と相まって、科学文明の発展のシンボルでもあり、相当な話題となった。時間のかかるスイッチバックの単線、12カ所ものトンネルをくぐる度に煤煙に悩まされていた旧線と較べ、複線電化、スピードアップ、コンクリートの枕木、蛍光灯照明の明るいトンネルがどれだけインパクトがあったかは今では想像しがたい。新線開通祝賀式典の際には報道用のヘリコプターまで出動した。

都市間連絡のスピードアップ、輸送量増加の陰で今庄駅は急行通過駅となり、新保駅杉津駅大桐駅の沿線は今やバスも通勤時間に数本走るのみとなってしまった。内陸部から汽車で杉津海岸へ海水浴へ行くといった時代は今は昔の語り草である。

長大トンネルながら頸城トンネル筒石駅のようにトンネル内に駅が設置される構想は当初よりなかった。

島倉千代子の歌う「イッチョライ節」では、一番の歌詞の冒頭に登場するのが北陸トンネルである。

トンネル完成後、北陸本線では交流電化や複線化が急激に進展した。北陸トンネルは2009年現在においても北陸以北の日本海沿岸・北海道地域と関西・中部地域を結ぶ大動脈となっている。

1972年11月6日、北陸トンネルを通過中であった急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30名の犠牲者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間及び列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている。(蒸気機関車時代は直接、蒸気そのものを機関車から客車に回せたのである。)この事故の前の1969年12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の電源車から出火する事故があったが、このときは運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった。これらの事故については北陸トンネル火災事故も参照のこと。

2005年7月16日午後1時45分ごろ、敦賀発福井行の下り普通列車245Mが電気系統のトラブルによってトンネル内で立ち往生。後続の寝台特急トワイライトエクスプレス札幌行に押し出される形で今庄駅まで運転した。

2006年10月21日に長年交流電化であった北陸本線長浜~敦賀間と湖西線永原近江塩津間が直流電化され、敦賀口付近にデッドセクションが設けられた。

福井方面からやってきた列車は特急・普通を問わず、デッドセクションにおける交流→直流の電源切り替えに備えるため、トンネルを抜ける手前で若干減速し、ほぼ抜け切ったところで車掌が案内放送を行う。

[編集] 旧線の現況

樫曲トンネル(敦賀市獺河内)
山中信号場跡記念碑
(南越前町山中)

旧線跡地は1963年11月4日に道路に転用された。後に杉津駅の跡地には北陸自動車道上り線の杉津パーキングエリアが設置された。本線の山側に旧線から転用された道路を見ることができる。

なお、杉津駅あたりの地形は必ずしも北陸自動車道とは一致しない。旧線は山の斜面に沿ってなだらかなS字カーブを描くが北陸道は盛り土をして一直線に敷かれた。このことにより、杉津駅南方の河野谷トンネルが解体。杉津海岸から杉津駅までは一直線の石段があったらしいが現在は草むらの中に埋もれているようである(駅から海岸までの自動車道はその当時は存在しなかった。現在は盛り土をした杉津上りPA高架の下に、PA付近より杉津集落へジグザグ状に下りる道路と、葉原~山中への連絡回廊とができた)。また、杉津駅より山中トンネルまでは山の中腹をトンネルと鉄橋でつないでいたが、現在はアスファルト道路が敷かれている。旧線鉄橋跡は深山、大桐付近も含め、どこも鉄橋の上にアスファルト道路を載せている。

獺河内トンネル及び獺河内鉄橋跡(旧新保駅の下にあった木の芽川にかかる橋梁)は2002年、木ノ芽峠トンネル開通に併せた道路整備により消滅。樫曲トンネルは国道吸収・解体を免れ歩道として整備され、レトロ調の街灯も設置された。

葉原トンネル南ポータル~葉原大カーブまでの直線区間は3線をなす葉原信号場スイッチバック跡である。道路の両側、すなわち山側の北陸道下り線築堤及び海側空き地が引き込み線であった。引き込み線築堤が一部北陸道の土台に流用されている。

旧線跡は、敦賀駅から葉原集落までが概ね国道476号、葉原から杉津PAまでが敦賀市道、今庄駅より杉津PA、そしてふもとの海岸線を走る国道8号までは福井県道207号今庄杉津線である。国道476号から葉原大カーヴへ分岐する地点は2007年道路改修の結果新たに車道築堤が出来たため直進出来なくなり、やや北側より迂回するルートとなった。

山中トンネルは直線のために交互通行用の信号機が設置されていない。町村合併により南越前町が出来てから山中信号場跡に記念碑が建てられた。上り方引き込み線が上方の林道にあったと説明文では書かれているが、実際には上下引き込み線は並んでいた。

1996年2月に発生した国道229号豊浜トンネル岩盤崩落事故に伴い、葉原トンネル(事業主体:敦賀市)が1997年12月までの1年10ヶ月間、山中トンネル(事業主体:福井県)が1998年4月までの2年2ヶ月間通行止めになり、補強工事が施工された。歴史的に価値がある建造物であることから、当時の外観を極力損なわないように配慮した工事を行ったという。

[編集] 記念切手

1962年6月10日に発行された開通記念切手(見本)

開通を記念して郵政省から10円の記念切手が発行された。従来線の付け替えに過ぎないトンネルにしてはオーバーな感もあるが、当時国内の鉄道トンネルとしては清水トンネルの開通以来31年ぶりの最長記録更新となる点が考慮されたと考えられる。図柄はトンネルを出るキハ80系特急「白鳥」。しかし、この図柄は車両やトンネル内の架線や照明などに10箇所以上にのぼる間違いが指摘され、エラーの多い切手として名を残すことになった。なお、「白鳥」の兄弟分ともいえる特急「日本海」は青函トンネルの開通記念切手の図柄に起用されている。

[編集] 新北陸トンネル

北陸新幹線のルート上には新たな北陸トンネルが計画されている。南越駅(仮称、越前市武生インターチェンジ付近が予定地)から敦賀駅までほぼ一直線で結ぶ予定である。

2005年12月9日独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構国土交通省に提出した認可申請によれば、南越~敦賀間約30.2kmのうち、約20.0kmが「新北陸トンネル」になる予定である。完成すれば新幹線の中でも有数の長大トンネルになる。なお、現時点では着工の目処は立っておらず、完成時期についても未定である。

[編集] 新幹線の長大トンネル

  1. 青函トンネル(新幹線は未開業):53.85km 北海道新幹線 奥津軽駅※・木古内駅
  2. 八甲田トンネル(未開業・既貫通):26.455km 東北新幹線 七戸十和田駅新青森駅
  3. 岩手一戸トンネル:25.808km 東北新幹線 いわて沼宮内駅二戸駅
  4. 飯山トンネル(未開業・既貫通):22.225km 北陸新幹線 飯山駅上越駅※間
  5. 大清水トンネル:22.221km 上越新幹線 上毛高原駅越後湯沢駅
  6. 檜山トンネル(計画中):20.035km 北海道新幹線 新函館駅※・新八雲駅※間
  7. 新北陸トンネル(計画中):20.0km 北陸新幹線 南越駅※・敦賀駅間
  8. 手稲トンネル(計画中):18.840km 北海道新幹線 新小樽駅※・札幌駅
  9. 新関門トンネル:18.713km 山陽新幹線 新下関駅小倉駅

※上越、南越、奥津軽、新函館、新八雲、新小樽の各駅は仮称である。

[編集] 関連項目


[編集] 外部リンク